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ガダルカナルの戦い 帝国海軍vs.カクタス航空隊〜スミソニアン航空宇宙博物館

2021-04-01 | 博物館・資料館・テーマパーク

 

スミソニアンン博物館の空母展示の中の「空母の戦争」シリーズから
真珠湾攻撃、そしてミッドウェイ海戦についてご紹介しました。

今日は本題から少し寄り道することをご了承ください。

ここで、わたしはこのテーマについて紹介するこんな説明があったことに
初めて気がつきましたので、今更という感じですが、あげておきます。

「太平洋における空母の戦争」

米国海軍が最初に航空機を導入してから30年後、そして
最初の空母「ラングレー」がアメリカに登場してからわずか19年後
海軍航空隊は戦争という最大の試練に直面することになります。

多くの点で、アメリカ海軍は海上で戦争を戦う準備ができていませんでした。
海軍は歴史上初めて、

対抗する海面の敵を互いに目撃することのない、
空中を舞台とした戦争

の形を経験することになります。

アメリカ海軍航空隊が成熟したのは第二次世界大戦という舞台でした。

その過程で装備、ドクトリン、運用戦術が改善されていくにつれ、
空母は太平洋における支配的な位置を占め、かつ戦略・戦術の中心として浮上しました。

 

この展示では第二次世界大戦でアメリカ合衆国と大日本帝国が戦った
全部で6の空母対空母の戦いと、米軍と連合軍が行った
重要な役割と任務に焦点を当てています。

ドゥイット・クリントン・ラムゼイ海軍中将
 Dewitt Clinton Ramsey

ラムゼイ提督は45番目に登録された海軍搭乗員であり、
長い卓越したキャリアを積んだパイオニア、優秀な司令官、
そして素晴らしい「アドミニストレーター」でした。

第二次世界大戦の間、彼はソロモン海戦における
USS「サラトガ」での勇敢な指揮を讃えられて海軍十字章を受けました。

ラムゼイ提督は1949年太平洋艦隊司令官に昇進しています。

なぜここでラムゼイ提督が紹介されているかというと、このスミソニアンの
空母展示はドゥイットC・ラムゼイ基金の寄付によって創設されたからです。
創設者はラムゼイ提督の未亡人でした。

アドミニストレーターというのはこの辺を意味するのかと思いましたが、
正確な意味はわからないままです。

■ ガダルカナル島の戦い

さて、というところでそういう「6つの空母の戦い」のうち、次のテーマは
「ガダルカナル島の戦い」です。

しかし実は、このガダルカナル島の戦いは、本コーナーのテーマであるところの
「空母の戦争」を含むソロモン海海戦に言及するためのマクラのような位置づけなので、
スミソニアンではさすがに「ガダルカナル」=飢島、と言われるような
兵站の決定的な失敗によって日本軍が陥った
その後の敗北に至る悲惨な状態までは触れられていません。

あくまでも「空母」が関わってくる部分にのみフォーカスしていますので、
ガダルカナル島の戦いそのものを網羅しているわけではないことを
最初にお断りした上で、始めていきたいと思います。


それではまず、スミソニアンのガ島の戦いについての「概要」から。

1942年8月から1943年2月までの6か月間、アメリカとその同盟国は、
ガダルカナル島を所有するために、日本軍に対して激しい空海陸作戦を戦いました。

連合国による太平洋戦争の最初の大規模な攻撃行動は、日本が依然として
太平洋で重要な海軍の優位性を維持していたため、不利な状況からのスタートとなります。

1942年8月7日、フランク・ジャック・フレッチャー副提督の下、
航空機支援をともなう機動部隊51(TF 61)の支援を受けた軍艦が
ツラギ島とガダルカナル島に日本軍への水陸両用攻撃を行いました。

海兵隊の上陸によってツラギは混乱の日を迎え、ガダルカナル島の主な目的である
未完成の飛行場がすぐに占領されることになりました。

残念ながら、これらの米軍の初期の成功は、敵の爆撃、血まみれのジャングルの戦い、
空中戦、ガダルカナル島で行われる悲惨な戦いへの前奏曲でした。

急襲作戦のための準備

AAVandegrift.jpg

1942年、海兵隊准将、アレクサンダー・ヴァンデクリフト率いる
第一海兵師団がガダルカナルに上陸しました。

これは大戦において日本に対する初めての大規模な地上からの反撃でした。

そしてこれを取り返すために、日本海軍は艦隊を派遣し、
第一次および第二次ソロモン海戦が行われることになったのです。

 

ここまでがスミソニアンによる状況説明です。
ここでは、直接空母とは関係ないものの、一応航空博物館として
スルーできない、ガナルカナル島を守備した著名な航空隊、カクタス航空隊
(英語ではカクタス・エアフォースというのが正式な名称)の言及がありました。

 

というわけで、当ブログでは、スミソニアンでは触れていない部分ですが、
8月7日以降、遠いラバウルからガナルカナルまで飛んで、
彼らと死闘を繰り広げた日本の海軍航空隊についても整理しておこうと思います。

■ カクタス航空隊vs.帝国海軍航空隊

カクタス航空部隊(Cactus Air Force)とは、1942年8月から1942年12月までの4ヶ月間、
ガダルカナル島に割り当てられた連合軍の航空部隊で、
「カクタス」=サボテンは、連合国のガダルカナル島を表すコードネーム です。

 
1942年7月ごろ日本軍によって建設中だったガダルカナル島のルンガ岬の飛行場は
8月7日上陸した海兵隊によって占拠され、ミッドウェイ海戦で戦死したパイロットの名前をとって
「ヘンダーソン飛行場」と名づけられました。

8月7日の航空写真
 
ただし、このヘンダーソン飛行場のある場所はひどい湿地で水捌けが悪く、
とても飛行場に向いたコンディションでなかったため、パイロットは
着陸に大変苦労したそうです。

飛行機にソリをつけて着陸するのがいいとまで言われたとか。
 

ガダルカナル島の生活

当然ながら住居としても最悪の気候条件で、海兵隊は泥だらけのテントに住み、
日米両軍共にマラリア、赤痢、デング熱などの熱帯病に苦しめられた上、

飛行場は正午頃ほぼ毎日、一式陸攻が爆弾を落としにきて、昼間は砲兵、
夜間は軍艦の艦砲射撃という日本軍の攻撃に見舞われました。

カクタス航空隊御一行

カクタス航空隊が対峙したのは日本海軍の航空パイロットです。



ジョー・フォス少佐、カクタス航空隊8機のF4Fの隊長で、
アメリカでは「エース・オブ・エース」とされています。
 
 
彼のグループは案の定「フォスのフライングサーカス」と呼ばれていました。

ところで昔、カクタス航空隊について、日本の戦記小説の登場人物が、

「サーカス出身のパイロットが向こうにはいるらしい」
 
と言うのを読んだことがあるのを、今ふと思い出しました。

カールもフォスもショーパイロットの経験は全くありませんので、
おそらくこれは、「フライングサーカス」という言葉を
勘違いしたものではないかと思われます。
 
日本にも「源田サーカス」とかあったのに、どうして間違えるかな。
 
多分カクタス航空隊の人

そして彼らと戦った、帝国海軍の台南航空隊のメンバーです。
 

この写真には日本のナンバーワンエースと認定されている西沢広義(後列左)
そして坂井三郎(中段左から2番目)、他2名のエースが写っています。
 
台南航空隊は、最高得点の日本の戦闘機エースを何人か含む零戦隊でした。
(アメリカ側の記述による)

8月21日から9月11日までの間に、日本軍はガダルカナル島を合計10回襲撃しています。
この間日本軍の31機の航空機が撃墜され、7機が損害を受けました。
対してCAF海兵隊戦闘機飛行隊の損失は航空機27機、搭乗員9名となります。

上の写真には笹井醇一少佐が写っていないことから、この写真は、
ツラギに米軍が上陸後、同航空隊がガダルカナルまで飛んで
カクタス航空隊と空戦を行う中、笹井少佐がカール少佐に撃墜されたとされる
8月26日以降に撮られたものであることがわかります。

なお、冒頭の写真はVF-17のアンディ・ジャガー少尉が、ラバウルからの帰投後、
日本機を撃墜したことを地上員に報告しているところだそうです。

ワイルドですね。

VF-17は、F4Uのコルセアを運用した最初の部隊で、
「ジョリーロジャース」のマークで有名です。
海軍は当時コルセアを空母サービスに適さないとみなしていたので、
空母ではなくソロモン諸島の陸上飛行隊として活動しました。

2回の任務ツアーで、VF-17は152回の勝利を収め、11名のエースを生み出しました。
その後、ヘルキャットに乗り換えてからは空母「ホーネット」乗組になっています。



 

 

続く。

 

 

 


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4 Comments

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ドクトリン (Unknown)
2021-04-02 07:20:12
軍隊の戦い方を定めたものをドクトリンと言いますが、太平洋戦争を通じて、米軍は空母作戦と上陸作戦を確立しました。アメリカ本土が侵略される可能性はほとんどないので、撃って出ることがアメリカに取っての戦争ですが、太平洋戦争でほとんど固まったと言えます。

ベトナム戦争は内戦に介入するということで当てが外れ、太平洋戦争で得たドクトリンは使えませんでした。旧ソ連との冷戦は、実際に戦うことはありませんでしたが、もし、戦争になっていれば、これらのドクトリン通りになっていたはずです。

台頭して来た中国は、よく太平洋戦争を研究していて、東シナ海、南シナ海に米軍を入れないように九段線を設定、他国の島嶼を占拠、軍事拠点を建設し、いわゆる第一列島線より中には米軍を入れないようにしています。

海兵隊は元来、殴り込み部隊でしたが、へたに第一列島線内に入って行ったら、コテンパンにされるので、上陸作戦ドクトリンから脱却し、戦車は廃止し、ミサイル砲兵化(アウトレンジ戦法)を進めるように舵を切りました。

第一列島線の内側を中国の聖域と認めるなら、そこから出て来た場合にのみ、中国を叩けばよく、空母作戦は今後も通用すると思われます。自衛隊の「いずも」型空母化もその路線で、中国本土に近いところまで出張って行ってということにはならないと思います。

ただ、台湾を統一しようと考えている節があるので、それに対してどういう風に対応して行くのか、注視ですね。もちろん、我が国にも大きな影響があります。
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基地航空隊 (お節介船屋)
2021-04-02 09:41:16
第11航空艦隊のなかの第25航空戦隊が昭和17年4月ラバウルの西、東飛行場にまたニューアイルランド島カビエンに展開しました。6月30日ツラギ(横空)から飛行艇偵察でエフェテ島にB-17 基地を発見しました。この基地からラバウル空襲を受けていました。
新編された第8艦隊がガタルカナル島に第11,13設営隊で滑走路を建設中でした。1か月以上かかって17年8月7日着陸できる予定でした。在マリアナの第26航空戦隊第6航空隊が進出予定でした。
この朝第1海兵師団が、ガ島と対岸のツラギに上陸しました。哨戒中の九七大艇が敵空母発見しましたが敵戦闘機に撃墜され、ツラギの飛行艇、二式水戦全機がやられ、横浜空司令は決別電を打ち、全滅しました。
第25航空戦隊はニューギニア作戦とソロモン作戦の二本立ての戦いを強いられ苦境に立ちました。
空母攻撃に陸攻27機、零戦17機が出撃しましたが敵沿岸監視員が通報、空母3隻の63機のF4Fに待ち受けられ7機の損害を受けましたが11機のF4Fを撃墜しました。第2航空隊九九艦爆9機も出撃,全機が撃墜されました。米艦艇の対空砲銃が新式のマークⅡ等に換装されつつあり、陸攻は絶好の的となり、出撃全機が撃墜される等激戦となっていきます。
消耗が激しいのでラバウルには第25,26航空戦隊が集結しました。
多少は敵に被害を与えましたが敵艦艇を駆逐艦を戦艦に誤る等戦果を過大報告し、被害も多くなりました。
遠距離攻撃でゼロ戦の優秀なパイロットや一式陸攻の多大な被害が生じました。

なおミッドウェー海戦後7月14日付で艦隊編成替えが実施、第3艦隊と第8艦隊が編成されます。第3は南雲中将が指揮官で空母6隻、戦艦2隻、巡洋艦6隻、駆逐艦16隻、第8は三川中将指揮官で巡洋艦3隻、敷設艦1隻、駆逐艦3隻、潜水艦5隻、駆潜艇、掃海艇、陸上部隊でなっており、第8は従来第4艦隊が担当していた南東方面を分け、南太平洋と東部ニューギニア担当とされました。

南洋方面は第4,第8,第11艦隊が並立、統一指揮が必要な場合は第11航空艦隊司令長官が指揮することとされていました。
第1次ソロモン海戦はこの新編の第8艦隊が戦いました。
参照光人社「写真太平洋戦争第4巻」
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ガ島攻略 (お節介船屋)
2021-04-02 13:31:25
ガ島飛行場建設は珊瑚海の制圧とエスピリッツサンド島等の米軍基地が脅かされることや米豪交通路遮断に至ることから米軍は可能な兵力を集め、8月7日攻略作戦をはじめました。
重巡6隻、軽巡2隻、駆逐艦15隻、掃海艇5隻、輸送船23隻、海兵隊員19,105名でした。
支援部隊空母3隻サラトガ、エンタープライズ、ワスプ、戦艦1隻、軽巡1隻、駆逐艦16隻でした。

日本軍守備隊、第81警備隊と呉第3陸戦隊合計247名、非戦闘員設営隊2,571名、8㎝高角砲4門、25㎜3連装機銃1基、13㎜機銃1基、山砲2門でした。

ほぼ無抵抗状態で飛行場も占領、ツラギ水上機基地全滅でした。

悲惨、苦闘のガタルカナル攻防戦の始まりでした。
参照光人社「写真太平洋戦争第4巻」
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つじつまが合ってないのではないでしょうか (うろうろする人)
2021-04-02 20:25:06
台南航空隊搭乗員の集合写真の撮影時期についてですが、笹井中尉が戦死されたのは坂井一飛曹が負傷
した8/7の件(ちょっと前にもブログで触れておりましたが)の後日(8/26)の事だと記憶しております。
という事は、この写真の坂井一飛曹に負傷の様子は見当たらないことから、この写真は8/7以前に撮影
されたもので、笹井中尉もこの時点では当然生存されていた筈(良かったですね)ではないでしょうか?
たまたま、下士官搭乗員だけで撮影しただけのものなのでは無いのでしょうか?
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