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護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式~「海をゆく」と「海のさきもり」

2014-03-19 | 自衛隊

YouTubeで探しても音源はなく、楽譜もある現役自衛官から戴いたものだけで、
ここに公開する方法が無いので、思いあまって(意味不明)フィナーレで譜面制作しました。

「海のさきもり」

でネット検索すると、出てくる音楽はさだまさしの「防人の詩」だったりします。
次いで個人ブログが自衛隊員を防人になぞらえている文章が続き、
さらには「ちゅら海の防人カレー」なんかが出てきます。(-_-)

つまり、全く世間に知られていない楽曲なのですが、もしかしたら
「海をゆく」は自衛隊の音楽に詳しい方ならご存知かもしれません。

この二つの曲を本日タイトルで並べたのには訳があります。

この日の護衛艦「ふゆづき」自衛艦旗授与式においてどちらも演奏された曲であり、
この2曲が海上自衛隊における正式に制定された

自衛隊隊歌

であるからです。



艦長が自衛艦旗を受け取っていますが、この間音楽隊が演奏していた曲、
それがこの「海のさきもり」なのです。

今日は、この曲と、もう一つの海自隊歌「海をゆく」についてお話しします。


まず、この作詞作曲者を見てください。
作曲は言わずと知れた山田耕筰
そして作詞は・・・・・。

江島鷹夫

どなたにとってもおそらく見たことの無い名前でありながら、
「何か知っている気がする」と海軍好きなら思ってしまうこの字面。
これは間違いなく江田島、古鷹山にかけたペンネームで、作詞者は
自分の姓名を表に出すことなくこの格調高い詩を書き上げた「江田島出身者」でしょう。

データを探そうにも、山田耕筰の作品データベースにすら掲載が無く、
(山田はJASRACの社歌とやらまで作っているというのに)海自の隊歌の一つでありながら、
当の隊員たちさえも歌詞があることをほとんど知らないのだそうです。

そこで、少し今回のイベント内容から少し外れますが、この歌詞をここに掲載します。

 
1 あらたなる光ぞ
  雲朱き日本(ひのもと)の
  空を 富嶽(ふがく)を
  仰ぎて進む
  われらこそ海のさきもり

2 くろがねの力ぞ
  揺るぎなき心もて
  起(た)ちて 鍛えて
  たゆまず往かん
  われらこそ海のさきもり

3 とこしえの平和ぞ
  風清き旗のもと
  同胞(とも)を 国土を
  守らでやまじ
  われらこそ海のさきもり


譜面を読める方はぜひ歌ってみてください。
短いながら荘厳で「耕筰節」とでもいうべきどこで区切れるかわからないフレーズ(笑)、
さり気なく5度上5度をアクセントに混ぜ込んだ和音進行を含むメロディは、
さすが日本音楽界の巨人である山田耕筰の作品に相応しい品位と格調を備えています。
わたしにこの歌の存在を教えてくれた自衛官は、

”特に(歌っていて)「同胞を 国土を 守らでやまじ」のところになると、
ペルシャ湾や3.11の現場にいた隊員たちの笑顔が浮かび、咽がつまりそうになります。”

との思い入れとともに

海自は「軍艦」のみならずこの曲も伝統として
もっと大切にしてゆかねばならないと思います。


という言葉を楽譜に添えて送ってくださっています。


確かに後でお話しする「海をゆく」の「戦後民主主義的配慮で改悪された」歌詞と比べると、
その揺るぎない格調の高さといい、簡潔にして完璧な言葉選びといい、はっきり言って
「格が違う」とすら思えます。
こちらが志ある成熟した大人の作品なら「海をゆく」は児戯にも等しいとでもいいますか。

(あくまでも比較の問題ですので念のため)





さて、それでは3月13日の「ふゆづき」自衛艦旗授与式の様子に戻ります。

自衛官授与者である防衛大臣政務次官の若宮氏が乗艦後、
訓示の用意ができるまでの約20分ほどの間、
観客が退屈しないようにだと思いますが、呉地方音楽隊の演奏がありました。

こういうときにはいったいどんな曲をセレクトするのだろうと、
わたしなどはまわりのおじさんたちと雑談をしながら興味津々。
おそらくこういうのも音楽隊長が選んだりするのかもしれません。

まずその第一曲目は

「錨をあげて」” Anchors Aweigh” チャールズ・ツィマーマン作曲

1906年にアメリカの海軍兵学校で音楽隊長だった若い士官候補生によって作曲され、
非公認ながら米海軍の公式歌となっています。

 ”Anchors Aweigh”とは船の出航の際に、それまで降ろしていた錨を
船の上にあげる作業が完了したことを指揮官が承認するときに用いる言葉で、
たとえばわたしが観艦式で乗艦した「ひゅうが」でも、出航前に演奏されていました。

そして第二曲目。

「宇宙戦艦ヤマト」すぎやまこういち作曲

・・・・何も申しますまい。

わたしの周りのおじさま方は、誰一人この曲にぴくりとも反応しませんでした。
といっても黙っていただけなので、もしかしたら知らなかったのかもしれませんし、
知っていても仮にも会社なり団体なりの代表として招待されてここに来ている以上、
アニメソングに反応するなどということは彼ら「偉い人」の立場としては
女子供のようでちょっと恥ずかしい、という意識が働いたのかもしれません。

わたしは、なぜこの曲がここで今演奏されたのか、少し考えていました。

すぐにはたと思い当たったのが、初代「冬月」の戦歴です。
最初にも書いたように、駆逐艦「冬月」は昭和20年5月の坊ノ岬沖での海戦

戦艦大和とともに

戦艦大和とともに

戦艦大和とともに

出撃しました。
このとき帰還した駆逐艦は出撃した8隻のうち半分の4隻。
幸運艦といわれた「雪風」「初霜」、そして「涼月」「冬月」です。


ご存知かもしれませんが、今回の「あきづき」型汎用 護衛艦はこれで

「あきづき」「てるづき」「すずつき」「ふゆづき」

の4隻が揃ったということで「ふゆづき」の一日前に三菱重工で竣工開始し、
この前日長崎の三菱重工造船所でやはり引き渡し式が行われた
「すずつき」もまた、天一号作戦の生存艦の末裔ということになります。

呉地方音楽隊の隊長がこの史実を踏まえて選んだのかどうかは知るべくもありませんが、
この日こんな音楽が流れていたことを話題にする媒体もおそらく無いだろうと思い、
あえてここでこだわってご報告しておきます。

そして問題の(?)三曲目。

「海をゆく」古関裕而 作曲

右隣の方が小さな声でこの歌詞を歌いだしました。
あれ、これなんだっけ。
一瞬思いましたが、最後の4小節で完璧に思い出し、わたしも小さな声で


「わーれーらー」

というところだけ唱和させていただきました(笑)

この曲は海上警備隊発足に際し隊歌として作られたもので、
御大古関裕而が作曲し、松瀬節夫という人が作曲しましたが
その後「世情にあわない」として歌詞が変更されました。

わたしの左隣のおじさまが今度は

「男と生まれ、って歌詞だったんですが女性隊員も入るようになったので
一般公募して歌詞を一部変更してしまったんですよ」

と教えてくれました。
一般公募で歌詞を変更・・・・・。
もしこの作詞者が西条八十だったら、自衛隊もきっとこんな無体なことはしなかったでしょう。


というわけで今回どこがどう変わったのか調べてみたのですが、驚きました。
一部、ではなく、「海を守る我ら」以外、全部だったんですね。全部。
たとえば、

「男と生まれ海を行く」→「明け空告げる海を行く」

はまあ、左の方のおっしゃったように「女性隊員もいるから」という理由ですから
これはまあいいとして、(よくないけど)

「若い命の血は燃える」→「歓喜沸き立つ朝ぼらけ」 

ってなんなのこれは。(呆)

もしかして往年の軍歌の軍靴の響きが聞こえそうだからって理由?
だいたい「歓喜沸き立つ朝ぼらけ」ってどういう意味ですか?
国防の任につく者が朝っぱらから歓喜に沸きたってるってどういう状況?

そして最も許せないのが

香れ桜よ黒潮に 備え揺るがぬ旗印」→
「備え堅めて高らかに 今ぞ新たな日は昇る」


備えを堅めれば高らかに日が昇るってかおい?
(怖くてすみません)

だいたい「朝ぼらけ」とか「日は昇る」とか、なんだってこう無意味に太陽にこだわるのか。
「防人の意気」が高らかではなぜいけないのか。
「桜」という言葉の何がいけないのか。
旧軍調だからか?好戦的だってか?

無難な自然現象描写をしておけばいいってなテキトーさがありありで、
「何かから逃げてる」「何かに遠慮している」って感じ。
つまりつまらないんですよ。
腑抜けた、なんというか言霊の無い耳障りのいいだけの言葉を並べただけで。




というわけでここにはNHK の「みんなのうた」みたいな改悪新バージョンではない、
昔の歌詞で歌われているものを貼っておきます。 

「男と生まれ」が良くないというならそこだけを代えて、
あとは全部そのままでよかったのではないかとわたしは個人的に思うのですが。 



さて、文句はともかく、この曲が演奏されているときときわたしが


「去年武道館で行われた音楽まつりでこの曲をあの方が歌っていたんです。
ほら、今話題の

と話をふったとたん、右と左が同時に

「三宅さんね」「三宅由佳莉さんね」

と我が意を得たりとばかりに反応し、ついでに前の陸将補殿までが振り返って(笑)

「三宅三曹ですね」

と周りが盛り上がったので可笑しかったです。

「彼女岡山出身なんですよね。岡山にだけ特別なメッセージをいれてくれたんですよ」

など、おじさまたち三宅さんにメロメロのご様子。
今や日本国自衛隊で幕僚長より有名な自衛官、それが三宅三曹だとわたしは確信しました。

曲は全部で4曲演奏され、最後の曲は・・・・・・えー・・・・・。

「ナショナル・エンブレム・マーチ」かスーザの

「Hands Across The Sea (海を越える握手)」

か・・・。
三宅さんの話が盛り上がっていて聴いていませんでした。
それにしても、(文句ばかりつけてすみません)これがスーザだったとして、
4曲のうち半分が敵国アメリカの曲というのはいったいどういうことか。
こんなときこそ、すべて日本人の手で作られた曲が相応しいのではないか。

海国日本を周辺国の脅威から守る、防人たる海上自衛隊の意気軒昂を謳いあげる曲が。 

・・・・え?

そこまでいうなら、どんな曲がこういう場にふさわしいんだ、って?
それでは最後に

”エリス中尉がもし呉音楽隊の隊長だったらこんなとき選ぶ行進曲”


1、太平洋行進曲

2、愛国行進曲

3、元寇

4、海を行く(旧バージョン三宅三曹の歌付き)



・・・・・・・駄目?



(続く)