ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

岩国基地ゼロ・ハンガー~「米英斬殲滅?」

2014-03-08 | 海軍

「岩国基地」と「零戦」で検索するとこの岩国基地のゼロハンガーが出てきます。
Wikipediaの映画「零戦燃ゆ」のページには、

「この映画のために、総工費7千万円で零戦1機を復元製作した。
映画の撮影終了後、この零戦は海上自衛隊岩国基地にて保存・公開されている。」

と書かれているのですが、これは間違いです。

このゼロハンガーはアメリカ海兵隊の管理下にあり、自衛隊は全く関わっていません。
この日基地を案内してくれた海兵隊パイロットのブラッドが管理事務所に電話し、
開けてくれたのが海兵隊の女性兵士であったことからわたしは判断したのですが。

もし自衛隊の管轄であったら、申し込みには予約が必要で、こんな簡単には
中に入れてもらえなかっただろうと思います。
自衛隊のこう言ったことに対する管理の厳正さに文句を言う気は毛頭ありませんが。



さて、冒頭の画像はここにあった零戦52型甲の操縦席詳細図です。
翼に仕込まれた機銃弾がどんな形で内蔵されていたのか、これを見て初めて理解しました。



この金色のプレートには、次のようなことが二か国語で書いてあります。


このビジターセンターは、日米両国間のたゆまざる相互理解と協力による
世界平和維持のために建設されたものである。
それはお互いの繁栄と世界平和を求める成熟した二国を築き上げるために
貢献した人々の証として存在する。

このセンターは昭和58年7月15日より昭和61年5月29日まで
米海兵隊岩国航空基地司令官を務めたドナルド・J・マッカーシー大佐の
提案および日米両国民の献身的な努力により実現したものである。


何とびっくり、なぜ米海兵隊基地に零戦があるのかというと、

基地司令の提案がきっかけでそのような事業が行われたらしいのです。

世界平和世界平和と短い文章の間に二回も世界平和がくるのがなんですが、
在日米軍としては、同盟国日本との連携をより緊密にするための友好事業の一環として
このような博物館を基地内に作ることしたようですね。

まあ、アメリカと日本の間の平和はともかく、その後のアメリカは少なくとも
世界平和に貢献しているとはお世辞にもいえない道を歩んで来たわけですが(笑)、
それはともかく、

「両国の友好と平和のために旧軍の名機零戦のレプリカを
かつてあったところに収めかつてのままに展示する」

というのはいかにもそういうことには心の広いアメリカ人ならではだと思います。
戦後のパージが酷過ぎて、「そこまでせんでもいいのに」というくらい
旧軍臭を排除することに異様に気を遣う自衛隊には逆立ちしても出来ないことを、
アメリカさんだとやってのける。そこにしびれる憧れるぅっ。


・・・・。

わたしはこういうときいつも自衛隊の姿勢を批判しますが、

自衛隊の方に誤解なきように付け加えると、その根本原因がどこにあるのかは
十分理解したうえで言っているのですよ。
そう、その原因がどこにあるのかが一番わかりやすく、かつ酷かった事件は、

「日本は決して悪い国などではなかった」

と論文に書いた航空幕僚長が解任させられた事件、あれです。
これをやってのけた(しびれないしあこがれない)時の政権与党が「保守」だなんて、
何の冗談なのかというくらいなのに、その後政権交代でメガトン級の売国政党がきましたからね。

そもそも左翼とは「国を売る」と同義の思想なのか?違うでしょ?



それもこれも手繰っていけば原因は、戦後日本にGHQが落としていった爆弾ともいえる
ウォーギルトプログラムであり、つまり戦争に負けたことそのものなんですが、
まあつまりこんな国になってしまったんです日本国というのは。

特に田母神事件以降、自衛隊関係者が保身のために口をつぐんで、
その手の連中
揚げ足を取られないように汲々としたとして、誰が彼らを責められましょうか。


そういえば2月の国会で維新の三宅議員がその当時の総理だった麻生財務大臣に

「きっとそのこと(田母神解任)を後悔しておられると思いますが・・・、
正しいことを言った人間をやめさせちゃいけませんよ」

と厳しい言葉を投げかけていましたっけ。
わたしは麻生さん好きですが、この点三宅議員と全く同意見です。



とにかく、ここのゼロハンガーは、アメリカ海兵隊のサイトによると


「世界でたった一つの、零戦を格納している掩体壕」

としてここにあります。




何やら時代を感じさせる案内看板。
ちなみに映画「零戦燃ゆ」の公開は昭和59年、1984年のことでした。
ですから当然ここにレプリカが来たのはそのあと、ということになるのですが、
海兵隊のHPや英語の資料を探しても、ここにいつこの零戦が置かれるようになったのか、
それについて書いてあるものは今回見つけることは出来ませんでした。

提案したマッカーシー司令官が在任中の昭和61年までであることは確かですが。



コクピットの横に上がれるようにつけられた足場の上から撮った写真。
後ろにアンジーがついて来ています。
ブラッドの方は何度も見ているらしく、向こうに見えるデスクで
鍵を開けてくれた女性兵士と雑談していました。

 


あまりちゃんとした展示ではないのですが、写真も多数あります。
右はちょうど付箋が見えませんが、政治家かな。
左は源田実。源田実も国会議員だったんですけどね。



航空長靴や雑誌の切り抜き、右の上段には、映画「零戦燃ゆ」のパンフと
スチール写真が並べられています。



零戦本などでこの写真を見たことがあるような気がします。



アップにしてみました。(大きすぎた)
手前の機も、その向こうを飛んでいる機のパイロットも、
カメラに向かって視線を向けています。

ソロモン海の上空で同航の九六式陸攻の機上から撮られたものだそうです。




神雷部隊「桜花隊」の写真もありました。



なぜかそこに山本長官機がブーゲンビルで撃墜されたときの写真が。


 
姓名不詳の搭乗員。



神雷部隊の生存者の手記『人間爆弾と呼ばれて』には、
この写真と同日の昭和19年12月1日撮影の写真が二枚掲載されているのですが、
この集合写真はそのいずれの写真とも違います。
場所も明らかに同じなのですが。

これは、連合艦隊司令長官豊田副武大将神ノ池基地に視察に来訪し、
その際桜花隊員に短刀と、神雷と書かれた鉢巻きを授与したときの記念撮影。

わざわざこのために撮影用のひな段を作ったようです。

本に掲載されている写真とは違い、これには肝心の豊田大将はじめ
お偉いさんたちが全く映っていないので、隊員だけで撮られた非公式写真かもしれません。



昭和25年当時の岩国基地を上空から臨む。



真横から。



謎の手書き広告。

ハリアーなりホーネットの木の模型を製作します、というものですが、
そのわりにはそれがどのようなものであるかの説明がなく、
見本も無く、写真も無く、おまけに製作者の連絡先もありませんでした。

一本の木から彫り上げるという、もし本当なら凄い手間のかかるものだと思いますが、
だとしたら2万円は安い。
しかし、どんなものかわからないので興味の持ちようも無いという・・・。



何の説明もない日の丸寄せ書きが。

近床金二郎という人の出征に際して贈られた寄せ書きです。
右の方に

「米英 ?千滅」

という文字が見えます。
「?」としたのは「斬」の左側に「殺」の右側、という見たことの無い漢字だからですが、
もしかしたら、

「米英 斬 殲滅」

と書きたかった(つまり間違い)のかなあと・・・。

まあいずれにしてもアメリカ人には到底解読できなさそうで、良かったですね。




零戦の後ろにはこのように国旗と海軍旗を掲揚してくれています。
これも自衛隊なら・・・いやもう何も言いますまい。



ゼロハンガーの見学が終わり、基地を後にしました。
国旗掲揚台はちゃんとライトアップできるようになっているようです。

ブラッド夫妻は基地の外に家を借りて住んでいるのですが、ブラッドが

「飛行機の時間までうちでお茶でも飲もうよ」

と言ってくれたので、お言葉に甘えることにしました。
そのご提案があったとき、

「え!そんな・・・。お宅にまでお邪魔していいんですか?」

と勿論英語ですがそういう風に聞いたら、

「House is just house.」

というブラッドの返事が少し面白かったです。

お宅にお邪魔して彼らの結婚写真を見せてもらい、わたしは案の定、
彼らの愛犬に猛烈に歓迎されたのですが、その話はまた後日。