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「海戦」~作家の見た士官たち

2012-04-22 | 海軍

 

報道班の一人として海戦に赴く鳥海に乗ることが決まってから、
作家、丹羽文雄はまず自分が自ら望んで死に近づいていくという事実と、
みずからの死に対する覚悟を直視せざるを得なくなります。
周りにいる鳥海乗り組みの海軍軍人のそれを目の当たりにする度に、
それは波のように恒常的に、否応もなく繰り返し訪れる想念となったのでした。

「どこにいますか、江田大尉?」
「山の飛行場です。逢わなかったのですね。今頃は死んでるかも知れません」
死の衝動よりも、死と無造作にいってしまう飛行長の口調にびっくりした。
(中略)
飛行長の断定は慰めとか、否定とか、それに類した答えを求めてはいなかった。
それに応じる答えはすでに自分の内にこもっているのである。
私はこの二十六歳の青年大尉をほんとうに理解していなかった。


死に対する覚悟は、一応付いているつもりだ。(中略)
私はすでに自己放棄をやっている。然し、死に関しては現実的に軍人にかなわないのだ。
軍人の示す完全な、おそろしいほどな自己放棄には、時間がかかっていた。偉大な訓練の結果であった。


報道班員は、士官待遇で士官と行動を共にするので、彼らの言動を間近で見聞きすることによって、
軍人という特殊な職業の者と、自分のような「娑婆の人」との認識の違いをあらためて知るのです。
そして一般人とは全く対極にある完全な死の覚悟を持つ軍人の、「ある部分」を発見します。


日本機が堂々とゆっくりと飛んでいく。
無声映画のように爆音が聞こえないので、もどかしいが、見ていると胸が熱くなった。(中略)

「こんなのを見ていると、泪が出てくる」
水雷長の率直さに私はうたれた。水雷長は私の名を呼んだ。
「書いてくださいよ。この気持ちを是非書いてくださいよ」
水雷長は泪をためていた。


戦いの合間にもかかわらず、一口ずつゆっくりと味噌汁を味わう副長。
参謀長は、非軍人であればきっとこのようなものもありがたいであろうとばかり、
クジラを見つけたことを教えてくれます。
「思いがけない珍客です」

全てが彼らのうちには「平常に」行われることなのでした。
さらに夜戦を間近に控えているにもかかわらず、ぐっすり眠る乗員たちの大胆さに、
「もっとも素直にふるまっているにすぎず、あらためて指摘すればきっと照れるに違いない」
と、感嘆するのです。

作家がさらに感銘を受けたのが、軍人としての厳しい訓練を受ける段階で、
かれらが青春の日々を共にした「クラス」に対する思いの特別さでした。

「この艦隊には僕の同期生が五人ものりこんでいるんですよ。心丈夫です」
同期生が五人もいるといった時の副官の顔は、子供のようにうれしそうであった。


「青葉の飛行長はわしのクラスです」
クラスの一人がほめられていることが、うれしくて耐らないというきれいな表情であった。
私はためらいながら、飛行長の真実に近着こうとした。
どのような青春のすごし方をすれば、このような美しい共鳴が持てるのか。
私たちのもった青春の日は、いたずらにくだらなく、僭越で過ぎてしまったようである。

「補丁されることもなく、接触もない」、友情に若い彼らが浮身しているのが非常に良く似合う。
丹羽氏はその傍から見て一見理解しがたい、面映ゆいまでに純粋な結びつきを羨みます。


丹羽氏はその後の海戦で、右上膊部に砲弾の破片を受けたものの、
「これだけのことか。これだけの傷ですんだのか」という命長らえた奇妙な安堵を感じます。


苛烈な海軍の階級社会の中では、問答無用で鍛え上げられる下士官、兵は、
いつも絶対的な権力の上に立つ士官に対して不満を持っていた、といった記述が
戦後の本では百出しています。
それも真実の一面でありましょう。

しかし、士官の側に立った第三者の眼で海軍を見つめる作家は、
決してその歪んだ、暗い部分を見ることはありませんでした。
むしろ、海戦という特殊な事態を総員で受け止め、外敵に向かっていくための、
悲しいほどに美しくすらある結束と団結だけをその目に留めることになったのです。


自らがそこへ這っていくこともできないくらいの重傷を負いながらも、
ピクリとも動かない戦死した分隊長の名を何度も呼び続ける兵。
戦いの後に兵たちに噛んで含めるように応急員の心得を説く、母親のような若い甲板士官。
それを兵たちが「素直な子供たちのように任せきって」聞く姿。
お互いの非常時におけるふかい共鳴に、丹羽氏は、
「偶然に日本海軍の力をなす主要な特質の一端にふれた思い」を持ちます。

海戦後に丹羽氏が見た副官とその従兵の姿を、最後に記しましょう。


「従兵、篠崎はどこだ、篠崎?」
負傷者の顔を一つずつ見て歩いた。
「副官、自分はここにいます」声だけがあった。割合元気が良かった。
「どこだ、篠崎?」

「どうだ、具合は?」

 

返事はなかった。あたりはしいんとした。やがて
「申訳ありません」
と言った。副官は微笑をうかべた。右手を失った篠崎は絶対安静が必要であった。
「しかし、自分には左手が残っています。長官のお給仕は左手で立派にやれると思います」
「うん、やってくれ。自分もそう思っているんだ」

副官は何かを抑えるようにして、朗らかに応えた。顔から微笑が消えそうになった。
副官は黙った。高いところから見下ろしていた。従兵も無言であった。
副官はわざわざ篠崎を見舞いに来たのであったが、そんな気配は示さなかった。

どれだけか副官は見下ろしていたが、
「何も考えずに、くよくよしないで、十分養生しろよ」
「はい」
副官が枕許をはなれた。五六歩歩いた時であった。
「わあっ」
叫びともつかず、よびかけともつかない奇声を従兵があげた。

「何だ。篠崎?」
「魔法瓶がみんなこわれました。申訳ありません」
副官は引き返そうとしてためらった。そのままの姿勢で、
「なに、代りはあるぞ」
副官はそう言うと、大股に部屋を出ていった。


(「海戦」丹羽文雄 中公文庫)




冒頭画像:重巡洋艦鳥海 ウィキペディアより
原典 海軍雑誌「空と海」第二巻第六号
作者 海と空社:The Air and Sea Co.




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