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映画「最後の特攻隊」

2012-05-17 | 海軍




白黒映画なのでてっきり1960年代の映画だと思っていたら、1970年度作品。
タイトルの後、いきなり

「この物語は宇垣纏中将とはなんら関係ありません」

とお断りがでます。
最後の特攻、というと宇垣中将を思い浮かべてしまう人が多いのは分かるけど、
何のためにこんなに大書きしなくてはいけなかったのでしょうか。
なにか、関係筋からのクレームでもあったんでしょうか。
それとも「宇垣中将の映画だと思って観に行ったのに、騙された!」
と騒ぐ人に向けての予防策でしょうか。

そんな不穏さを感じさせる波乱の出だしです。

「連合艦隊」のような豪華セットや鳴り物入りの宣伝があったわけでもなさそうなこの映画、
全ての予算をキャスティングにつぎ込むべく、豪華男優陣が登場しています。
どれくらい豪華かというと、当時すでにスター級の俳優が、ほとんどチョイ役扱いされていて、
名前だけ見ると「これ誰?」って俳優があまりいないというくらい。
笠智衆が、宗方大尉の父親役でちょいと顔を出したりしています。

その他、JJサニー千葉こと千葉真一、菅原文太、渡瀬恒彦、梅宮辰夫
千葉真一なんて、一体どこに出ているのかさえわからないくらいの扱い。
当時売出し中だった渡部篤史は、準々主役といった役どころですが、
ちょうど同時期に「海兵4号生徒」で、はつらつとした兵学校生徒を演じた渡辺が演じるのは、
母親を置いて死ぬことができない「悩める特攻隊員」。

そしてこの映画は、特攻隊の隊長、宗方大尉(鶴田浩二)の姿を通して、
そんな若者に特攻を命じなければならない者の苦悩を描きます。

航空隊に新しく転任してきた矢代中尉(高倉健)は、実は前司令、矢代中将の息子。
特攻に反対しながらも、それだからこそ自らが真っ先に出撃した父矢代中将の遺志を継いで、
自らも特攻隊を志願します。
国のために死することを最初から目的としている矢代中尉の目には、
父が出撃したときの直掩隊隊長でありながら、自身が生きて帰ってきたうえ、
零戦の故障を偽って特攻を免れた吉川二飛曹(渡辺篤史)を庇う宗方大尉のやり方は
全く納得いきません。

宗方大尉は「覚悟ができていない者が行っても失敗するのがオチで、
そんな死に方をして命を粗末にするべきではない」と考えているため、
吉川二飛曹のような隊員の心情を冷徹に看過することが、どうしてもできないのです。

それは宗方大尉が、軍人として死ぬ覚悟ができている一方で、また自分の心の裡にもある
「生への執着」「死への恐怖」を素直に認めているからでもあるのでした。

そんな温情を、若い矢代中尉は「卑怯」として見ることしかできず衝突を繰り返しますが、
吉川二飛曹の零戦に故障が無く、宗方大尉がテスト時に結果を偽って彼を庇っていたことで
二人は殴り合いになります。(画像)

これ・・・・。
理由はどうあれ大尉と中尉が、下士官兵の前で殴り合い。
飛行長が「士官が下士官兵の前で殴り合いをするとは何事か!」って怒っていましたが・・・、
いくら大尉が「かかってこい」と言ったからって、挑発される中尉なんて、いるかしら。

その殴り合いを見ながら
「お前のせいで二人はこんなことになっているんだぞ!」
と吉川二飛曹を叱りつける整備下士官、荒牧上整曹(若山富三郎)
整備の腕に自信ありで、部下に秘所の病気の手当てをさせるような「牢名主」的オヤジですが、
吉川二飛曹のダメダメぶりはきっと「遊び」を知らないからだ!とばかり、
無理やり酒を飲ませ、女郎屋に引きずって行く「男塾指南」で何とかしてやろうと張り切ります。

しかし、吉川二飛曹が特攻を怖れる全ての原因は、眼の見えない老母に対する愛情ゆえのこと。
脱柵して自殺まで企てた吉川二飛曹ですが、宗方大尉の尽力によって隊に戻ることになり、
謹慎中の空襲の際、事故機を駆って邀撃にあがったものの、自爆戦死します。

この隊に特攻志願して新しく赴任してきた堂本予備少尉(梅宮辰夫)は、
飛行下士官に偶然兄堂本上飛曹(山本麟一)がいることに驚きます。
弟を大学にやるために給料の多い飛行機乗りになった兄。

弟は歴戦の搭乗員で、撃墜王とまで言われた兄が、飛行兵に向かって
「偶数番号は前に!前列は明朝マルハチサンマル特攻出撃!」
と命令するのにショックを受け
「あれじゃまるで品物扱いだ」となじります。
しかし、兄には彼なりの理由があるのです。

「お前が俺の立場だったらどうする?
一人一人の家庭の事情を聞いて、懇々と説得するのか?
お前たちのように大学を出た予備学生と違って、相手は自分の意見さえろくに言えない、
まだはたち前の子供だ。
誰もかれも親にとってはかけがえのない大事な息子だ。
お前はあの中から、何を基準にして選び出すつもりだ?

一人一人の名前を呼んでみろよ。
返事をされてみろよ。
それだけで胸がいっぱいになって、とても命令なんて出来やしねえ!
何時かお前に言ったろう。
戦争に学問や知識は役に立たねえって。
俺は長い軍隊生活で知ったんだ。
命を捨てるか、心を捨てるか、どっちかを選ばなければならねえってことをな」


荒牧上飛曹の達した境地に、言わば宗方大尉は到達し得なかったということでしょうか。
宗方大尉が吉川二飛曹の死をきっかけに和解した矢代中尉の直掩に飛ぶ日がきました。

愈々のとき、銃撃で眼をやられた矢代中尉を、
敵艦に体当たりさせるため誘導する宗方大尉・・・。


ところで、特攻に出撃する何人かが、飛行場の扉を破って乱入してきた家族たちを見て、
はっとするシーンがあります。

 

これ誰ですか?
伊吹吾朗、右菅原文太

 

左、街田京介?右は

冒頭、俳優陣が豪華すぎると書きましたが、このキャスティング、少し、というかかなり不思議。
なんだか、主演の士官たちが落ち着きすぎてるんですよね。
だいたい、二人とも大尉と中尉にしては老け過ぎではないか?
当時、鶴田浩二46歳、高倉健39歳。
本来二人とも佐官の年齢ですよね。

いくらエイジレスが俳優の本領といえども、この年齢で終戦時の大尉中尉、
終戦時は進級が早かったのでせいぜい大尉でも27歳程度の士官を演じるのは、
無理っていうか、不自然な気がするんですが・・・。

まあこれは、当時「男は黙って・・・」で人気絶頂、渋い高倉健と、実際海軍士官であった鶴田の、
「最後の特攻映画」として、無理を(かなり)押して企画されたと考えれば納得いきます。


戦後、海軍軍人であった俳優鶴田浩二に「特攻崩れ」という噂が立ちました。
特攻崩れとは、生きて帰ってきた特攻隊員が、世間の目や、「俺は一回死んだ身」という
デスペレートな価値観から、ともすれば反社会的分子となって世間に白い目で見られたという、
戦争の哀しき忘れ形見のような存在です。
本当に特攻隊員でなかった者が、しばしば己を誇示する為にそう偽るケースも多かったようです。

勿論、鶴田に対して投げかけられたこの言葉が、好意的であるはずはなく、
このことはかれの俳優としてのイメージさえも大きく損なうものとなりました。

実際に整備士官であった鶴田は特攻隊員でもなかったわけですから、
これは映画関係者から生まれたと思しき「ヒール的アオリ」のようなものではなかったかと
今では言われているようですが、
鶴田はこのバッシングと、元特攻隊の生存者たちの抗議に対し一切抗弁せず、
「黙々と働いては巨額の私財を使って戦没者の遺骨収集に尽力し、
日本遺族会にも莫大な寄付金をした。
この活動が政府を動かし、ついには大規模な遺骨収集団派遣に繋がることとなった」
(ウィキペディア)
という話があります。


直掩から帰ってきたその日、終戦を知った宗方大尉は、止める飛行長を振り切って、
たったひとり、最後の特攻へと出撃していきます。
1945年、8月15日の燃えるような最後の太陽に向かって。

全編白黒映画のこのラストシーンだけが、カラーで撮影されているのが印象的です。

あらゆる戦争映画の中に鶴田浩二の姿を見てきましたが、
この映画における演技には、彼自身の見送ってきた特攻隊員への、
身を裂くような哀切の気持ちと、鎮魂がこめられていると思えます。

矢代中尉の突入を見届けた鶴田浩二の目から、ほとばしるように流れる涙を見て、
ただの演技者のそれではないと感じるのは、きっとわたしだけではないでしょう。