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護衛艦「ふゆづき」自衛艦機授与式~祝賀会と ”敬礼アプリ”

2014-03-24 | 自衛隊

岡山県玉野市にある三井造船で行われた護衛艦「ふゆづき」引き渡し式
および自衛艦旗授与式は広報によると

12:00~12:05 引き渡し式
12:05~12:37 自衛艦旗授与式
12:45~13:45 祝賀会
14:00~14:10 出航見送り

という予定になっております。
この「12:05~12:37」という数字がやたら細かく、しかしながらきっと
時間厳守の自衛隊(これは海自に限らないらしい)の行事であるからには
その通り行われたのに違いないと思います。一度も時計を見て確かめてませんが。


さて、前回は祝賀会で出されていた料理のことを(ついでに海自カレーのレシピを)
お伝えしたわけですが、今日は主賓挨拶から参りましょう。




防衛省代表として自衛艦旗授与を行った

防衛大臣政務官 若宮健嗣氏

ご本人のHPを見たところ、実物より10歳くらい若くみえる写真でした。
政治家って、言動で年齢よりも老けてみられますよね。

内容は・・・・授与式で言っていたことをもう少し砕いて言った感じ。
まあ、普通でした。



ちなみに上座金屏風前で挨拶に来る人たちに挨拶をする若宮氏。
お辞儀の速度が自衛官の敬礼なみに早いので画像がブレております。
こういうシチュエーションで、己の一挙一動が一票につながると骨身に沁みているため
どんな相手にも全力でお辞儀をする、それが代議士の習い性というものかもしれません。



続いては三井造船株式会社取締役社長、田中孝雄氏。

何というか、目が全く笑っていない人でした(笑)
何を観察しているのか、と言われそうですけど。

田中氏の挨拶でわたしが心に残った一言は、

「海上自衛隊の皆様、ふゆづきをどうか可愛がってやってください」

というものでした。
手塩にかけて大事に育てた娘を嫁にやる父親のようなせりふですが、
これは艦娘を(と言ってもいい?)建造した製造者が、彼女を海自に嫁がせるわけで、
夫である海自には
「可愛がってやってください」、そして娘の「ふゆづき」には、

「しっかりやるんだぞ。ちゃんと旦那様にお仕えするんだぞ」

と激励して送り出す父親と全く同じ感傷が込められた一言です。

この後の出航見送りのシーンで、「ふゆづき」を作り上げた三井造船の社員たちが
その船出を見送るシーンにこの言葉を重ねあわせ、感動してしまったのですがその話はまた次回。



三番目は玉野市の市長黒田晋氏。
2005年の初当選から玉野市長を務め、三期目です。

「全国でも雨が少ない市として有名な玉野市の市長です」

と自己紹介し、会場はどっと湧きました。
岡山県の年間降水量は全国でもベスト3に入るくらい少なく、
日本全国の平均が1300mmのところ1000mm前後。
瀬戸内気候で温暖、さらには地震も少ないことから、震災後は

「岡山市に首都を移転すればいいのではないか」

という話があったとかなかったとか。
とにかく、「晴れの国」と言われる岡山であればこそ造船所もできたわけですが、
この日は繰り返しますがほぼ一日土砂降りの続くあいにくのお天気。
まあ、こんな日もあるよね、ってことで皆大笑い。

黒田氏は

「ふゆづきの活躍とここにおられる皆様方のご健勝を祈って」

万歳三唱をされました。



万歳三唱の瞬間、カメラを会場に向けるエリス中尉。
写真撮ってないでちゃんと皆と一緒に万歳しろと(笑)

もしかしたら海自制服組の「海軍式万歳」が見られるかも、と思ってのことですが、
わたしの横にいたのは海自隊員ではなくテントで前に座っていた陸将補どのでした。

ところで先般、海軍式陸軍式の敬礼が自衛隊に踏襲されているか、という話題で
当ブログはちょっとだけ盛り上がったりしていますが、万歳にも海軍式があります。

巷に言うところの「海軍式万歳」、つまり手を挙げない声だけの万歳
当時からかなり特殊な状況(フネの上)でのみ行われて来たようなので、
わたしも海自の人たちが特殊な万歳をしていることを期待していたわけではありません。


実は今回この敬礼についても現役自衛官から

「現在の自衛隊においては規則上陸海空を問わず全く同じに定められている」

ということを教えていただいております。
規則は確かにそうですが、やはりそこに微妙な違いというものはあり、海自のそれは

やや肘を引き気味で敬礼する傾向にある

ということです。
ちなみにわたしがコメント欄で教えていただいた

海上自衛隊iPhoneアプリ「SALUTE TRAINER~敬礼訓練プログラム」

によると(ダウンロード?勿論しましたとも)、

「肩と肘は水平を保ち、肘と掌は水平から45度を保つ」

となっています。
ここまでは陸自と変わらない(というか統合されたので同じ)なのですが、
「制式」で決められない部分に実は「海軍式」が残っているらしいことが
このアプリによって判明しました。

つまりどういうことかというと、正面から見るとほとんど同じ敬礼も
違いが出るのは横から見たとき。
つまり海自の敬礼は陸自、空自の(陸空は同じらしい)より

手を挙げたときの右ひじがやや前方に出る独特の形

となっているのだそうです。
そういえばこのアプリの広告、実際に観ていただければわかりますが、
海士の敬礼を海曹が修正するシーンで、肘を前方に直しています。

前述の自衛官も「肘を引き気味で敬礼することが多い」理由を

「狭い艦内で整列する場合など、肘を張ることができなかったことに由来する」

と言っておられます。
さらにアプリによると

「狭い艦艇にて敬礼するたびに自分の肘が壁にぶつからないように
右ひじ上腕部を右斜め前45度に出した形になった」

と懇切丁寧な説明。

なるほど。
以前正面から見た「海軍と陸軍の敬礼の違い」を絵にしたことがありますが、
陸空と海自の敬礼の違いはこれから横から見た図を描かないといけないのね。

というわけでタイムリーに目からウロコの情報を得ることができたわけですが、
このアプリ、いろいろとしかけがあり、敬礼プログラムの優秀者
(階級が上がる)には、なんと、

海上自衛隊からの入隊案内メールが届く

という、ありがたいのかそうでないのかわからないおまけ付き。
とにかくこの無料アプリ、大人気で、ダウンロード数はすぐに10万回を突破、
(三年近く前の情報なので今はもっと増えているかと)2011年の

カンヌ国際広告賞PR部門で銀賞を獲得

したという、海上自衛隊の「本気」を感じるコンテンツとなっています。
きっと審査した外国人の感覚としても、

「本物の軍人が真面目にやってる」

というところになんともくすぐられるものがあったんだと思います。



実はこの右にエリス中尉、左にI氏がいます。
呉地方総監の三木伸介海将。

三木海将は呉地方総監としてこの自衛艦旗授与式の執行者を務めました。
引渡式の執行者は三井造船の社長である田中氏、となっています。

ご挨拶のとき海将は

「わたし潜水艦に乗ってたんですよ」

とおっしゃっていたので後で調べたら、防大時代から熱烈な海自志望で
(防大では一年から年になるときに陸海空の要員に分かれる)
当初は陸自行きを言い渡されたのに「だだをこね」、
要望かなって最終的に潜水艦に配置されたときはうれしかった、とおっしゃっていました。

三木海将は呉の「てつのくじら館」の設立に関わったということですが、やはりあの
潜水艦をそのまま展示するということに関しては

「潜水艦の秘匿性」

やその他いろいろ問題にならなかったわけではなかったものの、
呉の発展につながることならと完成にこぎつけたという経緯があったそうです。

うーん、わたし「てつのくじら館」にいってその報告をここでしたこともありますが、
確かに潜水艦をあんな形で公開するというのは大丈夫だったんだろうか、と思ったし、
そう昔のものでもない潜水艦(あきしお)を公開しても大丈夫なのだろうか、
ということも確か書いた覚えがあります。

実際にあの公開にいたるまでは結構な困難があったようですね。
今度観に行ったら前回とは別のものが見えてくるかもしれません。
掃海艇についての展示ももう一度見たいし、また呉に行こうかな。



手前は河野克俊海幕長。



名刺いただきました。
なんとなく裏側の英語面をアップ。
こういうことをすると単なるミーハーがばれてしまうのだった。

ふむふむ、海幕長を英語で説明するとこうなるのか・・・。

CHIEF OF STAFF, MARITIME SELF-DIFENCE FORCE
MINISTRY OF DEFENCE

「チーフオブスタッフ」の「スタッフ」って、もしかしてこれ
・・・・・海将のことですよね?



手前は玉野市長。
若宮氏の向こうもずらっと制服。



三人並んだ制服は手前から海将、海将補・・二佐・・・

二佐・・・・?

おおお、この見覚えのある顔は

「ふゆづき」艦長 北御門裕二佐ではないですか!

こんなところにおられたんですか。
写真を撮っていながら全く気づきませんでした。
そうとわかっていたら制服が乾いているかどうか近くで確かめたかったのに~。(しつこい)
サインももらいにいったのに~。(わりと本気)

実は、祝賀会がおひらきになる少し前、 

「『ふゆづき』艦長の北御門二佐が、出航準備のため、
皆様より一足はやく退出いたします。
北御門艦長に暖かい激励の拍手をお送り下さい!」

というアナウンスがあり、皆さんでお送りしたのですが、



人垣に阻まれてお姿を拝見することすらままならず、
(というかこの祝宴に出席していることもこのとき初めて知った)
 非常に残念な思いをしたのでした。

さて、こういった面々の中にわたしはなんとまさかの知り合い
(というほどのものではありませんが)を見つけてしまいました。
何代か前の海幕長で、地獄に仏とばかり(ちょっと違う?)ご挨拶させていただきましたが、
先方が覚えてくださっていたのがうれしかったです。

さて、あっという間に一時間がすぎ、宴会はお開きとなりました。
そのとき、連れのI氏が、

「出航も見ていかれますか」

と尋ねてこられたのでわたしは思わず

「は?」

と目が点になってしまいました。

「あの・・・・会長はこのあとご予定がおありになるんですか?」

「いや、私は全然大丈夫ですが、雨も酷いしもう十分、ということでしたらと思って」

どうやらI氏なりのお気遣いだったようです。

そういえば知覧で特攻記念博物館に連れて行ってくださった方も、
とりあえず知覧に来た他府県からの人間を観光の目玉に一応案内する、
といった「とりあえず感」ありありで、

「観光だから3~40分もあれば十分だろう」

などと軽く考えていたらしいのですが、運悪く連れて行ったのがエリス中尉だったため、
たっぷりその4倍の時間、館内のロビーでで待たされてとても気の毒でした。

好きだとは聴いていたがそこまで好きだとは、ときっと呆れられたと思います。


しかし、今回の式典、命を吹き込まれた護衛艦が海軍伝統の帽ふれの合図とともに
出航していく様子を見なければそれは何も見なかったのと同じではないですか。

「もちろん見ます」

当然きっぱりと答えたエリス中尉でした。


(続く)