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ジョサイア・コンドルと海軍建築技師たち〜軍港の街・舞鶴を訪ねて

2016-06-29 | 博物館・資料館・テーマパーク

現在「赤れんが博物館」となっている旧海軍魚型水雷倉庫のように、
舞鶴工廠時代に建築され、現在にその姿をとどめている建築物は10棟あります。

これらはいずれも鉄骨煉瓦造りで、 鉄骨などの資材は、明治36年にアメリカから
20棟分が輸入されてきたものです。
これらの鉄骨や窓枠は全てカーネギー社製であり、窓ガラスはアメリカ製、
設計加工は前回最後にお話しした「アメリカン・ブリッジ・カンパニー」(通称ABC)製です。

エンパイヤステートメントビルと我が余部鉄橋を造ったのが同じ会社だったとは 
わたしはこの瞬間まで全く知りませんでしたが、皆さんはご存知でしたか? 

ところで、文明開化後、西欧風の技術発展を取り入れることを決めた日本は
早々に建築物も洋風の物を導入し、公的機関の建物を次々と建築したわけですが、
日本の建築界にとって非常に重要な役割を果たしたイギリス人建築家がいます。



ジョサイア・コンドル。(Josia Condor )

1852年生まれのロンドンの建築家で、「御雇外人」として来日しました。 
「御雇い」は「いわゆる」ではなく、お上が雇ったという意味の正式名で、
近代化を推し進めていた明治政府が、西欧の先進技術や知識を学ぶために、
産・官・学の様々な分野にわたって海外から招聘してきた欧米人のことです。

海軍工廠の建築を手がけたフランスのレオンス・ヴェルニー
軍楽隊の指導をした
音楽家のエッケルト、フェントン(君が代編曲)、
シャルル・ルル−(陸軍分列行進曲の作曲) 

フォッサマグナの発見者ナウマン、大森貝塚のモース
そして陸軍のメッケルについては
このブログでもお話ししましたし、
わたしは個人的にエルウィン・ベルツ(医学)の子孫を知っています。


そして説明しなくてもわかる「青年よ大志を抱け」のクラーク博士、
東京芸大を創ったフェノロサ、「怪談」の
小泉八雲ことラフカディオ・ハーン
風刺画家ビゴー

帝国ホテルの設計者、フランク・ロイド・ライトの名前を知らない日本人はいないでしょう。

コンドルはそんな「御雇外人」のひとりとして来日し、政府関連の建築を手がけた人物です。



コンドルが手がけ、現在も残る建築物をご紹介しましょう。
三菱一号館
東京の丸の内口から皇居にかけての「三菱帝国」の一角にあります。 
近代的なオフィスビルと合体させ、この部分は美術館となっています。



駿河台にあるニコライ堂。 
正式には東京復活大聖堂という日本正教会の教会です。
関東大震災で被災しましたが、その後修復されて現在に至ります。



旧岩崎久弥邸

文京区に住んでいた頃、赤ん坊だった息子を連れてよく行った、
「岩崎邸庭園」のあるところです。
三菱創設家の岩崎家本邸として明治29年建てられました。

どの建物もよく知っているものばかりですが、それが全て
このコンドル先生(と呼ばれていた) の作品であったとはびっくりです。



コンドル先生は東京帝国大学で後進への教育にあたり、その門下からは
のちに有名になった建築家を輩出しました。
この4人はいずれもジョサイア・コンドル門下の建築家で、一番右は

曽禰達蔵 (そね・たつぞう) 1853〜1937

曽禰は帝国大学工学部でコンドルの薫陶を受け、卒業してから
海軍に入り呉鎮守府の建築委員になりました。

呉でこの時期建築委員というと・・・・



そう、これですよ。

江田島の旧海軍兵学校生徒館の設計を手掛けたのはこの人物だった、
とここの資料にはそう記されています。 



ところが、海上自衛隊第一術科学校のHPには

「イギリス人建築家の設計によるもの」

と記載されているんですね。
同時期にジョサイア・コンドルの教え子で曽禰の同級生、辰野金吾の設計である、
という説も見たことがありますし、明らかになっていないというのがそもそも謎。

兵学校が竣工した明治26年というと、曽禰達蔵は、
師匠のコンドルの引きで海軍をやめて三菱社に入社し、
丸の内のレンガのオフィス街を怒涛の勢いで創っている最中にあたります。

コンドルの設計であったという可能性はさらにありませんし、辰野は
この頃恩師のコンドルをクビにして(!)自分がその後釜として工部大学校
(現在の東大工学部)の教授になったりという「政治活動」に忙しく、
大きな建築は手がけていないようにも思えます。

というわけで、ここではそういうことになっているけど不確実情報、
と言っておきます。

それにしても、誰だったんでしょう。生徒館の設計をしたのは・・・。



旧呉鎮守府庁舎、現呉地方総監部庁舎

生徒館の写真もこの写真も、全部自分が撮ったものである、つまり
全ての場所に実際行ったことがある、こんなわたしっていったい何者?
ちなみにこの写真に見える自衛官は、何を隠そう「この」わたしを
迎えるために起立して待ってくれております。

などという、却って小物ぶりが際立つだけのしょぼい自慢はともかく、
この呉鎮守府庁舎、
設計したのは櫻井小太郎、コンドル弟子写真の一番左側の人物です。

櫻井はコンドルの事務所で実際に設計に携わりながら薫陶を受けました。
ロンドン大学の建築学部に留学しており、日本で最初の英国公認建築士となります。

帰国後海軍技師となり、呉鎮守府で建築科長としてこれらの設計を手がけたのでした。

 

入船山にある呉鎮守府司令長官庁舎、これも櫻井の作品。
国の重要文化財に指定されました。 

櫻井はその後曽禰に誘われて三菱に入社し、丸の内のオフィス街建築を手がけます。
彼の設計の中には今は亡き旧丸の内ビルヂングなどがあります。 

四人のうち右から2番目は渡辺譲
コンドルが設計していた海軍省や帝国ホテルを手がけ、のちに海軍に在職して 
呉のドック建設全般を手がけました。

左から2番目の森川範一は海軍舞鶴工廠で、この魚型水雷倉庫など、赤レンガ街の
海軍施設の設計を担当した人物です。 




ここは「赤レンガ博物館」ですので、実際の煉瓦が展示されています。

データを紛失してしまいましたが、この時行われていた特別展では
世界の有名な歴史的施設で煉瓦が使われていたものを特集していました。

たとえば・・・アウシュビッツとか。

この常設コーナーでは、改築の際などに不要となった煉瓦が展示されています。
こういうものは実物を見るから意味があるのであって煉瓦の写真を見ても、
と思った方、確かにその通りですが、一応「煉瓦博物館」なので紹介しておきましょう。

まずは兵学校の生徒館に使われていた煉瓦。 



これも最初に江田島に行った時に撮ってきた写真。

経年劣化など微塵もないツルツルとした表面は驚くべきものでしたが、
ここに展示してある煉瓦はさほど他のと違うようには見えません。

「産地不詳」となっていますが、イギリスから輸入されたという俗説は
最近どうやら覆され、同じ広島県内の工房らしいという話もあります。




佐世保海軍工廠造船部電気工場の煉瓦。




「現存せず」となっていますが、これを見る限り最近まで存在していたのです。

佐世保鎮守府は舞鶴よりも12年も前の1889(明治22)年開庁しました。
空襲で焼けなかった建物は戦後海上自衛隊が引き継いでいますが、
この「電気工場」は平成6年に残念ながら取り壊されてしまいました。



観艦式参加記で一項を割いてお話しした「東京湾要塞」

その猿島砲台で使用されていた煉瓦がここにありました。



東京湾に入る直前現れる第二海堡の煉瓦。

桜の印は海軍のために作られた煉瓦の証です。

煉瓦に押される刻印は工房や職人の「自分が作った」という印で、
目的によって煉瓦の大きさが違っていたため、識別に使われました。
煉瓦に規格サイズができ統一されるようになってからは、どこの工場の産か
知るためだけの印となりました。



これは旧「第16師団司令部庁舎」、現聖母女学院本館の煉瓦。
この煉瓦のマークは十字の花形です。



先日の京都旅行で伏見が「陸軍の街」出会ったのを知ったばかり。


そして明治政府が作った要塞は東京要塞だけではありません。

瀬戸内海には「芸予要塞」という瀬戸内の島々を使った要塞が点在していました。




これは広島県の大久野島にあった火薬庫。
うさぎに気を取られて肝心の煉瓦を撮るのを忘れたのですが、実はこの島、



こういう島らしい(笑)
うさぎ好きの天国?ピーターラビット島?
野良うさにまみれてもふもふしたければ、あなたもぜひ大久野島へ!




舞鶴鎮守府ができてしばらく、交通は海上からの船舶に頼るしかありませんでした。
そこで京阪神と舞鶴を結ぶ鉄道、「阪鶴鉄道」が敷設されることになったのですが、
おりしも日露戦争が近づいたため、工事は急ピッチで進められ、開戦と同時に
福知山と大阪、神戸までが鉄道で繋がることになりました。



昭和2年に完成した港湾荷役用テルファー。
舞鶴駅までの引込み線ができて京阪神と港がつながりました。



左:旧軍港引込み線北吸隧道(きたすいずいどう)

右:旧官設舞鶴線第一真倉隧道(まぐらずいどう)



これらは鉄道敷設に当たって各地に作られた隧道や橋梁に使われた煉瓦。
レールだった鉄骨にはカーネギー社の製品であるという記載があります




このジオラマがなんだったのか説明の写真を撮りそこなったのでわかりません。
東京湾の海堡にあった砲台か、それとも芸予要塞か・・・。


あっ、うさぎがいないから猿島砲台のほうかな?(いい加減)





 



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