
前回からそう間も分かたず、またもや今回、
正式な訪問の機会を得て呉に行ってまいりました。
まず、飛行機で岡山入りしてそこで所用を済ませ、呉まで移動。
当然岡山から広島まで新幹線に乗るのが妥当なのですが、
ここで岡山在住の方に
「明るいうちだと、三原から呉線で行けば海を見ながら行けますよ」
とわりと無責任に言われてその気になったのが運の尽き。
後から呉在住の知人にこの話をしたら、
「えっ、三原から各停で来たんですか」
と絶句されてしまいました。
他所者の悲しさで、そもそもわたしは広島と岡山の距離を
せいぜい車で30分くらいのような感覚を持っており、
三原からなら呉線とやらで車窓を楽しんでいるうちにすぐ着くだろう、
と甘く見てしかも各駅停車に乗り込んでしまったのでした。
四国から瀬戸大橋を渡って京都まで行くのにせいぜい2〜3時間だと思い込み、
車を借りたあの初夏の1日を思い出しますですね。
まず電車の扉が自動ではなく「自分で開ける」方式なのに驚きます。
さらに入った後は自分で戸を閉めないといけないのにも驚き、
(後から来た人がわたしの代わりに閉めてくれたので気がついた)
駅に着くたびに通過待ちのため長時間停車するのに驚き、
さらには1時間くらい行ったところでスマホの地図を見たら
まだ呉まで半分も来ていなかったのには驚きました。
オススメしてくれた人が言っていたような「海」も、
急激に曇ってきた上、呉に近づく頃にはすっかり陽が落ちて見えず、
一体何のためにこんな線に乗ったのかわけわからんことに。
2時半くらいに岡山を出て、呉到着は6時半。
おまけに長時間座っている電車のシート下部から噴き出してくる暖房が熱い。
暑いではなく「熱い」です。
この路線の利用者はよく文句も言わずに乗っているものです。
おかげで到着した時には外に出る気力も体力も残っていませんでした。
次の朝、起きてカーテンを開けたわたしは絶句しました。
またもや雨です。
昨日あんなにお天気が良かったのに、雨。
今までなんども「わたしが中国地方に自衛隊行事でくると雨になる」
ということをネタにしてきましたが、今回はさすがに
前日の快晴からそんなことを考えもせずやってきて、次の日。
やっぱり雨。
ざっと思いつくだけでも呉教育隊見学、「さみだれ」見学、
ふゆづきの引き渡し式、いせの慰霊式、ちよだの進水式、前回の自衛隊員慰霊式。
ここまで念が入っていると何かあるのではないかと思わざるを得ません。
さて、わたしが呉に行くことを報告したとき、知人からメールで
「せっかくだから高田帽子店に行ってみてはどうか」
とご提案をいただきました。
山本五十六の帽子を作ったことでも有名で、現在でも
海上自衛隊の特約店として、こだわり派の自衛官に帽子を作っているところです。
調べてみると泊まっている呉阪急ホテルからは歩いて10分のところにあります。
グーグル先生のありがたい情報によると休業日となっていましたが、
どちらにしてもわたしは帽子を買うわけではないので、関係ありません。
呉地方総監部からのお迎えの車が来るまでの間の時間を利用して
散歩がてら行ってみることにしました。
呉というのは昔からのお店が多く、駅前といっても
一筋入ればこんなのんびりした街並みになります。
最初に来た時にはまだ駅前にはデパートが営業していたのですが、
その後閉店してしまっていまだにビルは放置されており、
そのため随分雰囲気が寂れた感じになってしまって久しい呉。
後に話をした呉地方総監も、呉は昔からの個人商店が多く、
新たに増えていくことがないようだとおっしゃってましたっけ。
ちなみに冒頭の写真は、「大和ミュージアム」の展示の模型ですが、
これは当時呉の市民オーケストラだった
呉ロンバルディア管弦楽団。
昭和9年から昭和16年(つまり開戦)まで活動していました。
この幕に書かれている「中山楽器店」ですが、まだ営業をしているそうです。
ストリートビューによるとこんな感じ。
ここも定休日だったようです。
いまはヤマハの特約店みたいです。
しかし昔、ここに呉海軍工廠があり、そこで多くの人々が働いていた頃、
広島市よりも人口が多く「日本八大都市」の一つであったといわれています。
戦艦がここで作られていたのですから当然だったかもしれません。
知人のメールによると、
”当時の科学技術の粋を集めた戦艦大和を生み出した呉海軍工廠は、
今の航空宇宙産業とも言える、最先端工業都市でした。
それを支える海軍士官、技術者及びその家族は当然
文化的教養も高い人々であったと思われます。”
呉の人々はその点昔から(現在も)町にプライドを持っているといいますね。
ちなみに現在の呉市長とは何度もお会いしていますが、
広島県の他地域の長とは違って、中道保守の考えを持つ政治家です。
さて、そんな街に流れる川を渡る橋、「かえで橋」を渡ってすぐ、
看板が見えてきました。
ちゃんと海上自衛隊の御用達であることを示す、
自衛隊旗のマークの看板には、
「防衛庁共済組合 呉支部特約店」
もう防衛庁から省に昇格して10年(来年の1月9日が10年目)
なのですから、文字を書き換えてもいいような気がするのですが・・・。
そんなことには全くこだわりがないっていうか。
定休日であることは前もって知っていたので驚きませんでしたが、
ありがたいことにシャッターが半開きになっていました。
こだわり派自衛官はここで注文し、官品ではなく
2〜3週間で出来上がる手作りの正帽を着用しているのだそうです。
帽子置きに置かれた海自の制帽は実に個体差がある、と
前回の玉野造船所での宴会で考察したものですが、こういうお店があって
なおかつ選択が自由だからと言う理由だったんですね。
自衛隊の制帽はもちろん購入にあたって自衛官であるという身分証明が必要です。
しかし、一般人のあなたにも問題なく買えるのが旧海軍の軍帽。
そして、直径12センチくらいの可愛いミニチュア帽子なら、
自衛隊仕様であっても買うことができます。
「あきづき」「日本国練習艦隊」と書かれた水兵さん用の制帽であれば3950円、
金の細工が多くなるほど少しずつ高くなっていって、
スクランブルエッグ(自衛隊では’カレー’ですね)がつくと5千円台、
将官用のになると一挙に7千円台に跳ね上がります。
もしお店が営業していたら、わたしはついふらふらと、このうち何か
(自分が’中尉’なので幹部用とか)を買って、出入りの外猫に無理やりかぶせて
写真を撮ろうとして引っかかれるところまで一挙に想像できました。
お店が開いていなくてよかったと思います。
ここは軍帽・制帽だけでなく普通の帽子もあるので、今度立ち寄った時には
何かいいのがないか、みてみることにしましょう。
電気がついていたのでもしかしたら人が出てきてくれないかと
しばらく前に立っていたのですが、人気はないままでした。
あの山本五十六も帽子を買うためにここに立ったのだなあ・・
としばし感慨にふけります。
当時の店内には木製の棚や柱時計などがあったのでしょうか。
寝坊して朝ごはんを食べ損なったので、ホテルに帰って
早めに昼ごはんをいただくことにしました。
呉では海自カレーのラリーを行っており、こうやって各艦艇の
オリジナルカレーをお店を回って食べ、スタンプを集めれば
景品がもらえるというイベントを行っています。
たとえばこの呉阪急ホテルは護衛艦「うみぎり」認定店。
「うみぎり」の調理長がホテルのシェフにレシピを直伝し、
その通りに作ってあるという「認定書」を授与して認定店となります。
「うみぎりカレー」は季節の野菜(素揚げしたカボチャなど)をトッピングしてあるのが
特徴で、さらにすごいことは、野菜で作ったスープをベースにしていること。
ジャガイモは一緒に煮込まず、別に蒸したものを添えるのだそうです。
つまり大変手間がかかるということなのですが、ここは一流ホテルなので
この通りのレシピでカレーを作ることは大した負担ではありません。
しかし、これも呉総監から聞いた話ですが、やはり小さい店ではこれを
ちゃんとレシピ通り作って常備しておくというのが大変なこともあり、
今まで連綿と行われてきた(っていつからしているのか知りませんが)
カレーグランプリも、見直しが検討されているのだとか。
「うみぎり」カレーはロビーのカフェやルームサービスでも食べられますが、
わたしは夕飯を和食で、ランチはビュッフェと知らずにレストランに入ってしまい、
ついに今回食べ損ないました。
スタンプラリーでシールを30枚集めたらもらえる海自マーク入りの
コーヒーカップ、というのに目が釘付けになってしまいましたが、
呉在住でもないのにそれは物理的に無理というやつです。
ホテルではバイキングの際お酒を飲む方に千福フェアを行っていました。
特別メニューとして「千福酒なべ」を(どんなんだろう)出しているほか、
1500円で飲み放題などの企画です。
千福と海軍の関係については一度ならずここで書いたことがありますが、
本当に呉は海軍の町だなあとこういうのを見ても実感します。
最初にここに来た時、ケーキ職人がマジパンで作った大和がありましたが、
それだと技術的に細かい部分が作れないということで、
あらためて発泡スチロールで精巧なものを作り直したようです。
記憶にあるのとは格段に再現度の違う「大和」がそこにはありました。
がんばったね呉阪急ホテル調理部の皆さん。
さて、昼ごはんをゆっくり食べ終わり、身支度してロビーで待っていると
まず本日一緒に呉地方総監部見学をするTOが到着。
二人で話していると、予定の時間より早く、今日エスコートしてくださる
広報の自衛官が黒のレインコートを着て颯爽とやってこられました。
そうそう、これなんですよね。
わたしが来ると雨が降るというジンクスは、もしかしたらわたしの
自衛官の黒いレインコートを見たいという深層心理のなせるわざでは?
とこのとき一瞬考えてしまいました。
最初はわたしたちが時間になったら呉地方総監部に出向く、
ということになっていたのですが、少し前に電話で
ホテルまで自衛隊がお迎えの車を差し向ける、ということを
副官の一尉が連絡してこられたのです。
ホテルまで黒塗りの自衛隊の車が来てくれるなんてVIP待遇?
わーいわーい。 (とはしゃぐ小物)
まず、潜水艦基地にいって見学というスケジュール。
車で潜水艦桟橋門に向かう途中に、呉音楽隊が練習している
桜松館のある一角があります。
前回の呉地方総監表敬訪問のときにはここの見学をさせていただいたので、
桜松館をこの目で見ることができました。
桜松館は自衛隊から呉市に譲渡され、昔下士官クラブだったこの建物は
老朽化のため取り壊されるということが決まっています。
そして呉音楽隊はいま新築中のこちらの建物に移ることが決まっています。
車の窓ガラスの水滴にピントが合ってしまったので、
目を細めて写真をみてください(笑)
前日に副官からわたされた予定表には、
5分刻みできっちりと行程、そしてこちらの名前と肩書きまで書かれています。
呉地方総監への表敬訪問だけでしたらそんなに厳しくはないのですが、
何しろ今日は潜水艦の中を見学するというミッションがあるため、
予定表の名前のところにも「立ち入り申請済み」の記載あり。
ちなみにわたくしの肩書きは「地球防衛協会日本支部(仮名)顧問」
となっております。
やはり自衛隊に潜入するには個人名だけではダメで、
なんらかのもっともらしい肩書きがないと向こうも正式に呼びにくいのです。
実質何もしていないわたしもそれなりの肩書きを持っているからこそ、
自衛隊側から初めてちゃんとした人間として扱ってもらえるというわけです。
さあ、それではこの有名無実な肩書きを引っさげて(笑)
呉地方総監部に乗り込んでいきます。
おっと、最初は潜水艦見学からね。
続く。
呉市が何かの施設として使用するとの事で改修されるようです。
エリス中尉の訪問記が貴重な史料となるでしょう。
昔下士官クラブ現集会所はこれも呉市の駐車場になるとの事です。
なぜ海上自衛隊が保持出来ないのか疑問です。
海上自衛隊施設は点々と飛び地の施設となっており、国有地を交換しても小さな土地となっているようで、係船堀の米陸軍の施設も移転させ、呉市が駐車場にしたい希望があるようです。
係船堀地区は海上自衛隊が旧海軍の建物の建て替え等も実施したいし、土地についても埋立も実施したようですが予算不足や、国土交通省、県、呉市の絡みもありなかなか数十年かけても思い道理ならないようです。
海上自衛隊の土地、施設も国有地の使用問題で国土交通省の意向というか方針で色々問題があるようです。
それにしても旧そごう呉店の土地等呉市は良く予算があるなあと感心しますが、決して海上自衛隊と共存すると言ってはいますが、言うほどではないと思います。
発足当初は22店舗、1店舗が脱落し、最終21店舗で実施されました。
全て食べれば2万円を超える費用が掛かり、呉市住民でもなかなかと思われていましたが、1年で700人を超える方が達成し、賞品の鉄板(海自の艦艇で海曹士が使用する食事用の鉄板に似せたもの錨マーク入り)が足りなくなって後日発送となったと聞きました。
また2016年度は30店舗に増え、呉市とは言え郷原等相当離れた場所もあり、費用も3万円を超えます。
潜水艦ですか〜。❤️
良いなあ〜〜。❤️❤️
あの、荷物持ちいりません?
お二人の後を荷物を持って付いて行きたい。
写真は、無理でしょうから、微に入り細に入りであろう続きを待っています。😍
ミニチュアの帽子は、確か大和ミュージアムに売っていた筈です。私は、水兵さんの帽子が欲しかったのですが、買いそびれました。やっぱり、買えば良かったです。
(中尉はサッカー、御興味おありです?
もしおありなら、J2リーグのレノファ山口というチーム、多分中尉好みだと思います、てかぶっちゃけ私推しです。)
話を戻して、また呉に行かれたんですね。
潜水艦教育訓練隊に表敬訪問とは、いつも外から眺めるだけの私にとっては羨ましい限りです。今後の報告が楽しみです。
カレーは今回もご縁がありませんでしたか。
舌の肥えてらっしゃる中尉のレビューを密かに期待しておりましたが、またの機会ですね。こちらもお待ちしてます。
高田帽子店のウィンドウの写真がアップされてたので、おや?と思いましたが、これミニチュアなんですね。以前、第一術課学校見学に行った際、考え無しに宮地洋服店のウィンドウを撮ろうとして、居合わせた方にあわてて注意された事を思い出すと、今も顔から火が出る思いです。
呉音楽隊の練習場は、入船山公園を下る途中にありますよね。入船山公園の資料館や大和ミュージアムの展示でさえ、軍艦とか海軍を押し出すだけではなく、明治開国以降の「軍港の町」としての歩みがその裏にあったことを、キチンと伝えようとする意図が感じられる良い内容だと思います。
「シン・ゴジラ」を始め、今年は日本映画の当たり年と言われていますが、ここに及んでジワジワ話題になっている「この世界の片隅に」、ご覧になられましたか?(呉市美術館で公開前から関連企画があったようで、玄関にポスターがありました。)
私は予告編を見て、例によって例のごとく、硫黄島から~とか父親達の~とかのように「気合い」を必要とする部類の作品と判断したので、充填を待ってる状態です。上映が終わる前に貯めないとなぁ。(「君の名は。」は端から劇場観賞はありえません。ああいう内容のアニメをオッサンが一人で見に来ていると言うことに向けられる奇異の視線に対して、私の羞恥心は痩せ馬装甲なので。)
12/17現在、
Topは「東京裁判のアメリカ人弁護人たち」。
これは明日までNHKで放映されてるドラマの影響でしょう。
2位は最新記事ということで、ネイ恋ファンのアクセス集中か?
3、4位は沖縄でのオスプレイ不時着での基地司令の発言を受けて。
5~8位は、ネタがネタを呼んでという所でしょうか。
世相が反映されているようなら、ネイ恋、結構メジャーになって来ているかもしれませんね。
いや、今回は音楽隊訪問はなかったんですよ(泣)
お話があったときに建物譲渡が予定されているのなら見てみたい、と言ったのですが、
呉地方総監の側にもいろいろと都合があったようで・・・。
まあ、前に一度中も外も見せていただいているのですが。
カレーグランプリの参加店を見ると、明らかに普段カレー作ってないだろ?
みたいな店(お好み焼きやとか)ありますね。
全体で見ると好評なのでお店も増やしたのでしょうけど、
参加してみたはいいけど条件がけっこう大変ということで根を上げるのだとか。
ひまさん
あら奥様、お声かけしたら来てくださるんですか?本当に呼んじゃいますよー?
ミニチュア帽子、大和ミュージアムにありましたか?気づきませんでした。
これ、自衛官の方に差し上げると案外喜んでもらえるかもしれませんね。
潜水艦はおっしゃる通り撮影禁止でした。
このあと潜水艦シリーズが続きますのでどうぞご笑覧ください。
筆不精三等兵さん
レノファ山口のどこにわたし好みの要素があるのかとHPを見てみましたが、
とりあえずスポーツドクターという人がキャラ立ってる気がしました。
それからフォワードの中山選手の髪型が気になります。
ウィンドウの写真、ミニチュアなんですが、写真だけではそうとわからない、
いかに精巧にできているかという証明だと思います。
すごい精度で縮尺もしてるってことですからね。
呉音楽隊の練習場は、あの彫刻の飾られている坂を下りていくとありますが、
わざと音が漏れてかつ外から中が覗き込めるようにしているそうです。
全国の音楽隊の練習場が建物の奥深くにあって人目につかないことを考えると、
市民や観光客の目につくこの場所に会えて練習場を置くことで、
音楽隊のアピールになり、自衛隊もこの仕様を誇ってきたんですが、
それも移転によってなくなるわけで、ただ寂しい限りです。
入船山の病院のスターバックスで今回知人と1時間だけ会うことができたのですが、
この病院は昔海軍病院だったそうで「この世界の片隅に」にも出てくるそうです。
それによると、ほとんど現在も当時と風景は変わっていないのだとか。
映画を見るためだけにもう一度呉に行こうかな・・。
人気記事はスマホ版で見ると出てくるんですね。
わたしは編集画面を開けた時に閲覧数の多いページをチェックしますが、
ここ最近ブレイクニーと東京裁判について書いたページがヒットしているので、
何か放送があったのかなと思っていました。
テレビで扱われたトピックが検索されて過去記事の閲覧数が跳ね上がるのは
実は珍しいことではなく、それによってテレビを持っていないわたしは初めて番組の存在を知ったりします。
そういう話題が何もない時期はトップページが一番ヒットしますね。
懐かしいです。
当時小学生の息子を連れて、男たちの大和のセット、大和ミュージアム、江田島を訪れた際、立ち寄りました。
ミニチュアでなくても、旧軍のものなら実寸が購入できます。
ここで水兵さんの帽子を買い、大日本帝国海軍戦艦大和のベントネントも合わせて購入。
江田島訪問後だったので、ガイドの2等海尉に憧れた息子は嬉々としてかぶって
いました。
その後しばらくは、お出かけの際はどこへ行くにもこの水兵帽。
行く先々で年配の方々に「おっ!小さな水兵さんだ!」と声をかけられ、敬礼で応えてご満悦でした。
今も我が家に大切にしてあり、息子は帰宅すると時々面白がって被っています。
尾道市向島町「日立造船向島西工場」でだったそうです。
それからもう12年経ったわけですから、小学生だったお子さんが
今や立派に成人されているはずですよね。
先日、担当地方の自衛隊志望を増やすためのイベントについての会議?
に参加したのですが、やはり子供の直感に訴える「よさ」というのは
決して侮れないという話になってました。
ハーロック三世さんのようなお父さんがいたからこそ息子さんは自衛隊を選ばれたんだろうなあ。
ある意味育成に失敗したわたしとしては羨ましい限りです。
>行く先々で年配の方々に「おっ!小さな水兵さんだ!」と声をかけられ、
敬礼で応えてご満悦でした。
年配の方々が可愛さでメロメロになったであろう様子が想像できます。
海自カレー「そうりゅう」の提供店らしいので、2度おいしいです。
中村は中村でも、獅童じゃなくて雅俊になってまうやないかい!
・・・「男たちの」でした。