祝賀会の様子をお伝えしようと思ったところ、いきなり入り口の
正帽置き場で「自衛官の制服」の話になってしまいました。
相変わらずの進捗状態ですが、このブログの特性と思ってあきらめておつきあい下さい。
まず、テントから祝賀会場に移動するためもう一度バス乗り場に向かいます。
音楽隊員の皆さんは客がぞろぞろと移動している間ずっと立ったまま。
楽器や楽譜は濡らせないので自衛隊といえども音楽隊は屋根付きテントの下です。
そのとき振り向いて「ふゆづき」を見ると、このような状況でした。
飛行甲板と格納庫です。
飛行甲板はヘリの転落防止のためにネットで柵が設けられています。
甲板全体は「オランダ坂」仕様で後ろ下がりの緩やかな傾斜があるのですが、
(柵の手すりを見ると後ろ下がりがわかる)ヘリの発着スペースだけは海面と平行なので、
この角度から見ると1メートルほど甲板と段差があります。
格納庫の中央に柱が立っていますが、これは「むらさめ」「たかなみ」型と同じく
折り畳んで跳ね上げ、開口部を広くすることができるのだそうです。
なぜ仕切りをわざわざ設けるのかわかりませんが、強度補強のためかもしれません。
格納庫の右舷側にあるこのガラス張りの構造物は、
LSD(発着艦指揮所)。
ここから着艦するヘリの管制を行います。
お見送りの間、手隙の乗組員は整列しています。
乗艦してすぐに雨着を着たんですね。
マストにはいつの間にか旗旒信号が揚げられていて実に美しい。
ところで格納庫の上にあるCIWSですが、何の略かというと
Closed In Weapon System (武器ブロックシステム)。
うーん、案外略称って単純というかしょうもないというか。
敵味方判別装置のIFFアンテナが実は
Identification Friend or Foe(友達か敵か認識するの意)
であったのを知ったときには思わずかっくり(がっくりじゃなく)きましたが、
案外こういう名称って適当につけてるのね。
どうもこれは報道陣のカメラ足場として専用に作られたようです。
式典が行われていたときには最上段にぎっちりと全員が登っていましたが、
今では全員下の段に降りて雨を避けています。
それにしても護衛艦の乗組員は艦内の美味しいと噂の「海自めし」を、
そしてわたしたちはゴーヂャスな祝賀料理をお昼に戴いたのですが、
この方達は果たしてお昼ご飯を食べることができたのでしょうか。
三井造船の手配で幕の内弁当くらいは出たのかもしれません。
あまり無下に扱ってるとろくなこと書かれませんからね。
まあ、この日の報道で自衛艦旗授与式の模様を仔細に伝えた媒体は
ほとんどなかったわけですが(笑)
と報道陣のお昼の心配までしながら、やっとのことで祝賀会場に入ることができました。
ちなみに写真は会場の方ではなく、向いの控え室のあった建物です。
この控え室で招待客の中でも「特別」に属する今回の同行者I氏が「その他おおぜい」組の
(といっても一応招待客だけど)わたしを無理矢理?自分の控え室に連れ込み、
バスを強引に一緒にし、あまつさえ見学の天幕の場所も三階級特進させてくださった、
という話をしましたが、この祝賀会場でもまた。
中は部屋が上座と下座の二つに区切られていて、特別室には本日の主賓が
挨拶をする壇があり(おそらく)料理も少しグレードが上です。
「え、わたしこんなところに入ってもいいんですか」
とうろたえるわたしを尻目にI氏は案の定いいのいいのとすたすた歩き、
「あ、この人わたしの連れですから」
の一言で関所の三井造船社員をあっさり撃破。
小さくなりながら部屋に入り回りを見渡すと・・
こんな感じ。
眼鏡の男性は玉野市長で、御入来を皆さん拍手でお迎えしているところです。
VIPおじさんと二佐以上の自衛官しかいないこの会場で、
はっきりいってわたし一人が完璧に「だれかにくっついて来た人」でした。
ところでこの会場ですが、ご覧の通り、まるで志摩観光ホテルの旧館のような趣のある建築。
I氏によるとここは大々的な空襲には遭っていないはず、ということなので、
もしかしたら三井造船が三井物産から分離独立し、株式会社玉造船所を
この地に設立した昭和12年からある建物かもしれません。
昭和12年と言えば7月に盧溝橋事件勃発後、三国同盟締結、
そして渡洋爆撃に続き南京攻略作戦が行われた年です。
産業界ではトヨタ自動車、日本通運が設立され、玉造船所は通州事件の二日後、
日本軍による天津爆撃の翌日である7月31日に開業しています。
こういう寄せ木の床などを見ても、東京裁判の行われた旧陸軍士官学校校舎と
全く同じ造りであることから、この時代の建物である可能性は大変高いと思われます。
5年後の昭和17年12月26日に玉造船所は三井造船株式会社と改称しました。
開戦一年目でミッドウェー大敗があったとはいえまだまだ日本はイケイケたっだので
造船会社にとってはかき入れ時ともいえ、そのときに建てた可能性もあります。
この翌年の昭和18年、三井造船は海中4型小型潜水艇呂号とともに、小型水雷艇、
掃海艇、水雷艇、駆潜艇などの小型艦艇を相次いで製造しています。
中でも、呂号44は当時の技術の粋を集めて作った三井造船の潜水艦第一号でした。
・・・・ということはですよ。
三井造船はこのころ、艦艇が完工相成るたびに、まさに
ここでこうやって海軍旗を掲げた祝賀会をおこなっていた
ということではないのでしょうか。
この「正帽置きシステム」はその頃からのしきたりだったりして・・・。
うーん、おらワクワクしてきたぞ。
美は細部に宿る。
こういうアールデコ風の装飾にも時代を感じますね。
花弁をかたどったランプが実にエレガント。
むむ、この丸窓は・・・。
やはり昭和初期のもので手作業による切り出しらしく、
わずかに丸窓の桟の継ぎ目がひずんでいます。
はめ込みガラスも当時のもののようですが、それにしてもこの形。
これは間違いなく船舶の窓をかたどっていますね。
磨りガラスに刻まれた意匠は真ん中に太陽の塔のような顔がキッチュです。
テーブルの上には完工記念の写真が置かれて自由に取るようになっていました。
わたしはもちろんここでアップするという大事な使命があるので、
ひとついただいたのですが、このあとここから直接ドックに戻ったので
持ち歩くのは結構大変でした。
見たところ周りの誰一人としてこれを手に取る人はなく、大量に余ったまま。
今にして思えば全部持って帰って当ブログの読者プレゼントにすればよかったかもしれませぬ。
この各テーブルに置かれた旗立ても、わたしはホテルでの宴会では見たことありません。
二本の旗をクロスさせて飾るというのは、外国からの賓客がある迎賓館でもない限り
ただの宴会場に用意はない(小さい旗だってそのたびにつくるわけにいかないし)
と思うのですが、この旗立ても拡大すると非常に年期がはいったものに見えます。
これももしかしたら旧軍時代からのものってことは・・・・。
さらにこのテーブルには美味しそうな唐揚げがレモンを乗せて置いてあります。
しかし、今にして悔やまれるのは出されたお料理を全てチェックしなかったこと。
わたしは何しろ目の前で行われていることを見逃すまいとそちらに全神経を集中し、
人々を観察するので手一杯だったのです。
そのうちまわりの方が話しかけてきて雑談していたのですが、その内容や
カメラを一時も離さない様子から当方の魂胆がわかったのか(わかるだろうなあ)
政務次官でも市長でもなく、おじさんたちは自衛隊の制服組のところに連れていってくれ、
そして一緒に写真を撮ったげるから並びなさい!とお節介焼いてくれたりしました。
だから料理のお皿を見てあるくどころじゃなかったの。
とりあえずここの料理についてお話ししておくと、
まず、
寿司!
よくあるネタは勿論、こんなところの寿司なのにシャコなんかがありました。
ご飯は少し固かったもののさすがに港町、ネタは新鮮で、
わたしはもっぱらこの寿司をせっせと補給しておりました。
同じテーブルにはローストビーフが乗っていて、これも一枚戴きましたが、
ちゃんとホースラディッシュが好きなだけ取れるようにつけ合わせてあり、
もしかしたら岡山市内の一流ホテルのケータリングかもしれないと思いました。
もちろん食べませんでしたが、部屋の向こうにはパーティ屋台が出ていて、
今写真で確認したら、天ぷらとうどんをサービスしていたようです。
うーん・・・・・天ぷら食べたかったかも。
帰るときに隣の部屋の料理を見たら、美味しそうなフルーツの盛り合わせ発見。
こんなものもあったのか。
というか、各テーブルごとに全然違う料理を出していたのね。
隅っこでじっとしていたのが悔やまれました。
地元経済界の大物であるI氏が挨拶回りにわたしを置いて出かけてしまったあと、
わたしは近くのおぢさま方と雑談をしていたのですが、そのうちお一人が
「陸自関係のこういうパーティにでるとね、だいたい弁当なんですよ」
とおっしゃいました。
おそらく陸海空自衛隊全てに関連する企業のトップの方なのでしょう。
「海自は弁当なんか出さないね。食べ物にはやたらこだわるからね」
「それはもしかしたら『伝統』というやつですか」
とわたし。
「海軍がからむと大抵飯は旨い、といういうことに昔からなってたみたいね」
しかし、この自衛艦旗授与式というもの、海軍もとい海自は三井造船から
フネを買った、つまり「お客様」です。
これらの御馳走はすべて三井造船の用意によるもののはずなのですが、
相手が海上自衛隊ということで接待する側もはりきって奮発したのかもしれません。
実際海自の「飯へのこだわり」は「伝統墨守・唯我独尊」のキャッチフレーズに違わず、
カレー一つとってもたとえば陸自が野外炊事機で屈強の男が汗の隠し味など加えながら
ひたすらガテンな作り方をしている(最後にコーヒー牛乳どばー)のに対し、海自というのは
ホールトマトタマネギ人参をワインやニンニクで4時間煮詰め一晩寝かせ
豚肉のブロックを赤ワインオリーブオイル塩胡椒カレーパウダーニンニクしょうが香辛料で
味つけし一晩味をなじませスープストックは鶏ガラひき肉ニンニクタマネギ人参そして
人参の皮しょうがリンゴセロリの葉パセリの葉ローリエを8時間煮込みそれを漉し
鰹と椎茸煮干しから出しただしを30分煮込み人参タマネギセロリニンニクローリエを
オリーブオイルで炒め軽く煮たソフリットというものを作っておきバナナとヨーグルトを
ミキサーにかけたものとコーンクリーム缶イチゴジャムブルーベリージャムはちみつ
パイナップル桃の缶詰をミキサーにかけたものを甘味として二種類用意しミルクを混ぜ
タマネギ人参ジャガイモかれーぱうだーガラムマサラナツメグオールスパイスシナモンを炒め
から煎りし鍋にガーリックオイルを入れ豚肉を炒め風味付けにブランデーを入れて
タマネギ人参を炒め和風だしをいれてさらに煮込みあくをとりのぞいてソフリットをいれ
バターとから煎りしたカレー粉をいれあらかじめ砕いておいた市販のカレールー三種類を入れて
ジャガイモ甘味料しめじの順に入れニンニクとしょうがをすりおろして入れ仕上げに
インスタントコーヒーを牛乳で溶き入れて最後に味を整えグリーンピースを奇数入れて供する。
(護衛艦の頃の『しらゆき』レシピより)
といった、美味しいことはまず疑いようはないけれど
家庭で作っていたら家計を逼迫すること必至
と思われるレシピのカレーを、しかも週に一回は食っているという
特殊な軍隊
なのです。
実に17年ぶりにそんな海自から護衛艦の建造を受注した三井造船が、その海自相手に
あだやおろそかなクイモノなど出すことなどがあるでしょうか。(いやない)
この向こうにあるお皿には何が乗っているのか、今元画像を拡大して
確認したところ、左の方には一人ずつ手に取ることができるような紙の船に
天盛りされた卵豆腐が二切れずつ乗っており、右はゆでたブロッコリーと一緒に
口に入れられるように一口大にした肉がやはり船にのっております。
これも改めて見るとやたらおいしそうです。
しかし、一人分の食べ物をこうやって船に乗せて供する宴会料理、
初めて見たような気がしますが、気が利いていますね。
船・・・・・・・やっぱり造船会社と海自だから?
(続く)