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護衛艦「ふゆづき」出航~「帽振れ」

2014-03-26 | 自衛隊

2014年3月13日、岡山県玉野市の三井造船で行われた護衛艦「ふゆづき」の
引渡式および自衛艦旗授与式、ついに出航となりました。
出航の「帽ふれ」を見るのは勿論初めてです。
わたしがこのイベントに参加したのも、この一瞬を見んがため。

大げさですが海軍海自に興味を持ってからというもの、
それくらいこの「帽ふれ」には多大なる憧れを持って来たのです。






係留していたロープを引き上げ、いよいよ甲板も準備完了。
皆に出航に際して打ち振るための日の丸と自衛艦旗が配られました。



先ほどまでここに固まって立っていた隊員が一列に並びました。
女性隊員は三等海曹です。
最近、海自を会社に例えればこの三等海曹から「正社員」であるという文を読み目から鱗でした。

ちなみに海幕長が社長、海将が取締役としたら・・・・防衛省が株主で国民は監査役?



「帽ふれ」するのはこちら側の乗組員だけではありません。
反対の舷側にも人が立っています。
出航すれば右舷がこちらを向くからですね。

皆が左舷に立っていて、出航後岸壁に右舷が向いたとたん、皆が走って
反対側の舷に移動し、今度はそちらで「帽ふれ」をする様子を想像してしまいましたが、
そんなスマートでないことは帝国海軍の末裔たる海上自衛隊には絶対に起こりません。




艦橋のデッキウィングには艦長と航海長が出ています。
このウィングの構造は、風が吹き付けても吹き込みにくい仕掛けがしてあります。
左の方、つまり艦の進行方向側のオーバーハングして二重になっている部分がそれで、
前面に吹き付ける風の方向を変え、上に逃がしてエアスクリーンのようにし、
結果ウィングへの風の吹き込みを低減するのです。

また、艦橋ウィング下部のスリット状の切り欠きのような部分には舷灯が装備してあります。

舷灯は夜間の航行中に進行方向を他船に伝える重大な役割を持ち、
右舷は緑灯、左舷は赤灯となっています。
今見えているのは赤の側ですね。

舷灯の右側にもライトがありますが、これは作業灯です。




艦橋デッキの艦長。
二佐の印である赤と青の双眼鏡ストラップをつけています。
青のストラップも目立ちますが、これはかなり遠くからでもすぐわかります。
艦長の右にあるのは探照灯。

艦長の立っているちょうど前が台形の形の切り欠きになっていますが、
これは探照灯の光をジャマしないためです。



チャフ・フレア・ランチャーの前に整列する下士官。
レベル1にある舷窓が下にちょうど見えています。




さて、「ふゆづき」の前には資材置き場なのか、紅白の天幕をかけた部分が艦首付近にあり。
これは最後までそのままだったのですが、その陰で三井造船の造船工たちが・・・・ 



「ふゆづき」の乗組員へのサプライズで横断幕を用意しています。









恒例の行事なのかもしれませんが、舷に立っている乗組員たちにとって
きっと感激の一瞬でもあったのではないかと想像されます。

 

祝 勇猛無比 護衛艦「ふゆづき」の活躍をお祈りいたします!

                三井造船 玉野造船工場 一同




三年の間自分たちが手にかけ、今出航して行こうとする護衛艦。
彼ら工員たちの感激はいかばかりでしょうか。

横断幕を持ちながら、片方の手を振る工員もいました。

一つの艦を作った者、そしてそれに命を吹き込む者、両者の交歓は尊くすらあり、
この光景には思わず鼻の奥がつんとするほど感動してしまったわたしです。




激励の横断幕を前に、いよいよ出航の儀式がクライマックスを迎えます。




全員起立して微動だにしませんが、何人かの視線は明らかに横断幕に注がれていました。





そのとき。

「帽ふれー!」

掛け声がかけられました。
「帽ふれ」は出航となったときに自動的に始まるものだと思っていましたが、
号令による指示で一斉に行われるのだということを初めて知りました。




正帽を振る渋い海曹。
ところで前々回からわたしが帽子のことを「正帽」と書いているのを見て、

「制帽と間違えているのではないか」

と思い、訂正のコメントを入れようかどうしようか迷っていた方があれば、
どうぞご安心下さい。
これは「正帽」が正しいのです。
どういう理由かは知りませんが、海上自衛隊では「正帽」と表記することになっています。 


ちなみにこの帽子の持ち方、振り方にも正しいやり方があり、

鍔の上部を人差し指、中指、薬指で押さえ、親指と小指で鍔の裏側を押さえる

のが正規の持ち方だと言うことになっています。
しかし、この海曹もとなりも、どっちもその持ち方ではありません。
左の海曹は人差し指と親指だけ使っているように見えます。

もしかしたら古参なので、ベテランなりのアレンジをしているのかもしれません。 



しかしこの、実に初々しい二人の海士(かわいいですね)を見てください。
水兵帽なので、鍔ではなく本体を持っているのですが、 

 人差し指、中指、薬指で上部を押さえ、親指と小指で裏側を押さえる

という、まるで絵に描いたような持ち方のお手本をやっています。
おそらく彼らは入隊したばかりで、もしかしたら帽ふれも初めてかもしれません。
教わった通りに きちんと帽子を持ち、真面目に振っている様子は思わず微笑んでしまいます。

ところで、彼はレインコートをステンカラーではなく海曹がよくやるように開けています。
ということは着方は特に決められておらず、自分の好きなように襟を開けたり閉めたりしても
まったくかまわないのかもしれません。 



対してこちらは海曹ですが上まで留めてしまっている例。


映画の「帽ふれ」を見ると、大きく円を書くようにゆっくりとまわしています。
とくに将官を演じる俳優はそれをゆったりとするように指導されているようです。
敬礼も答礼の場合はかなりスピードが遅いですし、たとえば行進曲が、
「戴冠行進曲」や「威風堂々」など、王のために書かれたものはゆっくりであるように、
偉い人ほど「悠揚迫らざる」とでもいうべき佇まいが要求されてくるのかもしれません。


さて、この帽ふれですが、肘を曲げずに基本三回腕をまわして帽子を振ります。
このとき「ふゆづき」の乗員が何回回していたか、わたしは写真を撮るのに忙しかったので数えていませんが、
とりあえず観覧側にいる実施者の三木海将の「答礼」が済むまでは続いていたのではないでしょうか。



もうこのクラスになってくると、「肘をまっすぐ」などという決まりはどこかにいってしまっています。
改めて先ほどの海士君を見ると、一生懸命腕をのばしていて健気です。
しかし、このベテラン海曹たちの「こなれた」帽振れ、これはこれで粋ですね。
坊主頭の新米海士も15年後、潮気がつけばこうなってくる、と・・・。



まず艦橋上にご注目。
艦長はすでに姿を消しています。
出航に向けて航海艦橋に戻り、赤と青のカバーのかけられた艦長席にいるのかもしれません。

そして、航海長はまったく「帽ふれ」をしておりません。
隣にいる海士は振っていますが、航海長の視線は忙しく舷を右に左に動いているようです。
それも尤もで、このとき「ふゆづき」はちょうど岸壁を離れ、滑るように動き出しています。

この写真はちょうど全員が敬礼しているかのように見えますが、敬礼ではなく、

「帽—元へ」

の号令があったため、一斉に着用しているところなのです。




出航を見送る呉地方音楽隊の演奏は、もちろん「蛍の光」
海軍兵学校では「ロングサイン」と呼んでいました。
海上自衛隊で何といっているかはわかりません。

ロングサイン、とはこの曲がもともとスコットランド民謡の

Auld Lang Syne」old long since、意訳ではtimes gone by)

という意味で、さらにこれを日本語にすると「過ぎ行きし昔」となりましょうか。
ジャズのスタンダードで

「As Time Goes By」

というのがありますが、これは「時の過ぎ行くままに」と文学的に意訳されています。
しかし、歌詞の内容は

「たとえどれほど時が過ぎゆきても人の世には不変のものがある」

それはたとえば男女の愛()というものなので、意訳題とは若干意味合いが違います。

ところで、出航に際してこの曲が演奏されるのは世界的な傾向ですが、自衛隊で、
というより
海軍時代からこの曲が出航の際に使われていたわけは、
やはりその歌詞で歌われるこの歌の「真意」にあったからでしょう。

ただしそれは現在歌われることがなくなった部分です。

以前も「我は海の子」のエントリのコメント欄でお話ししたことがありますが、
戦後の「軍事色パージ」で、あらゆる歌の歌詞がカットされ、
都合の悪い部分は省略されたときに、「蛍の光」の3番と4番もまた歌われなくなりました。

しかし、新しく生まれ、海上自衛隊のフネとして今母港に向かう護衛艦を見送るのに

この幻の歌詞ほど相応しい内容がまたとありましょうか。


三、


筑紫の極み 陸の奥   つくしのきわみ みちのおく

海山遠く 隔つとも   うみやまとおく へだつとも

その真心は 隔て無く   そのまごころは へだてなく

一つに尽くせ 国の為   ひとつにつくせ くにのため


四、


千島の奥も 沖縄も   ちしまのおくも おきなわも

八洲の内の  護りなり  やしまのうちの まもりなり

至らん國に 勲しく   いたらんくにに いさおしく

努めよ我が背  恙無く  つとめよわがせ つつがなく





つづきます。