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呉海軍墓地~軽巡「三隈」の避退と艦娘の論理

2015-02-13 | 海軍

呉海軍墓地にある慰霊碑の数々を巡ってお話ししていますが、
慰霊碑をきっかけに海軍艦について調べることによって、
またもや今まで抜けていた知識のピースがはまっていき、
一つの絵が見えてくるように全貌がはっきりしてきたこともあります。

艦の来歴、エピソードなども、こんなことでもなければ書くことありませんが、
艦それぞれを「擬人化」するとしたらその勇壮さにわくわくし、
自分を犠牲に他の艦を守る姿に涙し、ときには声を上げて笑い・・・。

「艦隊これくしょん」のファンがこのゲームをするようになってから
二次的に歴史に興味を持たざるを得なくなった(ファンの誰かがそう書いていた)
というのも
当然のことかもしれない、とわたしは思うようになりましたですよ。
だって、艦暦や時代背景を知らないとゲームはできない(ですよね)し面白くもないから。


ところで、去年の末にこんなことがありました。
北海道新聞が結論ありきで「艦これ」のゲームをする人にインタビューし、

その答えを捻じ曲げて、

「ゲームを通じて戦史を知り旧海軍がかっこいいと思うようになった。
丸腰で平和を訴えても国は守れない。言っても分からない国に対抗するには抑止力が必要」

などと言ったことにし、さらには埼玉大の一ノ瀬俊也准教授(43)=日本近現代史=とやらに

「祖国を誇りたい気持ちがゲーム人気につながっているが、ゲームで戦うのは自分ではなく少女。
他者に守られたい気分が、勇ましい政策への漠然とした支持に流れている」

とか言わせ、一面囲み記事にしたのです。


最初からマスコミの囲み記事など記者の思想宣伝にすぎん、
という認識を持っている者には
「ああ・・」と察してしまうありがちな記事にすぎませんが、
これが果たして記者の創造、
いや捏造記事であったことは、この後このインタビュイーが
実際にネットに降臨して、

「こんなこと自分は言っていない」と言明したことで裏付けられたという顛末です。

つまりこの准教授とやらの分析には「何の意味もない」ってことになったわけですが、
北海道新聞の御用記事専門らしいこの准教授の背景はさて置おいて(笑)、
問題は北海道新聞が、これをウルトラ三回転半左ひねりで、見事な

「安倍自民と集団自衛権への批判」に持って行ったってことなんですね。

しかも記事が書かれたのは12月5日、つまり参院選前でした。
利用できるものはゲームすら利用して自民を叩く、さすがは赤い大地の新聞社。
そのタイトルもすごいですよ。

「安保 丸腰で国は守れない」「勇ましさ求める」「それ 本当の強さですか?」

ときたもんだ。
タイトルで自己完結してやんの。もしかしたら それ 本当の”度し難い”馬鹿ですか?

(”度し難い馬鹿”は最近尊敬するある方が使っていたので個人的にウケた表現)
「勇ましい政権を支持している」のはイコール「艦これ」のゲーマーなんですか?
記者的には「艦これ」ゲーマー(提督といってあげてね)イコール安倍政権支持なんですか? 

だとしたら「艦これ」、侮れん。
一国の政治をムードすら変えて動かせるほどの、ものすごい潜在競技人口なんですね。


と相変わらずマスゴミ批判に流れてしまいましたが、本題と参りましょう。
冒頭写真は

重巡洋艦「三隈」戦没者慰霊碑

ところで、以前この「海軍墓地シリーズ」でお話ししたことがある

「第四艦隊事件」

を覚えておられますでしょうか。
事件などというから不祥事でも起きたのかと思ったら、

台風の中訓練に出た第4艦隊41隻のうち19隻になんらかの損傷が起きた

という、つまり海難事故だったんですね。

海軍はなんでも一応「事件」と称することによって、大事故や山本五十六の戦死を
すぐにそうと分からないようにしていたようですが、(たぶんね)
この場合は、
単なる不運な海難事故ではなく、軍艦設計のミスという
海軍を震撼させる事実が露わになった、
やっぱり「事件」と言うべきものでした。


第4艦隊事件の場合、まず、異常な規模の台風が来ているのに「これも訓練だ!」
と演習を中止せず
艦隊丸ごと嵐の中に突っ込んでいった、という判断が大間違いだったってことになりますが、
そもそも最悪の非常時を想定して訓練するのは、軍として当たり前の行動です。


問題はこの嵐で多くの艦のとんでもない設計ミスが露呈してしまったことなのです。
このときの損害を列記しておくと、

空母「鳳翔」 前部飛行甲板損傷
空母「龍驤」 艦橋損傷
重巡「妙高」 船体中央部の鋲が弛緩
軽巡「最上」 艦首部外板にシワ、亀裂が発生
駆逐艦「夕霧」「初雪」 船体切断、艦首喪失
駆逐艦「睦月」 艦橋圧壊、艦首損傷
駆逐艦「菊月」「三日月」「朝風」 艦橋大破
駆逐艦「白雪」「朧」 艦首屈曲
駆逐艦「潮」「曙」「叢雲」 艦尾歪み亀裂
駆逐艦「天霧」「白雪」「薄雲」 船体小破
潜水母艦「大鯨」 船体中央水線部、艦橋前方上方外板に大型の皺

とくに悲惨だったのは最新型であった「吹雪型」の駆逐艦、
「夕霧」「初雪」の船体切断、艦首喪失でした。

「初雪」は艦首の部分がすっぱりと切れて海に落下したのですが、
この中には暗号解読表などの機密書類を保管している電信室があったため、
無事だった重巡「那智」が曳航を試みたのですが、あまりにも波が高く断念。


そして漂流して敵の手に渡ることを恐れ、これを艦砲射撃で沈めてしまっています。
まだ中に生存者がいたのにもかかわらず・・・。



ところで、何故「三隈」の項でこの話をしているかというと、
このときに「三隈」が第4艦隊にいてこの強風でも無事だったからですが、
これにはちょっとした「三隈」の幸運があったのです。

実はこの第4艦隊事件にさかのぼること1年半まえの1934年3月12日、
佐世保港外にて水雷戦隊が行っていた荒波の中での演習中、

「千鳥」型水雷艇の「友鶴」が、設計上は耐えられるはずの荒波で転覆してしまうという

「友鶴事件」


が起きました。
千鳥型水雷艇「友鶴」が転覆したという事故で、乗組員113人中死者行方不明者100人、
という痛ましい結果となったのです。
この事故原因、実は1930年の「ロンドン軍縮条約」にありました。



海軍はこの条約によって、戦艦のみならず巡洋艦や駆逐艦など、
補助艦艇の保有にも
制限を加えられることになったため、制約外だった小さな艦艇に
駆逐艦以上の重武装を施し、これを「水雷艇」としました。
「艇」といいつつ実質小型駆逐艦の様相を呈していたわけです。

つまり簡単に言うと、これがとんでもないトップヘビー設計で、元性がなく、
水雷艇「友鶴」は
強風で40度傾斜しただけで転覆してしまったのです。

佐世保鎮守府司令長官米内光政の命により、徹底した調査が全艦に対して行われたのですが、
ちょうどこのとき
進水式をつつがなくすませ、艤装工事真っ最中だったのが、
そう、「三隈」でした。


「友鶴事件」の影響はあまりに大きく、「友鶴」を設計した艦政本部藤本喜久雄少将
手がけた最上型(つまり「三隈」の型ですね)は全て設計が見直され、
まず「最上」の船体推進軸付近や内部構造に破損が見つかったため、
急遽「三隈」も同部分の補強を兼ねて工事のやり直しがなされたのでした。

ちなみに藤本少将はこの後全ての責任を負い、心労のためか翌年死去しています。
責任は少将一人にあったわけではなかったと思うのですが・・。


つまり、「第四艦隊事件」で「三隈」が損傷を受けたとはいえ「初雪」のような
重篤な損害に至らなかったのは、この時補強工事が施されていたからともいえます。
ただし、やはり「友鶴事件」の後修理された「最上」は、上の表でもおわかりのように、

艦首部外板にシワ、亀裂が発生

という、これも欠陥設計としか思えない損傷が生じていますから、
もしかしたら「三隈」は幸運だっただけかもしれません。
不幸中の幸いでこのとき沈没した艦はありませんでしたが、一つ言えるのは、
艤装時に補強していなければ、「三隈」は
沈没していた可能性もあるということです。


この時の教訓は海軍に生かされ、同型の事故は以後起こらなくなりました。
海自はこのときの「トップヘビー恐怖症」の伝統もしっかりと受け継いでおり、
トップヘビーな近隣諸国の軍隊の軍艦を心から心配しているそうです。

何も起きないといいですね。・・・あ、彼の国の民間船はもうひっくり返った後か・・。

三隈

さて、先ほどの「艦これ」でいうと、「三隈」の「運」は5です。
この5というのがどういうレベルかゲームを知らないわたしにはわからなかったので、
とりあえず「雪風」を見てみたところ、こちらは50。つまり50点満点のようですね。
どうやら「三隈」はかなりの不運艦だと見られているようです。

第4艦隊事件ではある意味幸運だった、と言ったばかりのわたしの立場はいったい・・。

れはともかく「三隈」の運が5点とされている理由は、その最後でしょう。
ミッドウェー海戦で「三隈」は第7戦隊の3番艦として単縦陣を組み航行していました。
旗艦の「熊野」にいたのはあの「謎の反転」で有名な少将(当時)です。

そのとき。
米潜水艦と会敵した(と思った)ため、戦隊は一斉に左回頭を行います。


旗艦の「熊野」が発した「左45度一斉回頭」という2回の命令が
2番目の「鈴谷」、「三隈」、最後尾の「最上」つまり全艦に混乱を引き起こし
隊列が乱れた後「最上」が前を横切る「三隈」に突っ込む形で衝突してしまいました。

その衝撃は凄まじく、ほぼ全員が被弾したと思ったくらいで、
「三隈」の艦体にまともに突っ込んだ「最上」は艦首が潰され、「三隈」の方も
ぶつかられた方の左燃料タンクが破損するという損害を受けます。

その後栗田少将は、衝突した両者にトラック島に帰還するように命令しました。


いまや「三隈」は「最上」を指揮する形で、手負いの二隻による航行を続けていました。
「三隈」の破損されたタンクからは、まるで目印のように油が海面に筋を引いています。
それを発見した偵察機からの連絡を受けて、彼女らに米軍の急降下爆撃機12機が襲い掛かりましたが、
この時の攻撃で両者には大きな損害はなく、逆に米軍機を対空砲で撃墜しています。

問題はこのあとです。

「三隈」は傷付いた「最上」に駆逐艦「荒潮」「朝潮」を護衛につけ、
3隻を残して単独で退避行動に入ったのです。
これって・・・・・つまり、

「三隈さんは足手まとい(最上さん)を駆逐艦に押し付けて自分だけとっとと退避した」

ってことでいいですか?

「羨望の思いでそれ(三隈の離脱)を見送った」

という最上乗員の証言があるのでそうだったと考えてもいいかもですね。


が、「三隈」の離脱前、この二隻と駆逐艦2隻を「空母と戦艦の艦隊」と米軍索敵機が誤認したため、
米軍は大編隊の艦載機を、この傷だらけの艦隊に差し向けてきていました。(T_T)

次々と襲い来る艦載機の攻撃は、「最上」より動き回って反撃してくる「三隈」に集中し、
・・・・・ついにその命運尽き、彼女は大破することになります。

wiki

「荒潮」がすぐさま生存者の多く(250名)を海から救出しますが、
そこに米軍機が来て、海面の乗員や救助中の短艇に執拗に銃弾を浴びせました。
この銃撃で「荒潮」からも戦死者が35名出ています。




この写真は戦果確認にきた米軍機によって撮られたものですが、
彼らはすでに「最上」と駆逐艦二隻は発見することはできませんでした。


夜になって「朝潮」が生存者の救助のために
「三隈」のもとに向かいますが、
もうその時には海面に彼女の姿は影も形もありませんでした。


誰にも見られずに海の底に消えて行った後だったのです。


『三隈は損傷なく専ら最上の援護に当たりしつつありしに、其身反りて斃れ最上の援護の目的を果たす。
右両艦の運命こそ奇しき縁と云うべく、僚艦間の美風を発揮せるものなり』
(宇垣纏 戦藻録)

宇垣長官は
「三隈」が「最上」を援護するために自分の身を犠牲にした、
とどうも思っているような言い方です。・・っていうかそう思ってますよね?

確かに結局「最上」は「三隈」に攻撃が集中したことで生還できたわけで、
それをもって「三隈」は結果的に「最上」の援護をなしえたことになるのですが、
一度「三隈」は自分だけ避退しているわけだし・・。


ここで、わたしたちは「熊野」や「三隈」を「オカの倫理」で・・・、
そう、彼女らを「艦娘」たちで擬人化するように、その艦隊行動を人間社会の倫理で裁いてしまいがちです。

「熊野」は無傷の「鈴谷」を連れて自分たちだけ逃げた。
「三隈」は「最上」を置いて自分だけ逃げた。

これだけ見ると決して宇垣長官の言葉にある「美風」とはとても言えません。


戦時下に決断を下すとき、艦を動かす人間はまず合理性で判断します。
「最上」を守るために無事な艦まで残って全滅する、という可能性を考慮して避退するとか、
燃料が漏れている「三隈」に「最上」は守れないと判断して避退するとか。

軍艦を走らせるためには燃料がいることや、戦闘行動は何十時間も続けられない、
いう海の上の基本が時としてこのような一見非情な判断ともなるわけです。



例の栗田反転にしても、臆病だったと非難するのが後世のムードとなっており、
このため、このときの栗田少将のとった「熊野」の行動までもを非難する意見があります。
(後ほどこの件について検証したところ、わたしも非難するしかなかったのですがそれはさておき)

「あれは結果論であり、謎の反転でもなんでもない」と、現場にいた谷川澄人氏などが言うように、
「戦時の理論」それに加えて「海の上の理論」という、平時や陸のそれとは違う
「軍艦の行動論理」があることを、我々は評価する前に考慮してみてもいいかもしれません。


旧軍軍艦を美少女に擬人化し、感情移入することでさらなる楽しみを得る「艦これ」ですが、
現代の、そして陸の倫理で読み解こうとすると
理解できなくなる「艦娘」の行動もありそうです。









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6 Comments

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第7戦隊「三隈」 (お節介船屋)
2015-02-13 14:23:46
コメントしたい事が多くてちょっと迷いましたが、標題にある三隈の喪失について
一番の問題は負け戦に何とかしたいとした連合艦隊の幕僚の浅はかな考えです。
第7戦隊にミッドウェー島艦砲射撃を命じて、その後取り消す。
避退時の事故ですが、第7戦隊の司令部が「熊野」「鈴谷」と共に連合艦隊の所在問い合わせにも答えず、「最上」「三隈」を置いてきぼりにした事も要因です。
エリス中尉にフォローして貰っていますが、しっかりこの点も検証できていれば、レイテ湾の謎の反転も無かったのではと思います。
全く反省会を実施せず、温情で熾烈な戦いに勝てるわけがありません。

信賞必罰は将官に適用しなかった日本海軍の悪さはその後も見えます。
連合艦隊参謀長の作戦資料が捕虜になった時ゲリラを通して、米軍に渡った事、処分したと本人が言った事だけを信じて、昇進までさせています。

暗号解読されただけでも問題なのに、作戦資料まで相手に渡すようでは、いくら奮闘努力してもどうにもなりません。

友鶴事件はWikiにも書かれていますが、追波の考慮不足、高所に物資、土嚢等の搭載もありました。
ただ建造当初から復元力不足があったにも関わらず、バルジの装着等で高所にある武器等に軽減をしなかった泥縄対策が一番の問題です(用兵者に対する技術屋の弱さ)。

第四艦隊事件はその前に船体縦強度不足が発生しており、牧野技術大佐(当時少佐)が指摘し対策をとるように上申がなされていたようです。

確かに波長と波高が当時の海象は異常なものとなっていましたが通常は1/20が1/10以上で波高30m以上あったともあります。

兆候があれば早めに検討し、小手先ではなく抜本的な対策を実施することが戦いでも事故でも必要な事は数限りなく実証例があります。
負け戦の検証が一番参考になるのですが、日本人は不得意です。

海洋観測が盛んとなった戦後も、ぼりばあ丸、かるふおるにあ丸の沈没にあるように日本近海、北太平洋の気象は時として異常な海象となります。

船は工学が発達しても経験主義で、タイプシップを参考にします(前の似たような船)。
乗り心地は復元性能と連携しています。復元性能の過剰にしますと我が国の船にもありましたが、ローリングのピッチが速すぎてそれこそ乗ってられないということになります。
凌波性能、操縦性能、舵の効き等多くの検討事項があり、タイプシップの状況が一番参考になります。
現在はコンピューターの時代、我々の時代と違い、全てCADで設計されていますが大事にすべきは過去の経験です。

経験に囚われ過ぎるとなかなか画期的な船が出来ないとういことにもなりますが。
取り留めのないコメントとなってしまいました。
済みません。
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ハワイ作戦に先立って (雷蔵)
2015-02-13 20:36:11
何度も図上演習が行われ、二、三隻の空母を失うという結果が出たそうです。6隻の正規空母を全部投入し、そのうち二、三隻が失われるということは、兵力のほぼ半数を失うことになります。

ハワイ作戦に賛成する人は元々、ほとんどいなかったそうですが、山本長官は押し切りました。船や乗員の命より、国家目標を優先出来るくらいに腹が括れる人だったのだと思います。

ハワイ作戦やミッドウェイ作戦の現場指揮官であった南雲中将や栗田少将は、そこまでドライになり切れず、船や部下の命を大事にしたい、人間的な人だったのではないでしょうか。

レイテ海戦時の栗田中将は、当初、自分が乗り慣れていて、乗員にも馴染が多かった重巡愛宕を旗艦にしています。残存した戦艦や重巡のほとんどを投入した作戦で、あれだけの大部隊を指揮するのですから、指揮通信能力に優れる大和を旗艦にするのが常識ですがそうはせず、馴染みの愛宕に旗艦の名誉を与えたかった、軍人としての合理性より、人間的な感情を優先する方だったんじゃないかと思います。

一将功なりて万骨枯ると言います。山本長官は万骨枯らせてでも目標を達成する、腹を括れる方だったと思いますが、南雲中将や栗田少将は万骨枯らせられるだけの腹は括れなかった。そういうことなんじゃないかと思います。
返信する
実は (エリス中尉)
2015-02-13 21:49:24
この後にもう一度、「熊野」の動きについて、そしてこのときの連合艦隊の命令について書きました。
お節介船屋さんにちょっと先取りされてしまったところがあるんですが(; ̄ー ̄A

でも、こういう話にある意味正解はないという気楽さから?どんな説に対しても
説得力さえあれば「そうかもしれない」とすぐ納得してしまうわたしです(笑)

それにしても「海軍は反省がなかった」という件ですが。
この辺りには陸軍との不仲による
面子の問題とかが大いに関わっているのではないかとふと考えたりしました。
返信する
お節介のし過ぎ (お節介船屋)
2015-02-14 09:04:01
先取りしてしまって済みません。
栗田、南雲に比べ田中頼三、木村昌福がなぜ冷遇されたのか?
特に木村昌福の昭和19年12月のサンホセ突入作戦の指揮、借りた艦艇の扱い、「清霜」の司令官自らの救助等海上武人の面目躍如はキスカ撤退作戦のみならず歴史に燦然と輝いています。
戦争末期にでもこのよう指揮が出来る武人がいるのに年功序列でなおかつ温情での南雲、栗田、福留等の扱いは本当に解せないのです。

ましてや「赤城」艦長の予備役編入と南雲の第3艦隊司令長官への発令この差は何なのか?

第2次ソロモン海戦、南太平洋海戦に指揮を見ても珊瑚海海戦の井上成美の指揮を批判できるのか?
軍令部、連合艦隊司令部の判断、批判は己に返すものです。

小沢治三郎を高評価される方もいますが、己の部下の技量も知らず、アウトレンジ作戦でいたずらに航空機を損失させたマリアナ沖海戦の指揮は如何に。
その前のタウイタウイ泊地での一か月に訓練空白がいかにパイロットの技量にダウンさせたかの認識もないようでは。

指揮官の能力がその場の事だけでなく将来まで左右するのは会社等においてもしかり、特に戦場においては瞬時に決まってきます。

何度でも反省し、同じ愚は繰り返さない事が肝心なのですが日本海軍は何度でも同じ作戦を行い、失敗します。
私もエリス中尉と同じく日本海軍が好きでしょうがないですが、批判はしなければなりません。

ついつい連合艦隊、7戦隊の指揮、判断が出てきましたのでコメントしてしまいました。
済みません。
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結論ありき (佳太郎)
2015-02-14 10:47:48
結局マスコミは結論ありきで記事や内容を作っていくんだと思います。インタビューなんかもそれを作り上げていく一つの材料だと。
フジがまた秋葉原で結論ありきのインタビューしてたみたいですね。(内容については触れませんが)私がいたら真逆の事言ったのに…たぶん使われないでしょうけど。

それは置いておいて、あるサイトで言われたことなのですが「陸軍は暴力犯、海軍は知能犯」という言葉があったそうです。
三隈の件はよくわかりませんがもしかしたら責任をすべて駆逐艦に押し付けて逃げようという知能犯的な犯行かもしれませんし。ただ単に駆逐艦に対空戦闘で三隈を援護させようという考えだったのかもしれません。しかし、いずれにせよ月日が過ぎた現在では憶測でしかないですね…

因みに運の上限は99で(陸軍の潜水艦を使うと上げられるんです)そこまで行ける艦娘も限られていて雪風や長門と言った限られた艦娘だけなんですね。
返信する
信賞必罰 (雷蔵)
2015-02-15 08:32:23
田中頼三さんや木村昌福さんのことは多少、知っていましたが、栗田健男さんはあまり知りませんでした。謎の反転が好印象でなかったので、調べて見なかったのですが、ちょっと調べて見て、なぜ信賞必罰がなされなかったのか、わかったような気がしました。

大きな組織には主流で組織を引っ張って行く人とこれを支える人がいます。海軍では、兵学校卒業後、海軍大学校(海大)に合格するかどうかが一つの関門で、甲種学生合格者は、その後、エリートコースを歩みます。栗田健男さんは、甲種には合格せず、乙種合格です。

甲種と乙種のその後ですが、甲種は駆逐艦の艦長をやって、キャリアを積み、指揮官(隊司令)と中央(軍令部)との間を行き来します。乙種は人によりますが、駆逐艦から軽巡、重巡、戦艦と段々、大きな船の艦長を経験し、軍令部のような、海軍全体を動かす配置にはつかないことが多かったようです。要するに、海大卒業後、甲種卒業者は陸上にいて、海軍全体を動かす立場。乙種は甲種の人達が作った計画通りに、船を動かす立場になります。

海上自衛隊も海軍の伝統を継承して?か、同じような仕組みですが、乙種の人達は「馬車引き」と呼ばれます。甲種の人より進級は遅いですが、乙種の人が動かないと、艦隊は動きません。中央でどんなに立派な計画を作っても実行する人の協力がなければ、ただの計画です。

栗田健男さんは、乙種卒業者のモデルになるような経歴です。小さな船の艦長から一歩一歩叩き上げて、駆逐隊司令、戦隊司令から艦隊司令官に。その間、軍令部等の計画部門での勤務は全くありません。田中頼三さんや木村昌福さんは海大に受かっていないので、もっと下から海軍を支える立場です。

甲種と乙種の信頼関係があってこそ、海軍はうまく動きます。馬車引きのトップクラスだった栗田さんを信賞必罰で退けてしまって、その後、馬車引きに離反されることを考えると、とても踏み切れなかったのではないでしょうか。

海上自衛隊では、イージスや「ひゅうが」型、補給艦等大型艦の艦長は「馬車引き」で、若手の護衛隊群司令や練習艦隊司令官は「甲種」に相当します。海軍だと艦隊相当の護衛隊群は4個群あり、群司令四人のうち、三人は「甲種」相当で一人は「乙種」相当の人です。

田中頼三さんや木村昌福さんは、上の覚えがおめでたくないことをやっているようですね。栗田健男さん程の積み上げがあれば、田中頼三さんのように、一発で予備役にはならなったでしょうが、予備役にしても、艦隊が動かせなくなる程のインパクトはないと判断されたのではないかと思いました。

米軍の戦史には、そんな内々のことは書いていませんから、戦術上の功績から、田中頼三さんや木村昌福さんは称賛されています。組織は人が動かしているのでいろいろなことがありますよね。
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