ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「大日本帝国」~ウヨサヨ判定映画

2012-04-23 | 映画




大日本帝国、なんて大上段から構えたようなタイトルをつけている割には、内容が小粒です。
つまり、簡単に言うと、このタイトル自体が皮肉としか思えない内容なんですねこれが。

大量の写真をアップしながら説明した「戦争と人間」が、あれだけの長時間かけて、
つまりは「日本の謀略と悪辣ぶり」を描くことに終始していたように、この映画は
やはり長時間かけて結局何が言いたいかというと、

「大日本帝国なんて偉そうにしてたけどさ、戦争負けてるし(笑)

天皇がさっさと戦争やめさせときゃ、皆こんな酷い目に遭わずにすんだんじゃないの」

だと思うんですけど、観たことある方、いかがなもんでしょう。


勿論、開戦に始まり、東条陸将(丹波哲郎)を主人公のようにして、いかにも
「激動の昭和史、日本はいかにその時を迎え、人々はどう生き、どう死んだのか?」
みたいな煽り文句をつけているこの映画ですが、
歴史を動かした人々のあれこれは、要するにこの映画にとって「傍論」に過ぎません。

御前会議の内容やアメリカが「日本に先に拳銃を抜かせる」などと画策していたことは、
全く説明として字幕やほんの一シーンで触れられているだけで、ストーリーは、

正義感あふれる陸軍士官(三浦友和)
徴兵されてきた床屋(あおい輝彦)とその妻(高橋恵子)
京大出の予備士官(篠田三郎)とその恋人と、彼女によく似たフィリピン娘(夏目雅子)

がいかに酷い目に遭うか、ということを中心に進み、それに終始します。

この時期、こういう「日本が戦争したので皆酷い目に遭いました」という
日本戦争映画の傾向が、より一層遠慮なしになってきた感があるのですが、
今日の眼であらためてこの映画を観直してみると、「戦争責任者としての天皇」を
はっきりと糾弾していることが、おそらく中学生にも分かる内容です。

これは、戦後戦争の責任を誰かに求め続けた日本人が、敗戦当初の日本軍部に始まり
「日本の政治指導者」、ここに至ってついに「天皇陛下への戦争責任を問う」
という、ある意味思いきった表現を採用した、最初の映画とも言えるのではないでしょうか。
この流れがNHKはじめ新聞各社のあからさまな「反皇室」への布石になっていったこととも
無関係ではありますまい。

いや、それはたかが映画に、考え過ぎだろうって?

そう思われるなら、一度この映画、観直してみてください。
いたるところで天皇という台詞が入りますが、それは必ず天皇の否定か、
天皇の責任を問うことがらか・・・いずれにしても、露骨なのに気付くことでしょう。

床屋の家族がラジオを聴きながら床屋の妻が、
「天皇陛下も戦争に行くのかしら」
「天子様は宮城だよ」
(いかにも不服そうな顔をして見せる)

出征する篠田三郎が恋人夏目雅子に
「僕が死ぬときは天皇陛下万歳だけは言わない」

玉音放送の後、聴いていたおじさんが
「天子様のお言葉で戦争済むんだったら、なしてもっと早くやめられんかったんだべか」


戦犯収容所から脱走を持ちかける搭乗員(西郷輝彦)が篠田に
「大元帥陛下が我々を見殺しにされるはずがなかでしょう!
我々は天皇陛下の御盾になれと命じられて戦うてきたとです。
そう命じられた方が我々を見捨ててアメリカと手を結ぶなんちゅうことは絶対にありません!
日本政府がポツダム宣言を受諾したとしても、天皇陛下はたとえお一人になられても、
必ず私らを助けにきて下さる筈です!」

ね?すごいでしょう。
たかが海軍の一搭乗員が、しかも今までジャングルの中でずっと死ぬか生きるかの
サバイバル生活をしてきて、すっかり国に見捨てられた状態だった軍人が、戦犯になって
ジャングルに逃げようとしているときにもこんなことを言うというのも信じがたいのですが、
この、西郷輝彦扮する真珠湾攻撃にも参加した海軍パイロットは、この映画にとって
「典型的な狂信的皇国思想の持ち主で、どんな非人間的、残虐なこともやってのける軍人代表」。
何かにつけて、「天皇陛下」を強調するのですが、実際その名の下で

  • 真珠湾攻撃に赴く前、部下の千人針を殴って取りあげる 部下は戦死
  • 海中を漂う敵兵を、何航過もして一人残らず機銃掃射で殺す
  • 山中で日本軍に協力したフィリピン人を情報が漏れないようにと殺す
  • 篠田の恋人に似たフィリピン娘さえも殺す
  • 機体不良で特攻を引き返した篠田を殴る

それもこれも、彼が「天皇陛下に忠誠をつくす軍人であるなら当然」と、いう設定です。
本人の説明で、これらのことはすべて
「天皇陛下をお守りする軍人としての務め」
と言わせているわけです。

その他の軍人、特に幹部は軒並み酷い人間ばかりに描かれています。
軍旗を守るためにボートにしがみついてくる兵の手首を切る軍人。
(これが、陸軍軍人なのに押し立てているのがなぜか海軍旗)
敗走しようとする民間人を銃で押し戻し死ねと命じる軍人。
沖縄を描きながら、「沖縄県民かく戦えり  県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」
と自決した大田中将のような人物は決してこの映画には出てきません。



それもこれも、実際にあったとされることには違いないのですが、あらゆる戦争の惨事の中から、
わざわざ悪辣な上層部、虐げられる国民と下級士官、兵ばかりを描き、かつ
「天皇が命令しなければこんなことにはならなかった」という色付けをして見せるわけです。

「海ゆかば」
を全員が合唱しながら、あたかも幽鬼かはたまたゾンビのようにサイパンにいた日本人たちが
敵弾の中を撃たれるために進んでいく場面は、気分が悪くなること請け合いです。
このあたりのこと、わたしは詳しく調べていないのですが、これは史実ですか?

丹波哲郎演じる東条英機の一連の行動も、天皇に対し忠であろうとする部分が強調され、
東京裁判のシーンでは、ただひたすら「天皇陛下の戦争責任は無い」ということを証明した
東条の姿だけを描きます。
つまり、天皇との関係性においてしか、東条の存在を語っていないのです。

そもそも、この映画は他の映画で後姿だけとか、遠景だけでぼかされていた昭和天皇の姿が
実際に役者に演じられている点が画期的。
このあたりも彼らの天皇糾弾というテーマを明確にするための手法だと思われます。


まあ、良くも悪くも、つまりそういう映画なのね、とわたしは判断したわけですが、
これが、調べてみたら結構面白いことが判ったんですね。

この映画について、わたしのように
「分かりやすい天皇批判の左翼映画」だと観た人間の中には黛敏郎がいます。
学生当時、
「知ってる?黛敏郎って、右翼なんだって」
「へー、そういえば、マーチとかそれっぽいもんねえ~国粋主義っぽいっていうか」
などと学生特有のスーダラな会話をしたことがありますが、右翼であったかどうかはともかく、
彼が左翼でなかったことは確かなようで、この映画を
「非常に巧みに作られた左翼映画」と評したそうです。

篠田三郎が戦犯として銃殺される寸前、
「天皇陛下、お先に参ります」
と言います。

「僕は死ぬときに絶対に天皇陛下万歳とは言わない。君の名を呼ぶ」
と恋人に言った篠田にこう言わせているのは、
「天皇陛下に続いて死ぬことを求めている」という意味だと黛は言い、
逆に左派の映画監督山本薩夫「非常に巧みに作られた右翼映画」と評しています。
山本は、篠田の台詞が「天皇礼賛」に聴こえたようなのです。

さらに、赤旗お抱えの映画評論家は「戦争賛美の右翼映画」と評し、別の映画評論家によると、
「指導者に同情的であり、戦争責任をぼかしている。
また戦死者を無駄死にと描いており、日本人の自己憐憫の映画だ」ということです。

結構大量の映画評を当たってみましたが、思想的にどこに立っているかによって、例えば
「戦争に対するノスタルジーや、あの戦争を肯定したいという気分を、この映画は後押しした」
なんてことを言う人もいるんですね。

ここで個人ではありませんが、極めつけは中国の新華社通信
「東條英機を主人公にした映画が製作されるほど、日本の風潮は右傾化している」
と報じています。


つまり、この映画は、映画を観る人の立つ位置によって
右翼映画に見えたり、左翼映画に見えたりする、いわば
ウヨサヨ・リトマス紙のような映画なのです。

種明かしをしてしまうと、この映画の脚本家、笠原和男氏も、監督升田利雄も、
自分たちではっきり「天皇批判の意図を持つ左派思想の映画だ」
って言っちゃってるんですよね。
うーむ、さすがは煮しめたような団塊の世代。悪びれてもおらん。

しかもこの世代、「観客サービス」のつもりで女優さんに脱ぐことを要請する傾向にあります。

先日まで死体がごろごろしていたところに泳ぎに来た米人のカップルが、
日本兵の骸骨でラグビーしていて、怒りの小田島中尉(三浦友和)に射殺されるシーン。
この全裸になる白人女性は、脱いでナンボ(つまり顔が)なのでそれでもいいんでしょうが、
その形状に思わず眼をそむけずにはいられない、高橋恵子のバストのアップって、一体誰得?

というわけで、作った本人たちが「左だよ」って言ってしまっていることから、
この映画のリトマス反応のチャートは、

「右翼映画だと思った人」=左翼思想
「左翼映画だと思った人」=右翼思想あるいは保守思想


犬が西向きゃ尾は東。
左翼が右見りゃ保守も右。ってことで。

ただ、 この製作者にひとこと言わせてもらうなら、
日本は天皇個人のために戦争したんじゃないよ。

仕掛けられた戦争であることを断りながら、何でこうなるかな。







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2 Comments

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黛敏郎 (M24)
2013-01-09 17:21:02
エリス中尉、はじめましてM24と申します。
今年から読者になったものです。

私が、エリス中尉のプロフィール、ブログの内容から連想したのが黛敏郎でした。

彼は、1970年代だったと思いますが、自身が司会をしていた「題名のない音楽会」に海上自衛隊音楽隊(恐らく東京音楽隊)を出演させ、行進曲軍艦を演奏させています。
時代と、放送局(現テレビアサヒ)を考えれば相当の抵抗があったと思われます。

ご存知かも知れませんが、現在、自衛隊の儀仗で演奏される「栄誉礼冠譜および祖国」は黛敏郎の作品です。

これからもブログ楽しみにしています。
厳冬の折り、御身体くれぐれもご自愛ください。
乱文にて失礼いたしました。

追伸、1月13日、習志野駐屯地演習場にて年初恒例の降下始めが行われます。
毎年行われる行事ですので、いつかエリス中尉にもご臨席いただける機会があればと念じています。



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黛敏郎 (エリス中尉)
2013-01-09 20:50:26
M24さん、初めまして。

戦後の日本の作曲界を代表したのが黛敏郎、團伊玖磨、芥川也寸志の三人です。
「三人の会」と言う作曲集団を作っていました。

團も芥川も陸軍戸山学校の出身ですが、そうでない黛が戦後最も民族主義的な思想に傾倒しました。
團伊玖磨はいわば「普通に愛国者」で、たとえば空自のための(軍艦と陸軍分列に相当する)「航空自衛隊行進曲」などを作曲しています。
芥川はどちらかというと左派思想であったようで、共産主義への憧れを持っていたといわれていますから、陸軍戸山出でない黛が一番「右」に行ってしまった、というわけですが、それもこれも、三島由紀夫の影響だと言われています。
三島の「金閣寺」をオペラにしたり、三島の死後は「憂国忌」を生涯支え続けたりしました。
当然のことながら「占領憲法」には批判的で最後まで改憲論者であったようです。

ちなみに、三島由紀夫が読響で「軍艦」を振ったことを書いたことがありますが(笑ってはいけない行進曲軍艦)この時の司会者は團伊玖磨でした。
当時のテレビ局は今ほど「第三勢力」に入り込まれていませんでしたし、軍出身者がまだ多くいましたから、このあたりはあるいは今よりも緩かったのではないでしょうか。

あと、黛敏郎作曲の自衛隊レパートリーに「黎明」と言うのがありますね。
ご存知かもしれませんが、名曲です。

http://nicoviewer.net/sm13956992

習志野駐屯地の降下始めですか。
>毎年行われる行事ですので、いつかエリス中尉にもご臨席いただける機会があればと念じています。

それは・・・残念です・・・・・今年は終わってしまったのですね・・・・

って、次の日曜じゃないですか!!!!


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