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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

マットレス・ファクトリー(という名前の美術館)

2021-02-07 | アメリカ

今日は息抜きに現代アートをご紹介します。

ピッツバーグにはカーネギーサイエンスセンターという最大の自然博物館と
そこにへ移設された美術館、アンディ・ウォーホル美術館がありますが、
もう一つ挙げるならば現代美術館である、

「マットレス・ファクトリー」Mattress Factory

が有名です。

例によってMKがネットで見つけてきた情報をもとに

「マットレス・ファクトリー行ってみない?」

と言い出した時には、なんのためにマットレス工場を見学?と思ったものですが、
この奇を衒ったネーミングセンスからして現代美術っぽいミュージアム、
創立者であるアーティストのバーバラ・ルデロウスキー(2018年88歳で死去)が
マットレス工場だった6階建ての建物をそのままアートセンターにしたものです。


わたしがピッツバーグという街を「鉄鋼の街」というイメージで捉えていたように、
昔は鉄鋼業で栄えたこの街も、1970年代には人口が流出して閑散としていました。

そこにルデロウスキーは最初のインスタレーション型美術館をオープンしました。

インスタレーションアートや、ビデオやパフォーマンスアートなどを公開し、
毎年75,000人以上の訪問者が訪れます。

地域、国内、および国際的なアーティスト、 650人以上よる作品が紹介されており、
その多くは美術館のアーティストインレジデンシープログラムで制作されています。

そして、ノースサイド地域の活性化の主要な触媒となっています。

ここはもともと「スターンズ&フォスター」というマットレス会社でした。
同社は今「Sealey」と名前を変えて世界展開しており、日本と取引もあるそうです。

煉瓦造りの建物の部分がほとんど残されています。

工場の建物を撤去した跡だと思ったら、アーティストの造園によるものでした。
これを「造園」とはこれいかに、といいたくなるいい加減さに思えるのは
わたしが日本庭園というもののある国の人だからでしょうか。

これはウィニフレッド・ルッツの「永続的なコレクション」です 。

かつてはイタロ-フランス・マカロニカンパニーというのがあったそうで、
基礎のように見えるのは火事で破壊された建物の跡なのだとか。

建物は6階建てです。
わたしが今住んでいるノースショアにあり、川の向こうに
ピッツバーグ大学の「学びの塔」が見えています。

(あ、言い忘れましたが、この写真はもちろん夏です。
今のピッツバーグはマイナス9〜1という寒さで、毎日雪が降り、
車は雪を溶かすために撒く薬がこびりついて大変です)

さて、それでは見せていただきましょう、と足を踏み入れた部屋。
これは作品ではなく、これから作品を「インスタレーション」する準備だと思います。
多分ですが。

常設展示のひとつ。

RepetitiveVision 草間彌生

Repetitiveというのは「反復性」「連続性のある」ということですので、
連続性のあるビジョン、ということでいいかと思います。

草間さんは同じタイトルでいくつも作品を作っているようですね。
草間彌生といえばドット、ドットといえば草間彌生なので、
どれもトライポフォビア(集合体恐怖症)にはちょっと、みたいな傾向があります。

ドットは同じ大きさのシールを貼り付けているようですね。
天井まで鏡張りの部屋に、東洋人風風貌のマネキンが・・四体かな?

一応ここの解説を翻訳しておきます。

「草間彌生の生涯の作品は、点、網目模様、強迫的に繰り返される形、
そう言ったものを利用した絵画、彫刻、インスタレーション、出来事が特徴です。

彼女は1958年にニューヨークに移住する前に画家としてのキャリアを開始し、
日本で数多くのグループショーや個展に出品しました。
ニューヨークのアバンギャルドな活動メンバーの一人として、彼女は
数多くの有名な『ハプニング』を上演し、ドットを描きました。

70年代、彼女は精神病院に入院したため、アシスタントがスタジオを維持していました。
彼女の生涯にわたる精神病と「正常」との戦いは、その仕事に注ぎ込まれ、
全てを消費しました。

擬人化された形やパターンを繰り返すイメージは彼女だけが見ることができる
幻想的なビジョンを再現します。

彼女の芸術仲間であるヨーゼフ・ボイスやルイーズ・ブルジョワのように、
彼女は生涯追求している特異な個人的なビジョンから超越的な作品を生み出しました。

彼女の作品は全て、花の壁紙の部屋の、花模様のテーブルクロスで覆われたテーブルに座り、
そして彼女の手も鼻で覆われているというビジョンから来ています。

彼女の作品の中で、鑑賞者は鏡に映り、有機的な形に遮られ、
そしてインスタレーションは彼ら自身をも壁のなかに吸い込むのです」

というわけでせっかくなのでわたしも「インスタレーションに吸い込まれて」みました。

Greer Lankton(1958ー1996)

It's about ME, Not You, 2008

「これはわたしのこと、あなたじゃない」みたいな?
MEが大文字なのは何かを意味しているのでしょう。

ここに登場する人形は彼女のアイドルと彼女自身だそうで、
もちろんそれらは彼女自身が製作したものになります。

ランクトンは生まれた時は男だったそうですが、その後
芸術においてもその人生においてもトランスジェンダーとして生きました。

この写真に写っているポートレートは展示にもあり、
彼女自身であることがわかります。

作品は38歳で彼女が亡くなる6週間前に公開されたものですが、
彼女が生涯において製作した人形が全て住んでいるのだとか。

性別とセクシュアリティの規範、そして大衆文化と消費主義のイメージ。
彼女はこれらを雄弁に探求し、そして疑問を呈しています。

彼女は生涯を通じて薬物中毒と摂食障害に悩まされており、
死んだのはこの「最後の仕事」のあと大量に薬物を取ったのが原因だったそうです。

 

James Turrel  「Catso Red」

部屋の角に四角いランプが取り付けてある作品。
この人の名前でアヒったら、こういうものばかり製作している人のようです。

https://duckduckgo.com/?q=James+turrel+mattress+factory&t=osx&pn=1&iax=images&iar=images&ia=images

タイトルは「赤」ですが、肉眼で見ると(上)ランプが赤いのか、
それとも壁を赤く塗っているだけなのかは判別できません。

しかし、同じ写真の露光量を落とすと、このようになり、
つまり壁ではなくライトそのものが赤いということがわかりました。

でっていう話ですが。

最初はマットレス工場跡だけではじまったこの美術館ですが、
インスタレーションという「現場に作品を直接設置する」という方式は
もう少し広がりを必要としたため、別館ができました。

ここは、いかにもアメリカのありがちな古い民家を買い取ったようです。

ここにインスタレーションされている作品は、

A Second Home 2016

Dennis Maher
 
 

いかにも住人がセカンドホームで行っている作業中のようなデスクとか、
誰もが無駄に溜め込んでいる具にもつかない思い出の品とか、
まあ言ってみれば人生において必須ではない、生活の澱のような役に立たないものとか、
とにかく「誰かの生きている形跡」みたいなシーンが展開していました。

実際に民家だったところに作品を据え付けているので、
こんなこともできます。
壁に普通にある本棚の後ろの壁に穴が開いていて外界とつながっているとか。

意味や目的というものを持たせることを全く放棄したらしい模型とか。
青いガムテープは一体何なんだ。

元の民家の仕様も含めて作品にしてしまっています。

暖炉の前の椅子には・・・もう誰も座ることはできません。

トランクの中にあるのは「元椅子だったもの」のようです。

この家の住人は、かつて薪を使っていた暖炉を塗りつぶし、そこに
ガスストーブを設置するためにガスの配管を行ったらしいのがわかります。

アメリカの家は普通に100年越えが多いのですが(とくにここは地震がないから)
今でも薪の暖炉を使っているところは滅多にないと思われます。

わたしがニューヨークで借りた家も各部屋に一つづつ暖炉がありましたが、
暖房はエアコンで、今では単なる飾り棚と化していました。
薪の暖炉とエアコンの間には主流がガスストーブだったことがあるのかもしれません。

部屋というか家そのものに「インスタレーション」が施されています。
レンガの壁に丸く綺麗な穴が開けられていて、それを覗いてみると・・・

向こうに見えるのはこれ。

Rolf Julius 「Red」

あまり赤くないのですが、他の写真を検索すると赤です。
このあと赤を塗ったのかもしれません。

ただぶら下がっているのではなく、これ自体が「スピーカー」になっていて、
糸が微かに振動しているのまで含めて作品のようです。

展示には常設展示とテンポラリーがあり、これは
当時のテンポラリー展示だと思われます。

アーティストにとって、空間を与えられ、そこで
好きなようにあなたの作品を展開してください、というここの方針は
非常に想像力をかき立てられることなのだろうと思いました。

建物の外側の庭も、造園作家の「作品」ということです。
思いっきり人工的で良くも悪くも「独りよがり」なアートを散々みて
外に出たとき、このような馥郁たる香りを放つ花の咲く一角が展開されていると、
正直なところほっとするのを感じます。

それもこれも包括して人間の感性を刺激する装置を意図して
この美術館は計算されているのかなと思ったり。

庭の壁には文字を入れた陶器のパネルが並んでいるコーナーあり。

世界中で人類が使用している文字のいろいろ。

日本の平仮名ももちろんあります。

「ま」とか「ゆ」とか、やはり造形的に面白いものが選ばれているようです。

この「ローマン」って🙂にしか見えないんですがこれは。

ガラスの内側にこれがあって、どうも作品に見えないけどなんだろう、と言いながら
立ち去ったのですが、あとで(ちうか今)、この機器は、
ロルフ・ジュリウスという人の「作品」であることが判明しました。

「Music For Garden」

つまり、このときはやっていませんでしたが、庭に流れる音楽、
その空間を「作品」として創造したということらしいです。

My work is as high as the building, and fills the entire lot adjacent to it.
In this way, I have created rooms.
As the visitor moves from one room to another--either vertically or horizontally--
the experience of the work changes.

私の仕事は建物と同じくらい高く、それに隣接する区画全体を満たします。
 このようにして、私は「部屋」を作りました。
訪問者がある部屋から別の部屋に(垂直または水平に)移動すると、
それが変化するのを体験できます。

この人がこうやって機器を操作している時だけ現れる作品てことでOK?

t

美術館にはチケットなしでも外から入場できるカフェがあります。
暑かったこの日、展示場全体を歩いたあと、ここで一息つきました。

しばらく流行病関係で閉館していたマットレスファクトリーですが、
2月10日に再オープンが実現するようです。

今住んでいるところはアンディ・ウォーホル美術館のワンブロック隣ですが、
ここはカフェ以外はプロトコルを定めてすでに再開している様子。

カーネギー博物館もオープンしていますが、ここもカフェはまだ
本当に美味しくて大好きだったので残念でたまりません。

次に来る時には、平常に戻っていることを心から祈るばかりです。

 

 


ピッツバーグにて〜2011年1月16日の「意味」

2021-01-16 | アメリカ

令和3年1月15日には、海上自衛隊東京音楽隊の
第61回定期演奏会が行われました。

これをご覧の方の中にも貴重な演奏を聴くことができた
ラッキーな方がおられるかもしれません。

去年のチャイナウィルパンデミックが発生して以降、
さまざまな行事が自粛によって中止されてきたわけですが、
なかでも個人的に最も残念だったのは東京オリンピックでした。

はっきりいってオリンピックというものになんの幻想も抱いていないわたしは
商業イベントの一つが消しとんだくらいの感覚しかないのですが、ただ、
陸海空自衛隊音楽隊がセレモニーで演奏することだけを楽しみにしていたので。

 

秋の大イベント、自衛隊記念日の観閲式も音楽まつりもなくなり、
音楽隊の隊員の皆さんはどのようにモチベーションを保っているのか、
と折に触れては心を痛めていたわけですが、アメリカに来てから
東京音楽隊定演の招待状を頂いたことを知らされ歓喜しました。

そして、喜び勇んで返事をどうするか聞かれてろくに日付も確かめずに
行くから出席で返事出しておいて、と一旦返事したのですが、
よくよく見ると、演奏会は帰国の1ヶ月前ということがわかりました。

こちらには家庭の事情&飛行機便数の激減で帰国が後ろにずれ込み、
2月半ばまで帰れないという状況なので、話にもなりません。

というわけで無念さに涙を呑みながらも、定期演奏会が再開されたことを
心から喜び、その成功を遠いアメリカから祈る次第です。

さて、こちらですが、大雪が降ったのは到着した次の日だけで、
案外積雪はない地域なのだとあらためて知りました。

夏の間散歩していたシェンリー公園ですが、雪が溶けた後、
この池に全て水が流れ込み、水嵩が増えて大変なことに。

池の周りの遊歩道が全て水没してしまっていました。

夏でも滅多に人とすれ違うことのない散歩道は、冬なのでこの通り。
本当にアメリカに来てからは、お店とホテルのフロントくらいしか
人と接触することはないので、少なくとも感染リスクは大変低いです。

雪が降っていた頃はまるでスキー場のようだったゴルフ場。
なんか有名なゴルファーの名前が冠されているそうですが、
夏からめっきり人を見なくなっていました。

この日はプレイに来る客がいたようです。

考えたらゴルフって三密を避けるにはもってこいのスポーツですよね。

1月15日、MKが学校でコロナ検査(唾採取型)を受けた時、
わたしもキャンパスに行ってみましたが、ご覧の通り。
授業の正式な開始は2月1日からで、もちろんオンライン授業が主体です。

夏の間授業がなくても営業していたデリ&カフェ「エントロピー」(笑)も
硬く扉を閉じて、というか建物自体施錠されてしまっていました。
これはアメリカの大学には大変珍しい事態です。

今回アメリカに来て、街中に出ている人が本当にいないのに驚愕しています。
飲食店はほぼ全部ダインインは中止してテイクアウト営業のみ、
衣料を扱うデパートなどは開けていますが、今回は夏以上に人がいません。
お洒落をして出かける機会もないのにファッションなんて、という空気が蔓延し、
人々の購買意欲も駄々下がりしているように思われました。

ただ、ホールフーズなどの食料品店は順調すぎるくらい人が来ています。
カートを消毒し、店内の人数を制限するという措置を取っているので、
クリスマスイブの日は外で2〜30分並んで待たされました。

こちらにわたしが来た最大の目的は冬休み中のMKの身柄確保と、
引越し荷物全ての引き取り、そして新学期から移るアパートへの引っ越しの手伝い。

ここがしばらく入居する民間のアパートです。築100年越えの当たり前な
この辺のアパートの中では異様なくらい?新しい物件。
延々と続く廊下の突き当たりが割り当てられた(自分で選べない)部屋でした。

まず居住する個室ですが、ちょうど日本のホテルの一人部屋より一回り広い感じです。
ベッドと机は最初からついていて、ベッドのマットレスはなぜかテンピュール。
初日は荷物を入れて左側の家具を買ってきて組み立てたりしていました。

必要な家具などを調達するためにはアイケア(IKEA)へ。
IKEAに行くことなど久しぶりでワクワクしてしまったのですが、
キッズケアルームはもちろんカフェも営業していませんでした。
皆粛々と通路を通り、買うものを買ってセルフレジでお勘定をして出ていくという感じ。

せっかくなのでデリで久しぶりにスウェーデン肉団子を買って車で食べました。
クランベリージャムが合うんだよね。

彼の部屋からの窓の眺めは東向きでこんな感じ。

部屋のタイプは二人部屋でルームメイトがいます。
当初、MKは自分の知り合いとルームシェアをするつもりで申し込んだのですが、
部屋が空いておらず、見知らぬインド人と同室になりました。

インド人はMKと同じ大学の院生だそうで、このアパートの先住民なので
すでにリビングの前の部屋を陣取り、リビングルームにものを並べまくり、
冷蔵庫にいろいろ貼りまくっていてわたしは思わずムカっとしたのですが(笑)
我々が荷物を入れた次の日には片付けてくれていました。

わたしならどんな事情でも赤の他人と同居などとても耐えられませんが、
MKはこれまでの学生生活でルームメイトとの付き合いには慣れています。

最初にリビングをのぞいて思わず声を上げてしまいました。
なんかまるでニューヨークのリッチな実業家の家みたいな窓です。

しかし、後から聞くと、これはたまたま割り当てられたのが角部屋だからで、
自分で好きな部屋を選べない以上、ただラッキーだっただけだと知りました。

二人部屋の全面積は80フィートスクエアで、大変広いわけですが家賃は1200ドル。
学生の下宿にしては高いとはいえ、日本で10万ちょっとの家賃で
こんなところに住めるかというと、かつて自分の住んでいたところを思い出してもありえません。

コロナのこともあるし、秋からは一人部屋を申し込みさせる予定なので
そうなればこんな眺めは望めませんが、この部屋が
夏まで楽しめるというのは羨ましい限りです。

 

ところでMKの学校に行ったら例の塗り替え柵が

「ブラックボーツマター」

になっていて、なんじゃこれ、と呆れました。
どこの国も大学生ってこんなですよね。
(実はリベラルvs保守的家庭内思想対立がうちでも親子であったりする)


ところで、年が明けてナイアガラ旅行の報告が終わってから、このブログのアップが
しばらくストップする事態になったのは、雑用が忙しいことに加え、
現在のアメリカの状況を追うのに
毎日怒涛のような情報に目を通しているだけで、
他のことをする気力がなくなっているせいでもあります。

 

最初に書いたように、街の様子には何かが起こっているようなものは何もありません。
むしろ人々が外にいないことで死んだように鎮まりかえっているように見えますが、
実は、多くのアメリカ人が今息を凝らすようにして、アメリカという国の行方を
見守っているのではないかとわたしは思っています。

 

夏の選挙の頃から、住宅地に「売電・鉤素」の札を立てている家は
市内でよく目撃していましたが、「花札・ぺん酢」の札は見たことがありませんでした。

噂によると、もしそんな札を立てようものなら家が襲撃されかねないからだそうです。
しかし、郊外の一軒家は堂々と花札支持の札を立て、また、軍人の車は
それを表明した上で支持のプレートを貼って誇らしげに走っていました。

 

そして今回の選挙で実は売電より圧倒的に多かったといわれる一般の花札支持の人たちは
名前の札の代わりに家にアメリカ国旗を掲揚しているようです。

散歩に行く公園の近くは、「売電・鉤素」「BLM」「ボートブルー」などの札が多く、
一見密集地域のようですが、その一角に一軒だけ、星条旗を揚げている家があります。

不思議なことに前者が星条旗を一緒に掲揚している例をみたことがないので、
こわたしは密かに
この家は花札支持なんだな、と思っています。

 

ところで、ネットの記事を追っておられる方ならご存知かと思いますが、
1月16日、前大統領小浜市について色々と「ゲート」が発表されるらしいですね。

わたしは小浜がいたというカリフォルニアのリベラルアーツ大学を
MKの大学選びのときに見たことがあるのですが、
そのときに飾ってあった彼の学生時代の写真を見て、なんとなく、
胡散臭いというか、世間で喧伝されているような清潔で清廉な人間の面影など
微塵も感じられず、心の警報機が「こいつは怪しい」鳴り響いた記憶があります。

色々総合して、あのときの自分の嗅覚は当たっていたかもと今思っています。


さて、ここで何度かお話ししているように、わたしは911のときアメリカにいました。

アメリカが変わる歴史的な瞬間にアメリカの中からそれを見ていたわけですが、
今回もたまたまアメリカの歴史が大きく動くかもしれない瞬間、
ここにいることに
なにか不思議なものを感じています。

911のあとの報道は凄まじいものでしたが、むしろ街は死んだように静まりかえり、
人々はその中でも
普通に生活を営み、人生を続けていました。

今この瞬間も、人々の見かけの様子からは何も感じ取ることはできませんが、
今回は前回と違い、多くの人々がインターネット空間で声を上げ、気付き、
メディアが伝えない情報を共有しながら事態を見守っているのを感じます。

そういえば、1月16日、116を逆さまにすると「911」ですね。
これに意味があるのか、全く偶然なのかを我々は後から知ることになるのかもしれません。


ちなみに昨日、散歩のとき空に異様な形の機影を見つけ、目を凝らすと、
機体音痴のわたしにもそれが軍用輸送機であることがわかりました。
ワシントンに州兵を派遣しているという報道もありましたが、それが
どういう意味を持っているのかはもちろん全くわかりません。

しかし、いずれにしても今、何かがこの国に起こりつつあります。

この意味は、たとえこのまま不正な選挙で選ばれたといわれる大統領が
選択されても、たとえそうでないことが起こったとしても、

どちらにせよ、昨日までのアメリカとは違うアメリカになっていく瞬間に
わたしは立ち会っているのかもしれない、ということです。

 





ナイアガラの滝詣で〜アメリカ自粛中旅行

2021-01-02 | アメリカ

新年のけじめとしてみなさまには賀状めいたログをアップしましたが、
ご覧になった方はおそらくうすうすお気づきのように今回ナイアガラの滝を見てきました。

今回渡米したのはMKが今期借りていた寮の退出期限と、次に移るアパートの
入居可能日の間に3週間という微妙なタイムラグが起きてしまい、
平常時なら荷物の預かりと配送を依頼するドームルームムーバーが
中共ウィルスの影響で手配できないという事態に対応するためでした。

しかも選択している授業によっては最終試験の次の日に退出、
という厳しいスケジュールになっていて、MKの場合夏頃から
それがストレスになっているという状態だったので、パッキングと
荷物と本人のホテルへの引き取りを目的にわたしの出動となったわけです。

しかも彼の場合退出日の前日夜に企業を加えた研究プレゼンというのまであったとか。
相手は日本のゼネコン「A組」とその窓口となるB社の人、つまり日本人相手に
英語でオンラインプレゼンを行ったそうで、その様子をわたしは興味津々で聞いたところ、

「B社の社長はプレゼンにいたよ」

「ふーん」

「でもA組の社長はいなかった」

「社長・・・・そんなもんいるかーい!(呆)」

さて、ここピッツバーグでは気温が零下8度から11度まで寒暖が繰り返されます。
雪が降ったと思ったら雨がそれを溶かし、そこにまた寒波の波が雪をもたらします。

現地について二回目の雪が降った日、朝向かいの球場の整備員が
こんなハイテク機器で球場の周りの雪かきをしていました。

雪除けのフードは太腿部分にベルトで留めてあるようですね。

それが終わったら今度は雪を溶かすための塩を撒いていました。
ブルーの色は雪が溶けるとなくなります。

二回目の雪の後、ホテル前の河原のトレイルを歩きました。
向こう側に見えるのは、かつてワシントンが南北戦争の時に上陸した
ハーズ(Heers)アイランドで、今は高級住宅地とマリーナがあります。

クリスマスの時はビルディングのイルミネーションは皆緑と赤でした。

河原の鉄橋下などにあった落書きは、すべて塗り潰されたのですが、
いたちごっこのように上から新しい落書きが・・・。
この微笑ましい?やりとりは旧落書きのときにもありました。

夏までトラ(ンプ)大統領を貶める4文字言葉の落書きがあった場所には、
塗り潰し作業後、全く逆の応援落書きが現れました。

都市部ではトランプ支持者は襲われて危険などという情報もあるようですが、
少なくともここピッツバーグ(ペンシルバニア=スィングステート)では今回
車に「トラ(ンプ)・ペン(ス)」のナンバーを付けて走っている車も見ますし、

フリーウェイを走ると、郊外には大きな「トランプ」の看板を挙げている家もあります。

大統領選以降、隠れていたトラ支持者が存在を表し、声を挙げているのを肌で感じます。

 

さて、ナイアガラの滝まで行く計画はなんとなく決まりました。
住んでいるピッツバーグから車で簡単に行ける観光地というと
ナイアガラしか思いつかなかったからなのですが。

休憩を入れて3時間半くらいでバッファローに到着。
ホテルの隣にウォルグリーン(24時間営業のドラッグストア)があって便利です。

地形に高低がなく、どこまでも真っ直ぐな地面のせいで空が広い。

古い建物が多く残された落ち着いた雰囲気の街です。

レジデンスインをたまったマリオットのポイントで取りました。
オープンしてまだ新しく、インテリアも設備も最高です。
こういうご時世なのでクリスマス休暇中にもかかわらず部屋を取るのは容易でした。

翌日、早速ナイアガラ国立公園に行ってみました。
ピッツバーグからまっすぐ北上するとエリー湖に突き当たります。
エリー湖の向こうはもうカナダ。

ボストン在住時、幼児のMKも一緒にナイアガラには来ているのですが、
彼は当然ながら全くその記憶がないそうです。

国立公園に入ってみると、無料のパーキングがあったので、
そこに車を停めて現地まで歩いて行きました。

滝の近く(といってもそんなに近くない)にも駐車場はありますが、
行ってみると並んでいる上なんと10ドルも取られるのです。
(アメリカの駐車代10ドルは異常に高い部類)

エリー湖からオンタリオ湖に流れるナイアガラリバーの河畔を歩いて行きます。
穏やかだった川の流れがだんだん激しくなって行きました。

向こうの橋のむこうが滝。
超当たり前ですが、この川は一切船の交通はありません。

川に万が一落ちたら確実に命はありません。
日本なら厳重に柵を作ってしまうところ、こちらではこの通り。
川岸に腰を下ろして流れを見ながらコーヒーを楽しんでいる人が
立ち上がるときにバランスを崩して川に落ちたとしても自己責任です。

向こうに見えているタワーはオンタリオにあるスカイロンタワー。

高さ236mで展望台からはカナダ滝、アメリカ滝の全景が楽しめます。
最上階には回転レストランがあるそうですが、もちろん今は営業していないでしょう。

この日は晴れて絶好の「ナイアガラ日和」でしたが、気温はマイナス3度くらいで、
ダウンコートに今回のためにネットのリサイクルショップでゲットした
フード付きのマフラー、ダウン入りパンツが大活躍です。

川沿いの通路は滝に近づくにつれて(たぶん飛沫のせいで)
普通の靴では滑って危険状態になってきました。

手前の柵の小さな氷柱をご覧ください。

そこでわたしは手すりを掴める状態で、「ペンギン歩き」を心がけました。

寒い地方にはそれなりの歩き方の作法があるのです。

というわけでナイアガラの滝に到着。

水の勢いが凄すぎて氷瀑になりようもなさそうです。
流れを凝視していると自然への畏怖みたいなものを感じずにいられません。

観光客はこのシーズンにしては少なめとはいえ、一定数いました。
前回来たときとの比較でいってもかなり人数は減っていると思いました。

平常時であれば滝の周りを回遊する「霧の乙女号」は、営業を停止して
全て陸揚げされていました。

前回来た時もなんだか不思議だったこの巨大な廃屋。

昔は宿泊施設だったりしたのかな。
ちなみにナイアガラの滝はアメリカ側からよりカナダ側からみる方が絶景です。

川の真ん中に突き出すように設置された展望台に行ってみました。
普段は有料のようですが、今は無料公開されています。

展望台の手前にあるゲートでは係が一人立って人数制限をしていました。

飛沫を浴びるくらいの至近距離に近寄ることができる通路があります。
コロナに関係なく危険なので冬季は閉鎖しているようです。

拡大してみると、そこは氷漬けの世界。

 

ナイアガラの滝の観光客が現地で費やす時間はせいぜい30分といったところでしょう。
たしかに一生に一度は見るべき自然のスペクタクルではありますが、
見ていても何も変わるものではないので、皆写真を撮ったらそそくさと帰って行きます。

前回の記憶のない息子はそれなりに期待していたようですが、見た後、
あんなものか、みたいな軽い失望を表したので、わたしは彼に
「日本の三大がっかり」について解説してやりました。

ただ、はりまや橋、時計台に続く3番目のがっかりがどうしても思い出せませんでした。

ちなみに世界三大がっかりといわれているのはマーライオン、ブリュッセルの小便小僧、
シドニーのオペラハウスですが、いろいろバリエーションはあってもとりあえず
ナイアガラフォールズはがっかりからは外されているようです。

クリスマスシーズンにしてはこの人の少なさは特殊でしょう。
ナイアガラの滝を何度も見にくる人はまずいませんが、それでも世界中から
毎日のように初めての人が詰めかける場所だからです。

今回は今までどこにでもいた中国人観光客の姿を1組も見ませんでした。

周辺のレストランはほとんどが営業を停止していたようです。

ビジターセンター前でガチョウの群れを追いかける女の子。

アメリカ人にとってガチョウなど珍しくもないと思いますが。

このあたりのリスは異様なくらい皆太っています。
日頃から観光客の捨てたゴミ捨て場の食べ物などを漁っているので、
冬眠の必要は全くないのだと思われます。

今年の夏はカリフォルニアに行けなかったのでリススレをあげられず、
大変残念に思っていたわたしとしては目の色を変えて彼らを追い回しました。

ガチョウもそうですが、ここのリスどもはとても人慣れしています。

人によりますが、ときどきスナックなどを撒いてくれるからですね。
バターとか塩味たっぷりのスナックは小動物の体にはよくないと思うのですが。

モルジブのホテルでロシア人が猿にチキンを与えている姿、
奈良の鹿がフライドチキンを食べているのを見たことがありますし、
ディズニーシーのカモはポップコーンを啄んでいました。
自分の食べているものを何も考えないで動物にやるという行為は、
観光地の動物たちにとって「優しい虐待」以外の何物でもありません。

それに比べてカモメたちの雄々しく勇ましいことよ。
激しい川の流れの上を、その流れの中に獲物を求めて飛びます。

そして何かを見つけると流れに飛び込み、一瞬で離脱したときには獲物を捕らえているのです。
もちろんそれが成功するのは一日何百回ものうちの数度にすぎません。

わたしたちも展望台に上がればここでの用事は終了です。

元来た遊歩道を歩いて車に戻りました。
大した距離とは思いませんでしたが、観光客はほとんど歩いていません。

パーキングの横にナイアガラ手前のリバーサイドのちょっとした歴史がありました。
ナイアガラ観光のために公園として整備される前、1887頃の写真です。

上は1910年頃リバーサイド。
下は1963年の写真だそうです。

空いているレストランを探すのは至難の技なので、ホールフーズで材料を買って
副菜を調理し、メインにバッファローウィングをデリバリーしました。

何しろここはバッファロー。
バッファローウィングの発祥の地ですから。

お店はたくさんあった様ですが、ネットの評価が高かったお店で
とりあえず20ピース注文してみました。

バッファローウィング(英:Buffalo wing)は、鶏肉の手羽を素揚げにし、
辛味の強いソースをまぶしたものです。
地元の人には「チキンウィング」や「ウィング」で通じます。

カイエンペッパーと酢を利かせた辛味と酸味の強いソースが特徴で、
大体のお店では辛さのレベルをチョイスすることができます。

わたしは辛いものが苦手なので、マイルドを注文しました。

セロリスティックとブルーチーズドレッシングがオプションでつけられます。
ブルーチーズドレッシングは辛いチキンにちょっと付けるのもよし、
チキンの合間にパリパリと食べるセロリに付けるのもよし。

時間を指定して持ってきてもらい、出来立てにかじりつきました。

「美味し〜い!♡」

ほとんど人に会わず、人混みに出ないで車で往復し、
食事はすべてホテルで自炊するという旅行ではありましたが、
それなりのイベント(ナイアガラ詣で)グルメ(デリバリーのチキン)
と十分に楽しむことができて大満足の旅でした。

しかも!

みなさまにぜひお伝えしたいのは、当ブログ的に思わぬ収穫があったことです。
海のないこの地域で全く期待していなかった「軍艦見学」ができたのです!

 

続く。

 


ピッツバーグの「メリークリスマス」

2020-12-25 | アメリカ

ピッツバーグに着いて何日か経ったので現地報告します。

まず出発の日の成田空港の様子ですが、ご覧の通り。
前回もそうでしたが、今回も最初の予約便が飛ばなくなり、出発便を変更させられました。
ある程度の人を乗せないと飛ばせないのでそういう調整をするようです。

免税店はコーチだけがなぜか営業していました。

ラウンジに行くと従業員と客がほぼ同数でした。

パイロット席の窓ガラスの掃除は手作業で行います。

今回もカードのポイントで航空券を取りました。
なんとこの区画でわたしが唯一の客でした。
後で聞いたところ、乗客総数37名だったそうです。

どうも航空会社は運行乗客最低数を30人以上と決めているようですね。
前もそれくらいだったし。

キャビンアテンダントはわたし一人につきパーサーと若い人が着いてくれるという状態。
一人ということで話しかけてこられたのですが、

「アメリカにお帰りですか」

なるほど、こんな時期に渡航するなんて、住んでいる人しかないってことね。

機内で着替えるためのラウンジウェアは持ち帰り可です。
前回Mサイズをもらったので今回は家人へのお土産にするためLにしました。

機内アメニティのケースは今回もグローブトロッター。

搭乗して間もなく機内食が開始されたのですが、わたしはうっかり、
めずらしく仕事がなかったので見送りに来たTOと、時間をつぶすため
搭乗前に寿司屋で巻物をつまんでしまい、全く食欲なし。

にもかかわわらず、これでもかと出てくる先付け。

もはや暴力的とも思えるボリュームの主膳(涙)
せっかくの美味しい和食にほとんど手がつけられず、CAさんに

「何かお味に問題でも」

と聞かれてしまい、平身低頭で謝るという体たらくでした。
もちろんデザート(わたしの好きなモンブランがあったというのに)もパス。

教訓:飛行機に乗る前に食事をしてはならない

 

前回と同じく、隣の席にベッドをメイクしてくれました。
メラトニン10ミリを服用し、怖いくらい熟睡することができました。

シカゴのオヘア空港でトランジットだったのですが、4時間もあったというのに
乗り継ぎの便のステイタスがエコノミーだったのでラウンジなし。

待ち時間に空港の自動販売機で1ヶ月使える携帯のSIMカードを買い、入れ替えたり、
歩き回ってアップルワッチの歩数を稼いだりして時間を潰しました。

ちなみにオヘア空港の人出は夕方になるにつれ増えてきてコロナ前のようでした。


ピッツバーグ空港到着。
考えたらアメリカでクリスマスを迎えるのは住んでいた時以来です。

右はピッツバーグと韻を踏んだシックスバーグで「バーガー6個分離れて」
左はケーブルカーの「インクライン」を、

「我々は6フィート人との距離を取るようにお願いする傾向にある

とひっかけるご当地主義の注意書き。

インクラインとはこれのこと。

夜の9時にたどりつき、飲まず食わずのまま寝て、
朝起きて外を見たら、こんなんなってましたー。

この冬初めての「スノウストーム」襲来です。

外を歩いている人は・・・一人いたみたいですね。足跡が。

こんな日に運転するのは蛮勇というしかないというくらいの雪でしたが、
食べるものが何もないので死んだ気で買い出しに出かけました。
車線が見えなくなるほどの吹き降りとあってさすがの地元っ子もノロノロ運転。

雪国の人なら経験がおありだと思いますが、ブレーキを踏むとタイヤが何センチか滑るのです。
何度か冷や汗をかきながらどっと疲れて帰ってきました。

明けて次の日。

雪でも頑張るはたらくくるま。

すこし歩いてみようと外に出ました。

防寒はできても足元が悪すぎて(運動靴なので滑る)ワンブロック歩いて諦めました。

その翌日はオハイオ川ぞいを歩いてみることに。

ピッツバーグ名物の橋も雪の中でなかなか絵になります。

この日の気温はちょうど0度くらいだったでしょうか。
記憶にある北海道の寒さと同じくらいでした。

ふと上を見上げると太ったリスがお食事中。
ミシガン湖周辺に生息するというアメリカ赤リスだと思われます。

君たちは冬眠しないのか。

枝の上で素早く動けないのにわたしがカメラで狙うのでビビりまくってます。

雪が降るとそこここに現れるスノウマン。

いつも川沿いにいるグースのみなさんが雪上にたむろしていました。
なにか食べるものがあるんだろうか。

(悲報)夏にあったブラックライブズマターのペイントは当局によって黒塗りされました。
悔しいので黒ペンキの上にまた描いてやるう!消せるなら消してみろ!BLMをなめんなよ!てか?

ちなみに公共の建物に落書きするのがアンティハとかビーエルエムのデフォルトらしいです。
表立って声を上げると抹殺されかねないので、皆彼らに対して黙ってますが、迷惑は迷惑だよね。

雪の衣をまとったホームラン王(名前忘れた)

帽子もかぶってます。

今回の渡米の第一目的がこれ。MKの退寮にともなう引越しの手伝いです。
寮を退出する期限前日まで試験で1日で引越ししなければいけないという
非常に厳しいスケジュールの上、業者はコロナのせいで手配が絶望的だったので、
仕方なくわたしが飛行機で乗り込んで荷物ごとMKをホテルに収納するという作戦です。

来学期には別のアパートに移らなくてはいけないので、年明けの引越しも手伝います。

いよいよムービングの朝、あと2時間というところで電話したらまだ寝ていて、
コンピュータ周りの梱包に全く手をつけていないことがわかり、呆れました。

今学期の成績もまあ満足いくものだったということで、(試験の成績はすぐにわかる)
安心して解放感からゲームしていたみたいです。

ところでMKの受けている授業でオンライン試験中に(丸一日のリミットで答えを出す科目)、
「オッケーグーグル」を悪用したチーティング(カンニング)がバレた何人かがいたそうです。
寛容な先生らしく、自己申告した人は恩赦するが、黙っていたら落第ということですが、

「いい学校なのにそんなことする人いるんだね」

というと

「そういう学校だからやる人がでるんだよ」

この日は到着して1週間目。
雪が溶けたのでまた川沿いを歩きに行きました。
この建物は実はカジノなんですが、

営業停止しているので中はご覧の通り。
奥の方に電気がついていますが、誰もいないラウンジで若い男性が一人、
テレビを見ていたのでびっくりしました。

不気味だったのは、誰もいないテラスでロック調のBGMがガンガン鳴っていたことです。

カーネギーサイエンスセンターも無期限休館となっているようです。
潜水艦「レクゥイン」の中を見学できるのはいつのことでしょうか(涙)

着いたころ、少なくともFOXではスウォルウェル下院議員の中国人女スパイとの
「不適切な関係」で盛り上がっていました。

家の前でジョギングから帰ってきたところを突撃されてしまうスウォルウェル。
それはいいんですが、議員というのに入っていく家があまりにしょぼいので驚きました。

お金のない人が政治家にになるとこういう事態を招きやすいってことですよ。

厄介なのは、たとえ権力とお金を手に入れたとしても、今度は
普通のことでは満足できなくなって、世界征服とか企んでしまうんですよ。
実に人間の欲とは罪深いものです(一般論ですよ?)

サービス画像:ネイビーシールズ出身、共和党の隻眼の下院議員ダン・クランショー。

着いて最初の週末、夏の間毎日歩いたシェンリー公園に行ってみました。

山の中の道はすっかり雪で閉ざされていて歩くことができなくなっていました。

仕方がないので車道に沿って歩いていくことに。

スキーしてる人がいる!

学びの塔を臨む広場は格好のソリ遊び場に早変わり。

ピッツバーグは豪雪地帯ではないので、冬の間雪が降っても
これだけ積もることはシーズンに何度かというかんじだそうです。

たまたま週末と降雪が重なったので、この賑わいとなったようです。

日曜日、買い物に出かけたらいつものフリーウェイが渋滞していました。
その原因がこれ。
クリスマス前だというのに・・・というかドライバーは生きているのかレベル。

フロントの状況から見ると、前のセダン車に思いっきり追突したみたいですね。
前を全く見てなかったのか?

この日、モールの駐車場で前に止まっていた車。
アメリカには軍の他大学にもMOM、DAD、GRANDPA、GRANDMAとつけて
身内の所属を世間に自慢するグッズがあります。

噴水広場には巨大な電飾ツリーが出現していました。

今年初め渡米した時、

「アメリカではポリコレのせいでメリークリスマスと言えなくなっている」

というのは本当ではない、ということを言ったのですが、
今回まさにクリスマスシーズンにあって、テレビでもお店のレジでも
皆普通に「メリークリスマス」と言っているのをを確認しました。

もちろん話している相手によっては

「ハッピーハヌカー」「ハッピーホリデイ」

などと言い換えることはありますが、テレビのアンカーもゲストも
どんな深刻な(特に今アメリカでは大変な問題が起きているので)
話題の後にも、最後にはメリークリスマスでしめています。

なぜだかものすごく安心してしまいました。

ちなみにさっき知ったところによると、なんでもポリコレのせいで
メリークリスマスが自粛されていたのはオバマ政権の間だけで、
ここ何年かはまた言えるようになってきたということらしいです。

 

 

 


「ドーランを塗った兵士たち」 戦場のエンターテイナー〜兵士と水兵のため博物館@ピッツバーグ

2020-12-19 | アメリカ

今アメリカです。

今FOXニュースで、中国人の女スパイにハニトラで引っかかっていた
民主党のスウォルウェル下院議員について、彼が沈黙していることで
ペロシは無関係なのかとかマッカーシーがインタビューを受けています。

「これは国家安全に関わる出来事なんです。
このことについて共和党もも民主党もないでしょう」

この恥ずかしい下院議員、大統領選の民主党代表に立候補してたんですね。
天安門事件の後凍結されていたODAを解除してC共に援助を決めたのはこの人。

ちなみにFOXでは息子の強制捜査と中国との関係について、
All In The Family(家族の全て)とタイトルされたニュースで

”get Joe involved”

であったことを普通に報じています。

CNNは例の盗聴事件で「いろいろと」バレてしまいましたが、アメリカはまだ
「こちら側」を報じるメディアがあるだけ日本よりマシな気がします。



 

さて、先日ご紹介したビリー・ジョエルの「アレンタウン」の歌詞に、

「俺たちの親父らは第二次世界大戦で戦い
休暇にはジャージー海岸ですごし
USO(ユーエスオー)で出会い、ダンスを申し込んでチークを踊り
そして俺たちはアレンタウンに住んでいる」

というフレーズがあったでしょう。
United Service Organization

通称USOは、1941年に当時のルーズベルト大統領の依頼により、
軍人の士気向上を目的にした慰安、娯楽を提供する場として発足しました。
当時戦争の勃発によって急激に拡大されていった軍隊を統制するためにも必要な
エンターテイメントを供給するためのNPO団体で、もちろん国防総省の支援を受けています。

USO主催のダンスパーティ、この日は「ネイビーデイ」の模様。

そういやあの怪作「1945」では、USOのダンスパーティ会場で
陸軍と海軍がマジで喧嘩してましたが、やはりこういうパーティは
ネタではなく「混ぜるな危険」だったんじゃないでしょうか。

また、同作品では、ダンスパーティに出席する女性に対し、

「どんな嫌な男でもそんなフリを見せないこと」
「とにかく兵隊さんたちを慰めるのです」

と言いくるめるやり手婆さんのような「マナー教師」がいましたね。

サクラとして参加していた女性もいた一方、「制服フェチ」もいた、
とあの映画で描かれていましたが、ビリージョエルの歌詞のように
USOのおかげで成婚に至ったカップルももちろん多かったのだと思います。

 

キャンプにエンターテイメントを提供するのもUSOの大事な任務でした。
ハリウッドの大物スターから無名のボードビリアンに至るまで、
キャンプを回ってショーを行ったエンターテイナーは七千人を超えます。

正確な数字を挙げると、1941年の発足から1947年(キャンプ引き揚げまで)まで
USOが提供したパフォーマンスは42万8千521回

その最盛期は1945年で、この年、最多で1日700回のショーが開催されています。
ただしこれは拡大されていた戦線の場所を問わずということなので、
世界中米軍のキャンプにUSOは最低700人のエンターテイナーと
その関係者を派遣していたということになり、また、このとき、
700回のショーを観覧した聴衆は概算で1万5千名いたといわれます。

そして、戦争が終わるまでに、1500万人がボランティアとしてUSOに協力しました。

 このブースでは、そんなUSO主催で兵士たちの慰問を行った
エンターテイナーたちを紹介しています。

まず、ブースに展示されている最も目を引く白いレースのドレスをご覧ください。

写真の女性が着用しているドレスの実物ですね。
この女性は

ジーン’エリザベス”・ティグナネッリ 
Jean 'Elizabeth’Tignanelli

という歌手で、ピッツバーグにあるナイトクラブで
女性ばかり集めたジャズバンド、

ジョイ・カイラー・バンド(Joy Cayler Band)

が演奏していた時、リードシンガーを募集していた同楽団に19歳で採用された人です。
彼女は歌手としてだけでなくギタリストとしても評価され、
名前を「ティグナネッリ」から短く「トラネル」Tranell、と変えました。

ジョイ・カイラーというのはピアノに座った白いスーツの女性で、
彼女自身はトランペット奏者。
 
彼女がデンバーで女性ばかりジャズミュージシャンを集め、
ビッグバンドを結成したのは若干16歳のときだったといいますが、
この女性バンドは特にUSOの慰問演奏には大変人気がありました。

女性がジャズをするということに関してはアメリカでもかなり偏見をもたれ、
ジョージ・サイモンというジャズ評論家などは、
 
「神だけが木を作ることができるように、
男性だけが良いジャズを演奏することができる」
 
と言い切っていたそうですが、カイラーのバンドは実力がありながら
やはり「見かけ」を重視せざるを得ない事情のため、
オーディションではそこそこルックスのいい者しか採用できませんでした。
 
 
カイラー自身「まるでストリッパーのような格好をさせられた」と自嘲しています。
まあ
男性を慰安することが第一義なので、仕方がなかったかもですね。
 
ちなみに彼女らはアメリカ本土をほとんど縦断しながら
各地で演奏活動をしてきましたが、戦後は日本にも来て6ヶ月滞在していたそうです。

兵士慰問のために女性ばかりで結成されたビッグバンドは、実は当時結構たくさんありました。
 
Frances Carroll & Her Coquettes Featuring Drummer Viola Smith

これもその一つですが、ガールズビッグバンドがどんな演奏をしていたかよくわかります。
その格好で飛んだり跳ねたりするか?っていう(笑)


1943年公開の

「ジョーという名の男」
 
というMGM映画のポスターです。
スペンサー・トレイシーといえば、あの
 
「東京上空三十秒前」
 
でドーリットルを演じていたのを思い出しますが、これはその前年度作品で、
B-25搭乗員である主人公が、女性輸送飛行隊のパイロットであるヒロインをめぐって
P-38ライトニングのパイロットと三角関係になる話。

色々盛りだくさんな感じですが、こういう映画も、つまりは
キャンプの将兵にUSO主催の映画上映会を通じてみせることを
目的に制作された「士気高揚映画」でした。
 
 
特にヨーロッパにいる連合国軍のキャンプを慰問し、G.I.たちに絶大に人気のあった姉妹トリオ、
「アンドリュース・シスターズ」
特に「素敵なあなた」"Bei Mir Bistu Shein"(イディッシュ語。
ドイツ語でBei mir bist du schönという表記もあり)「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」

などはジャズ好きなら知らない人はいないほどヒットしました。
 
彼女ら自身はミネアポリスの出身ですが、父親はギリシャ人、母はノルウェー出身です。

これは「星は天国の窓」というタイトルの楽譜かあるいはレコードジャケットでしょうか。
 
Stars Are The Windows Of Heaven (1950) - The Andrews Sisters
 

ピッツバーグ大学の学生だったカーティス・グリーンバーグは、1943年、
USOのショーに出演したあのジーン・ケリーからこれを贈呈されました。

グリーンバーグは当時陸軍に徴兵されたいわゆる「学徒兵」でしたが、
ダンサーとしてなかなか才能があったらしく、USOのショーに出演していました。
詳しい経緯は説明がないのですが、おそらくジーン・ケリーのUSOのショーで
彼はバックダンサーとして踊り、兵隊であることを知ったケリーが
この若い兵隊にヴァイオリンをプレゼントしたのではないかと思われます。
 
 
 
ピッツバーグ出身のトランペット奏者、
 
レオナルド・ブレア・ロイド(Lepmard Blair Loyd)
 
の愛用していた楽器が展示されています。
彼はイングランドのボドニー航空基地に展開していた
第352爆撃グループの第8空軍部隊に所属していました。
 
「娑婆」ではミュージシャンだった彼は戦地に楽器を持っていき、
USO主催の慰問ツァーにはメンバーを内部で選抜して参加していたそうです。

彼の写真の横に書かれているタイトルは、
 
「ダブル・デューティ・・・戦線の前方と後方で」
 
とありますから、どうも本物?の搭乗員だったようです。
 

 

アメリカでは、兵士の慰問のために戦線に赴くことも辞さなかった
エンターテイナーたちをして、

soldiers in grease paint

と呼びました。
「グリースペイント」とは、舞台化粧に使うドーランのことで、
文字通り「ドーランを塗った兵士たち」の意味です。

そして実際、そのうちの何名かは戦地から帰ることはありませんでした。
戦う男たちの傍らで戦死したり、あるいは移動中の飛行機が墜落し
亡くなった人もいます。

Glen miller.jpg

作曲家でクラリネット奏者、ビッグバンド、グレン・ミラー楽団の指揮者
グレン・ミラー少佐もその一人でした。

グレン・ミラーは第二次世界大戦が始まるとほとんど同時に
USOからの派遣で慰問活動を開始し、米陸軍航空隊に入隊しました。

そして精力的に慰問演奏を続けていた1944年12月15日、慰問演奏のため
イギリスからフランスへ移動するために乗った専用機(UC-64)が
イギリス海峡上で消息を絶ち、死亡認定されました。

ドイツへの爆撃から帰還する途中のイギリス空軍の爆撃機が、
上空で投棄した爆弾が乗機に当たり墜落したとする説の他、
イギリス軍機の誤射で撃墜されたとする説などがありましたが、
現在では機体の不具合による墜落であるという説が有力です。

いずれにせよ、ミラーの飛行機も遺体も今日まで見つかっていない以上、
事故原因は推測の域を出ていません。

 

記録では第二次世界大戦中に「戦死」した「ドーランの兵士」は
ミラーを含め26名とも37名ともいわれています。

飛行機の墜落で死亡したロシア系アメリカ歌手、
タマラ・ドレイシンなどもその一人でした。

Tamara Drasin.jpg

そして、我が日本にも戦場で死亡した「ドーランの兵士」がいたことを
最後にお話ししておきます。

満州事変が始まったあと、満州駐屯軍に慰問演芸団が派遣されました。

「エンタツ・アチャコ」もこの時派遣された芸人です。

1937年(昭和12年)に日中戦争が始まると朝日新聞が企画して
吉本の慰問団「わらわし隊」(荒鷲隊のもじり)が派遣されるようになりました。

桂金吾・花園愛子

昭和16年に派遣された慰問団が、移動中に中国軍の襲撃を受け、その際、
桂金吾と夫婦コンビを組んでいた花園愛子が、撃たれた将校を抱き起こそうとして、
自らの大腿部に2発の弾を受け、出血多量で4時間後に息を引き取ったのです。

花園愛子は唯一の「国のために命を捧げたドーランの兵士」として靖國神社に合祀されています。

 

続く。

 


「カートゥーン・ゴー・トゥー・ウォー」戦争と漫画〜兵士と水兵の記念博物館@ピッツバーグ

2020-12-13 | アメリカ

ピッツバーグにある「兵士と水兵のための記念博物館」ですが、
ここでヴェテランの寄贈品とか、戦跡からの収集品とは趣の違う、
いわゆる「企画展」のようなコーナーが現れました。

Cartoons Go To War

「漫画、戦争に行く」みたいな感じでしょうか。
「スミス都へいくMr. Smith Goes to Washington」と同じノリのタイトルです。

このブログでも何度も触れているように、アメリカが戦争に突入した時、
民間の企業も戦争協力を惜しみませんでした。

今でいう「ヘイト」を堂々とキャラクターに行わせていたディズニーを筆頭に、
それは現在見るとしばしば「ドン引き」させられるほど徹底したものです。

が、あくまでもそれは現在の価値観で判断するからそう見えるだけで、
当時はそれが正しいとされていた時代だったからにすぎません。

スヌーピーというキャラクターが日本で流行し出したとき、
よもやまさかこの犬が犬小屋の上で寝っ転がりながら
(三角屋根の上でどうやって寝ているのかわたしなど子供心に謎でしたが)
つねに脳内バーチャルウォーの世界を彷徨っている危ないやつだとは
ほとんど誰もが知らなかったのではないでしょうか。

キャラの使用許可を取った日本の代理店もこの件はひた隠しにしたかったに違いありません。

この「ピーナッツ」の一コマ漫画でも、ノルマンディ上陸作戦に参加しているつもりの
この犬の脳内風景が左側に描かれております。

「今日はDデイだ!
世界でも最も有名なG.I.がオマハビーチをサーフィンして猛攻する!」

Chargingを「猛攻」と訳してみました。
チャージというのは、

”a mass attack of troops without concern for casualties”
(犠牲を顧みず行われる軍隊の集団襲撃)

のことであり、しばしばアメリカでは「バンザイアタック」のことを
代わりに「バンザイ・チャージ」と言ったりします。

G.I.は一般にアメリカ兵を指す俗称で、第二次世界大戦中に生まれた言葉です。
「Garrison Issue」つまり自衛隊でいうところの「官品」のような意味合い、
あるいは「General Issue」(一般支給品)Goverment Issue(官品そのもの)
と、語源とされる言葉は様々ですが、そのことから兵たちは自らを
G.I.と半ば自重的に称するようになったということです。

右コマは、この犬を見たマーシーが、飼い主のチャーリー・ブラウンに、

「ちょっとチャールズ、あんたんとこの犬がうちの庭のぬかるみに
突っ込んで行っては戻ってるんだけど・・」

「チャーリー」を「チャールズ」と本名で呼ぶあたり、マーシーは
チャーリーブラウンとそんなに親しくないのかなと思ったりしましたが、
問題はそこじゃないか。

ところで、そのスヌーピーの生みの親、シュルツの本名は

Charles Monroe Schulz 1922−2000

だったりするわけです。
チャーリーブラウンは彼の分身だったのか・・。
現地の説明です。

第二次世界大戦のヴェテランであるシュルツは、過去から兵士の物語を探求する
愛らしいキャラクター、スヌーピーを生みました。

「レッドバロン」と空中で「ドッグファイト」を繰り広げたり、
彼の兄弟である「スパイク」(シュルツの飼っていた犬の名前)を塹壕に訪問したり、
この漫画のようにオマハビーチを猛攻するスヌーピーの姿は、
わたしたちを全てのアメリカ兵の体験を想起させる旅に連れて行ってくれます。

シュルツの一連のコミックストリップが引き起こすのはユーモアですが、
折々に彼はその漫画を通じて戦争の犠牲に想いを馳せさせるという手法を取りました。

三角屋根に座ってレッドバロンとドッグファイトを繰り広げるのは
もはやこの犬の日常でもあります。

「Curse you」は直訳すると「呪ってやる」ですが、
そんなおどろおどろしい意味はなく、単に

「くたばりやがれ!」「くそくらえ!」

というような意味です。
シュルツが「ピーナッツ」を児童のための絵本として描いていないことは
この言葉の選択にも現れていますね。

かれがこうやって大戦ネタを作品に入れてくるのは、彼がヴェテランで
しかも第二次世界大戦でヨーロッパに派兵されていたからであるのは明確ですが、
本人は幸い実戦を経験することはありませんでした。

彼が実際にDデイを経験していたり、人を撃つなどの経験をしていたら
果たしてその作品にこのような表現はあったでしょうか。

 Dr.Seuss 1904-1991

ドクター・スースの名前で日本でも多くの本が翻訳されています。
英語圏で幼稚園に子供を行かせたことのある親であれば
この人の作品を知らずにいることはまず考えられません。

肩書きにも「児童文学作家」というタイトルが見えており、
もともとは子供たちが面白く英語を学べるような絵付きの本を出版し、
それが大成功したことで有名になり、児童文学賞、そして
ピューリッツァー賞まで取ってしまったわけですが、実はこのおっさん、
第二次世界大戦中にはニューヨークの最もリベラルな新聞、
PM紙の挿絵漫画家であったため、なかなか香ばしい作品を残しています。

「ロシア科学の謎」

と題されたこの絵は、熊を改造したグロテスクな乗り物に乗って
ドイツに侵攻する・・・これはスターリンなんでしょうなあ。

第二次世界大戦中のアメリカの漫画にしばしば出てくる
「出っ歯でメガネの日本人」はいったい誰なのか、ということを
わたしはたびたびこの場で怒りまじりに告発しているわけですが、
その出元はもしかしたらドクター・スースだったかもしれません。

ドクター・スースのキャラクターが、

「紳士のための戦闘行為のルール」

という本を手にしていますが、物陰からヒトラーとその出っ歯の日本人が
「パールハーバー」「マニラ」と札のついたレンガを投げてきて
どうもそれで怪我をしてしまったらしく。
(そういえばこの鳥はアンクル・サムの帽子をかぶっている)

「この古い本を金属メリケン(ナックル)に取り換える時がきたな」

と呟いているというものです。
それではアメリカはそもそもネイティブ・アメリカンの件に始まり
常に紳士的だったのか、と言いたくなりますが、まあそれはいいでしょう。

ここに登場する出っ歯メガネの日本人はその後の「日本人像」の典型となりました。
彼は日系アメリカ人に対しても

「第五列(スパイ)としてTNT爆弾を隠し持ち、西海岸で
日本からの指令を街テロを実行する連中」

として執拗に印象操作を行い、日系人弾圧の音頭を取りました。
彼が描いているつもりとおぼしきその東條英機は、日系アメリカ人に対し

「諸君は日本の武士の如くアメリカという国に忠誠を尽くすべきである」

という声明を出したことなど知るつもりもなかったでしょう。

「ジャップがアメリカ軍の船を沈める」

というニュースを新聞で読んでいるアメリカン波平に、壁のトナカイがいきなり、

「ボス、わたしなんかを壁に掛けるより、
もっとアメリカ防衛国債とスタンプを買った方がいいですぜ」

意味はわかりますが、何が面白いのか全くわかりません。
「壁のトナカイ」と「 hook」という言葉に何か意味があるのかもしれませんが。

「どうしてもというならどうぞご乗車ください!
しかし、もしあなたが軍を助けたければ家にいてください!」

なんとクリスマスのステイホーム依頼です。
これもよくわかりませんが、クリスマス休暇で帰ってくる兵士たちに
交通手段を譲ってあげてください、ってことかしら。

にしては皆プレゼントを持ってトラック25とやらに飛び込んでいるしなあ・・・。

左下はご存知ドクター・スースの「帽子をかぶった猫」。

日本で自分の作品を出版し、売り出すことになった時、
この急進的人種差別主義者はどの面下げてこれを許可したんでしょうか。

右のお髭のおじさんは、

トーマス・ナスト Thomas Nast 1840−1902

シュルツもドクタースースもそうですが、この人もドイツ系アメリカ人です。
ナストは南北戦争時代の政治漫画家でした。
この人をして「アメリカ漫画の父」と呼ぶ向きもあるようです。

サンタクロース、アンクルサム、コロンビアなどもその原型は
この人が創造したものという噂も・・。

しかし政治風刺が彼の本領でした。

「アイルランド人の日常」

というこの絵では、酔っぱらったアイルランド人が
火薬の樽に跨って自分で樽に火をつけています。

「ビートル・ベイリー」(Beetle Bailey)

はおそらく最もよく知られたアメリカ陸軍の兵士です。

漫画は学生の彼が徴兵される前から始まっています。

「あーあ、友達はみんな徴兵されてしまったよ」

「徴兵委員会は僕を何か大きなもののために取っておくのに違いない」

「・・・でなきゃ僕を欲しくないってことだな」

アンクルサムの「アメリカは君を必要としている!」の看板の前で
なぜか首を振りながら歩くビートル。

どうもビートル・ベイリー、徴兵されることを歓迎していなかった模様。
1950年から描かれたといいますから、彼の徴兵された友人は
朝鮮戦争に行っているということになります。

上のはどういう状況か、崖から落ちて木につかまっている上官に、
ビートルが、

「もしもう二度と殴ったりしないと約束するならロープを投げます」

「それから私にKP?を入れないこと」

「怒鳴らないこと、それからトイレ掃除させないこと、それから」

上官(飛び降りた方が助かる可能性あるかしら・・)

この調子で落ちるまで待ってるんじゃないかとも思えますね。

ビートルが兵士として優秀ではないどころか、かなり問題児であることがわかります。

 

Recruta zero 03.png


「ビートル・ベイリー」の作者はモート・ウォーカー(Mort Walker)

ウォーカーは敵を皮肉ったり憎しみを煽ったりというのではなく、
ひたすらちょっと情けない志願兵のビートルを通じて
軍隊の中を彼のタッチで描き続けました。

ウォーカー自身は徴兵される前に学生の身分から志願して入隊し、
上等兵としてキャンプ・スワンピーで任務をしています。

軍隊用のガーメントケースにドナルド。
個人で描いたのかと思ったら部隊全部がこの仕様だったそうです。

 

飛行機のノーズアートに漫画のキャラクターは使われました。
ミッキーマウスが「ローン」とかいた三つのなにかを前に、

「枢軸は僕たちが差し押さえるまでの仮の時間に生きているのさ、ハハッ」

とかわけのわからんことを言っているノーズペイントです。
それはいいんですけど、Borrowedのスペルが間違ってるよ?

これもノーズペイント。
いつもトウィーティーという黄色いカナリヤを食べようとして馬鹿にされ
酷い目に遭う猫のシルベスタですが、ここではミサイルに跨っています。

「オープン・フォー・ビジネス」とありますから、おそらくこれは
爆撃機のボムベイの上に描かれたものではないでしょうか。

こちらはジョージ・ベイカー作、「サッド・サック」(悲しい袋)

サッドサック(Sad sackとは第二次世界大戦中の軍隊スラングで、
「社交性のない兵士」のことなんだそうな。
いまでいうと「隠キャ兵士」ってところでしょうかね。

SadSackCBcover.jpg

ちょっと見てみましたが、この隠キャ、だいたい戦地で酷い目にあっています。

作者は真珠湾攻撃の少し前に徴兵入隊していますが、
自分で売り込んで信号隊の訓練映画のアニメ制作班に回されました。

その後レクリエーションのために制作した漫画コンテストで優勝し、
陸軍ウィークリーからも仕事がもらえたそうで、よかったですね。

「サッドサックス」は、基本陸軍新兵の不幸をテーマにしており、
セリフが一切ありません。

こんな漫画ですが、あのマーシャル将軍は兵士の士気を高めるとして称賛したそうです。
本当に読んだのかおっさん。

でたあああああ!

戦争プロバガンダアニメといえば、これはもうディズニーですね!
実際、ディズニーほど大戦中軍プロパガンダに協力的だったアーティストはいませんでした。

映画の作成はもちろん、積極的に部隊章にキャラクターを使用させ、
信じられないくらい寛容に、ノーズアートのためにデザインしていました。

ディズニーという会社がアメリカ政府といかにべったりかは、俗に

ミッキーマウス保護法

と呼ばれる法律が存在するくらい現在もアメリカにとって特別であり続けている
ということからもお分かりいただけると思いますが、それもこれも
このころディズニーが徹底して戦時体制下、プロバガンダの指揮をとったという
この歴史的な経緯から生まれ育まれてきたということだったんですね。

えらい若い頃のウォルト・ディズニー。
人種差別主義者だったことで有名なウォルトですが、
自分の死後、ディズニーランドがよりによって大っ嫌いだった日本にできるとは
夢にも思っていなかったでしょう。ざまあみろです。

おっと、ドナルドは徴兵されたようですよ。
ウィングマークをつけていますがアヒルって飛べたのか(棒)

1948年生まれのギャリー・トルドー(Garretson Beekman Trudeau)
は代表作のドゥーンズベリー(Doonsebury)でイラク派兵を扱いました。

The Doonesbury Trump retrospective proves that Garry Trudeau had Drumpf's  number all along | Boing Boing

こちら今非常にセンシティブな状態ですが、トランプ(の髪の毛)ネタ。

 

繰り返しますが、戦争に漫画をからめ、その愛すべきキャラクターを
戦争に参加させるという行為の是非については、決して平時の感覚で
判断できるとは考えない方がいいでしょう。

これについては「ピーナッツ」のチャールズ・シュルツがこう述べています。

 

彼らは我々の人生の一部分なのだ。
我々は彼らにテレビや新聞の娯楽欄を通じて各自の家庭に浸透させる。

しばしば彼らの周りに存在する現実社会は彼らをして戦争へと向かわせる。
そして我々の漫画のキャラクターたちは戦闘に参加するのである。

漫画を戦争へと駆り出す理由はいくつかある。
その動機はおそらく政治的な表明であり、追悼としてのアクトであり、
教育を目的としており、国難に見舞われていることそのものを
笑い飛ばしてしまおうとする意思であったりする。

人々はしばしば恐れを感じるものに対してそれを笑うことができる。

漫画は彼らが戦っている敵を笑ったり、あるいは不確かな未来を
笑うことを手助けするものでもある。

仮に彼らが映画のスクリーンの上や漫画本を眺めるたった10分間であっても
戦争を忘れることができないとすれば、せめて現実より少しましに思えればよいのだ。

つまり、そうやってドナルド・ダックやバックス・バニーに
ヒトラーやヒロヒトを画面上で打ち負かしてもらうのだ。

 

バックスバニーがヒトラーを倒す

ディズニーのプロパガンダ映画、「43年の精神」

 

しかしなあ、ディズニー、あの「ムーラン」がどうして人道上の理由から
一部の人々にボイコットされたのか、ちょっと考えてみた方がいいと思うぞ?

カートゥーンが大統領や政府を批判するのはいい。
子供に他民族への憎しみを植え付けるのもそれがカートゥーンの使命というならそれでもいい。

しかし、意思を持って自国を乗っ取りにきている相手に札束で引っ叩かれて
阿り、自国の良心を売るのは本来あなた方の理想とするところなの?

 

続く。


テレビ番組『HOARDERS』片付けられない症候群の人々・ミリーの場合

2020-10-24 | アメリカ

アメリカのテレビ番組、「HOADERS」から、一つの番組中
前回のジョニという元教師と並行して語られていたもう一つのストーリー、
アメリカ国中で推定300万人いるという「溜め込み癖のある人々」
=ホーダーズの一人について今日はご紹介します。

もう一人の溜め込み屋さんの話は、まず彼女の娘の証言から始まります。

「物に執着したり居間を散らかすだけなら好きにすればいいけど・・
とにかく何を言っても右の耳から左に抜けてくのよね」

英語でもこのことを

”go in one ear and out”

という言い方をするんですね。

彼女の名前はミリー。
自宅の庭でガーデニングに勤しんでいる彼女は実に勤勉そうで、
一見花を愛する普通の主婦にしか見えません。

草花の手入れは決してものぐさな人間にできることではない、
というイメージがありますが、花を咲かせるのが好きな人間が
片付けも好きとは限らないわけで。

そういえば、日本でも、家の前にたくさん鉢植えを置いて
草花を育てるのが好きな人が住んでるんだなというお宅がありますが、
得てしてそういううちの玄関はぎっしりと安物のプラスチックの鉢が並んでいたり、
酷いのになると発泡スチロールの箱をプランターにしているなど、
控えめに言っても「素敵」とか「おしゃれ」とは程遠かったりするものです。

もう少し量を減らしてちゃんとしたプランターなどに咲いていれば
通りゆく人々の目を楽しませることもできるのに、もしかしたら
こういう人たちは人の目などより自分さえ楽しめればいいという考えかな、
と残念な気持ちで通り過ぎるのですが、ミリーさんは
アメリカ版のこういうゴーイングマイウェイ型ガーデナーなのかもしれません。

とにかく彼女はガーデニングをしていると「幸せ」だとは言っています。

そして家に一歩入ると中はこの通り。

ミリーの長女、ジェシカさんが証言を行います。

「ドアの中に一歩入ると、そこは物の山よ。
まず中に入るのもたいへんなの。
椅子なんかどこにあるのかもわからないわ」

しかしミリーはここで生活をしているわけですから、
それなりにそこには「けもの道」ができているようです。

彼女の家はアメリカのごく普通の庶民の家です。
前回のジョニさんと違い、彼女の「ホーダー」ぶりは
家の中限定らしく、近所から苦情が来るような事態にはなっていません。

ジェシカさんは、そんな母を全否定しています。
なぜなら

「わたしは自分が本当にイケてる (have some really cool stuff)と思ってる」

からですが、母はそんなことを考えたこともないだろう、とのこと。

これは次女のチェルシーさんの写真です。
こんな写真立てにせっかく娘の写真を入れたのに、それを飾る場所もなく
物の山のうえに置かれているのです。
彼女はいいます。

「わたしの『家の最初の記憶』は、全力で走って、それから
服の山にジャンプする遊びをしたことでした」

彼女は祖父の家で2週間過ごしたとき、気づいたそうです。
うちはおかしい、と。

それから彼女は母にコンタクトを取らなくなりました。
彼女は母を捨てたのです。

これが若き日のミリーさん。
なかなかキュートな女性なのですが、どうも知性的にかなり問題があるようで、
娘が祖父の家に逃げたとき、当然の流れとしてCPSが調査にきたことを

「怖かった」

なんて言っているのです。

CPS(Child Protective Services)とは日本の児童相談所のような組織です。

 

母親のホーディングのせいで、チェルシーは過去6年間の間、
母親のいる自宅を出たり入ったりすることになりました。

そして、ついに母親に最後通帳を突きつけたのです。

「家を散らかすかわたしか、どちらかを選んで」

つまり母親がこのままため込み生活を続けるのなら、わたしは帰らない、
と宣言したのです。

ミリー自身は、彼女のホーディングは彼女自身の早い時期に
その原因があったと信じています。

よくわかりませんが、反抗期があったとか・・・・?

まあしかしその選択は結局彼女自身がしてきたことであり、
現在の状態はその結果ということなんですけどね。

家の中があの状態、そして外ではこうやってせっせと土いじりをする。
彼女の頭の中はやはり何か病的な問題があると見るのが妥当かもしれません。

ジェシカは母親に対してチェルシーよりもおそらく強い怒りを持っています。
彼女が自分のことしか考えていない母親失格であると語り、
自分自身と母親の関係はすっかり破壊されてしまったと断言しました。

チェルシーが母親の更生次第では家に戻るという余地を残しているのに対し、
ジェシカはもうそんな段階をとっくにぶっちぎっているので
チェルシーについても「信じられない」と言い放つ始末。

しかし、今回番組に応募しプロフェッショナルの助けを借りることにしたのは
娘たち二人の考えだったということです。

そこで番組御用達のホーダーズ専門心理学者であるトンプキン博士が登場。

早速彼女と会って「セッション」を始めますが、ミリーは
博士に対しても大変防御的な態度を取り続けています。
投げやりで問題解決しようという意欲にも乏しく、

「いっそこのホーディングの中で死んでしまいたい」

みたいなことを言うのでした。

わたしは部屋を片付けられない(あるは片付けたくない)という人が、

「いっそみんな燃えてしまえばいいのにと思う」

というのを聞いたことがあるのですが、同じ心理ですかね。

ミリーの件に駆り出されたもう一人のプロフェッショナルはこの人。
そう言う仕事があること事態おどろきますが、このドロシー・ブレインガーという女性は
「オーガナイジング・エキスパート」つまりプロの片付け師です。

早速片付け作業に突入したミリーの家ですが、そのドロシーに、
ミリーは
娘たちに対する愚痴をぶちまけ始めました。
さらに自分の状態を無茶苦茶にする彼女を「軽蔑する」という言葉まで出てきたので
これはいかんとドロシーはスタッフに一旦作業を中止させました。

この後に及んでミリーさん、処分するものすべてをチェックし、
全てに触れてすべてを調べたいと言い出したのです。

なんならこれも捨てる前に触ってチェックせんかい。って言いたくなりますよね。

そんな母親にジェシカはキレて、

「なんだってわたしがこの家を片付けてると思ってんの?」

という言葉とともに、わたしはあんたの子なんかじゃない、
などとまたしても言い放ちます。

ミリーさん(´・ω・`)←冒頭写真

しかしこの人、感情の起伏が平坦というか、心理学者やオーガナイザー、
娘に何を言われても
右の耳から左の耳」で飄然としています。
自分のことなのにこの他人事感はどういうことなんでしょうか。

そのくせ物を捨てるのにいちいち干渉し、娘たちにも言いたい放題。

「そうよ、でもあなたがわたしの人生を惨めにしたのよ」

なんて我が子に向かっていいますかね普通。

壊れかけたランプを「これは幸福の灯りよ」
賞味期限切れの食べ物も「捨てないで!食べられるわ」

ミシンも置いとくんですか。
どこで縫い物するんですか。庭かな?

一向にが見られないので、ドロシーは物の山を整理するのを手伝うことによって
ミリーを軌道に戻すことを試みましたが、これがなかなかうまくいきません。

なかでも、彼女がこの小さな石さえ取っておくと言い出した時には、
手伝いに来ていた彼女の妹が怒って遠くに放り投げてしまい、
彼女はブチギレるという非常事態?に。

しかし、番組スタッフはその石をもう一度こっそり拾っておいたようです。
何にするかって?それは後のお楽しみ(棒)

そしてドロシーが娘になり代わってミリーを宥めたり透かしたり、
ときには子供のように褒めながら、なんとかゴミが片付きました。

さて、ミリーさんの場合は、ちゃんと片付けるとこまで漕ぎ着けたので、
ここで番組から素晴らしい「贈り物」が用意されます。

モノがなくなった家をプロの手で徹底的に掃除し、
見違えるようにしてくれるというサプライズです。

掃除期間を経て、次の朝」我が家に戻ったミリーの見たものは。

必ず同じ角度からの「ビフォー」を紹介します。

作業の様子もテレビでは放映されますが、電気のシェードや天井まで
くまなく清潔に掃除するだけでなくモデルルームのようにアレンジしてくれます。

なんとこれ、わずか一晩で魔法のように仕上げているのです。

しかし、床の大きなシミは取れないみたいですね。

でたー、アメリカ人の常套句、

「ママを誇りに思うわ」

ここまで片付けたのは母ちゃんじゃないんですがそれは。

「猫みたいな臭いがしないわ」

猫は清潔好きな動物なので、ちゃんと飼っていれば臭わないんですが。
猫に謝れ!

こちら台所でございます。

おっと、キッチンにはアイランド型のカウンターテーブルがあったのか。

マットの色と食器を合わせ、美味しそうにパンを盛って、
なんとディナーキャンドルまで灯されているではありませんか。

シンクも蛇口も磨いただけでこのとおり新品のようです。

本人はもちろん娘たちも感激しまくっています。

洋服で床が見えなかった寝室も・・

この通り。
壁は塗り替え、リネンや窓のカーテンも新調したようですね。
よく見ると鏡の枠まで色を塗り替えてあったりします。

オーガナイザーが見繕ったのでしょうか。カエルのプランターまで。

そしてなんと。

「この寝室はチェルシーさんに住んでいただくイメージで改装を行いました」

つまり、これならお母さんのもとに帰ってこれるでしょう、というわけです。

「まあ、なんてゴージャスなの!」

これですっかり(いつのまにか?)一緒に住むという合意は成り立ったわけで・・

「一緒にいられなくて寂しかったわ」

とハグをしあう彼女らでした。

感激の涙を流すミリー。
めでたしめでたし・・・・・

といいたいところですが。

そのときトンプキン博士が最後に皆を外に呼び集めました。
ミリーに向かってこういいます。

「あなたの娘たちと妹さんが、あなたがため込んだものを始末することができるか、
疑いを持つようになった、とわたしが思った瞬間がありました」

「この石がその象徴だったんですよ」

「いいですか、これは”招待状”なのです。
あなたがこの石を手放すことで、この”旅”を
今後も続けても構わないと思っていることを

みんなに知らせることになるのです。
さあ、これを捨ててください!

「捨てて!」「捨ててよ」

ところが全く空気読まないミリーさん、この状況で言い放ちました。

「わたし、この石を取っておきたいの」

博士「・・・」
ジェシカ「・・・」
チェルシー「・・・」
妹「・・・」

「だいたい昨日されたことだってまだ怒ってるわ#」

 

・・だめだーこれあ。

トンプキン博士、呆然。
家族も呆然。スタッフももちろん呆然だったでしょう。

ビフォーアフターの映像をバックに、博士は語るのでした。

「せっかくいいエンディング用意してやったのに、
なんだあのBBA台無しにしやがって空気嫁」

・・・・じゃなくて、

「それはわたしにとって大きな失望でした。
ミリーが病気の深淵にいかに深く彷徨い込んでいるかがこの言葉ではっきりしたのです」

 

これだけのサプライズを用意されても、それは彼女の心を
1ミリー(ミリーさんだけに)たりとも変えることはできなかった、
つまり
彼女の「病気」はサプライズや心理学の領域ではもはや如何ともし難い
ということがわかってしまったというわけです。

博士はまだ17歳のチェルシーは(そうだったんだ;)
我々がきっかけを与えることで自分を解放し、いつでも元に戻れる場所を得たので、
ミリーが元の生活に固執しない限りは、娘である彼女も
普通の生活を送れる可能性があるだろう、と語りました。
彼女はそうなる価値のある人間だ、と。

まあここまでやったら、他人にはもう手の下しようもありません。
どうなっても
彼女ら自身でなんとかするしかないのです。

プロである博士にはおそらくこの後訪れる破綻も見えていると思われますが、
番組としては希望のありそうなことを述べて手を打つしかないですよね。

つまりこのきれいなキッチンが上の写真の状態に戻るのは・・・
そうだなあ、
よく保って2週間ってとこだとわたしは思います。

「ミリーはセラピストとオーガナイザーに今後の生活を
維持するためにセラピストとオーガナイザーのアフターケアを受けている」

しかし二人の後ろにいる博士(笑)と娘二人の表情が全てを物語っています。
彼らにはおそらく今後の破綻が手に取るように見えているのに違いありません。

 

終わり

 


テレビ番組 『HOARDERS 』片付けられない症候群の人々・ジョニの場合

2020-10-23 | アメリカ

アメリカに行くたびにチェックする番組があります。
とてつもなく太ってしまった人を医療で救済する「My 600lbs life」、
ジャングルに裸の男女が放置され2週間サバイバルする「Naked and afraid」、
そしてもう一つがこの「Hoarders」です。

Hoarders、というのは「貯め込む人」または「溜め込む人」という意味です。

この番組に出てくるのはモノを捨てられない、片付けられないが高じて、
家がいわゆる「ゴミ屋敷」になり、地域で問題視されたり、家族に見捨てられたりした人を、
テレビ局が救済という名前のお節介をしながら世間に暴露し、これを見た人が、
我が身を振り返って色々と考えたり考えなかったり、という・・・。

いうならば他人の恥を覗き見するというコンセプトに基づいた番組なのです。

今日は何度目かになりますが、この番組をご紹介します。

まず画面には

「強迫的ため込み行為は、たとえその対象物が無価値、危険、または不衛生であっても、
取得して保持するという強迫的な必要観念に駆られることを特徴とする精神障害です」

という説明が現れます。
はっきりと片付けられないのは症候群ではなく「精神障害」と言い切っているわけです。
続いて、

「アメリカではおよそ300万人の人々が脅迫的溜め込み障害であるといわれています。
今日ご紹介するのはそのうち二人のストーリーです」

 

この番組は毎回二人の「ホーダーズ」を交互に紹介していく、
という方法で番組が進行して行きますが、当ブログでは
煩雑さを避けるため一人ずつ項を分けたいと思います。

今日の「ホーダーズ」は、ジョニさん。
彼女はかつて学校の先生をしていました。

アメリカでは軍人でもそうですが、引退後の身分について、
「リタイアード(引退した)教師」「リタイアード・オフィサー」
という言い方で語ります。
今は無職であっても「無職」とは言いません。
これは現役時代のタイトルが生涯「リタイアド」として持ち越される、
という社会慣習によるものだと思われます。

溜め込み屋さんにもいろんなパターンがありますが、とにかくジョニさんは
洋服やジュエリー、雑誌、ありとあらゆるものが「大好き」で、
とにかく買い物をせずにはいられないというタイプです。

買っておいて一度も身につけていないものもたくさんありそうですが、
とにかく言えることはジャンクなものが多いですね。

財布を逼迫せず悩むこともなく買える「お手軽なもの」に手が出てしまうようです。

そして片付けられない。捨てられない。

一つ一つのものは不潔なものではなくても、こんな具合に床を埋め尽くし、
全体的にゴミとなって層を成していくというわけです。

車の中もこの通り。
もう少しでバックミラーから後ろが見えなくなりそうです。

彼女の孫のテレサさんに言わせると、とにかくジョニさんは買い物依存症。
二日と開けず店に通うのですが、例えばガム一箱が安くなるクーポンを持っていっても、
買ってくるのはマカロニアンドチーズ一箱だったりしてとにかく無計画で衝動的。


そして続いては、彼女の長男であるジョーイさんが証言を行います。

「もうとにかく1インチの隙間にも物が埋め尽くされて、歩ける部屋がないんだよ」

「とにかく完璧にFILTHY』(不潔極まりない)なんだ」

そうこうしているうちに、ジョニさんの家は立派な「汚屋敷」に。
「フィルシー」な匂いは外に流れ出し、近所の人たちが苦情を申し立てるようになり、
市が動き始めました。

最初に市が彼女に行ってきた注意勧告は、

「ファイア・ハザード(火災の危険)」

でした。
電気関係、ガス、それらからいつ火災が起きてもおかしくないというのです。

続いて、サルという男性が証言を行いました。
なんと驚くことにサルはジョニのボーイフレンドだというのです。

いやまあ、いいんですけどね。
汚部屋の住人である小汚い老女にボーイフレンドがいたって。

サルはいいます。

「とにかくそのとき彼女は家が散らかって大変だった。
かといって行くところもないので気の毒に思い、家に住まわせた」

するとたちまち服やジュエリーや雑誌をサルの家で広げ出し、
サルの家を汚屋敷に変えてしまいました。
呆れたサルは彼女に

「どうするつもりなんだ?」

と苛立って詰問したそうです。

「俺も物に押しつぶす気か」

サルも彼女を放り出すには忍びないのですが、このままでは
息もできなくなってしまうため、最後通帳を手渡しました。

つまり、ジョニが家を掃除して、自分のうちに荷物を送り返さないなら
もうこの家から出ていってもらうと。

そうなれば彼女はホームレスになるかもしれません。

ボーイフレンドなら放り出せば済みますが、息子は彼女と縁を切るわけにはいきません。
どんな問題があっても彼女はとにかく母親なのですから。

しかし、この写真を見てもわかるように、子供が小さい頃、
母親は子供を放置していたというわけではなさそうです。

若き日のジョニさん。
学校の先生だったということですが、まともすぎるくらいまともな人に見えます。

しかし息子はこのように証言しているのです。

「子供時代は食べ物に困ったこともないしいつもいい服を着ていた。
欲しいものはなんでも与えられた」

「ただし部屋はいつも散らかっていた」

「ため込み行為」にはトリガーと呼ばれるきっかけがあるといいます。
それはジョニさんにとって早い時期に母親を亡くしたことだというのですが、
それが悪化したのは夫と離婚したことでした。

離婚で夫を失ったことで散らかしたいという気持ちを我慢できなくなった、
彼女は自分で分析するのですが・・。

しかし、この女性が老人になるとああなるのか。
老いとは残酷なものですね。

周りに誰かいたときにはまだ制御できていた彼女の性癖は、
彼女の家族が彼女に業を煮やして離れて行き、一人になることで
とめどなくなっていったのです。

悪影響は子供達にも及びました。
こんな母親ではそうなっても全く驚きませんが、成人した次男のジョーイは
結婚して子供もいたのに麻薬中毒となり、娘の親権を母方の祖母に渡すことになります。

こうやって不幸が再生産されて行くわけですね。


番組では彼らの救済のために何人かの「プロ」を用意しています。
このマット・パクストン氏はプロの「汚部屋片付け人」です。
何をもってそう決まっているのかはわかりませんが、彼のタイトルは

「アメリカでトップのホーディング・クリンアップエキスパート」

彼はこれまで10年の汚部屋掃除経験上、300匹の猫や、
8フィート幅のネズミの巣など、ありとあらゆる「汚いもの」を見てきました。

彼は豊富な経験を利用して、ため込みに苦しんでいる人に対し、
思いやりに焦点を当てた清掃を提供するプログラムを開発し、
日々汚部屋の人々を救済しています。

エキスパートなりのメソッドを彼は持っているようで、まずは
対象者の家を虚心坦懐に(知らんけど)見て、彼女の生活が
どのようなものかをチェックすることから始めました。

どういう意味があるのかはわかりませんが、今住んでいない彼女の家に
夜訪れて中を点検しています。

「ここは玄関です・・・こちらはリビングルーム」

画面ではわかりませんが、臭いもかなりのようです。

そしてついに、マットの率いる「片付け隊」が出動するときになりました。
いすゞのトラックにデカデカと書かれた
GOT-JUNKはそのまま電話番号となっています。

ところが一時が万事というのか、立ち会う約束をしていたもう一人の兄弟、
そして肝心のジョニ本人が時間通りに現場に来ないわけですわ。
現場からせいぜい30分のところに住んでいるにもかかわらず、です。

そうなると勝手に掃除を始めるわけにいかないのですが、
このジョーイというおっさんは

「ちゃんと立ち会いがそろわないと作業が始められない」

という言葉に食ってかかるのでした。

そうこうしているうちにジョニがやってきたので、これ以上
もう一人の兄弟とやらを待っているわけにもいかないね、
ということになったのですが、このおっさんが絡む絡む。

「何がしたいんだ?」

「作業を始めたいだけですよ」

「オーケー、じゃこのゴミはお前のだ、さあやってくれ」

なんか人間として言葉が通じないって感じ。
ネズミの巣や300匹の猫より、マットにとって常に厄介なのは
こういうややこしい人だったのだろうなと思わされます。

ため込みの当事者はもちろんのこと、下手するとその周りにいる人が、
とんでもない”DQN”である可能性は確率から言っても高いわけで・・。

この息子はやたら苛立っていて、母と片付けるモノを巡ってやおら口論を始めます。

「服なんかも全部処分するぜ」

「ちょっとー、それはお父さんよ」

「これが?これが?」

ハート型のクッションですが、これが別れたご主人だと・・・?
わけがわかりません。

しかしこんなおっさんにも少年の頃がありました。(そらそうだ)

母親がこんななので、長男である彼は「家族の長」を任じてきたようです。
しかもそれは彼がまだ幼い頃からで、母親はそんな彼に頼る風でもありました。

しかしこういう場になって、母親の自堕落の蓄積を赤の他人に委ねるという
状態は、おそらく彼を酷く苛立たせているのでしょう。

物を捨てる捨てないで、母と息子の間には険悪なやりとりが交わされます。

「だから、お前がなにか取っておきたいと思うんじゃないかと思って」

「なんのために?お母さんみたいに生きるためにか?」

そのうち、彼は到着しない弟、フランキーの悪口を言い出しました。

「あいつは使えない(No use)やつだ。価値もない(worthless)」

そんなとき、ようやくフランキーとやらがやってきました。
本人の了解が取れなかったのか、フランキーの映像はなしのまま、
二人は喧嘩を始め、その音声が画面の字幕に流れます。

するとそのとき・・・・

 

「突然口論を遮るように騒ぎが通りを横切った」(直訳)

 

なんと、彼らの母親がタイミングよく転倒していたのです(笑)

いや、笑っちゃいけないか。

長年の片付け生活でいろんなものごとを見てきたマットも困惑。
息子二人が大声で喧嘩しているとき、母親が転倒して負傷とは。

マットが長年の経験から推測するに、彼女は何か棒のようなものに躓いて転び、
頭部を地面で強打したものだろうということです。

というか長年の経験がなくてもそれくらいわかる。

すぐに救急車が呼ばれました。
というかそれくらいの怪我をしたということだったんですね。

これってまさか身体を張って兄弟喧嘩を止めようとしたとか・・・はないよね。

 

非常事態なので、マットは彼女なしで掃除を進める許可を得ましたが、
そうなったらなったで、またしてもジョーイの怒りはマットに向けられることになりました。

マットのチームが捨てたもののなかから、ジョーイは
自分の大事な「珍しい花火コレクション」があった、と食ってかかりました。

もう見るからにうんざりしているマット(笑)

「叫ぶのやめてくれます?」

「あんたに何がわかる?
俺たちはゴミを今日一日で6,000パウンドも捨てられたんだ。
それでもってまだやいやい言いやがる」

「俺のコンピュータデスクだって捨てるはずじゃなかったのに。
あれには800ドル払ったんだぞ!」

もう完全に頭抱えてしまってますね。

あなたの攻撃性は我々の我慢できる範囲を超えてます」

「あんたは自分の従業員のことしか考えてないんだろう。
その(ぴー)な従業員共のな!」

流石のマットもこのオヤジにはうんざりして、この場を引き揚げることにしました。

「気の毒な女性が助けを求めているのに・・」

その女性の救済を彼女が産んだ息子が難んだということになります。
しかしそんな息子に育ててしまったのは当の彼女というわけで・・・。
こういうのもある意味自業自得というのでしょうか。

しかし捨てる神あれば拾う神もいます。

彼女の苦境を救うためにテレビ局は彼女がいるサルの家に
精神科の医師を向かわせ、彼女のこれからについて話し合うことになりました。

「まだ血がでてるんですよ」

おそらく彼女が包帯をすることをテレビ局は許さなかったのでしょう(闇深)

 

精神科医は、こう言ってはなんですが、精神科医でなくても
十分想像のつく結論をしたり顔で述べるのでした。

「彼女が自分の人生そのものに平和を得ることができなければ、
彼女は自分自身を和らげるために溜め込み行為に逃げ続けるでしょう」

精神科医は、根気よく話し合いを行い、彼女はサルの家に住み続けながら
自分の住居の掃除を継続するということに(一応)納得しました。

「家族はまだジョニの家が救われることができると思っており、
彼女がいつか戻るかもしれないという希望を持ちながら片付けを続ける」

と番組のテロップはいうのですが。

あの息子二人、やる気のない弟にやたら攻撃的で麻薬中毒上がりで、
自分自身も「ホーディング」の素質たっぷりの兄、そして
無気力で愚かなこの女性が、この一件後、人が違ったようになって
片付けが進む=ものごとが好転するとはわたしにはとても思えません。

テレビに依頼すれば誰かが何かしてくれるかもしれない、
という胸算用から動き出したに過ぎない彼らが(カメラの前ですら
あのざまだったのですから)撮影が終わり、誰も見ていないところで

誰も世話を焼いてくれなくなったとき、それでもこの困難な仕事を続けるでしょうか。

 

彼らがそれができる人々であれば、そもそもここまでになっていない、
とわたしは誰でも思い至るであろう一つの現実に突き当たります。

 

続く。

 


ビーバーの巣作り被害(おまけ:Bakamitai ミーム)〜アメリカ滞在

2020-09-30 | アメリカ

事情があって本来の用事が終わっても2週間くらい
アメリカ滞在を伸ばしたのですが、驚いたのは、9月半ばを過ぎたら
ここピッツバーグは急激に冬になったことでした。

9月に入ってもおそらく日本と同様日差しは強く、午前中にウォーキングをしていると
(マスクのせいもありますが)帰ってくると全身汗びっしょりだったのに、
中旬に入った途端、歩き出すときには寒くて歯の根が合わずに震え上がるほど。
確実に日本の冬より急激に訪れると言った感じです。

車で高速を走っていると「エリー/ワシントン」、つまりこの先で北に行けばエリー、
南に行けばワシントンという表示を見るのですが、

このエリーとはあの五大湖の一つのことなんですね。

ペンシルバニア州がエリー湖を挟んでカナダの真下であることを、
この早い冬の訪れによって実感することになりました。

ちなみにピッツバーグからエリー湖沿いのクリーブランドまでわずか車で2時間、
ワシントンDCまでは先日行ったデイトンと同じくらいつまり4時間という距離です。

この写真はかつてカーネギーのビジネスパートナーだった人の土地を整備して作った
フリックパークですが、この手の公園の中でもここは特に整備が行き届いています。

ここも発見してからは二日に一度の割合で訪れましたが、暑い間間苦労して
木陰の多いコースを開拓したのに、
最後の頃は日向が有難いくらいの寒さでした。

寒くなってきたせいか、最後の頃は冬眠する動物たちが忙しそうでした。
こちらではめずらしい黒リスを一度だけ目撃しました。

しかしこういう写真は一眼レフでないと全くだめですね。

なんならシリコンバレーで撮った黒リスの一番レフ写真をどうぞ。

マーモットも後半になってから何度か目撃しました。

アルプスマーモット

やっぱり彼らも冬眠するそうです。
アメリカではウッドチャックとか言われている模様。

 

森の中を歩いていると目の前を鹿が横切るのはしょっちゅうです。
まず1匹、彼(彼女?)は分隊の先遣隊といったところです。

先頭が渡り切ると安心してぞろぞろと続く彼の仲間。

人の姿を見ると慌てて木陰に避難し皆でこちらを見ていました。
そのとき後ろに気配を感じて振り向くと、

群れの1匹が道の反対側からこちらをうかがっていました。
わたしが来てしまったので皆に続いて道を渡りそびれてしまったんですね。

この不安そうな顔(´・ω・`)

 

ピッツバーグに縁ができ、時間が許す限り現地を歩いてきましたが、
やっぱり最初に発見したシェンリーパークは何度歩いても飽きません。

人工的な構造物はありますが、それらは前にもお伝えしたことがあるように
WPAという大恐慌のあとの失業者対策事業のころにできたものなので、
石積みだったりレンガが敷き詰められたりで実に風情があるのです。

シェンリーパークの一角にある公園のビジターセンターも当時の建築です。
カフェになっていて、パーティのために借りることのできる施設ですが、
今年はコロナのせいで閉鎖になっていました。

一度裏口の前を通ったら、この建物の修復にかかった資金は
アノニマス(匿名)の寄付によるものです、と書かれたプレートを見つけました。

おそらくこの資産家(かどうかは知りませんが)も、この公園を愛し、
わたしのようにここでのひと時を楽しんでいたのでしょう。

公園にベンチを寄付したりして自分の名前を好きな場所に遺す、というのは
アメリカ人がよくやることですが、匿名というのはなかなか粋です。

よくある名前より、「アノニマス」という存在の方に人は強い印象を遺すからです。

シェンリーパークの一部は大きく張り出すようになっていて、
MKの大学のキャンパスと小道を挟んで隣接しています。

ここは「フラッグフィールド」といって、国旗掲揚台があるのですが、
それはここにアメリカ星条旗のためのモニュメントがあるからです。

石碑のリースの中に書かれた文言は

「1777−1927
アメリカ合衆国国旗の生誕150周年記念」

その下には

「このモニュメントはアレゲニー郡の163校の学童が
ピッツバーグクロニクル通信社と国旗の日協会の後援により
集めた188万ドルによって建設されました。

1927年6月14日」

とあります。

このモニュメントの右下のプレートにある説明によると、
アメリカ国旗は1777年に最初に制定されてから、その後現在まで
27回もデザインを変えてきました。

このモニュメントはその最初の年から150年目にあたる1927年、
子供たちからペニー(1セント銅貨)を集めて作られました。

現在のアメリカ国旗(50個の星)のデザインは1960年から今日までと
史上最も「長生き」のバージョンとなっています。

 

こういう道が延々と続く公園が身近にある。
アメリカ人がうらやましくなるのはこういうときです。

 

散歩していて他の人とすれ違うと、アメリカ人はよく挨拶をするのですが、
コロナ以降はそれも変わってきました。

ほとんどの人が散歩中でもマスクをしており、狭い道ですれ違うときは
どちらかが脇に避けてソーシャルディスタンスを守ろうとします。

「モーニング」とか「ハイ」とか声を出す挨拶も控え、
手を挙げるだけの人とかが増えてきました。

テレビではいまだにマスクの有用性を啓蒙する特集が繰り返し放映されています。

あんなにマスク嫌いだったアメリカ人が、今ではこの通り。
もちろん散歩の時くらいと思うのかマスクしない人もいますが、
不思議なことにそんな人たちに限って連れと大声で喋りながら歩いてます。

 

さて、そんなアメリカでの変化を肌身で感じていたある日の散歩中、
わたしは二人のおじさんに少し離れた場所から呼び止められました。

イヤフォンで聞こえなかったので外してから何ですか?と聴くと、

「こっちにビーバーが齧った木があるんだけど知ってた?」

いい年したおじさん二人がまるでおもちゃを見つけた子供のように
嬉しそうに指差して教えてくれたのが、これ。

「あいつら一晩でこれくらい齧っちゃうんだよねー」

ビーバーというのは寒いところほどベルグマンの法則により体が大きく、
ヨーロッパでは20キロ、オハイオ州では成獣の平均体重は16.8キロあるそうですから
この辺りのビーバーもかなり大きいと思われます。

昔は体重50キロくらいのビーバーがいたそうですが・・・どんなだよ(笑)

次に行ったら、根元をかじられた木はこの通り倒れていました。

ビーバー1匹で例年結構な被害が?出ていると見た。

なんで木をかじるのかというと、彼らは川を堰き止めるダムを作り
そこに巣を構えるかららしいですね。
ダムには泥も塗って完璧に水を塞ぐんだとか。

おじさんたちに教えられて気づくと、結構被害があちこちに・・・。
葉っぱの枯れ具合からいって何週間か前に倒れたようです。

日本ならたちまち危険だからと倒れる前に木を片付けてしまうところですが、
アメリカの公園ではしょっちゅうあちこちを整備する割に
倒木などは自然のままにしておく傾向があります。

ビーバーが巣を作ろうとしているのならなおさら?

切り株に彫刻刀で削ったような歯の跡が刻まれています。

ちなみにおじさんにビーバーそのものを見たことがあるか、と聞いてみると
一度もないとのことでした。
アメリカに住んでいてもそうそうお目にかかる動物ではないみたいです。

親の仇のようにかじりまくってますね。
どんな奴がやったんだ。

はいこんな奴です↓

アメリカビーバーのオスかわいくねー

 

おじさん二人には、わざわざ教えてくれてありがとう、と丁寧にお礼を言っておきました。

 

それにしても不思議なことがあります。
これだけ木をかじり倒した跡があるのに、どこにもダム巣らしきものが見当たらなかったのです。

wikiによると、ビーバーのダム作りは周辺の木を齧り倒し、泥や枯枝などとともに
それらを材料として川を横断する形に組み上げて作る、ということなので
倒した木はそれなりに川を堰き止めていないといけないはずなのですが、
写真を見ていただく限り、木が倒れているのが明後日の方向ばかりなんですよね。

ビーバーの巣作りは本能的なもので、親のやっているのを見て学習する、
という行動ではないそうですが、もしかしたらこの公園のビーバーは
まだ初心者で木をどう齧れば川を堰き止められるか要領がわかってないのかもしれません。

彼らは何年もかかって壮大なダムづくりを行うということなので
来年にはちょっと巣らしきものができているかも可能性もあります。


来年、機会があれば、このビーバーくんがどれだけ木をかじるのが上手くなったか、
ぜひ確かめに来ようと思います。

 

さて、ここからは全くの蛇足なのですが、散歩の時わたしはBOSEのサングラス式か
ソニーのイヤフォンで音楽を聴きながら歩きます。

今回、この曲をMKに教えてもらい、何度か聴いているうちに
「夏のピッツバーグ」イコールこのイメージに定着してしまったヤバい曲があります。

馬鹿みたいBakamitai (Full Lyrics) (Yakuza 0) - Hamburger Karaoke

MKにいわせると「〇〇ゲー」の類なんだそうですが、ヤクザ戦闘ものゲームの
主人公桐生一馬が歌うこのバブル時代のムード歌謡が今世界的にバズり気味で、
サビ部分のミームを作るのが密かにはやっているのだとか。

安倍前首相とか
FORMER japan pm shinzo abe senpai sings baka mitai

オバマ元大統領とか
obama sings baka mitai

習近平とか
Xi Jinping sings Baka Mitai

映画「シャイニング」とか、

第一次世界大戦時の世界のリーダーとか
WW1 Leaders Sings Baka Mitai (Dame Da Ne)

(直前にアメリカが参戦したところで爆笑してしまった・・)

第二次大戦時のとか。
Dame da ne WW2


いろんなバージョン皆競って作ってるんですよね。
日本語でこのカラオケを歌うのも流行っているとかで、もう世界中bakamitaiとしか(笑)

それからMK情報で面白かったのが、なぜかいま、竹内まりやの
「プラスティックラブ」が世界的にバズってるらしいということ。

なぜ竹内まりや?なぜこの曲?


 

 


オハイオへの旅〜ミリタリーミュージアムを訪ねて

2020-09-16 | アメリカ


MKが学校の新学期からの授業を日本で受けるという可能性もあったため
この夏はそもそもアメリカに行くことができるのかどうか、
ギリギリまでわからなかったのですが、最終的に渡米が決まりました。

その瞬間、わたしはある計画を実行にうつすべくリサーチを始めていました。
実は今度ノースイースト滞在が実現すればぜひ行きたいところがあったのです。

去年、ピッツバーグに滞在している時、coralさんに教えていただいた
ライトパターソン空軍基地に付属するアメリカ国立航空博物館です。

ピッツバーグからオハイオまでは車で4時間くらいかかるとはいえ、
いつもなら何を置いても実行していたところですが、今回はCOVID19を始め
何かと世情が不安定なことがあり、ニュースやHPをチェックしていたところ、

2週間くらい経ってアメリカの様子が基本いつも通りであることと、
博物館はマスク着用とソーシャルディスタンスを取ることを条件に
オープンしていることがわかりました。

さらには借りている車(日産のムラノ)にも十分慣れてロングドライブいつでもOK、
と思われたので、博物館近くの
ホテルを二泊予約して出かけることにしました。

調べていると、デイトンまで3時間走ったところにあるコロンバスに、
「Mott military museum」という軍事博物館があることに気がつきました。

そこで、一日目をこの「モット」という博物館に使い、
その日の夕方にデイトンまでたどり着いて投宿し、翌日丸一日、そして
翌々日の午前中を予備にして国立航空博物館を制覇することにしました。

というわけで昼頃コロンバスに到着の予定で出発しました。
レストランは当てにならないのでランチを用意して車に乗り込みます。

高速を走っていると必ず視界ににAmazonプライムのトラックが入ってきます。
ステイホームの影響でアメリカでもAmazon大忙しのようです。

前も後ろもAmazonプライム、こんな光景はしょっちゅうでした。

しばらく走っていると、お馴染みの「草ロール」がころがる牧草地が出現し、同時に

「ウェルカムトゥ・ウェストバージニア」

という看板が現れました。

ペンシルバニア州の隣がオハイオ、と思っていたのですが、
実は両州の間にウェストバージニアが「ツノ」をちょこっと下から出していて、
フリーウェイを走っていると一瞬州内を通り抜けることになるのです。

看板を見た次の瞬間、わたしは

「♫ オールモストヘーヴン〜〜ウェストバージニア〜〜
ブルーリッジマウンテーン シェーナンドーアーリーバ〜〜」

と声に出して歌っていました。(実話)
そして、

「♫ ウェストバージニア〜マウンテンマーマ〜
カントリーロー・・・」

「・・・・ん?」

「でたあああああ!」

なんっとウェストバージニアには「カントリーロード」が存在する!

などと一人でも結構ドライブを楽しめてしまう自分でよかった。
と思いつつ、一回の休憩を挟んでコロンバスに到着。

わたしが車の中で持参してきた昼ごはんを食べていると、ガラガラの駐車場に
車が二台止まり、いかにもボランティアらしい爺さんたちが入っていきました。

今までアメリカの各所で見た、規模の小さな軍事博物館、
毎日リタイアした老人たちが趣味のボランティアで維持している
あのお馴染みのタイプのあれだな、と思いながら車を降りました。

建物の横のゲートは扉が閉まっていないので誰でも入っていけます。
航空機が数機、航空博物館というものではなさそう。

この手作り感あふれるアットホームなエントランスを見よ。

入っていくとそこには数人のおじさんたちがいて、
他の小さな軍事博物館と同じように物珍しそうな視線を浴びせてきました。

「10ドルです」

わたしが財布を出していると、レジのおぢさんが
おっと大事なことを聞き忘れたわい、という感じで

「ヴェテランですか?」

と聞いてきました。
あまりにも予想外の質問だったのでわたしが思わず

「は?」

と戸惑うと、

「あ・・・いいです」

このわたしが一瞬でもアメリカ軍を引退した元軍人に見える?
と後でMKに笑い話のつもりでいうと、

「自衛隊にいたかもしれないじゃない」

もしそうだったらやっぱりヴェテラン割引対象だったんだろうか。

展示はやはり南北戦争から始まりました。
リンカーンの死体検案書や髪の毛もあって、ここが
ただの小さな軍事博物館ではないことはすぐわかりました。

続いて第一次世界大戦関係。

ここから両側の通路は全部第二次世界大戦関係です。
左の上にある赤子を抱いている肖像はヘルマン・ゲーリング閣下です。

そのなかでここ「も」ユダヤ人迫害とその解放については
特にこだわっているように見られました。

Dデイ関係、日系アメリカ人の開戦に伴う強制収容なども。

軍服を着た有名人コーナーより。
アメリカ軍人(特に陸軍)って、皆帽子を斜めに被りますよね。

ナバホ族のコードトーカー(暗号通信員)の資料がありました。
これはちょっと珍しい展示です。

左上には、ここでも一度紹介したことがある日本の
「次は本土攻撃だ!」を啓蒙する「日本領地陥落時計」があります。

日本軍関係の資料もなかなか充実しています。

マニラで日本軍が降伏したときの山下中将の写真がありますね。

天井の零戦はもちろん模型です。

エノラ・ゲイとチベッツ少佐の「偉業」を称えるコーナー。

スペースシャトル「チャレンジャー事故」コーナーにあったオニヅカ少佐の写真。

珍しい企画として「戦場カメラマンコーナー」がありました。

ここの内容についてもそのうち詳しく整理して
当ブログでお伝えしていきたいと思っています。

航空機のあるヤードにはいくつかの慰霊碑がありました。

展示を見ている間中、おじさんたちは同じところで歓談していましたが、
わたしがありがとうございました、といって出ようとすると、一人のおぢが

「どうだった?」

と聞いてきたので、普通に感動しました、と言った後、

「外にある大きな”ボマー”の説明がなかったんですが、あれなんですか?」

と聞くと、

「え?なんてった?・・マスク外していいよ」

「だから・・あの大きな飛行機・・」

まわりのおぢたちが

「Dakotaのことじゃね?」

と言い出したので、

「紙に書いてくれます?」

というと

「DC-3 Dakota」

とメモに書いてくれました。

案の定わたしが輸送機を爆撃機と間違えていたことが判明したわけですが、
そりゃボマーとかいきなり言われても何のことかわからないよね。

書いてもらっている間、おぢさんの一人が、

「あんた、コラムニストかなんかかい?」

と聞いてきたので、

「そんな感じ(Kind of)です」

と答えておきました。

博物館を出てデイトンに向けて走っていると、
「スプリングフィールド」という看板が出てきました。
おお、うわさによるとイリノイ州の州都であるところのあれか。

同じ名前の都市はマサチューセッツやその他にもあるせいか、
(シンプソンズの住んでいるのも確かスプリングフィールドだった気が)
イリノイの州都がシカゴだと勘違いしている人は案外多いんですよね。

そういえば、第二次世界大戦のときに捕虜になったある将官(有名な人)に、
アメリカ人かどうか確認する尋問として、

「イリノイの州都はどこですか?」

と聞いた訊問官もその一人で、将官が正しく

「スプリングフィールド」

と答えたのに

「ブー!間違い!さては貴様アメリカ人じゃないな?」

となったことがあったそうです。いい迷惑だ(笑)

 

さて、デイトンに向かう前に現地のホールフーズで
今晩と明日の食料を調達しようとしたら、同じモールに
ときどき掘り出し物が見つかる「オフ・サックス」を見つけてしまい、
ついふらふらと入って行ったところ、これがなかなかの「あたり」でした。

特にファッション関係では同じチェーン店でも地域によって品揃えが全く違うのがアメリカです。
同じオフサックスやノードストローム・ラックでも、ニューヨークとかロングアイランドは
悲しいかなピッツバーグとは比べ物にならないくらいセンスがいいのですが、
それでいうとオハイオの「レベル」はなかなかのもののようでした。

両者は高級デパートのバーゲン品を売ることで、本家のブランドを落とさずに
在庫を捌くための文字通りのアウトレットですが、同じ高級デパートでも
バーゲンを年に2回しかせず、アウトレットを持たない超高級路線の
ニーマン・マーカスは、先日ついに倒産したというニュースを聞きました。

国立博物館から15分くらいのところに取ったホテルは、
COVIDのせいなのか部屋にコーヒーのセットすら置いておらず、
これまでここに泊まる理由の一つだった一階のカフェもやっていませんでした。


窓から見えるモールは閉店してゴーストタウンになってしまっています。
巨大なメイシーズの建物が無人の様子は実に物悲しい光景です。
 

朝方は蒸し暑く大雨が降っていました。

わたしも体調を崩し気味だったのでこの朝はゆっくり過ごし、
昼前になって国立航空博物館に出撃しました。

アメリカ空軍のマークのペイントされた格納庫と、フィールドに展示された
輸送機が見えてくるとテンションが上がってきました。

ここがミュージアムの玄関となります。

この航空博物館の展示機はもともと屋外にあったのですが、
1971年に格納小型の展示室が完成し、今の形になっているそうです。

かつて展示機があった(のかもしれない)フィールドでは
ガチョウの群れが草を食んでいました。

入場口から駐車場まで結構な距離ドライブします。
見学客の少ないうちにということなのか、通路にロータリーを作る工事をしていました。

駐車場の前の緑地はメモリアルパークとして
空軍関係の慰霊碑や記念碑が点在します。

COVID19のピーク時にはやはりここも閉鎖しており、7月くらいに
再オープンをしているようです。
エントランスではマスクをしたライト兄弟がお出迎え。

水飲み場やカフェは廃止していました。

入り口では熱を測るわけではなく、マスクを着用していればOK。
金属探知機の前に荷物検査を受けるのですが、そのとき、

「武器は持っていますか?」

どんな相手にも一応聞かなければならない質問事項のようです。

そしてこのとき驚いたのが入場料が無料だったこと。
さすがはアメリカ合衆国が全面支援している博物館です。

展示場は大きく中で二つの格納庫に分かれており、一つは
航空黎明期のものから第一次世界大戦ごろの航空機など、
もう一つは第二次世界大戦以降ということになります。

アメリカのみならず、世界各国の軍用機も揃っています。
ドイツ軍の飛行機ではあの「コメート」やMe262も所持しています。

各国空軍の制服の展示が充実しているのもここの特色。
海軍の代表的エースとして坂井三郎が紹介されていました。

疲れていたこともあって座り込んで最後まで見てしまった「カミカゼ」紹介ビデオ。
日本人としてはまずこのロゴからツッコミたいところです。

さて、これらの展示について、当ブログでは今後
いろんなアプローチでご紹介していきたいと思っておりますので、
その折にはどうぞよろしくお付き合いください。

 

 

 


アメリカの「カルチャー」〜ピッツバーグ滞在

2020-09-13 | アメリカ

9月になりましたが日差しは相変わらず強く、湿気が大気中にたまってくると
猛烈な勢いで雷を伴う雨が降ってまた爽やかさが戻ってくる、これを繰り返して
少しずつ涼しくなっていくのがピッツバーグの晩夏です。

日課のウォーキングですが、今回車で10分くらい行ったところに
トレイル(散歩道)コースがふんだんにある公園、フリックパークを見つけました。

ピッツバーグ最大の広さを誇る市立公園で、2.61 キロ平方メートルという
この公園は、元々一部にアンドリュー・カーネギーのビジネスパートナーだった
ヘンリー・フリックの所有地があったことから始まっています。

フリックはこの土地の購入についてしぶっていたのですが、娘のヘレンが
デビュタントでの「お願い」として公園の維持費用を供出することをねだり、
その結果公園が1927年にオープンしたということです。

父親とその令嬢。
絵に描いたような(って絵なんですが)アメリカの当時の上級です。

フリックはヨーロッパから帰国するためにタイタニック号を予約していましたが、
妻がイタリアで捻挫したため、乗船をキャンセルして難を逃れています。

娘のヘレンは慈善事業家で美術コレクターとして名前を残しました。

アメリカの「公園」とは、日本のと違って(日本のようなのはプレイヤードという)
人が歩く小道を自然の中に作っただけの広大な森林を指すことが多いのですが、
ここは特に最低限の整地をして歩きやすくしているだけで、柵などは基本ありません。

トレイルには全て名前がついていて、ところどころ立て札があります。
Tranquil trail というのはその名前の通り穏やかでアップダウンのない真っ直ぐな道。
何も知らなくてもお年寄りや家族連れ向きだとわかりますし、この
「ローラーコースタートレイル」は、マジでトレーニングしたり、
マウンテンバイクの威力を試したい人向け、というのが伝わってきます。

シェンリーパークの鹿は夕方出てきますが、ここは森が深いせいか
昼間でもよく彼らが歩いているのを見かけます。

この立派なツノを持った鹿とばったり出会いました。

よく見たら木の影から出てこられない小鹿がいます。
彼らは道を渡ろうとしたときわたしがやってきたので
慌てて隠れているつもりなのです。

それにしても父親と子供が連れ立っているのは初めて見ました。

 

それで思い出したんですけど、アメリカって普通に離婚が多いんですよね。
MKの前のルームメイトも母親は後妻で、弟だけが実母のところと実家を行き来しているとか。
子供を引き取るのも必ずしも母親とは限らないのです。

わたし自身もMKの幼稚園で子供をワッチする仕事をしたとき、
その頃ですら(つまり子供がまだ小さいのに)クラスに必ず一人か二人、
親が離婚してどちらもの家を行ったり来たりしている子がいました。

母子家庭の母親が意気投合して二家族で一緒に暮らしているという例もあって、
さすがアメリカ、と驚愕したものです。

2度目に訪れたとき、いきなり墓地に迷い込んでしまいました。

傾斜を利用した「霊廟」というレベルのお墓もありました。
星のマークがついているのはユダヤ教の人々の墓です。

すぐに引き返しましたが、境目になんの案内もないので知らない人は
入って行ってしまうと思います。

 

ある日火事騒ぎ?を目撃しました。
大型ショッピングセンター、「ターゲット」に行こうとしたら、
店の前に消防車が止まっていてお店の前が通れなくなっていたのです。

消防車は梯子を稼働させていますね。

店の反対側にいる赤シャツの軍団は、全員退避中の店員。
幸い大事にはならなかったようで次に通ったら普通に営業していました。

また別の日には、交通事故の生々しい跡を目撃しました。
この写真は現地のテレビ報道のものですが、バイクが車線変更したとき
後ろからきていた車の左側ドア部分に激突、そのままライダーは
側壁に叩きつけられて即死したという事故でした。

壁にもたれて携帯を触っているのが運転手で、わたしが渋滞を抜けて
現場を通りかかった時にはライダーの身体は地面にまだ横たわっていました。

お亡くなりになった方をもろに見てしまったこともあって、
その日のニュースでその人の名前や年齢を調べてしまったものです。

また結構雨が降った週末、教会の前を通りかかったら
ちょうどこれからライスシャワーがあるらしく皆外に出てきていましたが、
さすがアメリカ人、傘をさしている人は二人だけ。

アメリカにも傘を売っていないわけではないのですが、
アメリカ人というのは本当に傘をさしません。
Covid19以前のマスクのように、「それをしたら負け」と思っている節があります。

Covid19といえば、ピッツバーグ最大の医療機関であるピッツバーグ大学医学部病院では
このようなロゴを渡り廊下に示しています。

アレゲニー郡だけで9月10日現在、感染者は10,915人、
死亡者数358人ということですから、感染者規模は大阪府と同じ、
死亡者規模としては東京都と同じくらいです。
街は表面上穏やかそうでも医療関係者は「戦場」になっていることが予想されます。

つい先日もピッツバーグ大学の学生にプチ集団感染があり、MKの大学からも
一人だけとはいえ感染者を出したということを聞きました。
この状態では野球や観劇などのエンターテイメントが再開できないのも当然かもしれません。

こういう危機に陥ったとき、アメリカは第一線に立つ人々をわかりやすく称えます。

日本では武田邦彦氏が、医療関係者はそれをするのが仕事なんだから当たり前、
とおっしゃっていましたが、もしアメリカでこういう発信をしたら、 
非難だけですめばいいねというレベルのバッシングをされるかもしれません。

「日本人の同調圧力ガー」

という枕詞をマスク着用や自粛関係に対する非難する言説に見かけますが、
少なくともBLMやトランプ支持者に対する態度を見る限り、
アメリカ社会の同調圧力の方が極端だと感じます。

MKの学校では授業開始前に全員の検査を行いました。
室内ではなく外で(建物の外廊下で)机を並べ、
学生は各自赴いて自分で綿棒を扱って検査を行っています。

 

COVID19では先日ニューヨーク市の飲食店が集団で市を訴えた、
というニュースがありました。
インダイニングでの営業を禁止し、開業しているところを摘発するなど
厳しい対策を取ったことに対する損害賠償を求める訴えと聞いていますが、
ここピッツバーグではどういう基準になっているのか、
休業している店、デリバリーだけで営業している店、そして
平常と全く変わりなくインダイニングを開けている店と三様です。

感染防止のための対策を厳しく講じた上で許可をとっているのか
その辺は詳しく知りませんが、今いるホテルの近くに
平常通り営業しているバーガーの有名店があると聞いて、行ってみることにしました。

まずチェックインすると、同時に何人目か、待ち時間はどのくらいか
ひとめでわかるアプリを登録させられます。

呼ばれるまでできればどこか他所に行って待ってくださいというかんじ。

この日は晴天の週末、しかも昼時とあて待ち時間は30分あったので、
わたしたち散歩コースでもあるオハイオ川の河原ぞいにちょっと歩いてみました。

下から見ただけでわかってしまったフレッド・ロジャースを確認。
後ろのブリッジの下に立つと、仕込まれたスピーカーから

ミスター・ロジャース・ネイバーフッドのテーマソング、

Watch Mister Rogers Age While He Sings “Won't You Be My Neighbor” (1967 Through 2000)

が聞こえてくる仕組みです。

「Ever Watchful」というのは一つの単語化している言葉で、
あえて日本語にするなら「常時監視」という感じでしょうか。

社会を統治する規則や規範に違反する人々を発見、抑止、更生、または
罰することによって法律を執行するために組織的に行動する一部の政府構成員の活動をさす、

「Low Enforcement」

という殉職警察官の碑にはこんな像がありました。

先日、ピッツバーグでは薬物接種の上路上で全裸になって座り込んでいた
アフリカ系の男性を確保するために後ろから顔に袋を被せた若い警官が
COVID19に感染し、死亡したということが発表されました。

しかし、メディアは相変わらず武器をとるために車に戻ったところを
警官に8発撃たれて死んだアフリカ系の父親の涙の訴えを大きく報じました。

「ラストコール」というのは、警官が殉職したとき、そのセレモニーで流す
殉職警官が生前最後に本署と取った通信のことを言います。

Dave Bray- Last Call (Tribute to Fallen Officers)

このビデオの最後には、配属2時間後に銃撃事件で殉職した
女性警官がその直前に行った「ラストコール」が収録されています。

実はここには「第二次世界大戦記念碑」なるものもあるのですが、
これについてはまたいつか日をあらためてご紹介するかもしれません。

ちなみにピッツバーグは「鉄鋼の街」として、戦争には大いに協力した、
というようなことを主張しているのだと思います(たぶん)

さて、というところで時間が来たのでテーブルに案内されました。

「マスクは食べ物が運ばれるまで外さないようにしてください」

このバーガートリーはちょっと(というかだいぶ)高めだけれど、
ちゃんとした牛肉を使った豪勢なバーガーを楽しみたいアメリカ人に人気の店です。

MKが、ここはシェイクも名物なんだというので、二人で一つ
死んだ気になって注文してみました。

MKにいわせると、ハンバーガーとシェイクという組み合わせは

「アメリカのカルチャーなんだ」

ということで、せっかくハンバーガーというアメリカ文化の真髄のような食べ物を
いただくからには、毒くわば皿まで(ちょっと例えが悪いかな)の精神で
そのカルチャーに敬意を表すべきだと考えたわけです。

ハンバーガーに先駆けてやってきたそれには、タピオカ用のような
ぶっといストローが二本付いていました。

「どれどれ・・・・んっ・・・ズズー(吸い込んでる音」

あの、耳下腺が痛くなるほど吸わないと飲めないんですけど。
っていうかこれ要するに溶けかけたアイスクリームだよね?

「いやー、ウェルカムトゥアメリカって感じですな。
ところでウェイトレスが一緒に持ってきたこのアルミのカップは何?」

「作った時余ったシェイクだよ」

というか、これで作って(クッキーとかピーナツバターと混ぜるわけだな)
グラスに入れるとどうしても残るのでそれも持ってきていると。

「どうも見た目がよくないね・・・ってか余らんように作らんかいって思うんですけど」

「これもカルチャーなんだよ」

お店の壁には本店におけるフローチャートがあって、これが結構面白かったので紹介します。

あなたはバーガトリーにいますか?

           →はい
           →いいえ→いや、あなたここにいますよね(これ読んでるんだから)

あなたがここにいるわけは?

A あなたがたはバーガーに飢えている

「あなたがた」が『Yinnz』というピッツバーグ弁になっている

B フットボールの代わりにシェイクを「スパイク」したい

spikeというのはフットボール用語 でタッチダウン後ボールを地面にたたきつけること。
つまり「キメたい」というようなニュアンスだと思われ。
ご存知のようにここはスティーラーズの本拠地ハインツフィールドのすぐ横です。

C カジノがカードを数えるために追い出されたから

ここから歩いてすぐのところに実はカジノもあります。
もちろん今はやっておりません。

D ファウルボールが飛んでくるのを待っていたらお腹が空いたから

何度もお伝えしているようにここにはパイレーツの本拠地である(略)

E あなたはブラウンズのファンで、心の穴を埋める必要があった

クリーブランドブラウンズはオハイオのフットボールチームで、
おそらく両者は地域的にライバル関係にあるのだと思われます。
負けたと決めてかかってますね(笑)

その下のバーガー、ビール、シェイクについては

バーガーとビール=Righteous(正義)

バーガーとシェイク=Lust(欲望)

ビールとシェイク=Divine(神々しい)

バーガーとビールとシェイク=バーガトリー

決定的な感じですか?→ワインが水に変わりましたか?→

矢印の下がトイレです(笑)

あなたは

ツリーハガー→あなたにはべジーバーガーがいいでしょう

         →気が変わった→ミートハガーへ

肉を使わないベジバーガーが美味しいのでも有名だそうです。

ミートハガーチキンを所望、あるいは地上の牛の喜び、あるいは蟹を愛好

→シェイクについて話しましょう!→キメろ!あるいは古典的にいきましょう

→食事を楽しんで

→お支払いすみました?→いいえ→汝盗むなかれ(聖書の言葉)
           →はい→またどうぞお越しください

待っている間、隣の(と言っても離れてますが)テーブルの
若い男性と年配の女性と5人の子供に気がつきました。
男女は夫婦ではなく、子供は全員親が違う感じです。

兵士と水兵の記念館の展示から南北戦争について書いた時、
当時は一家の主人を戦争で亡くしたら、自動的に子供は孤児院行き、
未亡人は持ち家を公売にかけて自治体の「未亡人の家」で一生を送った、
ということを知り、かなり驚いたのですが、そのときにできた孤児院が
今でも市内にあって、何度か前を通ったことを思い出しました。

男女二人は孤児院の職員で、休みの日なので子供たちを連れて
河原にあそびに来てここで昼食を食べさせているのだろうと思いました。

というわけで、やっとのことでやってきた注文のバーガーは、
フローチャートにはありませんが、

→あなたは日本人ですか→はい→
ドライエイジドの和牛を使ったバーガーはいかがでしょう

という選択で、ミートユアメイカーという15ドルのバーガーにしました。

肉そのものはバーガーにするにはちょっと上品すぎるかなと思いましたが、
なんとトリュフを加えて(もちろん本物)香り付けをするという力技により
それはそれはリッチなお味に仕上がっており、堪能したことをご報告しておきます。

結論は、

→やっぱりバーガーはアメリカのカルチャーです!

 

 


オンラインの入学式〜アメリカ滞在

2020-09-01 | アメリカ

アメリカで生活してしばらくになりますが、映画や観劇、
コンサートの類はそもそもこちらでも絶賛自粛中ですし、
ほとんどのレストランはテイクアウトだけの営業なので、
外出は食料品とMKの生活立ち上げのための用品の買い出しか、
そうでなければ外を歩きに行くくらいしかしていません。

しかし、そもそもこれまでも別に遊びまわっていたわけではなく、
特に夜は用事もないので外に出ることは滅多になかったので、
特に不自由を感じているわけではありません。

モールなどお店ではマスク着用が求められているので皆守っていますが、
わたしの観察したところによると、外でウォーキングをしている人、
自転車を漕いでいる人のマスク着用率は50%といったところ。
走っている人でマスクをしている人は見たことがありません。

特に朝早くは人ともすれ違わないのでしなくていい、という
マイルールができている人が多いようです。

わたしも日本よりマシとはいえ、こちらも結構暑いので
歩いていて人が来たらマスクをつけるようにしています。

冬はいろんな色のマフラーファッションを見せてくれる
カーネギー博物館のマスコット?ディッピーくんもマスク着用。

 

到着してすぐ、去年毎日歩いた公園に行ってみました。
元々人が多いような場所ではありませんが、今年は一段と静かです。

何日か時間を変えて歩くうち、一番混雑?するのは
夕方7時ごろからであることがわかりました。
暑いので陽が沈む頃歩きに来る人が多いということです。

公園散歩の後に、一度以前住んだところの近くにあった
ユダヤ人街のベーグル屋さんに行ってみました。
外側から自分の携帯で注文して中から店員が持ってくるのを受け取る仕組みです。

ベーグルそのものが4分の3くらい小さくなっていました。
小さくしすぎて?真ん中の穴がなくなってます(´・ω・`)
わたしは毎回ハラペーニョ・クリームチーズを選ぶのですが、ベーグルが小さくなった分
ハラペーニョの辛さがマシマシになったという気がしました。

ほとんどがテイクアウトオンリーの中、テーブルを一つおきに使用不可にするなど、
ソーシャルディスタンスを配慮しながら営業しているレストランもあります。
ピザの美味しいこのお店もそのひとつ。

この日は日曜日で教会帰りらしいドレスアップしたグループがちらほら。

これがドレスアップ?と思ったあなたはアメリカ人の「普通」をご存知ない。
女性がスカートかワンピースを着れば、それは「改まっている」ということです。

夫婦とどちらかの母親とで教会の後の恒例の?ランチタイム。
ちなみにこのレストランのあるのは高級スーパーや高級養老院があり、
見るからに生活レベルの高い地域です。

前回も書いたようにこちらでiPhone11を買って以来これに頼りっきりですが、
天候などのシチュエーションによって出来不出来はあるものの、
本領発揮というか優秀だなーと思うのが夜景です。

調整なしでパッと撮ってこれくらいなら上出来じゃないですか?

これが買って初めて撮った窓越しの夜景。

夜散歩した時に雨が降り出して真っ暗になったのですが、
オハイオ川にあるリバーレスキュー隊の救難ボート置き場のハッチが
珍しく開いていたので撮ってみました。
ブレることなくちゃんと写っています。

ピッツバーグは今回雷とスコールによく見舞われます。
雷を伴う雨は激しいですが短時間で終わり、焼けつくような晴天、
これが何度か繰り返されます。

前回発見したストリップ・ディストリクトのイタリア街の商店街、
移民系多めな一角のシーフードレストランがダインイン営業中とわかり、
行ってみることにしました。

夕方だったせいかほとんどの店が終了しています。

わたしはここでも当たり前のように「招き猫体質」を発揮してしまい、
並び出した途端後ろが長蛇の列になってしまいました。

長蛇といってもアメリカ人は列を作るのを嫌いますので、
お店の人に名前を言って店の前で適当に待つ感じです。

シーフード料理の店なのでやはりここはクラムチャウダー一択でしょう。
クラム多めでこってりとしていました。

SNS上で評価の高かったロブスターサンドを頼んでみました。
レモンをたっぷり絞っていただくのがよし。

アメリカで外食する時の常として、半分食べたらあとは箱をもらい、
自分で詰めて持って帰って次の日アレンジして食べました。

さて、いよいよ大学の始まりにむけて始動が始まりました。
まず、全員に必ず30分のこのガイダンスを観るように、という通知があります。
内容はCOVID19に対処するための、わりと当たり前な注意なのですが、

このビデオに大学のマスコットである黒いスコッチテリアが大活躍。

至る所に登場して和ませてくれます。

「あー、こんなところにいる」「かわ(・∀・)イイ!!」「 ´д` ;ハアハア」

とか騒いでいると、(英語なんで)肝心のことを聞き逃してしまうわけですが。

制作側も昨今の学生に何がウケるか知り尽くしている模様。



ソーシャルディスタンスは6フィートというのがこちらでは言われていますが、
つまりこれはスコッチテリア6匹分であると。

確かにインパクトありますよね。
(どうして『インパクト』なのかちゃんと聞いていなかったのでわかりません)

ちなみにマスコットが犬であるせいで、当大学のスクールショップには、
犬用のバンダナ、タイニーサイズからXXLまでサイズも豊富な
犬用シャツや首輪が大変充実しております。

こちらはマスコットぽいですがそうではなく学長です。
MKは新入生ではありませんが、もちろんオンラインでの
入学式を見るのは初めてです。

学長に続き、学校関係者がこの後次々と画面で紹介され、
皆が一言ずつ挨拶をしたりしてセレモニー?は進んでいきます。

お約束、各界で有名になった卒業生の紹介タイム。
宇宙飛行士がいたり、普通にノーベル賞受賞者がいたり、

アメリカ陸軍中将閣下もおられるのである。

しかし、正直な話、従来の入学セレモニーを父兄として経験した立場でいうと、
8月の下旬という酷暑の中、キャンパスをあっちにいったりこっちにいったり、
セレモニーに始まりオリエンテーション、親睦会とたらい回しにされるわりに
何もしていない時間の方が長いというあの悪夢の1日に比べれば、
ずっと端的に大学のことがわかり、学長やスタッフの顔を間近に見て、
しかも自室にいながら全てが短時間で済むオンラインは最高です。

ほどなく学生のオリエンテーションも始まりましたが、こうやって
何百人ものクラスメートの顔を見ながら話が聞けるわけです。
もうこれから大学はこれでいいんじゃないの、とさえ思うのですが、
MKによるとやはり科学系の授業はどうしてもそうはいかないのもあるようで。

さて、今日はいよいよムーブインの日。

学校が借り受けているアパートに荷物を搬入するわけですが、
前もって日にちと時間を自分で予約し、指定の時間にオフィスに行って
鍵を受け取り、
30分だけ駐車場に車を停めてその間に荷物を入れます。

時節柄混雑と接触を避けるために同じ枠には数人しかアサインされていません。

アパートは築100年は余裕で経っていそうな年代物でした。

ここにもアパート内でのマスク着用を呼びかけるスコッチテリアが。
さすがに室内ではマスクしなくてもいいとことわってあります。

このアパート、全部が大学の寮ではなく、一般の人も住んでいるようです。

エレベーター、これが凄かった。
手動式開閉ドアの内側がフェンス型の二重ドアでこれも手で開けるのですが、
この重たいドアを力一杯手で押さえていないとどちらも勝手に閉まってしまい、
しかも閉まる時
ガシャーンとものすごい音を立てるという不親切設計の極みです。

おそらく100年前設置されたもの(ウェスティングハウス製)だと思われます。

マスクの重要性を視覚に訴える学校制作のポスター。

日本でも最近「富嶽」の計算でもマスクの有用性が証明されたとかなんとか。
マスク着用の有用性について相変わらず疑義を唱えている人もいるようですが、
もうとにかくそういうご時世になってしまったんだから、エチケットとして
文句言わずしとけばいいのよ、
って感じですね。

平常時は机とベッド、本棚が二つづつ、そしてソファーと椅子のある
20畳くらいの部屋にキッチンとバストイレクローゼット付きの部屋に
二人で住むのがこのドーム(寮)の基本なのですが、なんとびっくり、
今回はどの部屋も一人で占有できるようです。

おそらく、学生の多くがオンライン授業を実家で受けるため、
ドームに住む学生が半分になってしまったということでしょう。
前の部屋より広くなり、しかも一人ということでMKは大喜び。

このあとベッドとタンス、机を彼の考えによって動かしたのですが、
日本の家具と違い、こちらの家具は鉛でも仕込んでるのかってくらい重くて、
このタンスなど全く持ち上がらずほんとうに難儀しました。

室内には寮規則の書かれた紙とともに、マスク3枚(学校と業者から)
消毒シートに消毒剤、体温計のプレゼントが机に置かれていました。
キャンパスに行く前には自主的に測ってくださいということのようです。

部屋はいつもより入念に「ハイジーン」(消毒)されているということですが、
わたしは全く信じていないのでゼロから掃除をやりたおしました。

案の定ベッドの上など埃だらけでした。
ハイジーンとは一体。

古くて饐えたような匂いがするのはちょっといただけませんが、
100年もののアパートなのでなかなか風情があってある意味お洒落です。

元々は普通のアパートなので、キッチンはファミリー向けと同じ大きさ。
大型冷蔵庫に電子レンジ、食洗機になんならオーブンまであります。

学校の「ミールプラン」というのを契約し、食事はオンラインで注文して
大学の指定した近所のレストランに取りに行くことにしましたが、
やはり気軽に行けるカフェがないのでキッチン付きはありがたいです。

次の日聞いたら、自分で豆を挽いてコーヒーを淹れ(今凝っている)
サラダとサンドウィッチを作って食べたと言っていました。

彼にすれば最初のキッチン付き住居での一人暮らしになります。
もともと自分で何でもできるようにしつけておいたし、
(というと聞こえがいいけど実は以下略)寮生活も三年目になるので
心配はしていませんが、ひとまず安心です。

 

 

 


コロナ自粛中の大学キャンパス〜アメリカ滞在記

2020-08-30 | アメリカ

というわけで現在アメリカにいます。

少し前、MKの大学は全授業の最初の1週間をオンラインで行うことを決定しました。
それまではとりあえず一部授業のみ対面ですることになっていたのですが。

MKは日本からオンラインで授業を受けるのは時差の関係であまりに辛い、
(夜の8時ごろから朝10時まで起きていなければならない)ということで、
渡米して現地でオンライン授業を受けることにし、
わたしも手伝いのためと称して着いてきたというわけです。

 

ところで、どんなアメリカの大学も学生のために住居を確保していますが、
一般に大学寮はセメスター(学期)ごとに住居の契約が切れるので、
学生は夏休み(下手したらクリスマス休みも)に入るたびにいちいち退去して、
新学期が始まるとまた新たに住むところを探さなくてはなりません。

今回、大学のドーム(寮、ドミトリー)からの返事がコロナのせいか遅く、
しかたなく保険のつもりで徒歩圏内のAirbnbを一旦契約したのですが、
その後ぎりぎりになって空きが出たという連絡が来ました。

おそらくかなりの学生が地元にとどまって授業を受けるため辞退したのだと思われます。

新学期からの住居が確保できたので、あとは引越すだけなのですが、問題は、
「部屋の鍵を受け取る日に引っ越し荷物を受け取る」という日本なら当たり前のことが、
ここでは奇跡に近いミッションインポッシブルなことです。

「ムーブイン」と称するところの部屋の鍵を受け取る日は決まりましたが、
荷物の到着日をどうしても指定することができず、ドームムーバーという名の業者は
「28日から31日の間のどこか」というふざけた返事をしてきているとのこと。


コロナに関してアメリカは州毎に対策が違っていて、ここペンシルバニア州は

カリフォルニアなどほど厳しくないので、たとえば入国に関しては到着したら
「2週間は自粛を要請する」といった程度です。

 

街の様子で前回と大きく変わったことといえば、日本と同じく外にあまり人がいないこと。

マスクの着用がなければ出入りできない施設がほとんどなので、
さすがのアメリカ人もこの暑さの中、不要不急の外出を控えているのでしょう。

アメリカ人は外食が好きですが、一部の飲食店を除きほとんどは
営業をテイクアウトだけにしているのもその原因となっているようです。

ちょっとありがたいことのひとつは、日本の首都圏と同じく、
全体的な車の量が減ったせいで名物の渋滞がかなり緩和されていることです。

建物の窓全体を使ってマスク着用を呼びかけています。

いつもなら店の前にずらっと順番待ちの人が並んでいた人気のヌードル店ですが、
ドアを開けたところで(マスク着用必須)注文だけして、外でテイクアウトを待つ仕組み。

外のテーブルのみ予約すればダインインできるようです。

宿泊しているホテルは前にも書きましたが、ナ・リーグ所属である
ピッツバーグ・パイレーツの
ホームグラウンド、
NPC球技場の隣にあります。

試合はすべて無観客なので、シーズン中は賑わう周辺地域もこの通り。

「ピープルズ・ゲート(人民の門)」の前にいるのはきっと有名な選手。

と思って調べてみたら「フライング・ダッチマン」(!)と異名をとった
史上最高の遊撃手、ホーナス・ワグナーHonus Wagner(1874-1955)でした。

ワグナーは「ペンシルバニア・ダッチ」=ペンシルバニアのドイツ系だったということで
この渾名となったようですが、もともとあの幽霊船としての
「フライングダッチマン」ってオランダ人のことですよねー?

アメリカ人は「ダッチ」をドイツ人という意味で使うのか・・・_φ(・_・

ドイツ人といえば、ピッツバーグにはヨーロッパ、特に独仏からの移民が多く、
このインクラインも入植したドイツ系があっという間に作ってしまったとか。

現在も稼働しているらしく、ケーブルカーが行き来していました。

球場の搬入口近くの銅像です。
ジム・マゼロスキーBill Mazeroski (1936〜)という往年の名選手が、
伝説のホームランを打って
ホームインしようとしているところなんだそうです。

The Greatest Homerun Ever: Bill Mazeroski 1960 Walkoff Homerun

ちゃんとベース踏んでる?ってくらいもみくちゃにされてます。
どこかでホームベース踏むまで他の人がランナーに触っちゃいけない、
というルールがあるとか読んだことがある気がするんですが、違うのかな。

 

遊歩道のある河原にはこの球場の搬入口の横を降りていくのですが、
ある日の無観客試合の後、ここから選手の車が次々と出ていくのを見ました。

ナ・リーグの選手というのがどれくらい年棒を取っているのか知りませんが、
皆RAMなどアメリカの若い男性がよく乗っているトラック型の車で、
ポルシェやフェラーリ、ましてやメルセデスやBMWに乗っている人はいませんでした。

コロナ対策でホテルのジムとプールは予約制しかも1時間、1グループのみ使用可。
使用後は消毒して30分時間を空けるという決まりになりました。

いちいちフロントの人に鍵を開けてもらわなくてはならないので
エクササイズは外を歩くのが中心になりました。
幸いホテルから歩いてすぐ川沿いの遊歩道がありますし、
車で10分走れば去年歩いた公園にもいけます。

早速遊歩道にでてみたところ、川向こう岸にブラックライブズマターの落書き発見。
やたら凝った似顔絵付き・・・これはプロの犯行とみた。

ところで、今回の旅行にわたしはいつものニコンを持ってきているのですが、
ついてすぐにナビ用にiPhone11を買うと、こちらばかり使うようになりました。

カメラが特によくなったという噂の11ですが、ソフトに落としてみると
やっぱり限界があるようで、これを息子にボヤいたところ、

「ちゃんとフォーカス決めて撮ってる?」

画面のフォーカスしたい部分をタッチしないと全体的にボケるそうです。
知らんかった。


「リバーボート」と呼ばれる川下りの遊覧船は週末だけ営業しているようでした。
遊覧船のうしろに変な形の船がいますが・・・・、

丸くて屋根がついていて中央がカウンターになっているティキという遊覧ボート。
バーでいっぱいやりながら流れていく気分を楽しめます。

Tiki Boat Tours Bring Tropics To The 'Burgh

現在は食べ物は提供しておらず、クルーズだけのようです。

パイレーツの本拠地PCパークから川沿いを数分歩いていくと、
今度は地元フットボールチーム、スティーラーズの本拠地である
ハインツフィールドがあります。

昔は同じフィールドを兼用にしていて互いに不満があったため、
思い切って近場にどちらのフィールドも作ってしまった模様。

ちなみにスティーラーズのチームカラーも、パイレーツも、
ついでにピッツバーグのホッケーチームペンギンズのカラーも黄色です。

ハインツといえば、ハインツフィールドやサイエンスセンターと反対に遊歩道を
ちょうど30分歩いたところにハインツの旧本社敷地があります。

煉瓦造りの大変立派な建物ですが、現在は使われておらず、このビルの中央に
でかでかと「入居者募集中」と書いてあるので驚きました。

ハインツHEINZはやはりドイツ系アメリカ人のヘンリー・ハインツが興し、
1890年以来この大規模な工場と会社で操業していました。

ケチャップを主力製品にした世界最初の会社で、現在のアメリカ人を
世界でも無類の「ケチャップ好き」にした張本人といってもいいでしょう。

ただし、我が日本ではカゴメとデルモンテ(キッコーマン)という二大企業が
あまりにも強くて
「ケチャップの本家」もこの牙城を崩すことができないそうな。

新しく整備された遊歩道にありがちな傾向として
やたら大きな慰霊碑ができています。

まず朝鮮戦争ヴェテランのための慰霊碑。

こちらはヴェトナム戦争の慰霊碑。
左に立っている人と右の女性はアフリカ系で、帰還してきて
お互い顔を合わせた瞬間のようです。

殉職警察官(Law enforcement officers)の慰霊碑もあります。
ちなみに今専門のHPを調べてみたところ、

2020年殉職警察官リスト

事故で圧倒的に多いのが銃による犠牲です。
3月24日に最初の死亡者が出てからは、その後の警察官の殉職理由のほとんどが
COVID19です。

また、「911関連の癌」で亡くなった警官も多いですね。

下からこの笑い顔の部分だけ見てそうではないかとおもったら、
やっぱりフレッド・ロジャースの像でした。

カーネギーサイエンスセンターの前にある潜水艦USS「レクィン」
この夏は中を見学できるんでしょうか・・・。

カーネギーサイエンスセンターは予約制で限定的に入場を受け付けているそうですが。

着いてからしばらくして、MKの学校の売店がオープンしたと知り、
偵察を兼ねてキャンパスに行ってみました。

キャンパスには塀がなく、道路のどこからでも自由に入ってくることができます。
んが、一歩敷地に足を踏み入れた途端、

FACE COVERINGS ARE  MANDATORY(顔を覆うことは義務です)

という立て札がお出迎え。
Mandatoryは強制を強いる義務という強いニュアンスです。

バンダナやヒジャブという選択肢もあるため、こういうときには
「マスク」といわずフェイスカバーという言葉がよく使われます。

建物を撮って人が一人も写り込まない状態は初めてです。
去年はこの同じ場所に新入生のオリエンテーションのための巨大なテントと、
内部の冷房の機材が芝生をほとんど覆っていたものですが・・・。

90年代に重さで倒壊するまで、ギネスブックに
「最も塗り替えられた回数の多いフェンス」として記録されていた
大学名物のフェンスは、現在ご時世を反映して

「BLACK LIVES MATTER」

が表裏白黒で書かれていました。
コロナ騒ぎになってからも粛々と塗り替えている人がいるようです。

通路にも人影なし。

わたしはたまたまこのときYouTubeでグレゴリー・ペック主演の
終末ものの名作、「渚にて」(On The Beach)を観たあとだったのですが、
潜水艦「スコーピオン」の乗員が、オーストラリアから北上して
核戦争で人々が死に絶えたサンフランシスコの街を海上から目撃するシーンを
思い出してしまいました。

北半球ではすでに人々が死に絶えているという設定です。

どうしてどこにも荒廃の後や人々の遺骸がひとつもないんだ、とか、
人間って死を前にしてみんなこんなに高潔すぎですか?とか、
科学的な検証以前にいろいろとつっこみどころ多すぎの映画でしたが、
心に刺さる、感動的といってもいいラストシーンですよね。

わたしったら原潜が最後に艦を自沈させるために海を航走するシーン、
あれだけで全てをよしとしまった模様(笑)

創立時からあったオリジナルの建物に右の部分を増設してあります。
左側に見えている壁はかつての外壁だった部分です。
窓ガラスはそのまま残してあります。

椅子と椅子の間がソーシャルディスタンスによって大きく空けられています。

このビルではオー・ボン・パンという東海岸のチェーンベーカリーが
いつもならカフェを営業していますが、もちろんまだやっておらず無人です。

このあと、新学期開始に伴うオリエンテーションや新入生のためのセレモニーは
全てオンラインで行われることになっています。

 

続く(のか?)

 

 


アメリカ滞在〜アメリカ人絶賛マスク着用中

2020-08-10 | アメリカ

毎年渡米を恒例としている我が家ですが、今年の渡米がどうなるか
まったくわからない状態を経たものの、結局今
東部アメリカのホテルに到着してこれを作成する運びとなりました。

出発から到着、そして一日目の街の様子すべてにおいて、
これまで見たことのない光景が展開していたので、ご報告です。

まず成田空港に到着したとき、駐車場がガラガラで、ターミナルの中には
不気味なくらい人がいないのにさっそく驚愕します。
電光掲示板に延々と続く「欠航」の文字。

少ない乗客数で便を調整しているため、わたしの乗る飛行機も
何度も変更され、当初の予定の羽田出発が成田になりました。

夏休みに入った土曜日の昼間の成田コンコースがこの有様。
ブランドのブティックは全部営業していないので、廊下が真っ暗。

飲食店もほぼ閉店で、スターバックスはかろうじて営業していましたが、
わたしたちが入ったときには他に客がいないという異様な状態でした。

空港のフリーWi-Fiがとんでもなく早かったのはありがたかったです。

空港会社のラウンジは、ビジネスクラス用を閉鎖していたため、
おかげで初めてファースト用ラウンジを体験できました。
ラウンジを統合していても人はまばらで、ソーシャルディスタンス取れまくりです。

窓から見えるのはミガメペイントの飛行機ははハワイ行き専用の
新型エアバス A380型機「FLYING HONU」(空飛ぶウミガメ)。
新型コロナウイルスの影響で全く飛ぶ機会がなくなってしまったので、
今は成田から約90分間の遊覧飛行という企画に使われているのだとか。

FLYNG HONUによる遊覧飛行企画

真っ昼間にこんなにたくさんの駐機している飛行機を見るのは初めてかも・・。

ラウンジでは麺類をオーダーできるカウンターがあって、
MKはカレーうどんを頼んでいました。

そして搭乗が始まりました。
これまでと違うのは、シートのクラス順ではなく、
後ろの席から搭乗していくことです。

機内での人の密集を防ぐためですが、どちらにしても
人数が少ないのであっという間に登場は完了しました。

食事を機内で配膳するのを控えているせいか、食器は陶器でなく
プラスチックの蓋つきで出てきました。
かなりの時間冷蔵されていたと見えて前菜は味がわからないくらい冷えていました。

MKがステーキの洋食を頼んだところ、数が足りないかもしれないといわれてびっくり。
こんなに人数が少ないのに足りないかも、ってどれだけ搭載数が少ないのか。

メインは流石に暖かいものが陶器で出されました。

アメニティは品質落とさず、リップクリームと保湿剤は「SHIRO」のもの。
最近SHIROの洗剤を愛用しているのでうれしかったです。

ただしスリッパはロゴすら入っておらず、明らかに品質が落ちていました。

航空会社も色々と苦しいのだろうと思われます。

映画は普通にやっていましたが、テレビガイドや本は全て撤去されていました。
以前にここでもご紹介したことのある「世界一いい人」フレッド・ロジャースを
トム・ハンクスが演じた

『幸せへのまわり道』(A Beautiful Day in the Neighborhood)

を観ました。

「聖人」ロジャースのいい人エピソードで感動させるようなありがちな展開とは
ちょっと違った(特にラストシーン)捻りのある、妙に心に残る作品でした。

とにかくトム・ハンクスが演じるミスター・ロジャースは一見の価値ありです。
造形が全然似ていないのに、しぐさや声がそっくりでだんだん本人に見えてくるという。

機内で寝て起きてテレビをつけたら「1917」をやっていたのに気づきました。
しまったー!と慌てて観はじめましたが、途中で到着してしまいました。

ちょうど出発の日からレンタルが開始される予定でしたが、アメリカでは
HuluもAmazonプライムも日本のアカウントでは視聴できない仕組みなので、
帰るまでお預けです。

そして予定より早くシカゴオヘア空港に到着。
通路にこんなたくさんの車椅子があるのを見るのも初めてです。

オヘア空港ではターミナル間の移動の電車すらストップしていました。
どうするかというと、乗客全員バスで移動です。
レンタカー送迎用の椅子のない、やたら運転の荒っぽいバスに乗せられ、
カーブごとに必死で体を支えながら目的のターミナルに移動。

コンコースの人影もまばらです。(冒頭写真もオヘア空港)



ポラリスラウンジはもちろん、すべての航空ラウンジは閉鎖中です。
そういうところで働いていた人はどうなってしまったんだろう・・・。

ベートーヴェンの生誕記念周年だったようですが、演奏会も無観客で行うのでしょうか。

ところがトランジット機が出発してから離陸まで、これが長かった。
エプロンで何機も他の飛行機が行き来するのを観ながら1時間は待たされました。

便数が減っているのにどうしてこんなことになるのか・・・。
そのせいで飛行時間がきっちり2倍になり到着は1時間遅れました。

前回雪で欠航になったオヘア行きですが、この日の気温は28度。

目的地ピッツバーグに到着したのは夜の9時でした。

到着するなりびっくりしたのは道ゆくアメリカ人がちゃんとマスクをしていることです。

冬ごろはまだマスク着用が義務付けられていなかったので、
MKによると東洋人以外は誰もしていなかったそうですが、今となっては
どの州でも建物に入る際、そして搭乗の際、マスクをしていなくては
入場入館搭乗を拒否されるという強い態度を取っているので仕方ありません。

予約したホテルもマスクしていない人は入館禁止になっていました。

たとえばANAでは「お願い」という形でマスク着用を要請しています。
日本人はお願いされれば普通に従うので、強要の必要がありませんが、
アメリカ人にはもともとマスクの慣習がないせいか、そこまでしないと
色々理由をつけて守らないからなのだと思われます。

今回、ANAの機内で食事の後マスクをしないでうとうとしてしまったのですが、
FAさんに起こされて着用を要請されました。

なんと、ホテルの横は野球場でした。
MLBの慣例として7回終了後に流される
♫Take me out to the ball game〜
という歌が通常であれば聞こえてくるほどの近さです。

Covidが蔓延していなければわたしもここには泊まっていませんが、
(前回のところが隣が養老院であるせいで閉鎖になった)
もし通常の状態ならここは絶対に選んでいません。

ゲームがあるたびに周りは人と車で溢れるような場所だからです。

PNCパークはピッツバーグ・パイレーツの本拠地です。
野球音痴のわたしは今回初めてその名前を知ったわけですが。

この日(土曜日)球場では無観客試合が行われていたようで、
その夜テレビを観ていたら、打球をキャッチしようとした選手二人が
激突して一人が意識不明になったというニュースをやっていました。

超濃厚接触です。

選手はさすがにノーマスクですが、審判や監督はマスクをしており、
昼間部屋にいても試合が行われていることなど窺えない静けさでした。

しかし、画像を見ていると、球場内では観客の歓声だけを大音量で流しているようでした。
選手のモチベーションが静かすぎるとダダ落ちするからだと思われます。

ミスターロジャースの映画は彼の番組と同じく模型の街が登場しますが、
その中で欠かせないのがこのケーブルカーでした。
ミスターロジャースはピッツバーグで人生の大半を過ごし、ここで亡くなっています。

部屋からはこのケーブルカーがよく見えます。

着いた翌日アップルにiPhoneを買いに行きました。
借りた車に付いてきたAndroidのGPS(カーナビ)が度々クラッシュし、
怖くてとても使えないので、SIMフリーを買って短期縛りのSIMを買い、
帰るまで使って帰国してから入れ替えることにしたのです。

行って並べばいいだろうと思ったら、予約してくれと言われたので
その場で予約を入れて待ち時間にお昼を食べに行きました。

人気のお店なので予約しなくていいのかな、などと言いながらいくと
なんと、土曜日のお昼なのにこの通り。
アメリカでも飲食業はまだ以前の状態には程遠いようです。

奥では女性ばかりの団体がティーパーティーをしていましたが、
それ以外の客はわたし達ともう1組だけでした。

ブランチサービスがあったので、野菜たっぷりのオムレツを頼みました。
MKのプルドポークのライス乗せも美味しかったようです。

モール入るにもマスク着用が義務つけられています。
モール内では早速マスク専門店があちこちにお店を出していました。

こうなると皆マスクでのお洒落を楽しむのがアメリカ人。
女性はほとんどが医療用ではなくとりどりの柄物をつけており、
男性は拘らない人も多く普通のブルーマスクが多いですが、
アフリカ系の若いお洒落な男性はほとんどが黒いマスクで、
それがまた精悍でワイルドな彼らの雰囲気に良く似合っています。

スターバックスではスマイルマークもマスク着用。

少し前までアメリカ人はマスクをしないのが常識だったのに、
わずか半年で変われば変わるものです。
彼らにとってマスク着用は大きな問題らしく、夜のローカル番組では
あるモールで入り口に立って調査したところ、着用率は93%だが、
まだどうしてもしない人がいる、というようなニュースをやっていました。

マスクをしていない人を捕まえて、

「なぜマスクしないんですか?」

「私マスクが嫌いなのよ」

という馬鹿馬鹿しいやりとりを報じています。
しかし、マスク嫌いでもしないとどこにも入れないので、仕方なく
皆お店の中ではマスクをしているのだとか。

彼らにとって社会からマスクを強要されるという今回の事態は
ある意味大きなカルチャーショックとなっているようです。

日本でもいまだにマスクでコロナは防げないとかいう理由を掲げて
マスク不要論を叫んでいる人たちも一定数いるようですが、
そんな人はとにかくアメリカに来てみるとよろしい。

確かにするしないは個人の自由ですから誰からもとがめられませんし、
マスク警察(民間)もいませんが、そのかわりまず交通機関利用はできず、
店では入り口で入場お断りされ、買い物すらまともにできません。

スーパーマーケットでも入り口で入場制限をしており、
一定数の人が入るとあとは1組出ていくごとに1組入れるシステムで、
入り口にはソーシャルディスタンスを考慮した「停止線」が引かれ、
そこで待つようになっており、皆静かに並んでいました。
場内で使ったカートは出口で係が受け取り、消毒して戻しています。

いったんこうと決めると徹底的にやるのがアメリカ社会です。

 

 

 


「ボブ・ホープと兵士たちに捧げる国民の敬礼」〜サンディエゴ・ミッドウェイ博物館

2020-04-11 | アメリカ

何年にもわたってでれでれとお送りしてきた「ミッドウェイ」シリーズ、
ようやく最終回にたどりつきました。

ハンガーデッキには体験型のアトラクション始め、空いたスペースに
実際の艦載機などのイジェクトシートに座れるコーナーなどもあります。

ヘリコプターや戦闘機のコクピットの部分だけを輪切りにして、
乗り降りのためのステップを設けて子供でも簡単に
操縦席に乗り込むことができるようにしてあったりとか。

国内最大級の空母型軍事博物館は、保存団体や企業、
もちろん海軍と国からの支援もふんだんにあるらしく、
いついっても保存状態がよく、最新の状態に保たれて
歴史を次世代に伝える証言者としての役目を十分に果たしていました。

ベテランや地元の有志からなるヴォランティアの働きによるところも大きいでしょう。

日本での任務を終え、ここに帰ってきたときには、まだ見られるのは一部分で
それから今日までの間、少しずつ展示を拡大していったそうですが、
その試みに終わりはなく、常に進化を続けている、それが
「ミッドウェイ博物館」なのです。

 

さて、3度目の来訪で満足いくまで艦内を見尽くしたわたしは、
「ミッドウェイ」が係留されているピアの隣に突き出した、
「ツナ・ワーフ」という名前の公園にいってみることにしました。

ここにはいくつかのウォー・メモリアルが設立されています。
前にご紹介できなかったこれはレイテ島海戦「タフィー3」の碑。

レイテ沖海戦で功績のあった、

クリフトン・スプレーグ中将

の胸像のまわりに、艦艇の名前がひとつづつ描かれた石が
まるで波の重なりのように並んでいます。

護衛空母

ホワイト・プレインズ」「カリーニン・ベイ」「キトカン・ベイ」

「ファンショー・ベイ」「セント・ロー」「ガンビア・ベイ」

駆逐艦

「ホーエル」「ジョンストン」「ヒーアマン」

護衛駆逐艦

「ジョン・C・バトラー」「レイモンド」

「デニス」「サミュエル・B・ロバーツ」

 

これらは「Taffy 3 」という愛称を持つタスクユニットの艦艇です。

レイテ沖海戦ではいろいろあって、「ジープ空母」といわれる小型空母と、
「ブリキ缶」と呼ばれる
駆逐艦からなるタフィー3は、栗田艦隊の

戦艦4隻(18インチ主砲大和含む )、6隻の重巡洋艦、2隻の軽巡洋艦、
11隻の駆逐艦

を迎え撃つことになってしまったのでした。

結果、「ホーエル」沈没。

「ジョンストン」沈没。

「ガンビア・ベイ」沈没。

「サミュエル・B・ロバーツ」沈没。

「セント・ロー」沈没。

しかし、彼らは返り血を浴びせるような戦いで栗田艦隊に
「鳥海」沈没を含む大損害を与え、スプレーグ中将は

その果敢な指揮ぶりを後世まで讃えられることになりました。

とくに、1時間にわたって戦艦「鳥海」に近づき、攻撃を加えて
傷を負わせ、最終的に沈没にいたらしめ、最後は、「雪風」ら
駆逐艦四隻に集中砲弾を受けて沈没した、

「サミュエル・B・ロバーツ」

は、

「戦艦のように戦った護衛駆逐艦」

という尊称を与えられています。

さて、そのあとは、巨大な「戦勝記念日のキス」が立っている
公園の先端に向かって歩いて行きました。

「ミッドウェイ」の左舷を眺めることができます。
日本なら海に落ちないように柵をつけてしまうところでしょう。

ついでに、「スケートボード禁止」「遊泳禁止」という看板が
変なイラスト入りで立てられるのはまずまちがいありません。
基本的にアメリカは、(ヨーロッパもそうですが)

「こんなところで落ちるのは落ちる奴が悪い」

という自己責任論が徹底しているので、誰が見ても危険なところに
危険と書くような
アホな注意喚起の類は一切行いません。

スケボーやってて海に飛び込んでも、こんなところでやったら
落ちるのは誰だってわかるよね?というのが「普通」の考えだからです。

訴訟大国ゆえ、どんなに予防しても訴える人は訴えるので、
いちいち先回りして対処していたらキリがないと思っているのかもしれません。

時間があってサンディエゴの猛烈な暑さが気にならない人は、
写真の人のように水際に腰掛けて、より高くそびえ立って見える
「ミッドウェイ」を眺めるのもなかなかおつなものでしょう。

こういう軍事遺産が普通に観光用に展示されているアメリカという国が、
日本人のわたしからはとても羨ましく見えます。

「V.J デイのキス」の彫像があるコロナド側に向かって歩いて行きます。
ところでわたしは考えたこともなかったので当然チェックもしていませんが、
女性のスカートの下に立つと、どんなことになっているのでしょうか。

この元ネタとなった写真については、以前

V.J-DAYの勝利のキス@タイムズスクエア

というエントリーで詳しくお話ししたことがあります。
そして、対日戦勝利の日を、V.J-DAYということ、また
この巨大な像のことを

”Embracing Peace" Statue

というと書きました。

そのときには知らなかったのですが、今回地図を検索していて、
この像の正式名称は

Unconditional Surrender (sculpture)

ということを知り、軽く驚いたものです。
この像に「無条件降伏」という名前をつけるとは・・・。

そして、これもちょっとした驚きだったのですが、この像、
スワード・ジョンソンという彫刻家の作品で、ジョンソンは
有名になったアイゼンシュタインの写真ではなく、同じ瞬間を
別の角度から撮っていた海軍写真班のヨルゲンセンのカットを
参考にして作っているということでした。

上半身をアップにしてみます。
全長7.6mといいますから、彼のセーラー服の襟の上に人が立ったら
帽子の上辺に手がかけられるような感じでしょうか。

わたしが最初にこれを見たとき、よくこんな大きなものを
オリジナルの写真通りに作れたなと驚いたものですが、
やはりコンピュータ技術がそれを可能にしていました。

ジョンソンはまず等身大のブロンズの像を制作し、
7.6mの発泡スチロールでモックアップ?を作り、
発泡スチロールは5千800万円、アルミニウムを1億円少し、
青銅で作ったものを1億2千300万円で売りました。

ここにあるのは青銅製のものです。

 

しかし全ての人がこの巨大な「キス」を良としたわけではありませんでした。

わざわざ「ミッドウェイ」の前に建てられたということで、
この真似をしてインスタに載せるカップルには喜ばれても、
その品質が隠しようもなく「チープ」で「kitsch」だ、と
審美的な点から槍玉に上がったのです。

ある否定的な意見の人は

「キッチュというのもキッチュに失礼かと・・。
ただ有名な写真をコンピュータで起こして立体的な漫画にしただけ」

キッチュというのはドイツ語です。
お洒落な意味合いを持っていると勘違いしている人もいますが、
決して良い意味ではなく、「まがいもの」とか「悪趣味」「どぎつい」
「俗うけ狙いの安っぽい映画」などで、いい意味など一つもありません。

(そういう渾名の左翼芸能人がいたけど、あの人はわかってたのかな)

「どんな擁護もまるで土産物用の工場から出てきたような品質で全て覆される」

あまりにも大きなものが海軍基地を望む海辺に建っている、
ということが、美的ではない、と考えた人も多かったということでしょう。

 

わたしの最初に見たときの感想は、こんなでかいものを置く場所があるのは
さすがアメリカいう程度でしたが(日本ではお台場のガンダムもすぐ無くなったし)
今回彫刻に作者がつけた題を見て、作者の無神経さにドン引きしました。

さて、ツナパークを海辺に歩いていくと、
「ボブ・ホープ」という文字が目に入りました。

同時に目に飛び込んできたこれらの彫刻群。
まちがいなく、戦地や部隊で慰問演奏を行う
コメディアンで歌手、ボブ・ホープ(1903〜2003)です。

以前、慰問ツァーで「思い出にありがとう(Thanks For The Memory)」
という持ち歌を歌うボブ・ホープを紹介したことがありますが、
生涯でおそらくもっとも多く軍に慰問に行った芸能人でした。

パフォーマンスの内容は漫談と歌。

戦争が始まったとき入隊しようとして、

「入隊するより慰問するのが君の仕事だ」

といわれた、と日本語のWikiにはありますが、英語の方には
そのようなことは全く書かれていないので、要出典です。

むしろ、英語の方には、ホープが戦争を憎むあまり、ときとして
パフォーマンスで軍隊批判をやっちまって、会場は騒然、
ブーイングが乱れ飛ぶことも何度かあったと書かれています。

両手で兵隊さんが掲げ持っているボードには

「THANKS FOR THE MEMORIES  BOB」

と書いてあります。
「メモリー”ズ”」とあるので、彼の持ち歌の題名にかけて、
「思い出をありがとう」とボブにお礼を言っているんですね。

U.S.O. Bob Hope Troupe entertains U.S. soldiers on Bougainville during World War ...HD Stock Footage

座っている進行係?のワック、パイロット、傷病兵。
消防服を着ている人、上半身裸のアフリカ系。

この彫刻の題は

「National Salute to BOB HOPE and The Military」

ボブ・ホープと軍隊に対する国民の敬礼、という感じでしょうか。

サンディエゴ市、ホープの遺族、そして第二次世界大戦の
レイテ湾の生存者である海軍獣医(というのがいたのだなあと驚き)
によって2009年に寄贈されました。

ポケットハンド、片手に杖?
これもホープのいつものスタイルでしょうか。

拍手する兵隊さんの向こうに看護師とキスする水兵が(笑)

ここにくると、観光客は彫刻の間を歩き回り、
兵士たちと好きに写真を撮って楽しみます。

違和感なく馴染んでます。

ボブ・ホープを囲む兵士の数は15人。
傷病兵が多く、ホープは病院に慰問に来たという設定でしょうか。

ご存知のように、彼は「名誉軍人」とされただけでなく、一般人では
けっして与えられない、海軍艦にその名前を付されるという栄誉
USNS『ボブ・ホープ』車両貨物輸送艦T-AKR-300)を与えられています。

ここに来ると見ることができる「ミッドウェイ」の錨。
「ミッドウェイ」艦体は固定されており、この錨が打たれることは永遠にありません。

ツナパークから見るとその巨大さはいや増して見えます。

 

ところで、現在横須賀に係留してある「ロナルド・レーガン」は、
これよりも
全長にして36mも大きな空母であるわけですが、先日、
日本のある国会議員が、
「いずも」の写真を「ロナルド・レーガン」だと
確信を持って説明していて、そのあまりの無知さに驚きました。

艦橋の形からして次元の違うもんだろうっていう・・。

サンディエゴに一度でも来てアメリカの空母群を実際に見たことがあったら、
(この人はジャーナリストとして軍事の『事情通』を任じているので、もちろん
ないはずはない)間違えるはずがないのですが・・・・。

ミリオタ並の知識は要求しないけど、議員がこれは恥ずかしくないですか?

しかもこの人、紹介していたのは「自分で撮った写真」なんですよ。

ロナルド・レーガンがいつでも簡単に写真を撮れるような場所に
係留されていると思い込む時点で、横須賀の米軍基地について
基本的なことすらわかってないってことじゃないか。議員なのに。

 

「ミッドウェイ」をバックに、国旗のはためく下で
パンフルート?の演奏をしている人がいました。
おそらくリュートのために作られたバロックの作品です。

しばらく聴きましたが上手かったのでお金をカバンに入れました。

パフォーマンスもこういう場所では「愛国」を強調すると
受け入れられ易いのかもしれません。

というわけで、「ミッドウェイ」の右舷全景がみえるところまで帰ってきました。

次があるかどうかもわかりませんが、もしサンディエゴに来ることがあれば、
わたしは何度でもこの場所に帰ってくるだろうと思います。
おそらくその度に彼女は新しい顔を見せてくれるに違いありません。

それに、「ミッドウェイ」は、彼女がその生涯のほとんどを過ごした
かつての母港、日本から来た訪問者を心から歓迎してくれそうではありませんか。

 

 

「ミッドウェイ」シリーズ 終わり