ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

グッドウィルに寄付された海軍迷彩の謎〜ニューヨーク滞在

2020-02-16 | アメリカ

今日は昨年の9月から10月までを過ごしたニューヨーク郊外でみたものを
今更ですがなんとなく写真を貼ってご紹介していきます。

ハドソンリバー沿いにあり、南北戦争の時には戦場になったこともあるこの一帯は、
早くから発展し、 19世紀に建てられたいわゆるビクトリアンハウスが残ります。

ビクトリアン様式とは、ビクトリア女王時代(1837~1901)の美術・工芸様式で、
中世回帰の風潮に乗ってゴシック様式の手法を取り入れたもので、具体的には
従来の石や煉瓦(れんが)などに加え、鉄・コンクリート・ガラスといった
当時の新しい工業的材料を積極的に採用しているのが特徴です。

外面的には細かいところに装飾がなされていて、なかなかにロマンチックなもので、
アメリカでは国内に残るこのビクトリアンハウスを、保存維持していこうという団体もあります。

わたしが借りた家は、そんなビクトリアンハウスのアパートの一室。
重い二重扉を内側に押して入ると、一階の部屋と階段があり、
二階にある2室のうちの一つが通りに面した窓を持つ部屋です。

内部はもちろん何度も階層を重ねていますが、木でできた窓のブラインド、
そして居間とキッチンにある暖炉は昔のまま残されています。

今はサーモスタット付のセントラルヒーティングが通っていて、
暖炉はいつのころからか知りませんが使われていません。

ニューヨークの家なので、ドアは自動ロック、鍵の上にラッチがあり
二重に中から施錠できるようになっています。

インターネット環境は最高、ネットテレビも普通に見られます。
わたしはこの滞在中、この画面でyoutubeを見ながら
広々とした居間でヨガを続けておりました。

向こうで買ったマットを持って帰ってきて、日本でも継続しています。

キッチンから見たダイニングと居間。
一人で住むには広すぎるくらいです。

コーヒーメーカーとトースターのある窓の向こうは隣の家の壁。
ニューヨークの家らしく、窓から非常脱出のための梯子が出ています。

この梯子、うまくできていて、上から降りることはできますが、
最後は飛び降りるようになっていて、下から昇って来ることはできません。

隣の家も19世紀のもので、フランス積みの煉瓦建築。
100年以上の風雨に耐えてきた煉瓦の表面はかなり削れています。

隣の家の丸窓はステンドグラスです。
そういえばこの地方のいくつかの教会には、あの「ティファニー」の
ルイス・ティファニーが手がけた窓が現存しているそうです。

キッチンの前にはワゴンを置いてアイランドキッチンにしてくれているのが
大変使いやすく、便利でした。

ベッドルームは一つ、ソファーもベッドになるので、スペック上は
三人が泊まれる部屋、となっています。

オーナーはこの近所に住む白人系の夫婦で、子供が二人。
ビルディング全てを所有して賃貸にしており、わたしの部屋は
借り手がない空室を遊ばせないためAirbnbに出していたようでした。

部屋を出る時に完璧に元どおりに掃除をし、洗濯をして出たところ、

「彼女は部屋に敬意を払ってくれた。今後いつでもお貸ししたい」

とのコメントを頂きました。
Airbnbは、宿泊が終了してから互いに評価を付け合いますが、
自分が評価をしてからでないと相手の評価が見られない仕組みです。

低評価を付けられたので仕返しにこちらもやったる、というような
醜い争いにならないようにという配慮なんでしょうね。

今回初めて知ったのは、「泊まる側も評価される」ということ。
ちょっと調べてみたら、ほんのたまに、

「彼女と彼女のBFは部屋の使い方が汚く食器も全く洗っておらず・・」

と文句を言われているカスタマーがいました。

住んでいる間、ここでも散歩できるトレイルを探しました。
アメリカの凄いところは、こういう広大な空き地に何も建てずに
長年公園として散歩する人のためだけに維持し続けていることです。

道を切り開いてウォーキングのためのコースをいくつか作り、
立木にマークを付けて迷わないようにしてくれているところが多いです。

このコースは野趣溢れすぎてところどころ足元が歩きにくく、
木立の間を歩くと虫が追いかけてくるので一回歩いただけでした。

今回一番気に入って後半はほぼ毎日行っていたのがこの散歩道。
廃線になった線路を塗りつぶして長い歩道にしてしまったというものです。

ここでは近隣の家から遊びに来ていたらしいこの猫さんに数回出会いました。
猫は同じ時間に同じ行動をしていることが多いので、
同じ時間に行くと必ずと言っていいほど同じところにいるのです。

夫婦で散歩している人たちも必ず1日に1組は目撃しました。
このカップルは車を降りてからずっと手を繋いだままで歩いていました。

歩いていると道と渓流が並行して走る部分があり、絶景です。

これが昔線路だった名残りの鉄橋。

列車に乗った人はこの鉄橋を通るときの眺めを楽しみにしていたことでしょう。

歩いているとよく遭遇した毛虫くん。
秋になると大量に出没して道路を横切るのだそうです。
「イサベラ・タイガー・モス」という蛾の幼虫だとか。

この道のさらに上に掛けられているのは高速道路のための橋。

さて、ここでも「宝探し」感覚でよくモールを探検しました。
今までアメリカの各地で見てきた経験から言わせていただくと、
ことファッションに関しては、同じ系列のストアでも、品揃えがよく
良い品質の物が見つかるのは東はボストン郊外、西は米エリアです。
あとはロングアイランドの「お金持ち地域」にある店とか。

住環境がよく、教育レベルが高いピッツバーグはその点いまいちで、
どんな店に行ってもなんだかピンとこないものしか見つかりません。

ここニューヨーク郊外は、ファッションに関してはピッツバーグよりましですが、
ボストンやサンフランシスコほど洗練されていないと言う感じ。

この日は、あるアウトレットファッションストアに行ってみました。

基本的に全シーズンの売れ残りとかサイズがなくなって
有名デパートから流れて来るものがおおいのですが、このように
このセンスはいかがなものか、みたいな変なデザインのものもあります。

まあ、こんな服も金髪のモデルが着ればそれなりなのかもしれませんが。

同じスーパーの男性用売り場にあったNASAのシャツ。
各国の国旗は、これまで宇宙飛行士を輩出した国のようで、
ちゃんと日本の国旗もありました。

ここにも増えてきている(西海岸ほどではないですが)中国系のために
中華チックなデザインを取り入れてみました・・・的な。

ちなみにボストンのアウトレットモールには
「極度乾燥しなさい」のブランドが入っていますが、この間みてみたら
中国人観光客に媚びてか、中国語バージョンが登場していました。

また別の日。
全米最大のリサイクルショップ、「グッドウィル」があるのを知り、
話の種に?行ってみることにしました。

写真の男性はグッドウィル・インダストリーの創始者、エドガー・ヘルムズ牧師。

ヘルムズ牧師は、富裕層の住む地域で廃棄されている使用済みの家庭用品や衣服を収集し、
それらを修復し修理するために失業者または貧困者を雇い、訓練を施しました。
製品は困っている人に再配布されたり、修理を手伝った人に配られました。

現在は、無償で寄付されたものをアズイズ(そのままの形)で欲しい人に売り、
寄付に対しても税金控除の一助にするなどのメリットを持たせています。

今日、グッドウィルは年間48億ドル以上の収益を獲得し、毎年30万人以上の職業訓練と
コミュニティサービスを提供する国際的な非営利団体となっています。

ただし、どれもいらなくなったので(売るのではなく)引き取ってもらう
というものばかりなので、綺麗なブランド品などは絶対に存在しません。

ハロウィンのかぼちゃや変身用ヅラなど、それこそ不用品の山です。

たぶん動かないけど、ディスプレイとしてはどうだろう、
と言う感じの電化製品とか。

なんでこんなソンブレロ買っちゃったかな。
あのユーミンですら安くされてもいらないわと言えたのに。

意外とたくさんあるのがウェディングドレス。
しかもこれ、値札がついているではないですか。

どう言う事情で値札のついたウェディングドレスをドネートしたのか・・・。

本物の毛皮(シェアードミンク)もちらほら。
毛皮はアメリカではアウトオブデートなので滅多にみませんが、
先日シカゴのオヘア空港で、物凄いみるからに成金な黒人の母子がいて、
そのカーチャンの方がやたら嵩張る毛皮のコートを着ていました。
息子はルイヴィトンとひと目でわかるジャケットとか、とにかく
わかりやすく金目のものを持ちたい人たちのようでしたが、
逆に言うと毛皮はもはやそう言う人の選ぶアイテムになってしまったってことです。

こんなところで二束三文で売られていても不思議ではありません。

ハロウィーン用の衣装もここにくれば必ず何かしら見つかります。
多分だけど、これ暗いところで光ったりしそう。

今回のグッドウィル・ハンティング(笑)で一番衝撃的だったのがこれ。
アメリカ海軍では制服を返還しなくていいんでしょうか。

アメリカ海軍潜水艦隊のメイヒュー1等軍曹、(原潜らしい)
なんと退役してから海軍迷彩を名前付きのままグッドウィルに出しております。

アメリカ海軍の迷彩の材質を知るために買って帰りたかったのは山々ですが、
かさばりそうだし、どう言う経緯でここにきたのかわからないものを
家に置いておくのも躊躇われたので、買わずに帰りました。

っていうか、これを買う人って果たしているんだろうか。

 

 


護衛駆逐艦USS「スレーター」博物館見学

2020-01-23 | アメリカ

皆さんはカリフォルニアの州都がサンフランシスコでも
ロスアンジェルスでもなく、サクラメントであり、
ニューヨーク州はニューヨークではなくオルバニーであると
ご存知だったでしょうか。

どちらもアメリカ建国後の拠点だったり当時の最大都市ですが、
その後経済の動きに伴って人口移動が行われ、また
産業構造も変化することによって新たな大都市が形成されると
州都と有名な大都市が一致しないという現象が生まれます。

カリフォルニアの州都は何度か移転していますが、オルバニーは
ニューヨークに港が整備されてここが入植者の入り口となり、
その後ここが巨大都市に成長しても
首都機能を維持し続けています。

ちなみにアメリカの州で州都と州最大都市が一致しているのは、

アリゾナ(フェニックス)アーカンソー(リトルロック)
コロラド(デンバー)ジョージア(アトランタ)
アイオワ(デモイン)インディアナ(インディアナポリス)

などで、アトランタ以外は州GDP低め?みたいなところが多い気がします。
州都以外にに大都市が存在する、というのは、あらたな経済活況が生じた、
という証明でもあるわけですからこの傾向も偶然ではないかもしれません。

もう一つついでにこのGDPがダントツに高いのはカリフォルニアで、
国別のランキングでも

1、アメリカ

2、中国

3、日本

4、ドイツ

5、カリフォルニア

と5位に食い込んでくるのですから驚きますね。
ちなみに国内ベスト5は2位以下テキサス、ニューヨーク、
フロリダ、イリノイ州となります。

そういえばイリノイ州の州都もシカゴではなくサクラメントです。

 

さて。

ニューヨークで空母「イントレピッド」が展示されていたのも、
陸軍士官学校ウェストポイントがあったのも、ビリー・ジョエルが
グレイハウンドで渡ったのも、サレンバーガー機長が着水したのも
ハドソン川という世界で誰も知らぬ者のない河川であるわけですが、
わたしは東部に滞在していた2年前、オルバニー市のハドソン川岸壁に
駆逐艦「USS スレーター」が公開されていることを知りました。

ダウンタウンからすこし離れたところにある住所をナビに入れ、
到着したのはこんな場所。

USS「スレーター」の姿が岸壁に見えます。
手前にあるスペースはどこに停めても無料の駐車場。

ちゃんとくる前にオープン時間と休館日でないか確かめてきました。
「スレーター」は週5日、10時から4時までだけのオープンです。

もしかして住んでるんじゃないかというくらい家っぽい船が。
クーラーの室外機といい、屋上のスペースといい、充実してます。

Dutch Apple II

で検索してみると、なんとこの船、貸し切りもできるクルーズ船で、
最大150人のクルーズパーティもできるとか。

ただの遊覧船として乗るなら、27ドルくらいでハドソン川周遊ができます。
物好きにもイベントカレンダーまでチェックしてしまったのですが、
11月から3月までは営業をしていない模様でした。

ニューヨークはとにかく冬寒く、この辺りも1月の最低気温で
マイナス10度くらいなり、ハドソン川が凍ることもあるそうです。

「スレーター」の見学も冬季は行っていません。

「オランダリンゴ」(ダッチアップル)の上流側ごく近くに
USS「スレーター」は係留展示されています。(ここ伏線)

近づいてみました。
起工が1943年3月、44年2月進水式、2ヶ月後の同年5月就役、
と戦争に投入するために超スピードで建造された駆逐艦で、
もう76歳になろうとしているだけあって、艦体は
痩せ馬仕様というのではなく、経年劣化による凸凹だらけ。

11月には早々に閉ざされてしまうハドソンリバーですが、このときは
まだ8月のシーズン真っ最中で、ごらんのように
自家用モーターボートで楽しむ人たちの姿もありました。

ちなみに船首に乗っているのは年配の女性です。

第二次世界大戦中に、アメリカはそれこそ駆逐艦を
時間単位で建造していたわけですが、この「スレーター」は
そのうちのDE、「キャノン」級護衛駆逐艦72隻のうち一つです。

今まで駆逐艦は「ギアリング」級の「ジョセフ・P・ケネディ・ジュニア」
を見学したことがありましたが、遠目にも全く佇まいが違う模様。

だいたい艦体の左舷に二本立っている煙突みたいな構造物は何?

ちょっと遠くで正確にはわかりませんが、40ミリ対空砲?
ナンバーがステンシルされたテッパチもちゃんとあります。

この頃の駆逐艦特有の爆雷( Deapth Charge)ラックです。
傾斜になっていてゴロゴロ転がって落ちるという省エネ投下機構。

50口径3インチ砲、アンタイ-エアクラフト・ガン(対空砲)。
この対空砲は日本近海で突入してくる特攻機を攻撃した経歴があります。

デッキの上にはまるで海軍軍人のような格好をした
ボランティアが始業前の点検作業を行っている様子が見えました。

これは何だろうとまじまじ見てしまったのですが、
銃が取り付けられていない銃座なのかな?

何年も人がここに立ち入ったりした様子はなく、
拡大すると照準などにも蜘蛛の巣が張っていました。

当時の救命ボートはそのものが甲板上階に固定してあって、
いざとなればこれを解いて海に落としたようです。
一刻を争う際にこんなにたくさんの留め具を外していて間に合うのか。

つい最近見た映画「眼下の敵」の戦闘シーンで、
駆逐艦艦長のロバート・ミッチャムが総員退艦を命じたあと、
このボートが海に落とされて海に飛び込んだ乗員が乗り込んでいました。

いたるところに対空砲。
40ミリボフォースMK51の二連装マウントです。

信号旗の読める方がいたら右はわかりそうですね。
多分片方は「スレーター」を表しているのだと思いますが。

護衛駆逐艦は、第二次世界大戦開始時に大西洋における
対潜水艦戦への必要性から大量に建造されました。
「スレーター」はこの時期建造された563隻の駆逐艦の一つです。

対潜戦に加え、対空兵器と当時最新の電子機器が搭載され、
さらに高速で長い航続距離を持つ新型駆逐艦が
迅速に建造できるような構造設計によって次々に生み出されていきます。

護衛駆逐艦は、特に危険であった補給船などの船団護衛、そして
沿岸基地攻撃、機動部隊のレーダーピケット艦などの役目を果たしました。

 

「スレーター」は1944年5月に就役した後は大西洋で船団護衛を、
5月8日にヨーロッパ戦線で連合国が勝利した後は6月にパナマ運河を経て
太平洋での船団護衛を命じられました。

終戦の日、「スレーター」は特攻機の攻撃を受けているのですが、
危うく難を逃れ、戦後はフィリピンで任務を続けて1946年に帰国しました。

 

そのわずか1年後、1947年の5月には除籍となっていますから、
まさに戦時用にとりあえず調達された駆逐艦という位置付けだったのです。

仕切り柵に取り付けられた「スレーター」のシルエット。
「スレーター」がここに展示されるようになったのは1997年からです。

たまたまそのような話(スレーターを展示艦にする)が許可になったとき、
「スレーター」は
戦後ギリシア海軍に譲渡されてその任務を終え、
クレタ島で廃棄処分になるのを待っているところでした。

その後ギリシャから大西洋を曳航されてニューヨークに到着し、
準備が整うまでの4年間「イントレピッド」の隣に係留されていたそうです。

これを見て、先ほど「銃が取り付けられていない銃座」と
言い切ってしまったところに

「GUN DIRECTOR 」

と書かれているのに気がついてしまいました。
銃手に敵機の方向を指示するための機器だったようですね。

またこれによると、ゴム筏ではないボートを「ホエールボート」と称しています。

この図とともにあった解説には、護衛駆逐艦が当初太平洋で
ドイツ軍のUボートから輸送船団を守るために投入された経緯から、
シップネームの由来、戦争中の任務、戦後から現在に至るまでが
実に詳しく書いてありました。

まだ博物館はオープンしていませんでしたが、この頃になると
何人かの見学希望らしい人たちが集まってきていました。

そしてゲストハウスのようなところからブルーのダンガリーシャツに
ジーンズ、黒のベルトというまるで昔の水兵のような格好の人が、
艦尾に星条旗を揚げ始めました。

すでに海軍籍にはないので、敬礼もありませんしラッパもなしです。
アメリカの博物艦は、海軍籍になくとも艦尾に旗をあげることが許されているようです。

海軍旗と国旗が同じであるからこそできるということですね。
かつて「スレーター」の艦尾に揚っていたのは海軍旗でしたが、
今ボランティアの手によって掲揚されているのは国旗というわけです。

国旗を揚げ終わると、ボランティアはスタスタと戻っていきました。

星条旗がハドソン川沿いの緑に映えて「スレーター」の艦尾に美しく翻りました。

ところで、今回「スレーター」について調べていたところ、わたしが
この見学をしてから1年後、つまり今年の9月10日に、先ほどご紹介した
クルーズ船「ダッチ・アップル」衝突されていたことがわかりました(笑)

なんでも原因は「ダッチ・アップル」のエンジントラブルだったそうですが、
そりゃ「スレーター」は動けないんだからぶつかった方が悪いに決まってるがな。

幸い、大事にはならならず「スレーター」も「ダッチアップル」も
営業を続けていたようでなによりです。

もう1日後だったらアメリカ人にとって洒落にならない日だったので、
そういう意味でもいらない話題にならずにすんだといえるかもしれません。

入館料は大人9ドルと激安ですが、ちょうどこのとき、
艦内ツァーが行われるということを聞き、参加することにしました。

当ブログではこれからしばらくUSS「スレーター」と駆逐艦について
お話ししていこうと思います。

 

続く。

 


「世界のミイラ」と「ミニチュア鉄道&ヴィレッジ」〜カーネギーサイエンスセンター

2020-01-22 | アメリカ

さて、せっかくなのでピッツバーグで見た
カーネギー・サイエンスセンターの他の展示についてもお話ししましょう。

潜水艦以外にわたしたちが見るつもりをしていたのが
現在の当博物館の特別展示、「マミーズ・オブ・ザ・ワールド」、
世界からミイラを集めてきてお見せしましょうというもの。

特別展示で部屋が別なので、このエキジビジョンを見るのには
通常の入館料に加えて専用の入館チケットを買わなくてはいけません。

博物館のメンバーであれば20ドルの入館料はただですが、
ビジターが特別展示を見ようとしたらコンボで一人32ドル必要です。

アメリカの博物館にしては異例の高さですが仕方ありません。

で、観ましたよ。『世界のミイラ』。

Mummies of the World

最初の部屋で、「見学の注意」みたいな短いビデオを見せられます。
そこでは、展示館内での写真は禁止であることや、展示されているミイラは
かつて生きていた人々だったので敬意を払って見学するように、
みたいなことを言っていました。

写真は撮れませんでしたが、内容はこんな感じです。

一番最後の「干し首ミイラ」は、写真ではわかりませんが、大きさは
わたしのこぶしくらい。
人間の頭がこんなに小さくなるものか、と驚愕でした。

「どうやってこんなにちいさくしたんだろうね」

とMKにいうと、

「そこに書いてあるよ」

読んだところ、頭部から頭蓋骨を抜き取ったあとは、茹でたり、
熱した石などを中に詰めたりして徐々に乾燥させるうちに
だんだん小さくなっていくということでしたが、なんでも
結構な数の干し首は土産物として制作されていたとかなんとか。

なお、ここに展示されているミイラの皆さんについては、
カーネギーサイエンスセンターの科学的チェックを受け、
いつ頃、何歳くらいで、という資料に残された情報以外に、
なんの病気で亡くなったかなども公開されています。

紹介ビデオに登場する「家族のミイラ」ですが、確か女性は
亡くなったのが38歳で、胃からピロリ菌が見つかった、
などと書かれていたような記憶があります。

いずれにせよ、一か所の展示でこれほどたくさんのミイラ
(しかも完璧な状態で)観たのは初めての経験でした。

 

さて、これでここにきた目的は果たしました。
実はここにくることがあまり乗り気でなかったMKに、

「潜水艦とミイラだけ見たらすぐに出てこよう」

とその気にさせるために言って連れてきたので、潜水艦の後は
すぐに博物館を出るつもりをしていたら、なんとMK、

「せっかく来たから他のところも観てみたい」

 

いつも出だしを渋る割には必ず現場に来てからこういうことになるんだな。
思うにこれは彼の超保守的で変化を嫌う性格から来ているようです。

足を踏み出すのに躊躇するけれどその場に来てみれば今度はそこから動かない的な。

まあわたしも高い入館料の分ちゃんと見学するのに異論はありません。

 

長いスロープになっている回廊式の階段を上っていくと、
サイエンスセンターの目玉常設展示らしい、こんなコーナーがありました。

「ミニチュア・レイルロード&ヴィレッジ」という大ジオラマです。
広い部屋全部がジオラマの街。

ピッツバーグやペンシルバニア近郊の実在の地域を表現していて、
50年以上、地元の人々に親しまれているアトラクションなのだそうです。

舞台はペンシルバニア州西部、1880年から1930年までの光景です。

1954年12月1日以来、毎年サンクスギビングの初日に公開され、
ホリデーアトラクションとして人気を博していましたが、ここ
カーネギーサイエンスセンターでは、年に2ヶ月のメンテナンス期間を除き、
一年中展示を見ることができます。

当時の町や村の様子なので、車もそのころの型ですし、
子供の遊びは木の枝に吊り下げたブランコだったりします。

ブランコはゆっくりと揺れています。

鉄道模型なのでこのように常時列車が走り回っています。
これはかつてペンシルベニアにあったシャロン製鉄所を再現したもの。
実際の製鉄所の設計図から起こして構築したそうです。

西部開拓時代っぽい服装に馬車。
よりリアルに近づけるために、ジオラマには最新のコンピュータシステムを投入し、
レイアウトの制御を行っています。
システムはNASAやディズニーワールドに制御モジュールを提供している
Opto22という会社が提供しました。

今回は荷物になるので、一眼レフではなくニコン1のV3に、
広角レンズだけつけて、それで全てを乗り切りました。

ISOを調整しないで撮ったら列車が物凄い勢いで疾走してます(笑)

広い会場を右回りに歩いていると、だんだん暗くなりました。
なんと、昼夜をタイマーで表現しているのです。

この照明システムを開発したのはハーバード大のある研究室で、
実際の太陽光の動きが表現されるようにコンピュータ制御しています。

画面が暗かったので露光を上げすぎて画像が荒れてしまいました。
手前にはウェスティングハウスの研究センターがあります。

シェンリーパークの中にジョージ・ウェスティングハウスの
若い頃の銅像が建っているように、彼はここピッツバーグに住んでいました。

そして川の向こうにあるケーブルカーをご覧ください。

サイエンスセンター上階から潜水艦「レクィン」を撮ったものですが、
川の向こう岸に・・・。

これがそのケーブルカーでございます。
「モノンガヒラ・インクライン」といい、1870年に開通した
全米最古の連続式ケーブルカーなんだそうです。
(多分世界最古はザルツブルグのあれだと思うけどどうでしょう)

なんでも昔、山上に住み着いたのがドイツ系移民だったため、彼らが
祖国にあったこの同じタイプのケーブルカーを作ったということです。

夏に滞在した時、この山頂のレストランがお勧め、という
情報をいただいたのですが、ついに行けずじまいでした。

秋の夕陽に照る山紅葉。

というわけで、ジオラマは場所によって春夏秋冬が変わり、
フランク・ロイド・ライトの「フォーリングウォーター」
(落水荘)は紅葉の中にたたずんでいます。

ピッツバーグのジオラマに川は欠かせませんが、このジオラマの自慢は
水が全て本物であること。
フォーリングウォーターに流れるベア川の水も本物です。

ピッツバーグ市民には見覚えのある建物や光景ばかりなのでしょう。
子供はもちろんですが、大人たちも目を輝かせて見学しています。

冬の景色の中に採石場がありました。
作業員がドラム缶の焚き火で暖まっています。

ジオラマを一周してくると、最後は冬の冠雪した山々が現れます。

なんでも、サイエンスセンターではサンクスギビングの2ヶ月前に
展示を閉鎖して、その期間にクリーニングはもちろんのこと、
毎年新しいモデルとシステムがインストールされることになっているのだとか。

しかし、このジオラマももとはといえば、一人の第一次世界大戦のベテランが
先天性心疾患の闘病の合間に自宅で始めたモデル作りがきっかけでした。

彼が毎年クリスマスに自宅を公開して見せていた評判のジオラマが、
場所を受け継いで最終的にここにやってきたのは20年前のことです。

さて、別のフロアに行くとそこはロボティクスコーナーでした。
ここではロボットアームとエアホッケーの対戦が楽しめます。

アームは無駄な動きを一切しないので、相手の打ったパックの動線が
シュートにつながらないと判断するとピクリとも動きません。

そして確実にヒットしてくるので、人間はまず勝てません。

このコーナーは「歴史的ロボットの殿堂」。

この妖艶なロボットの名前は「マリア」
ドイツの名匠府フリッツ・ラング監督の1927年度作品
「メトロポリス」で描かれた未来の都市に存在するヒロインです。

超かっこ悪いこのロボットは「ゴート」(Gort)
1951年の映画「地球が静止する日」The day the earth stood still
に登場したロボットです。

惑星からの訪問者、クラトゥという名前の人型エイリアンが連れている
8フィートのロボットというのがこのゴート。

The Day the Earth Stood Still (2/5) Movie CLIP - Gort Appears (1951) HD

この頃はアメリカでもこの程度のSFしか作れなかったんだなあ。

当ブログでも一度取り上げた、1999年のアニメ、
「ザ・アイアン・ジャイアント」

わたしに言わせると手塚治虫の「鉄腕アトム」リスペクトのストーリーです。
地球を守るために我が身を犠牲にしたのがこのロボットでした。

説明は要りませんね。
C-3POもR2-D2も、1977年生まれで、もうすでに生まれてから
43年ということになります。

最新作にももちろん登場していますが、もし「スターウォーズ」が
40年前でなく2020年に初めて生まれていたら、登場するロボットは
こんなのではなくAI型美空ひばりみたいなのだったんでしょうか。

なんかそれ嫌だなあ。

ヤスデみたいなアームにバスケットボールを拾い上げ、えいやっと投げれば
必ずシュート成功、成功率100%です。

向こう側に人間が試すことができるバスケットゴールがありますが、
これは、自分でやってみて人間のダメさを思い知るためのもののようです。

次のコーナーはメディカルな分野。
内臓や神経の模型がありましたが、これらは、あのいわゆる
「人体の不思議展」と同じ手法(プラスティネーション)だと思われます。

ここでもやったことあるんですよね。人体の不思議展。
開催に際しては当センターのキュレーターが

「遺体の中国における取得方法について同義的な疑問がある」

として、辞表を提出するという騒ぎになったようです。

The Carnegie Science Center unveils Bodies
... The Exhibition ... but what are you seeing?

子供向け体験型科学的プレイゾーンでは、水を使うので
滑り止めのマットが敷かれていますが、こんな
バナナ型の注意喚起看板?があって和みました。

このあと昼食はフードコート型レストランに行ってみました。

メキシカン料理のカウンターにあったポキ丼。
見かけは美味しそうですが、如何せん味が辛すぎでした。

ブラウンライスは炊き方が堅かったし、ホワイトライスの方が良かったかな。

その日の晩ご飯がピッツバーグ最後なので、これもMKのリストにあった
「ポーチ」というちょっとハイセンスなレストランに行ってみました。

「ホールフーズ」などがある高所得者向けの住宅街の中心に
新しくできたショッピングモールの一角にあります。

MKのお目当てはこれ、スモークドウィングス・ブルーチーズソース添え。
ピリッと辛味がついていてウィングの肉付きもよく、最高です。

というわけで次の朝、ピッツバーグ空港に無事チェックインしました。

乗り換えのシカゴ・オヘア空港行きの小さな機に乗り込み、
1時間半寝るつもりで枕を首に巻いて窓に寄り掛かり、

うとうとしていたら、機内アナウンスがあって、皆がざわざわしています。

なんと、シカゴが天候不良で飛行機が飛ばせませんというのです。
ハブ空港なのにそんなことってある?と思ったのですが、
シカゴ空港の風の強さというのはかなりパイロット泣かせなんだとか。

そういえば昔シカゴに到着した便のパーサーが

「風が強くて大変でしたけど・・・これがシカゴです!」

とアナウンスしていた覚えがあるなあ。

待っていたら飛ぶんかいな、と外に出て時間を潰していたら、
いきなり電光掲示板に「キャンセル」の絶望的な文字が・・・!

カウンターに行って、

「国際線乗り継ぎがあるんですが・・・」

というと、

「お気の毒ですがシカゴには今日飛びません」

と本当に気の毒そうに言われてしまいました。

仕方がないので次の日の同時刻便とシカゴからの国際便を確保してもらい、
とりあえず今晩泊まるホテルをiPhoneから確保し、
そしてレンタカーのカウンターで一泊だけ車を借りました。
どちらにしても全てが手元で行える便利な時代で良かったです。

一泊だけ借りたこの車、キャディラックの新型SUV、エスカレードといいます。
怪我の功名というのか、おかげですごい車に乗れました。

何がすごいって、まず安定性が異様なくらいあって、
滑らかでかつ重厚な走り、まるで包み込まれるような居住性は驚きでした。

機能も充実していて、例えば右側の車線をタイヤが踏んだら、座席の右側が
ブルブルっと震えて「お尻に注意喚起」してくるのには笑いました。

こういうお節介は日本車の専売特許だと思っていましたが。

次の日、無事シカゴ空港に着いて、つい入ってしまったインチキジャパニーズ。
でもおいしかったです(くやし涙)とくに右側のアボカド巻き最高でした。

シカゴ空港は一つのコンコースがまっすぐ長いので、
待ち時間カートを引きながら三往復くらいテクテク歩いて、
Apple Watchに課されている1日のノルマ歩数を稼ぎました。

なぜかコンコースに陸軍と海軍のバナーがかかっています。

空港の所々に、ヴェテランリスペクトのプラークがあったり、
前にもご紹介したオヘアの紹介や、タスキーギ・エアメンのコーナーなど、
国防に携わる人たちに感謝する目的の展示がアメリカの空港には多々観られます。

帰りのシートは変更不可で、問答無用のプレミアムエコノミー。
でも隣が空いていたので超ラッキーでした。

そしてなかなかおいしかったトレイの食事。
というか、お皿を分けて出てくるだけで味は一緒なんだから、
量だけならこちらで十分って気はしました。

ここの問題はシートがフルフラットにならないことです。
無駄に神経質なわたしは真っ直ぐなところでないと熟睡できないのですが、
今回はそんなこともあろうかと、アメリカで買っておいたメラトニン10mgを
摂取して強制的に自分を眠らせる作戦を取りました。

そして帰ってきて1週間になるというのに、いまだに8時に眠くなり
4時に起きてしまうという健康的な時差ボケ生活を送っています。

 

終わり。

 


アンディ・ウォーホル美術館〜ピッツバーグ滞在

2020-01-19 | アメリカ

ピッツバーグに着いて用事を済ませたあとは、もはやなんの予定もないので
気の向くままに街を楽しみましょうってことになりました。

うちには便利な息子がいて、こういうときネットで情報を探し、
いろんな提案をしてくれるわけです。

「アンディ・ウォーホル美術館なんてどう?」

実は昨年の夏滞在したときにも現地在住の知人にお勧めいただいてましたが、
わたし別にアンディ・ウォーホル好きでもなんでもないんでね。
キャンベルやマリリンモンローのリトグラフなんて、いまさら生で見たって
それが何?ってかんじでスルーしたんですが、今回はなんとなく、
他に行くところも思いつかなかったので、行ってみることにしました。

劇場などがある町の中心部から美術館に行く途中にあるブリッジは
「アンディ・ウォーホルブリッジ」といって、橋桁ごとに
リトグラフのウォーホル自画像がお出迎えしてくれるという趣向。

ちなみに橋が黄色いですが、ここピッツバーグのカラーは黄色。
市内にかかる黄色い橋はいくつもあります。

何故黄色なのかはわかりませんが、ただひとつたしかなことは、黄色は
地元のフットボールチーム「ピッツバーグ・スティーラーズ」のチームカラーで、
ゲームデイには町中が阪神タイガースの試合があるときの
阪神電鉄甲子園駅周辺みたいになることです。

スティーラーというのはもちろん「スチール」から来ているわけで、
かつてピッツバーグが鉄鋼の町だったことが語源です。
強いディフェンスが出たときには「スティールカーテン」と呼んだり、
なかなかチーム名としては使い勝手の良い名詞だと思います。

スティーラーズの熱狂的なファンは、チームカラーの黄色いタオルを
「テリブルタオル」と称して振り回して応援を行います。

また、日本人女性磯百合子さんがかつてアスレチックトレーナーをしていた、
ということでも日本人には馴染みのあるチームです。

スティーラーズ支える女性トレーナー、初の大舞台へ

この建物がアンディ・ウォーホル美術館。
ウォーホルが死んでから2年後に建ったという美術館は、
単一のアーティストのものとしては北米最大といわれています。

ここに美術館があるからにはウォーホルはここの出身だろうと思ってましたが、
生家というのが、夏に家を借りたシェンリーパークの近くの、
まさに借りたのと同じような作りの家であることが判明しました。

右側がそれらしいんですが、普通に今でも誰かが住んでます。
夏にわたしが借りた家みたいに、少し盛り上がったところに建っていて、
地下にランドリーや寝室があったりするこの辺独特の建築です。

さらに、今までわたしは「ウォーホール」と呼んでいたのですが、実は
彼はチェコ系の移民の息子で本名は「ウォーホラ(Warhola)」、
したがって「Warhol」はウォーホルと読むのが正確であると知りました。

アングロサクソン系だと勝手に思い込んでいたのですが、意外です。

小さな時の落書きから始まり、大学(カーネギー工科大学)
卒業後、ニューヨークで仕事を始めた頃の絵など網羅しています。

ちなみに右側は大学卒業後自費出版したイラストブック、
「25 Cats Name Sam and One Blue Pussy」より。

美術館は最初にエレベーターで7階まで上がり、そのあとは
下に歩いていきながら各階を見学していくようになっていました。

ニューヨークでイラストレーターをしていた頃のアンディ。
さすがイラストレーター兼広告マン、おしゃれです。

ティファニーのクリスマスカードのためのデザイン。

1956年には東京に観光に来ています。
上はウォーホルがその頃知り合った写真家の
エドワード・ウァロウィッチ。
彼もピッツバーグの出身でやはり移民の息子です。
二人は意気投合し、彼の写真とのコラボを行いました。

皇居二重橋前の写真では右から2番目がウォーホルですね。

 

有名な「あれ」の偉大なモデル。

左にハインツがありますが、ハインツもここピッツバーグがお膝元です。
ウォーホルによって有名になったのはキャンベルとハインツだけでなく、
金属たわしのブリロがあります。

企業がウォーホルにお金を払ったわけでもないのに、
彼は勝手に?身近にあるこれらをアートにしてしまったというわけです。

この香水「ミス・ディオール」の広告は、巨大な板に描かれた絵で、
香水の瓶のところはくり抜かれて本物が入っていました。

ミスディオール、一度免税店で買ってしまったことがあるけど、
実際に使ってみたら全然好きじゃなくて、トイレの芳香剤がわりにしてました(笑)

初期の映像作品で、右の椅子に座った人の顔を映し続けたもの。

一般公開された映像作品「チェルシーガールズ」。
ニューヨークの有名ホテル「チェルシー」を舞台に、
その各部屋で繰り広げられる人間の喜怒哀楽を、任意の2部屋分だけ
適宜の時間セレクトし、2つのスクリーンを使いランダムに映し続けるというもの。

右側は若い男性と中年男性がベッドでだらだら話をしていますが、
いきなり女性が出てきたり窓がアップになったりして訳がわかりません。

左側も家族が罵り合っているだけで、訳がわかりません。
しかし、これが全米で公開され大ヒットとなったらしいです。

1963年の「ホワイト・バーニング・カーIII」という作品です。

シルクスクリーンで、ウォーホルの「デス・アンド・ディザスター」シリーズの一つ。
警察と自殺した男の報道写真、事故った車を素材にした作品で、
5回以上画像を重ね刷りしているのだとか。

車はひき逃げをして逃走していた車が路上のポールに激突して
大破炎上したもので、運転をしていた24歳の漁師という男は
激突の際投げ出されてclimbing spike(塀や扉の上に侵入禁止のために仕掛ける
鋭利な先端、いわゆる『忍び返し』)に突き刺さり、死亡した、
という詳細な新聞記事も添えられています。

ウォーホルが描いた人物たち。

日本人キミコ・パワーズさん。

「kimiko Powers」の画像検索結果

2013年のキミコさん。
世界有数の有名な美術コレクターで、芸術家のパトロネスだそうです。

後世に残る肖像を手がけてもらえるのはパトロンの特権ですね。

どれだけ大きな作品か比較対象がいてわかりやすいですね。
「ラファエル・マドンナ $6.99」という作品なんですが、
値段のように見えていたのは本当に値段だったのか・・・。

意味は・・・・多分ないと思う。

「シルバークラウド」(SILVER CLOUDS )という作品です。
部屋の中にヘリウム入りのシルバーの風船がふわふわしていて、これは
見学者が触ってもいい展示です。

「もう絵は描かないよ。
一年前にやめて映画を始めたんだ。
同時に二つのことはできたけど、映画の方がエキサイティングだったし、
絵を描くというのは僕にとって単なる段階だからね。

今、僕は『浮遊彫刻』をやっているんだ。
爆発させて浮かぶシルバーの長方形だよ。」

ウォーホルはこんなことを言っていたようです。

いくつかは天井の送風機に固まってくっついていましたが、残りは
こんな感じでぼよんぼよんとその辺を浮遊しています。

「部屋から出て行ったらどうなるんだろうね」

と言っていたら、その端から一つが部屋から出ていきそうになり、
そのとたん係員が飛んできて連れ戻していました。

1日風船が出て行かないか見張っている係にとっては、
夢にまで出てくる光景なんじゃないでしょうか(笑)

「これは・・・」

「どうみてもあれでわ」

なぜウォーホル美術館にキース・ヘリングの象がいるかってことなんですが、
アンディとキース・ヘリング、そしてジャンミシェル・バスキアが仲が良かったと。

「basquiat andy warhol keith haring」の画像検索結果

そういうことなんですな(納得)

ちな1958年生まれのキースはわずか31歳でエイズで死に、
ウォーホル死後、キースより若かったバスキアも、アンディの死の翌年、
わずか27歳でヘロイン中毒で死んじまったという・・・。

なんだかアンディが二人を気に入って連れて行ってしまったみたい。

アンディ・ウォーホルの愛犬だったばっかりに、剥製にされてしまいました。

ウォーホル本人の希望なんでしょうねえ。
いくら往年の姿を留めておきたいと言っても、
「中身」のことに思いを馳せないのはなんといいますか。

日本に行ったときに買ってきたらしいお土産の般若や大黒様能面があったり。
もうこの辺は本人も覚えていないような持ち物の展示です。

よく物を捨てられない人が、

「将来俺の博物館ができたときに飾るためにとってある」

なんてことを言いますが、(例*TOの兄、MK)
ウォーホルも持ち物をいやっというほどためこんでいたようです。

彼の場合は本当にそのつもりだった可能性はありますね。

ウォーホル、香水はエキゾチック系がお好きだった模様。
「オピウム」も一時日本で流行ったことがありましたよね。

カルバン・クラインのサイン入りカルバン・クラインのパンツ。

「バックトゥーザフューチャー」を思い出した(笑)

この部屋はまだまだあるらしい所蔵品倉庫らしいのですが、
その隅っこにライオンの剥製がありました。

気に入ったらなんでも手に入れてため込む性質と見た。

この箱の全ては本人が梱包してしまったものらしいです。
開けるに開けられないのかも。

これはなんだろう、と注目したらたんなるスイッチでした。

宗教関係の作品。
実はああ見えて?ウォーホルは敬虔なキリスト教徒でした。
教会に毎週行くとかそういう方向の敬虔ではなかったような気もしますが。

巨大な「最後の晩餐」は何を思ったか一枚のスクリーンに二枚刷ってあります。

というわけで、7階から1階まで降りてきて全部を見終わった訳ですが、
先入観で面白くないと決めつけてしまってすみません、と思いました。

彼の作品そのものよりもその人生を浮き彫りにするような展示が多く、
実に興味深くて、またいろんなろくでもないことを考えさせられました。

ピッツバーグにくると、こういう売店に必ずある
「ミスターロジャース」のグッズ。
晩年を過ごしたのがピッツバーグだったということのようです。 

「ミスターロジャースのネイバーフッド」という番組は、
わたしたちがアメリカに住んでいた頃放映されていたので
MKと一緒にわたしもずっと観ていました。

亡くなったとき、「アメリカの一番良い人」と言われていたのが忘れられません。

ヘリング、バスキアがゲイだった関係か、
LGBTについて理解を深めるための絵本があったりします。

しかし、「子供のためのゲイとレズビアンの歴史」っていうのも
すごいタイトルだなあと思ったり。
ちなみに表紙の写真一番左はハーヴェイ・ミルクですね。

わたしたちが住んでいた頃はまだ、面と向かって、

「あなたはゲイですか」

と聞くのはマナー違反だということになっていましたが、今はどうなんだろう。
ずいぶんその頃に比べるとオープンになってきたという気はしますが。

ここにきたら訪れたいリストの一つ、「ヌードルヘッド」にいきました。
「ヌードルヘッド」とは「ヌードル好きすぎて辛い」(意訳)という意味です。

わたしはいつものパッタイを頼みました。
ここの素晴らしいところは具に入れるものを鶏、エビ、肉から選べて、
さらに辛さをゼロから3までの段階で指定できることです。

わたしはこのときゼロと言ったはずなのですが、間違えたらしく
赤いものが混入していて結構辛かったです。

アメリカの飲食店はたくさん出てきますが、食べ残しても
紙パックをくれるので、持って帰ることができます。

この日のパッタイも次の日ホテルで加工して食べました。

また別の日、MKがお勧め?のアレゲニー川沿いの一角に行ってみました。
昔この辺を汽車が走っていた頃、生果卸売市場があったところです。
ストリップ・ディストリクトといい、商店街になっています。

これはセント・スタニスラスチャーチというカトリック教会。
聖堂が建築されたのは1891年だそうです。

1月すぎても街にはこのようなキリスト生誕の人形があちこちにあります。

「キリストをクリスマスまでキープしてください」

と看板にありますが、過去いなくなったことがあるんでしょうか。

イタリア系移民がやっているピザレストランに期待して行ってみました。
ここのピザクラストはフワッフワでまるでパンのようです。
ちょっとトマトが酸味がきつかったですが、おいしかった!

続いて近くにあったお茶の専門店を覗いてみました。
信じられないほどの種類のフレーバーコーヒーの豆を売っていて、
紅茶の葉も扱っています。

店内でもお茶が飲めるので、わたしはカフェオレを飲みながら
紅茶の葉を物色し、ディカフェインのバニラティーというのを選びました。

ぶらっと街歩きで良いお店に出会えるのが気ままな旅行の醍醐味です。

 

続く。

 


ピッツバーグの "メリークリスマス"

2020-01-17 | アメリカ

新年早々アメリカに行ってまいりました。
今回の訪問先はペンシルバニア州ピッツバーグです。

お正月明けの 成田発だったので、仕事始めで高速が混むかも、
とお迎えの車にはいつも出発4時間前にきてもらうところ、
余裕を見て5時間前にしました。

ところが、高速はいつもよりガラガラです。

週末は帰国ラッシュだったはずなのに、どうも世間では
まだ仕事を始めていないものらしい。
7日から開始という職場が多かったのかな?

今回は諸般の事情により、往復共にプレミアムエコノミーという
フラットにならないまでもピッチが広いクラスで予約をしたのですが、
行きに機械でチェックインすると、ビジネスクラスに空きがあったので
マイレージを使ってアップグレードしました。

というわけで長い待ち時間もラウンジで過ごせます。
成田のユナイテッドのラウンジは初めてです。

ところで、受け付け機でアップグレードしたので、
手荷物預けをプレミアムクラスのカウンターでしようとしたら、
カウンター入り口前に立っていた日本人の年配女性係員が、

「ああ、エコノミーはこっち」

と馬鹿にしたような口調で阻止するわけですよ。

「ビジネスですけど」

というと、チケットを見て

「あー、じゃこっち。ごめんねえ」

謝ったもののこんな態度だったので、大抵の無礼には何も言わないMKが

「さっきのなにあれ」

と呆れたようにいいました。

プレミアムクラスは機械受け付けなど通さずにカウンターに行くので、
エコノミー客だと思われたのでしょうが、ANAでもJALでも
内心どう思っていようと客にあんな態度を取る地上係員はおらんぞ。

 

手荷物検査の係員の若い女性にもちょっとこれはどうか、な人がいました。

流した籠から荷物をピックアップしていると、前で睨みながら待っていて、
いかにももたもたしてんなよこっちゃ忙しんだ的なオーラを放ってくるので、
(ラインはガラガラ)その態度にカチンとしながら荷物を取り上げると、
次の瞬間籠を奪うように乱暴に抜き取るわけ。

なんだこいつ、とあらためてご尊顔を拝見すると、物凄い顔で
ぎりぎりっと睨み返してきて、こえ〜〜〜となった次第です。

お正月死ぬほど働かされてキレていたのかもしれんね。

ユナイテッドの国際線ビジネスに乗るのは初めてです。
ユナイテッドではプレミアムシートを「ポラリス」と称していて、
シカゴ空港にあるラウンジと同じ名前です。

小物を収納できる棚の中には水のボトルが用意されていました。
ANAと違ってコンセントがわかりやすいところにあって使いやすそう。

ビジネスクラスでもらえるポーチに何が入っているかは
航空会社によって違いますし、ポーチのデザインも毎回代わります。

今回のユナイテッドはスターウォーズとタイアップ。
ポーチの中の靴下はスターウォーズ的デザインでした。

紙ナプキンにすらスターウォーズが。

食事はなかなかおいしかったです。
わたしの座ったのは直前で取った席なので、ビジネスクラスの
一番後方の席(プレミアムエコノミーの前)だったせいか、
注文を聞きにきたときには肉、鶏、魚の肉は品切れでした。
(隣の人がステーキを頼んで断られていた)

飛行機の中でアイスクリームは食べない、と決めていたのですが、
紙カップではなくボウル入りのアイスにトッピングを選べるワゴンが回ってきたので、
誘惑に負けていちごソースがけを頼んでしまいました。

ちなみにMKはエコノミーでしたが、3人がけの真ん中で、
ほとんど後ろに倒れない小さな座席だったそうで、

「真ん中だからフライトの間一回トイレに行っただけ。腰が痛い」

と後で泣き言を言っていました。

さて、ピッツバーグに到着したのは夜9時だったので、
その日は空港近くのホテルに一泊し、次の日からは
市内のレジデンスイン・バイ・マリオットに移動しました。

気温は昼間でも1度くらいなので、テラスに人影はなし。
滞在中何度かタバコを吸いに出ている人の姿を見ました。

こちらはテラスは同じですが、全く別のビルで、実は養老院です。
何日かは時差ぼけもあって朝4時くらいに起きていたのですが、
毎日必ずその時間に灯をつけてテレビを見ている部屋がありました。

お年寄りなんで早く起きてもすることがなくテレビを見てるんでしょうか。
こちらからは画面しか見えませんでしたが、いつ見ても画面が白黒で、
もしかしたら古い映画を放映するチャンネルをつけっぱにしているのかと思ったり。

というわたしも、PCをしながらテレビをつけてみました。
朝4時にやっている番組ってどんなだろう。

フォックスチャンネルで、お料理教室みたいなのをやっています。
なんとこれ、「ザ・ドクターズ」というトークショーの一場面でした。
もう放映されて12年になろうとするロングランで、医療専門家を招き
専門的な話からプライベートから、語っていただきましょうという番組。

このコーナーでは、ゲストのドクターの得意料理?あるいは
健康のため取っているものを作ってもらいましょうというもの。

左側の若い男性、トラビス・ストークは番組のホストで自身も救急救命医です。
こんな番組で司会をしているくらいだからたいした医者じゃないんだろうと思いきや
デューク大を優秀な成績で卒業し、バージニア大でメディカルの学位を取得、
普通に医者としても優秀で、身長193センチのイケメンという、
医療ドラマに出てきそうな医者、かつトークもうまく賞ももらっているとか。

一番右側の男性が「今日のゲスト」ドクターのようですね。

トークショーのメインである「ドクターの処方箋」コーナー。
ここでゲストの医療に関する取り組みなどを伺います。

真ん中のアシスタントは代替わりしていますが、かつては
ここにも女性医師を据えていた時代があったんだそうです。

「健康のためにはヘルシーなスナックを少しだけ食べること」

なんて言葉になぜか瞳を輝かせていますが、それよりもわたしが気になったのは、
スタジオでかぶりつき、熱心に見学している一団が、全員女性、
しかもこのような気合の入りまくった若い女性ばかりだったこと。

うーん・・・これはストーク博士のおっかけなのか?

それも終わると、今度はテレビ法廷番組、
「アメリカズ・コート・ウィズ・ジャッジ・ロス」

アメリカのテレビ番組は、こういった「絵になる」判事が
番組上で一般人の訴訟を扱うリアルな法廷ショーがたくさんありますが、
これもその一つ。

彼、ロス判事は引退した元判事で、番組そのものは正式な法廷ではありませんが、
当事者の了解のもとで下された判決は実際に法的拘束力を持っています。

しかし驚くのは、医者といい判事といい、こんな人材が
次から次へと現れてくるアメリカの人間の層の厚さです。

今日の原告はこの人。なんかすごい怒っているっぽい。

訴えられているのはなんと尼さん二人だ。
ちゃんと見なかったので詳しい事はわかりませんが、
女性がチャリティーで何かをしたことに対して
この二人の尼僧が取った行動に問題があったとかなんとか。

まあ、他人にとってはどうでもいい話ですが、そういう
少額訴訟を扱うのもこの手の番組の特色です。
額の問題ではなく、人間関係のドロドロ、変わった訴訟が好まれるようです。

このケースのポイントは、「尼さんが訴えられた」だと思うんだな。

ペンシルバニア州はわりと銃規制が緩く、長銃についても
拳銃についても州による規制はありません。

この日は、だれかが銃撃したのでそれが原因で
車が横転事故をおこし、3人が病院に搬送されたようです。

 

そういえば余談ですが、MKの在学している大学で起こった事件。
中国からの留学生が(とんでもない金持ちだったらしい)
何を思ったかピストルを購入しようとガンショップに行ったそうです。

お店の人は外国人なのにもかかわらず売ってしまいました。
銃の販売先は当然書類でお上に報告がされることになります。

すぐに学校にCIAが現われて(全員サングラスに黒スーツだったらしい)
大騒ぎになり、留学生は即刻退学処分になり、
当然のことながら強制帰国させられたということでした。

彼は今後アメリカに入国することすらできなくなったわけです。

さて、アメリカでも連日ゴーンのことが報じられています。
ちょうどこのときは日本から逃走後、初めて公の場に
姿を現したときでした。

「Great Escape」というのはスティーブマックイーンの
「大脱走」とかけているだけで、深い意味はありません。
(もしかしたら相手が日本なので『進撃の巨人』かも?)

どうもアメリカ人はこの件を野次馬的に面白がっている模様。

これはその時の会見の様子でしょうか。
偏見抜きにしても人相が悪いですよねこの人。

「Lavish」というのは「贅沢な」という意味で、ゴーン前会長が
日産のお金で贅沢な生活を(”シャチョー号”とかね)恣にしていた、
ということを説明しています。

やっぱり世界中のどこも、あのベルサイユ宮殿の結婚式
(しかも糟糠の妻を捨てて再婚)には冷淡というか冷笑的だなと(笑)

 

実はゴーン氏の子供のうち一人はMKと同じ学校を卒業しているので、
うちにはカルロスゴーンの写真が載った卒業アルバムがあります。
(この卒アルは毎年幼稚園から高校生まで掲載され、卒業生が一人1ページ、
プライベートな写真を貼って家族や友人への感謝を表すということになっている)

その頃はゴーンさんは多くの日本人から愛されていたと思いますが、
同じ頃にサッカー日本チームの監督だったトルシエ氏と、
日本で活躍するフランス人同士ということで
会談が持ちかけられると、
あからさまにトルシエを馬鹿にして断った
と言う話を聞いて、
やっぱりそんな人だったんだと妙に納得した覚えがあります。

日本語も絶対に覚えようとしなかったと言うし、おそらく
日本人を基本的に蔑んでいたんでしょうね。
これは彼自身がフランスで移民として「蔑まれる」側にいたことと
無関係ではないと思います。

ゴーン氏は、わたしが骨折するまで通っていた乗馬クラブに
ときどききていたそうですし、MKの学校では一度、
講演会も行っているのですが、ついに実物は見ないままでした。

ここにきたら食べたいものリストの一つ、
ユダヤ人街にある人気のベーグルショップの
ハラペーニョ入りチーズクリームのセサミベーグルを買いにいきました。

ハラペーニョが入っているのに、激辛などではなく、
独特の香ばしい香りがしてこれが滅法美味しいのです。

夏場散歩をしたシェンリー公園の同じ場所で車を止めて
朝ごはんがわりにベーグルをいただきました。

夏には全く見えなかった「サーペンタイン・ロード」(蛇通り)が
冬になって樹々が裸になり一望できるようになっています。

夏に訪れた有名なフィップス植物園。

ここのショップで買った石鹸がものすごく好みの匂いだったので
もう一度と思ったのですが、もうすでに扱っていませんでした。

そのかわり、前回家族全員に好評だったルバーブといちごのジャムを見つけ、
日本にお土産に買って帰ることにしました。

あとTOから頼まれたのはシリカ(鉱物)のロールオンデオドラント。
持ち歩きには重いけど、結構効き目があるそうです。

アメリカでは1月過ぎにはまだクリスマスツリーが飾ってあります。

冒頭の家全体をラッピングしたようなデコレーションも
ホリデーシーズンの演出なのですが、(どうやってあるのか何度見てもわからなかった)
いつ片付けるという日は決まっておらず、だいたい2週間くらいが目安ではないか、
とわたしは思っています。

最近、アメリカではポリコレやなんやかんやで、メリークリスマスは祝えず、
ハッピーホリデーとしかいえない、などという噂も日本ではあるようですが、
街角ごとにキリスト教の教会がある古い街では、普通に「メリークリスマス」です。

多民族国家になってもアメリカは基本キリスト教国ですからね。

 

続く。

 


ベイエリア トレイル三昧〜サンフランシスコ

2019-12-22 | アメリカ

今年の夏は当初東海岸から西海岸に移動し、そのまま日本に帰るという
動線的に美しい予定を立てていたのですが、急遽ニューヨークで
所用ができてしまったため、サンフランシスコ滞在の日を少なくしてまた再び
東海岸に飛ぶというアクロバティックな旅程になりました。

大好きなベイエリアの滞在期間が短くなったのは残念ですが、その分
勝手知ったる第二の故郷を存分に楽しむことを決意。

そこで、今まで訪れていながら知らなかった場所を歩いてみようと、
地図上で「Trail」と示された場所に片っ端から行ってみることにしました。
わたしが家を借りていたバーリンゲームから車で行ける距離だけでも、
アメリカにはとんでもない数の「トレイル」が存在します。

まずここは住宅街の中の公園で、近所の人が犬の散歩に来るような、
トレイル評論家のわたしに言わせると星ひとつランク。

写真の老夫婦は歩いている間ずっと手を繋いでいました。

ここはメインが球技などのグラウンドで、なんとローラースケーター用の
本格的なリンクがあるのですが、施錠されていないので、セキュリティのため
監視カメラが常時作動しているようです。

「SMILE YOU'RE ON CAMERA」

さすがベイエリア、なかなかキレッキレの警告です。

また別の日、サンフランシスコベイを臨む海辺のトレイルに行ってみました。
湾に沿った部分はほとんど全域にトレイルがあり、
とても10日では制覇することは不可能です。

水辺のカモメが今何か食べられそうな貝をゲットしました。

アメリカの鳩は日本より目つきが可愛らしく色が茶色よりです。

釣り専用の桟橋がわざわざ設置してあるあたりがベイエリア。

散歩道と公園、そしてマリーナがいたるところに。
地図で検索して出てこないようなところにもハーバーが点在しています。

ゴルフもそうですが、アメリカではヨットを持つこともその気になれば
日本より簡単に、しかもお手頃価格で可能。

ヨット以外のウォーターアクティビティの敷居が近いのも
アメリカという国の羨ましいところ。

ちょっとこの地に観光できただけの人が、その日の思いつきで
カヌーに乗ってベイに漕ぎ出すこともできるのです。

トレイルを歩くときにはいつも、30分歩いてUターンし戻ってくる
「1時間コース」、3キロ歩いて戻ってくる「6キロコース」、
気力があって天候状態がよければ「2時間コース」を
その日のスケジュールや体調と相談しながら決めます。

この日のベイエリアは日差しが強く、1時間コースがやっとでした。

帰ってくると、最初のポイントである岩を積み重ねた突堤で
旅行者らしい二人が仲良くサンマテオ橋をバックに自撮りをしていました。

さて、また別の日には、少し足を伸ばしてグーグル本社の近くの
マウンテンビューのショアラインパークに歩きに行きました。
いつもは夏休みで子供達のキャンプが行われているショアライン湖ですが、

♪今は 暦の上ではもう秋 誰も いない海〜

ということで湖面は観光客の足こぎボートが見えるだけです。

ここに来れば、比較的人馴れしたカリフォルニアジリスに会えます。

今年はスタンフォードのディッシュには寄れませんでしたから、
ジリスを見た唯一の機会です。

ここで何度も紹介していますが、カリフォルニアジリスは
地面に穴を掘って住み、天敵である蛇と戦って生きています。

いつものように足元のリスにカメラを向けながらふと気がつくと、
この反対側のかなり広い部分に柵が張られ、何か建てるのか
地面が掘り返されているではありませんか。

確かそこにもたくさんリスが生息していたはずですが、
地面の彼らの巣は一体どうなってしまったのか・・・・。

そしてそこに住んでいたリスたちの運命は・・・?

リス地帯を通り過ぎ、ショアライン湖の横を抜けると、そこからは
スラウという湿地帯が広がっています。
カリフォルニアではここを「バーズサンクチュアリ」、保護地区に制定しています。

ここの主のような存在であるペリカン。
ここには昔からペリカンの一大コロニーがあります。

ペリカンは水上で数匹単位で行動することが多いようです。

みんなで魚を追い込むとか、そういう高度なことはしないのに、
なぜ一緒にいるのか。

例えばこのうち一羽が獲物を見つけたらしい動きをしますと・・・、

全員が同時に首をつっこむのです。
つまり、お互いが「相手が見つけた魚を横取りしちゃる」
という下心の元に行動を共にしているということなんですね。

そう思ってみると、仲良く一緒に泳いでいる彼ら、実はお互い
相手の一挙一動に神経を集中しているらしい様子が窺えます。

単独で空を飛び、獲物を見つけると急降下して水にダイブする
アジサシ。
水に飛び込んでいくところです。

入水角ほぼ90度。
実際に見ると目にもとまらない速さで弾丸のようです。

首が着水した瞬間。
生きていくために1日に何回もこんなダイブを繰り返します。

何年か前はカリフォルニアの深刻な水不足のせいで、この一帯に
水が全くと言っていいほどなくなってしまい、ペリカンのような
体の大きい鳥は姿を消してしまったことがあり、心配したものですが、
今年行ってみると水量はほぼ従前通りになっていて安心しました。

この日は友人と会うことになっていたので、湖を望むカフェを指定したのですが、
レイバーデイとやらでものすごい人だったので彼女が車を停められず、
仕方なくスタンフォードのベーカリーカフェに移動しました。

ここもブランチを楽しみに来る人で混雑していていずいぶん待たされましたが・・。

やっとありついた遅い朝ごはんは、スペイン風オムレツです。

サンフランシスコ市内にも何度か足を向けました。
これは、うっかり間違えて一番渋滞するルートに入ってしまった時。
左も右も恒常的に大渋滞するポイントです。

この日、市内で信号待ちをしていて道路脇にホームレスの群れ発見。
サンフランシスコのダウンタウンは、うっかり道を間違えると
昼間でも道端に転がるホームレスを見ながら昔の駅のトイレみたいな
臭いの中を身構えながら歩いていかなければなりません。

しかし街の外れに生息する皆様はずいぶんお道具持ちでいらっしゃる。

どこかのお店のカートは基本ですが自転車にトランク、テントまで!

何より彼らのきている服の綺麗なこと。
ダウンタウンのホームレスより明らかに『いい暮らし』をしているらしく、
首輪をつけた犬まで飼っているという・・・・。

今いるニューヨークの郊外の街も、散歩に行くために高速を降りると、
そこでいつも爽やかに手を降っているホームレスがいるのですが、
明らかに身なりはさっぱりしていて、時々ホームレスではない人が
横に立って世間話をしているので不思議でたまりません。

最近アメリカではホームレスが増えたのは体感的に事実ですが、
皆が皆悲惨な生活をしているわけではないらしいんですよね。

ダウンタウンまで来たときにいつも通る高速の入り口の倉庫に
「One Way」ならぬ「One Tree」があるのはここでもお話ししたことがありますが、
今回初めて渋滞をいいことに通り過ぎてから写真を撮りました。

昔は矢印の先に木が位置していたのに、明らかに違う方向に育っています。

バーリンゲームで見た交通違反らしい車とそれを停めたパトカー。
車に近づいて声をかけるとき、警官は色々と身構えている様子がわかります。
おそらく右手は銃のホルダーにかかっているものと思われ。

日本と違って、停めた車の運転手がヤバいやつ、あるいは見つかったらヤバいものを
持っているとか言う場合、問答無用で警官を撃ってくることがあり、
それで何人もの警官がこれまで命を落としているわけですから。

昔サンフランシスコ在住だったときに住んでいた家の近くです。
霧の多いときには夏でもこんな空になり、気温は低くなります。
とてもノースリーブやTシャツ一枚で歩ける地域ではありません。

滞在中一度だけゴールデンゲートブリッジを眺める自然公園、
クリッシーフィールドに歩きに行きました。

この日のブリッジはご覧のように上が全く見えない状態です。

スワンの浮き輪は役に立ったのでしょうか。

クリッシーフィールドはゴールデンゲート下を流れる海に面していますが、
そこと一部で繋がった「マーシュMarsh」、沼地の部分には、
サギ(右)とかシギ(左)などの淡水で生息する水鳥がいます。

こちらは海鳥。
すげー変な顔なのでちょっと調べてみたら、

Surf scoter (アラナミキンクロ)

という渡り鳥であることがわかりました。

オスは全身が濃い黒で、額の大きな角斑と後頭部の大きな白色の三角が特徴的
嘴に黄色、橙色、黒色、白色の4色の模様がある(wiki)

いつ見ても観光客でいっぱいです。
(観光客は大概買ったばかりのトレーナーを着ていたり、無謀にも
Tシャツのままで来てそのまま過ごす豪快さんなのですぐわかる)

水上機が飛来しました。

機体番号が判明したので調べてみると、ミルバレーにある

「Seaplane Adventures」

と言う飛行機ツァーの会社の飛行機であることが判明しました。
HPによると、30分間ゴールデンゲートブリッジ近辺を遊覧するツァーは
大人一人189ドルだということです。

ここでのウォーキングは、GGブリッジの下まで行って
元来た道を帰ってくること、と決めています。

ご存知のようにこのGGブリッジ下にはかつて守りの要所だった
フォートポイントがあり、このようなかつての兵士のコスチュームで
イベントを行ったりしております。

GGブリッジの下のフォート内部は博物館になっていますが、わたしはここに
何年か前から「中国万歳」な展示が増えたとご報告したことがあります。

サンフランシスコ市内の「慰安婦像」設立に向けた動きなどもそうですが、
最近は市内のどこかに「抗日博物館」的なものもできたとか。
なぜかGGブリッジのフォートで中国の獅子舞をやっている写真がありますが、
相当チャイナマネーが入り込んでるなあと感じます。

いつも私は歩きから帰ってきてから朝食(というか昼?)を食べるのですが、
この日は散歩の途中にカフェで食事をすることにしました。

カモメの向こうの小屋が「ウォーミングハット」(温め小屋)というカフェです。

パンの種類も選べるターキーサンドイッチはアメリカンサイズ。
半分食べてお腹がいっぱいになったので、持って歩いていたら、
途中で砂の上に落としてしまいました(´・ω・`)

残りを食べるのを楽しみにしていたのに・・・。

カフェの売店にあった「ChocStars」シリーズ。
本人から文句の出なさそうなキャラばっかりですが、配慮してか
左から

「メキシコ」「朝食」「女王」「ラップ」「ポップ」

ここにある他にも

「スープ」(キャンベルね)「GG」(レディ)「ベガス」
「レゲエ」

などがあり、実在の人物ではない

「アンクルサム」

だけが実名?となっています。

というわけで今年も無事にアルカトラズ島を見届けてきました。

そして、帰りにちょっと寄り道をして、昔住んでいたときに
息子を通わせていた幼稚園の前を通ってみました。

看板は新しくなり、外壁も金網の外に木材を貼って目隠ししています。

しかし、この階段などあの頃と全く変わっていません。

この階段を一緒に上がって送り迎えをした息子の姿は
まだあの頃のままはっきりと脳裏に浮かぶのに、その同じ息子が
大学生となっているわけですから、時の経つのは早いものです。

 

 

 


日系人執事タガ・テイキチ〜ファイロリガーデン・サンフランシスコ

2019-10-06 | アメリカ

今回は当初の予定を途中で大幅に変更したため、6月に日本を出発して
帰国が10月という異例の長さになりました。

ビザで海外滞在できるギリギリまで海外にいたことになります。

今いるのは最終地のニューヨークで、来週には帰国しますが、こちらは
先週まで日中は暑かったのに、雨が振ってからは急に気温が下がり、
日本のクリスマスくらいの寒さになって、風邪をひいてしまいました。

幸いこちらの薬はドラッグストアで買えるものでも大変強力なので、
二日でなんとか直し、観艦式に臨む予定です。


というわけで今となっては遥か昔のことのような気がしますが、
サンフランシスコでの出来事をご報告します。

今回はアメリカでの宿泊先を全てAirbnbで調達しました。
特にサンフランシスコは最近ホテル代がとんでもなく値上がりし、
キッチン付きというだけでオンボロホテルでも一泊200ドル近く取るので、
比較的短い滞在期間でも泊まれる部屋を探したら、これが大当たり。

サンフランシスコ空港に近い閑静な住宅街の一軒家の
独立した一室が借りられることになったのです。

冒頭写真は今回借りた家の全景ですが、借りた部屋には、右側のドアから入り、
中庭に面したところにある専用のドアから入室します。

オーナーの家とはテラスを通じて隣り合っているので、顔を合わせるのが嫌、
という人には向きませんが、向こうも気を遣って全く干渉してきません。

Airbnbのプロフィールによるとオーナーは若い女性でしたが、到着した時に迎えてくれ、
その後のケアをしてくれたのは彼女のお母さんでした。

彼女は英語にヒスパニック系の移民らしい訛りがある美人で、そういう人が
ベイエリアでも屈指の高級住宅街のプール付きの家の主になっていることは
わたしにいろんな人生のストーリーを想像させました。

今まで、このような地域を通過するたび、立ち並ぶ家の中はどんなのだろう、
と想像していただけだったので、今回その一つに泊まれたのは
わたしのアメリカ体験でも特記すべき出来事の一つになりました。

サンフランシスコといっても空港近くのバーリンゲームという街は、
市内のように霧で寒いということもなく、普通にカリフォルニアです。

しかし気候的には今年はいつもより暑く、アリがキッチンに出没するので
ごめんなさいね、とオーナーは最初に済まなそうに言いました。

予想外の単語を出された時に、英語の苦手な人は聞き取れないのが常で、
わたしはこの時彼女の「ants」(しかも発音が’エアンツ’でなく”アンツ”)
が理解できず、なんども聞き返してしまいました(´・ω・`)

アメリカの豪邸に欠かせないのがプール。
アメリカ人の豊かさの象徴みたいなもので、広い敷地があればアメリカ人は
庭園ではなく、プールを作るのがデフォです。

このお宅はプールサイドのパティオに大画面の薄型テレビまで設置してあります。
水面は使っていない時には全面的にカバーしていますが、この日は週末で
息子さんがパーティをするからということでお母さんが掃除をしていました。

「今日パーティをするのでもしうるさかったらごめんなさい」

彼女はそういっていましたが、パーティといってもその日のは
プールサイドでバーベキューをしてビールを飲むという定番のもので、
はしゃいで泳いだりしている人はいなかったようです。

アメリカ人にとっての自宅のプールは、あくまでも「舞台装置」で
真面目に泳ぐものではないのかもしれません。

着いた次の日、アメリカ在住の友人と連絡が取れたので部屋に来てもらい、
どこかに行くことになったので彼女が知らなかったという
「FAILOLIガーデン」に連れて行きました。

前にもここで紹介したファイロリは、金鉱の持ち主である大金持ちが
ちょうど第一次世界大戦の頃建設した庭園付きの豪邸です。
その後売却され、今では国の史跡に制定されているということです。

今回は裏から入っていったので、キッチンから見学することになりました。

前回来た時と明らかに展示が変わっています。
サーバント、使用人の個室が公開されていました。

わたしたちが邸に入った時、ピアノの生演奏が聴こえていたのですが、
ピアニストはわたしたちが部屋に入った途端、演奏をさっさとやめて
部屋を出て行ってしまいました。

初老の白人女性で、最後に弾いていたのはキャッツの「メモリー」。
腕前からいってプロではなく、ボランティアではないかと思われました。

これも前回はなかった展示です。
籐でできた車椅子とナースの制服。
車椅子の座席には持ち主の愛読書がさりげなく置かれています。

当邸でナースをしていた人が紹介されていました。
1921年ごろ、脳卒中で歩行ができなくなった当主ウィリアム・ボーンは
フルタイムで勤務する看護師を二人雇いましたが、そのうち一人が
マリ・ダンレヴィというミズーリ出身の女性で、彼女は結局15年間ずっと
ボーン氏の看護をしていたことになります。

ボーン氏は大変プライドの高い人物で、ベッドや車椅子にいるところを親しい友人、
家族、そして看護師以外には見られるのを嫌がったので、フォーマルな席では
彼の腕の届く距離でスタッフがいつもスタンバイしていなくてはならなかったそうです。

ボーン氏が庭を見たいとなると、スタッフは彼を車椅子ごと庭に降ろし、
金属の鳥かごのようなものにネットを張ったものを彼の周りに置いて虫除けにしたそうです。

 

ボーンし、無理やり手を伸ばして犬の頭を触っているの図。

どうしてたくさんいたナースのうち彼女だけが紹介されているかというと、
ボーン氏の最後を看取った看護師の一人で、特に気に入られていたからでしょう。

彼女には、ボーン氏の遺言によって終生(彼女が死ぬまで)
年間600ドル(現在の9千ドルなので、100万円くらい?)
が支払われていたということです。

わたしはこの日本人バトラー、タガ・テイキチさんの説明には
日本人として無関心ではいられませんでした。

「テイキチ・タガは使用人というだけでなく、夫であり、父親であり、
日本人捕虜のサバイバー(生還者)となりました。
1906年、タガは日本からサンフランシスコに移民としてやってきて、
洗濯屋の仕事を始めます。」

「二つの祖国」の主人公の父(NHKでは三船敏郎が演じていた)もそうですが、
日本人移民の多くは手先の器用さとこまめさを活かせるクリーニングで生計を立てました。
そして丁寧で誠実な仕事ぶりがアメリカ人にも信頼されていたのです。

ちなみに現在のアメリカでコリアンのクリーニング屋が多いのは、このころの
日系人の評判をちゃっかり利用してきたということのようです。

 

「1912年、タガはマットソンーロス家に雇われ、彼らのために働きました」

「第二次世界大戦の間、米国政府は11万人もの日本人を
故郷から追放し、連行して
強制収容所に収容しました。
二世、三世もその対象となったので、アメリカで生まれた彼の娘も対象となりました。

投獄されたときタガは62歳であり、マトソン・ローズ家のために20年間働いていました」

収容所から解放された後、タガ夫妻はロス家所有のサンフランシスコのアパートで
管理人の仕事をして暮らし、引退後にはゴールデンゲートパーク近くの家で
夫婦ともに余生を静かに過ごしたそうです」

収容所に送られる彼に対して何もできなかった雇い主でしたが、解放された後、
70近い老人にアパートの管理人という仕事を与え迎え入れたのです。

多くの日本人が同じ目にあったのですが、タガさんはその中でも
心のある主人に仕えられたわけで、非常に幸運だったと言えましょう。

 
 

東洋趣味の置物なども前回はなかった気がします。

友人は、

「お金があるのはわかったけど、なんだか成金って感じ」

とセンスを全く評価していない風でしたが、特にこの絵を見て、

「えらく美男美女に描かれてるけど・・あー、サージェントか」

わたしは前回サインをちゃんと見なかったので気づかなかったのですが、
なんとお金持ちだけあって、当時上流社会の人々の肖像画を描かせたら
当代一の人気画家だったサー・シンガー・サージェント
増し増しで描かせた肖像画であったことがわかりました。

「サージェント好きだけど・・・誰を描いても”サージェント風”だよね」

「その人をモデルにサージジェント風味に描きましたみたいな」

ちなみに彼女は絵本作家で、彼女の作品は日本でも輸入盤が売られており、
ついでながら夫は有名なゲームのビジュアルデザイナーです。

そんな彼女のいうことは、特に絵画関係に関してはわたしはいつも
「ははー」と意見を拝聴するのが常ですが、今回も彼女が、かねてからわたしが
散々心の中で貶しまくっていたこの部屋の暖炉の上の絵を
ちらっと見るなり、

「酷いね」

と言い放ったので安心しました。

「なんでこんなの飾ってるんだろう」

「孫がプレゼントで描いたとかじゃないの」

もう言いたい放題です。

 足元の犬も初めてお目見えします。
というか床全体がリニューアルされてないか?

スタインウェイのフルコンピアノが小さく見える大理石のステージ。
なんと今回、当家にはあのバデレフスキーが訪れていたことがわかりました。

IgnacyJanPaderewski.jpg

特に髪型が女性のハートを鷲掴みにし、当時アイドル並みの人気があった
イグナツィ・パデレフスキー(1860−1941)

「パレデフスキーのメヌエット」という曲をご存知の方もおられるでしょうか。

ピアニストで有名になりながら政治活動に身を投じ、
第一次世界大戦終了後の1919年にはポーランドの初代首相になりました。

おそらくパデレフスキーもここで演奏をしたと思われます。
後、有名どころでは、あのアメリア・イヤハートも当家の客となっています。

時間が少しだけあったので、庭も見てみることにしました。

木の枝が傘のように全周囲に伸びて地面に垂れている木。
内側には写真の真っ黒黒助の色違いみたいなのが吊り下げられていました。

鳥が巣を作るために用意されたものでしょうか。

庭園の様式はイギリス風を取り入れた「アングロアメリカン」風だそうです。

「でもあまり洗練されてるって感じじゃないよね」

あくまでも辛辣なわたしたち。

その後庭を歩いていたら物陰に動くものが・・・。
ワイルドターキーです。

「庭園に孔雀じゃなくてワイルドターキーがいるあたりがアメリカだねえ」

その時反対側にやはり動くものを認め振り向くと、そこには鹿が。

猛烈にお食事中。
鹿って、今回思ったんですが、写真に撮ると可愛くないのね。

先ほどのワイルドターキーが飛び上がって柵の向こうに消えました。

のぞいてみてびっくり、そこにはワイルドターキーの大群が・・・。

ちなみに彼らの歩いている所の向こうからが敷地外になります。
カリフォルニアの気候では何も手入れをしなければ土地はこうなってしまいます、
という見本が見られるというわけです。

「こんな所にこんな庭園を作ること自体場違いだったのでは・・・・」

放っておいたらこうなるわけですから、この庭園を維持し続けるのが
いかに大変かがわかるというものです。

ところで、このワイルドターキーですが、ググると「七面鳥」となります。

Gall-dindi.jpg

七面鳥ってこれだろ?と思うでしょ?

今回ショックだったのは、これは七面鳥のオスが「ディスプレー」
しているところで、常態はここで見た皆さんと同じだと知ったことです。

今の今までワイルドターキーと七面鳥は別の種類だと思っていたぜ。

それともこれは全部メスだってこと?
扇子みたいに尾っぽを開いているのを見たことないんですけど・・・。

その日は友人と、海沿いのレストランで食事をしました。
彼女の提案で、何品か頼んで全てをシェアします、とオーダーすると、
スープは最初から二皿に分けて持ってきてくれました。

真ん中にあるのはカマンベールチーズのフライ、こちらがグリンピースのサラダ。
向こうは「テリヤキライス」なる謎の料理ですが、どれも美味しかったです。

 友人を連れてAirbnbの部屋に戻ると、オーナーの猫がお出迎え。
猫好きには最高のAirbnb体験でした。

 

 

 


シナゴーグ襲撃事件の起こった街で考えたこと〜ピッツバーグ

2019-09-21 | アメリカ

ピッツバーグを走っていて、シナゴーグ(ユダヤ教会)の前を通り過ぎた時、
MKが、

「今の教会で銃撃事件あったんだよね」

と言い出したのでかなり驚きました。

「いつ?」

「去年の10月」

あまりにも頻繁に起こるので、またかと思ってニュースを
聞き流していたのですが、その銃撃事件はなんと、今回借りた
Airbnbのあるユダヤ人コミニュティのなかで起こっていたのです。

シナゴーグ銃乱射事件

 

家から息子がインターンシップをしている大学までの道沿いには、
いくつもシナゴーグがあって、土曜日になると、
朝から猛烈に暑い日でも
黒いスーツに白いシャツをネクタイなしで着て
頭に丸い帽子を乗っけた男性、
正装した女性、その子供たちが
家族で教会に向かう姿が見られました。

スクウェレル・ヒルの繁華街にあるスターバックスの窓には、ユダヤ人の象徴、
ダビデの星が大きくペイントされ、流石の異教徒であるわたしたちも
到着して二日目には、ここがユダヤ人街であったことに気がついた次第です。

「やっぱり同民族で集まって住むと何かと便利なのかな」

「人が先に住み着いたのか、教会があるから住み着くのか・・・」

そこでふと、わたしはふとこんなことを考えました。

「やっぱりあれかな。
ドイツ系の人なんか、こういうところには近づかなかったりするのかな」

アメリカ社会は、明文化されてはいませんが、どの地域も
かなりセグリゲート化していて、民族ごとのコロニーができているのが普通です。

サンフランシスコだと、サンセットには中国系、サードストリートには黒人、
ミッションにはゲイ(これは民族じゃないか)といったように。

しかし、今までわたしはユダヤ人街というのはニューヨークにしかないと思っていたので、
ピッツバーグでたまたま選んだ場所がそうであったことに驚きました。

この街に到着した直後から、わたしは家々の窓に掲げられている

「NO PLACE FOR HATE」

という文字が書かれたボードの存在に気が付いていました。

事件を知る前は、これもまたユダヤ教の教義に類するメッセージと思っていたわけですが、
実はこれ、デモに使われたプラカードで、昨年の銃撃事件を受けて行われた大々的なデモで、
参加者が持って歩いたものだったことがわかりました。

 

猫の後ろに写り込んでいるのがそのプラカードです。

ちなみにこの家は子供二人のいる若い夫婦が住んでいて、
父親は仕事を終えて家に帰ってくると、毎日裏庭で子供の遊具を
手作りするため大工仕事を熱心にするような良きパパでした。


このシナゴーグでの銃撃事件では11名もの人命が失われ、
戦後最大のユダヤ人憎悪事件となったわけですが、連鎖するように
つい最近の4月26日にも、
シナゴーグでユダヤ人を狙った銃撃事件が起きています。


そして、たまたまこの身近で起こっていた事件について調べていたところ、
わたしは例によって、アメリカのメディア、それを受けた日本のメディアが、

これらのユダヤ人に対する憎悪犯罪が起こったことを、なぜか
トランプ政権のせいにしている、ということに気がついたのです。


日本では朝日新聞を筆頭としたメディアがスクラムを組んで森友加計問題で大騒ぎし、
むしろ国会議員を焚きつけるようにして倒閣運動をしていましたが、

アメリカのメディアも、トランプを弾劾するためにロシアンゲート事件を焚きつけ、
結局「なんの証拠も出てこなかった」というところまで同じということがありました。


アメリカ在住の友人によると、こちらも今やトランプを表立って支持すると
袋叩きにあいかねない雰囲気がメディアによって醸成されているのだそうで、
そのメディアはとにかくファクトなど御構い無しに、

「トランプ批判に繋げられれば嘘でもなんでもいい」

とばかりになりふり構わない印象操作とレッテル貼りの報道を行います。

この事件についても、事実報道に続いて行われたのがこの手の印象操作でした。
例えばある西海岸の地方紙がこの事件についてこんな記事を書いています。

事件が起きた時、真っ先に思い浮かんだのが、
移民らを非難し憎悪を煽るようなトランプ氏の発言だ。

デモに参加したユダヤ人にインタビューして書かれた記事の冒頭です。
一人の白人が「ユダヤ人は死ね」と言いながら銃を乱射したという事件なのに、
いきなり移民排除発言のトランプを思い浮かべてしまうんですね。
日本の「アベガー」な人たちを彷彿とさせます。

どれだけトランプ好きなんだよっていう(笑)


祖父母が欧州で経験したホロコースト (ユダヤ人大量虐殺)
と同じことが、今、米国で起こりつつあると感じる。

うわ、出たよ。

日本でも先日、日韓友好を呼びかける集会で、在日三世の女性が、

「日本産まれ日本育ちで韓国語は喋れません。
なので韓国に帰れと言われても帰れません。(中略)
在日は資産を凍結されて収容所に送られる事も想像してるし、
ナチスみたいにガス室に送る事もきっとこの国はやると思ってます」

とスピーチしたということがありましたが、そっくり同じ匂いがしますね。

 

言論の自由が保障されているこの国で、在日三世が何を思いどう言おうと
それは人の自由ではありますが、それでもこの発言を聞いたとき、
むしろこれは日本に対するヘイトスピーチというものではないかと思いました。

一方、いくらホロコーストが歴史的事実だったからと言って、
今のアメリカで「ホロコーストが起こりつつある」とは、
こちらもまた、どこの並行世界にお住まいですかと聴きたくなります。

しかもトランプ氏の移民排除の政策のせいでホロコーストが起こるかもしれない、
と心配しているのは、ユダヤ人ではなく、全く第三者である新聞記者なのです。

 

さらに不可思議な記事の続きをどうぞ。

「トランプ氏は移民を侮辱し、銃保有の権利を擁護するが、
犯人は移民ではなく、誰も必要としないライフル銃を持っていた」

と憤る。

わかりにくい文章ですが、元々が稚拙なのですみません。
これはインタビューに答えた人が憤っていた、ということでしょうか。

もしこの記者が嘘をついていないのなら、インタビューされた男性は、
犯人が移民でなく、かつ銃を持っていただけで、
これがトランプのせいで起きた犯罪だ!と憤っていたことになります。


そもそも、今回の犯人の憎悪対象は「ユダヤ教徒」に絞られており、
トランプ大統領が排除しようとしている「不法移民」ではありません。

それをいうなら、移民大国であるここアメリカにおける全ての人種は
もともと何処かの国からの「移民」なんですけどね。

つまりこの筆者は、何が何でも

「この事件の犯人は、トランプの移民排除などの発言に触発されて
このような憎悪犯罪を起こした。つまりトランプが悪い」

という結論に持っていきたいあまり、間違いを故意犯的に放置しているのです。

メディアリテラシーのない層や、トランプ憎しの民主党支持者などが
やはりこの間違いを見てみないふりをして怒ってくれることを期待して。


銃撃犯のロバート・バワーズは、トランプの信奉者どころか、
SNSでトランプ発言についてあれこれと激しく非難していたということも、
メディアは「報道すれども言及なし」でスルー状態です。

都合の悪いことは報道しない自由を駆使するマスコミ、何やら日本と似ています。


報道はさらにこのように続きます。

ユダヤ系の人権団体によると、トランプ政権1年目の昨年、
ユダヤ人に対する嫌がらせなどは前年比で6割近くも増えた。

随分はっきりと言い切っていますが、これだけ断言するからには
その相関関係についてもう少しファクトに基づいた考察が欲しいところです。

それでは、ここピッツバーグでも、トランプ政権発足後、
ユダヤ人に対する嫌がらせとやらは増えたということなのでしょうか。

それが、次を読んでびっくりですよ。

だが、住民によると、多くのユダヤ人が暮らすピッツバーグでは
宗教が異なる人々が共存し、これまで目立ったヘイトクライムは
起きていなかったという。

前文と全く論旨が繋がっていません。

トランプの発言が民族ヘイトクライムを誘発したという事実はなく、
ただ一人の反ユダヤ主義の男が個人的な嫌悪犯罪を起こした、
というのがこの事件の実相だと報道自体が証明しているのです。

なのにどうして一人の反ユダヤ主義の男の犯罪責任を大統領に押し付けるのか。


そして案の定、このピッツバーグのユダヤ人社会にも反トランプ派がいて、
どうしてもトランプの一連の発言が
この事件を引き起こしたことにしたいらしく、
弔問に訪れたトランプに抗議するため、大挙して押し寄せました。

それを朝日新聞が嬉々としてこのように報じています。


事件を受け、トランプ大統領は30日、メラニア夫人や
ユダヤ教徒の長女イバンカ氏と夫のクシュナー氏を伴い、
現場の礼拝所を訪れ、犠牲者を追悼した。

一方で礼拝所の周辺では、数千人の住民らが訪問に抗議した。

集まった人たちは、口々にトランプ氏の排外主義的な言動が事件を誘発した、
などと批判。

「あなたには事件の責任がある」

「大統領、白人ナショナリズムを非難せよ」
「我々は壁ではなく、橋をつくる」

といったプラカードを掲げた。
11月6日の中間選挙に向けて「投票しよう」という声も上がった。

礼拝所近くに住むユダヤ教徒の元技術者ボブ・ウィーナーさん(78)は

「米国民を引き裂こうとする人たちに結束を見せるために来た」
という。
トランプ氏の訪問は

「政治的で、彼のうぬぼれを増幅させるものだ」

とし、

「中間選挙は自分たちを守るために極めて重要だ」

と語った。

 

トランプ大統領はこの事件を受けて、すぐに犯人に対する非難声明を出し、
さらには「死刑の法律を強化」すべきだと述べ、

「こういう連中は究極の代償を払うべきだ。
こういうのはもう終わりにしなくては」

と強調したというのですが、それでもこの人たちは大統領に対し、
弔問に訪れたことを含めて憤らずにはいられないようです。


ところで気がついておられましたか?

トランプ氏の娘婿って、ユダヤ教徒なんですよね。

トランプ氏を非難するユダヤ人たちは、そのこととユダヤ人排斥との間に
どういう整合性を見出すのでしょうか。

 


今回アメリカに住んでいる友人と話したところ、メディア、特にCBSなどは
それこそ反トランプの運動体のようになっているそうで、そのためには
日本とこれも同じく、トランプのすることなすこと否定し、
ストローマン理論や報道しない自由など、ありとあらゆる方法を駆使して
とにかくトランプを非難することしかしていないということでした。

「他の国の報道写真なんか見ると、トランプの写真がまともで驚く。
アメリカのメディアはわざとだろうってくらい写りの悪い写真しか使わないから」

「そこまでするんだ」

「いじりやすいというか、悪口が言いやすいからだと思う」

「是々非々ってのはないの」

「誰もやれなかった対中国に対する経済戦争については、
内心喝采しているアメリカ人も多いと思うけどね」

「あー、チャイナマネーが入っているメディアほどトランプを叩くんだ。
で、誰も表立ってトランプがいいと言わないけど、大統領になった・・。
多分次の大統領もトランプになるんじゃないの」

「そうなんじゃないかな。
表面上見ていると一体だれが支持しているのかわからないのにね」


奇しくも日米で全く同じような、国民が選んだ指導者に対するメディアの
「打倒運動」が起こり、反政府活動が
もはや現象のようになっているというわけです。

日本でも現政府への支持率は50パーセント位を維持しているようですが、
この現象とメディアの論調との乖離は一体何を意味するのでしょうか。

 

ところで冒頭画像は、モールの中の「As Seen On TV」という、
テレビの深夜番組で紹介していたおもしろ&便利グッズの店で撮ったものです。

テラコッタの像に水をかけていたら、髪の毛(何かの芽)が生えてくるのです。
サンダースはともかく、トランプこんな髪型してねーし、と思いながら
ここで紹介するためにこっそり写真を撮っていると、
お店の人が話しかけてきたので、何か言わなければいけない気がして、

「こういうの買う人ってどんな人なんでしょうね?
好きだから買うのかアンチだから買うのか」

というと、お店の人(多分中国系)は

「わたしは嫌いな人にお勧めしています。
生えてきたら思いっきりむしってやってくださいと言って」

あまり英語が上手でない彼はおそらく移民一世なのだと思いますが、
案の定、その最後に

「わたしは嫌いなんですけどね、トランプ」

と付け加えるのを忘れませんでした(笑)




 


No Wi-fi, No Life〜ピッツバーグ雑感

2019-09-17 | アメリカ

今回ピッツバーグで滞在したのは民泊であるAirbnbだったので、
到着してしばらくは生活を快適にするためにどうしてもいろんなものを
買い集めなくてはなりませんでした。

一番困ったのが、wi-fiがない家だったことです。

契約するとき、まさか今時wi-fiの設備が全くない宿泊所があるとは思わず、
ことさらチェックしなかったのですが、到着してすぐ、それに気づきました。

早速オーナーの「おばあちゃん」に連絡を取ったところ、

「Airbnbにはwi-fiはないって書いておいたんだけど・・・・」

何事につけてもインターネットで調べることが当たり前になっているため、
例えばそのwi-fiを調達するのにもwi-fiが必要だということに気づき、
わたしたち家族は初日にして呆然としてしまいました。

No wifi, no life とはよく言ったものです。

初日の仕事は、とにかくインターネットを繋がる状態にすることでした。
幸いアメリカというところは、スーパーマーケットやカフェ、デパートやモールに至るまで
サービスでインターネットが使えるので、そこでどうするか作戦を練り、
いくつか携帯会社のショップを回ってみましたが、わたしたちのニーズに
ぴったり合うようなものはどこに行ってもありません。

 

試行錯誤の末、最終的にBestbuyというこちらの大型殿下ショップで
モバイルwi-fiを購入し、オンラインで契約することで問題解決しました。

ただ、問題があって、かつては取り扱っていた無制限プランがなくなり、
ギガ数が少ないので、三人で使っていると気が狂うほど遅く、
画像をアップロードするのに異様に時間がかかるくらいなので、
動画は当然観られません。

今はTOも日本に戻り、MKは学校が始まったので、わたし一人で
持ち歩き用に使っていますが、おかげでレンタカーのナビゲーションは
自分のiPhoneで行えるため、大変便利です。

最初にwi-fi問題を解決し、ようやく街に買い物に出ることができました。

ピッツバーグ市内を走っていて見つけた古いビルには、ここがかつて
「ベル テレフォン」出会ったことを表す表示がありました。

現在のAT&Tがベル電話会社を買収したのは1899年の12月だったので、
このビルはベル社が発足した1877年から22年間の間に建てられたことになります。

wi-fiを調達したBestbuyで最初に買った、ダイソンの空気清浄機付き送風機。
到着したときにあまりのピッツバーグの暑さに、暗澹たる思いをしていたのと、
Airbnbの部屋が古いので、少しでも空気を良くしようと買ってしまいました。

1ヶ月の間、三つの寝室を転々としてフル活動してくれましたが、
ピッツバーグ滞在が終わったときに日本に送りました。

アメリカという国は、アラスカでもハワイでも、巨大チェーンが展開していて、
初めて行った場所で例えば電化製品を買おうと思ったらベストバイ、
ベッドやキッチン周りのものは「バスビヨ」こと「Bed bath & beyond 」、
それらを合わせて、洋服、家具、食料品全てが揃うのはターゲット、と
困らないようになっています。

ターゲットはダーツの的のような赤い二重丸がシンボルで、
最近特にどこにでも新しく出店している勢いのあるスーパーです。

今回もサンフランシスコで新しく出店したターゲットを二店舗目撃しました。

ピッツバーグのこのターゲットは、特に新しくて他の店舗より敷地が広く、
マスコットの「スポット」くんこと「ブルズアイ」の人形が飾ってあります。

いわゆるインスタ用というか、並んで写真を撮ってください的な、
これが本当のスポットなのですが、お行儀の悪いアメリカ人は、
持ち歩いていた商品をぽいっと置いて行ったりする場所にしてしまっています。

可愛いので本物の写真を貼っておきます。
ペイントに使われている塗料は無毒であると説明されています。

アメリカのお店はどこでも「ナウハイヤリング」として、
常に従業員を募集していて、ターゲットも例外ではありませんが、
ここは従業員を「チームメンバー」と称しているようです。

ディズニーリゾートの「キャスト」みたいなものでしょうか。

ターゲットは独自ブランドの洋服も出しており、大抵は素材もペラペラで
冬物などほとんど安っぽすぎる傾向があるのですが、夏物、
特にデニムやシンプルなワンピースなどは掘り出し物が見つかります。

最近ターゲットではデブ、じゃなくて「ウーマンサイズ」
(日本でいうところのクィーンサイズ)の方々にも心置きなく、
堂々と買い物していただこうということか、ご覧のように
マネキンにウーマンサイズボディを登場させました。

マネキンだからちょっと違和感がありますが、実はアメリカ人の半数が
こういう体型だったりするので、実にプラクティカルというか商売上手。

アメリカではSサイズはむしろ少数派です。

「バスビヨ」に行ったときに見つけた変な商品。
良く見たわけではないので仕組みはわからないのですが、
マッサージ機能のある軽石付き機のようです。

足くらい自分で洗えよ、と思ったのですが、これも良く見ると
「フレッシュフィート」というこの商品のすぐ下に、

「足を洗うのに体を曲げたりストレスを感じなくて済みます」

つまりこれもアメリカならではで、体を曲げることさえできないくらい
太っている人のためのものなんじゃないでしょうか。

去年か一昨年、「 Emoji Movie」という、全く面白くなさそうな映画が
アメリカで上映されていましたが、その後すっかり市民権を得た
「Emoji」の・・・わからないので調べてみたら、Bluetoothスピーカーだそうです。

しかも商品名「jamoji」って何なんだよ。ジャパニーズの絵文字か?

ちなみにこの邪文字、いちいち名前がついていて、
左から「トラブル」「LOL」「JUST KIDDING」「KISS」
そして「チョコレートスウィール」なんだそうな。

チョコレートスウィールがプランジャーとなって登場。
プランジャーというのは、トイレが詰まったときに使う、日本では
ラバーカップと呼ばれているあの道具です。

商品名「Poo plunger」・・・・あのさあ・・。

アメリカには、地域に必ず一つはモールがあります。
露天型と室内型があり、全天候型のモールは人気があり、アメリカ人は
休みになると何となくモールに行ってわけもなくぶらつく習慣があるようですが、
必ず一つのモールに最低でもデパートが二軒、大型専門店なども入っていて、
レストランの他にご覧のようなフードコートを備えています。

このモールにはルイヴィトンとかTUMI、Apple、そしてテスラのショールームと
アメリカ人の考えるところの「この辺りでもっともグレードの高いモール」。

でもフードコートはしょせんアメリカ、謎のジャパニーズフードとか
ファイブガイズなんていうどうでもいい食べ物屋が基本だったりします。

「それにしてもこのジャパニーズ、サークって何?」

「まさかとは思うけどSakuraが何かの間違いでこうなったとか」

「まさかー」

まあ、経営にも日本人は全く関わっていないことは確かです。

ファイブガイズといえば、先日、どこかのファイブガイズで、
二人連れと三人連れ、合計5名のファイブガイズが大げんかになり、
警察沙汰になったということが話題になっていたそうです。(アメリカ限定)

心の汚れたわたしはその話をMKから聞いて即座に

「それヤラセだと思う。
ファイブガイズがファイブガイズで喧嘩。
実際話題になったしすごい宣伝効果だよね」

と決め付けました。

「でもその五人、実際に警察に捕まったんだよ?
ヤラセでそこまでする人がいるかなあ?」

確かに、それがバレたときのリスクを冒してまでファイブガイズが
宣伝のためにそこまでするかというと大いに疑問ですが。

日本でのタピオカブームは終息したんでしょうか。
タピオカランドなるものができて黒い丸いバッジを売っている、と
聞いたとき、わたしはブームの終わりを確信したのですが。

ここアメリカでは、日本にも出店しているらしいチャタイムがあって、
それなりに流行っていますが、何時間もの列ができることはありません。

ここには滞在中なんどか行ってしまいましたが、必ず注文するのは
ほうじ茶(ローストティ)の砂糖なし、タピオカ入りミルクティでした。

昨日スタンフォードに行って友人とランチを食べたのですが、
同じモールに人がえらく集まっている一角があるので何かと思ったら
boba(タピオカ)の店で、ここは結構行列ができていました。

アメリカの友人によると、ブームはアメリカの方が早かったということです。

日本式ラーメンもアメリカで今人気です。
ここサンフランシスコにも雨後の筍のようにラーメン屋ができていますが、
そのほとんどは中国人がやっているのではとわたしは踏んでいます。

ピッツバーグのダウンタウンで見つけたラーメン屋の店構えに
ちょっと期待してしまい、よせばいいのに入ってしまいました。

『トンコツ』なんてのも今や日本語で通じる時代、トンコツラーメンを頼んだら
出てきたのがこれ。
チャーシューにナルト、メンマ、もやしにゆで卵とまともでしょ?

しかし、一口食べてわたしはおごそかに宣言しました。

「これは・・・・ラーメンではない。中華そばだ

日本式ラーメンのつるっとした感じが皆無な、粉っぽい感じ、
舌越しがモゴモゴするような麺で、全く美味しくありません。

気が付いてみれば店で働いているのは全員が中国人で、
店内のBGMは中国語のポップス。

シェフ?は客が途切れたのか、店内の空いた椅子に行儀悪く座って
何か食べながらスマホを見ています。

「全く隠す気がありませんなあ」

「わたし、こういうインチキが一番許せないんだよね」

腹が立ったのと不味かったこともあり、わたしは食べる気をなくし、
ほとんど食べずに残して店を出ました。

ちなみにMKの食べた担々麺は割と美味しかったそうです。
そりゃそっちはもともと中華ものだし。

その点、他のアジアンの料理などだと、おそらくは
間違いなくその国の人が作っているはずなので、安心です。

ここは、フォーが食べたくなって行ったベトナム料理屋さん。
たっぷりのもやしが添えられているのが嬉しい。
アメリカの普通のスーパーで売っていない野菜の一つがもやしです。

あと、しそや大葉、ミョウガも売っていません。
ついでに、豆腐はどこでも買えますが、納豆は日本食スーパーにしかありません。

滞在中二階行ってしまったヌードル専門店、「ヌードルヘッド」。
MKによると、この「ヘッド」はクレイジーのような意味があり、
「ヌードルヘッド」で「麺キチ」みたいなイメージだそうです。

いつ行ってもたくさんの人で賑わっていて、人気があるのは、
基本的にどこの料理、と国籍をくくらず、いろんなヌードルが食べられるからでしょう。

インド風カレーのスープにヌードルとか、タイ風とか、ベトナム風とか。

これもラーメンですが、味はフュージョンだったそうです。

わたしがここで滅法気に入ったのがパッタイ。パッタイは正義。
量が多いので、大抵アメリカのレストランで食べたら、パッケージをもらって
持ち帰ることができるのですが、このパッタイ、持って帰って
野菜を足して加工してもなかなかの美味しさでした。

みなさま、お待たせしました。
「ザ・アメリカのケーキ」でございます。

クリームに24色全ての色を使用してしまうという感覚がまず、
我々日本人には(多分他の国の人も)受け入れられないものですが、
不思議なのはブルーとか紫とか黄色で飾り付けられたケーキを見て
彼らが「美味しそう」と思っているらしいこと。

わたしがよく行くホールフーズやTrader Joe'sには置いていないので、
今回パッキングに必要なペンを買いにピッツバーグの「ゴールデンイーグル」という
大型スーパーに行ったとき、ここぞと撮ってきました。

真ん中四つのケーキは実はカップケーキを集めた上にクリームを乗せて
四角いケーキ風に見せているんですね。

なるほど、これならわけて食べやすい・・・ってそういう問題か?

土壌の真ん中が空いているケーキは、注文の時に名前を入れてくれるのでしょう。
それにしても、男の子の誕生日用にミニカーを乗せた芝生と道路を模ったケーキ、
どうしてケーキでこれを再現しなければならなかったのか。

というか、このミニカー、ちゃんと綺麗に洗って使ってる?

アメリカというのは、ケーキ屋さん、パティスリーがありません。
あってもせいぜいベーカリーといったところ。

「アメリカには、日本みたいにフランスで修行してきたパティシエが
自分のお店を持つ、みたいなビジネスモデルはないの?」

わたしが聞くと、彼女は

「たまにセンスのいい個人がそういうティールームを開いても、
アメリカ人には人気がなくてすぐに潰れてしまうのよ」

と身近な例を二件挙げて答えました。

まあ、こういうセンスのものがケーキだと思っているのが大多数なら
それも致し方ないのかなという気がします。

陸自のパーティなら右下の迷彩柄ケーキなどあれば盛り上がりそうですが、
これらは全て「卒業おめでとうケーキ」というわけで角帽があしらってあります。

しかし、こういうのを見ると、アメリカ人にとってケーキは
「味わうもの」ではなく「見て楽しむもの」なのがわかりますね。

ところでこれを撮ったのは8月だったわけですが、2019年の卒業シーズンは
もうこの時にはとっくに終わっていたという・・・。

最後に、ピッツバーグの家ではキッチンが充実していたので、
よく凝った料理をした、と書きましたが、その一つ。
MKがネットで探してきたレシピなのですが、このチキン、一晩
バターミルクに色々とスパイスを混ぜ込んだものに漬け込んで
味を染み込ませてから焼き上げたものです。

 

MKによると、バターミルクを使ったフライドチキンというのが
アメリカでは割とポピュラーな料理なのだそうですが、流石に
ディープフライはできないということでオーブンローストに切り替えました。

日本ではバターミルクなどふんだんに使うことができないので、
私にとっても初めての試みでしたが、一晩マリネードしたチキンは
味が深く染み込んで柔らかく、わたしたちはこのチキンに舌鼓を打ちました。

 

続く。

 


アップルウォッチ(とBOSEのサングラス)でピッツバーグを歩く

2019-09-08 | アメリカ

日本でも出来るだけiPhoneの歩数を気にしていたわたし、
アメリカに来てから、アップルウォッチデビューをしました。

日本でもそうかと思いますが、こちらのAppleでは、製品を買うと
パッケージを自分で開けさせてくれます。
アップル製品の箱はものすごくよくできていて、開けたり
製品を取り出したりするときになかなか気持ちがいいのです。

どこまでもきっちりと収まっている感じ、滑らかな材質、
シャープな箱のエッジ、全てがある種の快感を呼び起こすのです。

今まで携帯を持っているときにしか歩数が測れなかったのですが、
これなら一日の総歩数がわかる上、このリングモードにすると、

赤→ムーブメント(総歩数)
緑→エクササイズ時間(基本設定は30分)
青→スタンディング時間(12時間)

が完成すると輪がつながり、チャリーン!と音がして、
時計がメダルをくれたり、メッセージで褒めてくれたりします。

どういうセンサーなのか知りませんが、座っていると時々、

「立ち上がって1分動きましょう」

と教えてくれますし、やはりじっとしていると、

「1分間深呼吸しましょう」

などと言ってきます。
一度、呼吸アプリを押して何か用事があってやらなかったら、
あなたやってませんね、みたいなメッセージが来てビビりました。

というわけで、すっかり時計に支配される生活になっているわけですが、
これがなかなか快感で、やめられません。
今のところ買ってから連続リングをつなげることに成功しているので、
それでモチベーションが維持されているという感じです。

というわけでピッツバーグでも恒例のウォーキングが捗ります。
MKを大学に送って行ってから、早速学校の近くの公園に歩きに行きました。

 

もちろん音楽は欠かせません。
Apple Watchは、iPhoneに入っている音楽とリンクしていて、
いちいち携帯を取り出さなくても音量やスキップが手元できて便利。

加えて、今回、わたしは散歩のお供としてこんなに心強い奴はいない、
というくらいよくできた、BOSEの新型サングラス型イヤフォンを手に入れました。

これはウィーン空港から出発する直前、空港のショップの前を通りかかって
見つけた瞬間お買い上げを決めた運命の商品ですが、今まで愛用していた
オークリーのサングラス型イヤフォン(イチローが使ってたやつ)が
生産中止になって、今持っているのが壊れたら修理もままならないのでは、
という状況だったため、飛びつきました。

買ってみるとこれがなかなかの優れものです。

サングラスを裏返して置いたツルの部分です。
ゴールドのボタンをぽちっとすると、

「バッテリ−100%、コネクテッドトゥNYAN CAT'S PHONE」

と聴こえ、電源を切るには、サングラスを外して裏返しにするだけ。
ちなみにNyan cat's phoneはわたしのiPhoneの名前ですが、
このメガネ、これを

「ナイヤン・キャッツ・フォン」

と発音します。

耳にかける部分にイヤフォンが付いていたオークリーと違い、
サングラスのフレーム部分に小さなスピーカーの穴が空いていて、
ここから聴こえてくるのですが、近くにいる人には全く聴こえませんし、
何より耳の穴を塞がないので、サングラスをしたまま人と普通に会話できるのです。

ピッツバーグの中心部には、シェンリーパークという広大な緑があり、
その中はいたるところにトレイル(散歩用の小道)が設けられています。
到着してから1週間は、毎日歩きやすくて日陰が多く、
森の中を通るコースを探して色々歩いてみましたが、あまりに選択肢が多く、
これぞというコースを極めたのは最後の日でした。

どこを歩いても、だいたい1時間で車を停めたところに帰って来られます。

管理はしっかりできていて、トレイルの整備もしょっちゅう行われますが、
こんな感じに倒れたような木は基本放ったらかしのまま朽ちさせています。

あくまでも自然のままに任せる方法で森を維持しています。

最後の日に極めた「至高のコース」は、こんな道をずっと通って
木陰を歩き、一周して帰ってくるというものでした。

公園の中には川が流れ、こういう池があったりします。

ピッツバーグも最近は雷を伴う土砂降りが多く、地元の人は
今までこんなことはなかった、と訝っているそうですが、何か
地球規模でそういう傾向にあるようで・・・何が起こってるんでしょう。

この日は前日の雨で池が泥に濁っています。

公園のあちらこちらには、古めかしい雰囲気の橋や階段があり、
そのどれにも

WPA 1939 

と刻印があります。

今ではトランプの悪口などが落書きされていますが。

WPA( Works Progress Administration)

は、あの大恐慌で失業した人たちに対する救済プログラムで、
ここピッツバーグでは1938年から1939年にかけて、
公園内の橋や階段を設置する工事に人が集められました。

「昨日まで葉巻をくわえてガウン着てた人たちが、
ツルハシ持って頑張って作ったんだね」

 恐慌後の失業者対策で、特にアメリカ東部には各地に
このような公共事業によって作られたものが点在するそうです。

WPAの事業一覧

公園の中にはサッカー競技場、陸上トラック、テニスコートやゴルフコース、
ありとあらゆるスポーツの施設が含まれます。

この時には女子サッカーのチームが練習をしていました。

冒頭写真は公園の高みからピッツバーグ大学の塔を望んだところ。
塔を見下ろす丘には、いくつかのこのようなメモリアルがありました。

この「フロー・ジェイミソン・ミラー」という女性は、
南北戦争時代に結成された

「ナショナル・ウーマンズ・リリーフ・コーア」

という愛国団体のプレジデントだった人物です。
戦争に女性が参加しなかった時代なので、彼女らの任務?は
戦死した兵士の墓に飾る花輪を子供たちと一緒に作ることなどでした。

公園のいたるところには銅像がありますが、この後ろ向きの像は、
発明家ジョージ・ウェスティングハウスの若い頃です。

またそのうち取り上げますが、エジソンと同時代の発明家で、
ライバルでもあった彼は、のちにエジソンと電気椅子を使った処刑を巡って
反対の立場から対立したことでも有名です。

福島の原子炉がウェスティングハウスであったことは皆さんご存知ですよね。

車をいつも停めるところにあるネイティブアメリカンのメモリアル。

カテカッサ(ブラックホーフ、黒い蹄)1740–1831

は、ショーニー インディアンの酋長でした。
イギリス系アメリカ人の入植者とショーニー族との戦いで、
勇者として知られた人物です。

現地の碑には、ブラックホーフが、白人に宥和政策を取り、最終的には
同士となったようなことが書いてあり、確かにそれで戦闘を止めたようですが、
実際は1812年の戦争の直後に実施したインディアン排除の方針に抵抗し、
条約に署名せず、1831 年にオハイオ州で死ぬまで部族を率い続けました。

最終的には西側への移住を余儀なくされたということなので、なぜここに
碑があるかというと、モノンガヒラの戦いで戦ったから、ということらしいです。

碑の上の丘に(周りはゴルフコース)ポツンとある家。
まさかインディアンが住んでたってことはないと思いますが、
1800年代からあるのはおそらく間違いのないところでしょう。

街の外れにあって、誰でも立ち寄ることができ、車を停めさえすれば
延々と広がる緑の芝やこんな眺めを楽しむことができる広大な公園。

お金をかけずに自然を身近に感じることができる公園がどんな都市にも
必ずあって、散歩できるトレイルが整備されているのがアメリカのいいところです。

 

 


ウィーン発、ピッツバーグ着

2019-09-03 | アメリカ

ブログでオーストリア滞在中のことについてお話ししているうちに、
実際にはアメリカ国内を移動する時期がやってきて、
今これを製作しているのはサンフランシスコです。

今日はウィーンからアメリカに移動した日のことをお話ししたいと思います。

ウィーンでザルツブルグの3日を挟んで宿泊したヒルトンともお別れです。
目の前にスタッドパーク(市立公園)があり、交通も便利でした。
もしウィーン旅行を考えている方がおられたら、おすすめです。

 

ホテルから空港まではフラットレートのタクシーをホテルに頼んで
呼んでもらい、三人分の大荷物(トランク10個くらい)を積み込み、
さあ、出発、という時に、TOが運転手さんに向かって

「ウィーンエアポート・プリーズ」

そこまでは良かったのですが、どこの航空会社か聞かれて、

「オーストラリアン・エア」

「おい!」

わたしとMKが同時にツッコみ、運転手さんは苦笑していました。

「オーストリアにカンガルーはいません」

という自虐Tシャツが売られているほどに、オーストリア人にとって
この手の間違いをされるのは日常茶飯なのでしょうけど、
まあ本当にオーストラリアン・エアに乗る人もいるかもしれないし、
しっかり間違いはただしておきました。

というわけでオーストリア空港のオーストリアン・エアにチェックインします。
シンボルカラーは赤なので、ユニフォームは真っ赤なスーツに濃いブルーのスカーフ。

ウィーン空港は割と最近リノベーションしたらしく、とても今風です。

なかなか攻めているオーストリア航空のコーナー。

ラウンジに用意されている食べ物も果物多めでなかなかよし。

滑走路が二本だけということでそんなに大きな空港ではありませんが、
特に冷戦時代は中立国だったせいで、ハブ空港となっていました。

右側に見えているのは中国の海南航空機です。

滑走路の向こうに謎の建物発見。
空港周辺の草刈りをする道具でも置いてあるんでしょうか。

見たことのない塗装の飛行機を発見。
コレンドン航空はトルコの航空会社です。

オーストリア空港の利用は初めてです。
目の前のモニターでは、ウィーンの観光案内のイメージビデオ風が流れています。

インテリアは制服の色よりも随分落ち着いた感じの赤があしらわれ、
Cクラスの席は今時当たり前ですがフルフラットになります。
寝るとANAのシートのように両手が下に落ちてしまうこともありません。

ウィーン発の便では、特に視聴の需要が多いのでしょうか。
映画「サウンド・オブ・ミュージック」を放映していたので、
ここでお話しする為に全編通して観ました。

これはザルツブルグ大聖堂。
映画の至る所で観光案内をしているのに今更気がつきます。

この登山電車が出ているのがザルツ・カンマーグートで、できれば
乗ってみたかったのですが、今回は時間がなく断念。

次いでお楽しみの機内食ですが、さすがというかなんというか。

これはアボカドやラディッシュのサラダなのですが、
土台?にお皿のように敷いてあるのはカテージチーズです。
シンプルにオリーブオイルとバルサミコ酢で味付けされていて、
この組み合わせは機内食と思えないくらいの完成度でした。

メインはチキンを選択しました。
外側をパリッと焼いた骨つきチキンはローズマリーと焼いたレモンをあしらい、
付け合わせの野菜もまるで一流レストランで出てくるようなあしらい方です。

パンは日本やアメリカの航空会社のようにレンチン()していないらしく、
パサパサになっておらず、それにバターとハムスのようなペーストが添えられて。

わたしが今まで乗った航空会社の食事の中で最高でしたし、もしかしたら
オーストリア滞在を通じて取った食事の中で、シュタイレレックに次ぐくらい
高級感がありかつ美味しかったと言っておきます。


ブレてしまいましたが、こんな本格的な格好をしたシェフみたいな人が乗っています。
とにかくオーストリア航空、食へのこだわりがこんな演出からも窺えます。

 

ところで、今回「世界一周周遊プラン」を選択した我が家は、

「地球を同じ向きに三大陸めぐり、各都市で24時間以上滞在」

という条件を満たすべく、大西洋からアメリカに渡りました。
もしこれを読んでいる方、近々例えばアメリカに行く予定がおありなら、
そして時間の余裕がちょっとだけあったら、

日本ーヨーロッパーアメリカー日本

と寄り道するだけで、航空運賃がアメリカと往復するより、下手すると
半額近く安くなるというこのプランをぜひ検討してみてください。

エコノミー、ビジネス、おそらくファーストクラスに関わりなく条件は同じです。

このプラン、知らない人が多く、こんなのがありますよと教えてあげると
皆一様に知らなかった、とえらく驚かれます。

わたしたちは全日空が直行便を飛ばしていたので今回ウィーンを選択しましたが、
別に他の大陸(アフリカとか)
でもいいんですよ。

さて、というわけで飛行機は大西洋を飛び越してダレス空港に到着。
ここで乗り換えです。

アメリカの空港はどこでも必ずといっていいほど、軍人を讃え、
その功績を紹介するコーナーをいろんな形で持っています。

日本は子供連れとハンディキャップのある人が優先搭乗させますが、
アメリカの空港では「ミリタリーサービス」が優先的にコールされます。

昔、海外から帰還してきた軍服の軍人の一団と一緒になったことがあり、
機長はどこそこで中流の任務を終わったなんとかキャプテンのグループ、
と彼感謝の言葉とともに彼らを紹介し、機内から拍手が起きたものです。

最近のアメリカの空港は、人手を減らし、効率的に注文を取るために
このようにタブレットで注文する形式が増えてきました。
外国人も多い空港では、言葉の問題もなく、双方ハッピーです。

ピッツバーグに到着し、レンタカーをピックアップします。

いつもわたしはフリークェントカスタマーの特権である「プレジデントサークル」、
つまりハーツ的には余って乗り手のない車、どれでも好きなのに乗っていってください、
というコーナーに案内されるので、今回もたかをくくってそうなると思いこんで、
フルサイズクラスのセダンを予約していたところ、なんとピッツバーグのハーツでは
なぜか普通のカスタマー扱いされ、律儀にセダンが割り当てられていました。

こちらは三人で、合計10以上のトランクがあるのにも関わらずです。

「あー、これじゃ全部荷物載らないね」

「プレジデントサークルで大きな車を選べると思っていたのに・・・」

仕方なくスウィッチ(車の交換の時にはチェンジではなくこう言います)
をお願いしたら、なんとこんな車が出てきました!

クライスラーの「ノーチラス」

ノーチラス、名前がまたいいじゃないですか(・∀・)!!
大きい割には燃費も良く、操作しやすくてアクセルのレスポンスも早く、

さすがはクライスラーと感心しました。

今回の滞在では巷で「エアビー」と呼ばれているところの民泊を予約しました。

MKが今回大学の研究室でインターンシップをすることになったため、
アメリカに戻ってきたのですが、アメリカの大学というのは、
夏の間寮を利用することができないため、民泊を借りて、ついでに
わたしも彼の生活の手助けをしつつ滞在を楽しんでしまおうという考えです。

後でわかったのですが、この辺りはユダヤ人街で、シナゴーグがあり、
周りの住人はほとんどがジューイッシュのようでした。

わたしたちの部屋のオーナーもユダヤ人で、彼女は昔、
小さいときに鎌倉に住んでいたことがある、といって、挨拶の時
携帯の白黒の写真を見せてくれました。

土曜になると、その辺を黒いスーツに帽子、丸いパンケーキを頭に乗せた
ユダヤ教徒の皆さんが歩く様子に最初は驚きました。

わたしたちの泊まった部屋は、向こうの棟の一階(地下付き)です。

軽く築100年くらいはいっているのではないかと思われます。
とにかく、アメリカの家は大きいのでその点は助かります。

最初の日は猛烈に暑く、次の日には大雨が降り洪水警報が出ました。
窓付け型のクーラーは、とりあえず掃除が必要だったのですが、
三日目から稼働してどうなることかと危ぶまれた生活がなんとかスタート。

わたしがうっかりしていてwi-fiがないのを見落として契約してしまったのですが、
こちらで携帯用wi-fiを買うことでこちらの問題も解決。

ありがたかったのがキッチンの広さと食器の多さです。
コンロ台が二つ、オーブンが二つとよくわからない品揃えですが、
これだけ余裕があり、鍋もお皿もいくらでも使えるので、滞在期間
工夫と手間をかけた料理を作ることができました。

料理を作るのが好きなMKがレシピを提案し、買い物をして
日本で使ったことがないような食材を使って作るのです。
他にもそうめんやラーメンなども、工夫して出汁から作ったり、
おかげで夏中思わぬ「お料理大会」が開催されることになりました。

キッチンの後ろには、アメリカの家にはよくあるように、バックヤードがあります。
バックヤードには仕切りがなく、基本的に集合住宅に住む人が誰でも通れるのですが、
暗黙の了解があって、人の家の前をウロウロつする人はいません。

しかし、朝、リスはもちろん、ウサギが来ていたこともあります。

MKのインターンシップが始まりました。
初日なので父兄参観を決め込み、中を見せてもらいました。

差し障りがあってはいけないので写真の紹介はこれだけにしますが、
工科大学の研究室というのは、とにかく機械類に囲まれていて、

分野違いの人をもワクワクさせる「何か面白いことが起こりそうな」
知的な空気に満ちていて、いつ見てもいいものです。

ところでこの紫の物体は、もしかしたら泊まり込むためのものの・・・・?

 

さあ、これからアメリカでの生活の始まりです。

 

続く。


「POW MIA」あなたたちを忘れない〜空母「ミッドウェイ」博物館

2019-07-03 | アメリカ

空母「ミッドウェイ」の搭乗員控え室展示を順番に見ています。

「イントルーダー」の記念展示室にあった「チェックオフリスト」。
スプリンクラーや換気バルブ、消火栓や消火ホースそれぞれの場所が
艦内での現在位置を表す番号で示されており、
それぞれは定期的にちゃんと稼働するかどうか点検が行われます。

これは本当にここにあったチェックリストらしく、最後にチェックした
1991年9月15日の日付と担当CPOのサインが確認できます。

「ミッドウェイ」はこの半年後の1992年4月に退役しました。

 

最初のレディルーム展示のあった「レディルーム#6」に入った時のことです。

入ってすぐのところにあるオーディオツァーの説明には、なぜか
「POW Story」(捕虜物語)として、
ベトナム戦争時に捕虜になったパイロットについての説明がありました。

さらに、レディルームの出口にはこのようなパネルがありました。

名前と階級の間にはパープルハートやネイビークロスなどの勲章が飾ってあります。

左のシンボルには、「POW MIA」「あなた方を忘れない」

まず「POW」は「Prisnor of war」戦時捕虜、そして
「MIA」とは「Missing in Action」戦闘中行方不明を指します。

監視塔と鉄条網、そして捕虜のシルエット。
これが戦時捕虜と行方不明者の家族会のマークとなっています。

ベトナム戦争で捕虜になったり、あるいは行方不明になって帰ってこなかった
兵士は、2017年現在で1,611人もいるのです。


ファントムIIに乗っていたパイロットも、多くが命を失いました。
右側に並ぶ名前は全てパイロットで、名前の横
KIA(キル・インアクション)
は空戦中に撃墜されたとされる人、

そしてPOWは捕虜になってそのままいまだに行方不明の人です。

この場合のPOWは、MIAも含み、

「捕虜になった、あるいは状況的に捕虜になったと考えられる」

人たちのことです。


アメリカ軍ではパイロットは全て士官なので、この名簿もその階級は少尉から中佐まで。

Lieutenant Commander (LCDR) 少佐 [O-4]
Lieutenant (LT) 大尉 [O-3]
Lieutenant Junior Grade (LTJG) 中尉 [O-2]

という「働き盛り」の階級が中心です。

数えてみたところ、1965年の4月から72年の8月にかけて
106名のパイロットが戦死あるいは捕虜となり、
二度と帰ってこなかったということになります。

さらに内訳は、

空戦戦死 64名、捕虜あるいは行方不明 42名

となり、戦死とわかっている割合が多いのに気がつきます。

 

ベトナム戦争は1955年から始まっていますが、
ファントムが運用されるようになったのは1960年からですから、
この飛行機は新兵器デビューするなり実戦に投入されることになりました。

また、前回お話ししたA-6イントルーダー戦闘機も1963年生産開始なので
戦時生まれの実戦デビューとなります。

イントルーダーのレディルームにはこのような展示があり、目を引きました。

レディルームには、かっこよさや強さを賛美するばかりでなく、
こんな「負」の展示もあります。

地上に激突して粉々に砕け散ったイントルーダーの機体の破片です。

イントルーダーを一目でそうと認識するアイコンでもある、
特徴的な「ツノ」型の燃料プローブがかろうじて原型をとどめています。


先日のF-35の墜落事故でわたしたちは改めて思い知ったばかりでもありますが、
航空機、特に戦闘機の訓練は平時戦時を問わず常に危険と隣り合わせです。

特に、戦争継続中に航空隊に編入されたイントルーダーパイロットに対しては、
何時間にも及ぶ全天候下での空戦技術や、低空での飛行、
数え切れないくらい繰り返される爆撃シミュレーションなどの訓練が
短い期間(通常1ヶ月だったといわれる)の間に集中的に行われたため、
当時150名以上の海軍と海兵隊のイントルーダー乗員が
その訓練中に事故による殉職をしたといわれています。

このイントルーダーの破片は、オレゴンの訓練場でクラッシュし、
バラバラになった二機の残骸です。(個別の事故によるもの)

どちらのイントルーダーも、事故発生時は夜間低空飛行での訓練中でした。

まるで紙くずのようになってしまったイントルーダーの破片がここにも。

詳しいことはそれ以上書かれていないので、この二機のイントルーダーが
同時に事故を起こしたのか(接触などで)、それとも別の事故なのかわかりませんが、
二機のうち一機のパイロットは生還し、もう一人は殉職したとだけ書かれています。

先ほどの展示に書いてあったように、確かに対MiG戦キルレシオ(撃墜比率)は
駆動性の高いと言われるMiGを相手に大変高かったわけですが、
イントルーダーの場合一度のクラッシュで乗員2名が失われるため、

彼我の戦死者の数はこちらが確実に多かったとされます。

先ほどのファントムII乗員の犠牲者名簿も、ABC順の記載なので判別できませんが、
同じ日付で亡くなった、あるいは行方不明になった二人は
同一の航空機に乗っていたという可能性もあるということです。

ちなみに今ちょっと名簿を探してみると、たとえば

1967年5月19日に未帰還になったスティア中尉とアンダーソン中尉、
65年12月29日に空戦戦死したローズスローン大佐とヒル大尉、
67年4月4日に空戦戦死したツェイラー大尉とマーチン少尉

というように、必ずと言っていいほど同一戦死日時によるペアができます。

 

次回は、航空機が撃墜された後、もし海上に着水したら?
というサバイバルについてお話しします。

 

続く。


エクストリーム・クーポニング〜アメリカのテレビ番組

2019-06-29 | アメリカ

うちにはテレビがありません。

20年近くそうやって暮らしていますし、ホテルに泊まったときでも
映画を観るときくらいしかテレビというものの存在すら思い出さないのが普通です。
たまにホテルで映画を見ようということになって、モードを変える前、
バラエティ番組の音声やナレーション流れただけで、申し訳ありませんが
ものすごく不快な気分になるというくらいのアンチテレビ派なので、
当然ながらタレントや俳優の名前と顔はほとんど一致しません。

それで不便なことなどまずないので、これからもそうだと思いますが、
アメリカにいるときだけは、テレビを付けて、流行りの番組をチェックします。

全てはネタとしてここでお話ししようという下心あってのことです。

長寿番組で、ネタゲットの意図を抜きにしても、付けてしまったら
何とく観てしまうのが、「Ninja Warrior」。
日本の番組「サスケ」のアメリカ版です。

番組でよく「ミドリヤマにいくぞ!」と行っているのですが、それは
本家「サスケ」の収録場所である緑山スタジオ・シティのことらしいですね。

この日はご覧のように超イケメンの日系アメリカ人が登場したので撮っておきました。

「サスケ」ではどうか知りませんが、アメリカでは出場者のバックグラウンドや
ストーリーを加えて散々盛り上げて本番というのが定石です。

彼の場合、いとこがガンの治療を受けたということが、
わざわざエピソードとして紹介されております。

こういうのに出てくる人は大抵何か専門のスポーツをやっているのですが、
このトシオさんの場合はロッククライミング、柔道、大道芸など種目多数。

チャレンジが始まると、たとえ最後までいっても数分で終わってしまうので、
バックグラウンド紹介などに時間をかけないと番組が保たないのです。

ガタイもいいし、平井堅風というか彫りが深くエキゾチックですが、
アメリカ人から見ると一目で「アジア系」に属する風貌となります。

そしてほとんどのアメリカ人女性は彼のようなタイプを

「キュート!」

と評するに違いありません。

ここで初めて彼がトシオ・シドニー-アンドウであることが明らかになりました。

Toshio the Ninja Warrior.mp4

調べてみたらこんなYouTubeが見つかりました。
いやー、肉体エリートというのはいるもんですね。

さて、お次。
英語でおめでたのことを「エクスペクティング」と言いますが、
これは「期待する」「予定する」という意味合いです。

それに否定の「UN」をつけることで「予期せぬ妊娠」。

そのつもりがないのに赤ちゃんができてしまい、産むことを選んだ女性を取り上げ、
現在進行形でその周りの人々や起こる出来事を描くドキュメンタリー。

マッケイラさんは17歳で母親になることを選択しました。

しかし化粧がケバい。
お母さんと病院にいく車の中で、なぜか

「駐車の仕方なんてわからないのよ!ちゃんと習ってないし」

としょうもない喧嘩をしておりますが、撮影のカメラがあってもお構いなしなんですね。

駐車の仕方がわからない、という話ですが、確かにアメリカの免許の実技は
どこか駐車場とか空き地などで同乗者を横に乗せ練習して受けにいくと、

これもモールの周りを警官が同乗して一周するだけでもらえるというものなので、
パーキングに入れられない初心者は多いと思われます。

妊娠している17歳が車の運転をする、というのは日本ではあまりない例かもしれません。

マッケイラさんもあと13年くらいでこうなってしまうのか。(しみじみ)
彼女の心配はもちろん父親も17歳であることです。

これがお父さんですよ〜。

なのでこれから大変、というような話がデレデレと続きます。
が、ここまでしか観なかったのでこの話はおしまい。(投げやり)


さて本題、今日ご紹介するのは、新聞やパンフレットに印刷されている
クーポンを駆使して、安く買い物することに命をかけている人を
紹介する、

「エクストリーム・クーポニング」(EXTREAMING COUPONING)

という番組です。
クーポンを使うという意味でクーポニングと言っているのでしょう。
もちろんクーポニングという動詞は存在しません。

そして今日もクーポニングに命をかける人たちが買い物にやってきました。

アンジェリークさんはとにかくクーポンが使えるものだけを買う主義。

アメリカのスーパーマーケットは、このように子供を乗せられる
バギータイプのカートがあります。
普通のカートも大きくて、一週間分の食物を搭載するのは楽勝です。

食べ物が終わったら次は日用品。
ちょっと待って?なんで歯磨き粉をそんなにいっぱい買うの?

爪磨き(エメリーボード)毛抜き(ツィーザー)まで買い込んで、
今のところ合計は約380ドル。(4万円くらい)

これはまだまだ途中経過ですので念のため。

アンジェリークさん、ドキドキのお勘定です。(そこですかさずコマーシャル)

オーマイガー、合計15万円7千円になりました。

彼女らの持ってくるクーポンとはこんな感じのものです。

別の家族ですが、やっぱり「クーポニング」のある主夫の家庭では、
家族全員がハサミでクーポンを切ることを強制されています。

おばあちゃんは娘にクーポンを切ることを強制されていて、
手を休めると文句を言われるのだとか。
老後の生活をこんなことに忙殺されて一体何を思うのか。

というかこのおばあちゃんのTシャツが・・・

「危険 次の5分で機嫌が変わる!」

このシャツ、アメリカでは結構流行っているようです。

「というわけで、合計は2123.5ドル(約23万6千800円)です」

スーパーマーケットで何を買えばそんなに・・・・。

ここにクーポンを入力していくわけですな。
いつの間にかスーパーの従業員が集まってきて皆で見物する騒ぎに。

ほとんど息を飲んでレジを凝視しております(笑)

「トータルはマイナス33.64ドルになりました」

マイナス?
クーポンを使えば、マイナスもありなんですか?
マイナスが出たらそれはどうなるかというと・・・。

なんと、ギフトカードをマイナス分もらえるらしいですよ。
どうして金額がまた増えて57ドルになっているのかはわかりませんが。

20万分買い物してさらにギフト券をもらえてしまう、こんなのなら
誰でもやってみたいと思うのかもしれません。

周りに詰め掛けて見物していた従業員一同が拍手。
みなさん仕事はもうしなくていいんですかね。

レジ係も彼女をハグして検討を称えます。ってなんでやねん。

荷物をお店のオーナーらしき人物は車に運ぶのを手伝ってくれます。
クーポンのシステムというのをよく知らないのですが、お店にすれば
別に損にはならないということなんでしょうか。

こちら別のクーポンマニア、ミッシーさん。
たった18ドルでこれだけのものを手に入れたの、とご満悦です。

ミッシーさんはどうやら右側の女性と同棲しているLGBTな方である模様。
今日は集めに集めたクープポンを持ち満を辞してのお買い物です。

「クーポン783枚あるのよ」「ええ〜」

そのうちスキャンできないクーポンは775枚。
ということは彼女らはそれを手打ちしないといけないということです。

(-人-)ナムー

とりあえずお勘定ですが、941ドル40セントとなりました。
さっきと比べると大したことないと思ってしまいますが、10万くらいです。

長く伸びたレシートで遊んでおられますが・・・。
そういうこともあって閉店後に撮影したのかな?

クーポニングの結果、お代金は30ドル85セントになりました。

 

ただちょっと気になりませんか?
スーパーで何にそんなにお金を使えるのでしょうか。

 

わたしがこのクーポニングを冷笑的に見てしまう理由がこれです。
とにかく彼女らは、同じものを大量に買い込んでいるのですが、
12個のプロテインバー。これはわからんでもない。

もちろんわたしは1本以上同時にバーなど買ったことがありませんが。
(それもなぜか食べると胃が痛くなるのですぐにやめた)

しかしこれはどうなのと。
40本の痛み止めクリーム。
どこの痛みに使うものかは知らないけど、そんなもん40本もいるか?

全身が痛むならともかく、痛みがある患部にだけ塗るためなら、
おそらく一生かかってもなくならないのでは?

それに一応消費期限てものもあるよね?

95の生理用品。というかカゴにものを放り投げるんじゃない!

おそらくこれも使い切らないうちに・・いやなんでもない。

それそんなにたくさん必要?と思えるものばかり買い込んでるわけです。
586ドルが30ドルになれば確かにマニアとしては嬉しいかもしれませんが、

メントスとかリーズとか、こんなに溜め込んでどうするの?
毎日これを一つづつ片付けていくの?

でも、アメリカ人はそんなことまで考えていません。

とにかくスポーツの試合のように、クーポンによって多額の買い物が
マイナスにでもなろうものならそれでグレイトなのでしょう。

見物していた従業員やお客が拍手するのもそういったスポーツ観戦的な感覚です。
このテレビショーはたちまち有名になり、人気が出たそうなので、
撮影を皆が楽しんでいるようです。

戦利品に囲まれてうっとりするニコルさん。
しかし2000個のライナーを使い切る前にまたクーポンで買い物してしまいませんかね。
毎日使ったとしても6年かかるわけですが、そもそもライナーって
毎日洗濯するのなら滅多に必要になんかなりませんよね?

こんな馬鹿げた買い物に皆が喝采するのも、アメリカの家が広くて、
そういったものを収納するストアージのスペースに困らないからに他なりません。

「ミニマリスト」や「断捨離」などという言葉が流行る日本では
全く理解できないテレビ番組であることだけは確かです。

この洗剤を見てわたしはやっぱりこいつら理解できん・・・と思ってしまいました。
2800回分ってことは、毎日洗濯しても8年・・・。

いや8年前の洗剤っていくらなんでも品質的にどうなのよ。

 

というアメリカ人の煩悩のありようをあからさまに見ることができる番組ですが、
実は、もっと「変な番組」が次々と登場しているのがこの国の恐ろしいところなのです。


また日をあらためてご紹介しようと思います。

 

 


トロフィーポイント〜アメリカ陸軍士官学校 ウェストポイント見学

2019-06-27 | アメリカ

 

アメリカ陸軍士官学校、ウェストポイントの見学ツァーは、チャペルに始まり、
将来の陸軍指揮官がゴルフやサッカーをしているスクールヤードまできました。

バスを停めたまま、ガイドの男性は皆をハドソン川の見える河岸に案内していきました。

ウェストポイントの象徴ともいえる石碑が見えてきました。
これは「バトルモニュメント」といい、南北戦争のあと、戦死者の顕彰を目的として
生き残った退役軍人などの出資で建立されました。

ハドソン川を臨む峡谷の上一帯を、「トロフィーポイント」と呼びます。
昔のまま残る芝の上、樹齢を重ねた大木が作る爽やかな日陰には、
ご覧のようにアメリカ陸軍が使用した大砲などが展示されているのです。

トロフィーポイントは、

「1812年の戦い」

「独立戦争」

「米西戦争」

などのエリアに分かれていて、各ゾーンには
その戦争で使用された武器などが置かれています。

看板に書かれた説明によると、大砲はほとんどが戦争で鹵獲したもので、
ここにある中で一番古いのは1812年の「サラトガの戦い」のものだそうですが、
残念ながらそれがどれかまではわかりませんでした。

独立戦争へと繋がっていく「アメリカ革命」の頃には、ここウェストポイントには
160もの大砲があり、武器研究に使われた後は候補生部隊が訓練のために使用しました。

ゾーンごとにいつの戦争の武器か決まっているということですが、
個体には何の説明もついていません。

この一帯を「トロフィーポイント」というのは、キューバ、フィリピン、
そして米西戦争で得たトロフィーが置いてあるから、という説明ですが、
ここでいう「トロフィー」というのが具体的にどれかはわかりませんでした。

第一次世界大戦以降のトロフィーは、この後見学したウェストポイント博物館に
全て展示されている、ということでしたが・・・。

アメリカの学校組織は同窓会を「クラスオブ〇〇年」と呼び、例えば
このモニュメントを寄贈した「クラスオブ1934年」はその年に卒業したという意味です。

入学した時からこの名称が付与されるので、今年2019年に入学した学生は
その瞬間「クラスオブ2024」と呼ばれることになります。

1930年に入学したこのクラスは、1984年、全員が70を超えて、
ここトロフィーポイントに記念碑を寄贈しました。

彼らはその後第二次世界大戦で、欧州に、そして太平洋で戦い、
少なくない指揮官が戦死したことでしょう。

この碑文中、「かつて我々が卒業したALMA MATER」
とありますが、このアルマ・マータとは、ギリシャ語由来で、
欧米では「自分を育んだ母校」という時に(主に文章で)使われます。

ここは米西戦争のエリアです。
この隣にあった説明を読んで、初めて「トロフィー」が何かわかりました。

「ここには三つのトロフィーがあるが」

つまり、戦闘で獲得してきた相手の武器をもって「トロフィー」と言っとるのです。

それを念頭に”trophy”をあらためて検索してみると、我々日本人のイメージ、
『コンテストなどでもらえるカップ』というのは一つの派生的な意味に過ぎず、

戦利品; 戦勝[成功]記念物 《敵の連隊旗,シカの角,獣の頭など》

こちらが第一義となる意味だったのです。

なるほどー、戦利品か。
俗に「トロフィー・ワイフ」などというあれは、こちらの意味なのね。

ご存知ない方に説明しておくと、トロフィーワイフとは、男性が社会的に成功してから
その地位なり財産なり名声なりを利用してゲットする若い美人妻のことです。

ちなみに日本ではトロフィーワイフのために糟糠の妻を捨てる男は
女性からはもちろん男の側からもあまり評価されないようですね。

女性に対しても「金と地位目当て」という眼が向けられるのは、これはもう
ご本人たちには気の毒ですが、致し方ないかなという気がします。

ということは、これはスペイン軍の大砲なんですね。

米西戦争は、キューバに侵攻したスペイン軍が現地でやらかしたのをネタに
アメリカがハーストなどのジャーナリズムを使って煽り、国民を焚きつけ、
まず世論を形成しました。

当時キューバとフィリピンに権益のあったアメリカの実業界は開戦を望んでいたのです。
ちょうどその時偶然()ハバナでアメリカの戦艦「メイン」が謎の爆発を起こしたので、
アメリカは、ここぞと、

「リメンバー・メイン!スペインを地獄に!」

を合言葉に戦争に突入しました。
(アメリカ史をご存知の方は、この『リメンバー』が真珠湾だけでないことを

よおおおおっく知っておられると思います)

ここは独立戦争のエリアです。

ここにはハドソン川を閉鎖するために使われた防鎖が展示されていて、
これがウェストポイントにとって独立戦争のシンボルとされています。

「ハドソンリバー・チェイン」とか「グレート・チェイン」と言われるこの鎖は、
イギリス軍のハドソン川帆走を防ぐために河に渡された文字通り「防鎖」です。

ここにチェーンが実際に渡されたわけです。

これが現在のウェストポイントとハドソン川。
ここに残されている以外にも、コネチカットのコーストガードアカデミーに
鎖のごく一部が展示されているのを見たことがありますが、
ほとんどは使用後、溶解されてリサイクル処分になったということです。

全体的に綺麗すぎるので、砲筒以外の部分はレプリカかもしれません。

ハドソン川を臨むポイント付近では業者がメインテナンスを行なっていました。

見学客に「グレートチェーン」の説明をしているツァーガイドは
退役軍人で、かつてここで訓練生活を送っていた人です。

アメリカでは軍人恩給があるのでリタイア後は悠々自適ですが、
ボランティアとしてツァーガイドを引き受ける人は多そうです。

ガイドに案内されて、ハドソン川を臨むビューポイントに近づいていきます。

この一帯は1812年戦争のエリアのはず。

1812戦争とは、アメリカとイギリスの間に起きた戦争のことです。
米英が奪い合った土地がネイティブインディアンの土地でもあったことから、

アメリカ対イギリス・カナダ・インディアン連合軍

の戦いとなりました。
くのインディアン部族は虐殺され、その土地はアメリカの植民地になります。

先ほどフィールドに舞い降りたヘリは、陸軍の偉い人が用事をしている間、
ここでひっそりと帰りを待っている模様。

かつてチェーンが張られたポイントを一望できる高台に展望所があります

「イギリス艦隊は二度とウェストポイントに接近することも
鎖を突破することを試みることもしようとしなかった」

1938年に卒業したクラスの生存者によって建造された岸壁の碑文には

「祖国のために戦い傷つき、あるいは捕虜となって死亡した旧友の魂が
この自然美に囲まれた神聖な我々の魂の故郷にとどまらんことを」

対岸は「コンスティチューション島」。
島というより突き出した半島ですが、根元が水路で絶たれているので一応島です。

ここに見えている家屋は、グーグルマップで確認する限り廃屋のようです。
ついでにグーグルマップには同じポイントのこんな瞬間が捉えられていました。

船着場近くの簡易トイレを待つ候補生たち。

解説を受けている間に近づいてきたのはカリブ海のイギリス連邦、
アンティグア・バーブーダ船籍の貨物船です。

クラスツリーとして、記念植樹をするクラスもあります。
1981年に卒業したクラスが卒業記念に植えました。 

 独立戦争で交戦したイギリス軍が降伏した時に召し上げた戦利品の一部。
1779年7月16日という日付がかろうじて読み取れます。

AMPHITHEATERとはローマの円形劇場のことですが、ここにもそれがあります。
野外コンサートが行われるようです。

バトル・モニュメントを近くで見ました。
南北戦争が終わってから、戦死者を顕彰するため1897年に建てられました。

「長い灰色の線」にも登場します。
「星の降るクラス」の卒業式で証書をもらうアイゼンハワー。

日本と開戦が決定してすぐに士官に任官するクラスの「宣誓式」もここで。

根本にある大砲には、南北戦争での有名な戦いの名前がつけられています。

「長い灰色の線」で、上級生がプリーブ(新入生)にいきなり質問する慣習が
描かれていますが、このバトルモニュメントについての質問も定番で、

"How are they all?"

(彼らは全員どうしている?)

"They are all fickle but one, sir."

(一人を除いていなくなりました)

"Who is the one?"

(その一人とは誰か?)

"She who stands atop Battle Monument,
for she has been on the same shaft since 1897;" 

(バトルモニュメントの上に立っている彼女であります。
彼女は同じ円筒の上に1897年からずっと立っています)

というやりとりがされたものだそうです。
『たった一人ずっと経ち続けている彼女』とはもちろんモニュメントの上の女神のこと。
今はそういう「問答」そのものが行われなくなったらしいですが。

これで構内ツァーは終わり。
出口のウェストポイント博物館までバスで移動です。

車窓からは士官候補生が戦闘服で移動している姿を見ることができました。
今見えている二人は男女ですが、ウェストポイントは学内恋愛は奨励されないがOKだとか。

降りる時にツァーガイドにチップを渡すとたいそう喜んで相好を崩し、

「チップは大歓迎ですよ」

アメリカ人は意外とこういう時お金を出さない傾向にあります。

帽子をかぶらずに私服で歩いているのは一般人だと思われます。

この中世の城のような校舎の佇まいにも見覚えがあります。

マーティ・マーがアイルランドからウェストポイントにウェイターとして就職する最初のシーン。
胸に値札のようなものをつけていますが、これは当時の「入場証」だと思われます。

いろんな事務所が入っているビルです。

「スタッフ・ジャッジ・アドボケートオフィス」

候補生の処罰などを判定する事務所?

「クレームなどの法律センター」

「一般市民のアドバイザリーセンター」

「ソルジャー・フォー・ライフ」

「運送関係オフィス」

などなど。

一棟全部がボウリングセンター。

 

さて、これで見学を終わり、次に連れて行ってもらったのは
ウェストポイント博物館でした。

 

続く。


ビートネイビーハウスにようこそ〜アメリカ陸軍士官学校 ウェストポイント

2019-06-26 | アメリカ

 

アメリカ陸軍士官学校、ウェストポイントの見学記です。

見学コースはバスで広い構内をまずチャペル、そしてグラウンドまで
案内の人の説明を聴きながらやってきました。

その中で、

「勉強がついていけなくて辞めざるを得なかったり、
自分の意思で中途退学した場合、莫大な費用を返還しなければならない」

という話がありました。

ウェストポイントでは最下位の成績のことを「ゴート」といって、
毎年華々しく名前が発表されるいう羞恥プレイがあるのですが、
ゴートは最下位とはいってもとりあえず卒業できたわけですから、
ついていけなくて辞めた人(結構多い)と比べれば「偉い」のです。

どちらかというと、退学させられずに最下位になるのは至難の技かも。

そのため、ゴートは卒業生全員から1ドルずつの
これ以上ない暖かい?施しを受けることができます。
(卒業生は1000人はいるので、ちょっとしたお金持ちになれます)

しかし、途中で辞めて行く者には冷たい、しかしそれが国が経営する
軍学校というものです。

我が日本国の士官学校である防衛大学校は、2012年から任官辞退者に
250万円、任官6年以内の自主退官者からも年数に応じて償還金という名で
返還を求めるということになっています。

ところで、成績最下位ドンケツが「ゴート」と呼ばれる理由なんですが、
わたしは、ライバル校である海軍士官学校アナポリスのマスコットがヤギ
「ビル・ザ・ゴート」であることと関係あるのでは?と思ってます。

そのアナポリスの最下位成績者ですが、やはり華々しく名前が公表され、
こちらは「アンカーマン⚓︎」というそうで(笑)

バスは広大なグラウンドの通路にやってきました。
これはきっと名のある軍人さん。

と思って調べてみたら、

ジョン・セジウィック少将(1813−1864)

うーん、日本人には全くあずかり知らぬ名前であったわ。

何をした人かというと、南北戦争で弾が飛んでくる中歩き回り、

「そんなふうに弾から逃げる諸君らが恥ずかしい。
彼らはこの距離では象でも当てることはできないだろう」

といった数秒後に左目の下に弾丸を受けて死んだ人です。
弾に当たりさえしなければ豪傑の英雄譚で終わったのに・・・。

ちなみに、銅像の靴の後ろの拍車を夜中、誰にも見られずに回すと
何かいいことがあるという噂もあるそうです。

ま、候補生にとっていいことなんて、落第しないくらいしか考えられませんが。

さて、セジウィック少将の向こう側のサークルはなんなのかな?
え・・・?もしかしたら皆ゴルフやってます?

こりゃ驚いた、ウェストポイントは体育の時間にゴルフをするのね。
まあ確かに構内にゴルフ場があったりするわけですから、
体育の時間に基礎を叩き込んだら、コースに出ることもあるのかもしれない。

しかし士官候補生の体育のゴルフ、かなり本気っぽい気がします。

もしかしたら将来政治家になって、まかり間違って大統領になったりして、
日本の首相との外交で必要になるという場面もあるかもしれないですから、
基礎をやっておいて損はないかもしれません。

ところで、グラウンドの向こうの国旗が半旗になっていますが、
これはマケイン・ジュニアが亡くなったことに対する弔意だと思います。

亡くなった人の位に応じて、半旗を揚げる期間は決まっているらしいですが、
軍学校はそれとは関係なく長期間に亘って行っているように思われました。

授業でゴルフをやるということは、全員の分のクラブなりなんなりがあるってことです。
それも、ちゃんと校庭にホールが設けてあるわけですから。

彼らが練習をしているのはサッカーグラウンドです。
グラウンドはもちろん、それ以外のところまできれいに芝が敷かれています。

業者による手入れを行なっていないとこんなきれいになりません。

さて、こちらでは体育の授業でサッカーが行われています。
体が資本の陸軍ですから、サッカーの授業なんて遊びみたいなもの。
やっぱり楽しいのか、彼らの表情は授業だというのにやたら明るい。

よく見たら女子生徒がいるではないですか。
体格がほぼ男性と同格なので、髪の毛が長くなければ気づきません。

皆でたくさんのボールを蹴りあって、試合でもないしこれは楽しそう^^

さて、前回もお話ししたウェストポイントの人気者、体育教官だった
マーティ・マー軍曹を描いた映画「長い灰色の線」には、
1913年に行われたという実際のフットボールの試合が登場します。

ウェストポイントの相手はノートルダム大。

「まるで教会みたいな名前だな」

とマーティたちはすっかり勝つ気。

教会みたいも何も、キリスト教系大学なんです。
ノートルダムの応援バンドは尼僧の指揮する小学生だったりします。

確かに前半は勝っていたのですが、後半になって、
相手が予想外の「フォワードパス」という戦法を使ってきたので、
ウェストポイントは35対15で大敗を喫してしまいました。(実話)

しかしこのころのフットボールの装備って・・・・。

(´・ω・`)ショボーンとするウェストポイントチーム。

コーチは、今日のゲームは新しいタイプのものだったことを告げ、
さらにこう言います。

「士官として出陣する時戦場では予想外の事態が続出するものと肝に銘じよ」💢

Notre Dame vs. Army 1913 - The Game

フットボールのことを知らないので、映画を見ても、何が新しくて
どう変わった戦法に出られたのか全くわからないままなのですが、
検索したところ、この試合はカレッジフットボールの歴史を変えたというくらい
画期的なものだったらしいことがわかりました。

1913年 フォワード・パス

youtubeの最後には、試合後に相手の検討を称え合う両校のコーチの手紙とともに、
それ以降アーミーvsノートルダムがゴールデンゲームとなったとも紹介されています。

ところでこのパスがなぜここまで意表を突く作戦で、歴史的なものになったのか、
どなたかお分かりの方、素人にもわかるように教えていただけませんでしょうか。


 さて、チャペル見学を終えてグランドに移動するバスの車窓から、
こんな昔風の(でもアメリカにはよくあるタイプの)家を見ました。

建物の前には、

「ビート・ネイビーハウス」

とあるではありませんか(笑)

スポーツの試合における海軍アナポリスとのライバル意識は、
「ビートネイビー!」が寝言にも出てくるくらいカデット(士官候補生)の
脳髄に叩き込まれるという話を以前もさせていただいたことがあります。

Go Army! Beat Navy!〜アメリカ陸軍士官学校ウェストポイント

相手のマスコットを深夜盗み出したり、人質がスパイをしたり、
シャレにならない両者の相克があるわけですが、はてさて、
この「ビートネイビーハウス」って何?

検索してみると、

「チェックイン4時、チェックアウト11時」

なんとベッドアンドブレックファーストではないですか。

ビルディング109、ビートネイビーハウスにようこそ!
陸軍を象徴するという意味で重要な役割をする歴史的ホテルです。
各スウィートルームは最近新しく改装された共用のフルキッチンにアクセス可能です。
(HPより)

なんと!誰でも泊まれたりするのかしら。
例えば「ビートアーミー」関係の人でも。

ビートネイビーハウスの隣にあった家。
もしかしたらこれもホテルの一つかもしれません。

実はこの家、「長い灰色の線」に登場しています。
映画を見ていて気がつきました。

なんと、マーティ・マー軍曹メアリー・オドネルと結婚し、住んでいた家という設定です。
実際には二人は別のところに住んでいたということですが、
撮影が行われたのはまさにここだったのです。

この家は映画の最後のシーンにも出てきました。

30年ウェストポイントに務め、慕われたマーティのために、
ウェストポイントではその退職の日、分列行進を行います。

「誰のための分列行進です?」

「きみだよ。候補生たちが君のために行進をしたいと申し出たのだ」

呆然と感動しつつ長き灰色の線を見るマーティの目にはいつの間にか涙が・・。

真ん中は学校長、一番右の人も手袋で目をぬぐっています。

戦争で死んだマーティの教え子の妻とその息子。
息子も第二次世界大戦で南方に出征しましたが、
名誉の負傷で帰国しました。

「皆に見せたかったな」

「いいえ、みんなここに来ているわ」

マーティの目には見えていました。
自分を引き上げてくれた体育教師のキーラー大尉が。
出征を見送り、そのまま帰って来なかった彼の
教え子たちが。

 

そして、この家で静かに息を引き取っていった妻のメアリーオドネルが。

分列行進の音楽はアイリッシュ風のメロディの行進曲から、
「マイティー・マー」の歌に代わり、最後には「オウルド・ロング・サイン」になります。

ちなみに、映画の撮影は行われましたが、妻メアリーが息を引き取ったのも
ここではなく、当時二人が住んでいた家のポーチだったということです。

 

 

続く。