ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

戦艦三笠を観に行く

2011-12-22 | 海軍

2011年3月10日。
その翌日何が起こるのか、神ならぬ身で知る由もないエリス中尉は
(この表現が多すぎる、って?今回だけは冗談ではありませんのでご容赦を)
一日のオフを利用して単身横須賀に向かいました。

ちょうど「軍艦マーチ」について書こうと思っていたので、三笠公園にあるという「行進曲軍艦の碑」
の写真を撮る、というのが主な目的でした。
そして、その写真を載せた記事をアップしたその日、東日本大震災発生。

三笠公園を探訪して戦艦三笠見学をした報告をしないままに時間だけが過ぎてしまいました。
今日はそのときの写真を淡々を貼りつつ、あの日を振り返ってみます。



このでっかい錨は、米海軍基地の入り口にあるもの。
実は横須賀が初めてのエリス中尉、「こちらが三笠公園」という標識をもとに道を左折し、
その後道なりに進めばいいものを、左折したまままっすぐ基地の通用門につっこんでしまったのです。
料金所のようなゲートにアメリカ人がいるのを見て間違いに気付いたのですが、
わたし以上に困っていたのは新兵さんらしい若いアメリカン・ネイビーの門番。

「Ah-....」
まいったなー、
まだ配置についたばかりで日本語なんてわからないのに日本人突っ込んできちゃったよー、
これもカミカゼってやつか?ちょっと違うか?
何て言やわかってもらえるんだろコレ、日本人、英語わからないヤツ多いしなあー、

みたいな困惑の表情を浮かべているので、エリス中尉、
決して己が米海軍にとって有害な存在ではないということをアピールするべく、
「Oh,did I make any mistake?」(何か間違っちゃいましたかねー)と言うと、門番くんほっとして、
「あー、英語しゃべるんだ、よかったー。ここ後戻りできないから、中にいったん入ってUターンしてきてね」
といい、さらに
「英語うまいねえ、アメリカ行ってたことあるの?」
「住んでたけど、ちょっとだけですよ」

などと、意外なところでアメリカ海軍と触れ合いが。
その後、「トモダチ作戦」で、頑張ってくれている米海軍の活躍を知るにつけ
「あの門番くんはどうしているのかなあ」などと考えたものです。

 

そして三笠記念公園に到着。
改装工事中でブルーシートが・・・(T_T)
まあ、まともな写真はいくらでも検索できますので、このときはこうだった、ということで。
それにしても、後ろのアパートが実に目障りだわ。

あの日このマストに(厳密にはこれではありませんが)掲げられたZ旗は、
今日も横須賀の空に翻っています。
 
このZ旗の期するメッセージ、これが秋山真之(右)の草案であったということは、
もう今や皆さん「坂の上の雲」でご存知ですね。
ちゃっかり掛け軸の書にしてしまっている東郷平八郎。
「本日天気晴朗なれど波高し」も、秋山参謀の作ですが、
東郷が発した命令なので、著作者の了解を得ず、自分のものにしてしまいました。

東郷平八郎と言う人物は、時々隙を見せる放言をかましていますが、そのうちの一つ、
「死にたくなかったら陸軍でなく海軍に入れ」(学習院での講演)というのは、
乃木希典を随分と怒らせたようです。

井上大将なども「東郷元帥が平時に口を出すとろくなことにならなかった」などといっており、
秋山参謀という超キレ者で腕利きのディレクターがいなければ、東郷はその神話とともに
「世界三大提督」とまで言われたかどうか?とつい思わないでもありません。
(体質と状況により感想には個人差があります)

 

公園内にはこのような意味不明のアーチと、こちらは意味のある「行進曲軍艦の碑」など、
いろいろなオブジェもあります。
この「軍艦の碑」は、建立に際してかなり執拗な反対運動が起こっただけでなく、
いったん完成した碑の歌詞部分が何者かによって塗りつぶされるという事件が起き、
現在の碑は「修復後」のものとのこと。
「完成」ではなく「修復」となっていることにご注目。
こういう「反戦」的な一派のすることって、行動自体が全く平和的でないことが多いんですが、
その辺の矛盾についてどう思っているのか、少し関係者に聞いてみたい気がしますね。

 

入る前にこの海戦で我が方にに着弾した?砲弾がこのようにいくつか展示されています。
左は(読者の方のご指摘によると)九一式徹甲弾のもののようですが、パンフレットにもこれについては全く書かれていなかったので、確かめられませんでした。
気になった方は、各員一層奮闘努力して調べてみてください。(←投げやり)

さて、いよいよ三笠艦内に入っていきますよ。

入ってすぐお迎えしてくれるのが通信将校なのですが、人形が不気味・・・。
見えないのをいいことに顔も描いていないんではないかと思います。
この艦内の展示は、三笠の参加した海戦の記録を中心に、
艦内での将兵たちの生活を伝えるものとなっており、
当時着用された軍服(実物)なども展示されています。 
 

陸軍マントには萌えますが、海軍マントもかっこいいですね。
そして、この展示のメインは、海軍史上でも例を見ない圧倒的な大勝利であった、
日本海海戦を伝えるあれこれ。

 

ボタンを押すと、時系列で海戦の各艦船の動きが下の海部分に模型で表わされ、同時に、
正面パネルの動きで「東郷ターン」などが示されます。
さらに、右の各艦船横のランプの色で撃沈されたなどという状況が分かるようになっています。
これを一回見れば、文章で読むよりはるかに明快にその流れがわかるという仕組み。
 
駆逐艦「漣」「陽炎」によって捕獲された「ベドウィ」が揚げた白旗。
まさかバルチック艦隊が白旗を必要とする事態になるなど想像もしていなかったのでしょうか。
白旗をもたないベドウィ号はテーブルクロスをマストに揚げました。
そのクロスがここにあります。



そのベドウィ号には重傷を負ったロジェストベンスキー中将が乗っていました。
病院に中将を見舞う東郷長官。
水師営の会見と同じく、武人の尊厳を重んじたこの見舞いに、中将は深く感動したということです。
 

最近検索ワード急上昇?広瀬中佐の着ていた柔道着と、軍歌「広瀬中佐」。
最下段、♪杉野はいずこ~のところがどうしても「♪三時のあ~な~た~」になってしまうのは、
わたしだけでしょうか。

日本海海戦ではロシア側の戦死者4545名、対して日本側は116名です。
この数だけ見ても日本側の圧倒的勝利だったことが分かりますが、それでも百名余の人命が失われたのです。

亡くなった戦友の棺と共に記念写真。
真ん中でスマキになっている人がいますが、おそらく骨折して動かせない状態なのでしょう。
前列で何かを手にしいる水兵は死んだ水兵と親しかったのでしょうか。
うつむいて目も上げられない彼の表情に、友を無くした悲痛が見てとれます。

この水兵や将官がどのように三笠内で生活していたかを伝える展示もあります。
 
水兵たちのハンモックと、便所。
第二次大戦の頃の艦船は、下士官以下の便所には全く仕切りが無かった、という証言もありますから、
明治時代のこの三笠の方が、まだしもプライバシーは確保されていたということでしょうか。

 
勿論将官はこのような個室と、専用のバス・トイレが使用できます。
 
元帥始め幹部の食事の支度をする台所。
棚に穴をあけ、お皿が動かないようにする工夫が。

 
三笠の軍楽隊員は、本来の仕事のみならず、開戦の際の砲弾運びや通信において、
立派な働きをし、何人も戦死したそうです。
楽器や、行進曲軍艦の総譜が展示されています。
 

この三笠は、1922年のワシントン軍縮会議で廃艦に決まったのですが、
記念館として保存すべし、という声が内外に起こりました。
戦列に復帰できない形(海底に固定してしまう)で保存することが軍縮会議で満場一致の上決定しました。

昭和20年の敗戦後。
連合軍の進駐により、三笠はマスト、各砲、煙突など、上甲板構造物を全て撤去され、
何とダンスホール(キャバレー・トーゴー)や水族館が設置されたというのです。

「日本のバルチック艦隊への『侵略』に対する報復だ」と、
ルール無視で終戦間際に参戦してきたロシアはその言い訳にこう言ったそうですが、
案の定その後三笠の廃艦を要求してきたそうです。

どんなことをされてもうつむいて屈辱に耐えるしかない当時の日本人でしたが、
三笠の運命を救ったのは、意外や元敵国人でした。
まず、イギリス人のジョン・ルービン氏が、三笠の荒廃ぶりに慨嘆し、それを新聞に寄稿。
そして、若き日に東郷平八郎に会い、英雄として尊敬していたチェスター・ニミッツは、
三笠の修繕のためにポケットマネーを送り、復興に協力しています。


ニミッツはじめ米海軍は「東郷」に関するものにGHQといえど手を出させなかったそうです。
東郷神社が残されたことからもお分かりでしょう。
バルチック艦隊もそうですが、戦った当人たちであればこそ勇猛な軍人は敵でも讃え、
さらに敗者を貶めることを潔しとしなかった、ということでしょうか。


さて、見学が終わり、横須賀名物のカレーでも食べて帰るか、と立ち寄った喫茶店。
 

店内は、三笠見学後のおじさんたちで大盛況でした。
三笠内もこのような年齢層の見学者が多く、これも「坂の上の雲」効果かなあと思った次第です。

そして、忘れちゃいけない、お約束のお土産。
もう最近「どんなものが食べたいか」ではなくあくまでもウケを狙って選んでいますので念のため。
見ての通り、三笠砲弾豆。
Z旗をつけて彩を与えていますが、砲弾ですから真っ黒の豆です。
中は大豆にコーティングしたもので、素朴なお味が結構でした。
そして、これ。
ただの「おこし」(大阪名物?)の包みに取ってつけたように海軍旗を貼り、
賞状のようなカードには何と「五省」が書いてあります。
海軍旗と五省をとれば、普通のおこしに早変わり。
これ、商品名、何だと思います?

「総員おこし」



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