
MKが学校の新学期からの授業を日本で受けるという可能性もあったため
この夏はそもそもアメリカに行くことができるのかどうか、
ギリギリまでわからなかったのですが、最終的に渡米が決まりました。
その瞬間、わたしはある計画を実行にうつすべくリサーチを始めていました。
実は今度ノースイースト滞在が実現すればぜひ行きたいところがあったのです。
去年、ピッツバーグに滞在している時、coralさんに教えていただいた
ライトパターソン空軍基地に付属するアメリカ国立航空博物館です。
ピッツバーグからオハイオまでは車で4時間くらいかかるとはいえ、
いつもなら何を置いても実行していたところですが、今回はCOVID19を始め
何かと世情が不安定なことがあり、ニュースやHPをチェックしていたところ、
2週間くらい経ってアメリカの様子が基本いつも通りであることと、
博物館はマスク着用とソーシャルディスタンスを取ることを条件に
オープンしていることがわかりました。
さらには借りている車(日産のムラノ)にも十分慣れてロングドライブいつでもOK、
と思われたので、博物館近くのホテルを二泊予約して出かけることにしました。
調べていると、デイトンまで3時間走ったところにあるコロンバスに、
「Mott military museum」という軍事博物館があることに気がつきました。
そこで、一日目をこの「モット」という博物館に使い、
その日の夕方にデイトンまでたどり着いて投宿し、翌日丸一日、そして
翌々日の午前中を予備にして国立航空博物館を制覇することにしました。
というわけで昼頃コロンバスに到着の予定で出発しました。
レストランは当てにならないのでランチを用意して車に乗り込みます。
高速を走っていると必ず視界ににAmazonプライムのトラックが入ってきます。
ステイホームの影響でアメリカでもAmazon大忙しのようです。
前も後ろもAmazonプライム、こんな光景はしょっちゅうでした。
しばらく走っていると、お馴染みの「草ロール」がころがる牧草地が出現し、同時に
「ウェルカムトゥ・ウェストバージニア」
という看板が現れました。
ペンシルバニア州の隣がオハイオ、と思っていたのですが、
実は両州の間にウェストバージニアが「ツノ」をちょこっと下から出していて、
フリーウェイを走っていると一瞬州内を通り抜けることになるのです。
看板を見た次の瞬間、わたしは
「♫ オールモストヘーヴン〜〜ウェストバージニア〜〜
ブルーリッジマウンテーン シェーナンドーアーリーバ〜〜」
と声に出して歌っていました。(実話)
そして、
「♫ ウェストバージニア〜マウンテンマーマ〜
カントリーロー・・・」
「・・・・ん?」
「でたあああああ!」
なんっとウェストバージニアには「カントリーロード」が存在する!
などと一人でも結構ドライブを楽しめてしまう自分でよかった。
と思いつつ、一回の休憩を挟んでコロンバスに到着。
わたしが車の中で持参してきた昼ごはんを食べていると、ガラガラの駐車場に
車が二台止まり、いかにもボランティアらしい爺さんたちが入っていきました。
今までアメリカの各所で見た、規模の小さな軍事博物館、
毎日リタイアした老人たちが趣味のボランティアで維持している
あのお馴染みのタイプのあれだな、と思いながら車を降りました。
建物の横のゲートは扉が閉まっていないので誰でも入っていけます。
航空機が数機、航空博物館というものではなさそう。
この手作り感あふれるアットホームなエントランスを見よ。
入っていくとそこには数人のおじさんたちがいて、
他の小さな軍事博物館と同じように物珍しそうな視線を浴びせてきました。
「10ドルです」
わたしが財布を出していると、レジのおぢさんが
おっと大事なことを聞き忘れたわい、という感じで
「ヴェテランですか?」
と聞いてきました。
あまりにも予想外の質問だったのでわたしが思わず
「は?」
と戸惑うと、
「あ・・・いいです」
このわたしが一瞬でもアメリカ軍を引退した元軍人に見える?
と後でMKに笑い話のつもりでいうと、
「自衛隊にいたかもしれないじゃない」
もしそうだったらやっぱりヴェテラン割引対象だったんだろうか。
展示はやはり南北戦争から始まりました。
リンカーンの死体検案書や髪の毛もあって、ここが
ただの小さな軍事博物館ではないことはすぐわかりました。
続いて第一次世界大戦関係。
ここから両側の通路は全部第二次世界大戦関係です。
左の上にある赤子を抱いている肖像はヘルマン・ゲーリング閣下です。
そのなかでここ「も」ユダヤ人迫害とその解放については
特にこだわっているように見られました。
Dデイ関係、日系アメリカ人の開戦に伴う強制収容なども。
軍服を着た有名人コーナーより。
アメリカ軍人(特に陸軍)って、皆帽子を斜めに被りますよね。
ナバホ族のコードトーカー(暗号通信員)の資料がありました。
これはちょっと珍しい展示です。
左上には、ここでも一度紹介したことがある日本の
「次は本土攻撃だ!」を啓蒙する「日本領地陥落時計」があります。
日本軍関係の資料もなかなか充実しています。
マニラで日本軍が降伏したときの山下中将の写真がありますね。
天井の零戦はもちろん模型です。
エノラ・ゲイとチベッツ少佐の「偉業」を称えるコーナー。
スペースシャトル「チャレンジャー事故」コーナーにあったオニヅカ少佐の写真。
珍しい企画として「戦場カメラマンコーナー」がありました。
ここの内容についてもそのうち詳しく整理して
当ブログでお伝えしていきたいと思っています。
航空機のあるヤードにはいくつかの慰霊碑がありました。
展示を見ている間中、おじさんたちは同じところで歓談していましたが、
わたしがありがとうございました、といって出ようとすると、一人のおぢが
「どうだった?」
と聞いてきたので、普通に感動しました、と言った後、
「外にある大きな”ボマー”の説明がなかったんですが、あれなんですか?」
と聞くと、
「え?なんてった?・・マスク外していいよ」
「だから・・あの大きな飛行機・・」
まわりのおぢたちが
「Dakotaのことじゃね?」
と言い出したので、
「紙に書いてくれます?」
というと
「DC-3 Dakota」
とメモに書いてくれました。
案の定わたしが輸送機を爆撃機と間違えていたことが判明したわけですが、
そりゃボマーとかいきなり言われても何のことかわからないよね。
書いてもらっている間、おぢさんの一人が、
「あんた、コラムニストかなんかかい?」
と聞いてきたので、
「そんな感じ(Kind of)です」
と答えておきました。
博物館を出てデイトンに向けて走っていると、
「スプリングフィールド」という看板が出てきました。
おお、うわさによるとイリノイ州の州都であるところのあれか。
同じ名前の都市はマサチューセッツやその他にもあるせいか、
(シンプソンズの住んでいるのも確かスプリングフィールドだった気が)
イリノイの州都がシカゴだと勘違いしている人は案外多いんですよね。
そういえば、第二次世界大戦のときに捕虜になったある将官(有名な人)に、
アメリカ人かどうか確認する尋問として、
「イリノイの州都はどこですか?」
と聞いた訊問官もその一人で、将官が正しく
「スプリングフィールド」
と答えたのに
「ブー!間違い!さては貴様アメリカ人じゃないな?」
となったことがあったそうです。いい迷惑だ(笑)
さて、デイトンに向かう前に現地のホールフーズで
今晩と明日の食料を調達しようとしたら、同じモールに
ときどき掘り出し物が見つかる「オフ・サックス」を見つけてしまい、
ついふらふらと入って行ったところ、これがなかなかの「あたり」でした。
特にファッション関係では同じチェーン店でも地域によって品揃えが全く違うのがアメリカです。
同じオフサックスやノードストローム・ラックでも、ニューヨークとかロングアイランドは
悲しいかなピッツバーグとは比べ物にならないくらいセンスがいいのですが、
それでいうとオハイオの「レベル」はなかなかのもののようでした。
両者は高級デパートのバーゲン品を売ることで、本家のブランドを落とさずに
在庫を捌くための文字通りのアウトレットですが、同じ高級デパートでも
バーゲンを年に2回しかせず、アウトレットを持たない超高級路線の
ニーマン・マーカスは、先日ついに倒産したというニュースを聞きました。
国立博物館から15分くらいのところに取ったホテルは、
COVIDのせいなのか部屋にコーヒーのセットすら置いておらず、
これまでここに泊まる理由の一つだった一階のカフェもやっていませんでした。
窓から見えるモールは閉店してゴーストタウンになってしまっています。
巨大なメイシーズの建物が無人の様子は実に物悲しい光景です。
朝方は蒸し暑く大雨が降っていました。
わたしも体調を崩し気味だったのでこの朝はゆっくり過ごし、
昼前になって国立航空博物館に出撃しました。
アメリカ空軍のマークのペイントされた格納庫と、フィールドに展示された
輸送機が見えてくるとテンションが上がってきました。
ここがミュージアムの玄関となります。
この航空博物館の展示機はもともと屋外にあったのですが、
1971年に格納小型の展示室が完成し、今の形になっているそうです。
かつて展示機があった(のかもしれない)フィールドでは
ガチョウの群れが草を食んでいました。
入場口から駐車場まで結構な距離ドライブします。
見学客の少ないうちにということなのか、通路にロータリーを作る工事をしていました。
駐車場の前の緑地はメモリアルパークとして
空軍関係の慰霊碑や記念碑が点在します。
COVID19のピーク時にはやはりここも閉鎖しており、7月くらいに
再オープンをしているようです。
エントランスではマスクをしたライト兄弟がお出迎え。
水飲み場やカフェは廃止していました。
入り口では熱を測るわけではなく、マスクを着用していればOK。
金属探知機の前に荷物検査を受けるのですが、そのとき、
「武器は持っていますか?」
どんな相手にも一応聞かなければならない質問事項のようです。
そしてこのとき驚いたのが入場料が無料だったこと。
さすがはアメリカ合衆国が全面支援している博物館です。
展示場は大きく中で二つの格納庫に分かれており、一つは
航空黎明期のものから第一次世界大戦ごろの航空機など、
もう一つは第二次世界大戦以降ということになります。
アメリカのみならず、世界各国の軍用機も揃っています。
ドイツ軍の飛行機ではあの「コメート」やMe262も所持しています。
各国空軍の制服の展示が充実しているのもここの特色。
海軍の代表的エースとして坂井三郎が紹介されていました。
疲れていたこともあって座り込んで最後まで見てしまった「カミカゼ」紹介ビデオ。
日本人としてはまずこのロゴからツッコミたいところです。
さて、これらの展示について、当ブログでは今後
いろんなアプローチでご紹介していきたいと思っておりますので、
その折にはどうぞよろしくお付き合いください。
の方が良いかも?知れません。
プロペラが2枚なので、一型(だったかな?)を現していると思われます。
試作番号キ43、一式戦闘機、愛称「隼」、中島飛行機(現:富士重工)製
以前本ブログでも取り上げていた、映画「加藤隼戦闘隊」の「隼」がこの
型です。
爆撃機は、機体中央部に重量物(爆弾)を積むので、バランスから、DC-3みたいに前を高く出来ないと思います。
ダコタはイギリス等で軍用機の名称に使用されましたが、アメリカではC-47スカイトレインでした。
1936年飛行の初の旅客運賃で成算がとれる旅客機として普及しましたが第2次世界大戦で生産が中止し、軍用機C-47となり1万機以上が生産されました。大戦終了とともに新造機を含め民間に放出され戦後の旅客輸送で活躍しました。
日本もDC-3に海軍が目を付け三井物産にライセンス契約をさせ昭和飛行機で1937年からライセンス生産しました。
寸法がメートル法としたほかエンジンを金星としました。「零式輸送機」として昭和飛行機と中島飛行機で487機製造されましたが海軍輸送機としてはほぼ零式輸送機が占めていました。
全備重量10,900㎏、最高速度354km/h、航続距離3,240㎞、乗員5名、乗客21名、客席撤去の貨物輸送は零式貨物輸送機
陸軍が雑多な機種に手をだしたり、攻撃機を改造したりしていた事にくらべ、海軍は極めて扱いやすく、操縦や航法が容易で能率も良いこの機に特化したことは先見の明があったとのことです。
海上自衛隊も多用途機として派生機のR4D-6を4機昭和33年から46年まで使用し、その1機が海上自衛隊鹿屋資料館に展示されています。
参照光人社佐貫亦男監修「日本軍用機写真総集」、海上自衛新聞「海上自衛隊艦艇と航空機集」
1枚目の写真で手前の飛行機は「紫電改」と思いますが?
大村基地で終戦を迎えた時、343空は数十機の「紫電改」があり、米軍の命によりプロペラ撤去、武装解除で雨ざらしとされました。
2か月たった10月中旬、旧海軍パイロット、整備員を招集し、米国でテストするため程度の良い機を整備させました。
6機の整備された「紫電改」が海軍最後の飛行となりましたが米国国籍標記され、最後の飛行に飛び立つ前の写真が参照文献にあります。
この解説ではこのうちの3機がアメリカ国内にあるとされています。
参照光人社佐貫亦男監修「日本軍用機写真総集」
ガチョウの群れと写っている方はエンジンカバーがしてあり、ウィングレッドが付いていません。早いですが退役機かな?
C-5は退役が進んでいますがC-17 は戦略、戦術ともに主の航空機ですので退役は報道されていませんので原型機かな?
1991年初飛行ですが整備機数は年度計画により大きく増減しましたが現在220機余りとなっているようです。イギリス、オーストラリア、カナダ、インド、クェート、カタール等も採用しています。
高性能で1994年度米航空学会からコリアー・トロフィを受賞、1999年クリントン大統領から国家品質大賞が授与されています。
総重量265,350㎏、全幅51.56m、全長53.04m、巡航速度マッハ0.77、航続距離4,630㎞
参照せきれい社「世界航空機年鑑」
ラスベガスからグランドキャニオンまでのそれこそ”地平線までまっすぐ伸びる道”を走った時は始終この曲が頭を回っておりましたが、本場とは羨ましい。
ヴェテランとは戦地帰り・実戦経験者という意味ですので、米国には二十~三十歳台の”ヴェテラン”が男女問わずいるのは不思議ではありません。施設の性格からみて、ヴェテランはフリーでしょう(/・ω・)/
久しぶりにコメント公開を許可していただきましたが、これはやはり
止むに止まれぬ思いというやつではなかったかと心中をお察ししました。
輸送機を爆撃機と間違えていた、というのはこの伏線に過ぎなかったということですね。
本人も全く狙っていなかったオチをつけていただき感謝します。
unknownさん
やっぱり自衛官が航空基地に駐留しているんですね。
この博物館のあるところは昔の基地だった場所らしく、本物の航空基地は
少し離れたところにあって、今回は近くに行くこともできませんでした。
でも博物館では空軍軍人の姿をちらほらみることができましたよ。
お節介船屋さん
完全に展示機として公開されていましたが、稼働する可能性もあるということでしょうか。
本編公開の時に拡大した画像でぜひ検証してみたい(していただきたい?)と思います。
ウェップスさん
ツッコミをきっちりいれてくれたのは期待通りウェップスさんでした。
しかしここだけの話、高速で走っていた時には、歌っていたせいか、
マジで「カントリーロード」にしか見えませんでしたね(おおいばり)
ちなみに歌う時には「カウンティロード」と発音すると非常に米語っぽく聞こえます。
>天井の零戦はもちろん模型です。
私は旧日本軍戦闘機の大体は見分けがつきますが、以下が分かるYoutubeがあります。10分弱です。
零戦 隼 鍾馗 飛燕 疾風 五式 紫電 紫電改 雷電
【琴葉姉妹】日本軍機の見分けがつかない【戦闘機】
https://www.youtube.com/watch?v=1Tjof93Zvjo