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ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

キャンパスツァー2023〜噴水の水遊びと西海岸一の教会、そして黒リス

2023-07-15 | アメリカ

こちらに到着して初めての週末となりました。

今年は独立記念日が火曜日なので、アメリカ人にとっては
5日間の「大型連休」となります。
MKもインターンシップの会社から「有給」の休みをもらいました。

例年この時期アメリカにいることが多い我が家ですが、
昔MKがサマーキャンプに参加していた頃は、母子二人で行くあてもなく、
ホテルの部屋でテレビの花火中継やホットドッグ大食いコンテストを見ながら
一日中ネットをしたりして漫然と過ごしていました。

しかしあれから幾星霜、そんな彼も大学生となり、
今回の連休中は、キャンパス内を案内してくれ、
自分のラボも見せてくれることになりました。



彼が住んでいる大学の寮は、夏休みに入ると
実家のあるアメリカ人がほとんど帰郷してしまい、いなくなるので、
残っているのは海外からの留学組か、あるいは
この近くでインターンシップをしている学生だけとなります。

部屋に荷物を置き、久しぶりにニコンのカメラを持って出かけました。



外の気温は32度と猛烈な暑さです。

わたしは大きな帽子で防護しましたが、MKは日焼け止めを塗って外に。
水のボトルを持って水分補給しながら歩きだしました。

確かに暑いですが、湿度が低いので、日陰に入るとひんやりします。
室内が蒸し暑いということはこの地域ではあまり起こりません。



大学の広さは全米一だそうで、キャンパス全体が一つの街です。

まずビジネススクール(経営大学院)が現れました。
ビジネススクールの学生の寮は、道を挟んだ向かい全部の地域となります。

地域柄、シリコンバレー近郊のベンチャーキャピタル、金融、
テクノロジー企業と非常に密接な関係を保っている大学院で、
年間1億5,600万ドルの営業収入で運営されており、
13億ドルの寄付金を持つ全米で2番目に裕福なビジネススクールです。

一位はおそらくハーバード ビジネススクールだと思われますが、
調べていないのでわかりません。



左手に見えるのは大学で最も古くて権威のあるホール、
エンシナ・ホール(Encina Hall)は、
1891年10月1日、大学開校初日にオープンしました。

堂々とした4階建ての砂岩造りの建物には、荘厳なロビー、巨大な食堂、
当時にしてすでに電気が通り、温水が完備されていました。

大学創立の祖は、1888年にヨーロッパを旅行中に偶然
スイスのシルヴァプラーナ湖にあるリゾートでこの建物を見つけ、
建築家にスケッチを送ってこれを再現させました。

当時にして47万7000ドルをかけた400人収容の学生寮は、
スイスのホテルの優雅な間取りをそっくり真似していました。

しかし、大学が開学し、最初の学生たちが到着すると、
そのような旧世界の気取った雰囲気は、ぶち壊しにされることになります。

彼らの多くは西部の片田舎で育ってきた粗野な若者で、
しかも不幸なことにこれが彼らにとって初めての独立体験。

開校1ヵ月も経たないうちに、エンシナの学生たちは、
近くの鉄道支線から貨車を勝手に脱線させ、
あやうく本線の列車を脱線させそうになるという事件を起こし、
怒り狂った大学創始者を落ち着かせるのに何時間も要しました。

エンシナホールは学生の活動、計画、リーダーシップの中心となり、
彼らはそれを誇りに思っていましたが、それは建物に対する感情ではなく、
その建物そのものを大切に扱うべきとは考えられていなかったため、
時が経つにつれて、すべての施設は悪用され、乱暴に扱われるようになり、
ついには「マッドハウス」とあだ名をつけられる魔窟になります。

たとえば。

ある住人が帰宅すると、

「部屋の壁以外のすべてが反転しており、
インクスタンドが不安定なまま切り立つ山の頂上にあった」。

その「山」の中には、ブロンズで縁取られた鉄製のオリジナルベッド台が2つ、
洋服ダンスが1つか2つ、大きな勉強机、背もたれの高いオークの椅子が4脚、
鏡、敷物2枚、電灯、洗面台が含まれていた。

1893年、創始者夫人がベンジャミン・ハリソン元米国大統領
のために用意した葉巻とウィスキーが何者か(もちろん学生)に盗まれた。


等々。

エンシナの長く広いホールと洞窟のような階段室は、学生の乱暴を助長し、
食器でいっぱいのトレイから重い家具まで、
ロビーに物を投げ入れるのが彼らのお気に入りの遊びの一つでした。

ある新入生の家族への手紙です。

「午後11時半に電気が消え、仲間たちが椅子や、痰壺、
その他いくつかのものを階下に "発射 "した。
ルームメイトが廊下に出て調べようとしたとき、
"3本の火の筋が飛び出し、3発の銃声が聞こえたので、
フレッドと私は危険な場所にいると判断し、そっと部屋に戻った"。」

管理当局はこれらの狼藉について一つの見解を出しました。

 「長いホールはいたずらを助長しすぎる。」


管理当局は、増大する騒動に対して、より厳しい管理で対応、
最終的には監視員が巡回するようになりましたが、
学年間の対立がいじめ行為を生んで深刻な事態が頻出します。

バスタブの中で新入生の頭を水中に押さえつける「バブリング」
(泡が出るまで、つまり必死になって口を開け、あえぎながら空気を吸うこと)

「花火やリボルバーを乱射し、校内を水浸しにし、
廊下の電灯をほとんど全部壊した」

「監視員に対し、20名が石やビール瓶、ひげそり用のコップ、
つば入れ、椅子、木箱を投げ続ける」

この事態が終息したきっかけは、皮肉なことに1906年4月18日の地震でした。
2本の大きな煙突が地下まで崩れ落ち、生徒1人が死亡、数人が負傷。


地震後修復されたエンシナホールではすっかり雰囲気が変わり、
大災害の前では、過去のことは水に流し、
行動と規律に関する教員と学生の関係をただそういう気風が生まれたのです。

その後、この雰囲気がもう一度だけ「アナーキー」に傾いたのは
いわゆるベトナム戦争反対の学生運動の頃だったと言います。

たとえば、エンシナのロビーで母親クラブがお茶を飲んでいるとき
生徒が上の階から落とした水袋がハーバート・フーヴァー夫人を直撃し、
犯人は最高刑(どんな罰かは不明)を受けたということがありました。

また、ベトナム戦争中、エンシナはデモ隊の標的になり、
押し入ってファイルを盗んだり、給与記録を盗んだりし、
ついには放火が原因と思われる大火災がおこってしまいます。

1995年、評議員会は、廃墟と化した東棟を含め、
歴史的に重要なこの建物を元の素晴らしさに戻すべきであり、
地震に耐えられるよう強化すべきであると決定しました。



MKによると、先日グアテマラの大統領が講演を行われ、
建物前の芝生にはずらりとSPが並んでいたとか。

今ではかつての学生の狼藉の痕跡は全く残されていません。



キャンパスにあった歴史写真のバナーに写っているのは、
この講堂の反対側ではないかと思われます。



看護学部の学生。
現在の看護学部は、Medicine Health Care の一部です。




骸骨に帽子を被せて抱き寄せているのは医学部教授です。

なんかあからさまにうっとりしてらっしゃるんですけど・・・。
この骸骨さんはもしかしたら本物?



工学部周辺。
人々の服装から見て1900年前後でしょうか。
建物の右上に「エンジニアリング」と彫刻されています。



1905年当時の機械工学部。
MKが現在籍を置いてお世話になっております。



「回復期センター」とだけ説明があります。
おそらく看護学部の施設の一つでしょう。
このたくさんの女の子たちはみんな病気なのでしょうか。



猛烈な日差しの中、積極的に日焼けしようとする人たち。
日本女性は嫌いますが、まだまだアメリカ人は日焼けが好きです。



ジョン・A・ブルーメ地震工学センター

地震工学の研究、教育、実践を行う機関です。
土木環境工学科の一部であり、地震リスクの低減において専門家と地域社会、
また、地震とその構造物への影響の理解に貢献しているそうです。



デザイン工学の研究室には、全学生の顔写真と、
彼らが制作した(かもしれない)車がありました。



すっかりプールと化した噴水のある浅い池。

子供を連れてきて、水につけている親がいたり、
池に置いたテーブルを囲んでゲームをする学生らしき人がいたり。
周りの芝生には水着姿でシートに寝そべるカップルまでいました。



さて、というわけで、MKのラボに辿り着きました。
アメリカの大学の工学部研究室というのは、どうしてこうも似ているのか。



学期中、時折MKはこのラボからSkypeをかけてきたものです。

サンクスギビング中でそれこそアメリカ人は皆帰ってしまい、
学校に残っているのは外国人組だけで、つい寂しくなったときとか。



ホワイトボードの落書きも全米共通の雰囲気。



MKがラボで作った水上バトル用船舶。
部品を作るのに彼の3Dプリンターが大いに役立ったようです。



この同じ水上対決用船舶の名前は「カラオケカタマラン」。
水上を滑走する時同時にカラオケが鳴る仕組みだとか。


ラボの教授似顔絵。(下手だけどむっちゃ似ているという)



さて、ラボ見学を終わり外に出ました。
この建物は、ヒューレットパッカードの一人、
ウィリアム・ヒューレットの寄付した工学部ティーチングセンターです。



そして道を隔てて向かいにあるのが相方のデビッド・パッカードの寄付した
エレクトリカルエンジニアリングの建物。

ちなみに彼らに起業を勧めたテルマン教授の名前を関したビルもあります。



こちらはどこにでもあるビル・ゲイツの寄付による建物。
なんか全米の大学に建物を寄付しまくってるみたいですね。

これだけ節操なく気前よく寄付しているなら、
日本に別荘を持っているよしみで、日本の大学に・・・とはならんかな。



数学科があるスローン・マセマティックセンター
アルフレッド・スローンは自動車工学の技術者出身で、
GMの基礎を作ったビジネスマンでもあります。

冒頭の写真の木々の奥に見えているのがこの正面玄関となります。


この少年が誰かはわかりませんでした。
おそらくですが、15歳で亡くなった創始者の息子ではないかと思われます。



キャンパス内には観光ツァーのグループがたくさんいます。
二人が写真を撮っているのは、オーギュスト・ロダンの彫刻。

通り過ぎながらルーブル美術館の「カレーの市民」をふと思い出したのですが、
当たらずとも遠からず、この作品は「カレーの騎士」だそうです。



アメリカ西海岸で最も古く、「最も著名な」超教派教会であり、
「大学の建築の至宝」と呼ばれるメモリアル・チャーチ

1903年に献堂されたロマネスク様式の建物の内部は
ヨーロッパの影響を受けたステンドグラスの窓やモザイク画に覆われ、
5台の異なるタイプのパイプオルガンを備えています。

メモリアル・チャーチは、1906年と1989年の2度の大地震に耐え、
それぞれの後に大規模な改修が行われました。



この協会は、大学の創始者の夫人が夫を偲ぶために建てたとされます。



教会内のステンドグラスの窓に、2人の天使が小さな子供を
金色の雲の上に座っているキリストに向かって運ぶ様子を描いたものがあり、
近くの窓にはキリストが魂を天国に迎え入れる様子が描かれていますが、
これは15歳でチフスに罹患し、早逝した夫妻の息子の死に因んでいます。

元々本大学は裕福な夫妻が、この息子の名前を
永劫に歴史に残すことを目的に設立したものでした。

息子はアメリカの裕福な家の子弟が恒例として行う、
グランドツァー(卒業旅行)先のアテネでチフスを発症し、
両親が治療のため連れて行ったフィレンツェで客死してしまいます。



反対側から見たチャーチ。
ステンドグラスがあしらわれた窓が見えています。



最後に、大学名物黒いリスを見ました。



当大学の黒リスにはじつに黒い噂(黒だけに)が纏わっています。

昔、教会を設立した創始者夫人がイタリア原産の黒リスに夢中になり、
神聖な大学を建設する際に、後世の人々を喜ばせるために
リスを大量に輸送し、キャンパスに放したという真偽の不確かな噂です。

しかし現代では黒リスはほとんど例外なく疥癬に冒されているようで、
ほとんどのアメリカ人は我々のように「可愛い〜〜」とは全く思わず、
彼らを巨大な黒いネズミ🐭にしかみなしていない模様。


シリコンバレー滞在シリーズ 続く



ジュライ フォース in パロアルト〜シリコンバレー到着

2023-07-07 | アメリカ
今年も恒例のアメリカ生活が始まりました。



今回のフライトは初めてとなる羽田発深夜便。
出発前の飛行機から見る夜景も新鮮です。


今回の機材は、初めてお目にかかるタイプでした。

画面の右側はアメリカの洗面所にあるような薄い薬棚タイプの物入れ。
画面の操作やFAの呼び出し、機内販売の購入はすべてリモコンで行います。


新しくなって大変よかったのはシートの形状です。

二人がけシートの右側に座るような形で、3点シートベルト方式。
(座高の低い女性にはちょうど首にベルトがかかって苦しかったけど)
このシートだと、フラットシートにして睡眠モードになった時、
前のようなちょうど体の幅しかないシートだと置き場がなくなる手を
横において、横向きに寝ることもでき、大変楽でした。

アメニティはグローブトロッターの薄型ポーチに、
SIROのリップクリームと保湿液が最近のANAの定番です。



国際便はいつも搭乗して1時間くらいで食事になるのですが、
夜10時出発の便でもそうなのかな?と心配していたら、
メインの食事はちゃんと着陸前に予定されていました。

一寝入りして目覚めそうになったとき、CAさんが「お目覚めですか」
と起こしてくれたので、今回は食べそびれずにすみました。



機内では黒澤明の「生きる」のイギリス版、
『Living』(カズオ・イシグロ脚本)を観ました。
あっという間に主人公が死んでしまいびっくりしていたら、
実はそれからが本題というか、そこからが感動の嵐でした。

アメリカでもフランスでもなく、舞台が1950年ごろのイギリス、
というのが原作との絶妙な親和性を醸し出していたと思います。



今回はサンフランシスコが目的地なので乗り換えなしです。
直行便がこんなに楽だったとあらためて実感しました。



レンタカーセンターまでの電車の窓から見える空の色は、
お馴染みの「ザ・サンフランシスコ」。
海岸からの霧が西側を覆ってひんやりと冷たい空気が流れこんできます。



最初の宿泊先はパロアルトの住宅街にあるAirbnbです。
(この地域はとにかく地価高騰のせいでホテルが高すぎなので)

この一角は「プロフェッサーズ・ビル」と呼ばれています。
もしかしたら近くの大学の教授が大量に住んでいた(いる?)のかな。

路駐には住人を証明するタグが必要ですが、ホストが用意してくれています。
路駐といっても一帯が住宅街なので停める場所に困ることはありません。



Airbnbはこの道路から奥まったところにあるお宅です。



この辺の家はときどき変わった彫塑を庭に置いています。
このお宅の作品は斃れた恐竜とそれを虎視眈々と狙うコンドル2羽というもの。

庭に置く彫塑としてはどうかなというモチーフですが、このお宅、
玄関脇に不気味な人形の頭を置いてあったりして、そういう趣味の方かなと。



木でできた門扉を開けると、ここが今回一つ目の宿泊先です。
わたしが借りることになっているのは一階の手前半分で、
残りと二階全部にオーナーが居住しているという話でした。



門扉の内側にはガレージとバーベキューグリル、アウトドアテーブルセット。
中流アメリカ人家庭にはなくてはならない3点セットです。



最初の10日の宿にこの部屋を選んだ理由は、ピアノがあったから。

聞いたことのないアメリカのメーカーで、おそらくですが
軽く100年近く経過している骨董品ではないかと思われます。

オーナーが小さい頃に習っていた名残か、
鍵盤にマジックインキで音名が書いてあり(笑)
子供用のピアノ教材も本棚に散見されました。



早速ピアノを触ってみるMK。
彼はもうすでに夏のインターンシップに通っています。



次の日、真剣に弾いてみましたが、蓋が開けっぱなしなのが祟って、
内部がもう壮絶な埃まみれ。音はお察し、という状態でした。
おそらく調律など半世紀はしたことがないに違いありません。
力一杯打鍵しないと出ない音があり、ソフトペダルは使用不可。



部屋には暗証番号で入るのですが、二日目の晩、事故発生。
内鍵がかかってしまっていて、夫婦で締め出されてしまったのです。
しかもオーナーの電話番号を入れたわたしの携帯はたまたま部屋の中。

そこでTOからMKに電話をして、オーナーに電話してもらいました。
彼女がやってくるまでの間、わたしたちは外に立っていましたが、
カリフォルニアの夏は夜猛烈に寒く、凍え死ぬかと思いました(嘘)

オーナーはバスローブで出てきて内側から鍵を開けてくれました。



写真に撮るとおしゃれで綺麗に見えますが、建物はおそらく
1950年代(映画”Living"の頃)に建ったものだと思われます。
木の窓はびくとも開きませんし、換気扇などというものもありません。

ちなみにオーナーは「靴を脱いで入室してほしい」と強くリクエストしていました。
わたしたちはむしろそうしないと落ち着かない民族ですが、
アメリカの住居には「玄関のたたき」「靴脱ぎ」という場所がないので、
つい靴のまま入ってしまうアメリカ人が多いせいだと思われます。



次の朝、一人で近隣を歩いてみました。
街角の教会も立派です。



家と家の間に遊歩道で繋げられたちょっとした緑地帯が現れました。


朝、少人数のグループが体操をするくらいのスペースは裕にあり、
柵で囲まれたプレイグラウンドもあって、パーキングも完備。


散歩に出てきたらしい首輪をした黒猫に遭遇。
魔女の宅急便の「ジジ」にそっくりです。



カリフォルニアに来ていつも思うのは、恵まれた植物の生育環境。
どこに行っても緑が豊かで、木々が高く、夏はそこここに花が咲き乱れて・・。
街角でアガパンサスやライラックの芳香を嗅ぐとまた来たなあと思います。



朝、歩いてすぐのところにあるホールフーズに買い物に出たら、
街角にこんなプレートを発見しました。

エレクトリックリサーチ ラボラトリー

1909 年にシリル・フェルウェルによってここに設立された
連邦電信会社の研究所および工場のオリジナルサイトには
1911~1913 年の期間に、三素子ラジオ真空管、最初の真空管増幅器と
発振器の発明者、リー・デ・フォレスト博士が在籍していました。

この研究に基づいた世界規模の開発が、現代の無線通信、
テレビ、エレクトロニクスの時代につながりました。

カリフォルニア州登録歴史的建造物 No. 836
州公園・レクリエーション局とパロアルト市および
パロアルト歴史協会の協力による  1970 年 5 月 2 日




歴史的遺物といえば、実にシリコンバレーらしい遺物がうちの近所にも。
通称「ヒューレット・パッカード・ガレージ」です。



シリコンバレー発祥の地

この家のガレージは、世界初のハイテク地域シリコンバレーの誕生の地です。

この地域のアイデアは、スタンフォード大学教授、
フレデリック・テルマンFrederic Terman 博士が生み出しました。

博士は、彼の学生たちに、東部で設立された企業に入社するよりも、
地元で自分のエレクトロニクス会社を立ち上げるよう奨励しました。

彼のアドバイスに最初に従った二人の学生の名は、
ウィリアム・R・ヒューレットとデイビッド・パッカードといいます。

1938年、この家のガレージで、二人は最初の製品である
オーディオ オシレーターの開発を開始したのです。

カリフォルニア州登録歴史的建造物 No. 976
州立公園レクリエーション局、ヒューレット・パッカード社の協力による

1999 年 5 月 19 日




朝、外を眺めながら飲むコーヒーは最高です。
ここに立ってPCをしていると、前の塀を通路にしているらしい
黒やら茶色やら各種毛色のりすが行き交うのが見えます。

ちなみにこの3日後、わたしはこのAirbnb備え付けのカップを割ってしまい、
大学の売店に同じのを買いに行く羽目になりました。



コーヒーといえば、最初にMKおすすめのコーヒーショップその1に行きました。
Verveコーヒーは日本にも上陸しており、六本木にお洒落なカフェもあります。



こちらのは建物や内装は六本木に通じるものがありますが、
圧倒的に人が少ない(朝だったせいもあります)。

エチオピアのプアオーバーを頼んでみましたが、上々でした。
口に苦味が残らず、さっぱりとした軽い飲み心地でバリスタの腕の良さを感じます。



また別の日のコーヒーショップその2。
なんと、この向こうに見えているのもコーヒー専門カフェです。
ここのプアオーバーはちょっと水加減が好みではありませんでした。



TOが頼んだチアシードのヨーグルトは美味しかったそうです。



実はこのカフェ、広大なコワーキングスペースの一部です。

事務所を持たないオフィスワーカーが、ここを1ヶ月400ドルからという
破格の安さで借りて仕事に利用する施設となっています。



こんな会議用のブースもありますし、



大会議場もあり。
数人で一つのブースのコンピュータとデスクを借りるプランもあります。
東京にも増えているそうですが、シリコンバレーのこの辺はさらに盛んです。



コーヒーの後、MKをインターンシップの会社まで送っていきます。
だいたい二日に一日はリモートワークになるので、出社は週3程度。

彼の会社のあるサンタクララにも、TATA、インテル、エヌビディアなど、
大小のテック系企業が進出してシリコンバレーを形成しています。



サンタクララにはジャパンタウンがある関係で、大型日本スーパー、
「ミツワ」があるので、MKを送っていった初日に早速行ってみました。

そこで見たこの注意書きによると、カリフォルニアの法律、PRO65は
「カリフォルニア州の顧客に対して、ガン、先天性欠損症、
またはその他の生殖危害を引き起こすことが知られている化学薬品」

が使用されている場合、それを告知することを義務付けています。

要は最近WHOで発がん性を認められ話題になったアスパルテームのように、
人体に有害な成分表示を隠してはいけないということが定められているのです。

日本では元素材に含まれるなら表記しなくてもいいとか、
いろいろとロンダリング?の方法があるみたいですが、
アメリカ、特にカリフォルニアは厳しいようですね。

日本の加工食品はそのほとんどに化学調味料や着色料を含むので、
日本スーパーでは声を大にして宣言しているというわけです。



わたしは日本から輸入された加工品はその理由でほとんど手を出さず、
ほとんどのものはホールフーズやTrader Joe'sで調達します。

今回は、初めてサンタクララのホールフーズにも行ってみました。
おそらくサンフランシスコも含めて、この近辺で最も大きく、
品揃えもよいオーガニックスーパーだと思われます。

市内では閉店してしまったホールフーズもあるそうですが、
シリコンバレーには少なくとも客離れは無縁の出来事のように思えます。



MKはまだ大学の寮に住んでいるので、家族の食事は
互いの住居を行ったり来たりして、できるだけ一緒にしています。



彼の大学寮には一つの棟につき音楽室が数室あって、
一つはグランドピアノとコンサートもできるスペース、
電子ピアノと譜面立てがある小さな部屋は3室と音大並み。

住人であればいつでも予約なしで、好きな時間好きなだけ利用できます。



週末にはわたしもグランドピアノを楽しみました。



MKの部屋には、彼がラボで使うこともあるということで
自分で買った3Dプリンターがあります。

これを見たとき、この機械が出回り始めてすぐ、中学生頃の夏のキャンプで
彼が「作品」を作って持って帰ってきて驚いたことを思い出しました。

いつの間にか3Dプリンターはコピー機並みの存在になっていたんですね。


これで猫型の小さな物入れを作ってくれました。



この日、外で花火の音がする中駐車場に向かおうとすると、
大学のスタジアムの方角から花火が上がっているのを皆が見ていました。



7月4日の独立記念日にはアメリカ中が花火を打ち上げますが、
ここでは週末に入ったので、早々と花火大会が始まった模様です。

花火が終了してから車に乗り、部屋に戻ろうとしたら、
花火を見に来た(もしかしたら何かの試合かも)見物客の帰路渋滞で、
いつもなら6分の距離に30分かかってしまいました。

ちなみにこの三日後の独立記念日 本番は、
深夜まで、あちらこちらから花火の音が聞こえていました。

コロナの頃は流石のアメリカでも控えられていた花火ですが、
もうすっかり平常に戻ったようです。

それでもマスク着用の人はゼロではなく、一日に三人くらいは見かけます。


続く。




帰国〜アメリカ滞在

2022-09-23 | アメリカ

わたしたちがピッツバーグからの「弾丸飛行」(ジョン・グレンのじゃないよ)
を済ませてサンフランシスコに帰ってきたそのころ、
まだベイエリアは絶賛ヒートウェイブの真っ只中でした。

高速道路を走ると、電光掲示板に、「ヒートウェイブ・注意」とあります。

一体何をどう注意するんだと思ったのですが、これは要するに、
極力スピードを抑えてガスの排出を抑えましょう、ということらしいです。

その後ヒートウェイブは去り、わたしたちが帰国すると同時に
現地の気温は昼間23℃、夜間17℃というレベルに下がりました。
これで湿度の低いベイエリアは過ごしやすくなるだろうと思いきや、
現在は雨が続いているのだとか。

アメリカでは、すでに台風で浸水の大被害が出た地域もあり、
ここでも異常気象などという言葉が囁かれているようです。


さて。

わたしがピッツバーグに行くまでに、寮への荷物運び込みと整理を済ませ、
ついでに基本的な食材も一緒に買い物に行って買い整えてやったので、
さっそくMKは新しい寮での新生活をスタートさせ、自炊も始めたようです。

しかし、いかに料理が好きといっても所詮は学生の「男の料理」ですから、
百戦錬磨の主婦ほどの応用力も素材を見分ける力もなく、
最初に挑戦した料理は失敗してしまったようです。

初めてオーブンを使って野菜と肉をグリルしてみたようなのですが、
冷蔵庫にトレイのまま手付かずで残っているのを見て聞いたら、

「肉が硬くてすげー悲しかった」

ということでした。

どうやら敗因は肉の種類に合った調理法をしなかったことです。
(煮込み用の肉を叩かずにさっとグリルしてしまったとかね)

MKよ、まあこれも勉強だ。
次からはどうやったら美味しくなるか工夫するんだね。



■イエロージャケット・スカベンジャー



ある日、MKが検索してくれて、ゴルフ場併設のレストランに行きました。
まだヒートウェイブ真っ最中の頃でしたが、夕方なのと、
日陰のテーブルなので、外でご飯を食べるくらいなら大丈夫です。

わたしはゴルフをしないのですが、アメリカのゴルフ場を見るたび、
もしアメリカにずっと住んでいたら始めていたに違いない、と思います。

日本のゴルフ場はたいてい山の中とかにあって、
プレーしない人がグリーンを目にすることはありませんが、
アメリカは街からそう離れていないところに、しかも公園の道沿いとか緑地、
道沿いにあって、ほとんどは周りに柵もありません。

文字通り敷居が低そうで、手軽に始められそうですし、
おそらくは日本でするよりフィーも安いでしょうしね。

このレストランからも、壮年、主婦らしい人、老人、若い人と、
雑多な年代や男女問わず気楽にコースを回っていて、
プレーをしているのが見て楽しめるようになっていました。



このレストランは普通のアメリカ料理がメイン。
MKのリクエストでフライドチキンを一皿頼みました。

料理そのものは普通。
とにかく目の前に広がるゴルフ場のグリーンが目に気持ちよく、
ほとんど場所に価値のあるレストランという感じでしたが、
外ということで、時々虫が飛んでくるのです。

チキンを食べていると、黄色と黒の蜂が一匹、しつこく周りを飛び回り、
手で払っても払っても、すぐに戻ってきて困りました。

(チキンの骨閲覧注意)

あまりにしつこく周りを飛び回るので、全部食べ終わったこともあり
追い払うのをやめたところ、確信的にチキンの骨部分に止まりました。
骨に取り付いて一生懸命何かやっています。

家族三人で、つい観察してしまったのですが、なんとこの蜂、
フライドチキンの骨から、ガシガシっと肉を食いちぎっているのでした。

「もしかしてこの蜂、肉食いちぎってない?」

「うえー、ほんとだ。肉を外してる」

「蜂ってチキンなんか食べていいの?食物連鎖的に」

「奈良で鹿が観光客の捨てたフライドチキン食べてるの見たことあるけど」

「こいつ、この肉を巣に持っていくつもりなのかな」

「こんなの持っていったら女王蜂に追い出されるんじゃない?」

そうして見ていると、大きな肉の塊を食いちぎった蜂は飛んで行き、
そして、2〜3分経った頃、また戻ってきて、
全く同じところに止まり、同じように肉を食いちぎっています。

(次:虫閲覧注意)

後で調べたところ、これは北米に生息するハリナシミツバチ種の一種で、
その名もハゲタカバチという種類の鉢であることがわかったのです。

ミツバチは蜜と花粉から栄養分を得るのに対し、ハゲタカバチは
その名の通りハゲタカのように、彼らは花粉の代わりに
死んだ動物の死骸の肉を食べ、肉を集め、肉の蜂蜜?を生産します。


こういう生物をスカベンジャー(屍肉食動物)と言いますが、
この蜂も、ゴルフ場に隣接したピクニック場のゴミ箱などを目当てに
近くに巣を作っているのだと思われます。

彼らの最も好物なのはまさにこの鶏肉で、なぜかというとそれは
タンパク質の摂取のためと言われています。

英語で黄色い蜂のことを「イエロージャケット」と言いますが、
それこそこいつらをヒーロー戦隊もの風にいうなら、

「イエロー戦隊・スカベンジャーズ」

といったところでしょうか。


■ 友人との再会〜噴火しない溶岩ケーキ

サンフランシスコに住んでいた時からの友人と、3年ぶりに会いました。
コロナ蔓延以降、そもそもわたしが西海岸に行けなくなったので、
世間が平常化した今年、何としででも会いたかった人です。

彼女の夫はアーバインに本社がある有名なゲーム会社のアーティストで、
LA近郊に家があるのですが、彼女自身はアート関係の仕事を引退し、
今は物件を持って賃貸業を営んでいます。

テナントがサンフランシスコ市内にあるので、いつもわたしが渡米すると
彼女は、仕事がてら7時間の距離をドライブして会いにきてくれていました。

今回はそれに加えて、娘さんがサンフランシスコの大学にいるため、
彼女の引っ越し手伝いと、彼女のボーイフレンドに会うという用事を兼ね、
わたしの滞在に合わせてやってきたのでした。



彼女がきた時、家族三人と合計四人で昼ごはんを食べに行きました。

サンマテオの中心街にある、アメリカン・ダイナーとカフェの間みたいな、
ハンバーガーもイタリアンも食べられるというレストランです。

皆で突っつけるように小皿料理をいくつか取りました。
これはそのうちの一つ、ニョッキです。



野菜たっぷりのハンバーガー。これはTOが頼んだもの。



わたしが頼んだのはツナのステーキ(ミディアムレア)。



デザートの一つ、クリームブリュレ。
薄いお皿上のプリン(的なもの)の表面をバーナーで焦がして仕上げます。


「Lava cake」とメニューにあったので、これに目がないMKのリクエストで
頼んでみたんですが、出て来たのを見て、MKがっかりして一言。

「ラーバ、噴火してないし」

アツアツのチョコケーキにフォークを入れるt、
中からあたかも溶岩(ラーバ)のようにチョコレートソースが出てくる。
これをラーバケーキ、日本ではフォンダンショコラと言ったりします。

コロナの影響で閉店してしまったザ・クリフという太平洋沿いのレストランは
ラーバケーキが自慢で、MKはいつもこれを食べたがりました。

ところが、ここのは、そもそもチョコレートの溶岩が流れる前に
クリームソースをかけて固めてしまった状態。
いわば噴火前で、ラーバと呼べる要素はどこにもありません。

「これ・・・もしかしたら失敗したんじゃない?」

「中まで焼けてしまったので、溶岩が流れず、代わりにソースをかけた?」

ヒソヒソ言いながら全員で突っつきましたが、
味は普通にチョコレートケーキでした。


ちなみに、彼女の娘さんとMKは小さい時かなり仲が良く、
わたしたちが会っている間、ほとんど恋人同士のように戯れあっていましたが、
そんな彼らもある夏から急に他人行儀な付き合い?になりました。

そして、今は彼女にも母親に紹介するようなBFがいるというわけです。
(ちなみに前彼は医者志望で、MEDにも合格した優良株だったけど、
あまりにも束縛してくるので嫌になって別れたらしい)

MKには今のところそれらしい気配はありませんが、
彼と同じ年頃の娘息子を持つアメリカ在住の知人たちからは、
いきなり息子が大学からGFを連れて帰ってきて家に泊めたとか、
いつの間にかBFと一緒に暮らしている、などという話を聞かされます。

昔も今も、アメリカの青年たちというのは、気軽にお付き合いを始め、
結婚するしないに関わらずステディな関係を親に公言するのね、
とそのオープンさには文化の違いを感じずにはいられません。

日本もこんな感じなら、少子化はもう少しマシだったのかな、
などとつい考えてしまいました。


■ スタイリッシュ・インディアンキュイジーヌ

日本に帰国する前夜、家族でオシャレ系インド料理に行きました。


一口にエスニック料理のレストランといってもさまざまで、
前回の家族経営のインド料理屋は、キッチンから大きな声で
英語ではない会話と笑い声が筒抜けに聞こえてくるような小さな店で、
まるでインドの家庭の台所でご飯を食べているような気分でしたが、
ここのはバーリンゲームの一等地に新しくできた、謳い文句も

「スタイリッシュ・アップスケール・南インド料理」

upscaleというのは、高級という意味。
そして店名は「サフラン」Saffron と何やら趣味のいい感じです。

昔、ミシュランの星を持っていたこともあるとかで、
(なぜそれが今は無くなったのかはわかりませんが)
家族で食べるアメリカ最後の記念すべき夕食に相応しいという気がしました。



インド料理でエディブルフラワーをあしらったお皿を初めて見ました。

これは、ビーツを使ったサラダで、本来は山羊チーズが乗っていますが、
わたしたちは苦手なので抜いてもらいます。

店内もお花のお皿にふさわしく看板通りのスタイリッシュさ。

来ている客層も、近所のリッチそうな白人ばかりの奥様グループ、
シリコンバレーのテック関係っぽいインド人とアメリカ人の男性、
完璧な英語で会話している白人とインド人のおしゃれな女子、
と、いかにもバーリンゲームという高級住宅街の住人らしき人ばかり。



「Our Secret Recipe」(当店秘伝のレシピ)で作られたという、
お店のシグネチャー、バターチキンは外せません。

一皿25ドルとお高いですが、三人でたっぷり食べられて、
スパイスが効いたスモーキーな味わいのするこのチキンカレー、
お値段以上の価値があると思われました。



追加で頼んだロティとガーリックナンをつけて、
いくらでも食べられてしまうカレーです。



せっかくなのでデザートも頼んでみることにしました。
青のりを乗せたたこ焼きではありません。
こちらでいうところのパフクリーム=シュークリームです。

上の青のりの正体は多分チョコレートだと思います。



■ 出国

次の日、サンマテオのAirbnbをチェックアウトして、
三人で空港に向かいました。



このAirbnbの良かったところは、一にも二にも清潔さ(土足厳禁)。
Whole Foods Marketに近い、280と101どちらの高速にもすぐアクセスできる、
家の前に駐車スペースがある、バストイレが二箇所、とたくさんありますが、
何と言っても空港まで10分で行けるという安心感でした。

MKの寮生活はもう始まっていましたが、偶然この日から二泊、
サンディエゴの知人の家に招待されていたこともあって、しかも
たまたま出発時間がわたしたちの国際便とほぼ同じだったため、
前の晩は家族三人最後に一緒に過ごすことができたのです。



MKを国内線乗り場で降ろして、別れの挨拶をしました。

「ちゃんと野菜食べなさいよ」

「野菜食べるわ」


母親というのは、顔を見れば息子に
野菜を食べろと言わずにいられない生物であると彼は心得ています。

その後レンタカーを返し、チェックインを済ませると、
搭乗時刻まで新しくできたユナイテッドのポラリスラウンジで過ごしました。



ここは中に、オーダーしたものを持ってきてもらえるレストラン
(もちろん無料)があったので、試しに入ってみました。



おすすめは、特別のミートを使用したハンバーガー、とあったので、
一つ頼んでみましたが、これはおすすめというより、
「忙しいキッチンと給仕をする人のためのメニュー」という気がしました。

美味しくないことはなかったですが。



デザートも、あまりに普通。

わざわざ入っておいてなんですが、外のカウンターの料理やデザートの方が
何だか美味しそうで、そっちにすればよかったと思ったのはここだけの話。


さて、いよいよ出発です。



これから滑走路へアプローチ。



離陸。空港の建物が瞬く間に眼下へと。



二本線になって横切っている道路は280号線。
手前の街並みはサンブルーノ市街となります。

ついでに、手前右下のビルはウォルマート地域本社です。



あっという間に西海岸線が見えました。(この間2分くらい)
パシフィカと総称する海岸線です。



最後に見るアメリカ大陸は、ペドロポイントと呼ばれる岬でした。



さて、海の上に出たら窓を閉め、早速映画鑑賞です。
「マーヴェリック」が機内上映されていたので当然これを選びます。



「マーヴェリック」の興行収入は前代未聞というくらい良かったそうですが、
確かに、面白い。
面白いだけでなく、このシーンで一度は涙ぐんでしまいましたよ。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、
これはおそらくフォトショしまくった写真のアイスマンです。



トム・クルーズのファンだったことは一度もないわたしも、
この映画を観て、不覚にも良いなあと思ってしまったほど。

それから、中国資本ということで懸念されていましたがご安心ください。
マーヴェリックのボマージャケットに、ちゃんと日本の国旗ありましたよ!

やっぱりこういうことをちゃんとしたからこそのヒットでしょう。

細部は専門的な目で見ればツッコミどころも多いのだと思いますが、
エンタメとして近来稀に見るよくできた作品だと思います。

今はアマプラなどで有料配信しているようですので、
ぜひ迷っている方は騙されたと思わず、ご覧ください。

このわたしが自信を持ってお勧めいたします。



ここで恒例の機内食シリーズです。
相変わらず全く美味しそうに写っていませんが。



ちょっとはマシかなと思って、写真を撮る時だけ窓を開けてみました。



鯖の煮付け・・・ヒルズデールのやよい軒のより美味しかったです。



朝食は魔がさしてパスタを選んでしまいました。

オリーブオイル主体のトマトソースが液体状だったのが災いして、
パスタ(カネロニ)がソースに落下し、
サンフランシスコのリサイクルショップで買った新品のロロピアーナの
(しかも白)タンクトップの胸にシミがついてしまいました。

悲しかったです。

■入国



さて、わたしたちが帰国したほんの二日前のこと。
日本政府が、3回目のブースターショットを受けた人に限り、
PCR検査を免除するという措置をとることになりました。

しかし、成田に到着した時の機内アナウンスは、前と変わらず
降機したら係員の指示に従って云々、というもの。

まさかまた唾をはかされるんじゃあるまいな?と思っていたら、
途中で書類を回収し、何やらQRコードを入れさせられて、
それでもこれまでからは考えられないくらいスムーズに出ることができました。



途中でこんなものももらいましたが(なぜか赤だったのが今回は青)
入国審査を今は自動受付で行うため、誰にも見せずじまいでした。

というわけで、帰ってきたわけですが、帰った途端、MKから
iPhoneの新しいアップデートで、写真が切り抜けるよー、
というお知らせが入りました。

健康カードと検疫カードは、その新しい機能を試したものです。



こんなこともできるわけだ。





ところで前に住んでいたアパートの道向かいにあった、
このダイナー兼カフェ兼レストラン。

バタージョイントという名前のこのレストランをMKは滅法気に入っており、
わたしたちがいる時も、何かにつけて行きたがり、
ときには友達を誘って、最後の最後の日までリピートしていました。

家族三人で行ったときには、ウェイトレスのお姉さんと世間話をし、
お姉さんは大学院進学おめでとう、向こうで頑張って、
などと激励してくれている様子を見るに、彼はアパートでの一人暮らしで
ここによっぽど通い詰めたんだなと思ったものです。

勉強で忙しい時は、自炊もままならないので、
毎日のようにお世話になったのかもしれません。



おそらく彼にとってのピッツバーグの心の故郷の一つなのでしょう。


アメリカ滞在シリーズ終わり

おまけ;



日本に帰ったら、マンションの入り口で早速お出迎えしてくれた
同じマンションの住民の飼い猫、ひめちゃん。

猫の世界では、目を凝視するのは失礼ということになっているので、
流し目しながら「おかえりー」と挨拶してくれました。




シリコンバレーの地下高騰とリモートワークの関係〜ベイエリア滞在

2022-09-19 | アメリカ


さて、MKの大学寮の部屋に荷物を入れる仕事が終わりました。


なべて男の子というのは(全てがそうかどうかはわかりません)
パソコンの設置やデバイスの配置などには滅法熱心ですが、
自分のものであっても他の所持品(特に洋服の類)には全く無関心です。

全てをケースから取り出し、ハンガーにかけたり、
引き出しに畳んで入れたり、並べたりという仕事は、母親に任せっぱなし。

「引き出しの上はTシャツ、一番下はジーンズとかね」

「ん」

「ダウンはいつ使うか分からないから袋から出さないでおくね」

「おけ」

といった調子で、何を言ってもその答えは一言。
つまりどうでもいいのです。

わたしなど、ホテルにチェックインしたら、どんなに疲れていても、
トランクから荷物を出してクローゼットと引き出しに収納しないと
気が済まないタチですが、こいつは、もしわたしという母親がいなければ、
全てを引っ越しケースに入れたままにしておいて、なんなら
必要になったらその都度出して使うつもりではと疑われました。

MKと同じような留学生のお子さんをお持ちの方によると、
日用品の買い物なども、彼らは母親に丸投げ?しがちなのだとか。

これが女の子だと自分でやってしまう傾向にあるということなのですが、
男の子供に対しては母親が世話を焼いてしまいがち。
よって彼らは、どこかでそれが当然と思う傾向を持つのかもしれません。

これが重篤になってマザコン化しないよう、うちもそろそろ放置かな。



引越しといえば、仕事でロンドンに住んでいた知人は、
向こうで、ヤマトの「らくらくパック」という、荷造りから運び込み、
梱包も全てやってくれるプランを使って、滅法楽だったそうです。

この日は前を走っていた「米国ヤマト運輸」のトラックを発見。
アメリカに赴任する日本人ビジネスマン家族御用達のようですね。

引越しらくらく海外パック


■ レイバー・デーの弾丸往復飛行

今回の旅行中、一番キツかったのが、帰国寸前の

「サンフランシスコからピッツバーグまで行って、28時間の滞在で帰ってくる」

という弾丸ツァーでした。

どうしてこんなことになったのか、実はいまだによく理解できないのですが、
つまりカードのポイントで取ったチケットを変更しようとして
その結果起こったシステム上のバグみたいなものだと思います。

最初に予定していたサンフランシスコからの帰国を、
諸々の理由により早めようとしたところ、セットで注文していたため
日本行きだけを変更するということができず、やむなく

「ピッツバーグ→サンフランシスコ→日本」

をセットで新たに予約するという形になりました。

どういうことかというと、日本に帰るためには、
「ピッツバーグ→サンフランシスコ」からやり直すのです。

というわけで、まずピッツバーグに戻るわけですが、基本的に
サンフランシスコ→ピッツバーグは直行便が少なく、取れたチケットは23時発。

到着したら朝7時なので、空港近くのホテルにチェックインし、
翌日の朝、サンフランシスコまで帰るという文字通りの弾丸飛行です。

しかも出発の日、アメリカはレイバーデイの真っ最中で、
のちのニュースでは、過去最高というくらい人が移動したらしく、
空港は激混み、深夜便は満席という状態でした。



ホテルは、これも貯まっていたポイントを利用して、
マリオット系列の空港ホテルを二泊分予約しました。

朝7時に到着してそのまますぐ仮眠を取るためです。

28時間の滞在なので必要ないかと最初は思いましたが、
色々考えて、レンタカーを借りることにしました。
ピッツバーグ空港のレンタカーは空港ビルのすぐ隣にあって、
ホテルまでのシャトルバスを待つよりずっと楽と思ったのです。

ところが、車をゲットした後IDチェックしてゲートを開ける係が来ておらず、
誰か来るのをただひたすら待つ羽目になりました。

7時に空港に到着し、30分には車に乗っていたのに、
アフリカ系の眠そうな女性が出勤してきたのは8時10分です。

「10分遅刻しとるやないかい」

「いや、アメリカでは10分は定刻の範囲内」

「しかし眠そうな顔してるね」

「レイバーデイなのに働かされて疲れてるのかな」

などと言いながら、彼女が起動してゲートを開けるのを待ち、
その後ホテルにチェックインしました。

そこでフロントでの第一声、「ハウアーユー?」の挨拶に、こちらも慣例的に
「グッド、ハウアーユー?」と返したのですが、フロント係の中年女性から、

「I’m tired.」

という変則的な返事が返ってきたのには驚きました。

レイバーデイは、労働者の祝日、いわゆる勤労感謝の日なんですが、
夏の終わりの大々的な連休でもあるので、民族大移動状態になります。

日本のお盆や大型連休と同じ状態ですが、今年のレイバーデーは
COVID-19の規制がほぼ全面的に撤廃され、
空港でもマスクは強制されなくなったということもあって、
交通機関を利用して移動した人口はここ何年かで最高だったそうです。

ただし、これも日本と同じで、そういう期間中、ホテルや飲食業、
サービス業のレイバーはいつもより忙しく働かなくてはならないので、
彼女もこの期間、目の回るような忙しさだったのに違いありません。



この日はレイバーデー明けの月曜日だったので、
ポイントでアップグレードもしてもらえました。

「ゆっくり部屋でお休みください」

とフロントに声をかけられてチェックインし、
一寝入りして起きたらお昼の2時。

せっかく車を借りたからには、ピッツバーグ市内にご飯を食べに行かねば。

その頃西海岸は記録的なヒートウェイブでちょっと参りましたが、
こちらは曇りで涼しく、ほっと一息つきます。




車はとりあえず、先日まで住んでいた地域へと向かいます。
借りていたAirbnbの部屋の前を通ったら、電気がついていました。

すっかりおなじみになったアパートの周りを一周通してみたら、
角の家の黒猫、”でんすけ”と再会することができました。



ピッツバーグで一度だけ食事を許されるとしたら、何を食べるか?

この問いに、わたしたちの答えは決まっています。
住んでいたバトラーストリートのはずれにあるタイ・キュイジーヌ、
「プサディーズ・ガーデン」(Pusadee's Garden)一択です。

ピッツバーグ最初の日に訪れ、最後にも行き、
そしてまた今回も来てしまうくらい、このレストランには夢中です。

そして、わたしたちが愛してやまないロティをまず注文しました。



十七種類の食材を使ったサラダというメニューを見つけ、注文しました。
サーブする人が目の前で混ぜ合わせてくれます。



いつもは一つのカレー皿を二人でシェアするのですが、
この日はキッチンのないホテルに泊まっていたということもあって、
次の日に食べるために、多めに頼むことにしました。

アメリカのレストランでは、残した料理を持ち帰ることが可能で、
入れ物も快く提供してくれますので、最初からそのつもりで多めに頼み、
次の日レフトオーバーを温めたりアレンジしたりして食べる人も多いのです。

日本では食品衛生法第6条の縛りで、店が責任を取らされるため、
持ち帰りはできないというのが一般通念となっていますが、
食品廃棄物も出ないし、無理して食べなくても持って帰れるこのシステムは
お店にとっても客にとってもいいことづくめだと思うんだけどなあ。

写真の奥はいつものパンプキンカレー(Kabocha入り)、
手前は初めて頼んだベリーのカレーパスタです。

次の日、出発前に部屋で食べましたが、びっくりしたのは、
一晩経ってレンジで温めたものなのに、完璧に美味しかったことです。



■ ユニバーシティ・ストリート



サンフランシスコのミッションディストリクトを走っていたとき。

この地域は、古い有名なスペイン時代の教会もあって、
ビクトリアン様式の邸宅なども公園の前に並んでいたりするのですが、
このクィーン・アン様式の立派なお屋敷の前を通ると、
家の前に掲げられたユニオンジャックが半旗になっていました。

もしかしたらイギリス大使公館でしょうか。
イギリスのエリザベス女王陛下が崩御されたと報じられてすぐのことでした。




MKの大学のある地域は、地価が高いので有名ですが、
そういう地域の中心街には、お洒落で美味しい飲食店がひしめいています。

MKの大学のキャンパス内からまっすぐ続いている、その名も
「ユニバーシティ・ストリート」沿いは、この地域のおしゃれスポット。

現在、アメリカでそのストリートがどれだけホットかどうかは、
スターバックスではなく、Apple Storeがあるかどうかで決まりますが、
当然ここにもそれはあり、しかも美味しくない店は、どんどん淘汰されて
新しい店に代わっていくという、飲食店の「激戦区」となっています。

COVID-19発生以降、ベイエリアの飲食店は外にテーブルを置くようになり、
そのせいで車を置く場所がどんどん足りなくなっているのですが、
この日お昼を食べに行ったこのカフェも、外のテーブルまで満席でした。



そして、写真に写っている人を見ていただければお分かりのように、
このゾーンには太った人は滅多にいないという特色があります。

総じてカリフォルニアの都市部はその傾向にありますが、特にこの地域、
そしてこの通りを闊歩するアメリカ人は、ほとんどがスマート。

太っている人も勿論全くいないわけではありませんが、
それは失礼ながら、ほとんどこの地域の労働者階級のように見受けられます。

少なくともこんな店に客できて、スパークリングウォーターを飲みながら、
「ブッダボウル」をつついている男性が、太っているわけはないですが。


刺身レベルのツナを使った(と豪語する)アヒツナ、ブラウンライス添え

映画版のSATCで、ニューヨーク在住の主人公がLAに来て、
昔の男友達と食事を食べたところ、彼がステーキを口に含んで噛んだ後、
ナプキンに吐いているので激怒したら、逆ギレされて、
ここでは太ったら人間扱いしてもらえないんだ、とか言うシーンがありました。

カリフォルニアの「ルッキズム」を批判した表現でしたが、
この地域の人々は、いわゆるアッパークラスの人種が多く、
金持ちとエリートにデブなしという法則通りなのだと思います。


ついでに余談ですが、最近リブートされたSATCの
「And Just Like That..」を、今回わたしは
国内便のオンデマンドとアパートのケーブルTVで全部観ましたが、
その出来があまりにも酷くて衝撃を受けました。
世間の評価も低くて10点中1がスコアのほとんどという惨憺たる結果。

多様性の話題をぶち込みすぎてつまらなかった、の一言です。

ミランダの新しい相手になるのが、LGBTQのヒーローみたいな、
新キャラの”チェ”とかいう女性(?)で、わたしはこの人が大っ嫌い。

この背脂が浮いたような女の演説が始まると、迷いなく早送りしていましたし、
それでなくても、大学の教授やら黒人女性とか、富豪のセレブ夫人が
判で押したように黒人ばかりとか、そんな世界ある?
もううんざり、勘弁してくれって感じ。

そんなに多様性多様性いうなら、シャーロットの養女、リリー以外のキャラに、
もっとアジア人を使えば?って思いました。

(ちなみにもう一人の彼女が産んだ娘はいわゆる性同一視障害で悩んでおり、
それを宥めるユダヤ教の女性ラビまでが同性愛者。OK、パーフェクト!)




閑話休題。アヒ・ツナのタコスなどというメニューも「ここ」ならでは。

ユニバーシティストリートですが、小洒落たカフェばかりではなく、
美味しいエスニック系のレストランももちろん、たくさんあります。

一度驚いたのが、NAGIというラーメンの店にお昼を食べに行こうとしたら、
三重に折り返すウェイティングの列ができていたことです。

ものすごい人気なのは分かりましたが、口コミサイトを見ると、
日本式のラーメンを知っているらしい人の評価は概ね辛口で、
チャーシューは「合成肉」で、脂っこく、値段は高いということでした。

二人で食べて四千円って、まあ高いよね。



ヒートウェイブが来ていたころ、お昼を食べに行った
ユニバーシティ通り沿いのカフェ風レストラン、「スウィートメープル」。



全体的にメニューにやたら牛肉がついてくる印象だったのですが、
この肉が・・・なぜか塩辛い。



『OMU-RICE』と名前だけは日本風のメニューなのですが、
これにもなぜか肉。(食べてないけど、これも多分辛かったと思う)

「ははーん、コリアン系の店だな」

メニュー構成とか、ところどころに見える「プルコギ」という文字、
そして何を食べても辛いこの味付けから、わたしはそう判断しました。

居抜きで買ったらしい店の内装はカフェ風で悪くないのですが、
どうも肝心の味がイケてない。というかはっきり言って美味しくない。

おしゃれなカフェ風の内装、店名、雰囲気だけはいいのですが、
肝心の味が全く「スウィート・メープル」らしさを感じさせないのです。

これはあかん、と思ったのは化粧室に行く時にキッチンの前を通ったところ、
それが、雑然として清潔とは言えない状態だったのを見てしまった時でした。

おしゃれなカフェのキッチンどころか、それはまるで
場末の中華料理屋の厨房のようだったのです。がっかり。


清潔そうな整理されたキッチン、そして綺麗なトイレ。
いいレストランは必ずそのどちらもを兼ね備えているものです。

勿論、これらを兼ね備えつつ「美味しくないレストラン」は存在しますが、
どちらも兼ね備えていないレストランが美味しかった試しはありません。

おそらくこのレストランは、この激戦区で長くは保たないでしょう。
次に行った時に、まだあるかどうか・・・。


逆に、せっかく味は美味しいのに、時代についていけなくて、
撤退を余儀なくされたらしい店もありました。

このタイ料理の店は、以前も一度食べにきたことがありますが、
本場の味を出していて、トムヤムスープは絶品と言ってもいいものです。



デザートもここでしか食べられないような変わったもので、
大変美味しかったのですが、店内に客がいないのが気になりました。

確かに、タイには本当にこんなレストランがあるんだろうなと思わせる
異国情緒溢れる内装といえば聞こえはいいですが、
初代店主の写真(多分遺影)や、素人(多分店主の絵)を飾ったり、
全体にあまりにもエスニック色が濃すぎて、飽きられたのかもしれません。

それを裏付けるように、デザートのお皿の下のお知らせには、
10月いっぱいでお店をクローズすることが書かれていました。

おそらく、地価が高くなりすぎて、家賃が払えなくなったのでしょう。
何しろ、このお店の隣にはApple Storeができてしまったのですから。


■リモートワークによる『人口流出」はあるか

最近のシリコンバレーの地価の高騰は凄まじいとここ何年か言われてきました。

それもあって、コロナが蔓延してから、AppleやGoogleなどの社員は
リモートワークを理由に帰ってこなくなってしまったくらいです。

それどころか、ピッツバーグの知人の娘さんのように、
カリフォルニアのIT企業の仕事を入社以来ずっとリモートで行っていて、
入社のインタビューですら、オンラインで済んでしまい、
一度もカリフォルニアに行ったことがないなんてケースもあります。


ところがです。

これはApple社の話ですが、当社に限っては、明らかに
リモートになってからの方が生産効率が落ちているのだそうです。

会社としては、なんとかして社員を現地に呼び戻そうとしているのですが、
笛ふけど踊らず、誰も戻ってきたがらないので困っているのだとか。
(日経新聞情報ですので念のため)

しかし、仮にもしあなたがアーカンソー出身だったとして、
アーカンソーに住みながら、カリフォルニアの給料が貰えるとすれば、
誰が好き好んで、高い家賃、高い食費、高いガソリン代、
朝夕の通勤渋滞を我慢して、ベイエリアに住もうなどと思うでしょうか。

そこで、わたしなど、

「リモートワークがこれだけ進んで、人口が減ったなら、
地価もそれを反映して安くなりつつある
んじゃないの」

という考えに至るわけですが、ここまで高騰したベイエリアの地価は、
テック企業の社員が少々逃げ出したくらいでは、びくともしないようです。


続く。



地獄のヒートウェイブ〜アメリカ西海岸滞在

2022-09-15 | アメリカ

さて、わたしのアメリカ滞在における最大の目的である、
MKの大学院寮への荷物運び込みの日が近づいてきました。

元々このベイエリア地域は湿度が低いため、
霧の多いサンフランシスコを除いて夜間涼しく昼間は暑い
(日陰は涼しい)という砂漠型気候であるわけですが、
その昼間の気温が、引っ越しが近づいた頃異常に高くなりました。


この日は、サンマテオの山側に面した貯水池沿いの
長大なトレイルを家族三人で散歩に行ったのですが、
10時を過ぎると日差しがキツくて苦痛を感じるほどでした。

ベイエリアにトレイルはたくさんあるのですが、ピッツバーグのように
森林の木陰だけを歩くような場所が皆無であるため、
散歩は朝早くに済ませないと、地獄を見ることになります。



さて、MKの入居する大学院寮に引っ越しする日がやってきました。

無事大陸を半分横断して西海岸に着いた荷物を出すため、
U-HAULに行ってU-BOXを出してもらったところ、
扉の前にわざわざこんなものが置かれていて、一同呆然。

右側の牽引用のU -BOXは元からそこにあったものです。

「他にもいくらでも空いている場所があるのに、なぜわざわざここに」

「しかも扉の前に」

「嫌がらせかな?」


家族で呆れながらも、とりあえず積み込みを始めました。

荷物が全部コンテナであることと、レンタカーのゴールデンクラブで
インド人の係員が配車してくれたフォードのSUVの搭載力のおかげで、
どうやら引っ越しは2往復で済みそうです。


この頃、MKの大学キャンパスは、人気がなく閑散としていました。

寮への引っ越しは届出をして決められた日に行うのですが、
その日1日を通じて、引っ越しをしているらしいグループはほとんど見ず、
寮の周辺も学生らしい人はあまりいません。


その理由は明確で、セメスターが始まるのが9月26日だからです。
これは普通のアメリカの学校にしては特に遅い開始となります。



キャンパス内で、マスク推奨のポスター発見。

今はブースターショットを受けた人は基本マスク着用は免除されていて、
ヒートウェイブ下のここベイエリアでマスクをしている人は、
もちろん皆無ではないものの、あまり見ることはありません。

おそらくこのポスターは、COVID-19蔓延中、
特にカリフォルニアが酷かった時期に制作されたものでしょう。

MKの卒業した大学は、黒いスコッチテリアという
文句なしに可愛らしいマスコットがいて、何かと和ませてもらいましたが、
この大学のマスコットは・・・。

あまり可愛げがなくて気の毒だなあ、とかねがね思っていましたが、
こうしてみると、木のマスコット、悪くない。いやむしろ可愛い。

マスコットの可愛さは対象そのものではなくデザインが決めるのか。

・・・・とここまで書いたとき、ふと学校のデータを見たところ、
この大学にはマスコットは「ない」と書かれていました。

「ない」って・・。



キャンパスの歩道沿いには大学シンボルである木が植わっていますが、
この気候には、南国を思わせるヤシ科のフェニックスの方がお似合い。

大学院寮であるこの建物も、そこはかとなく南欧風です。

それにしても引っ越しをしているグループは、わたしたち以外に
1〜2組見たくらいで、そもそもあまり構内で人を見ません。

授業が始まるのが9月26日なので、アメリカ人の学生は、親元にいるか、
旅行をしたり、インターンシップをしたりしているのでしょう。



しかし外国人学生であるMKは、インターンシップが終わった今、
行くところもないので入居するしかありません。

居住区の鍵には学生証を使うことになっていますが、
この日、オフィスに取りに行ったらまだできていなかったので、
仕方なくアナログなキーを貸してもらうことになりました。

学生証を作るための期日に間に合わせるために、
親が出動し散々苦労してI-20を取ったというのに。

ちなみにI-20(アイ・トウェンティ)とは、
留学生が必要とされる書類で、入学許可証としての機能を持つほか、
入学後は在学証明書としての役割も果たします。

また、アメリカへの(再)入国審査の際にも必ず提示を求められるもので、
その大学の学生であることを証明する正式な書類です。

写真はこのキーでガチャガチャやっている最中のMKですが、扉開かず。
結局、隣の建物と入り口を間違えていたことが判明しました。



寮のロビーは冷房が効いて涼しく、ほっと息をつきました。
車から、事務所で借りたカートに荷物を積み込んで、いざ入寮です。


この廊下の広さよ。
ちなみに廊下のエンドには会議室、ゴミ捨て室があります。

そして、廊下もひんやりと空調が効いています。



ここが大学院寮(一人部屋)だ!
最近できた建物らしく、何もかもがピカピカ新しい設です。

フルキッチンに大型冷蔵庫、部屋に備え付けのソファ、大きなベッド。
いいなあ・・こんなアパートで学生生活を送りたかった。



普通のアパートのように食器洗い機はありませんが、
大型のオーブンがあるので、料理のできるMKにはありがたい作りです。

ただ、ドアを開けてすぐある大型の冷蔵庫扉が右開きなのはいかがなものか。



キッチンのエンドには小さなカウンターがあって、食事ができます。
一人の部屋なのでダイニングテーブルはありません。


ベッドの大きさはクィーン、机の奥行きはたっぷり。
そしてさすがは今時の大学生用アパート、コンセントがたくさんあります。



こんなに床が広いのに家具を置くことはできない洗面室。
日本では考えられないことですが、バスタブがなく、シャワーのみです。


部屋は自分で選ぶことはできず、自動的に割り振られるので、
眺めとか何階にあるとかは全くの運で決まります。

ここは7階ですが、大学のアイコンとなるタワーは部屋からは見えません。



アパートの一階の駐車場からようやく見える位置関係です。



窓はスライドして外気を入れることができますが、
網戸を開けることはできず、窓を開けるときには網戸下部に設けられた
台形の小さなドアみたいなところに手を突っ込んで行います。

つまり部屋の窓から絶対に人や物が落ちない設計です。

これは大学の寮としては実は大事なポイントかもしれません。



とりあえず荷物を運び込みます。

UーHAULとの往復はきっちり2往復ですんだのですが、
もしあと1つケースが多かったら3往復しなくてはならないところでした。


ここは大学院寮といっても、10階以上の高さのが4棟あり、
寮だけで日本の都心の大学よりよっぽど敷地が広かったりします。

MKの今回の部屋はこの中で最も小さいタイプで、
世帯持ちの院生のためにはファミリー向けの部屋も完備してます。




広大な敷地内ではペットがいなくなることもあるようです。

キャンパス内は結構野生動物もうろうろしているので、
飼い主はさぞ心配していることでしょう。

情報によるとこの猫はマイクロチップを埋め込んでいるようですが、
なのにどこにいるかわからないものなのでしょうか。



週末、ロビーにはちょっとしたパーティでもあったのか、
食べ物やなんかが乱雑に置かれていました。(日本のお菓子もあり)

ちなみにこのアパートには棟ごとに一室ずつ「音楽室」があり、そこには
ピアノが置かれていて、練習などで自由に使うことができます。



■ 各種ヨーロッパ料理

さて、ここで唐突に恒例のベイエリアグルメ紹介ですが、
今日はベイエリアで味わったヨーロッパの料理を。

🇮🇹イタリア

この日は引っ越しの荷物積み込みを終えたということで、お祝いムード。
レッドウッド・シティの中心街にある評判のイタリアンに出かけました。

MKのレストランの探し方は、とりあえず星4.5以上に絞り、
そこから家族の意見を聞いて選ぶというもので、
この日は中華でも、もちろん日本料理でもなく、レッドウッドシティにある
ちょっと華やかで美味しいピザを出すお洒落めの店となりました。


レッドウッドシティは、昔、日系移民の技術革新により、造園業が盛んで、
中でもアメリカ初めての菊の生産地として有名な地域だったのですが、
その後日系人の強制所収容により、産業は廃れ、今日に至ります。

しかし、その名残なのか、サンマテオの中心街は今でも
和食を出す店が多く、日系が経営しているらしい店構えだったりします。
(うちはもうアメリカの日本食に期待していないので行きませんが)


元々は先住民族を追い出した(?)スペイン人が移住していた関係で、
米墨戦争の後、カリフォルニアがアメリカ合衆国になった時も
メキシコ人の大金持ちが広い荘園を持っていたという土地です。

古い建物も多く、レストランの向かいにある図書館なども築100年超えです。

オリジナルの図書館は、アンドリュー・カーネギーが1万ドル寄付して
1904年に完成したのですが、1906年の地震で倒壊してしまいました。

そこでカーネギーがもう一度寄付をして建て直したのが、現在の建物です。

このことにより、レッドウッド公立図書館は、同じ敷地で
2回カーネギーの補助金を受けた全米唯一の図書館
となりました。


わたしが選んだメインは魚とたっぷり野菜。

この日のイタリアンですが、経営しているのはもちろん、
ウェイトレスも間違いなくイタリア系の人たちでした。

こういう安心感というか、単にムードのために、ジャパニーズレストランは
そう見えるだけのアジア系店員を雇うのかもしれません。

それを思うと、アメリカの各種民族料理は、その国の人たちにとっては
必ずしも外国人が思うほど評価されていないのかもしれないと思ったり。



皆で取り分けるために頼んだスモールディッシュ、ズッキーニ。



家族の誰かが頼んだエビの一皿。


ピザは、テーブルの面積を節約するために工夫された
専用のスタンドに乗せられてサーブされます。

まずいピザは耳を食べる気にならないのですが、これは
生地がモチモチしていて端まで美味しく食べられました。



ここまでほぼ満点だったので、きっとデザートも美味しいに違いない、
と頼んでみた一皿目のパンナコッタ。
こちらはなかなかというレベルでしたが、


ティラミスは衝撃的に美味しかったです。
家族三人、夢中になって食べてしまいました。

🇪🇸スペイン

この日はベルモントにあるスペインのタパスへ。
レストランの名前から、おそらくイベリア地方の料理かと思われます。


昔バルセロナ旅行のためにスペイン語をちょっと勉強しましたが、
その時覚えたフレーズでいまだに忘れられないのが
「ウナス・タパス・サブロサス」(美味しいおつまみ)という言葉です。

タパスを「おつまみ」と訳すかどうかはちょっと疑問ですが、
要はタパスとは小皿料理のことだと思います。

バルセロナでは、TOのアメリカの大学の同級生と再会し、
彼におすすめのタパス、「パタータ」の店に連れて行ってもらいましたが、
ここでほとんど同じパタータ(ポテト)が食べられました。

まさにこれが「ウナス・タパス・サブロサス」でした。


そしてスペイン料理に来たら食べずにはいられないパエリア。
お鍋の大きさは、三種類くらいあって、これは三人用です。

後ろの席は六人でテーブルくらいある巨大なパエリアを完食していました。


出てきた時は自分が何を頼んだのかわからず、一瞬考え込んでしまった、
外側が岩のように硬いアイスクリームです。


🇬🇷ギリシャ



ギリシャ料理レストランにも行ってみました。
お店の名前は「タベルナ」です。

地中海沿いの国は総じて野菜中心のヘルシーな料理というイメージですが、
ここのサラータもオリーブオイルと調味料だけで唸るほどの美味でした。

ちなみにテーブルについてくれたウェイターは若い長身の男性でしたが、
この人が、額から鼻先までほぼ一直線の典型的なギリシャ鼻でした。


これね



ギリシャのデザートといえば、バクラヴァ

フィロ生地の間に刻んだクルミ、ピスタチオ、ヘーゼルナッツ、
アーモンドなどをはさみ、焼き上げてから濃いシロップをかけたものです。

昔パリで食べたバクラヴァが激甘すぎた記憶があり、躊躇しましたが、
ここはアメリカ、ちょっと洗練されているかもと思い、
三人で一つ頼んでみたら、これが甘さ控えめで大変結構でした。



アメリカのハーブティは、ポットにティーバッグを入れたものが多いですが、
ここは本物の葉っぱを使っているらしいので、
食後に頼んでみたら、面白いトレイに載せて持ってきました。

携帯を取り出したら、ポーズを取ってくれたので
(この人はギリシャノーズではなかった)
ウェイターさんごと撮らざるを得なくなりました。



上から見ると、下から見るとのポット。
流石はギリシャです。
何がさすがかわかりませんが。

■ヒートウェイブと大学の開始時期の関係


この頃、ベイエリア一帯には、ヒートウェイブ注意報が発令されました。

何しろ、MKの大学構内では気温が43度にまで上がりました。
外に一歩出たら辛くてヒーヒーいわずにいられないくらいの熱です。

日本よりマシなのは、湿気が皆無であることですが、
これで日本並みの湿度なら、まんま熊谷市です。

湿度がなく高温なので山火事が自然発生していました。


そういえば、ピッツバーグからサンフランシスコまでの機内から
地上で火事が起こっているらしい現場を目撃したんだよなあ・・。



さて、繰り返しますが、MKの大学は4セメスター制で、
9月下旬と他と比べて遅い時期に学期が始まります。

MKの寮でヒートウェイブの間過ごした時、あまりに暑いので
部屋のクーラーをつけてくれるようにMKに頼んだのですが、
しばらくスマホで何か調べていたかと思ったら、

「冷房ないんだって」

部屋にあるエアコンと見えた空調は、
10月から3月いっぱいまでの期間暖房をすることしかできませんでした。

フロントや廊下にはひんやりと冷気が来ているので、
そのシステムがビルに備わっていないわけではないのですが、
とにかく学生の個室にはクーラーというものはないのです。

その時、わたしは気づいてしまいました。

この学校は、夏の間、学生がいることを想定していないことを。

昔キャンプで来ていたときから、このキャンパス内の夏の暑さが
とにかく過酷で、異常ですらあるなと思っていたのですが、
だからこそ、大学はその時期を勉強に向かないと切り捨てて、
9月下旬始まりの4セメスター制としたのに違いありません。

知らんけど。



それにしても、誰もいない時期、廊下とロビーだけが
ガンガン冷房されているのは何故なんだろう。

謎は深まるばかりです。


続く。




サンフランシスコの一日

2022-09-09 | アメリカ

MKの大学院入学のために、西海岸にやってきました。
間にコロナ禍があったため、実に3年ぶりのベイエリアです。

着いて早々に、かつて住んでいたサンフランシスコに行くことにしました。

MKがバックパックの買い替えのためにセレクトした店があり、
さらに、日本酒専門店、お茶の専門店にも行ってみたい!
ということで、車で30分ほど走って市内に到着です。

■ピークデザインのバックパック



まず、バックパックを購入するためヘイズエリアへ。

ここはシンフォニーホールやジャズ音楽院があって、
アーティスティックな人たちが集まる活気のある界隈です。

お洒落なお店が並ぶ一角に、オリジナルのカメラバッグ専門店があります。


peak designというこのブランドは、日本でも商品購入可。
売りはバックパック型のカメラバッグです。

「2010年、アメリカのキックスターターで資金募集を成功させ、
一躍その名を世界の写真業界に轟かせた」


という企業で、カメラマンである 創業者が、
アウトドアでの撮影時の不満を解消するための画期的なものだとか。

「スキーをしながら写真を撮りたいと思ったとき、止まり、
ストックを地面に刺し、バックパックのストラップをはずし、降ろし、
カメラを取り出す。撮り終わったらその逆…
毎回そんなことはしていられなかった。
撮りたいと思った瞬間はあっという間に去ってしまう」

彼はその経験から、いつでもすぐに簡単にカメラにアクセスでき、
かつ安全にそれを持ち運ぶ方法を考え、デザインし、製品化しました。

peak design

こちらで買うと、日本の代理店よりはもちろん安価です。

軽くて中には仕切りがあり、レンズなどを入れるのに便利。
MKは軽さと完全防水と仕切りの多さでこれを選んだようです。
実際に見て、グレーのバックパックが気に入ってお買い上げ。

昔、中高生くらいの時にもう少しルーズな形の
オリジナルバックパックを買ったTIMBACKの本店は、
偶然この向かいにありました。

Timbackはもういいの?と聞くと、MKは「卒業した」と答えました。


■ 日本酒専門店 TRUE SAKE



さて、次はTOとMKの希望で、日本酒専門店、
TRUE SAKEへ。



「True Sake」はピークデザインの道を隔てて向かい側。
アメリカ国内唯一の本格的な日本酒専門店です。

日本からお酒を送るのが大変なので、ここから何度かアメリカ国内に
(お礼とかMKのお祝い用とかで)お酒を送ってもらったことがありますが、
実店舗に行ったのは、もちろんこれが初めてです。

わたしはお酒を飲まない飲めない体質なので、
二人が選ぶのをぼーっと横で見ていただけですが、結局、
「作」 ZAKU ざく 穂乃智 ほのとも
というお酒をを購入したようです。



「ZAKU」は、世界一おいしい日本酒を決める、
世界最大の日本酒コンペティション「SAKE COMPETITION」にて
第1位に輝いた、三重県 清水清三郎商店の定番純米酒です。




買い物を済ませて車に戻ろうとすると、街角に
「かき氷(シェーブドアイス)の店 NAYA」というお店がありました。

ジャパニーズカレーというメニューもあったので日系の店かと思ったら、
かき氷は日本風ではなく・・どこだろう?とにかく南国風です。

まずこの「氷」ですが、水を凍らしたものではなく、
なんだか物凄くふあふあしていて甘いのです。

「なんだこれ・・・甘い」

「練乳凍らしてるのかな」


何かわからないままに三人で美味しく食べてしまいました。
後で調べたら、練乳混じりのかき氷は台湾風なんだそうです。


■ SONG TEAでお茶の葉購入

さて、次はピッツバーグで贔屓にしていたコーヒー専門店、
「コンステレーション」のクリフとエイミーおすすめの、
お茶専門店、SONG TEAのあるサッター通りへ。


「コンステレーション」で、わたしたちは時々
コーヒー以外のお茶なども楽しんでいたのですが、特に気に入ったのが

「佛手 ブッダズパーム(仏の手のひら)」

という紅茶のように甘い美味しい台湾烏龍茶でした。

彼らに、それを仕入れている店がサンフランシスコにあると聞いて、
ぜひ行ってみようと前々から言っていたのです。



するとその前の教会から見たことのない民族衣装の人たちが
大量に出てきたので、思わずなんだろうとそちらに注目したら、
教会には「マセドニア・バプテストチャーチ」とあります。

「マセドニア・・・マケドニア・・?どこのことだっけ?」

マケドニア文明というとギリシャ的なイメージがあるから、
あの辺の人たちなのかしら。

しかし、やっぱりアメリカっていろんな人種が暮らしているんだなあ。


SONG TEAでは、烏龍茶「佛手」の他に、
人参茶、マシュマロ茶、などのノンカフェインセットを買いました。

MKがお茶を飲むための急須と湯呑みが欲しいと言っていましたが、
ここで扱っている陶器は作家ものなのでお値段に手が出ず。

「どこに行ったらあるかな」

「やっぱりジャパンタウンでしょう!」



■ ジャパンタウン

ということで、この後ジャパンタウンに車を停め、昔からある
ジャパンタウンの荒物屋さん、「SOKO」(倉庫)に行きました。


SOKOで湯呑み3個と急須を買いました。
湯呑みの模様の処理が日本で売っているものにはない雑さですが、
これはアメリカだから仕方ない・・・のかな。


この日ジャパンタウンに行ってびっくりしたことは、
普通のモールにはあり得ないようなその人の多さ。
今まで何度もここに来たことがありましたが、
こんなに人が溢れかえっているのを見るのは初めてです。

日本人にとっては扱っている商品はともかく、その佇まいも
実に昭和な感じの臭みみたいなのがあって、
決して居て心地の良い空間というものではないのですが、
どこに行っても金太郎飴のように判で押したようなアメリカのモールに
飽きた人たちにとっては、たまには来てみたいところかもしれません。

それにしても、この日は人大杉。
一体ジャパンタウンに何があった。

「もしかしたら鬼滅の刃のヒットとか関係あるかな」

「鬼滅とは限らないけど、まあ、日本のアニメとか文化に
興味を持つ人が前より増えたってことなんじゃないかな」




なぜか突如現れる大阪城。
訪れている人の人種は圧倒的に東洋系が多いのですが、
これが皆日系とは思えないんだよなー・・・。



文化祭のデコレーションみたいなこのチープ感よ。



夕ご飯にはここでうどんを食べようということになりました。

お店の入り口には名前を登録するiPad状のものがあり、受付は無人。
時間が来た時に前に戻っていれば案内してくれるという仕組みです。

雰囲気は昭和ですが、この辺は普通にハイテク日本です。(意味不明)

しかし、予約時間に店の前に全員が揃っていなければ入れてくれません。
後から一人くるから、という言い訳は一切できない厳しい掟でした。
(TOが時間に帰ってこなかったのでしばらく入れなかった)

で、頼んだうどんですが・・まあ普通か、ちょっとその下くらいかな。
30分も待って食べる価値があったかというと、もちろんそれはありません。

ここがアメリカだから我慢して食べてやるというレベルでした。


MKが頼んだカレーうどんの方が美味しそうです。

■サンフランシスコ北西岸



今回サンフランシスコに来て、とても残念なニュースを知りました。

映画「1941」の冒頭で、三船敏郎艦長の日本の伊号潜水艦が浮上し、
その時に潜望鏡に全裸の女性が捕まっていたシーンで有名な(有名かな)
サンフランシスコの右肩部分海岸にあった絶景レストラン、

「The Cliff House」

が、2020年12月31日に閉店していたのです。

理由はやはりCOVID-19による影響ですが、
家主である国立公園管理局(NPS)が長期リースを遅らせたせいです。

ただ、サンフランシスコの象徴的な建物であり、場所なので、
サンフランシスコ監督委員会はNPSに対し、テナントを探す一方で
レストランの業者をすぐに見つけるように促す決議案を可決しました。

公園管理局はそれを受諾したので、次に来た時には
素敵なレストランがオープンしてくれていることを祈ります。


レストランがオープンしていないと、車を停めるのだけは楽ですが。


この日はいい波が来ているらしく、たくさんの詩人か馬鹿か、
あるいはその両方が、波間に浮かんでいるのが見えました。


■ ゴールデンゲートビーチ



サンフランシスコに来たら一度は行かねばならぬ。
それがゴールデンゲートビーチのクリッシーフィールドです。

ジャパンタウンとは別の日、散歩を目的にやってきました。



アルカトラズも健在。



日差しは強いですが、空気が冷たいので本機の散歩には絶好の日和です。
歩きながらバードウォッチングも楽しめます。



ヒッチコックの「めまい」のシーンにも登場する岸壁の鎖。
これは、人のためというより車が飛び込むのを防止しています。

経年劣化で鎖どめにレイヤーケーキのような層が現れていますが、
これってそろそろ車が突っ込んだら倒れるんじゃないだろうか。



その昔、この建物、パレスオブファインアーツの横に
サンフランシスコの科学館があって、サマーキャンプに参加したものです。

この一角は、1915年サンフランシスコ万国博覧会の用地として
土地を埋め立て平坦にし、この壮麗な建物もそこに建造されました。

科学館はその後フィッシャーマンズワーフの並びの埠頭に移転しました。


■残念だったミッション地区のディムサム



レストラン探しは主にMKの検索能力とカンに頼ることが多く、
それは概ね成功していつも美味しいご飯を食べているこの頃ですが、
この時行ったミッション地区は、レストラン以前に、
街が少し物騒なところなので、それがちょっと問題でした。

どう物騒かというと、ホームレスがやたら多く、その結果、
街角を一人で歩くのは無理、という雰囲気です。
おそらく夜になったらもっとやばいことも起こっていそうな気配が。

サンフランシスコはホームレスが路上で楽に生息できる気候なので、
その結果、ダウンタウンの目抜き通りを一筋外れると、
昼間でも女性一人では怖いくらいそこここに人が座り込んでいます。

問題は、夏場は雨が降らないので一帯が物凄い臭いになることですが、
ミッション地区繁華街もそういう地域の一つです。



この時の中華点心は、確かにとてもおいしかったでのすが、
トイレに行くとgの死骸が転がっていたり、最初に通されたテーブルも
真横に子供用のハイチェアが積み重ねてあったり、
それが嫌で外のテーブルにしてもらうと、下水臭い空気が漂ってきたりと、
まるで中国本土の食堂のような猥雑さが、わたしには今ひとつでした。



■ かつて住んだ地区モールの変貌



昔住んでいたストーンズタウンという街の横には、
閉店した大型本屋のあるモールがありましたが、今回横を通りかかると
ここになんとWhole Foods Marketができているので、驚きました。

かつてこの隣に住んでいた時は、サンフランシスコ中心に二つしかなく、
わたしは買い物のたびにそこまで車を走らせていたのですが、
もしその頃ここにあればどんなに楽だったことか。



おそらくここは、メイシーズか何か、
大型デパートがあった場所で、異常に店内が広々しています。



そしてもっと驚いたことに、モールの一角に丸亀製麺が登場していました。

うどん県香川とはなんの関係もないという丸亀製麺、
そして香川の人には滅法評判が悪いという丸亀製麺ですが、
サンフランシスコなんぞに出店するまでグローバル化していたとは。

香川の人は決して行かないでしょうが、わたしたちは行ってしまいました。



カウンターを進みながら基本のうどんにトッピングを足す方法は
日本国内と同じシステム。

やはりお客さんはアジア系が多いように思われます。



で、肉うどんを食べてみました。
まあ、ジャパンタウンよりは美味しい気がしましたが・・・
そもそも丸亀製麺で食べたことが2度しかないわたしには
評価のしようがなく・・・というかちょっと辛めで辛かったです。
(からめでつらかったと読んでください)

■ やよい軒@ヒルズデール

実際、アメリカで食べた日本食で美味しかったことはほとんどありません。

日本人だから何かと粗が目に付くし、当然ながら点数も辛くなるし、
アメリカ人にはわからない小細工も容易に見抜けてしまうしで、
行ってはみたものの、いつも期待を裏切られるのが常です。

ラーメン店だけはなかなかのレベルのところが多いような気がしますが、
それはラーメンという料理の素材が地域を選ばないからでしょう。

そして、失望するかもしれないと思いながら、
パロアルト店に引き続き、またしても行ってしまった、やよい軒。



お昼を大分過ぎた時間で、店内はガラガラでした。
注文はパロアルト店と同じiPadで選ぶ方法でしたが、
ここではお運びもロボットがしてくれるシステムを導入していました。

このロボットの横をウェイターが付き添って歩いてきて、
テーブルに料理を置くと、ロボットは帰っていきます。

ウェイターの腰には優しい技術かもしれんね。



サバ塩焼き定食を頼んでみました。
副菜が少なすぎ!そして辛い!
どうしてアメリカの日本食はどれもこれも味つけが濃いのか。



緑の餃子も、日本の食堂で出るものと寸分変わりない味でした。
(美味しかったとは言っていない)



結論:日本人はアメリカの日本食に期待してはいけない。
決して。


続く。

MK学生寮の下見と美味しいエスニック料理〜ベイエリア滞在

2022-09-05 | アメリカ

サンフランシスコに到着し、サンマテオの住居に落ち着き、
翌日はとりあえずMKの新しい住居となるレジデンスを見に行きました。

マスターを取ることになった大学は、偶然ですが、
彼が高校生のとき参加していた業者主催のITキャンプ開催地の一つです。

何年間か連続で同じキャンプに参加し、この周辺に住んだお陰で
わたしも地域や大学の中にもとても詳しくなっていたのですが、
そのときは、また帰ってくることがあろうとは思っていなかったので、
(MKは規模の大きすぎる大学を避けて受験もしなかった)
こうやってここにいる今となっては、何やら縁を感じずにはいられません。



キャンプの時にはこの教室でやったとか、
週末の「ショーケース」(展示日)にはあそこで表彰式をやったとか、
そしてショーケースの日は外で待機させられて死ぬほど暑かったとか。

そんな思い出を話しながらレストランやスターバックス、
人気のジュース屋さんのある一角までやってきた時でした。

わたしがふと思い出したことがあります。

「そういえば、キャンプの教室に忘れ物をしたかなんかで、
連絡したら、学生さんがここに届けてくれたことあったよね?」

と言うと、驚いたことに、MKはそれを覚えていたどころか、

「あの人、大学助手でまだここにいるよ」

なぜそのことを知っているのか聞くと、その時、
忘れ物の受け取りのやりとりをメールでしたのでアドレスを持っていて、
今回、ふと思いついて検索したら、本人の情報が出てきたそうです。

その人はMKと同じエンジニアリング専攻だったということで、
これもなんか縁を感じるなあと思ってしまいました。

忘れ物がなんだったかも忘れてしまいましたが、その時の彼の、
頭の良さそうな雰囲気と容貌に、内心感嘆した覚えはあります。



これからしばらく自分が生活し、勉強する場所になるという気持ちからか、
どうしてもMKの歩調は「ホームスピード」的に速くなってしまうようで、
わたしたちを置いてスタスタ先に行こうとします。

この後、広くて品揃え豊富なユニバーシティショップに立ち寄って、
大学のロゴが入ったコーヒーマグと散歩用のサンバイザー、
フーディとTシャツ(別名;親馬鹿セット)を買い込みました。



そして忘れちゃいけない、大学院生の寮の位置をチェックすること。
Googleマップで既にそれが、キャンプの時に毎日通っていた
道沿いにあることは既に確認済みですが、やはり実際に見たいよね。

ただし、引っ越しの日になるまで部屋はどこになるかわからず、
学生証もその時に受け取るので、中に入ることはできません。

それにしても、これが大学院生の寮ってすごくない?
内部には食堂やカフェなどがあって、一歩も外に出なくても生活できるとか。
引っ越しの日に中を見るのが楽しみです。

■ 美味しいエスニック料理


着いてすぐ、家から車で5分の所にあるモールに行きました。

MKは服を買うことに全く興味がなく、何か買ってやると言っても
あるからいい、と言っていつも同じ服を着ているタイプです。

しかしまあ、さすがにお洒落と関係なく膝が破れたジーンズとか、
肘が抜けて襟の端が破れてきたシャツは良くないと思ったのか、
この際、着るものを買い揃えると言い出し、さらに、
『カリフォルニアは日差しが強いから』と言って、
度付きのサングラス(レイバン)を誂えることにしたのです。

このモールは昔、やはりMKの服を買いに一度来たことがありますが、
久しぶりに来てみたらリノベーションと増築がされたばかりで、
新しくなってお店もずいぶん気の利いたものが増えていました。

ついでにあちこちに猫とかウサギとかを象った妙な石像が・・・。

ジーンズを買うことにして、最初にあったラッキージーンズに入って、
そこにいたやたらプロフェッショナルな店員さんに相談しながら、
気に入ったジーンズをあっという間に2本お買い上げ。

続いて、ノードストロームでカーキのパンツ、
バナリパで上に着るシャツをお買い上げ。
好き嫌いがはっきりしている彼の買い物は決断が早く、
瞬時も迷わないので、あっという間に済んでしまい、付き添いは楽です。



この日、モールのフードコートに行ってみたら、なんと
KURO-OBIという名前の中身一風堂ラーメンの店がありました。

ニューヨークでも人気でしたが、ここにも進出していたとは。



早めの夕食を食べてしまおうということになり、
3人がそれぞれ別のラーメンを選んで食べてみました。

普通に美味しかったです。


ピッツバーグの知人とお別れディナーをした時、

「カリフォルニアに行ったら美味しいものがたくさんあるからいいわね」

と言われたのですが、本当にここは、巷に美味しくて安価な店があり、
毎日の外食に全く困りません。
特に、メキシカン、インディア、チャイニーズの「三大エスニック」!

この日のお昼は家族でやっているような小さなお店のインド料理。
MKは迷わずバターチキンカレーを頼んでいましたが、
わたしは適当に選んだカレーが辛すぎたので交換してもらいました。



小さな店内で客はわたしたちだけでしたが、時間がかかったのは
もしかしたらナンとロティを手作りしていたせいかもしれません。



家の近所を検索しただけで、美味しそうな店が
次々と出てくるのが、ここベイエリア。
この日のメキシカンは大当たりでした。

メキシカンというと安価で庶民的なイメージですが、
ここは少しだけお洒落で少しだけ高級なイメージ。

大きな壁画の前のグループは、お誕生日のテーブルを囲んでいて、
最後にはケーキが出されていました。




どこでも食べられるウワカモーレですが、ここのは
チップスの歯応えからして違っていて、まずここで衝撃です。



わたしは全ての日本人と同じくあまりメキシカンに詳しくないのですが、
MKがそこそこ友達との交遊で知識があるため、
メニュー選びはほとんどお任せにしています。

これは彼が選んだ「セビーチェ」。
南米風の魚介マリネのことで、これは三種類の味が楽しめます。


名前は忘れましたが、サフランライスを使った魚介のパエリア的料理。
マッセル(カラス貝)も入っていて豪華版です。



見るからに美味しすぎなシーフードタコス。
野菜と共に混入しているのはそれぞれフライしたエビやタイです。


これだけ美味しいところならデザートも期待できるよね?
と3人で頼んでみた渾身の?チュロス。

チュロスというと、わたしを含め多くの人は
ディスニーシーで食べるあれしか知らない向きが多いかと思いますが、
こんな風にお洒落デザートになって出てくると、別物のようです。

いうて基本は同じ揚げたパンには違いないんですけど、
何が違うのか、チュロスなのに高級風なかほりがしました。


■ U-BOXとの再会

荷物の中に入れておいたAirTagのおかげで、ピッツバーグを出発し
今どこにいるのか刻々と追跡することができたU-BOXの引っ越し荷物。

順調に西海岸に向かって進んでいましたが、
われわれがピッツバーグからサンフランシスコに移動した時、
ちょうどわたしが写真を撮っていたあたりにいて、
追い越していたことが後でわかりました。

その後荷物がベイエリアのハブであるヘイワードに到着、そこで一泊して、
動き出してレッドウッドシティに到着したことを確認した次の日、
U-HAULから正式にコンテナの到着を通知してきました。


早速中身の確認と必要なもの(わたしも荷物を入れた)
の取り出しに、レッドウッドシティに駆けつけます。

ピッツバーグと違い、敷地のほとんどが駐車場で、そこでカスタマーは
わたしたちがやったように荷物を車からBOXに入れたり、
また出したり、とにかく自由というか勝手にやるというシステムです。

わたしたちの近くでは、テキサスナンバーの車の3人の親子が、
BOXに荷物を詰め込んでいるところでした。

うちのBOXは荷物が少なくて上がガラガラでしたが、
本来はここの家族のように家具やベッドのマットレスなど、
それこそ空間がなくなるくらい詰め込むものなのです。




オフィスにBOXの取り出しを依頼すると、このお兄ちゃん
(便宜上ジミー・ブラウンと命名)が、手足のようにフォークリフトを操り
BOXを車の後方にまで持ってきてくれます。

このフォークリフトはTOYOTA製で、ジミーは乗る前に
青いガスボンベのようなもの(おそらくLPガス)を積んでいました。



というわけで、ジミー・ブラウンが持ってきてくれたBOXと
ピッツバーグ以来の再会です。

大陸を(北東部からとはいえ)横断してきたと思うと、
滅多にこんな体験をすることのない日本人には感無量です。


いざ!と鍵を開けようとしたら、ドアが釘でシールされていました。
移動中ドアは開けていませんよという印です。

ジミー・ブラウンは、持ってくるだけ持ってきて、
全く封印については言及せず行ってしまったのみならず、
開けるように頼んだところ、持ってきたねじ回しの大きさが違い、
巨体でのそのそと事務所に取り替えに戻ったりしていました。

なんというのか・・・これもまた西海岸っぽい。


扉を開けて、荷物に異常が全くないことを確認後、記念写真。
この後、わたしが手荷物を入れたコンテナと、
MKがプアオーバーを入れるための道具を取り出しました。

わたしのコンテナには蓋にマークをしておいたので
(ピッツバーグで向かいにあったドーナツ屋さんの猫シール)
すぐわかりましたが、コーヒーのグラインダーなどをどこに入れたか
透明のケースなのに全くわからず、いくつかの箱を出して
蓋を開けては戻すということをしなくてはなりませんでした。

今後の教訓として、引っ越し荷物には中に何が入っているか、
外側にラベルで明記することにします。

果たして今後があるのかどうかは謎ですが。



家族三人でいられるのももう後わずかとなったので、
できるだけ三人で散歩も行っています。
かつてわたしが一人きりで開拓した西海岸のトレイルを順に巡るのですが、
また今回も、このコヨーテポイントにやってきました。

コヨーテポイントは、以前ここでも何度かご紹介した、
戦時中にマーチャント・マリーンの養成学校があったところで、
今はゴルフ場、キャンプ場とヨットハーバーになっています。



空港にまで漂っていた「レッドウッド」の林の中を歩くコースは
公園利用料(6ドル)を支払う価値は十分です。

今回久しぶりに行ってみると、キャンプ場は美しく整備され、
ビーチには海水浴客のために砂浜が整えられていました。



こんなところで誰が泳ぐんだ?とわたしなど思ったりするのですが、
(昔ここには遊園地があってプールも併設されていたが、
あまりの寒さにプール利用客がなく、それだけでは理由ではないけれど
閉園になってしまっている)波の穏やかなこの日、なんと
沖を見ると泳いでいる人がいるのを発見!

実は、この後散歩が終わって車に帰ったら、横に駐車していた人が
バスタオルで体を拭いていたので、さっき泳いでた人かしら、
とこっそり横目で様子を観察したところ、年齢は六十代、
筋骨隆々というほどでもない普通の白髪の男性でした。

「元オリンピックの水泳選手とかかな」

「フェルプスじゃない?」

「フェルプスもっと若い。顔もフェルプスほど長くないし」

などと失礼なことを言い合いました。
(単にアメリカの水泳選手の名前を他に知らなかっただけです)

わたしの西海岸在住の友人の隣人は、昔NASAにいて、
アポロ計画に関わっていたという素性の人なんだだそうですが、
そういう経歴の人が普通にたくさんいるのがアメリカという国。

この人がオリンピック選手で、ミュンヘンオリンピックに出たことがある、
という過去を持っていたとしても全く不思議ではありません。



食べ物の画像ばかり上げるので、外食ばかりしていると思われがちですが、
もちろん、材料を買ってきて家で料理を作って楽しんでいます。

アメリカは普通にオーブンが大きくて使いやすいので、
この日はMKが検索したレシピにより、チキンと野菜のグリルを作りました。

味のポイントは、MKがこちらで気に入って使っている、
MOMOFUKUのピリ辛ソースをブロイルの前にかけて味付けをするところです。

モモフク(Momofuku)はニューヨークを本拠とするレストラン・チェーン。
韓国系アメリカ人のシェフ兼実業家デイビッド・チャンが創業したブランドで
ニューヨークを中心に実店舗を展開していますが、
麺やソースなどの販売も、全米でおこなっています。

コリアン・アメリカンなのになぜ日本語の名前を?と思うのですが、
創業者曰く、日清食品創業者、安藤百福へのオマージュであり、
ラッキーピーチ(桃福)はおめでたい意味だからなんだとか。

ただし、この人は日清食品または安藤氏とは全く無関係です。
もしかしたら単に「日本系の食品会社と思わせたい」
ということなのかもしれません。知らんけど。

ちなみに、モモフクの商品はターゲットなどでも買え、
インスタント焼きそばなど、よく日清を研究していると思いました。


さて、わたしたちのここベイエリアでの生活はもう少し続きます。
最大のイベントは、MKのドームへの引っ越しです。


続く。

サンフランシスコ到着&ブースターショット接種

2022-09-01 | アメリカ
1ヶ月以上を過ごしたピッツバーグを去る日の朝。
早朝からどんよりした空模様だったのが、7時から雷雨⚡️になり、
よりによって荷物を車に積み込む時にピークになりました。



前日まで毎日のように通ったコーヒーショップ「コンステレーション」。
この日は最後ということで、コーヒー豆をいくつか見繕ってもらって、

「出発の朝、空港に行く前に立ち寄れたら寄ります」

と約束して去ったのですが、雷雨のせいで
予定より到着が遅くなってしまいました。



開店前でもいいよ、と言ってもらっていたので、
MKだけが店に入ってテイクアウトのコーヒーをもらい、
最後にお別れを言って去りました。



こんな雷雨でちゃんと飛行機飛ぶのか、と心配したのですが、
荒天だったのはピッツバーグだけで、しかも飛ぶ頃には晴れていました。

しかし、何の都合か離陸が遅れ、(多分これは雷雨のせい)
乗っていた便では、

「乗り継ぎの便があるお客様から先に降機していただきます」

と気を遣ってくれ、わたしたちはぎりぎり間に合いましたが、
中には機内にいる間に予定の便が出てしまったという人もいたようです。



シカゴ・オヘア空港からは無事に出発しました。
今回、アメリカ人がどうして手荷物を機内に持ち込みがちなのか、
そのわけが初めてわかりました。

それは、荷物を預けるとお金を取られるからです。

国際線はエコノミーなら1個まで、ビジネスなら2個まで無料ですが、
アメリカ国内はどうも全ての預け荷物が有料になったらしく、
意地でもお金払いたくないマンが、でかい荷物を持ち込むため、
機内の荷物入れが毎回大変なことになってしまうのでした。


自分のiPadでUnitedのHPにアクセスし、
好きな映画などを観たり、空港で買ったサンドイッチを食べたり、
(国内線エコノミーは食事は基本的に出ない)
ウトウトしながら過ごし、しばらくして窓を開けると、
前にも見たことがあるような気がする湖がありました。

後から地図で調べたところ、ヨセミテ国立公園を超えたところの
山脈を流れる大きな川が作る巨大なリザボア(貯水)湖で、
シェラネバダにあるマックルー(McClure)湖だとわかりました。


この写真には「アトウォーター」と地名が出てきたのですが、
何だか聞き覚えがあると思ったら、昔見に行って、ここで紹介した
「キャッスル航空博物館」のあるところではないですか。



あらためて地図を見るとかなり内陸です。
まあよくこんなところまで一人で車を運転して行ったもんだよ。

ここに写っている湖はトゥーロック(TurLock)湖で、全体が
カリフォルニア州立の巨大なレクリエーションエリアとなっています。

この時ふと「今どこにいるのか地図でわかるかな」と思い、
マップを出すと、もうこんなに西海岸に近づいていました。



チャウチラという面白い名前の地名が表示されていました。



この近辺は企業的な大規模農場がびっしりと並ぶので、
上空から見ると地面がこんなことになってます。


いつもここを飛ぶと感嘆せざるを得ない、山の高低と関係なく
あくまでも真っ直ぐリボンのように連なる送電線。

これだけの山に真っ直ぐ送電線を通すのに、何年かかったのでしょうか。



これも貯水湖で、カラヴェラス(Calaveras)湖といいます。
カラヴェラスとはスペイン語で「スカル」=骸骨のことだとか。

もうここはミルピタスという聞き慣れた街の山の隣で、
ここまでくればあとは空港まで8分という位置関係です。


そしてこれを見るといつもサンフランシスコにやってきた、と思う、
フリモントの塩田跡とそこにつながる野生動物保護地域。

元々塩池があったところなので、その後も塩分の濃度の違いによって
バクテリアや藻が、それぞれカラフルな色合いに染まっているのです。
赤いところほど塩分濃度が濃い場所なのだとか。


サンフランシスコは3年ぶりとなります。

かつて住み、その後も必ず夏に1ヶ月を過ごして
「心を置いてきた(I left my heart)場所」なので、
3年間はわたしにとってそれはそれは長い時間に感じました。

この写真はサンマテオのフォスターシティを上空ですが、
今回はこのフォスターシティにAirbnbを借りました。

空撮写真をご覧になってお分かりのように、
フォスターシティ(City of Foster City)は計画都市です。
その計画を行ったのが、T・ジャック・フォスターという人です。

1971年から都市となったというフォスターシティは、
計画的に湾岸を埋め立ててラグーンを造成して作られました。

広大な公園を配置し、街の真ん中に運河のような水を流し、
水辺には住宅地をこれも計画的に配置しています。

オラクルなど、サンマテオ郡南部からシリコンバレー北部にかけて所在する
IT企業の従業員や、日系企業の駐在員が在住する
ベイエリアの高級住宅街となっています。



さて、いよいよ飛行機は滑走路にアプローチ。

アメリカのパイロットらしい、ちょっとラフだけど、危なげのない
見事なランディングの後、飛行機を降りたわけですが、
レンタカーセンターに向かうモノレールを降りて、外の空気に触れた瞬間、
すっかり忘れていた匂いが、過去の記憶を伴って全身を包みました。

「あ・・・サンフランシスコの匂いだ」

わたしが感無量で呟くと、家族全員がうなずいて、それに同意しました。

それは、他のどの都市にもない、独特の香りです。

あえていうなら、潮の香りに、この一帯に特有の、
コースト・レッドウッドと呼ばれるセコイアの種類の木の香が混じり、
それに湿気のある空気を介在させたと言ったらいいでしょうか。

毎年訪れていた時には、森林の横を通り過ぎる時くらいしか
その匂いを意識したことはありませんでしたが、
しばらくぶりにそこに立つと、空港からその香りが懐かしく漂っていました。



空港からフォスターシティのAirbnbまでは、車で10分くらいです。

今回ここにAirbnbを選んだ理由は、価格の安さ。
今回のMKの落ち着き先である大学の寮の周辺は、シリコンバレーで
昨今異様に家賃が高騰しており、ホテルはもちろん、
Airbnbであっても、広さの割にお値段が・・・なところが多いからでした。

ここなら物件を選べば、ちょっとだけですが、お得に借りられます。



車は、小さなセダンで契約しておいて、ハーツゴールデンクラブという
VIPカスタマー特典で、大きなSUVを借りるという作戦を立てていましたが、
今回、車の選択をハーツのカウンターのおじさんに任せてみたところ、
フォードのエクスプローラーというゴツい車をアサインされました。

もし、シカゴの時のように自分で選んでいたら、
日本車のミニサブを選んでいたと思うのですが、おじさんに、

「日本車が良いんですけど」

と横から口を出してみたら、日本車はありませんと言下に言い切られました。
本当か?と大いに疑いましたが、今回はMKの引っ越しがあるので、
大きな車に越したことはないと考え直しました。

路上駐車を狭い路地にしなければならなかったピッツバーグと違い、
ここは広い駐車場が家の前にドーンとありますし、
日本ならいざ知らず、アメリカで車が大きくて困ることは一つもありません。

早速空港で荷物を積み込みましたが、
3人分のトランク合計6つと手荷物を軽々積むことができました。



今回借りた家は二階家の一階部分で、過去借りた人のコメントの中に
「二階の人の足音がうるさい」と言うのがあり、
確かにそれだけが気になる物件ですが、静かな住宅街で、
前に車が通ることも、週末に酔っ払いが前で騒ぐこともありません。
もちろん、どこに停めても駐車料金は必要ありません。

そして改めて感激したのは気候の素晴らしい快適さ。
何しろ、カリフォルニアは、基本砂漠の気候なので、
昼間の日差しは死ぬほど暑いですが、影に入ればひんやり。
朝夜は外では寒いくらい涼しくなります。

蒸し暑い夏が大嫌いなわたしには、願ってもない気候です。

物件はエアコンがない、という情報だったのでで少し心配しましたが、
実際はインテリジェント・エアーコンディショナーが完備していました。

夜になると外気は13度くらいになるので、
時おりエアコンから暖かい空気が出てくるくらいです。



広いキッチンダイニングはオーブンと大型冷蔵庫完備。
もちろん超大型洗濯機、乾燥機、食器洗い機も当たり前にあります。



寝室は二つ、バスルームも二つ、ベッドは三つ、
ワーキングデスクは二つと、わたしたちのためにあるような部屋です。


次の朝から早速近辺を探索がてら歩きに行きました。

3年前、最後のサンフランシスコとなった滞在で泊まった
バーリンゲームの豪邸から、いろんなところに歩きに行きましたが、
このベイトレイルもその時のお気に入りとなったところの一つです。



今回フォスターシティに滞在して初めて歩いたのは、
市内を流れるクリーク沿いの遊歩道。

さすが計画された都市だけあって、最初から水辺に道を作り、
その手前に住宅の庭が並んでいます。



古くからある街には、このような統制された計画はできないでしょう。
この人工的な眺めを感性が良しとするかどうかですが、とりあえず
IT関係の人々が住まうための高級住宅街として、評判は良いようです。



サンフランシスコに来るたびに、ゴミの捨て方が変わっています。

ピッツバーグにいた時には、それこそ何でもかんでも同じ袋に入れて、
同じゴミ箱に放り込んでおしまい、という(日本人には良心が痛んで
いつまで経っても慣れない)大雑把な方法でよかったのですが、
カリフォルニアはそうはいきません。

今回来たところ、

1、「コンポスト」=生ごみ類
2、「ランドフィル」=燃えないゴミ
3、「リサイクル」


と三つに分別するようになっていました。

生ごみを日本のようにプラスティックのバッグに入れて良いものか、
と悩んでいたら、部屋に備え付けの説明に、

「コンポスト(燃えるゴミ)を分けるのは、
それを地中に廃棄すると、メタンガスが発生するからです」

と書いてあって、納得がいきました。

まず、プラスティックなど、燃えないゴミは、ランドフィル、つまり
燃やさないで(燃やすと空気を汚染するので)埋め立てて処理します。

しかし、生ごみは必ず燃やして処理します。
燃えないゴミのように土中に埋めると、メタンガスが発生するからです。

ちなみにわたしの悩んでいた件ですが、がプラスティックバッグは
一緒に燃やしてしまえるので、生ごみを入れて出してもOKです。



わたしたちが着いた次の日がごみ収集日でした。

住民は、ゴミの日の前日夜に、三つのゴミ箱を
自分の家の前に出しておくことが義務付けられています。

まず青いゴミ箱=リサイクルごみを集める車が来ました。

どうやって集めるのかなとキッチンの窓から見ていたら、
うちの前ではドライバーが降りてきて、
ゴミ箱を移動させているではありませんか。

どうやらわたしは車を駐車するために、彼らにとって
収集しにくい場所か向きにゴミ箱を動かしてしまったらしいのです。

実にすまんかった。



ドライバーは運転席で車に備え付けのアームを作動させました。
ゴミ箱をしっかりとアームが捕らえ、



上部からゴミの中身をトラックに振り入れて・・・、


そっと下に戻すところまででワンセット。

午前中までにランドフィル収集車、コンポスト収集車が
合計3台やってきて、見事にゴミを収集していきました。

道に置かれたゴミ箱は、その日の午後に
Airbnbのオーナーが、元のガレージの前に戻してくれていました。


■ COVID-19ブースターショットを受ける



サンマテオに着いてすぐ、日本政府が入国前の現地PCR検査を
9月7日に廃止するという大朗報が飛び込みました。

廃止の動きがあるというニュースが報じられた時、
わたしたちが帰るまでに実施してくれないかなあ、と言っていたのですが、
その願いはどうやらなんとか日本政府に届いたようです。

条件はワクチンを3回接種していること。

わたしは昨年ピッツバーグで2回接種をしていたので、
初めてのブースターショットとなる3度目を受ければOKってことね。

というわけで、ニュースを聞いてすぐにオンラインで予約をし、
翌日にはRite Aidという大型ファーマシーに受けにいきました。

わたしは去年と同じファイザー、同時に受けたTOは
やはり去年と同じモデルナを打ちました。

わたしは当日から腕が重く、翌朝から本格的に熱っぽくて
その日1日病人モードでずっとベッドでうつらうつらして過ごしましたが、
驚いたのは、TOの症状が全く翌日出なかったことです。

朝はMKと一緒に散歩に出て近所を歩き、
近くの台湾ベーカリーでパイナップルケーキを買ってきて、
前日の残りのお惣菜を調理して二人で食べたりして、

「なんでそんなに元気なの」

と思わずちゃんと打ったのかどうか心配になるくらいでしたが、
副反応は、体質とか年齢とか、ファイザーかモデルナかでも違うようで、
TOは一日元気に過ごし、夜になって、

「あ、熱が出てきた・・・寝る」

と言ってベッドに行き、翌日元気になって起きてきました。

日本政府が今回検査を廃止したのは、先進国中、
入国制限を厳しく行なっていた唯一の国のくせに、
感染者数が爆発的に増えていたりと、その対策に疑問の声と非難が上がり、
外国人が入りにくいということで困り果てた企業団体や経済界など、
各方面からせっつかれて辞めざるを得なかったのだと思っています。

その方法も、なんというか大変人をイラつかせるものでしたし。
例えば、入国に必要な書類に検査者のサインが必要な件。

実際、アメリカ検査者のサインが欲しいというと、

「は?検査者って言われましてもそれは」

みたいな感じで全く噛み合わず、これで苦労した人は多かったと思います。

いうたら「リアル」というのを全く考慮しない、日本のお役所的な、
いまだに蔓延るハンコ絶対主義みたいなのが反映されたやり方は、
経験した人なら誰もがその無意味さに首を傾げずにはいられないものでした。

まあともあれ、これで入国前の検査も、
入国後の訳のわからん検査も待機も必要無くなったわけだ。

めでたい。


続く。






Whole Foods Market グランドオープン〜ピッツバーグ滞在記

2022-08-24 | アメリカ

先日、とても悲しいことがありました。

散歩の時にいつも使っているBOSEのウェアラブル型イヤフォンが
見つからないので、しばらく記憶を辿っていたのですが、
ふと思いついて昨日車を停めた場所に行ってみたところ、そこには


ねじ曲がったフレームと、外れたレンズの変わり果てた姿が・・・。

なぜこんなことが起こったかというと、その理由は
今のAirbnbの駐車事情にあります。

今住んでいるアパートには駐車場がついていません。
しかし近隣の住宅街は駐禁時間を除き24時間長時間駐車可能なので、
その辺をぐるっと回って空いていればそこに停めています。

駐禁期間というのは、ストリートクリーニングやゴミ収集の車が通る時間。

一度、今日は妙に空きスペースが多いなと思いつつ駐車して降りて歩き出したら
後ろからお爺さんが「フィッフィー!」とわたしを口笛で呼び止め、

「今日はストリートクリーニングだから午後まで停められないよ」

おお、親切にありがとうございます、とお礼を言って車を動かしました。



アパートはメインの通りに面していて、朝8時から夕方6時までは有料です。
ただ、料金は1時間1ドルなので、荷物を積み込むなどの用事がある時には
各ブロック備え付けの機械にお金を払って家の前に停めることにしています。


この日は、翌日にMKの荷物をUーBOXに積み込む予定だったのですが、
週末で家の前に停められなかったため、一旦住宅街に停めておいて、
通りから車が消えてから車を移動することにしました。

これが今回の事故の原因となります。

というのは、最初に住宅街に停めて車を降りた時、わたしは
いつもの癖で左の膝にサングラス型イヤフォンを乗せていたのを忘れて、
その脚を外に踏み出したときに地面に落ちたのに気づかず、
サングラスを地面に落としたまま、その場を去ったのでした。


暗がりの道でサングラスは車の横の路上に落ちた状態。

そのまま朝まで車を動かさなければ何事も起こらなかったのですが、
この日に限ってわたしは夜遅くに車を動かしました。

そしてその際自分の車で自分のサングラスを轢いたと思われます。

破損状況から推察すると、
縦列駐車させた車を出すためにバックさせたとき、後進した左の前輪で
地面にあったフレームの右側のツルだけを踏んだようです。

レンズは綺麗に外れてそのままの形で転がっていましたし、
さらに驚くことに電源を入れてみたら普通に再生できました。

人間の顔に装着することもできないくらい歪んでいるのに、
イヤフォンとしての機能は全く損なわれていないのが、悲しい。



ウェラブル型イヤフォンは、ドライブ時にもサングラスとして使うので、
わたしはこれがないと夏場生きていけないと言っても過言ではなく、
悔し涙にくれながらも、次の日ベストバイに代替品を買いに行きました。

元々、壊したサングラスは、不具合がちょうど1年おきに起こり、
その度にBOSEに丸ごと交換してもらった三代目だったので、
もう十分元を取ったと自分で自分に言い訳をしながら・・・。

しかし、新しいのを使ってみて、これは買い替えて正解だったと納得しました。
同製品は2年経って機能が進化していたのです。

例えば先代は、音量を上げるのを「ボタンを押しながら激しく右を向く」
という側から見てもイマイチな方法で行うことになっていましたが、
これだと、フレームの右側を前に向かって指で擦るだけでOKです。

フレームの材質も、前の艶消しから艶ありになって、
鼻に角部分が当たることも無くなって大変快適なものになっていました。

■ Whole Foods Marketの移転

アメリカの大型オーガニックスーパー、Whole Foods Market。
ピッツバーグ近辺にはいまだに三店舗しかありません。

長年お世話になっているピッツバーグ中心街にある店舗にある日、
大きく「8月10日移転(moving)!」と張り紙がされました。

確かにその店舗は利用者の数に対してアメリカのスーパーにしては狭く、
大型カートが(日本のカートの三倍くらいのもの)使えず、
さらに駐車場は露天だったので、移転が計画されたようです。

今までアメリカ生活を長らく経験してきましたが、
スーパーマーケットが新しくオープンするのを見るのは初めてです。

わたしたちはその日を楽しみに待ちました。


いよいよオープン初日。
新しい店舗は旧店舗のすぐ近くのビルの一階に入っています。
当日にはGoogleマップの住所検索が新店舗に変わっていてちょっとびっくり。

「イーストリバティ店、2022年開業」と書かれたエレベーターホール。



店舗には駐車場からホールを経て一階登って入っていきます。
最初なので、駐車場には案内係が配置されていました。

それにしてもこの綺麗な床、こんなものが拝めるのは、
オープン初日の午前中だけであることをわたしたちはすぐ知ることになります。

このWhole Foods Marketにはこののち約十日滞在して何度か行きましたが、
10日の間に既に床には何かをこぼしたシミができていましたし、
駐車場の柱に早くも車をぶつけた人がいたらしく、傷ができていました。



オープン日の午前中ということで、店内にはアメリカには珍しい、
関係者らしいスーツを着たビジネスパーソンの姿もちらほら。



それよりこの野菜売り場をご覧ください。
これこそ、オープン初日の午前中にしか見ることのできない、
整然と並べられたまるで宣伝画像のような美しさ。

店内で使うカートも全て新調されたもので、ピカピカでした。



お菓子売り場には、こんなローカル柄(ピッツバーグのシンボル黄色い橋)
を取り入れたデコレーションのケーキ(パイかな)があったり。

化粧品やドラッグ、洗剤などの日用品コーナーを見ていたら、
お店の人が近づいてきて、

「今日1日だけ全ての商品が25%引きになります」

と教えてくれたので、わたしはここぞとばかりに愛用している商品を
西海岸に送り、さらに日本に空輸するつもりで買い込みました。



旧店舗はアメリカのスーパーにしては面積が小さく、
Whole Foodsにしてはイートインのコーナーが元々狭かったのですが、
さらにCOVID-19の影響で、イートインコーナーを全て
オンラインデリバリーの倉庫にしてしまった関係で、
最近は外にテントを作ってイートインにしていました。

今度の店舗はテレビ画面が備え付けられたゆったりしたスペースで
買ったものを食べることができますし、外にもテーブルをたくさん設置して
季節の良い時にはアウトドアも楽しむことができるようになりました。

■ あなたの落とした斧は?

基本的にここでの食事は昼は部屋で味噌汁や納豆を使って作り、
日本にいるのと同じようなものを食べています。

市内には日本人経営の日本食料を扱うお店があって、納豆、
(日本で愛用しているのと同じメーカーのもの)
油揚げや塩麹、サバのフィレなどはそこで調達します。

先日、山芋を見つけて手に取ったら、誤って床に落としてしまいました。
それをカゴに入れて他の商品と一緒にレジに持って行くと、
レジの店主が床にぶつかって角の潰れた山芋を見て、

「これ、落としたんですか?」

その口調になぜか狼狽して、は、はあ・・と恐縮するわたし。

「すりおろしてしまったら同じですし・・」

するとご主人、じゃあ割引させてもらいます、とおっしゃるので、
慌てて、いや、落としたのはわたしですからと辞退したのですが、

「床に落としてもそのまま棚に戻す人がほとんどですよ。
でもそんなのもう売れませんから、買っていただけるのはありがたいです」

なんか、「あなたの落としたのは金の斧ですか」の童話の
正直爺さんになった気分でした。

■ 各国グルメ


日本、中でも東京ほど世界各国の美味しい食事が堪能できる都市はありません。
随分前に、日本のミシュランの星獲得店がフランスを抜いて
世界一になったというニュースには、驚きながらも
まあこれだけお店が鎬を削っていれば当然だろうと頷いたものです。

しかし、アメリカというところは、ミシュランとは無縁でも、
世界中からやってきた人たちが料理を作り、
その国出身の人たちが利用するレストランが普通にあります。

例えばこの店は、MKのアパートと大学の間にある、
フランス人経営のクレープカフェ。

もう外側からしてパリのクレープ屋さんという感じです。

ミシュランとは無縁でも、その国らしさを最大限に味わえる店が
地元の人々に愛され溶け込み、間接的にその国の魅力を伝えている、
これが多民族国家アメリカの最大の強みであり豊かな部分です。



このクレープ屋さん、注文はカウンターの窓口で行います。

この日は週末だったので外まで溢れる人が列を成していましたが、
何しろ作る人が、ガラスの奥で働いているオーナーのフランスおじさんだけ、
注文を取ってテーブルに持っていくのはマダムらしき女性だけ、
と二人っきりでキリキリまいしているので、なかなか順番が回ってきません。

しかも店主は、注文が済むまでカフェのテーブルに座ることを厳禁していて、
それを知らず待っている間にテーブルを取る客が現れると、
この忙しそうなのにわざわざガラスの後ろから出てきて、
客に向かって、「注文してから座ってください!」と注意するのです。

今あなたがそれをする?と側から見ても思うのですが。



そして出てきた食事クレープがこれ。
わたしはサーモンの入ったサラダ付きクレープを頼んでみました。

お店には人手を募集する貼り紙がしてありましたが、
この切羽詰まっている状態なのに、きっとこのお店には
応募しにくい何かがあるのかなとつい考えてしまいます。



本来は紅茶を楽しむお店にしたかったのかもしれません。

特別にティーメニューが掲げられ、使っているのは
マリアージュ・フレールの紅茶と、日本ならそれだけで人気が出そうですが、
ところがどっこい、アメリカ人って、本当に紅茶飲まないんだよなー。

お店も、せっかく人が並ぶほど流行っているのに、
店主の様子にどうにも余裕がないというか、見ていて辛いというか。

美味しいとか不味い以前に、店のこれからが案じられました。



さて、いかに日本にいろんなレストランがあると言っても、

「ポーランドのビーガン料理」

というのは流石にどこを探してもなさそうですが、ここにはあるんだ。
ポーランド人の経営するビーガンレストランが。



そもそもポーランド料理がどんなものかすらよくわからないのに、
なぜよりによってそのビーガンを食べることになったかというと、
シェフが例のMK行きつけのコーヒー専門店の常連で、
その名前と存在を知ったからです。

お店の名前はアプテカ(APTEKA)

ポーランド語で「薬局」という意味の、よくわからんネーミングですが、
ビーガンと何か意味合い的に関係あるのかもしれません。

予約は受け付けず全てウォークイン、しかも営業が金土日のみ、
というやる気があるのかないのかわからないお店ですが、
わたしたちが行った日はほぼ満席でした。

アメリカにはこんなにポーランドの、しかもビーガン料理を食べたい人が
たくさんいるのか、とちょっと驚いたほどです。



ポーランドはドイツと近いせいか、ザワークラウトを食べますが、
ロシアとも近いので、ボルシチ的なもの(バルシチ)も食べます。

最もポーランドの象徴的な料理はpierogi(ピエロギ)でしょうか。

ピエロギは西洋風餃子またはラビオリとでもいうべきダンプリングで、
中に詰めるのは基本的にほぼなんでも良いようですが、
この写真の細長いピエロギのように、パスタ的に食べることもあります。



評判のアメリカ料理(高級)にも行ってみました。
お店の名前はスポルク(Spork)



スポルクって、どういう意味だと思います?
テーブルの右端にある、これのことです。

先割れスプーン

アメリカには、先割れスプーン=「スプーン+フォーク」で
「スポルク」
という名称で発明し、特許を取った人がいます。

日本では1950年代頃に登場し、1990年代からは幼児用、
コンビニ弁当用、また介護の場でも現在進行形で利用されています。

一時学校給食の場で先割れスプーンが盛んに用いられたことがありますが、
『箸の使い方を知らない子供が増える』
という批判の声が起きて、廃止になったそうです。

面白い(根拠のない)のとしては、先割れスプーンは、

「1940年代に敗戦後の日本を西洋化するべく
マッカーサー元帥と米軍によって発明され、
GHQの命により占領下日本の公的教育機関に導入された


という噂があります。

もちろんこれは全くの嘘で、先割れスプーンを発明したのは
マッカーサーではなかったこともわかっています。

てか、いくらなんでもマッカーサーそんな暇じゃないだろう。


驚いたのが、アメリカのレストランで初めて出てきた
「注文もしていない前菜=お通し」

大きな盃ほどの器に注がれて出てきたこのスープは美味しくて、
これから始まるメニューへの期待を抱かせました。



TOが頼んだズッキーニの入ったカクテル
メキシコのリュウゼツランから作ったメスカルというお酒が入っています。

ちょっと試してみましたが、変な味でした。
パークリングウォーターで割ったらちょっとマシになったようです。



最も驚かされたのが、これも頼んでいない漬物が出てきたことでした。
アメリカ風にアレンジしたものではなく、本当の漬物です。

ピクルスとたくあんとその他は古漬けの味がしました。

ここの特徴は、真空パック調理で下味をつけていることですが、
まさか本物の古漬けが出てくるとは予想していませんでした。


文句なしに美味しすぎのパン。

料理の添え物としてのありきたりのパンではなく、
立派に主食を張れるようなとてつもなく味わい深いパンです。

しょうもないパンであれば、わたしは基本グルテンフリーなので
パスするところですが、これは食べずにいられませんでした。

間違いなく、これまでアメリカで食べた最高のパンのひとつでした。


そして野菜が何を食べても美味しかったのは、
レストランの隣の畑で栽培しているからだったのです!
(左の煉瓦造りの建物がお店です)

流通経路なし、畑からお皿にダイレクト直送。

流石はアメリカ、土地が広いとこういうこともできるんですね。


続く。




U-BOXでの引越しとジャパニーズレストラン「Gi-Jin」のお味〜ピッツバーグ滞在

2022-08-20 | アメリカ

ピッツバーグを去る日が近づいてきました。

■MKの引っ越しとU-HAULのU-BOX



1年間お世話になったアパートから、まず荷物を出す日。
この一帯は大学が集中しており、大学生が多いことから、
契約は同じ日(夏は7月31日)に一斉に切れるため、この日には
アパート中が引っ越しで大変な騒動になります。

そのためエレベーターはいくら待っても来ず、来たとしても
荷物と人がいっぱいで降りられないということになるので、
可能な人は少し早めに荷物を動かしたりして、
当日の移動をできるだけ最小限にしようと努力します。

それでも16階建でワンフロアに50部屋はあろうかというアパートなので、
最後の日とその前日には、ゴミ集積所には
粗大ゴミと潰していない段ボールが山をなすことになります。

退出期限の前の夜、ゴミ集積所を通りかかって驚いたのは、
その粗大ゴミを狙って、組織的にゴミを漁る人々が群がっていたことです。

わたしが見たのはインド人の一家総出で、夜遅くにも関わらず
小さい女の子がゴミ集積所で子供用の自転車を見つけ、
お宝ゲットだぜ!と言わんばかりに乗り回していました。

学生街のアパート退出時期は毎年決まっているので、
これを目当てに「商売」している人がいるということを知った夜でした。



MKの部屋は、同じ大学の院に進む予定の彼の友人が
後を引き継いで住むことになってるので、母親としては
息子のよき友人関係の存続のためを思い、特に頑張って掃除をしました。

もちろん退去後は業者が掃除をしますが、一年前の体験から言うと、
業者の掃除というのは割といい加減なものなのです。(トイレとか特に)


そして、アパートから引き揚げた荷物を、Airbnbに運び込みました。

去年の引っ越しの時、わたしはその名も「ザ・コンテナ」という
入れ物ならなんでも買える店(こんまりさんとのコラボコーナーあり)で、
透明で大型、車輪付きのコンテナを大量買いしておいたので、
今回もそれに何もかも詰め込んで運んでしまえばいいだけでです。

このコンテナはよくできていて、移動が簡単な上、
使わない時は重ねて置けるので、引っ越しの多い学生にはピッタリです。

あとは、この荷物をU-HAULという引っ越し業者に持って行って、
自分が借りている大型コンテナU-BOXに詰めていくのです。



U-HAULとの契約の日には、まずオフィスで
送ってもらうU-BOXの鍵を受け取ります。

U-BOXにアクセスできるのは、鍵をもらった日を含めて二日と
最終日の午前中までの間と決まっていますので、
この間に車で荷物をせっせと運んで積み込んでいきます。



そして、自分の契約したコンテナのある場所に車を停めます。
右側にずらっと並んでいるのが陸路輸送用のコンテナ。

これをフォークリフトでトラックに積んで、大陸横断します。



寒い地域なので、ガレージ内にこれでもかとストーブが(しかも宙吊り)。
いったいいつの時代の暖房設備なんでしょうか。



もらった鍵でU-BOXの南京錠を開けます。

鍵は買取式となっており、引っ越しが済んだら自分のものになり、
返却の必要もないので、過去の借主からの盗難を心配することもありません。

この鍵は所有者に二つ渡され、業者が中を見ることはありません。
ですから、コンテナの中に入れてはいけないものや、
梱包の仕方は契約にしっかりと書かれています。

もちろんですが、食べ物と生き物、植物は絶対に同梱厳禁です。
およそ二週間の間、空調なしの空間ですから当然ですね。


開けてみると、中はカプセル式の防音室くらいの広さでした。
結構広いのでびっくりです。

メキシコからの不法移民が、このUBOXに入って国境越えを企み、
このケースに数十人が入っていてほぼ全滅していた、
というニュースを先日も目にした覚えがありますが、一瞬だけなら
ちょっとの我慢で行けそう、と思っても仕方ないくらいの広さではあります。

とりあえずコンテナを一つ入れてみます。


荷物を全部収めたところで、MKと一緒の記念写真を撮っておきました。
奥にいるMKの大きさで、コンテナの広さがお分かりいただけるかと。

家具が全くないので、床一面コンテナケースが並んだ状態です。
これはちょっとスペース的に勿体無かったかも・・。

引っ越しの荷物のトラッキングシステムがないので、MKは
コンテナケースの一つにappleのAirTagを入れておき、
今どこにいるのかチェックすることにしました。

このAirTagというブツ、わたしもパスポートと一緒にしていますが、
誰かiPhoneを持っている人が近くにいて中継局の役割をしないと
追跡できないという特性があるらしいので、
もしドライバーがiPhoneユーザーでなかったら、
システムが用をなすのは、ドライバーが立ち寄ったレストランや
隣を走っている車にiPhoneがあった場合だけとなります。

荷物を入れて2日間、AirTagはU-HAULからピクリとも動かず、
家族全員で気を揉んでいたのですが、二日目の夜急に動き出しました。



その後順調にオハイオまで行ったのですが、
いつまで経ってもオハイオから出ていかないのでまたも心配しています。

これは今朝、デイトン(国立航空博物館のあるところ)にいるところを
キャプチャしたものですが、高速道路上にいるのか、
それとも道を外れて停まっているのかまではわかりません。





■ 高級ジャパニーズレストラン「Gi-Jin(外人)」


先日ご紹介したピッツバーグの「高い」「不味い」「日本食じゃない」
三拍子揃った恐怖の低評価ジャパニーズレストラン、「UMI」。

その非難渦巻くコメントの中に、「Gi-Jinの方がずっと価値がある」
という言葉を見つけたので、早速この日本食レストランの予約を取りました。

写真はダウンタウンにある(ハインツホールの向かい)お店の外側。
何も知らずに街を歩いていて、「外人」という暖簾を見つけたら、
日本人はかなり驚かされそうです。

店名の「JIN」はお酒のジンとかけてあり、
ジンを使ったお酒が得意であるという意味もあるようです。

ただし、わたしは日本の文献や慣習などで
「外人」が「ぎじん」と読まれた例を寡聞にして知りません。

「ガイジン」→「Gaijin」→「Gijin」と崩して行った結果でしょうか。


「UMI」のように妙に日本に寄せすぎて、日本人から見ると
結局大きくハズしているところが残念、というのと違い、
インテリアはそこそこ日本のテイストを盛り込みながらもモダンです。

店の一面を占めるカウンターはバーと料理がどちらも出てくる形。
左の方の人がバーテンダーで、ここからお酒が出てきます。

後ろのボトル棚には獺祭などの日本酒の瓶が並びます。

この日は週末で、さすが予約の取れないお店らしく、
早い時間なのに既に満席になりかけていました。


アミューズ、日本の居酒屋でいうお通しは枝豆。

アメリカでは普通に「Edamame」といって、よく利用されますが、
ほとんどが冷凍のものを茹でただけなのに対し、ここは
ちゃんと生の枝豆から茹でて味付けをしてあったのには感心しました。

しかも、塩のみではなくチリで味をつけてあります。


味噌汁はしっかり出汁を取っていてそれは大変結構なのですが、
出汁が椎茸だったのには虚をつかれた思いがしました。

いただいてみると、それもそのはず、具が椎茸でした。

椎茸の味噌汁・・・日本ではあまりやりませんが、好きな人もいるのかな。


箸置きもちゃんと用意されております。



これと極似。


家族全員のためにサシミプレートを注文してみました。
シソが枯れていない。これはポイント高し(どんな低めのポイントだ)。

普通に美味しい刺身でしたが、それより驚いたのは
刺身にたくあんが添えられていたこと、
そしてそのたくあんがむやみに美味しかったことです。



ここまで大変ポイントが高かった「Gi-Jin」ですが、
おおっと、ここで出てきた握りにトッピングが!

だから、サーモンにトマト乗せるのやめてくれんかな。
レモンはまだいいとして、ハラペーニョ乗せるのもやめていただきたい。
マグロに海苔もいらん。

この、握りにトッピング載せずにはいられない感覚って、なんなんだろう。
一種の「隙間恐怖症」みたいなものでしょうか。

握りそのものは、しょせん「アメリカの寿司」の範疇を出ておらず、
ネタの割りにご飯の面積が大きすぎてあまり褒められない口触りでしたが、


「握りトッピング」で暗雲の立ち込めた当店への評価ゲージ。
最後に頼んでみた「TEMAKI」で跳ね上がることになりました。

アメリカ人が黒い海苔で巻かれた食べ物を内心嫌いなせいで、
「カリフォルニア巻き」というようなアバンギャルドな寿司が
あたかも元々日本にあるものであるかのように思われていますが、
その傾向をここにも見ることができます。

手巻きといいつつ、海苔で巻き切らず?具を見せて提供しているのです。

この状態では手に持って寿司を食べられませんから、当店では
専用の「手巻き置き器」を使って、ここから口に運ぶ仕組みです。

これだと、黒々とした海苔はあまり目につきませんし、
中に何が入っているのか分かりますし(そらそうだ)、
なんと言っても海苔が湿気る時間をちょっとだけ遅らせることもできます。

「ほー・・・これが手巻き・・・」

思わずこのナイスなアイデアに感心しつつもあまり期待せず、
頼んでみたカリフォルニアロールを一口食べて、わたしは唸りました。

「何これ美味しい」

日本の手巻きとは似て非なるものであることは最初からわかっていますが、
この「美味しい」の正体が、寿司の真ん中に仕込まれた
少量のバターであることを知ってさらに驚きました。

しかもただのバターではありません。ブール・モンテです。

ブール・モンテとは、一口で言えば溶かしバターのことですが、
通常バターが分解される温度よりも高い温度でも
乳化状態を保つ溶かしバターという定義があります。

ちょっと面白いので紹介しておきますと、
通常、バターは70℃で分解されるものですが、ブール・モンテは
82〜88℃まで加熱し、乳化状態を維持することができ、
ソースや焼いた肉を休ませる材料など、さまざまな使い方ができます。

【ブール・モンテの作り方】

15〜60ml(大さじ1〜4)の水を沸騰させる
沸騰したら火を弱め、冷たいバターを1~2個ずつ入れて泡立てる
バターが溶けてきたら、さらにバターを加える
乳化が始まったら、さらに一度にバターを加える

好みの量のブールモンテができるまで、泡立てながらバターを加え続ける

出来上がり!

その後、88℃以下に保たないと成分が壊れてしまうので注意

という手間をかけて作ったものなのか、それとも単なる溶かしバターか、
それがわかるほどの量ではありませんでしたが、
少なくとも最後に仕込まれた意外な風味に驚かされたのは確かです。

しかもこの手巻き、トビコのわさびあえと極小の天かすが入っていて、
なんとも言えない歯触りの面白さを楽しめる一品となっています。

日本の寿司屋では決して生まれないであろうアイデアですが、
これもまたアメリカの寿司として、悪くないと感心しました。



そしてデザートは、「Matcha Mis」とチョコレートトルテ。
チョコトルテは普通でしたが、この抹茶ミス、なかなか結構な味でした。

このネーミングはもちろん「ティラミス」から来ていますが、
「抹茶」に「ミス」を加えるというのはちょっと乱暴です。

なぜなら、ティラミスの語源は「Tirami su!」
(イタリア語で『私を引っ張りあげて』転じて『私を元気づけて』)
ですから、「mis」を残すのは全く語源の意味をなさないのです。

だからと言って「Matcha-su」だとどんなデザートか想像もつきませんから、
このような苦しいネーミングに落ち着いたのでしょう。

普通に「抹茶ティラミス」じゃいかんかったのか。



続く。





コーヒーとグルメとパイレーツ〜ピッツバーグに住む

2022-08-14 | アメリカ

昨日、ちょっと怖かったこと。

車に乗り込む前に、TOと次の行き先について、

「ウェックスフォードのホールフーズ(マーケット)に行かない?」

と会話していました。

直後に携帯を車に繋ぎ、appleCarPlayで
一番近いWhole Foods Marketを検索しようと「W」を入れた途端、
画面には「Wexford」と表示されたのです。
(ちなみにそれまでウェックスフォードを検索したことはなかった)

携帯電話が人の会話を聴いていることがわかった瞬間でした。



さて、ピッツバーグに旅装を解いて早くも1ヶ月が経過しました。
この間の最も重要なミッションの一つ、
MKのアパートから荷物を運び出す仕事が無事に終わり、
その荷物を我々のAirbnbの部屋に運び込むところまでが終わりました。

わたしが選び抜いたAirbnbの立地は、なんと
彼がインターンシップで仕事をしている会社から歩いて5〜6分。

9時からの就業にうちで朝ごはんをちゃんと食べてから行くという、
おそらく彼には今後しばらくないであろう規則正しい生活を楽しんでいます。


引っ越し前のアパートと、職場の間には、
MKの御用達コーヒーショップ、「コンステレーション」があります。

COVID-19の流行後はカフェであった部分を閉め、
カウンターには何人たりとも近寄らないように、という意味で、
結界線を張って営業していたのですが、今回MKと一緒に行ってみると、
なんとMKは結界のこちら側のカウンターでコーヒーを飲むことができる
「VIPカスタマー」に出世しているではありませんか。



当然、MKと一緒に行ったわたしもカウンターに座らせてもらいます。

なんとMK、その後このお店の人から気に入られたのか、
互いにファーストネームを呼び合う仲にまでなっていました。

卒業後、インターンシップの会社に通うことになった彼は、
わたしたちが来るまで、バスでやってきて通勤前に開店と同時に入店し、
朝ご飯のマフィンとコーヒーの後歩いて職場まで通っていたというのです。



早速わたしも久しぶりのプアオーバーを楽しみました。


カウンターに座って初めて知ったのですが、オーナーのクリフは
毎日豆の種類によって配合を研究するため、
オレンジ色の電卓で計算をしてその結果を左のノートに書き込んでいます。

普通に機械で淹れて提供するコーヒーのことは「バッチ」(batch、
一塊という意味でいっぺんに入れたもの)と言いますが、
バッチコーヒーもそれなりに美味しいのがこのお店。

しかし、プアオーバー(手淹れ)を注文されると、彼は
研究熱心な科学者のような態度で会心の一杯を淹れようと張り切ります。

その理由について、彼は一度MKに

「ただ普通に淹れているだけだと仕事が面白くないから」

と言ったそうですが、いずれにせよそのこだわりは
使用する水に浸透膜濾過器を使うというような選択に現れています。

かといってそれほど気負い込んだものではなく、

「おいしい水と旨くローストした豆を使えば、
そんなに苦労することなく誰でも美味しいコーヒーは淹れられる」

二つは矛盾するようですが、どちらも真実なのでしょう。

また、クリフが自分の仕事に厳しいのは驚くべきで、
今回、何度かコーヒーを頼みましたが、
あまり上手くいかなかった、と言って淹れなおしたのが一回、
今日のは満足しなかったから次のは無料にする、と言われたのが2回。

失敗したと彼がいうのを飲んでも、そんなに変だと思わなかったのですが、
何か途轍もないこだわりを持っていることだけはよくわかります。


そんなこの珈琲店。

最初からいい「気」が満ちている場所だと思っていましたが、
こうやってゆったりとカウンターに座っている時の気分は最高です。

飾りの少ない店内ですが、イコンのようなものがあり、
蝋燭が備えてあったので、クリフはロシア系かと思ったのですが、
MKによると、ドイツ系ということでした。

計算しながらコーヒーを淹れている彼の姿を見ると、それも納得です。


前にも書きましたが、このオーナーの腕には、刺青が全面に施されています。

アメリカに来るたび、人々の刺青着用率が増えていく気がしていますが、
若い人ばかりではなく、いい年をした初老の男女が、
揃ってふくらはぎなどに変な柄を入れていたりするのを見ると、
一生取れないのに、その柄をそこに入れてよかったの?
とちょっと聞いてみたくなったりします。聞きませんけど。

まあ、ここのクリフとエイミーの場合は、それが似合っている
(ヒッピー的な意味で)のでいいんじゃない、としか思いませんが。



この日はお店が混んでいたので、カウンターは遠慮して
隣の空き地にあるテーブルでコーヒーを楽しみました。

ピッツバーグは時々蒸し暑くなって豪雨が降ることもありますが、
おおむね日本より湿度は低く、気温が高くても
日陰に入れば快適に過ごせるので、外での飲食は人気です。



MKもこの街に住んで友達と色々とお店を巡った経験から
いいなと思った店に親を連れて行ってくれるようになりました。

ここはケーキショップですが、夜遅くまで営業していて、
この日も、たくさんの甘党さんが
夕食後のケーキを楽しみに来ていました。(やはり女子率高し)


今のご時世を反映して、ビーガンケーキが食べられます。
3人で普通のケーキひとつとビーガンケーキひとつを選んでみました。
(でもどっちがビーガンだったか忘れた)


この日は雷雨と言ってもいいくらいの土砂降りとなってしまいました。
  The Butterwood Bake Consortium というのがお店の名前。
あえて訳すなら、

「バターの森 焼き物協同組合」

みたいな感じかな。



また別の日、前回行って全員が気に入ったグリルレストランに、
今度は最初からカウンターの観覧席を希望して行きました。



前回好評だった人参のソテー。
アメリカの人参は日本のより細長い鉛筆のような形状で、
「ヘアルーム・キャロット」と言いますが、
それをそのまま短く切って火を加えると大変甘みのあるソテーになります。

これ以降、わたしはにんじんを買ってきては
頻繁にこれでスープ味のソテーを作るようになりました。

ここのはおそらく照りをバターでつけてます。


TOが選んだのはポレンタ。
ポレンタとはトウモロコシの粉から作った練り物みたいなもので、
ここではそれにカポナータ(ナスやトマトを揚げて甘酢で和えたもの)、
それからフェタチーズをまぶしてあります。


これはわたしがオーダーしたツナのステーキ。
シシトウが親の仇のようにたくさん乗っかっていて、
MKにも食べてもらいましたが、ちょっと多すぎでした。

味というより見た目のために乗せたようです。




MKはさすが若者、ハンガーステーキに挑戦していました。

ハンガーステーキ(hanger steak)とは、牛の上腹部、
肉の部位の中でも最も柔らかいとされている部分のステーキです。

上にかかっているソースのことを、サーブしてくれたウェイターは
「ウォータークレスのチミチュリ・ソースです」と言いましたが、
「チミチュリ」が言いにくいのか、ちょっと噛み気味でした。

アルゼンチン発のチミチュリソースは、パセリとニンニクのみじん切りを、
オリーブオイルと白ワインビネガーなどで和えたもので、
おそらくこれはパセリの代わりにクレソンを使っています。


デザートは3人で二種類頼むことにしました。
これは焼いていない、つまりレアチーズケーキ。



こちらのチョコレートケーキは小麦粉を使わずに焼いてあります。
どちらも結構なお味でしたが、まあ普通でした。



ここはキッチンで働く人たちや薪のオーブンが
ガラス越しに見える「鑑賞席」ですが、写真を後で見てみたら
中の人がカメラ目線で挨拶をしていました。



日課の散歩は、毎朝気の向くまま、いろんなところに行くつもりでしたが、
交通の便の関係と、それから、朝の時間も結構暑い日が多く、
日向の多いコースは歩くだけで消耗してしまうので、
結局いつも同じ公園の同じ木陰の多いコースを歩いています。



朝早い時間でなくとも、山奥なので普通に鹿と遭遇します。


ノースエンドという球場の近くのトレイルにも一度行ってみましたが、
ここは今年、とんでもないことに、遊歩道沿いにびっしりと、
ホームレスがテント村を築き上げている事態になっていました。

今時のホームレスなので、テントはどこで拾ってくるのか、
普通のキャンプ用の立派なものばかりですし、
彼らなりに地域に溶け込む努力のつもりなのか、ゴミはひと所に集めて、
テントの外に靴をきちんと揃えて脱いでいたりしていましたが、
それでもホームレスはホームレス。

道端のテントから巨大な裸足の脚が出ているとギョッとしますし、
ベンチに座っているホームレスに愛想よく挨拶されても困りますし、
なんと言っても集団で暮らしている現場付近は臭いがすごいのです。

彼らの中にもヒエラルキーみたいなのがあって、力のある人は
道の脇と言っても天井(橋の下)がある所にテントを持てますが、
中にはテントもなしに木の下とかに住んでいる人もいました。

それにしても、ピッツバーグのホームレス業界で、
わずか1年の間に一体何があったのでしょうか。



今年の夏で我が家はピッツバーグから去ることになります。

しかし、もし将来また戻ってくる日が来たとしても、
この川沿いのトレイルにはもう2度と来ることはないでしょう。
このままホームレスが住み着いてしまったら尚更です。

本来ここは川でウォータースポーツをしたり、
ボートを持っている人が係留して岸辺でパーティを楽しんだり、
という何方かと言えば豊かな人々が集まる場所だと思っていたのですが。

ただ、まだ貸しボートなどはちゃんと営業しているらしく、
週末のこの日、わたしがボートにカメラを向けると、
船の上の二人がオールを持ち上げて挨拶してくれました。


ピッツバーグ名物の黄色いブリッジ。
ここのところ順番に補修工事をしていて、去年とは違う橋が
通行止めして全面改装をしていました。

工事に使用されている重機は圧倒的にコマツかコベルコです。
さすがのメイドインジャパン。



PNCパーク(野球場)の前まで歩いてきて、
去年はなかったこんなモニュメントができているのに気づきました。

地元チームパイレーツの永久欠番の数字が並んでいます。

例えば、手前の33番ですが、このブログでも紹介したことのある
「フライング・ダッチマン」ことホーナス・ワグナー(Honus Wagner)
の背番号です。



さらに、道端に巨大なサインボールが!

こちらは、説明によると、ピッツバーグパイレーツ、
ホームステッド・グレイズ、ピッツバーグクロフォーズ
、と
ピッツバーグ縁の野球チームの殿堂入り選手のサインボールなんだそうです。

ちなみにホームステッド・グレイズ(Homestead Grays)というのは、
昔存在した黒人ばかりの野球リーグ「ニグロ・リーグ」のご当地チームで、
1950年まで存在していました。


もう一つのピッツバーグ・クロフォード(Pittsburgh Crawfords)も、
ピッツバーグに本拠地を置くプロ・ニグロリーグの野球チームでした。

当時は「クロフォード・カラード・ジャイアンツ」などと呼ばれていました。
BLM全盛の今となっては信じられない呼称ですね。

1930年代半ば、クロフォードはニグロリーグの中でも
最も強力なチームの一つであったということです。


こちらがクロフォーズの選手の皆さんです。

戦争中、女子ばかりの野球リーグがあったのは知っていましたが、
黒人ばかりのリーグがあったのは初めて知りました。


サインボールにはこの3チームの中の殿堂入り選手のサインと、
殿堂入りした年、プレイしていた時期が書かれています。



この日の散歩は、サインボールのところでUターンして、
またホームレス地帯を抜け、パーキングまで戻ったのですが、
途中でボランティアらしいゴミ拾いの集団を追い抜きました。

この少し先にはホームレスのテント村があるわけですが、
ゴミ拾い軍団は果たしてホームレスのゴミを拾うのか?

大変気になりましたが、見届ける時間はありませんでした。



おまけ:MKの住んでいたアパートの駐車場で目撃した
「マイ・ガール」(なぜ明朝体)の描かれた痛車。

アメリカでこのタイプの痛車は初めてみましたが、
どうしたって日本とは「ノリ」が違う気がしますね。

所変われば品変わると申しますが、痛車すらも違います。


続く。



ピッツバーグ到着〜ペットフレンドリーなAirbnbとK-9

2022-07-27 | アメリカ


ナイアガラ観光の後ピッツバーグに到着したというところまで来ましたが、
その前に、バッファローで起こったあるLGBTQ案件についてです。


■ボブ・アップリンジャー逮捕の地


それは、バッファローウィングスの店を探し求めて、
バッファロー周辺を彷徨っていた時のことでした。

検討していた中に、バッファローの古いホテル、
ホテル・レノックスのレストランがあったのですが、
ホテルのロビーに入ってみたら人がおらず、レストランも
どう見ても営業しているように見えなかったので諦めました。



ホテルの向かいに、歴史的遺跡を表す立て札があったので、
とりあえず写真を撮って車に乗りました。



ボブ・アップリンジャー逮捕の地、とだけ読めたので、
そういえばデリンジャーという有名な銀行強盗がいたなーと思い出し、
「アップ」と「デ」が違うだけのリンジャー系強盗か?
などと考えながら車を走らせ、それっきり忘れていたのですが、
写真を整理していて、これを読んだところ、


ボブ・アップリンジャーなる人は強盗でも泥棒でもなく、
今の基準では犯罪すら犯していなかったことが判明しました。

とりあえず翻訳しておきます。

「1981年8月7日、(最近じゃないですか)この近くで、
ボブ・アップリンジャー(1951−1988)は、
ゲイの男性を装った覆面警察官に逮捕され、
逸脱した性的活動に従事したという罪『浮浪罪』で起訴され、
有罪判決を受けました。

1980年にニューヨーク州で同性パートナー間の合意に基づく
性行為が合法化された後、警察はLGBTQの人々を迫害するために、
この『浮浪罪』(loitering)と『勧誘法』(Solicitation laws)を
使用し始めました。

1983年、バッファローの弁護士、ウィリアム・ガードナーを弁護人とする
原告の訴えによって、ニューヨーク州控訴裁判所が

『浮浪法』の適用を違憲であるという判決を下し、
アップリンジャーは有罪判決の却下を勝ち取ることができました。

1984年、アメリカ最高裁判所はエリー郡地方検事による上告を却下し、
その判決は支持されることになります。

これは、ゲイの人々を逮捕するためのニューヨーク州法を
(それは成人間の合意に基づく性行為そのものを利用するものだった)
効果的に打ち破る結果になった最後のケースとなり、これによって
国内法の基礎が築かれ、将来の『自由』が確保される結果となりました」


ロバート・アップリンジャーが逮捕された時の指紋付き調書

それで向かいのレノックスホテルの旗掲揚竿に、
いわゆる6色レインボーフラッグ(LGBTQを表す)が揚がってたのね・・。

彼が最初にゲイ捜査官に逮捕されたのは18歳の高校生の時。
この写真は、30歳になったときで、彼は相手の男性に警官かどうか尋ね、
違うと言ったので誘いをかけた途端、手錠をかけられたということです。

まあ、おとり捜査官に警官かどうか聞いても本当のことは言わんだろうな。
(というか、この警官がどんな容姿だったのか興味あるな)

彼とその弁護士がこの逮捕に対する無罪を勝ち取ったのは、
LGBTQのコミュニティにとって、大きな第一歩になったということから、
そのコミュニティの主導によって、看板が立つことになったようです。

ところで、アップリンジャー(アップリン”ガー”かも)氏、
わずか37歳で亡くなっていて、これはもしや・・・?と思って調べたら、
やはりその死因はエイズだったということです。
しかも彼は死ぬ二週間前まで自分がエイズであることを知らなかったとか。




■ Airbnbにチェックイン

そもそもわたしがこの夏アメリカに来たメインの理由というのは、
MKの引っ越しの荷造りなどを手伝うことにあります。

9月から西海岸の大学院に進学が決まっている彼ですが、
8月20日までの間、地元のIT系企業でインターンシップをしているため、
この夏は帰国せず、直接引っ越しをすることになりました。

今のアパートは7月末で全員が追い出されるというシステムなので、
(入居を継続しない人は全員同じ日に退去する)
わたしたちが借りたAirbnbにしばらく同居する予定です。

そこからU-HAUL(ユーホール)という引っ越し&トラックレンタル会社の
コンテナに何日かかけて荷物を積み込み、(その間預かってもらえる)
一家全員で西海岸に移動してから向こうで荷物を受け取るというわけ。

ピッツバーグのIT系のベンチャー企業は、多くが
ローレンスヴィルという川沿いの地域に集中しているらしいのですが、
彼のインターンシップ先もそこの一つであることから、
その会社から歩いて5分くらいのところのAirbnbの部屋を決めました。

条件は、ベッドが三つあること、部屋が階下と階上に分かれていること、
洗濯機と乾燥機があってもちろんフルキッチン完備、バスタブ付き、
(案外アメリカの家にはシャワーしかない家が多い)
そして夏の暑い時期なのでエアコンが付いていること、
そして一番大事なのは、料金が高くない(ホテルより安い)こと。



そして決まった部屋は、バトラー・ストリートという、
ピッツバーグでも屈指の賑やかな飲食店街のど真ん中にあります。

ドアを開けるといきなり二階に登る階段があって、そこには
リビングルーム、ダイニングルーム、キッチン、バスルームがあり、
テレビはもちろんYouTubeやNetflix、Huluなど、ネットTVが見られます。
手前のソファは大きなベッドになる仕組み。



洗濯乾燥機が無料で毎日使いたいだけ使え、しかも
こんな便利なところにあるのはありがたいです。

ホテルだとクォーターで一回あたり洗濯乾燥に20枚くらい使ってしまうし、
待ち時間はどこにも行けないので地味にストレスなのです。



キッチンには食器も鍋釜も揃っていましたが、残念ながら
テフロンが剥げた状態のものがほとんどだったので、
ちょっとした安い食器や扇風機(29ドル)と共に買い足しました。

こんな時にありがたいのが、「ターゲット」などの大型スーパーです。
家電、食器、文具、衣類(これが馬鹿にできない品質)
小物に食品、ドラッグストアにあるもの全て、とにかくなんでも
広いワンフロアーで揃うので、新生活を始める大学生の家族が
8月の終わりにもなるとレジに長蛇の列を作ることになります。


オーナーはアメコミ好き。
さりげなく文字を隠しているあたりが版権対策か。

「これSPIDERMON、HIINK、GREAT AMECA、IRON MOONですけど?」


バスルームは一つしかありませんが、広いので満足です。
奥のドアを開けると・・・・



外に出られる階段でした。

一度だけ降りてみましたが、階段は埃だらけで床材が軋み、
「デスパレートな妻たち」の、怪しい黒人一家の地下室に行こうとして
階段を踏み抜いてそのまま胸まで落ちて死んでしまった人を思い出し、
(ニッチな感想です)怖くなったので、一度でやめました。

ちなみに外と言っても隣のカフェがバルコニー席として使っていて、
もし客がいるときにここから人が現れたら、
確実に「誰?」みたいな目で見られるであろうことが予想されました。

アメリカの家って、境界線が時々よくわからない部分があります。
(たいていの家には庭に塀もつけてなかったりするし)



階段の右手のドアはルーフトップになっています。
ここで星空を見ながらビールでも飲んでください、みたいな場所でしょう。

そして案の定、緑の偽芝生の向こうは、他人の家の屋上なんですよね。
これって、屋根から人のうちに侵入できるってことでもあり、
逆もまた真なりで誰か入ってくる可能性もあるってことです。

戸締まりはしっかりと。



寝室は階段を上っていった三階に二つあります。



一番広い部屋にはクローゼットがあるので、当然のように
わたしがここを使っています。
ベッドの上にかかっている絵は、女の人の目が怖いので、
外してタンスの後ろに隠してやりました。



ちなみにここはペットフレンドリーを謳っていて、
二つの寝室の裏側に、天井の低い(けれどやたら広い)スペースがあります。



そこにはペット用のベッドと水飲みボウルが置いてありました。
愛犬の就寝場所として使ってくださいというわけです。



元々は屋根裏の物置部屋としてシーズンオフのものを収納する場所でしょう。
右の廊下の境には、ペット用のラッチ付き簡易ドアが設置されています。

■犬用アイスクリームとK-9



そして、バトラーストリートの向かいにペットトリマーの店があります。
お店の名前はSalty Paws(塩辛い肉球)。
ペット連れがこのAirbnbに泊まると、綺麗にするのも簡単というわけ。

ちなみに窓の横の犬は犬用アイスクリームを食べています。
この店はペンシルバニアで初めて「ドギーアイスクリーム」を扱った店です。

ちなみに、ドギー・アイスクリームって何?と思ったので、
ちょっと調べてみました。

たとえば、

「ピーナッツバター・バナナアイスクリーム」の作り方と説明

市販の犬用アイスクリーム「フロスティポーズ」に匹敵するおいしさで、
難しい名前の原材料は一切使用していません。
冷凍バナナにピーナッツバターと少量のヨーグルトをブレンドし、
クリーミーでタンパク質が豊富なおやつを作りました。
完熟バナナは甘く、ピーナッツバターはたんぱく質をたっぷり含んでいます。

乳糖不耐症の愛犬には、ヨーグルトをココナッツバターに変えてみましょう。

ヨーグルトの代わりに、ココナッツヨーグルトや
ココナッツミルクを加えてもよいでしょう。

夏休みのお祝いに、暑さを乗り切るために、
あるいはただ愛犬を甘やかすために、
ピーナッツバターバナナアイスクリームは
これ以上ないほど簡単でおいしいアイスクリームです。

このヘルシーなお菓子は、人が食べても同じようにおいしいです。
倍の量を作って、家族みんなで食べてみてください。

犬用ピーナッツバターバナナアイスクリーム

このアイスクリームを食べると、愛犬はバナナに夢中になります。

作者 キキ・ケイン
準備時間: 5分
調理時間: 4時間
合計時間: 4時間5分
収量:1カップ1倍

スケール
材料

バナナ1本
ピーナッツバター 大さじ2
プレーンヨーグルト 大さじ2
(お好みで無脂肪またはココナッツミルクなどの乳製品をお使いください)

材料

ブレンダーまたはフードプロセッサー

作り方

熟したバナナをさいの目に切り、4時間以上冷凍する。
フードプロセッサーに冷凍バナナ、ピーナッツバター、ヨーグルトを入れ、
なめらかになるまで撹拌する。
固まるまで再び凍らせてスクープにするか、犬用のクッキーを散らしたり、
フルーツをたっぷり添えてすぐにお召し上がりください。

愛犬はきっとあなたに感謝するでしょう。


いや、あの・・・これって、
人間用のアイスクリームと何が違うんですか?

市販のアイスだと添加物とかが入っていて犬に良くないから?
アメリカ人って、自分のためアイスの手作りなんかしたことなくても、
犬のためなら頑張ってやってしまう人がいるのか・・・。



ここに来て最初の週末のことです。
朝早くからこの通りにパトカーが現れ、路駐していました。



「塩からい肉球」トリマーショップの前に停まった車には
バックウィンドウに『K-9』と書いてあるではないですか。

なんと、この日、K-9がトリムしてもらいに来ていたのです。
もしかしたら犯人逮捕のご褒美にドギーアイスも食べさせてもらった?

人だかりがしてその中心に犬が見えたので、わたしが道の反対側から
上の写真を撮りながら見ていたら、お巡りさんの一人がそれに気づいて、

「そんなところから撮ってないで、ほら、こっちで撮りな!」

みたいに手招きするではありませんか。

えー、と思って通過する車を待とうとしていたら、お巡りさんったら、
車をまるで歌舞伎の役者のような仕草で止め、渡らせてくれました。
(どうみても職権濫用です本当にありがとうございます)



Port Authority Policeと書かれたハーネスをしていますが、これは、
「港湾局警察」の意味で、ペンシルバニア州アレゲニー郡の法執行機関、
かつ交通警察機関(つまり警察)の正式な名称となります。

軍用犬について書いたとき、軍用犬はそのように訓練されているので、
下手に撫でようとしたらハンドラーの敵だと認識して襲ってくることもある、
とどこかで読んだのですが、少なくとも警察組織のK-9に関しては
全くそのようなことはなく、市民になでられて尻尾を振っております。


こちらのレトリーバー?のZANE(ゼイン)君はトリムしてもらったかも。
彼も皆に頭を撫でられてじっとしています。
嬉しくもないが別に迷惑でもない、といった様子。



リーシュを持っているのがハンドラーで、そのよこは
K-9のシャンプーを先導してきた警察官のように見えました。


港湾警察の皆さんも、K-9が市民に親しまれることは
大変ウェルカムの様子で、しばらく「Kー9展示会」みたいになってます。

そこに一般市民がシェパードを散歩させて通りかかりました。
見ていると、K-9くんの方はシェパードと彼の咥えているぬいぐるみに
どうやら興味津々で、尻尾をブンブン振りながら近づこうとします。



次の瞬間ハンドラーのお兄さんが眉間のところを指で指す動作をすると、
ぴたりと立ち止まってその場から動きませんでした。

シェパードの方はちょっとK-9が怖いらしく、尻尾を垂らして、
反対側に行きたそうにしているという犬模様が展開されていました。

それから、今回ポートオーソリティのK-9で検索していて、
このような記事が見つかったので挙げておきます。

     Local News                      

Port Authority Police Mourning The Loss Of K9 Officer Arko
ローカルニュース
港湾警察はK9アルコ巡査の逝去を悼む


「このような事態を受け、港湾局はディピッパ中尉とその家族に対し、
アルコが亡くなったことに哀悼の意を表しています。」

アルコ巡査(Officer Arco)というのがK9のことです。
2歳の時に職務に就き、10年間勤務して12歳で亡くなりました。
殉職とかではないようですが、現役での逝去ということで、
ニュースにもなったということでしょう。(-人-)

オフィサー・アルコの在りし日の姿



そうかと思えばソルティパウの並びには、
「ファットキャット・チョコレート」なる店が入った「マーケット」があり、
その中にはLGBTQな彼女的彼がウェイトレス?をやっている
「オリバーズ・ドーナツ」という猫的な店もあります。

ウェイトレスの彼に聞いてみたところ、オリバーはオーナーの猫だそうで、
三毛猫のほとんどは雌なのに、なぜ男性の名前なのか、
これは従業員たちのLGBTQと何か関係あるトリッキーなネーミングなのか、
とどうでもいいことをつい考えさせられてしまいました。

バトラーストリート沿いは、ITのベンチャー企業が多く集うところですが、
昔から芸術家が居住する地域であることでも知られているそうです。

芸術家とLGBTQと犬猫、なんだか親和性がある気がします。
ついでに、猫とリベラル思想の親和性も高いというか。
冒頭の、いつも朝通ると窓ガラスに取り付けたベッドで寝ている
ロシアンブルーの横には、今アメリカで話題となっている堕胎禁止令について

「アボーションは女性の権利」

と書いた張り紙が内側から貼られているのでした。




霧の乙女「ニコラ・テスラ」号〜ナイアガラフォールズ

2022-07-25 | アメリカ


この日は最終目的地のピッツバーグに到着して、
夏の前半の住処となるAirbnbにチェックインする予定があり、
ナイアガラ観光は前回MKと来た時のように、展望台から滝を眺めて
それでおしまいにしようと思っていました。

前回は冬、さらにコロナ禍のため展望台はオープンしていましたが
無料で、人もまばらでしたが、今回は観光客が帰ってきて、
ここでのメインイベントとしてほとんど皆が観光船に乗っています。



展望台だけの料金と乗船料込みの二種類のチケットがありましたが、
TOが省略して「ツーアダルト、デッキオンリー」と言ったのを、
窓口の人は、皆が乗船券を買うのが当たり前すぎて後半聞き逃したのか、
大人二人分の乗船券が来てしまいました。

「あ・・・乗船券買ったことになっちゃった」

しかしわたしはこういう時にはこれも何かのお導き、
と考えることにしているので、観光船に乗ることを主張しました。


アメリカ側から乗る滝巡り観光船は、この「青い船」。

青いてるてる坊主の集団の中に紅一点が見えますが、
これは船のクルーで、おそらく非常時のための配置だと思われます。



チケット売り場の後は、展望台デッキに順番の列を作って並びます。
ここからは今から船で巡るアメリカ滝とカナダ滝が上から見渡せます。



最近のiPhoneの写真は普通によく撮れるので、
ブログの写真くらいならこれで十分ですが、さすがに
これほどの望遠機能は一眼レフにしか望めません。


下手したら誰かわかるレベル。



展望デッキは、このエレベーター塔に突き刺さったような
なかなか斬新なデザインの建造物です。
20年前来た時にはなかったような気がします。

乗船客は順番に3基のエレベーターに乗って下に降り、
さらにそこから通路で階段を降りて行って乗船します。



進んでいくと、途中のテント内を通過する時、
飛沫避けのブルーのフード付きコートを渡されます。

大きさはフリーサイズなので、アメリカ人の巨漢のおじさんも、
小柄な女性も、皆が等しく同じコートに身を包むことになります。



わたしたちの前は、インド人の家族連れでしたが、
お婆ちゃんはギリギリまで車椅子で、そこから先は
手すりにつかまりながらやっとのことで歩行していました。

こんな状態でも遊覧船に乗るんだ、とちょっと感動しました。

見ていると、足腰が不自由なお年寄りが結構たくさん乗っているのです。
前の家族は、お婆ちゃんを気遣いながら、列に並んでいる間も
何枚も何枚もお婆ちゃんと一緒の記念写真を撮っていましたが、
息子さんはこれが最後の親孝行のつもりだったかもしれません。

そういえばTOも、義母がまだ元気な頃、母息子二人で
母が兼ねてから一度行きたいと言っていたスイス旅行を敢行したことがあり、
義母は帰ってきてから、写真を知り合いに見せまくって

「よくお嫁さんが許したねと周りの同年代に羨ましがられた」

と嬉しそうに言っていたのを思い出しました。

ちなみにこの観光船ですが、アメリカは、ハンディキャップの人に対応する
施設の設備が法律で厳しく定められているため、
全く歩行ができない状態の人でも乗船が可能となっているはずです。


観光船「Maid of the Mist」(霧の乙女)は
夏のシーズンには15分ごとに出発して滝の下を回遊します。

乗客は白いテントの部分で飛沫よけコートをもらいます。



なにしろ15分に一回の出発ですから、乗船が行われている時に
次の船がもう後ろに来てUターンして向きを変えて待機しています。



乗船が始まると、「砂被り」ならぬ「飛沫被り席」を取るために、
デッキを走っていく人たちもいました。

どっちのどの場所にいても、滝の景色はそれなりに同じように見えるし、
どこにいてもびしょびしょに濡れるのは避けられないので、
決して場所取りの必要はないと乗ってみればわかるのですが。



チケットを買ってから約20分ほどで乗船したでしょうか。

その時アナウンスが、この船は「ニコラ・テスラ号」であると言いました。

その時、恥ずかしながらナイアガラの滝とニコラ・テスラの関係を
全く知らなかったわたしは、なぜテスラ?と思ったものです。

しかし、後から周りに聞いてみると、この事実を知らない人は多いのです。
ナイアガラに3回行っているMKですら、わたしがこのことを話すと
初めて聞いたらしく、えらく驚いていたくらいですから。

ちなみに、もう一隻の船は「ジェームズ・V・グリン」(James V. Glynn)
(ジョージ・ウェスティングハウスじゃないんだ・・)。

調べてみると、この観光船が登場したのはごく最近のことでした。

そういえば20年前に来た時も確か滝巡りの船に乗りましたが、
その時に乗ったのは、ごく普通の仕様のボートだった気がします。


この最新式の全電動式遊覧船を作ったのは、ツァーボート会社
「メイド・オブ・ザ・ミスト」社長のクリストファー・グリンという人物で、
グリン社長は、ナイアガラとニコラ・テスラの関係に
完全な電気式フェリーにこだわり、アメリカ初の新造電気旅客船を
2018年の10月に二隻就航させました。

その一隻がわたしが今回乗った「ニコラ・テスラ」、
そしてもう一隻が「ジェームス・V・グリン」。

「ジェームズ・V」はおそらくグリン社長の関係者でしょう。

注目すべきは、この船がハイブリッドではなく全電気式であること。
つまり、ディーゼルエンジンにつきものの排気ガスや
エンジン音、振動なしで最大600人の乗客を乗せることができるのです。
環境への配慮に加え、その製造方法も非常にユニークです。

アルミニウム製双胴船、全長は90.5フィート。
 Propulsion Data Services社が設計し、
ウィスコンシン州マニトウォックのBurger Boat Company
モジュールに組み立てられました。

各セクションはトラックで運ばれ、クレーンで峡谷に降ろされた後、
「メイド・オブ・ザ・ミスト」社の施設内で組み立てられ、艤装されました。

グリン社長によると、

「峡谷でボートを組み立てるのが、いかに困難であったかは、
いくら強調してもしすぎることはありません」



そして「ニコラ・テスラ」号は乗船が終わると
乗客を全く待たせることなく、いつの間にか静かに出港していました。


まずアメリカンフォールの前を通過していきます。
落下した滝水は滝壺ではなく岩場に打ち付けられるので、
噴き上がる水煙はまるで霧のようになって一面に噴霧されます。



その水量は猛烈で、船で通過しただけでびしょびしょになるくらいですが、
その中を悠々とカモメが飛んでいました。



カナダの遊覧船も「霧の乙女」とシェイプがそっくりなので、
もしかしたら同じ機構を持つ「姉妹船」かもしれません。



カナダ船とすれ違う時、互いの乗客が手を振り合って挨拶を交わします。



その時にはこれがニコラ・テスラの作った発電所だとは知りもせず、
「ニコラ・テスラ」という名前の船に乗っていたわたしでした。


「ニコラ・テスラ」号は、カナディアン・フォールの霧の中に突入。
15分間のクルーズの、これがメインイベントとなります。

と、ふと湖面を見ると、結構水鳥がたくさんいたりしてびっくりです。



赤いジャケットの監視員は、万が一、乗客が水に落ちたりしたら
すぐさま対処するために乗っているのだと思われます。
まさか飛び込んで助けることはないでしょうが、浮き輪を投げたり、
ボートに連絡を取ったりするマニュアルがあるに違いありません。

乗客がはしゃぐ中、船内を監視しているのか不動の監視員。
いくら夏の暑い時とはいえ、一日水を浴び続けてれば、
その心中は水行を行う修行僧のように「無」の境地かもしれません。


カ、カメラのレンズに水滴がああ〜〜〜〜



この乗船ツァーに参加すると、自動的に膝から下はびしょびしょです。
それを見越してか、誰一人長いズボンなどを履いていません。

船のデッキには飛沫の作り出す虹が・・・。



しかし、皆、キャーキャー言いながら水に濡れるのを楽しんでいます。
この画面に写っている客の中からは、日本語が聞こえていました。



ちゃんとスマホを防水のパウチに入れてきた用意周到な人たち。


友達のカメラで友達を撮ってやる人。
左の人はこんな船の上で誰と電話しているのでしょうか。



カナダ滝の真前に来ると、「ニコラ・テスラ号」は、
その場所でぐるぐると回転を始めました。
どこに乗っていても見える光景は同じとはこういうわけです。


カナダ滝の前でのぐるぐる回転が終わると、
船は一目散という感じで帰路に着きます。



ここで初めて、カナダ側の乗船場の列は、斜面の上から始まっており、
ケーブルカーで乗り場まで移動させられることがわかりました。


15分のマーヴェラスな体験を終えて船着場に戻った時には、
「なんとか・グリン号」が既に出港しておりました。


着岸する船に白い手のひらを見せてお迎えしてくれるのが、
このアフリカ系のいかにも陽気そうなお兄ちゃんです。
出航の時も浮き輪を振ってお見送りしてくれました。


船を降りてもほとんどの人はコートを脱がず、そのまま
滝の真横から飛沫を浴びる体験をするために階段を上がっていきます。



ろくに整備されていない(でも手すりはついている)
びしょびしょの石段を黙々と登る人々。



左の突き当たりが一番高いところなので、皆真っ直ぐここまでのぼり、
写真を撮って降りてくるのです。



上のスペースはご覧の通り狭く、20人くらいしか立てませんが、
誰も長居せず、写真を撮ったらとっとと降りるので無問題。


わたしも途中まで登ってみたのですが、いかんせんカメラが重く、
そしてまさかこんなことになると思っていなかったので、
(ビーサン主流の周りのアメリカ人とは違い)足首までのパンツと
革製のスニーカーという装備があまりに場違いというか、とにかく
色々と濡れすぎて途中で嫌になったのでやめて帰ってきました。


この通路を「Crow's Nest(カラスの巣)」と言います。
もちろんオープンするのは夏のシーズンだけです。


というわけで、ナイアガラ観光は終わりました。
ここからは帰り道で見つけた昔のナイアガラの写真を挙げます。



上空から見た昔のナイアガラの姿ですが、カナダ滝もアメリカ滝も、
ゴート島によって分たれた、元は一つの流れであるのがわかります。

「あなたは今『アッパーラピッズ』に立っています。
ここでは約1万2千年前、氷河が北に後退し、現在と違う姿でした。
時間の経過とともに地形は何度も姿を変え、現在は五大湖を形成しています。

ナイアガラはエリー湖からオンタリオ湖に流れ、
その後セントローレンス川を通って大西洋に流れていきます。

ナイアガラという名前の由来は先住民族の言語からきています。
『水の雷』を意味するという説、『首』『真っ直ぐな』を意味する
イロコイ族の言葉などからきているという説が混在します」



アッパーラピッズの土手に並ぶ普通の建造物の姿。1878年頃。


これも同じ頃。
写真の左手がゴートアイランドで、アメリカ滝のすぐ横、
今テラスのようになっているところは、当時こんなのんびりした場所でした。



今ではどうだかわかりませんが、流れが凍る時もあったそうです。
1909年、凍った流れの上を人が歩ける状態になっています。



おそらく同じ場所。


さて、この後我々はバッファローウィングスのリベンジを果たし、
3時間以上運転してピッツバーグに到着しました。

シカゴから始まった艦艇見学の5州(ウェストバージニアも入れると6州)
駆け足の旅は、こうして無事に終了したのでした。


続く。






アメリカ5州博物艦巡りの旅③〜ニューヨーク州バッファロー

2022-07-21 | アメリカ

クリーブランドはほぼエリー湖沿いにある街です。
ここで一泊したあとはエリー湖に沿うような道を北に向かって進みました。

途中で一瞬ペンシルバニア州を通過しますが、これはアメリカの州あるあるで、
ペンシルバニア州が水路(つまりこの場合エリー湖岸使用の権利)
を確保するためにほっそーく伸ばした触手の部分となります。

さらに北上したところはニューヨーク州ですが、これも同じ理論で、
つまりニューヨーク州がエリー湖岸の地権を獲得した結果です。

知らない人は、なぜこんなところにまでニューヨーク州が、と驚きますが、
州境を決定するとき、各州がそれぞれ利益を主張しあった結果、
このような一見不思議な州の形が決まっていったということなのでしょう。

■ バッファロー・ネイバル・パーク到着


エリー湖沿いのニューヨーク州の街、バッファロー。
ここのウォーターフロントにはこの地域最大のネイバルパーク、

バッファロー・アンド・エリー郡海軍・軍事公園

があります。

もしかしたら覚えておられる方もいるかもしれませんが、当ブログでは
去年の冬、お正月明けにナイアガラ参りをしてその帰りに、
ここの存在を知り、車を停めて立ち寄った時のことをお話ししています。

その時にはアメリカもCOVID19の自粛規制真っ最中だったため、
艦艇の中を見学することはできずに外側の写真だけをアップしました。

その後夏に訪れた時にもまだ自粛が続いているっぽい雰囲気だったので、
様子を見ているうちに滞在期間が過ぎてしまったのですが、
今年はMKも大学院進学で西海岸に文字通り河岸を移すことになり、
最後のチャンスなので、なんとしてもここは制覇するつもりだったのです。


アメリカのパーキング事情は年々進化していっており、最近では
アプリをダウンロードすれば携帯で支払いができ、もし出先で
追加が必要になった場合も現地に戻ることなく支払いができます。

ただし、それはアメリカに住んでいる人には便利なシステムですが、
我々のように海外から来ている旅行者は、いきなりQRコードを出されて
ダウンロードしてここで支払ってください、と言われても、
ダウンロードがうまくいかなかったりするわけです。

この時も、ダウンロードの段階で先に進めず、諦めて
駐車管理係が回ってきた時、ウィンドウに挟んでいく紙に従い、
ペナルティ付きの(といっても銀座と比べればタダのような値段)
駐車料金をネットで支払うことにしました。

アメリカの交通違反は、日本のように免許の点数制などは付随せず、
違反を切られたら料金を払いさえすれば刑事罰にもならないので、
堂々と日頃メーターにお金を入れず停め続け、運悪く違反を切られたら
それを駐車場代として支払うという主義の人もいます。

MKの友達の一人がそうらしいのですが、日本人であるわたしには
どうも気持ちが悪くてどうしてもできないことの一つです。



前回は閉店していたチケット売り場併設のシーフードレストランで
見学の前にお昼ご飯をいただくことにしました。

この日は快晴の夏日で、日差しが平気なアメリカ人たちは
外のテーブルに座るために順番待ちをしていましたが、
わたしたちは迷わず中に席を取りました。



ここバッファローは言わずと知れたバッファローウィングスの発祥の地です。

ただしウィング(アメリカ人はこう呼ぶ)の歴史は新しく、
80年代にテレビを通じて有名になったという程度のものだそうです。

赤い色はカイエンペッパーで、たいていピリリと辛く、
それをセロリと白いランチドレッシングで中和していただきます。

バッファローに着いたので、早速これを注文しました。


わたしは「ブッダボウル」なるミックスサラダ的ボウルを頼みました。
どの辺がブッダかというと、豆腐ステーキや枝豆、
アメリカ人が和風と考えるところの、スパゲティ状のメカブを
ごま油で和えたもの、生姜のガリが入っているあたりでしょう。

TOは何かのタコス風ロールを頼んでいます。


レストランの建物は、戦跡や戦争記憶を後世に残すための
各種団体や組織の活動拠点になっていると思われます。

艦艇の管理やメインテナンスもここで請け負うのでしょう。


レストランの反対側にある売店のカウンターでチケットを買うと、
手首に支払い済みの印として紙テープを巻いてくれます。

カウンターの中年の女性は、わたしが時計をしている手を差し出すと、

「反対側の手につけさせてちょうだい。
潜水艦に乗るときにバランスが取れていないといけないから」


と言って片頬で笑わせてくれました。



そしてネイバルパークの見学開始。


前回は誰もおらず、凍った雪で歩くのが大変だったこの通路も、
週末だったこともあり、全く違う顔を見せています。

右側の一角は陸軍の戦車や戦闘機などを展示していて、
中には入れませんが外から間近で機体を眺めることができます。

ネイバルパークは、全部で三隻の軍艦を「品」という漢字の形状でつなぎ、
岸壁の駆逐艦「ザ・サリヴァンズ」の右舷から入って、
奥の軽巡洋艦「リトルロック」の後甲板から入って行き、それがすんだら
右舷前方から潜水艦「クローカー」に下りる、というコースで見学します。

■ 沈没した「ザ・サリヴァンズ」



「セルフガイドで見学してください」

と聞いていたので、「ザ・サリヴァンズ」に乗艦すると、そこには
ヴォランティアの解説が待っていて、見学にあたっての説明、
黄色い見学用の線に沿って進むこととか、
展示されている三隻の艦の大まかな説明をしてくれました。

「ザ・サリヴァンズ」の艦名は第三次ソロモン海戦で沈んだ
軽巡洋艦「ジュノー」に全員が乗っていたため、
全員が戦死した悲劇で知られるサリヴァン兄弟に因んでいます。

わたしはこの話を以前ここで紹介したこともあり知っていたのですが、
解説の方が次に続けた言葉に驚きました。

「実はサリヴァンズは4月に沈没してしまったのです」

沈没して全員戦死した兄弟の名前の記念艦が沈没って、なんの悪い冗談?

USS The Sullivans navy ship sinking


解説の人によると、COVID19の自粛は2月には解け、
平常に公開し始めて2ヶ月後の4月、「ザ・サリバンズ」が夜のうちに沈み、
右舷に大きく傾き、着底しているのが翌朝発見されたそうです。

すぐさま緊急修理クルーと水中ダイビングチームが
現場で破損の原因究明と救出を行った結果、裂け目は右舷の中船尾にあり、
船が後方に傾き、右に傾く原因になっていたことがわかりました。

関係者は、艦を平衡に戻すためポンプで一晩かけて水を排出し、
現在の状態に戻して「ポンツーン」としての役目を取り戻しました。

水深が浅く、沈没しても着底だけだったことで
復元がなんとか可能だったということです。

しかし、流石にまだ内部を公開するという状態には至っておらず、
従ってわたしは今回も内部を観られませんでした。


■ 軽巡「リトルロック」と潜水艦「クローカー」


軽巡洋艦USS「リトル・ロック」の展示の目玉は、なんといっても
この艦が備えていた「タロス・ミサイル」のシステムでしょう。

ミサイル発射室は、この右側の黄色い線に沿って入って見学します。

その後は甲板下の設備を下に向かって順に進み、
もう一度同じ甲板の後方に出てくるのですが、さすがネイバルパーク、
内部の展示はとても機能的でわかりやすく、充実の見学となりました。


「リトル・ロック」の舷側からは、エリー湖に続く港口を臨みます。

この日は週末ということでたくさんの人々が
湖上にボートなどで繰り出して楽しんでいました。


自家用ボートのオーナーはここぞとばかりに。



拡大してみると、ポーズをとるお子様と、
操縦しながら彼女の写真を撮るお母さんの姿がありました。



この手前の二人の立ち漕ぎボートも楽しそうです。



波がない湖上をこんなサイクルボートで散策するのもいいですね。



「リトルロック」の見学をすべて終えて甲板に上がると、
(ちなみに艦橋の公開はしていない様子だった)
眼下には潜水艦「クローカー」の甲板が見渡せます。



「リトルロック」から「クローカー」までは、
ご覧のラッタルを降りて移動します。



「クローカー」は前部発射管から後部発射館室まで隈無く見られました。
説明も多く、大変満足の見学となりました。


「リトルロック」から見える巨大国旗竿。
この時は安倍元首相に対する半旗の期間は終了していました。



前回、氷と雪で真っ白に覆われた同じ場所を、足元を取られながら歩き、
記念碑の写真を撮りながら歩いたのと同じ場所とは思えません。

今回は逆にあまりの日差しの強さに、日陰を選って歩いたほどでした。

ただ、この地域は冬寒いだけあって、日陰に入りさえすれば
凌ぎやすいというか、むしろ暑さが心地よく感じるほどです。

逆に日本の湿度の高い暑さが身体に堪えるものなのか実感しました。



前回人っ子一人いなかった通路には、アイスクリームや
氷の屋台が軒を並べていました。

それにしても、ディープフライ(油揚げ)オレオのインパクトがすごい。
フライした上にフロストシュガーまでかけてあるんですがこれは。



■ バッファロー



というわけで怒涛のネイバルパーク見学を終え、まだ夕方にならないうちに
以前もナイアガラに来た時に泊まったレジデンス・インに到着。



前回も窓から見えていたこの彫像付きの建物ですが、
今回門柱の文字を撮影してみたら、ここは
セオドア・ルーズベルトが大統領に就任した場所だとわかりました。

セオドア・ルーズベルトは、副大統領であった1901年、
ウィリアム・マッキンリー大統領が一般市民の前に姿を見せた際、
狙撃されて死亡したため急遽大統領に就任しています。

大統領射殺の報受け、ルーズベルトは休暇先から急いで戻ってきました。
(当時、”急いで”移動することは並大抵のことではありませんでした)。

ここは元々学者で弁護士の私邸だったのですが、どういういきさつか、
急遽ルーズベルトの就任式が行われることになったということです。



バッファローの歴史的に最も価値のある建造物とされており、
就任式が行われた重厚な図書館は、大勢の人々が詰めかけ、
ルーズベルトが借りたスーツで宣誓を行った時のまま保存されています。

また、就任式の混乱の最中、カメラマン同士が諍いで揉み合った末、
一人が誤ってカメラを地面に叩きつけ、レンズを粉々にしたのですが、
その場所もそのまま残されているということです。

ちなみに当のルーズベルトが騒ぎに激怒して二人を追い出したので、
この出来事を記録した写真は存在していません。



部屋は前回と同じツインで、これもダイニングテーブル付き。

このホテルの気に入っている部分は、一階のロビーと
スターバックスがつながっていて、宿泊客は10%引きしてもらえることです。


その日の晩御飯は、ホールフーズのデリでバッファローウィングスを取って
部屋で食べようということになったのですが、
行ってみるとなぜかデリのコーナーが終了していました。

アメリカでは日曜の夕食くらい従業員に家でご飯を食べさせてあげよう、
という親心?なのか、店やモールが早々に閉まってしまうことがありますが、
どうやらこの日のホールフーズもそれだったようです。

仕方がないので車で走りながらレストランを探します。
しばらくいくつかのお店をパスしながら走っていると、
バッファローウィングス専門店の看板を見つけました。

いかにも昔のダイナーのような建物で、あまりいい予感はしませんでしたが、
駐車場に異常なくらいの車が停まっているので、もしかして?
と思い、入ってみることにしました。



20分くらい待たされている間、そのウィングスの店が
オリジナルのTシャツやグッズまで作っており、しかも壁には
いろんな賞を受けた「名店」に選ばれているという記事がずらり。

もしかして、これは当たりを引いたか?



だってねー、オバマも来てるんですよ。
多分遊説のついでにルーズベルト就任の家に寄ったりして、
何かの弾みで来てしまったんじゃないかと思うんですが。



なぜか宇宙飛行士も4人来ていましたし、このほかにも
ロックバンドの「The Guess Who」(ゲスフー)が来ていたようです。

「The Who」なら知ってるけど・・。

ということで、この日曜日の夕刻、
アメリカ人が喜んでかぶりついているバッファローウィングスとは。



元々夜は二人ともあまり量を食べないので、とりあえず
ウィングとこの部分を5ピースずつ頼んでみました。

「フライはどうしますか?」

と聞かれて、いらない、と答えると、フレンチフライなしで食べるなんて
なんて変わった人なのみたいな顔をして驚かれました。

確かに周りをみると、まるで洗面器のようなボウルに山盛り入ったフライを、
(ウェイトレスがテーブルにばんと置くと3〜4本転がり落ちる)
皆当たり前のように標準装備してむしゃむしゃやっています。

しかし、要らんものは要らんのだ。

そして運ばれてきた件のバッファローウィングはというと、
はい、不味かったです。

あんまり、とか微妙、とかいうラインを突き抜けて、
はっきり言ってこんなまずいチキンは食べたことがないというレベル。

まずこの見た目ですが、バッファローウィングスじゃなくて、
ほぼ唐揚げですよね?

この唐揚げの外側が、とにかく猛烈に硬い。そして辛い。
その辛いというのも、バッファローウィングス特有のチリの辛さではなく、
とにかく塩っ辛い。精魂込めて極限まで塩を叩き込んだ味がします。

一応我慢して一つ完食しましたが、チキンの身に辿り着くまでに、
まるでゲンコツ揚げのような外側の岩塩をそのまま塗ったような
揚げ粉の部分を、あたかも「恩讐の彼方に」の洞窟掘った人みたいに
根気よく少しずつ噛み砕いて行かねばなりません。

一口食べるなり二人ともむっと押し黙り、
セロリとニンジンをポリポリポリと齧り、申し合わせたように
もう一種類のウィングスも一口トライして、同時にやめました。

そして言葉少なに感想を述べ合いました。

「辛い」

「硬い」

「不味い」


人は不味いものを食べた時、どうして惨めな気持ちになるのでしょう。

チェックを頼んだら、ウェイトレスはほとんど手付かずのウィングを見て、
何かを察したはずなのに何も言いませんでした。

それにしても不思議なのが周りのアメリカ人たちです。

確かにサンフランシスコやピッツバーグにいる人たちのような
インテリっぽい人はあまりいないようでしたし、
皆が皆判で押したように太っていましたが、
本当に皆こんなダダ辛い代物を美味しいと感じて食べているのか。
オバマも本当にここのチキンを美味しいと思ったのか。


バッファローウィングスのリベンジは翌日に持ち越されることになります。


続く。



アメリカ5州博物艦巡りの旅②〜ミシガン州ベイシティ、オハイオ州クリーブランド

2022-07-19 | アメリカ

潜水艦「シルバーサイズ」と揚陸艦LST393のあるマスキーゴンから
ミシガン州を少しずつ南下しながら東に進むと、
半島の真ん中あたりに、ミシガン州都であるランシングがあり、
(大都市は州都に在らずの法則はここにも)
さらに南に下るとミシガン州最大の都市デトロイトがあります。

デトロイトから横V字に折り返して少し南西に行くと、
次の宿泊地、アナーバー、Ann Arborに到着しました。

アナーバーは都市を設立した二人の男性の妻の名前がどちらもアンで、
さらにこの地にに自生するオークの森の木陰が作り出す光と影から、
「あずまや」(Arbor)にちなんで Ann Arbor と命名されたそうです。

今回いろんな都市を駆け足で巡りましたが、その中では
この街が一番住みやすそうであると二人の意見が一致しました。

実は昔、TOがここにある全米10位以内という大学の日本人関係者から
大学院への留学を勧められたということがあったそうで、
そのときアナーバーは日本人にとってとても住みやすくていいですよ、
と聞いていたらしいのですが、結局彼は別の大学を選びました。

冬に氷のトンネルができるくらい寒いミシガンに決まらなくてよかった、
くらいの認識しか当時のわたしにはなかったので、
アナーバーなる都市の名前も今回の計画立案の段階で初めて知ったのですが、
よりによって偶然そんな若干の因縁のある街を選んでいたとは。

まあ、夏に訪れたからこそ住みやすそうなどと思ったのであって、
零下20℃の冬に来ていたら違う感想だったことは想像に難くありません。

札幌出身の人が、昔、

「夏の北海道に観光で来ただけで住みやすそうなどというのを見ると腹立つ」

と言っていたのをふと思い出しました。




アナーバー宿泊は週末だったせいか、リクエストしたアップグレードを
一度ホテルからメールでお断りされていたのですが、
チェックインの時、とても感じのいいフロントの女性が、
お部屋が空いたのでスイートにさせていただきました、
とにこやかにいうので、アナーバーの印象もアップグレードしました。

今回、時差ボケと戦いながらの旅なので、一部屋を占領して
寝られないなりに一晩自由に過ごせるのはありがたかったです。



まだ新築らしく、同じ名前のホテルでも、
間取りや内装が洗練されていてこれもまた気に入りました。



ダイニングテーブルとソファの両側に部屋が一つづつある作りです。


夕食は何も考えず調べておいた近隣のホールフーズに行ってデリを買い、
部屋で食べるか、イートインで食べて済ませていました。

ホールフーズというオーガニックスーパーマーケットは、
価格帯がお高めなので、富裕層とまでは行かないまでも、
少なくとも意識高い系やオーガニック派やサステイナブル族などの住む、
ある程度以上の生活レベルの層が住む地域にしか出店しません。

ですから、現地のことを全く知らない旅行者であったとしても、
ホールフーズがあるだけで安全な地域であるという一つの目安になります。
(サンフランシスコやニューヨークなどの大都市は少し事情が違いますが)

それから、アメリカのブランディングシステムのありがたいところで、
広い全米どこに行っても、似たような商品を扱っているので、
慣れていると買い物が簡単で楽というメリットがあります。


さて、アナーバーは心惹かれる街で、もう少し滞在したいくらいでしたが、
わたしには行くべき次の場所がありました。

アナーバーから3時間ほど車で北上すると、サギノー(Saginaw)という、
どこかで聞いたような街があります。

わたしが「聞いたことがある」というのは、たいがいその都市名が
海軍艦艇につけられているパターンが多いのですが、
「サギノー」も、まずSloop-of-warという種類の南北戦争時代の軍艦、
(甲板上に大砲を有する蒸気又は帆走式の軍艦)

USS Saginaw 

と、近代のタンク・ランディング・シップ=戦車揚陸艦、

USS Saginow (LST−1188)

が何となく記憶の底にあってその名前を見覚えていたようです。

LST「サギノー」の方は、湾岸戦争にも出撃したという艦で、
アメリカ海軍を退役した後は、オーストラリア海軍に売却されて、
2011年まで現役で活躍していたということです。

今回訪問したのはそのサギノーから少し北に行った、ベイシティという街。

写真はこの日昼ごはんを食べた、
ヒューロン湖から流れるサギノー川沿いにある大型ホテル、
「ダブルツリー」のレストランからの眺めです。



そしてサギノー川の上を飛翔するサギ。



アメリカのレストランでお馴染みの「アヒ・ツナ」をいただきました。

ここのはふんだんに胡麻を塗したもので、なかなか悪くありません。
マグロの身がフニャッとしてどうにも締まりがないですが、そこは我慢。

昨今は味のグローバル化で、どんな都市に行っても、このような
日本人の口に合う料理が食べられるようになったのはありがたいことです。



お昼を食べてから、いざ艦艇見学に出発・・・・と思ったら、
街中なのに、ものすごい鉄屑の山を発見。

これ、そのままデトロイトの自動車の原料になったりするのかな。


■ 駆逐艦「エドソン」@ベイシティ



ベイシティのヒューロン湖沿いには、

駆逐艦 USS Edson 「エドソン」DD-946

が係留展示されています。

記念品グッズ売り場を兼ねた建物で観覧料(確か18ドルくらい)を買ったら、
ボランティアらしいカウンターの男性が、

「わたしのワイフは日本人なんですよ」

と言って奥さんを呼んできてくれました。
こんなところで日本人に会うとは、さても奇遇です。

トモコさんとおっしゃるこの女性は、週に一回ボランティアで
「エドソン」に夫婦で来ておられるということでした。

アメリカ人男性(ベテランかも)と結婚して、
ミシガン州の五大湖沿いの小さな町で共に人生を重ねるとは、
昔どんな素敵なご縁があったのでしょうか。

彼女によると、この街に日本人は二人だけしかおらず、
しかも向こうとは関わりがないので日本語を喋るのは久しぶりだとか。

「喋らないと本当に日本語出てこないんですよね」

そんなもんなんですね。

それから、トモコさんから伺ってもっと驚いたことがありました。
わたしたちが訪れたこの前日、「エドソン」には、

日本人女性がたった一人で見学に来ていた

というのです。

「日本女性が」「アメリカの小さな街の展示艦を」「一人で見学」?
わたしは思わず、それはわたしではないのかと思いました。

同時に、わたしが今までやってきたことは、わたしの目から見てさえ、
かなり風変わりで奇異なことに思えたのが不思議でした。

この女性がアメリカ在住なのか、日本からの旅行者かはわかりませんが、
こういった展示軍艦の見学というのは、一般的に
あまり女性の興味を惹かないものだと、他ならぬわたし自身が
持っていた偏見めいた目に、あらためて気付かされた次第です。


2022年7月上旬に、駆逐艦「エドソン」を一人で見学したという方、
もし万が一このブログをお目に留められることがあったら、
一体どんな方で、どんな目的のもとに来られていたのか、
差し支えなければご一報くださると大変幸いに存じます。




「エドソン」がこの街にやってきて展示されるようになったのは、
トモコさんによると10年前のことだそうです。


そのうち内部についてこのブログでも細かくご紹介しますが、
とにかく感心したのは、展示が見学者にとって懇切丁寧なこと。

どんな部分にも必ず説明が添えられていて、
軍艦初心者にも自分の見ているものが何か分かりやすくなっています。

いろんな街の展示艦を見てきましたが、その親切なことにおいて
「エドソン」は間違いなくトップクラスでした。

もっともこれは、「ミッドウェイ」のような大規模な展示のように
インターネットで調べれば細かい部分も全て情報が上がっている、
というような記念艦ではなく、その分ボランティアの熱意や
展示の仕方の工夫に全てが委ねられている小さな艦ならではかもしれません。


かつての乗員を記念艦に招いてイベントを行うなど、
ボランティアによる活動も活発に行われているようです。

写真のご夫婦は、「エドソン」のかつての艦長夫妻だと思います。

「エドソン」は主にベトナム戦争時代に活動のピークだった艦艇で、
1960年には極東での配備のために台湾海峡をパトロールし、
沖縄沖で水陸両用作戦に参加し、そして
日本近海ででさまざまな種類の演習を行っています。

■ クリーブランド

この日は午前中にアナーバーからベイシティまで2時間弱、
ベイシティからその日の宿泊地であるオハイオ州クリーブランドまで
4時間強、合計6時間一人で運転をすることになっていました。

時差ボケの治り切らない体調では不安でしたが、幸い、
この前日くらいから一旦夜中に目が覚めることはあっても、
その後6時くらいまで寝ることができるようになっていました。

結果として、この4時間のドライブ中眠くなることは一度もなく、
快調にアナーバー、トリード(Toredo)と通過して、
クリーブランドという名前だけはよく知っている
(クリーブランド交響楽団という超有名オケがある)
オハイオ州第2の都市に到着しました。



途中でちょうど走行メーターがちょうど1000マイル(1609km)
になったので、別に深い意味はないですが、記念写真を撮っておきました。

ちなみにこの時の時速67マイルは107kmで、アメリカの高速道路は
だいたい60〜70マイルが制限速度となっています。

日本の高速のように、みんなが100キロで走るような高速で
制限時速を80キロにしておいて、パトカーに捕まった時には
自動的に?20キロオーバーになっているというような
不合理な制限時速設定はしていません。

この頃にはオートクルーズ機能を使いこなしていたので、
制限時速に設定して走行していました。

モードによって写真のようにiPhoneの曲の題名を
パネルに表示することもできます。

パネルに「イントルーダー」という字が写っていますが、
これはあの戦闘機のことではなく、MKがダウンロードした

「Fight Songs: The Music of Team Fortress」

というアルバムの「Intruder Alert」(侵入警報)という曲です。



クリーブランドのレジデンス・イン・バイ・マリオットは、
まだ新築らしく、内装はとても近代的でとてもいい感じでしたが、
アフリカ系フロント係が、ホテルマンのくせに気が利かなさすぎでした。

都市部のホテルなので、駐車場代に一晩15ドル取られるのはいいとして、
それを説明しておきながら、駐車場の入り方を教えない。
こちらが困って聞きに行くまで、どうやってゲートを入るか、
どうやって駐車場を出るかを前もって教えないという不親切ぶり。

次の日、わたしたちは別の宿泊客が何やらフロントで
クレームをつけているのを見ましたが、彼女に向かって、
フロントのアフリカ系女性は、

「2時になるまで責任者が出勤してこないので、
あなたの部屋をそれまで延長しておくから待っていてください」

と言い放っていました。

その客に飛行機に乗る予定があってそれまで待てなかったら、
どうする気だったんだろう。


旅の印象というのはこんなところでも決まってしまうもので、
残念ながらわたしたちにとって、一泊しかしなかったクリーブランドは、

「アフリカ系の従業員が悉くやる気なく働いているところ」

になってしまいました。

観光業の人たちには、くれぐれも自分の言動が、その場所、
ひいてはその国を印象付けることもあるということを
重々意識して接客していただきたいものだと思いました。

大抵の日本の観光業に携わる方々には釈迦に説法だと思いますが。





クリーブランドの部屋は、もともとツインが取れていたので
アップグレードはしませんでしたが、十分な広さでした。


ここには大きなコンピュータデスクがありましたが、
なにしろ着いたら荷物を整理してお風呂に入って寝るのが精一杯で、
せっかくのデスクも、PCを充電する台としてしか機能せずじまい。



窓の外には少し離れたところにクリーブランドの中心部が望めます。
クリーブランドのさらに向こう側には、「アクロン」という都市があります。

アクロンと日本語で検索すると、洗剤の情報しか出てきませんが、
わたしにとっては「アクロン」は悲劇の海軍飛行船の名前に他なりません。


ところで、クリーブランドに行く少し前、このアクロンで、
またしても警官によるアフリカ系男性への銃撃があり、
それがオーバーキルであり黒人に対する差別であるとして、
BLMな人たちがデモをする騒ぎになっていました。

警官が黒人男性射殺、約60発の銃弾 米オハイオ州で

しかしいつも思うのですが、こういうことに抗議する人たちは、

「同氏は軽微な交通違反で車を止めるよう促され、車に乗ったまま逃げた」

「数分間追跡された後、車を捨てて逃走」

「警官の方を向いており、その際に銃を所持していると考えられた」
(銃は車の中から発見された)

このとき警官は8人がかりで男性に60発を撃ち込んだ、というのですが、
男性が銃を持っているかどうか確かめていたら先に撃たれるから、
そして撃たれてからではもう遅いからこそ、アメリカの警官は
条件反射で発砲するようにと訓練されているんじゃないんでしょうか。

車で逃げて逃走するような男性でも「あやしきは罰せず」というのは、
つまり、向こうが撃ってくるまでこちらから何もするなということ?

それって、警官の命は被疑者より軽いということにならないのかな。

まあ、歴史的にも色々と不条理な目にあってきた黒人さん側には、
こういうことがあるたびにそりゃ言いたいこともあろうかと思いますが、
この手の事件(そして必ずしも黒人男性は『真っ白』ではない)が起こると、
必ず人種差別問題に火がついて抗議デモが起こるというこの流れ、
対岸の火事的立場からは何だかなーと割り切れない想いに見舞われます。


さて、クリーブランドで一泊したら、あとはエリー湖に沿って
ひたすら北に進んでいくのみ。

そこには、以前外から見るだけで終わった、この地域最大の
バッファローネイバルパークがあるのです。

ついでにナイアガラの滝参りももう一度するぞ〜!


続く。