ネイビーブルーに恋をして

バーキン片手に靖國神社

映画「世界大戦争」〜開戦

2022-04-03 | 映画
 
東宝映画の知られざる終末映画、「世界大戦争」二日目です。


官房長官

この世界では、具体的に米ソの名前を出さず、
東西両陣営を「連邦軍」「同盟軍」と呼んでおり、朝鮮半島有事も
38度線を挟んで起こっている、という言い方をしています。

映画公開の1961年には朝鮮戦争は既に終わっていましたが、
終戦ではなく、分断状態のまま休戦しただけなので(実は今でもね)
東西緊張が再び起こるなら同じところが導火線になると考えたのでしょう。

よもやこの時点で次の東西衝突がベトナムで起こるとは、
少なくとも映画関係者には全く読めなかったのだと思われます。

この世界の日本政府は、原水爆の使用禁止を世界に要求する、
という姿勢で一貫していますが・・・・なんだろう、この違和感。

世界唯一の被爆国だから核使用に強い発言権を持つ(はず)というこの考え、
「憲法9条があればどこも攻めてこない」というアレにに通じるような・・。


プレスクラブの運転手の間でも、アメリカの記者が本国に引き上げる、
などという噂が乱れとんでいました。


結婚が決まった恋人同士、冴子と高野。
日比谷公園をそぞろ歩きながら将来に向けた希望を語り合っております。
昔は日比谷公園ってデートスポットだったそうですね。

しかし二人の会話は、とてもデートにふさわしいものとはいえません。

「今度戦争が起こったら、わずか四個の水爆で日本は無くなるんですって」

「日本は元寇の役で蒙古から火薬の洗礼を受け、広島と長崎で原爆を受け、
第五福竜丸で水爆の洗礼を世界で最初に受けた国なんだ」


映画の性質上、カップルの会話が物騒なのは仕方ないとしても、

「だから日本の若者は、決して同じことを繰り返してはならない」

なんだ憲法9条派か。

だから、被爆国日本がいくら原水爆の悲劇を繰り返してはならないと言い、
核を保有しないことを決めても、日本以外の国はどうなんですか。

現にこの映画でも、日本国内に4ヶ所「極東ミサイル基地」があって、
原爆だか水爆ミサイルを日本以外の国が管理しているというのに。



さて、その連邦国軍の本土ミサイル基地。
基地司令(ハロルド・コンウェイ)が、何を思ったか、

「ここにある核ミサイルを押すだけで世界が終わりになるんだ!」

と唐突に部下に力説し始めます。
(パネルの前の右側の人は、確か「妖星ゴラス」にも出ていたかと)

その時です。

壁の赤いパネル「The Outbreak of War」=開戦のランプが点灯し、
けたたましくアラームが鳴り響きました。

つまりミサイル発射準備発動です。


当ブログがスミソニアンシリーズ制作で得た知識によると、
当時のアメリカの弾道ミサイルはガスを充填しなければなならないので
発射までえらく時間がかかったということですが、この世界のは
すぐさま発射OK状態になるという当時としては画期的なシステムです。



発射までの承認システムも実際はもっと複雑だという記憶がありますが、
ここは上から連邦国大統領、ミサイル軍連邦国総司令、
最後に連邦軍ミサイル軍極東基地司令とランプが点けば、発射OK。

電光掲示板だけの表示なんて、もし間違いがあったらどうするの?
と他人事ながら心配してしまいます。

っていうか、起こるんですけどね。間違いが。


「神よ 我を赦し給え」

軍人も一人の、核を恐れ神を畏れる一人の人間ってか?

かっこいい場面にしたい映画制作の意欲はわからんでもないが、
これだけは軍人なら言わないだろうし、言ってはいけないことだと思う。


ぽちっとな



しかしその時です。

「アタックオーダー?アーユー・ドリーミン?」

なんと偉い人が電話をしてきました。
発射命令が間違いだったのか?

「しかし、大統領と総司令のオーダーランプが!」

「いいからすぐさま中止しろ!」

「では中止命令を出していただかなくては!」

「そんな命令は出ておらん!きっと装置の故障だ」

こんなミサイル軍は嫌だ。

ひいいいい

あと3秒というところで、エンジニアが電源をぶち切り、
なんとか発射は止められました。

電源プチっとしたくらいで弾道ミサイルみたいなものが止められるの?



エンジニアが駆け込んできていうには、誤作動の原因は回路の故障だと。
なんでそんなの電源止まった瞬間にわかるんだよ。

「Thank God, thank God・・・・」

思わず半泣きでエンジニアに抱きつく基地司令。

ハロルド・コンウェイ、渾身の演技ですが、これも多分
軍人なら絶対やってはいけないことだと思う。



茂吉はプレスクラブの運転手として38度線に転勤するワトキンスを乗せ、
オリンピックに向けて完成したばかりの首都高速道路を走っていました。



首都高の銀座付近

グーグルマップで映画と同じ建物を数寄屋橋付近に見つけました。

茂吉はワトキンスから戦争になるかどうかを聞き出そうとします。
彼の関心はもっぱら買った株が値上がりするかどうかでした。



彼が帰宅すると、妻が庭にチューリップの球根を植えていました。
彼らは春になってその花を見ることになんの疑いも持っていません。



そのころ38度線では。

ご覧の連邦国軍側の戦車群は無人という設定です。
装軌式の車体に12連装の戦術核搭載ミサイル発射台、回転式のマストを備え、
V-107ヘリコプターから遠隔操作するシステムが出来上がっています。



無人戦車に指令を行なっているV-107のコクピット。
全員東洋系で英語を喋っているので、実際なら韓国軍だと思われます。



ヘリからの音声コマンドで戦車は走行、展開、攻撃を行います。
この時代にしてはすごい先進技術といえましょう。

でも、攻撃されやすい脆弱なヘリから戦車を無線で操作する意味って・・・。



しかしそこに敵のMiG、じゃなくてMiG21をモデルにした
「MoK」(モク)という後退翼の戦闘機が現れて、
指令機のバートルごと戦車隊を壊滅してしまいました。



この時核弾頭弾が使用されたことで、一気に緊張は高まります。



日本政府は連日閣議を開きました。

国家非常事態に日本政府がどう対処するのかということについては、
映画「シン・ゴジラ」でもパロディが試みられていましたが、
この世界の日本政府もなんだかグダグダしています。

いうなら、聞こえのいい理想論とお花畑な防衛至上主義ばかり。

そもそもこんな事態になるまでに、国内に4ヶ所も核ミサイル基地を建設され
しかもその管理運用も自国でやらせてもらっていないらしいのに。

「日本政府は唯一の被爆国として強いこともかなり言ってきた」

とか言っていますが、さて、「強いこと」ってなんだろう。
「過ちは繰り返しませぬから」っていうアレのことかな。(嫌味です)




首相は最後まで諦めず、戦争回避を訴える覚悟です。
しかし気になるのが、首相の顔色の悪さです。

実は首相、肝臓の病で緊急手術をするように言われているのですが、
この状態で任務を全うしようとしているのです。

この非常時に職務を投げ出すことを潔しとしていないのかもしれませんが、
どんな要職もその人でなければできないことなどありません。
すぐに退任して、健康な人に後を任せるのが勇断というものだと思うけどな。



その夜、原爆遺族の親父から焼き芋を買った冴子は、
屋台の上に置いてある旧約聖書(ヤコブ書)を手に取ります。

そして開いたページの第4章を、思わず朗読し始めるのでした。

「汝らのうちにおける戰と争いとはいずこよりか来れる。
汝らの個体のうちに戦えるその欲より来るにあらずや」

(あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。
それはほかではない。あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか) 




彼女の声に世界の首都の風景が重なります。

「汝らが貪り得ず、殺し、妬みて取ること能わず。
争い、戦いて得ることなきはあたわざるが故なり」


(あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。
熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。
あなたがたは、求めないから得られないのだ) 



ニューヨークだけが本物で、あとは皆模型の景色です。

もちろんこのシーンのためだけにに模型の首都を作ったのではありません。
それは最後まで見ていただければわかります。




「願いて受けざるは欲のためにに費やさんとして悪しく願うが故なり」
 
(求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、
悪い求め方をするからだ)



「この世に対する愛情は神の仇となるを知らず。
されば、この世の友たらんとする人は神の仇となる」


世を友とするのは、神への敵対であることを知らないか。
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである)



病気療養中だった「笠置丸」給仕長の笠智衆は、明日から船に戻りますが、
それまで娘(白川由美)が保母をしている保育園の手伝いをしています。



この保育園では、病気の子供を泊まりで預かってくれるようです。
横浜のホテルで雑役婦をしている母親は、週に一度娘に会いにきています。



笠智衆がいよいよ出発という時、保母である娘は
これから長い航海に出る父のために、子供たちの歌をプレゼントしました。

ところで、画面右の滑り台を滑っている男の子、
演技を全く無視して本気モードで遊びまくっています。
よっぽどこの滑り台が気に入っていたのでしょう。



「もういくつ寝ると〜お正月〜」

船員の彼は今度航海に出たら日本でお正月を迎えることができません。
目を潤ませながらお正月フルバージョン(2番まで)に聞き入るのでした。



こちら同盟国北極ミサイル基地。



ソ連軍っぽい兵士ですが、もちろん英語で喋ってます。
星を赤ではなく青にしているあたり、ちょっと気を遣っている?



この人物は現地視察中の同盟国ミサイル基地司令です。
ウォッカの飲み過ぎが、胴回りに明かな影響を及ぼしています。



なんだって北極にミサイル基地が?

北極の氷山の斜面で核弾頭の発射実験とかやってるんですが、
氷山に向けて核弾頭とか撃ってたらどうなると思います?



ほらー言わんこっちゃない。雪崩が起きてしまいましたよ。
君らアホなの?死ぬの?


雪崩のせいであちこち電源がショート、小爆発が起こり、
ミサイル基地のドアが開かなくなるわ、発射台へのトンネルが塞がれるわ、
・・・・だからこういうことも予測できるでしょって話ですが、
このとき、さらにショッキングな報告が上がってきました。

「今の振動で核弾頭の起爆装置が動き出しました!」

あー、こんなミサイル軍もいやすぎる。
たかが振動で簡単に起爆する核弾頭装置って。

っていうか、連邦国軍も同盟国軍も一体何をやってるんだろうか。



その時決然と動いたのはウォッカ司令でした。(名前知らなくてごめんね)
自分が核弾頭の中に入って導線切ってくるってんですよ。

いや・・・わかんないんですけど、核弾頭って、そんな簡単に
ヒューズ剥き出しにしてチョキっと切ったりできるわけ?
この頃の核弾頭の配線って、ハンダ付とかそんな感じだったの?

「もし爆発したら、敵の攻撃と思われて、全面報復が発動される。
そうすれば世界の終わりだ!」


それは事故で自爆しましたすみませんと素直に言えばいいと思うがどうか。
あ、皆死ぬから説明する人がいなくなるのか。



と言うわけで、司令自ら装置を停止する作業に取り掛かりました。
ペンチとか入ったアタッシュケースを副官に持たせて梯子を登っていきます。
マニュアルはいらんのか。

下から部下が声をかけます。

「気をつけてください。外す時が一番危険です」



時間が迫ってきます。
5分の間に作業を済ませないと基地が全滅です。

時計が0を差し、皆が目を瞑った瞬間、
頭上ではヒューズの束を持った指令が汗を拭っていました。



いいぞ同盟国司令。ハラショー。

わたしには、ここで映画が何を言いたいかがわかりました。
この世界、誰一人として核戦争を起こしたい人なんていないわけです。
今の世界もそうでしょうが、誰一人として戦争を起こしたい人なんていない、
ウラジミル・プーチン以外は、ということを表しているのです。

じゃあなんでこうなってしまうの、ということについては
古今東西あらゆる賢人が解釈を試みてきたのですが、
結局いつの時代になっても戦争は始まってしまうのです。

今回、ウクライナで起こったように。



ちょうどその時、38度線で停戦したと言うニュースがもたらされました。
協定成立です。
連邦国軍側でも皆が喜びに沸いています。



その頃、現在の横浜の港の見える公園に、高野と冴子の姿がありました。
高野の勤務する船が急に出港することになったのです。

一度出港したら何ヶ月も帰って来られないのが船乗りの運命。
今のこのご時世、もしかしたらこれっきり生きて会えないかもしれません。

冴子は横浜まで一丁羅の着物を着てやってきました。
彼女にはその予感があったのでしょうか。


彼らはその夜、港のホテルで二人だけの結婚式を行いました。



38度線の休戦で世界がわずかばかりほっとしたその瞬間です。
ベーリング海で、連邦国軍戦闘機のF-105と、



どう見てもMiGなMoKが交戦状態に入ってしまったのです。



こちら連邦国軍パイロット。
同盟国軍パイロットのヘルメットには青い星が付いています。
MoK機は核弾頭を使用してきました。

「運命的な衝突」「世界危機」

報道がセンセーショナルな言葉で煽り立てる中、さらに、
シリア国境ではトルコ・アラブが停戦協定を破棄し交戦状態に。

ベトナムでクーデターが起こり人民蜂起、
第7艦隊と中共軍戦闘機との間に交戦が・・・・・、と
いっぺんにあらゆる紛争が顕在化してしまったのです。



この後に及んで日本は、核兵器の使用禁止を世界に訴えるだけでした。

実際なら、連邦国側の同盟として何もしないわけにはいかないので、
少なくとも自衛隊の派遣か、連邦国の後方基地として機能するでしょう。

少なくともこんな他人事みたいな態度は取って居られないと思います。



横浜のホテルで過ごした次の朝、
出港する高野の乗った船を一人見送る冴子の姿がありました。



自沈するためにオーストラリアを出港したグレゴリー・ペックの潜水艦を
涙ながらにエバ・ガードナーが見送るシーンの日本版です。

これを見て、当作品が「渚にて」を再現したかったのだとわかりました。

続く。






映画「世界大戦争」〜同盟軍対連合軍

2022-04-01 | 映画

新東宝の映画を紹介してほしいという一部のマニアックな期待に応えるべく、
今回一字違いで少し違いますが、東宝のSF作品を取り上げます。

「世界大戦争」。

いきなり結論を言うと、東西緊張から第三次世界大戦が開戦し、
日本どころか世界が破滅することがわかったとき、
そこで生きる一つの家族はどうその日を迎えるかと言う終末ものです。

昔読んだSF小説で、小松左京か筒井康隆か星新一だったかも忘れましたが、
東京に某国から核が誤って発射されてしまったというところから始まり、
着弾するまでの人々のパニックを描いた作品に似ていると思いました。

もっともこの小説は、混乱と諦めの果てに迎えた最後の瞬間、
着弾した核は不発であり、人々が喜んでいると、はるか彼方から
何発かのミサイルが接近してきていたという救いようのないオチでしたが。
(この短編、どなたか誰の作品かご存知ありません?)


さて、本作、制作は1961年、昭和36年、松林宗恵監督、
プロデューサーは田中友幸、特撮円谷英二という黄金トリオによる作品です。

1961年というと、米ソ冷戦について宇宙開発に絡めながら
書いてきた当ブログにとっては特筆すべき年です。

米ソ間にはあの「U-2撃墜事件」が起こっており、これはすなわち
アメリカが偵察方法をより宇宙に深化させていくきっかけとなりました。

国内では那覇基地から核ミサイルが誤射されたという事故も起こっています。

しかしわたしが最も強く感じたのが、その前年に公開された、
ネビル・シュートの小説の映画化である

「渚にて」 ”On The Beach” 

の影響でした。


常陸宮殿下がプレミアを鑑賞されたと封じるニュース付きです。

On The Beach ≣ 1959 ≣ Trailer


「ワルツィング・マチルダ」につい涙を誘われます。

そういえば、中学生の時にオーストラリアの姉妹都市から訪問留学生が来て、
クラス委員ということで「お世話係」を任されたわたし、

「オーストラリアにワルツィング・マチルダって曲あるでしょ」

と話しかけたところ、彼ら(男女合わせて6人くらいいたような気がする)
誰一人として知らなそうだったので、実際歌ってやった思い出があります。

前もって読み込んでおいた、「これが世界だ!オーストラリア」には
これが第二の国歌と書いてあったのに、なんで?
と不思議でたまりませんでしたが、子供は知らなかったりするのかな。

閑話休題。

当時の緊迫する世界情勢を受けて、大手映画会社は

東宝『第三次世界大戦 東京最後の日』

東映『第三次世界大戦 四十一時間の恐怖』

と同時に似たような企画をあげています。

その後すり合わせでもしたのか、最終的に東映は怪獣ものに流れ、
東宝が「世界大戦争」とタイトルを変更して制作することになりました。


「渚にて」は、すでに核爆弾の曝露で北半球は全滅しており、
残る南半球も汚染の南下で人類滅亡が避けられないとなったとき、
ほとんどの人々は配布される薬剤を使って安楽死することを選び、
人生を肯定しながら静かに最後を迎えるという内容です。

核による終末を描くことは当時の創作界の「流行」だったのは確かですが、
この映画に描かれた、騒乱も暴動もパニックも混乱も強奪もない、
ただ美しく死にゆこうとする人々の恐ろしいまでの諦念は、
必要以上に?日本人の琴線に触れた可能性があります。

潜水艦ごと自沈するため出航する潜水艦長(グレゴリー・ペック)、
彼を愛しながらそれを陸から見送る美しい女性エバ・ガードナー、
愛車の運転席で排気ガス自殺するフレッド・アステア、
配布された薬を飲んで死ぬ潜水艦乗員アンソニー・パーキンスとその新妻、
という具合に、個人が「そのとき」をどう迎えるかが描かれますが、
つまり東宝映画はこの日本版をやりたかったのだと思うのです。



それでは早速始めましょう。
音楽:團伊玖磨先生というだけでその有り難さにひれ伏してしまいます。

ヴォーン・ウィリアムズを映画担当にした国策映画、
「北緯49度線」みたいな重みと気合を感じますね。

團伊玖磨 - 世界大戦争 (1961)

ロマンティックな緩徐部分は2:40あたりから、
メインテーマは4:28から。



映画はいきなり平和な繁栄する首都の姿を映し出します。
まずは登っていく東京タワーのエレベーターから見える景色。

この頃の東京は一般の家屋らしい民家が四谷や麹町などに多いのに驚きます。


まだ路面電車の走る都内の通勤風景。


プロ野球ナイター戦。



今はなき松竹歌劇団のグランドレビュー。



製鉄所、羽田国際空港、築地市場、船の進水式。
戦後16年経って、戦後の焼け野原から奇跡の復活を遂げた東京の姿です。


今日は11月15日、七五三です。

七五三参りで賑わう神社に、一組の家族の姿がありました。
田村茂吉(フランキー堺)と妻お由(乙羽信子)、
歳を取ってから設けたらしい二人の子供、7歳の春江と5歳の一郎です。

ピカピカの黒塗りの高級車を参道に乗り付けてきたので、
どんな富豪の家族かと思いきや、これは茂吉が運転手をしている
プレスセンターの公用車で、通勤途中、家族を乗せてきただけでした。

堂々と公用車の無断使用とは、おおらかな時代だったんですね。

おおらかといえば、境内で外国人の男性が、振袖の女の子に、

”Hey, little girl, can I take a picture? Huh?"

と言いながらほぼ無許可でシャッターを切っておりますが、(字幕なし)
この英語もかなり失礼な感じだし、今なら色々とアウトです。



路面電車の線路があるので、幹線道路でしょう。
おそらく今では全く面影もなくなっていると思われます。



プロの運転手が運転しながら喫煙というのが許されていた時代。
シートベルトもしていませんが、そもそもこの時代そんなものはありません。



そのとき、カーラジオが不穏なニュースを伝えました。
同盟国軍が北大西洋で大掛かりな軍事演習をおこなっているというのです。

この世界では、米ソではなく、「同盟国」「連邦国」という名称が使われます。

ソビエト連邦という名前からわたしは当初勘違いしていたのですが、
連邦国がいわゆる西側陣営で、同盟国が東のようです。


こちらは同盟国パイロットだと思われます。
全員が英語を使っているため、どちらかわかりにくいのが問題です。


その時、同盟国(ソ連)の対潜哨戒機が、演習海域で
連邦国側のと思われるミサイル潜水艦を発見しました。


対潜哨戒機とされるのはこの頃特有の後退翼機です。
ツポレフのつもりかな?



哨戒機の連絡を受け、連邦国側の潜水艦が同海域に進入しました。
鯨のようなノーズの形に時代を感じさせます。

連邦国ミサイル潜水艦はその後対潜網(いつの時代だ)で拿捕されてしまい、
これが両陣営に最初の大きな緊張を生むことになります。



「コレワタイヘンナコトニナルカモシレナイ」

茂吉が運転する車の後部座席で連邦国記者のワトキンスが呟きます。
この記者役がジェリー・伊藤(本名ジェラルド・タメキチ・イトウ)。

ブロードウェイでデビューしてすぐ朝鮮戦争に出征し、
その時日本人女性と結婚したのが縁で日本の俳優・歌手になりました。



さて、こちらいかにも昭和30年台の光景。

欧米人から見れば立派な?アジアの貧民窟ですが、
この頃の日本の庶民の家庭ってこんなものだったんだと思います。

白黒テレビのアニメ(漫画映画)に見入る姉弟の風貌も
これぞまごうことなき「昭和の子供」。

そして脚を投げ出して編み物をしている美人がヒロイン、冴子(星由里子)
最初、冴子が兄弟の母かと思っていたのですが、
カツオとワカメの歳の離れた姉サザエさんと同じく、彼女は彼らの姉です。

事情を深読みすれば、田村茂吉は冴子が生まれてから出征し、
戦争が終わって帰ってきて、やっと暮らしが立ち行くようになって
二人の子供を改めて設けたということなのかもしれません。

茂吉のうちはこんなあばら家(失礼)なのに、下宿人を置いていて、
冴子はいつの間にかその高野という航海通信士と好き合っています。



その夜、その高野が乗り組んでいる「笠置丸」の乗員は、
怪しい光が海上に落下するのを目撃しました。
光は空中で一瞬赤く不気味に光ります。

「なんだろう、あれは・・・」


同じ頃、高野家では夫婦が晩酌を楽しんでいました。
そしてしみじみと、

「俺たちもここまで来たなあ。
戦争で裸一貫引き上げてきたこの俺が」


ここで映画は「終末」を予感させるちょっとした伏線を見せます。

表から聞こえる焼き芋の呼び声を耳にした3人は、焼き芋屋の親父が
広島で身寄りをなくし、売上を原水爆廃止運動に注ぎ込んでいる、
という噂話から、こんな不吉な会話を行うのです。

「焼き芋屋の親父に何ができるもんかい。縁起でもねえ」

「でもお父さん、今度水爆が落ちたら皆その場で蒸発してしまうのよ」

当時の世界情勢は現在進行形で米ソ冷戦が核と強く関わっていたため、
現在の日本人より、その危機感は具体的で切実だったかもしれません。

現にこの後、キューバ危機も起こったわけですしね。



しかし正常バイアスで強くそれを否定せずにいられない茂吉。

「そんな馬鹿なことあるかい。
そんなことになったら神も仏もいねえってことになるじゃないか」



さて、こちら東京プレスクラブ。
場所は丸の内のどこか?


茂吉が運転手仲間と売りに出されたテレビを見ていると、
放映されている歌番組に臨時ニュースの字幕が映し出されました。



和田弘とマヒナスターズかな?

臨時ニュースに変わると、地中海沿岸で軍用機が撃墜されたと報じられます。
世界のあちこちで小さな衝突が多発しています。



色めきたった茂吉は早速証券会社に電話をします。
戦争なので上がる株を買っておこうというわけです。


ここは首相官邸。

前にずらりと各報道局がテントを出しています。
入り口に一番近いのが朝日新聞とNHK。
おそらく力のある順番に並んでいるのでしょう。



事態を受けて日本政府の閣議が始まりました。
この内閣のメンバーは、

総理大臣 山村聡
外務大臣 上原謙
防衛庁長官 河津清三郎
官房長官 中村伸郎
厚生大臣 熊谷卓三
文部大臣 生方壮児
法務大臣 土屋詩郎

「もし何かあったら我が国も連邦国陣営の一環である限り
攻撃を受けることは覚悟しなくてはいけない」


そうならないための最善の努力を、と閣議は締められました。


そんな事態を夢にも知らない恋人たち。
商事会社でOLをしている冴子のもとに高野からの電話がかかってきます。



船の給仕長が胃を切除したので、その見舞いに行ってから帰る、と高野。
当時の横浜港ですね。


彼が向かった先は保育園でした。
おりしも運動会が行われています。



療養中だった給仕長、江原(笠智衆)の娘は保育園の保母です。
彼は運動会の手伝いにやってきていたのでした。



高野が下宿の田村家に帰宅してきました。


待ちかねていた冴子は、背広の上着を受け取ってそれをハンガーに掛け、
男が服を脱いで立っている後ろから着物を着せ掛けてやるのでした。

そして得意そうにアマチュア無線のライセンスを取ったことを報告します。

下宿人の高野の自室は二階にあり、しかも和室なので、
冴子は彼が留守の間に遠慮なく部屋に入り込んで勝手に掃除をしたり、
なんなら私物の無線機で練習してライセンスを取ったりしていたわけです。

昭和の時代は、鍵のかかる自室などそもそも存在しないものでした。


さて、ここはどこにあるのかはわからない、連邦国極東ミサイル基地。

ってことは、日本政府は連邦国の同盟国として(ややこしいな)
国内の基地での核保有を唯々諾々と引き受けたことになるんですけど。

え?ミサイル基地を管理しているのは日本ではなく、連邦国だからセーフ?

なわけあるかーい(笑)


そのミサイル基地で輸送機の到着を確認するのはマック中尉。
(もしかしたら大尉かもしれません)
輸送機6機が空輸してきたのは大陸間弾道ミサイルでした。



こちら連邦国軍ミサイル基地のCICの様子。
自衛隊との連携とか関与は一体どうなっているんだろう(棒)


マック中尉にミサイルの受領を命じ、潜望鏡を覗く基地司令役、
ハロルド・コンウェイという俳優の名前、覚えておられます?

そう、「地球防衛軍」のインメルマン博士ですよ。

コンウェイは、その後の本多猪四郎監督の「宇宙大戦争」でも
同じインメルマン博士で出演しています。

今回英語のサイトで初めて知ったのですが、コンウェイは元々税理士で
日本で本業の傍ら外人役として各種映画に出演していた「兼業俳優」です。

そのサイトの紹介を翻訳しておきます。

「20年以上にわたって複数の映画に出演し、英語と日本語を自在に操った。
日本では『ミステリアン』(1957年)のマーカライトFAHPの開発者、
デグレイシア博士役が有名で、この時の芝居がかった日本語が
外国人俳優として、印象的だったと言われている。

また、『GODZILLA vs. THE THING』(1964年)の撮影では、
他の英語圏の俳優とともに、日本版には収録されていないが、
他の英語圏のマーケットで上映されたシーンに出演している」

コンウェイ氏は1996年、85歳で亡くなるまで日本に在住していました。


輸送機の後部からぞんざいにずるずると引き出されるミサイル。
核兵器なんだからもうちょっと丁寧に扱おう。



林立するミサイル。

新しく6基が追加され、全部で12基ということになります。
憲法9条的には、日本が保有している武器じゃないからいいのかな?


その時、基地レーダーが航空機の接近を感知しました。
サイレンと共に、ミサイルが地下に沈んでいきます。

アメリカのミサイルは、冷戦当時「サイロ」に収納されており、
核爆弾の攻撃を受けても生き残ることができたと言いますが、
彼方がサイロからの発射を設計されていたのに対し、こちらは収納式です。

当時の核ミサイルも、もしこの技術があれば採用していたでしょう。



低空で侵入した同盟国の偵察機は、あっさりミサイルの撮影に成功。
連邦国、偵察機を全く迎撃しないのはどういうわけなのか。

しかしこれで、極東に核が存在するということがわかってしまいました。


目には眼を、ミサイルにはミサイルを。

というわけで、同盟国軍は情報を得るや否や、ミサイルを稼働させ、
発射事態に備えて準備を整えました。



その夜、高野ら二人が結婚の許しを得るシミュレーションをしていると、



それを茂吉が聞いていたため、なし崩し的に許可が降りました。
よかったですね。


翌日、ワトキンスが高野に会うため、茂吉に自宅まで案内させました。
航海士である高野が見たという怪しい光についての取材です。

ジェリー伊藤の英語はネイティブ、日本語はかなり拙い感じです。

ちょっと驚いたのは宝田明の英語で、なかなかの発音です。
宝田は海軍技師の息子で、武官として駐在していた朝鮮で生まれており、
大学教育は受けていませんが、英語は喋れたようです。

高野はワトキンスにオレンジ色で周りに紫の輪が見えた、と証言し、
ワトキンスは、それはナトリウム爆弾であろうこと、そして
偵察用のスパイ衛星が飛んでいたのかもしれないと推察しました。


ところで、先日来当ブログではアメリカの偵察衛星シリーズを取り上げ、
1960年当時、アメリカが「スパイ衛星」を打ち上げまくりながら、
それを表向きは科学衛星だと言い張っていた、と書いてきました。

しかし、それから1年も経たぬのに、大衆映画のセリフに出てくるくらい、
その存在は周知のものとなっていたってことなんですよね。

天網恢恢疎にして漏らさずってやつかしら。

続く。



映画「ビロウ」〜見える敵と、見えない敵

2022-03-05 | 映画

オカルト戦争映画「ビロウ」二日目です。
この作品の日本発売のDVDパッケージの

「見える敵と見えない敵」

というアオリ文句には、上手いこと言うじゃないかと珍しく感心させられました。

さて、前回までで、「タイガーシャーク」前艦長が、この哨戒で命を落とし、
霊となって超常現象を起こしているらしいとわかりました。

潜航中にレコードが鳴り出して敵の攻撃が始まったり、
艦外修理中にクアーズ中尉が謎の死を遂げたり、
艦外からモールス信号で「帰ってきた」と通信されたり。

こんな潜水艦という舞台でしか起こり得ない怪奇現象は、
全て戦闘行為や事故ではなく、乗員によって命を断たれた艦長が
恨みから起こしているのだろう、と見ている誰もが映画半ばで気づきます。

ホラー映画の定石から言うと、この後の見るべきところは
艦長の死の秘密が解き明かされ、彼を手にかけた真犯人を、
呪いのパワーがどんな酷い目に遭わせてくれるのかといったところです。

つまり、この後の展開はホラー的にはもう見えたも同然なのですが、
ただこの映画の他と違うところは、これが戦争中の、潜水艦の中の出来事という
ディティールにあり、逆にいうとそれしかないということでもあります。

さて「タイガーシャーク」の異変は続いていました。



操舵席ではおかしなことに、舵輪が勝手に動き出して
二人がかりでも修正することができなくなり、果ては弾け飛んでご覧の有り様。


「タイガーシャーク」乗員は、この相次ぐ異常現象をどう捉えているのか。

「俺たち実はもう死んでるんでね?」

「なるほどー、気づかんかったわ」

冷静な機関長は、蓄電池から出た水素のせいで、
酸素不足が皆の脳にバグを起こしたに過ぎず、おかしなことも
たまたま起こった機械のトラブルだ、と言い切ります。


航海士であるキングスレーやオデール少尉、クレアの三人は、艦が、
いつの間にか敵を撃沈したとされる場所に向かっていることに気が付きました。

オデール少尉は、そのことをルーミス大尉に質問しますが、
お前がイギリスに行きたいからなんかしたんじゃないのか、と逆ギレされるのみ。



さて、壊れた舵は油圧を回復すれば動くようになるはずですが、
油圧管が通っているのは蓄電室であり、しかも水素が充満しています。

そこでブライス大尉とルーミス大尉は、なぜか乗員に知らせずに
下の区画をこっそり密閉して、蓄電室での修理を決行することにしました。

どうしてせめて乗員を上の区画に避難させないんでしょうか。
何を考えているんだこの幹部たちは。



危険な作業がドアの向こうで行われていることを何も知らずに
潜水艦での「日常」を過ごす乗員たち。



イリノイ州ノックスビル出身の乗員は、就寝前に娘の写真に投げキスします。


しばらくしてブライス大尉がチーフと連絡を取ろうとしますが、返答がありません。
そりゃあるわけないよね。


恐る恐る水密ドアを開けてみると、
全員が真っ黒になった区画の中で焼け爛れて死亡していました。

火花が水素に引火して爆発したんです。
ってさ、どうしてなんの振動もなく音も叫び声も聞こえてこないの?
狭い潜水艦で区画一つが吹っ飛んだと言うのに。

しかも、中に踏み込んだオデール少尉らは、爆発直後だというのに
普通にドアのノブや床のグレーチングに素手で触っています。

こんな大爆発を起こして激しく炎上し燃えたなら金属は熱くなるよね?
他の区画も無事ではいられないと思うんですが。


まあ、それはよろしい。よろしくないけど。

わたしがホラー映画として一番怖かったのはこのシーンです。
ドアの鏡に映るルーミス大尉の動きが、実際より一瞬だけ遅いのです。

しばらく映像を凝視して動作を確認していたルーミスですが、鏡に背を向けた瞬間、
彼は感じました。
鏡の中からこちらを見ている自分自身を。

振り向いた彼が見たものは・・・

「ああああああ〜〜〜〜」画像自粛)



血相変えて飛び出してきたルーミス。



「ルーミス?」

「奴がいる!」

錯乱状態のルーミス大尉はそのまま出て行ってしまいました。


外に。



アクアラングなしで。


生き残った数名の乗員が呆然としていると、物が落ちる音がしました。
駆けつけてみると、廊下には前艦長ウィンターズ少佐の私物一式が・・・。


そのときブライス大尉は艦長室のカーテンの奥に、
確かに「それ」を見たのです。

艦体はそのまま海底に鎮座し、暖房が切れてバラストも動かなくなりました。


スタンボという掌帆員はまだ生きていて、床でぶつぶつ独り言を言っていました。


そこで看護師のクレアが彼を正気にするために殴りつけます。
この怒れるスタンボのセリフも、PG-13が取れなかった理由の一つでしょう。


ここでオデール少尉は、いきなりクレアにこんなことを言い出します。

「ルーミス大尉は勲章が欲しかった。
ブライスは昇進してアナポリスに行こうとしていた。
クアーズは故郷に美人のガールフレンドが待っていた。
だからだ。」

いや、ちょっと待ってほしい。

まず、オデール少尉は、艦長の死の真相を知っているのでしょうか。
それとも知らないで想像でこれを言ってるんでしょうか。

本人も言うように、彼にとってこれが初めての哨戒任務であり、
途中でどこかに行っていたとかでないのならば、当然彼は
艦長が亡くなった時、「タイガーシャーク」の幹部としてそこにいたわけです。

「ドイツの船を沈めた後、艦長が暖炉の飾りを拾おうとして海に落ちた」

と言うのを今まで信じていたのが、おかしなことが起こりだしたので、
どうやらそれは嘘で、3人の士官が艦長を殺したらしいと気付いたのでしょうか。

それならどうしてその理由だけをこんなにはっきり言い切るのか。

しかも、なぜ3人が自分の保身のために艦長を殺したのか、
艦長は何をしようとしたのかについては、わかっていないようなのです。

そんな馬鹿な。

だって、オデール少尉も潜水艦の幹部のひとりなのに、
なぜ彼だけがその時何も知らずにいられたのか、知らされなかったのか。


なぜこの映画はこんな無茶苦茶な設定になっていると思いますか?
お分かりいただけただろうか。
ヒントは、「映画の主人公が誰か」です。

本作の主人公は、若いアメリカ人イケメン士官であるオデール少尉です。
彼は事件が発覚するきっかけを作った女性看護師のカウンターパートでもあります。

主人公が、同盟国の女性看護師とともに黒い殺人事件の真相を暴く。
それには、オデール少尉が「事件を起こした側」であってはなりません。

しかし、潜水艦という特殊な狭い環境下で起きた事件について、
いくら下っ端でもここまで知らずにいられるわけはないのです。

完全にこれは映画の設定ミスというやつです。

わたしは、オデール少尉の役は、救難機かなんかのパイロットで、
撃墜されて英病院船にいたことにすればよかったのにと思っているのですが、
彼が「潜水艦乗員」であることは外せなかったのかもしれません。



さて、そうしている間にも、艦内の空気は残り少なくなり、
クレアも朦朧としてきてしまいます。


そのとき彼女はこのメモとブライス大尉の書いた航海ログを見つけました。
そして彼女はついに事件の真相を知るのです。



その日、2315、ドイツ軍艦らしき艦影を発見した「タイガーシャーク」は
1発の魚雷を放ち、命中の手応えを感じました。



隔壁の破れる音を確認し、撃沈は確実だと思った四人の士官たちは
敵艦の沈没を確かめるために、甲板に上がります。

「標的艦は炎上しており、海面には無数の人間が漂流していた」

クレアが読み進めたところ、そこで記述が途絶えていました。


そのとき彼女は寝台の上に人影を見ました。
人影は彼女に何かを告げているようにも見えます。

怯えながらも、彼女の脳裏にある考えが閃き、彼女は震える手で
あの日沈めたと彼らが言うところのドイツ艦と、
自分自身が乗っていた病院船、フォート・ジェームズ号、
二つの艦影を重ね合わせてみたのです。

するとそれはほぼ同じ艦であるかのようにピッタリと重なりました((((;゚Д゚)))))))

つまりフォート・ジェームズ号を沈めたのはUボートではなく、
この「タイガーシャーク」だったのです。

これが真相でした。
ウィンターズ艦長は間違って同盟国の病院船を1発で撃沈したことを知り、
すぐさま海上の生存者を救出させる指令を下そうとします。

ところが、軍法会議にかけられキャリアを台無しにすることを恐れた三人の士官が、
暗黙の了解のうちに艦長を亡き者にしてしまったのです。


その頃潜水艦内では浮上のための努力が続いていました。

蓄電池が切れたので空気を送るために、全員が一丸となって
ワイヤーを素手で掴んで引っ張っております。

これをするとどうなって空気が送られるのかわたしにはわかりませんが、
空気が少なく、飲み残しのコーヒーがカップの中で完全に固まるくらい寒いのに、
全員全く白い息も吐かず、元気いっぱい綱引きをしております。

「もうおしまいだ!」
「ちくしょー!」

と言いながら引っ張っていると、あら不思議、
艦が浮上していくではありませんか。


こう言うところの詰めが甘いのは、ホラーに話を振り切った結果ですかね。


しかし、このとき引っ張られたワイヤーの先の部品が飛んで、
それを頭部に受けた病院船の航海士キングスレーは亡くなってしまいました。

この人は艦長の死に何も関わっていないのに・・・・。


見事浮上したところに別の艦が接近していることが探知されました。
どうやら同盟国艦船らしい、と一同が沸き立ったそのとき、


「よくやった、オデール少尉」

折り目もパリッとした軍服にタイを締め、ブライス大尉登場。
こざっぱりと髪の毛までいつの間にか撫でつけて。
そういえばさっきこのおっさん暗闇で髭を剃って靴を磨いていたな。

「私はもう大丈夫だよ」
”I'm feeling much better now."


オデール少尉がもはや艦を捨てるべきです、というと、ブライス大尉は、



「コネチカットになんといえばいい?」

と、この期に及んで艦を維持することを主張するのでした。
オデールが構わず通信員に救助をコンタクトするようにいうと、ブライス大尉、

「君は艦長ではないぞ」

するとオデール少尉、ここぞとばかり、

「あなたも違いますよね!?」



ブライス大尉は途端にキレてオデール少尉を殴りつけ、
腰の銃を抜くが早いか、通信機にぶっ放して破壊してしまいました。

気がくるっとる。


ところで、男たちが無益な争いの真っ只中にいる間、
ここでもいい意味で空気読まない働き者のクレアは、勝手に外に出て、
雨の中、通りすがる船にカンテラを振って助けを求めておりました。


彼女のいないのに気がついて甲板に上がってきたブライス大尉に、

「みんなを艦もろとも葬るつもりなのね?」

と烈しくなじり、ブライスに突きつけられた銃を自分の喉元に当てて、

「殺すなら殺しなさいよ!え?」

この映画で最も男前なのは実はこのクレアだったりします。

ついでに英語では彼女、ブライスに対して

「このf×××ing coward!」

とまで罵っております。

これは、階級社会の軍隊の中で彼女だけが無関係だからです。(看護師ですが)

「女性が乗ってきたから縁起が悪い」

という最初の思わせは全く逆で、潜水艦の置かれた最悪の事態を打開したのは
実は勇気あるこの女性というオチだったんですね。


見張り塔には、ハッチを開けて出ていったルーミス大尉が引っ掛かっていました。

いよいよおかしくなったブライス大尉、ルーミス大尉の亡骸に向かって
パンパンと銃を当てながら彼を罵ります。

「『すぐに離脱するんです!
彼らはUボートのせいだと思ってくれるでしょう』だと?
『見つからないように早くここから去りましょう』だと?
他にアドバイスはないのか、チャンプよ?」

あー、間違えて病院船を撃沈した現場から離脱しようと言ったのは、
だれかと思ったらルーミス大尉だったのね。

でも、ブライス大尉だってそれに同意したんだよね?
人のせいにしてはいかんよ。



そのとき、先ほどの船が灯りに気づいたのかこちらにやってきました。


ブライス大尉は夢遊病のひとのようにクレアに語りかけます。

「私はどうにかしようとしたんだ・・・なんとかなると・・
なんとかしてウィンターズの名誉を傷つけないようにと・・

私はこのユニフォームを着て港に帰るはずだったんだ。
だが・・・・
私はどうしたらいい、ミス・ペイジ?

もう・・何もわからない!


「ライトを拾って私にちょうだい!」

甲板に駆け上がったオデール少尉とウォラースが見たのは、
まるで手負の獣を宥めるように、ブライス大尉に手を差し伸べるクレアの姿でした。


ライフルを構えるオデール少尉の前で、ブライスはこう言います。

「ああ、わかったよ。どうして彼が私を殺さなかったかが・・
彼はそれをする必要がなかったからだ。

さて、私は何をすると思う?ミス・ペイジ」


(え・・・・?)


次の瞬間、彼はライトを海に放り込み、続いて銃をこめかみに当てました。





そもそも、最初にイギリスの病院船を敵と間違えたのは誰だったのでしょうか。

艦長はじめ、ブライス大尉、ルーミス大尉、クアーズ中尉の誰もが
海軍軍人として任務を遂行する上で起こり得るミスを起こしたにすぎず、
少なくともその時点では誰一人として悪人ではなかったのです。

しかし、「軍人としての名誉を守るための嘘」は、
犠牲になった艦長の霊の深い恨みとなって彼らを死に引き摺り込みました。


危ない人がいなくなったので、ここぞとオデール少尉は銃をぶっ放し、
近づいてきた船に合図を送ります。


ところが、船は通り過ぎていくではありませんか。


一同が絶望的になったそのときです。


船から信号花火が打ち上げられました。




彼らを救出したのはイギリス船籍の民間船RMS「アルキメデス」でした。

この映像では船尾にユニオンジャックがありますが、彼女は商船なので、
実際なら旗竿に近い上の隅に、ユニオンフラッグがついた
小さな赤い旗だけをつけているはずだそうです。(ネット情報ね)


助かったのは、まず、通信員の「物知り博士」ウォラース。
集めていたポップコーンのおまけである潜水艦をなぜか海に指で弾き飛ばします。


そして我らがクレア・ペイジ看護少尉。



彼女に平手打ちを喰らって正気を取り戻したスタンボ。

「あんたは今までで俺を殴った最初の女ってわけじゃないが、
最後の女になることもなかったわけだ。
・・・俺を正気に戻してくれてありがとよ」


「Well done」を互いに投げかけ検討を讃えあう二人でした。



そしてオデール少尉。
船端に佇む彼のところに船長がやってきて、


「君の船が沈んでいくよ」



本当だ・・・。


艦体は悲鳴のような軋みをあげ、艦尾を上に向けて海に姿を消しました。
彼はクレアとこんな会話を交わします。

「君ならなんて”これ”を説明する?」

「今となってはもう誰も信じないわよね」

「ウィンター艦長が死んだとき、彼は・・残していったんだ
・・どう言えばいいんだろう」

ええ?ちょっと待って?
もしかしたらオデール少尉、艦長が死んだ時のこと何か知っていた?
このセリフ、一体どういう意味なんだろう。
それに対してクレアは、

「あなたが思う通り言えばいいわよ、少尉。
でも、わたしたちは何か
訳があって引き戻されたんだ
と思うわ」



そのとき、彼らには知る由もないことでしたが、海面から姿を消した潜水艦は
真っ直ぐ、目的を持っているかのように確信的に海中を落下していました。



そして、海の底で潜水艦を待っていたのは・・・・・。
潜水艦は引き寄せられるように「フォート・ジェームズ」の側に横たわりました。


今回、どこかの映画サイトの感想(日本語)に、

「なぜ前艦長だけが呪いのために現れたのだろうか。
それをいうなら、殺されたドイツ人や撃沈された病院船に乗っていた

たくさんの犠牲者は一斉に化けて出てこなくてはいけないはず」

というのがありました。

この感想を書いた人は、おそらく最後のシーンをちゃんと見ていないか、
あるいは日本語字幕にとらわれてペイジ少尉の最後の言葉を
きちんと解釈しなかったのではないかと思われます。

間違えて撃沈された病院船の元に潜水艦を引き戻したのは、
果たして艦長の霊だったのでしょうか。
それとも誤爆で命を失った無辜の民間人の怨念だったのでしょうか。




映画「ビロウ」〜呪われた潜水艦

2022-03-03 | 映画

今日は3月3日。
世間一般では雛祭りですが、海軍的にはちょっと違います。

ということで(どういうことだ)今回お送りするのは、
当ブログ映画部にとっても前代未聞となるオカルト戦争映画、「Below」です。

わたしは、年に何度か、ブログのネタのために、内容をほとんど精査せず、
それらしいタイトルの廉価版DVDをまとめ買いするのですが、
このDVDはどういうわけか、パッケージに日本語が書かれておらず、
再生してみると日本語字幕もない正真正銘の海外版でした。

さては輸入盤が間違って届いてしまったのか?と思ったのですが、
普通に再生はできるので、DVDのリージョンは日本ということです。
????

もうこの時点でオカルトです。

とりあえず観てみると、わたしでも英語字幕さえあれば意味がわかるレベル。
知らない単語といえば、劇中盛んに「malediction」と言い出したので、
Siriさんに「”めあでぃくしょん”ってなんですか」と聞いたくらいでした。

潜水艦とオカルト、というのは洋の東西を問わず相性がいいようで、
我が帝国海軍にも沈没潜水艦と33の数字にまつわる有名な話があったりします。
当作品はその相性の良さをベースに、オカルト要素を前面にした作品です。

タイトルの「ビロウ」Below は文字通りの「水面下」。
日本の配給会社には珍しく、原題そのままを採用する英断です。

タイトルの、水深計の数字が移り変わる影とともに、
陽の照る海面の映像から、ゆらゆらと湧き上がるように現れる「BELOW」の文字。

さすがにこのタイトルに対し「呪いの潜水艦」とかはまずいだろう、
とさしもの映画配給会社邦題担当氏も考えたに違いありません。


映画は第二次世界大戦中、1943年の大西洋上空から始まります。

イギリス王立空軍RAFのPBYカタリナ哨戒機のパイロットが
手紙を入れたコーヒーボトルを海上に投下していました。

海上に漂う、英国籍の病院船「フォートジェームズ」生存者にあてた
その手紙の内容は、

「燃料が足りない 救助を寄越す」



そして、イギリス軍から海上の生存者を救難する要請を受けたのは、
折りしも付近を航行していたアメリカ海軍潜水艦、USS「タイガーシャーク」

この「タイガーシャーク」として映画撮影に使用されたのは、
ガトー級USS「シルバーサイズ」Silversides SS-236です。

「シルバーサイズ」は第二次世界大戦中14回の哨戒にも生き残った殊勲艦で、
戦後は、金銭的な問題から存続の危機に見舞われながらも、
記念艦としてミシガン湖マスケゴンで保存されています。

撮影は「シルバーサイズ」をミシガン湖の中央まで曳航しそこで行われました。

本作への出演は、彼女にとって保存のための資金を稼ぐチャンスでしたが、
肝心の映画が全く不評で、配給収入も低調に終わったのは無念というべきでした。



救助要請を受けた「タイガーシャーク」のブライス大尉とルーミス大尉は、
なぜか暗い顔をして、現場への急行を渋る様子を見せるのでした。
しかし上からの命令とあっては仕方ありません。

翌朝、彼らは赤い帆をつけた救難ボートを発見します。
帆が赤いのはイギリスの救命ボートである、と
艦長は本作主人公であるところのオデール少尉にいいます。

「独軍の救命艇なら帆は白い。教わらなかったのか、少尉?」

この航海が潜水艦最初の任務だというオデール少尉は、

「いえ、ラテン語の『潜水艦員のモットー』は習いましたけど」

艦長は呆れた顔で少尉を眺めます。

この最初のシーンはわたしにとってまずまずで、たとえ世間的にB級映画でも、
こういう蘊蓄があればヨシ!といきなり本作に対する点数が甘くなりました。


その時、レーダー駆逐艦の艦影を捕らえたため、救助は急ピッチで行われました。
重症の一人目、そして二人目と収容していき、三人目・・。

”Next man!"  ”Next man!”


「ねくすとめ(絶句)・・・・・」

なんと3人目は女性、撃沈された船の看護師だったのです。

大戦中、潜水艦に救出された看護師を乗せたという例は、
映画「ペチコート作戦」のときにも説明したように存在しましたし、
なんなら「太平洋航空作戦」の冒頭に出てきたシーケンスのように、
女子供を潜水艦が運んだということも現実にありました。

しかし、この状況で若い綺麗なお姉さんが乗り込んでくるなど、
ベテランの潜水艦乗員にとっても想定外だったでしょう。
一同「虚を突かれた思いがした」様子ですが、今はそれどころではありません。



早速急速潜航の行き詰まる一連のシーケンスが展開されます。



艦体そのものは「シルバーサイズ」を使っていますが、
実際に動かす必要がある装備には新たに作られた小道具が使われているらしく、
操舵器には経年劣化が全く見られません。



潜航のためにフィンが降ろされています。(本物)



「シルバーサイズ」は一応まだ稼働できるようで、潜航シーンもあります。



鯨のお腹のようなデッキから水が噴き上がります、


おそらくこの後、模型と切り替わっていると思われますが、
あまり自然なので模型だと見分けられる人は少ないかもしれません。


接近してきた艦船を羨望鏡で確認。



ブライス大尉は「ドイツ海軍のZ級」駆逐艦であるらしいと確認し、
潜航深度をさらに下げる決定をしました。


その頃潜水艦乗員の間では、司令塔から後ろと前に向かって、
救出した中に女性がいるという衝撃のニュースが伝言ゲームされていきます。

「3人のブリッツ(イギリス人)だ。一人は女(スカート)だぞ!」

女性=スカートくらいなら、何の問題もなかったと思うのですが、
ここから倫理コードに引っかかりまくりのセリフが出てきます。



bosooma・・・辞書には載ってなくても意味はわかってしまうという。

さらにこの時、女性=「bleeder」と表現したせいで、(たぶんですけど)
この映画はPGー13レーティングを取れず、結果として
上映が非常に限られた映画館でのみのものとなってしまいました。

この表現は、乗員が「女性はbleeding=不浄だから不吉である」
というジンクスを抱くという流れにつながっていて、観ている者は、これで
「女性が乗ったから不吉なことが起こるのだな」と先入観を持たされます。

しかし、実は、種明かしをすると、こう思わせることが映画に仕掛けられた
一種の「トリック」となっているのです。

というわけで、この表現は、たとえPG-13が取れないとわかっていても、
監督にとって、どうしても外せなかったということなのでしょう。



病院船に乗り組んでいたというクレア・ペイジ少尉に対し、
乗員の中で最初にまともな会話を交わしたのは、若いオデール少尉でした。



彼は潜航中の物音に怯えるクレアを気遣います。

しかし、クレアはどことなく挙動不審です。
重症である生存者の一人の手当てを決して乗員にさせないのです。



その後、幹部らとオデール少尉は、もう一人の軽傷の生存者、
商船海軍二等航海士のキングズリーから沈没に至る事情を聞いていました。

船を攻撃したのは確かにUボートだった、と彼は証言します。
しかしオデール少尉はその証言は変だと直感します。


そこにやってきたペイジ少尉を目を逸らし気味に見ながら、ブライス大尉は
彼ら二人に、遠回りになるからイギリスまで送れない、と宣言します。
そしてついでのように彼女に、

「乗員たちと馴れ馴れしくしないでくれ。
中にはちょっと変わっているというか・・」

「迷信深い人がいるって意味ですか」

「普通でない状態だからね」

士官たちも動揺してしまうくらいの別嬪の存在が兵に与える影響について、
最先任としては当然持つべき懸念という気はしますが、どうも
このブライス大尉の様子が何かを隠しているようで怪しい。

クレア・ペイジに対する接し方も、警戒し過ぎているように見えます。


その頃下の階では、通信員ウォラースが乗員に怖い話を朗読していました。
(手前の乗員は魚を飼っている)

ここで早速出てくる単語が「Malediction」です。



十代の水兵が幽霊話を怖がるのを皆で面白がっていますが、
実はこれはわかりやすい伏線となっています。


オデール少尉は、ルーミス大尉に病院船沈没に対する疑問をぶつけました。

「Uボートが魚雷一発しか攻撃しなかったって、変じゃないですか?」

たいしたことじゃないさ、と一見軽い調子で答えるルーミス中尉は、
話しながらずっとヨーヨーを弄んでいます。

彼が劇中で披露するヨーヨーの技は「世界一周」「犬の散歩」などで、
このために特別レッスンをブライアン・カビルドというプロに受けました。

カビルドは「ヨーヨーWiki」に名前が載っており、
ロールエンドにもその名がクレジットされています。


その夜、通路を歩いていたブライス大尉が
重傷救助者が収容された部屋の前で立ち止まると、中では・・



大尉は「ほらな」と言いたげなうんざりした表情を顕にしてその場を去ります。



そのとき、レーダーが頭上の艦を感知しました。



海上にいるのはE級駆逐艦であろうと予測されました。
彼は通信士官のクアーズ中尉です。



エンジンを止め、息をするのすらはばかる沈黙が艦内を支配しました。
潜水艦映画おなじみの「全員で上を見る」あのシーンです。



その静寂の中、やおらニシンの缶詰を開けて
手で摘んで上から口に放り込むルーミス中尉。
どうでもいいけどその手であっちこっち触るなよ。

そのときです。
いきなりベニー・グッドマンの「シング・シング・シング」、
あのあまりにも有名なイントロが大音量で鳴り出しました。


慌てて駆けつけてみると、ターンテーブルの上のレコードが
誰もいないのに、針を乗せて回っているではありませんか。

危険海域でわざわざジャズを鳴らして攻撃されていた間抜けなUボートも
他の潜水艦映画には登場しましたが、さすがにこんなとき
大音量でレコードを鳴らすのは分かりやすく自殺行為です。

問題は、なぜ勝手にレコードが鳴り出したか。
つまりこれが「最初の奇怪な出来事」だったのでした。



その結果、たちまち爆雷が雨霰と降ってきました。


ここで嘘だろ・・と思ったのが、一瞬全員が天井に張り付いて、
次の瞬間床に叩きつけられるシーンです。
潜水艦が激しく下方に振動すればこういうことも起こりうるのでしょうか。


爆雷がデッキを転がる不気味な音を、目で追う乗員一同。
こういうシーン始め、潜水艦映画としての表現はなかなか見応えがあります。


敵は去りましたが、皆に植え付けられた不信感は拭えません。
なぜピンポイントで駆逐艦が来たのか、なぜレコードが鳴り出したのか。

これを艦内に呼び入れた三人に結びつけるのは自然な流れです。
しかも、ルーミス中尉は、オデール少尉が美人にデレデレして、
何か機密を漏らしたのではないかと言い出す始末。

ちょうどその時、ブライス大尉は、重傷者の手当てに当たった衛生兵から
彼が着ていた衣服のタグを見せられました。



これで謎が解けた、とばかり手錠と銃を持ち、
クレアが怪我人の包帯を巻き直しているところに踏み込んで、



「起きろ、ドイツ人」

すると彼は慌てる様子もなく、



「やあ、マイン・カピタン(我が艦長)」

ちなみに後にして思えば、このドイツ人パイロットのセリフも、
一つの伏線となっているのですが、この時点では誰も気づきません。

彼は撃墜されたドイツ機のパイロットで、戦争捕虜として
クレアの乗っていた病院船に収容されていたのでした。
クレアは必死で、彼はPOWでありジュネーブ条約で保護される立場だ、
と訴えるのですが、艦長は問答無用で射殺してしまいます。

そして、彼女がそのことを言わなかったせいで、
全員の命が危なかった、と激しく詰り、彼女を監禁させました。

駆逐艦の攻撃やレコードを全部ドイツ人のせいにしたいようですが、
死にかけていた彼がどうやってそれを?となぜ誰も突っ込まないのでしょうか。


現に、ドイツ人を殺害した後、またレコードが鳴り出します。
それを任務の重圧でおかしくなった乗員の誰かのせいにして
幹部らは納得しようとするのでした。

乗員の「侵入者」に対する忌避感は、一人がドイツ人であったことで顕在化し、
次いで乗員たちは「よそもの」「女性」であるクレアに嫌がらせを始めます。


彼女のベッドの下に遺体を転がしておくとか悪質すぎ。

ブライス大尉は嫌がらせの犯人に一応は注意して見せますが、
クレアの「船の(ship)乗員全員が死者に敬意を払うべき」という抗議に対し、
「shipじゃない、これはboat(潜水艦)で君はゲストだ」と言い返します。

要するにシロートは余計な口を出すな、と言っているわけですな。


悪戯がうまくいったので声を殺して馬鹿笑いする乗員AとB。


しかし、乗員Bが死体袋からかすかな声を聞いたような気がします。

「引き返せ・・・」「ひっ・・・・」

引き返すって、どこに?


それからが怪奇現象のオンパレード。

まず、クレアの目の前に、ドサリとどこからともなく落ちてきた
シェイクスピア悲劇全集は、ブライス大尉のものでした。

彼女が手に取った時、開かれていたのは「マクベス」のページでした。
「マクベス」は自分を殺した殺人者に復讐する幽霊の話です。


ここは艦長室のようです。

ここでもどこからともなく男性の声が聞こえてきたり、
ドアが跳ね返ったりして脅かしにかかってきますが、彼女はこの部屋が
つい最近までウィンターズ少佐という艦長のものであったことを突き止めます。



つまり、今の今まで彼女が艦長だと思っていたブライス大尉は
ウィンターズ少佐の副長だったということになります。

そこにやってきたクアーズ中尉にクレアが尋ねると、
「今はブライス大尉がスキッパーだ」・・と妙な返事。

これは、この哨戒中に何らかの事故で艦長が失われたということになります。

その後艦長室を追い出されたクレアが、心配して見にきたキングスレーに
見せた一葉の写真、それは、



慰問で訪れたベニー・グッドマンと前艦長ウィンターズ少佐のツーショットでした。


クレアがブライス大尉に前艦長ウィンターズのことを尋ねると、彼の答えは、



「ドイツの船を撃沈した後、艦長は暖炉の上の飾りにでもするつもりか、
海上の破片を拾おうとして、転落死したんだ」


うーん・・こんな話信用できる?


その時です。
異様な衝撃が艦体に響きました。


海面の駆逐艦が「曳鉤攻撃」を仕掛けてきたのです。
駆逐艦が引っ張る一本の鎖にはいくつかのフックが装着されています。

鉤縄を曳航して海中の潜水艦を傷つけるこの戦法は、
第一次世界大戦中にドイツとイギリスの海軍によって使用されましたが、
第二次世界大戦中のドイツ海軍が用いた記録はありません。

しかも、相手の沈んでいるところまで縄が伸ばせなくては意味がありませんから、
使用は浅瀬に限られていました。

ただ、英語のサイトによると、第二次世界大戦中、
日本帝国海軍の艦船がフック攻撃をしたという報告もあるにはあるそうです。

ちょっと調べようとしてみましたが、全く引っかかるものがなく諦めました。



鉤フック攻撃によって、潜望鏡は引き裂かれ、艦体は深く抉られ、
たちまち浸水が始まりますが、致命傷には至りません。

「タイガーシャーク」はそれでも海底から全速で移動し、
フックを逃れることに成功しました。


傷ついた艦体から漏れた油が海上に流れると敵に発見されるぞ、
などと対処法を皆で話し合っていると、一人がついに、

「この潜水艦は呪われてる(This boat is cursed.)」

という言葉を発し、皆がギョッとしてそちらを見るのでした。


艦長代理のブライス大尉は、潜水艦の外に出て外殻から内部に入り
漏れを塞ぐ修理をする特別班に、オデール少尉を指名してきました。



オデールが指名したのは、怖い話を朗読していたウォラースと、


掌帆員のスタンボです。


これにクアーズ中尉も加わり、四人は、まず内側ハッチの外に出て、
そこに海水を注入し、その後外に泳ぎ出していきました。

ところで、いきなり外に出て水圧とか大丈夫なんだろうか。


外に出た途端、マンタの群れに遭遇しドッキリ。
襲われないと分かっていてもこれは怖い。


外側を泳いでマンホールの穴のようなところをくぐると、
そこには水のないこのような空間があるのですが、
本当に「ガトー級」潜水艦ってこんな構造なんでしょうか。


その時、ブライス大尉は、空白となっていた「あの日」のことを
航海ログに記入していました。

「2330、ドイツ軍艦の沈没を確かめるために、士官4名が外に出た
ウィンターズ少佐、私、ルーミス大尉、そして
クアーズ中尉である」


そのクアーズ中尉に、オデール少尉は誰も他にいない絶好のチャンスとばかり、
ウィンターズ少佐の死について尋ねてみました。
するとクアーズ中尉の答えは、

「ウィンターズ少佐は海上の生存者を撃ち殺せと命令したが、
それを拒否した我々ともみあいになり、足を滑らせた少佐は頭を打って死んだ」



「事故だったんだ」

ところが・・・!


クアーズ中尉は、次の瞬間、滴る海水の中から現れた人影が
振り下ろした「その槌」で「後頭部を強く打ち」死亡しました。


パニック状態で艦内に戻ってきたのは三人。

スタンボは完全に錯乱状態で、ケアをしようとしたクレアを突き飛ばし、
オデールは身体の激しい震えが止まりません。


そのとき、外側から規則的に艦体を叩く音がしました。

「モールス信号だ」
「B・・・A・・・C・・・K」
「・・少佐が戻ってきたんだ」


オデール少尉は、潜望鏡もソナーもダメになったこの状態で、
どうして2日で到達するイギリスの港に寄らず、
アメリカに帰ることに固執するのか、とブライス大尉に食ってかかります。

救助した病院船の航海士であるキングスレーは、
深度、防戦網、機雷原がどこかも分かっているのだから、
とオデールはキングスレーと一緒にブライスを説得しようとするのですが。


「乗員も最悪の状態だし、幹部が二人も死んでるんですよ!」
「それが戦争というものだ」

英語ではご覧のとおり「戦争へようこそ」となっています。
この「ウェルカムトゥ」は、

「ウェルカムトゥアメリカ」(これがアメリカですよ)
「ウェルカムトゥジャパン」(日本ってこうですよ)

と、大抵は悪い意味でよく使われます。


そこで空気読まない部外者のクレアがこう言い放つのでした。

「誰も言わないなら私が言ってあげる。
この潜水艦には何か出るわ(haunted)。
すぐに安全な港に戻るのが先決よ」



皆真っ青な顔をして黙り込みますが、ブライス大尉だけは、


コネチカットに帰還すると言い放ちます。
そして、部下ではないクレアには何も言えないものだから、
代わりにオデール少尉に八つ当たり。

「反乱罪の罰を誤魔化そうとしているな。
なんなら今武器庫を開けて銃を再装填して来ようか?
これ以上乗員や私を煽るようなことを言うならな」



オデール少尉は上官に対し、返す言葉を知りませんでした。


続く。



映画「水兵さん」〜卒団

2022-02-11 | 映画

昭和19年5月に制作完了した海軍省後援による宣伝映画、
「水兵さん」の後半です。



山鳥はまだ寒いのに海に落ちたせいで、熱を出してしまいました。



その日、分隊長の留守により、遊興が許された分隊では、
急遽隠し芸大会が行われていました。

おっさんの浪曲など聞いて何が楽しいのかという気もしますが、
娯楽の少ない当時、少年たちは目を輝かせて聞き入っています。



そのとき、鈴木教班長に山鳥の姉が面会を求めてきました。
新兵の間は面会ができないのでかわりに教班長に会ってくれというのです。

演芸会の途中で教班長に生徒の姉が面会に・・・?

これと全く同じシーケンスが「特別年少兵」にもありましたよね。
あの時は、小川真由美演じる生徒の姉は、いわゆる「商売女」でしたが、
こちらではもちろんのこと、そうではありません。


浅田真央ちゃん似

「父がこの度靖國神社に合祀されまして」


母を既に亡くしていた山鳥家は、父を戦地でなくしたので
今はこの姉一人が田畑を守っているのです。

鈴木兵曹はそれらの事情を既に身上調査で全て知っていました。


「特別年少兵」では姉は弟にタバコやお酒を託けようとしますが、
この姉が預けようとしたのは、母の墓の土です。

父も母もいるこの土を、船に乗る時、身体につけていけるように
弟にこれを渡してほしい、といわれ、兵曹は厳粛な面持ちで頷きます。


隠し芸大会はたけなわ。
いつ練習したのか、森村の班員によるハーモニカ合奏が聞こえてきます。


鈴木教班長は山鳥をベッドに見舞い、姉が面会に来たことを伝えます。

「どうしてお父さんのことを誰にも言わなかったのだ」
「父親を戦地でなくしている者は他にもいるでしょうから」


鈴木兵曹は山鳥の健気な言葉に泣きそうになりながら、
預かった母のお墓の土を彼の手に握らせて励ますのでした。


病室に森村が教班長を呼びにきました。

「皆が鈴木兵曹の演奏を待っております」


隠し芸大会のトリは、鈴木兵曹のバイオリンでした。
ところで皆さん、いまさらですが、この鈴木兵曹役、誰だと思います?

若き日(35歳)の小沢栄太郎なのです。

左翼劇場出身の俳優小沢栄太郎は、1940年、所属していた新劇を
軍からの弾圧によって解散させられ、自身も検挙されています。
この映画で海軍兵曹を演じた小沢は、直後に応召され戦地に行き、
復員して日本に帰ってきたのは昭和20年11月でした。

鈴木兵曹がバイオリンで演奏したのは「海行かば」でした。
   

ソロのバイオリンの旋律は、2コーラス目には荘厳なオーケストラへと変わり、
雨の中、弟を訪ねて会えずに帰って行く姉の姿に重ねられます。


去って行く姉の姿をまぶたに描く山鳥。
彼は知っていました。

鈴木兵曹は、国に命を捧げた、山鳥の父のような人々の魂のために
この調べを捧げているのだということを。


■ 山口中尉の出征



主人公森村新八の所属する92分隊の分隊長、山口中尉が
特別に修身の講義を行いました。

 今日(けふ)よりは顧(かへり)みなくて大君(おほきみ)の 
醜(しこ)の御楯(みたて)と出(い)で立つ我(われ)は

山口中尉が吟じた万葉集の防人の歌の意味は、

「今日からは後ろを振り返らず天皇の至らぬ盾となって出発する私」

であり、黒板に見えるもう一首の歌は、

大君の命畏み磯に触り海原渡る父母を置きて

大君の命令を受けて父母を置いて大海原を渡るという意味です。
映画の冒頭の歌もそうですが、このころの陸海軍では
万葉集の防人歌を軍人精神の涵養に用いていました。


日本で軍人を表す防人が形成されたのは大化改新以降で、
当時の「仮想敵国」、唐からの襲来に備えるため、各国から兵隊を募集して
防波堤となる北九州に集めたが最初と言われています。

防人歌はそんな各国から集められた軍人たちが詠んだものです。
ちなみに任務地は九州でしたが、どこから行くにしても
交通費は自費、食料も武器も自分で用意していたそうです。



「お前たちは畏れながら」

山口中尉が背を伸ばしながらこのことばを口にしただけで
全員が姿勢をしゃんと伸ばします。

「陛下の御盾となって国を守る武人である」


山口中尉が特別に修身の講義を行なったのは、これが最後となります。
中尉に出撃の命が降ったのでした。



「姿勢を正せ!敬礼!」

さすがに海軍直々の監修だけあって、無帽の挙手は行いません。
このような場合の敬礼は、軽く低頭するのみです。



「分隊長!」
「おめでとうございます」

部屋を出ると、教班長らが後から出てきますが、
この時には全員が着帽しているので敬礼を交わし合っています。

その敬礼の角度もさすがに文句のつけようがないほど海軍流。



そして後任の河野大尉(ちゃんと”だいい”と発音している)に引き継ぎ業務。
この大尉が誰かは皆さんもお分かりですね。
笠智衆です。



その夜が、山口中尉にとって内地で過ごす最後の夜となります。
軍服のまま端然と書を記す夫を、



妻は万感の思いを秘めた表情でただ見つめるだけです。
しかし、夫はむしろ淡々と、書の配り先などを指示し、
何か言いかける妻の様子など全く気づかぬ風で、



ゴクゴクー
「もう一つもらおう」

茶碗を持って部屋を出かけた妻ですが、たまりかねて、



「あなた」
「なんだ、あらたまって」

生きて帰ってきてほしい。

本当に彼女が言いたいのはこの言葉であるはずです。
映画の製作者にも、見ている人にもそれがわかっています。
しかし、防人の妻である彼女はこう言うしかありません。

「ご武運をお祈り致します」

これを聞いた山口中尉、むしろちょっと驚きながら



「改まっておかしいぞ。船乗りが船に乗るんだ。別に変わったことじゃない」

うーん、そう言うことじゃなくってだな。

■ 陸戦訓練


軍歌「総員起こし」に合わせて銃を担い行進する少年たち。
今から海浜で陸戦訓練が始まるのです。

「海軍特別年少兵」は、この映画からいろんなシチュエーションを
そのまま流用していますが、これもその一つです。

本作で描かれているのは横須賀海兵団が二つに分かれ、
第二海兵団として分かれた武山海兵団です。
武山海兵団のあった横須賀市御幸浜には、現在
海上自衛隊横須賀教育隊があって、海の防人の養成が続けられています。

彼らが隊列を組んで向かっているのは辻堂だということです。
まさかとは思うが、御幸浜から辻堂まで歩いて行ったんだろうか。
距離にすれば26〜7キロで、普通に歩けば5時間ですが・・。



「特別年少兵」では、梅雀演じる落ちこぼれ少年が短銃を紛失し、
責任を感じて自殺するというストーリーが用意されていましたが、
こちらは海軍の宣伝映画なのでそんな展開にはなりません。



演習を指導するのは新分隊長、河野大尉。


分隊長の指令によりこの水兵さん(多分本物)が手旗信号を送ります。
陸戦訓練の様子は「総員起こし」の歌のもと、音声なしで描写されます。


「特別年少兵」では、演習で旅館に泊まった少年たちが、
久しぶりに畳の上で寝られるので喜びはしゃいでいましたが、
なんとそんなことまでこの映画からの流用であることがわかりました。

森村新八が家族に出した葉書に、そのことが書かれています。


 
葉書には、もうすぐ横須賀の「三笠」見学があるので、
そのとき家族で会えないかということも書かれていました。

戦後、米軍の手によって陵辱にも等しい扱いを受けた「三笠」ですが、
この頃はオリジナルの姿のまま、日露戦争での
日本海軍の偉業を示す資料館として公開されていたのです。


新八の父母に叔母、従姉妹のとき、そしてなぜか
山口中尉の父である近所の御隠居が繰り出してきました。


「いよっ」
この後、新八と家族がお互い相手を探して艦内をうろうろし、
あっちへ行ったりこっちに行ったりするのが、ちょっとした
微笑ましい様子となって描かれます。






新八と父は三笠をバックに二人で写真を撮りました。



彼の訓練ももう終わり、卒業が近づいています。

■ 海戦



ちょうどその頃、太平洋某所では山口中尉の乗り組んだ艦が、
まさに戦いに投じられようとしていました。
超粗い画質での艦隊が単縦陣で波を切る実写映像が流れます。



そして戦闘開始。
もちろんこれらは模型を使った特撮となります。



炎の効果を表すためか、夜戦という設定です。



いきなり「軍艦」が鳴り響き、この海戦に帝国海軍艦隊が
勝利したと言うことになっております。



聯合艦隊大勝利のニュースをラジオで聞いた河野大尉は、
喜び勇んで早速皆にこのことを知らせることにしました。



艦艇実習の最中なので、総員が後甲板に集められます。



メザシになった他の艦からも白い事業服がラッタルを渡ってやってきます。



実習艦の甲板を使っての撮影でしょうか。



「我が水雷艇隊が〇〇〇〇で(聞き取れない)敵の基地に夜襲を決行、
敵戦艦1隻、巡洋艦2隻、その他を撃沈、または撃破した。」

このときから2年前の昭和17年11月、駆逐艦隊8隻が
ルンガ沖夜戦で勝利していますが、その時の戦果は
重巡1隻沈没、重巡3大破でした。

夜戦の勝利というのは同じ時期に二度ありますが、
どちらも一応勝っているものの、特に前者は
「戦術で勝って戦略(輸送)に負けた」と言われています。

まあしかし、海軍の宣伝映画では勝利を描くしかありませんから、
2年も前の戦果をちょっと盛って表現しているわけです。

昭和19年の春くらいなら、まだ国民は、実際には
聯合艦隊が追い詰められていることを知らなかったでしょう。

河野大尉は全く軍人らしくない喋り方でこう続けます。

「しかも、その水雷艇隊の指揮官が誰だったと思うか。
お前たちの分隊長だった山口中尉だぞ」




「山口中尉はそれこそ文字通り、必死妄執、
敵の懐中深く飛び込んでこの偉勲を成し遂げた。
お前たちの分隊長がだぞ」


「このことを深く腹の底に刻み付けて覚えておけ。いいか」


「お前たちの覚悟はいいか!」


艦艇実習が終わった夜、鈴木軍曹は、班員たちが立派になるまでと
いままで我慢していたタバコを晴れて吸うことができました。



ハンモックの中で目が冴えてしまう新八。



眠れないのはみな同じでした。
山口中尉の殊勲を聞いて興奮しているうえに、
明日は彼らの海兵団生活の最後を飾る日です。

「こんな夜に寝られる奴は山鳥くらいだよ」



「寝てやしないよ。ちゃんと起きてますよ」



「何だ起きてたのか」

見回りに鈴木兵曹がやってきました。

「お前たちが明日この団門を出れば、戦艦が、巡洋艦が、
駆逐艦がお前たちを待っている。
海の決戦場が待っている。
ただ立派な、一人前の水兵として、この団門を出てゆく。
そのことが大事だぞ。いいか」


「ここに諸子が蛍雪の功成ってめでたく海兵団の過程を終了することが・・」





いよいよ彼らが海兵団を巣立つ日がやってきました。



子供のような彼らを一人前の水兵に育て上げ送り出す教班長たち。



今から諸子の双肩には日本海軍の大責任がかかったことを
忘れてはならない、という言葉が述べられ、
彼らは海兵団の門を出ていきます。



敬礼しながら門に進む、連綿と続いてきた「海軍流の旅立ち」の姿です。



彼らが左手に下げているのはどう見ても桶なんですが・・・。

「海の男の初陣の 血潮高鳴る太平洋
見事撃滅し遂げねば 生きちゃ戻らぬこの港


君は血潮の陸戦隊 俺は千尋の潜水艦」

そんな流行歌っぽいメロディの歌が流れます。



そして、最初とは別人のようにたくましくなった森村の姿が。



多くの森村新八のその後を知っている我々には、この写真が
その後どんな思いで眺められることになるのだろうとか、
親子で撮った最後の写真になったかも、などということを考えずにいられません。

写真を見る父と母の笑顔に、森村の思い詰めたような
防人の表情が重ねられ、この国策映画は終了します。



「我に敵なし太平洋」

こうして発った森村は、山鳥は、そして山口中尉や鈴木兵曹は、
日本という国体を守るという使命の下、戦いに身を投じていきました。

その結果、彼らは生きて終戦を迎えることはできたか。

その点にのみ焦点を当てて答えを出そうとしたのが、
同じ昭和の、30年後に作られた映画「特別年少兵」といえましょう。


終わり。


映画「水兵さん」〜入団

2022-02-09 | 映画

松竹映画が海軍省の後援で昭和19年に製作した国策映画、
「水兵さん」をご紹介します。



横須賀鎮守府の検閲も行われていますが、これは、
物語の舞台が横須賀海兵団であるからです。



昭和19年5月5日完成、とありますが、この頃、米軍は飛び石作戦で
アドミラルッティ諸島を占領しており、海軍乙事件で古賀峯一大将が殉職、
民間では疎開が始まるなど、戦況の不利が目に見えてきた頃です。

この時世に戦地に送り込む対象をより引き下げたい海軍としては、
海兵団への志願を募るために絵に描いたような宣伝映画を製作しました。

それが本作「水兵さん」です。

軍艦行進曲に乗って連合艦隊の勇姿が現れたかと思うと、
それに万葉集の和歌が字幕で重ねられます。


於保吉美能 美許等可之古美 伊蘇尓布理 宇乃波良和多流 知々波々乎於伎弖

万葉集の原文が振り仮名つきで最初の画面に現れます。
防人であった丈部造人麻呂の歌で、

「大君(おほきみ)の、命(みこと)畏(かしこ)み、磯に触(ふ)り、
海原(うのはら)渡る、父母(ちちはは)を置きて」

意味は、

天皇陛下の命令に従い、磯づたいに海原を渡ります。父母を故郷に残したまま

となり、それはそのまま国のために軍隊に身を投じ、
海軍軍人となって海に出ていく防人のことばとなっています。

つまり、主人公である海兵団の少年たちの未来ということになります。

横須賀海兵団といえば、昨年当ブログでご紹介した
映画「海軍特別年少兵」は、まさにこの横須賀海兵団が舞台でした。
戦後に反戦をテーマに作られたこの映画は、言うならば
「水兵さん」の「その後」ということになります。

両作品を見比べてみると、後者には前者の表現や設定流用したものが多く、
明らかにいくつかのシーンは前者を参考にしていることがわかります。

「特別年少兵」は、つまり戦後の「反省の立場」に立って、
「水兵さん」に釣られて海軍に志願した純粋な少年たちが、
その後どうなったかを糾弾した映画、とでも言ったらいいでしょうか。

あからさまな宣伝を目的にされた本作は、それゆえ綺麗事すぎて
そこに描かれる世界はいかにも作り物めいており、喩えは変ですが、
アメリカの原爆実験でネバダの実験地に作られた家の中に配された
マネキンの家族のように、不気味ですらあります。


■ 志願


さて、それでは始めましょう。
軍艦が描かれた少年誌を熱心に眺めている少年森村新八、それが本作主人公です。


実に素朴で当時としては普通の、その辺にいくらでもいそうな少年ですが、
演じているのは子役出身の星野和正という俳優です。

ちなみに星野は1930年生まれですから、この頃14歳と
ちょうど海兵団の入団資格年齢であったことから抜擢されたようです。
子役として騒がれ、この頃が俳優としての全盛期で、
同じ年に「君こそ次の荒鷲だ」という航空兵徴募宣伝映画、
「陸軍」という陸軍省後援映画に立て続けに出演しましたが、
戦後は数えるほどの作品のチョイ役のみで、いつの間にか映画界から消えました。

演技も上手いとはお世辞にも言えず、この容姿では
失礼ながら当時でも宣伝映画の少年兵以外役はなかったでしょう。


少年は悩んでいました。
海兵団の願書の締め切りが迫っているのに、父親の許可が得られないのです。

彼は母親に父の説得を頼み、母ははいはい、とまるで
ボタンつけを頼まれたように軽く請け負っております。

普通母親ってもう少しこういうことに慎重じゃないのかな。


父親は表具師で、自分の後を継いでほしい一方、息子がとにかく弱虫なので
海軍なんぞでやっていけないだろうと決めてかかっています。


やはり海兵団を受験する友達は、
「君のお父さん、笑ったことある?いつも怖い顔してるね」

この手の映画で興味深いのは、合間に映る当時の街並みです。
ほとんどの地面が当たり前ですが舗装されていない地道です。



その夜、母親が「石頭」の父を説得している間、彼は
なぜか瓢箪に紐を巻きつけています。
この瓢箪が何のためにあるのかも謎ですが、これも表具師の仕事とは・・。



そしてこの母親。
当人が23で嫁いできたと言っているので、すぐに子供ができたとして
せいぜい38歳〜40歳のはずですが、ものすごく老けて見えます。



ここで突如登場した眼鏡っ娘、近所に住む新八くんの従姉妹ですが、
戦時中のこととて、セーラー服にモンペという当時のスタンダードスタイルです。


彼女は新八が友達と海軍に入る約束までしたのに、
いまさら志願を辞めるなんて卑怯者だといきなり責め立てます。

「だって親の承諾がないと応募できないんだよ・・・」(´・ω・`)



眼鏡っ娘としちゃんの母である新八の叔母は、父親の妹。
近所で床屋さんをやっています。
あの父親の妹がこれ?というくらいの美人です。


夫婦は息子の受験について、「近所の御隠居」とやらに相談に行きました。

「近所の御隠居」というワードが普通に存在していた時代。
夫婦はお互いが「内内」のつもりで息子の海兵団受験について
相談に来たのですが、御隠居宅でバッティングしてびっくり。


二人にお茶を運んできたのは、御隠居の家の嫁で、
彼女は海軍軍人である御隠居の息子と結婚したばかり。
夫婦が御隠居に相談に行ったのは、息子が海軍士官だからでした。

「(夫が)家に帰ってくるのは月に一度か二度でございますの」

海軍士官が見染めた美人妻という設定ですが、どうにもこの女優さん。
何やら見ていて不安になる微妙な容姿をしています。
失礼ですが、おそらく歯並びのせいではないかと思われます。



その夫である海軍軍人というのが、本作出演中当時最も有名だった俳優、原保美

当ブログで紹介した映画でも海軍」「乙女のゐる基地」
「日本戦没学生の手記 きけ、わだつみの声」「ひめゆりの塔」
「激動の昭和史 軍閥」
などに出演しています。
当時はいわゆるイケメン俳優枠で各映画に出演していました。



今回、この原保美が原阿佐緒の息子だと知ってカナーリ驚きました。
阿佐緒は当時一世を風靡した「美人すぎる歌人」です。



この写真は昔から原阿佐緒のバイオグラフィで知っていましたが、
左端が保美だったことも今初めて知りました。
ちなみに右端の玉木宏似は阿佐緒の長男で映画監督の原千秋(つまり千秋様)です。


さて、尺の関係なのか、近所の御隠居がどう夫婦を説得したのか、
全く成り行きが描かれないまま場面は検査会場。



検査では体力試験や健康診断などが行われます。
そしてすぐにその場で合格証書が渡されるというご都合設定。



家に帰っってきた号泣寸前の息子を見て、父親は、

「だからおとっつぁんやめとけって言ったんだ!」



「合格した・・・」
「バカ!合格して泣くやつがあるかい」



これが横須賀鎮守府の海軍水兵採用証書だそうです。
鎮守府長官の名前がないようだが。


その夜、父は息子に風呂で背中を流してもらいながら、
ごくありきたりの激励を行うのでした。(いいシーンという設定)



それからが大変です。
近所の御隠居がなんかわからん近所の人たちを引き連れてやってきて、
海軍に関する本をおしつけていったり、



眼鏡っ娘、ときちゃんから宝物の東郷元帥メダル(レアもの)を押しつけられたり。


入団の朝、親子は地元の護国神社に武運長久を祈願します。

■海兵団



ここからは横須賀海兵団での様子が活写されます。(おそらく本物)



教班の分隊長が原保美演じる山口中尉が、
入隊した水兵の名簿に、森村新八の名前と写真を見つけました。

実際は知り合いが分隊長になる確率は低いだろうと思うのですが。


教班ごとに食事の卓が分かれているというこのシーン、
全く「特別年少兵」と同じアングルですね。


ただし本作における教班長は、「特別年少兵」の、
少年たちを理不尽に扱きまくる地井武男のような鬼兵曹ではありません。

「厳しいところもありますが、とても優しいいい方です」

まあ、宣伝映画で、何かあるごとに竹刀で殴られるとか、
集合が遅い班は机を抱えて立たされるとか描かんわなあ。



新八は早速海軍の大掃除が徹底的なのに驚かされます。
海軍の清潔好きは好きというより必要からで、狭い艦内で
伝染病などの病気が蔓延することを極度に警戒することからきています。



初めて水兵服を支給され、敬礼の練習。
そういえば、どこかの海自基地でこんなシールが貼られた鏡を見たことがあります。



相撲の教練には、本物の力士が部屋ごとごっそり稽古をつけにやってきます。
これは兵学校でもそうだったし、何なら水泳の教師として
オリンピックの選手レベルが来たという話もあります。



お次は伝令訓練。
報告を受けて別部署にそれを伝えるという訓練なのですが、



この山鳥という訓練生、何度やり直しても伝達が復唱できません。
「特別幼年兵」にも若き日の中村梅雀演じる落ちこぼれがいましたが、
どうやら本作におけるそういう少年がこの山鳥くんのようです。



銃を持って小走りに走る訓練生たち。
銃は本物で、本当に海兵団の訓練施設から借りているのだと思われます。


山鳥がどうしても復唱できない時には笑っていた教班長が、
色をなして激昂する出来事がありました。



訓練生の小山田が銃を収納する時安全装置をかけ忘れたのです。

「バカっ!貴様それでも軍人か!中は軍人の魂だ!
貴様来い!軍人魂を教えてやる」



二人がどこかに行ってしまったので彼の班は昼ごはんが食べられません。
山口中尉が見回りに来て脚を止めます。



「小山田の銃の取り扱いが悪かったんであります」
「銃か・・」


ところが黙っていればいいものを、森村新八、わざわざ

「小山田もわざとやったんじゃないので許してやってください」

などとでしゃばり、こっぴどく中尉に叱られるのでした。

自分が山口中尉の知り合いだということで、
取りなせば多目に見てもらえるとでも思ったのかもしれません。


道場に連れて行くといったとき、流石に銃に関わる失敗とあっては
鉄拳制裁発動やむなしとわたしも思ったのですが、なんと海軍、
この後に及んで宣伝の妨げになるような実態描写を避けてきました。

教班長の下した小山田への罰直。

それは道場でただ正座して、無言の時間を過ごすことでした。
んなあほな、と戦後この映画を見た人は誰もが思うでしょう。
しかも、教班長である鈴木軍曹、実に悲痛な様子で、



「お前の不注意は俺の教育が足りなかったためなんだ!俺の責任だ」


「・・・・教班長!」

うーん、これは気持ち悪い。じゃなくて、いたたまれない。
鉄拳制裁よりある意味こたえるかもしれんね。

■ 父の転職



次のシーンでいきなり造船所での作業が映し出されます。


当ブログが、プロパガンダ映画で大した筋でもないとわかっていながら
本作をあえて取り上げたのは、こういうシーンがあるからです。
海軍工廠のものか、民間の物かはわかりませんが(この写真は民間船?)。


三菱や玉野などの造船所の内部を歩いたことがありますが、
それでいうと、基本的にいまの造船所とあまり変わらないような・・。

なぜこういうシーンが現れたかというと、それは新の父が、
息子の海軍入りに触発されて、いきなり妻に内緒で
造船所で働くことを決めてきたからでした。

妻も妻で、全く驚きもとがめもせず、むしろそれを大喜びします。
たしかに戦時中は表具屋よりは軍需工場の方が身入りも良さそうですが、
問題はこの1年半後です。

こ敗戦を待たずおそらく父親は軍需工場での仕事はなくなっただろうし、
下手したら空襲に遭うことになっただろうし、無事に終戦を迎えても
戦後は表具の仕事に戻ったところでそんな仕事はなかっただろうし・・。



さてこちら新八くんには、海兵団に入って最初の試練が訪れていました。
マスト上りです。


下を見るなと言われるのについ見てしまい、怖くて体が動きません。


一方造船所に勤め始めた父ちゃんも頑張っています。
作業に入る前に研修?として、皆で槌を振るうポーズの練習。

「イチ、ニ、イチ、ニ!」


こっちも「イチ、ニ、イチ、ニ!」と平泳ぎの陸練習。
何と横須賀海兵団には室内プールが完備していた模様。


続いてはおなじみカッター漕。



ここで海に落ちる生徒が出てくるのも「特別年少兵」と同じ。
場所を交代しようとして落ちるのは、案の定要領の悪そうな山鳥です。
そして、落ちる生徒は必ず泳げないというお決まりのパターン。


「年少兵」とちょっと違うのは、この山鳥、櫂に捕まらず、
「山鳥泳げます!」
を連呼して自力で泳ごうとしてそれに成功するところです。



「嬉しかったー!」
とりあえず何とか泳げたことを皆に自慢する山鳥。



教班長もまた、彼の班のカナヅチの一人が泳げるようになったので、
他の教班長に自慢したりしております。


そんなある日、新八の父が山口中尉に手紙をよこしました。
かれは、父が軍需工場に転職したことを山口中尉の口から聞かされ驚きます。


山口中尉はついでに新八の成績がいまひとつであることをやんわりと説教します。

「お父さんはいつもお前のことを自慢しているというが、
それにふさわしいと自分で言えるか?」

山口中尉は要するに、先日森村がでしゃばったことを含め、
自分たちが知り合いであることで勘違いするな、と釘を指しているのです。

それどころか、教班長にもわざわざ、
「分隊長の知り合いであるからと言って特別扱いは決してせぬように」
と言い含めるのでした。

海軍は、宣伝映画を通じて、海軍の知り合いがいたからといって、
特別扱いはしませんよ、と警告しているように見えます。


山口中尉の叱責を受けたその次の自習時間、森村は姿を消しました。


心配した教班長が探すと、苦手なことからとりあえず克服しようと
一人でマストに登って行く森村新八の姿がありました。




続く。



映画「フライング・レザーネック」(太平洋航空作戦)後編

2022-01-22 | 映画

映画「フライング・レザーネックス」邦題「太平洋作戦」後編です。




その夜、カービーとは決定的に対立します。

ベテランに地上攻撃をさせ、補充兵には爆撃機の援護をさせる、
というカービーの作戦にグリフは反発してきたのでした。

ちなみに例によってこの部分の日本語字幕はかなり細部が省略されていますが、
そのせいで彼らの言い合いがよく理解できないので、全文翻訳しておきます。

「これは逆ですよ!交代させてください。
彼ら(ベテランパイロットたち)は疲弊している」

「いや、これでいいんだ。彼らは地上攻撃の経験があるからな。

・・・いや、訂正だ。君を爆撃隊の援護に回してやる。
その代わり補充兵から一人選んで君の代わりにに地上攻撃に入れろ」

グリフは、補充兵の訓練記録がまだ来ていないため、
誰を地上攻撃に回していいかわからない、と命令を突っぱね、

「えーと、やっぱり(補充兵でなく)私が地上掃射に入りますよ」

するとカービーは、激昂して、

「グリフ、わたしの決断に不満ばかりだな。
君は自分では何も決断できない。
部下を指差して『死んでこい』ということができないんだ。

部下の訓練履歴だと?
誰の女たちがどう思うかとか、子供が生まれたことを知ってるかどうかとか、
そんなことばっかり気にしやがって!
自分のことだけ見てろ。他人の事情まで背負い込むな」


要するに、部下思いというより下から嫌われるのが怖くて、
非情な、しかし任務遂行に必要な命令を下すことができないのを責めているのです。

一旦引き下がりかけたグリフですが、テントを出るところでいきなりブチ切れ。

もううんざりだ!もうあんたは信用できない!

私に言わせれば、カメになるのは簡単だ。
あんた自身を人間味ってものから甲羅で隔てればいいさ。

400年前の詩人が私よりうまいことを言ってますよ。
『人は孤島ではない』(人は一人で生きていけない)ってね。
葬儀の鐘がなるのは死んだ人間のためじゃないんです。
それは残されたものが全員で苦しみを共有するためなんだ。

なぜあんたはそれを分かろうとしない。
文句があるなら階級章を外して外に出ろ!


気色ばんで二人が外に出たところ、人がカービーを呼びに来て決闘はお預け。



集められた幹部に告げられたのは、迫りくる日本艦隊の情報でした。
ここで司令は空母のことを「フラットトップ」と言っています。




最初に編隊離脱で叱責された後、反省して頑張っているシモンズにも声かけを。
ちなみに英語ではこの字幕の「命は大事に」の部分は

「死んだヒーローより生きている海兵隊だ」

となっています。



そして出撃。
さっそく零戦部隊と交戦し、1機を失います。





この時の零戦パイロットを演じているのは、
そこそこ活躍した日系人俳優、Ryoichi Rollin Moriyamaです。



そして、彼らは眼前にトーキョー・エクスプレスを発見しました。

ここから航空隊が容赦無く爆破していく艦船のカラー映像などが出てくるのですが、
これはもちろん朝鮮戦争のものではなく、第二次世界大戦のものでしょう。


どこかで見覚えのあるような



海兵隊マーチが高らかに鳴りひびくと、海面の艦隊はほぼ壊滅していました。



この出撃で航空隊はケルヴィンとシモンズを失いました。
「死んだヒーローになるな」という注意はやっぱりフラグとなったのです。



この任務成功により、カービーと部隊は内地帰還が決まりました。

カービーはなぜグリフを隊長に推薦しなかったか語ろうとしますが、
グリフは耳を傾けることも握手も拒み、二人は気まずい別れをします。

ちなみにカービーが右手に持っているのは酒と一緒に海兵隊が奪ってきた
(のをクランシーが盗んできた)日本刀です。

■ 帰国と『次の任務』





場面はいきなり輸送機からアメリカのカービー少佐自宅前。
タクシーで夜中帰着した少佐は、ポストに、妻が自分宛に出した手紙が
差し戻されて返ってきているのを発見しました。



ここで翻訳の間違い発見。



字幕では彼が嫁に「切手代が無駄になった」となっていますが、
実際には「切手はまだ使えるよ」と言っているのです。
(Amazonプライムの日本語版は『もう切手はいらない』となっていて正しい)

画面にアップにされる手紙の切手にはスタンプが押されていません。
つまり、本人が帰国したため、手紙は戦地に行かず戻されてきたというわけです。

もっとも、軍事郵便は無料だったはずなので、どちらにしても
切手にスタンプを押されることはなかったと思いますが。

もう一つおまけに、このとき手紙に貼られていた6セント切手は、
1949年発行で、戦争中はまだ存在していなかったということです。



息子のトミーは寝ていましたが、起こされて父親を見るなり、

「ハロー・メイジャー」
「パパを少佐とよぶのはやめなさい」
「そうだ、もうすぐカーネルとよばなきゃならんからな」


「ルテナント」がつくとはいえ、確かに中佐もカーネルですからね。



父親はベッドで息子にお土産の日本刀を渡し、

「パパが日本軍の将校と一対一の素手で戦って奪ってきたんだ」

嘘はいかんなあ、嘘は。



そしてここからがツッコミの嵐。

将校の刀=真剣を直接子供に与えて持たせることはもちろんですが、
寝室に残された息子が、日本刀を抜身にしてベッドでブンブン振り回し、
刀の上にジャンプして着地し、そのとき手を刀の下に挟んで怪我しないとか。

それから、息子の寝室の壁に貼られた「イエール」「ハーバード」
「C」「W」も謎です。



このとき、妻に心配げにいつ発つのか聞かれて、次の任務はワシントンなので、
ずっと一緒にいられるよ、と自信満々で請け合います。



んが、これはすぐに安請け合いだったとわかりました。
次の日司令部に呼ばれた彼は「新型戦闘機」搭載部隊への就任を告げられるのです。

つまり戦地に逆戻りです。



おまけに偶然なのかわざとなのか、上はまたしても
副隊長に天敵グリフィン大尉を当てがってきたのでした。

「わたしが隊長で大丈夫かい?」

「ハッピーってわけではありませんが、なんとかやれると思います」




カービーが外に出ると、「カウボーイ」と家族、その他メンバーとばったり。

カウボーイは愛想よくカービーを家で飲みませんかと誘い、
妻のバージニアを紹介するのですが、このときカービーは彼女に向かって、

「お久しぶりです」

なんて言っているのです。
はて、カウボーイとはカナルで初めて会ったんじゃなかったっけ。


ここで衝撃的な?シーンを。

カウボーイが抱いている息子のジャック、目に物凄いあざを作っています。
どう見てもメイクで描いた感じではありません。
そもそも父と久しぶりに会った子供にあざができてるという設定なんて変ですよね。


バージニア、つまり彼らの母親に、

「ジルのヘイメーカー(干し草を作る機械・拳)にぶつかったの」

と言わせて、姉が弟を殴ったということにしているのですが、
この濡れ衣はあまりにもお姉ちゃんが可哀想です。

男の子のあざはとても女の子が殴ったようなものには見えません。

これは、撮影直前に子役が怪我をして代役が立てられなかった
(あるいは親がどうしても下ろすのを承知しなかった)ため、
急遽説明くさいセリフを加えたように見えます。

この子供も、元気ならもう70歳は越しているはずですが、
このときの事情を今でも覚えているでしょうか。

このシーンでもう一つ不思議だったのは、
カウボーイがカービーを何度も自宅のパーティに誘ったり、
車の後部座席にはマッケイブ、アーニー、もう一人が乗っていて、
皆カービーにものすごく愛想よく会話をしていることです。

その様子はとても戦地で反発しまくっていた部下たちとは思えません。
いくらあっさりしているアメリカ人でももう少し根に持ちそうなものですが。



カービーが官舎に帰ると、妻は、彼のトランクに名前を書いていました。
昇進したので「中佐」をつけて。



また戦地に行かなくてはならないことをどうやって説明しよう、
と悩んでいたカービーですが、妻は明るく

「知ってたわ。妻同士のネットワークは早いのよ」

そして、あなたのような優秀な人が必要とされるのは仕方ないわ、と言います。
涙を見せずに部屋を出て行った妻ですが、代わりに入ってきた息子が



「ママが泣いてるよ」

うっ・・・・それはつらい。
部下との出会い、妻との絡みも、旧版では全てカットされていて驚きます。


■F4Uコルセア部隊



「新型航空機」とはF4Uコルセアでした。

F4Uがガダルカナルに進出したのは1943年ということで、これは史実です。
映画撮影当時、時代はすでにジェット機へと移りつつありましたが、
ジェット機はまだ木製甲板の空母の使用ができなかったため、
生産は続いており、撮影に借りるのに全く不便がなかったのです。



後半はF4Uが甲板から発進するカラー映像から始まりますが、
おそらくこれも朝鮮戦争時代のフィルムだと思われます。



がダルカナルの航空隊基地の片隅になぜか転がっているのが零戦の残骸。



「カナル」(日本人は省略するとき『ガダル』だがアメリカ人は後半を使う)
に帰ってきたカービーを、出迎えたのは、
なぜか降格されて一兵卒になったクランシーでした。

しかも、今度の配置はMPだというではありませんか。
おそらく「悪行」がバレて懲罰的に降格されついでにMPに行かされたのでしょう。



部隊は早速新任務を与えられました。

苦戦して先遣隊に追いつけない海兵隊部隊の支援です。
日本軍の根拠地をまたしても低空飛行で攻めることになりました。



司令室のプロッティングボードを囲み、
”Roger and out."と言いながらコマを動かしています。

というところでしばらく歩兵が移動するような実写映像が続くのですが、
ガダルカナルというのにヤシの木のジャングルどころか、
背景には草木一本見えない禿山で、どうみてもこれは朝鮮半島



ね?



これはロケのようですが・・。



いかにもアメリカの広野でロケしてるって感じ?


戦死した日本兵のように挿入されていますが、明らかに朝鮮戦争の映像。


その日の夜、(これも別バージョンではカットされていた)
カウボーイが義兄でもあるグリフに神妙な様子で告白します。

戦闘機に乗るたびに恐怖が増していき、拭い去ることができないと。



グリフはこの義理の弟に対し、(あ、ということはバージニアはグリフの妹か)

「雷が同じ場所に2回落ちる確率は、他の場所に落ちる確率と同じだそうだ」

というバルトの法則を持ち出して慰めます。
それってどういう意味なの?



「お前が落ちる確率は、他の奴が落ちる確率と同じってことさ」

つまり滅多にないことだから安心しろと。

カウボーイはそれでもあまり理解できない様子で、
国内の物資不足などを話題にしたかと思うと、グリフに
もしものことがあれば妻と子を頼む、などと気弱なことを言うのでした。

それはそうと、グリフのいう「バルト(Balt)の法則」とやらですが、
本当にこんな法則があるのかどうかは甚だ疑わしいとおもいます。

そもそも、バルトって数学者、実在するの?


さて、低空地上爆撃任務中の航空隊に、艦隊から急遽支援要請が入りました。


艦隊が苦戦していたのは神風特攻隊の迎撃でした。



特攻機が多数襲来して混乱しているので、急遽こちらに来て欲しいというのです。



特攻機搭乗員その1。
前にも見たことあるような日本人が特攻パイロットになっています。



特攻機搭乗員その2。
特攻隊なのに必勝の白鉢巻を締めていないのでアウト。



至急艦隊に向かうと連絡をしたカービーとグリフィンの小隊ですが、
ここでまたもやテキサスが、

「カマカ〜ゼ♪ カマカーゼ♪」
(ラクカラーチャのメロディで。この後は『線路は続くよ何処までも』)

とふざけ出すではありませんか。
カービーが何かいう前に、グリフが撃ち落とすぞ!と叱責します。

ところで、前段のカウボーイの葛藤とグリフに弱音を吐くシーンは、
許し難いことに粗悪版ではカットされて観ることはできません。

こちらのバージョンしか知らないと、カウボーイという男は、最後まで
単なる調子乗りの軽薄な人間で終わってしまうことになるのですが、
完全版を見ていれば、彼が必死で恐怖を克服しようとしているのだとわかります。

ちなみにこの歌の部分は脚本には書かれていません。
俳優のアドリブだと思われます。


テキサスの機は、その直後不調を起こしエンジン出力低下していきました。



離脱したところに零戦が急襲してきます。



この零戦の胴体には「左翼主要タンク」と大きく赤で書いてあります。



追われてテキサスは無線で編隊に助けを求めますが、グリフはこれを拒否します。
艦隊を救出に向かう任務は一刻を争うからです。



見かねたマッケイブ中尉がテキサスの救出に行く、と名乗りを挙げますが、
グリフは断腸の思いで間髪入れず禁止しました。

「黙れ、レッド10!」(マッケイブの機)

つまり、グリフは部下であり義理の弟を見殺しにする決定をしたのです。



超冷静そうな零戦パイロット・・これも森山さんか?





機を離脱しようとしたテキサスは、零戦の銃撃を浴び、脱出する前に
炎上した機体もろとも海に突っ込んで戦死を遂げました。



特攻で炎上する艦隊の上空に着いたカービーの部隊は、そこで特攻機と交戦します。

すでに攻撃が終わっている状態で、まだ現場に
特攻機がうろうろしているとはとても思えないのですが。





交戦中銃弾が無くなったカービーは、なんと特攻機に
自分の機を体当たり(特攻に特攻)させてそれを阻止しようとしました。



「脱出してください!」

当たり前のことを叫ぶグリフ。
言われなくても脱出しますって。

カービーの落下傘は無事開き、彼は駆逐艦に救出されました。



ヒットされたのは艦隊の8隻だけで、沈没には至らずなんとか耐え凌ぎました。
艦隊司令は、

「パンケーキ・オールフライヤーズ」

といい、

「パンケーキ・オール・ファイターズ」

と通信させます。
この「パンケーキ」、映画の最初からちょくちょく耳にするのですが、
これは第二次世界大戦中の軍隊スラングで、正確には

「航空機がちゃんと失速して着陸し、三つの車輪を同時に着地すること」

を意味します。
それから派生して「着陸」という意味で使われたと推測されます。
つまり、司令は、全ての機に着陸を許可したというわけですね。

一つまたどうでもいいことを知ってしまった。



帰投した隊員たちは、自分がどんな艦を攻撃し、それがどうなったかを
興奮気味に語りますが(タガサキ型タグボートという謎ワードあり)。


カウボーイを助けに行くと名乗って拒否されたマッケイブ中尉は、
自分一人がいなくても作戦は成功していたのに、
なぜ助けなかったのかと憤懣やるかたない様子です。



そして、作戦を成功させたカービーには、ついに帰国命令が出ました。



基地を去るカービー中佐の荷物に、お酒を入れておきましたよ、と、
いまや兵隊なのに相変わらずのクランシーです。

「盗んでまへんで。心配せんといてください。
輸送パイロットから買うたんです。
わたしのガラやないんですが、餞別ににちょうど盗んでこれるもんがのうて」

「君の記録の唯一の汚点だが大目にみよう。じゃあな、クランシー」

「お元気で、サー」


この後のセリフは、実は英語では赤字の通りです。


「最悪の指揮官の下で働きましたよ」
字幕*最高の指揮官だった


「こっちも最低のラインチーフを持ったもんだ」
字幕*お前も最高だった

翻訳とは正反対であるのにご注意ください。

心情はどちらも字幕の通りなんでしょうが、そこをあえて
お互いこう言い合うのが「現場の空気」というものなんでしょう。




そして最後に忘れちゃいけない、グリフとの別れです。
輸送機に負傷した腕で乗り込むカービー中佐に駆け寄ってきた彼は、

「隊長にあなたが推薦してくれるとは思いませんでした。
あなたは憎まれ役だと思ってた」


おお、カービー中佐、最後にグリフを推薦していったんですね。



「そのとおり、私は憎まれ役だ。そして君がこれからそうなるんだ。
私だって別に君を好きになったわけでもないよ、グリフ」

と憎まれ口を叩きながらも、こんなことをしみじみと語ります。

「カウボーイのことは残念だったな。あの決断はどれほどつらかったか。

君はこれから毎晩ベッドに向かうとき・・そうだな、
尻ポケットを引きずりながら、ベッドに向かい、横になる。
胸のむかつきを抱えて天井を見上げるんだ。

そして、神に願うんだよ。
明日の攻撃を、全部成功させてください。

でも、次の朝目覚めると思うんだ。大尉にまた戻りたいと。
そしたらもう誰かの命令を聞いてさえいればいいからな。

そして君は機嫌が悪くなり、怒りっぽくなる・・・そうだ、私みたいに。
そして君はいつか今の私のように尻ポケットを引きずって航空機に乗り込み、
国に戻って地上勤務をするだろう。


兄弟、私は君のためになるようなことは何もしてない」


黙ってそれを聞いていたグリフィンは、



「変なこと言っていいですか?(I'm going to say something dizzy.)
もし内地でお会いすることがあったら、
奢りますから、一杯飲んでくれませんか」




「喜んで『乗船』するさ。じゃあな」

「さようなら。
正しいプレーを心がけますよ。いいコーチがいたから」

「そうだな、国での『試合』を楽しみにしてるよ」


前隊長が機内に姿を消した後、輸送機の下に飛んできたのはアーニーでした。



「あなたが隊長で私が副長ですって?」

なんとアーニーが中尉から大尉に進級したってことですか。

シモンズとかジョーゲンセンとかカウボーイとか、
上が軒並みやられてしまったし、マッケイブは反抗的だし、
この際消去法でってこと・・・いやなんでもない。

まあなんだ。おめでとう。

「その通りだ。今すぐ状況報告せよ。全員を集合させるんだ」

「今すぐにですか?」

今後全ての命令は速やかに実行せよ!(キリッ)」




命令される側からする側へ。
「鬼隊長」がひとり誕生した瞬間でした。



日本語訳、しかもあっちこっちカットされた画質の悪いバージョンで見ると
スカスカの作品にしか思えないのですが、アメリカでは評価の高い映画です。

左派監督がブラックリスト入りを免れるために撮った戦争映画は、
ウェインとライアンという天秤の平衡を決して崩すことなく・・、
というか、天秤の片側にウェイン、反対側に監督のレイとライアンが乗って
ちょうど均衡が取れ、いい感じに仕上がったと言う気がします。

そして、なんと言っても完全版を観て初めて評価の対象になった映画でした。

皆様もこの映画を見るときには、決して質の悪い「太平洋作戦」ではなく、必ず
「太平洋航空作戦」と言うタイトルを探して購入されることをお勧めします。


終わり。




映画「フライング・レザーネックス」(太平洋航空作戦) 中編

2022-01-20 | 映画


ジョン・ウェインの海兵隊航空もの、「フライング・レザーネックス」2日めです。

■喪失



負傷兵の輸送のためにPPY(水陸両用機)がやってた夜、
ガダルカナルには大雨が降りました。


空襲がない代わり、海から海軍が派手に艦砲を撃ち込んできます。


昼間来たばかりのPPYは撃破され、非難していた穴に爆弾が直撃して
兄をミッドウェイ で亡くしたマラーキ中尉は即死しました。


晴れわたった翌日の哨戒で、またも犠牲者が出ました。


出撃するなりアーニー・スターク中尉が、
エンジンの不調を訴え、基地への帰投を要請しました。
言下に「ネガティブ!」とそれを拒否するカービー。

しかし、アーニー、度重なる要請を出し、OKを得て離脱しました。
さて、彼の機は本当にエンジンが不調だったのでしょうか。



直後、敵機編隊が現れて交戦になります。

零戦との空戦が終了し、編隊を組みなおそうというときになって、
ジョーゲンセン大尉が、弱った敵機を見つけ、
ニヤリと笑って編隊を離脱し、追いかけていってしまいました。


しかし、ジョーゲンセン機の背後から別の敵機が襲ってきます。



機体が今度こそ炎上し、ベイルアウトしたジョーゲンセンでしたが、
パラシュートで宙吊りになっているところを日本軍に発見され、射殺されました。



帰投した隊員たちが、ジョーゲンセンの身を心配していると、
ラインチーフのクランシーがケーキを運んできました。

「砲兵隊の食堂で出しっぱなしになってたもんで」

「砲兵隊の連中、どこでこんなものを作る材料を手に入れるんだろうな」



そこに、怖い顔をした隊長と副長がやってきました。
ジョーゲンソン大尉の遺体がジャングルで見つかったのです。

「遺体置き場に行け、そしてじっくりとジョーゲンソンを見てこい!
次に単独で勝手に攻撃に行きたくなったら思い出せるように」

みんなは(´・ω・`)として言われた通りにしますが、グリフ副隊長は

「皆思い知ったでしょう。あの言い方はどうかと思いますが」

「残酷だったとでも言いたいのか」

「せっかくクランシーがケーキを差し入れしていたのに・・」

そういう問題か?

カービーもわたしと同じ意見で、同じようなことを言い、
次の瞬間、唐突にシモンズの軍法会議行きを取り消すと宣言しました。

ジョーゲンセンの死が確実になった今、貴重なパイロットを
軍法会議にかけている場合ではない、と言う判断です。
そして、冷酷にも(グリフにとっては)こう言い放つではありませんか。

「ジョーゲンセンの件はシモンズのより良い教訓になったしな」


■ つのる焦燥



カービーはジョーゲンセン亡き後の部隊再編成にとりかかります。

まず、彼のバディだったパッジ・マッケイブ大尉に、
今度はアーニー・スターク中尉と組め、と告知すると、

「嫌いな奴と組むと士気が下がります。
個人的には嫌いでも好きでもないすが、彼、『操縦がが荒い』んで」

アーニーは前回の哨戒でエンジン不調を理由に
途中で帰ってしまった搭乗員です。
カービーはそれを聞いても表情を変えず、あっさりと命令撤回。

「そうか、じゃ取り消しだ」

「え・・何か不味かったっすか」

「いいや、正直に言ってくれてよかった」

そしてその足でアーニーのところへ行くと、

「俺と組め」

「少佐、私の機はエンジンの調子が悪くて・・」

「君がそう言うならそうなんだろうな」



「皆わたしと組むのを嫌がるんです」

「俺と組め」

思い切った様子でカービーを呼び止めたアーニーは、

「少佐・・マッケイブ大尉はエンジンのせいとは思ってないかもしれません」

つまり、自分が臆病風に吹かれて帰投したのを彼には見抜かれていると。

「しかし君を軍法会議にかけたら良いパイロットを失う」

「良いパイロット・・?
少佐、優秀なパイロットが任務注撃墜が怖くて汗をかいたり、
口がカラカラに乾いたりすると思われますか」

「誰もがそうだ」

「少佐も?」

「スロットルをフォワードに入れるときはな。
そうじゃないと言う奴は相手にするな、馬鹿だから」

それを聞くとアーニーの顔は別人のように晴れやかになり、

「ウィングを引き受けます」


日の丸をカーテンにするなっつーの

ある日、グリフ副長から素敵なお知らせがもたらされました。
台風が来るので敵が動けない24時間だけ航空隊は休みになるというのです。

わっと湧き立つ搭乗員たち。

「風呂入ろ!シービーズの奴ら、俺の風下に立つと鼻を鳴らしやがるんだ」

「海軍は狭い船で集団生活する形態上、清潔にこだわり不潔を嫌う」
というのはどうも世界共通の傾向のようですね。

しかし、そんな彼らのささやかな期待は、次の瞬間
搭乗員の招集命令がきて、あえなく打ち砕かれました。

砲兵隊の援護任務について、砲兵隊大佐を交えた会議が行われるのです。



ピンクの横線は前線に、矢印は90m後ろに目印として設置します。
航空隊に与えられた任務は、矢印に沿って低空飛行し、
前線を攻撃しおわったら、前線と並行に退避すること。

すると、よりによってこんな会議の最中に「カウボーイ」がこんなことを。

「俺ら、休暇だと聞いてたんですがね」

他所様である陸軍大佐の前で任務に不平とはやってくれますなあ。

これは外部的にもみっともない上、隊長に恥をかかせているようなものです。
カービーはそれは噂だ、と一言で切り捨て、作戦について、

「とにかく低空飛行が作戦成功のカギだ。私の機についてこい」



するとカウボーイ、無視されて怒りが治らないせいか、

「少佐、ついでにプロペラのハブに銃剣をつけちゃどうです?」

と混ぜっ返してきました。
カービーは即座に、

「よし、貴様が大佐と一緒のジープに乗って偵察に行け。

そしたら前線で誰かが銃剣をつけたライフルを渡してくれるだろう」

とっさにこんな嫌味で答えられる、そんな人にわたしはなりたい。

砲兵隊の大佐はカウボーイの冗談になんの反応もしませんが、
彼のロデオブーツを見て呆れたような顔をします。

カービーは本人ではなくグリフに向かって、

「カウボーイ、あいつは馬鹿なのか。
ブリーフィングでジョークを言うなんて、君が義弟を甘やかすからだ」

しかし彼を庇って一方的に叱責されるグリフも面白くありません。

「休暇がもらえると思っていたところに、危険な攻撃を命じられたんですよ。
たまには休ませてやることも必要では?」




「戦場では誰にも休暇など必要ない!」

カービーはさらに、吐き気を訴えている隊員(ビリー・キャッスル)にも
出撃させろと言い放ちます。
それってマラリアじゃないのか。



ベテラン下士官でカービーの旧知であるクランシーは、
映画全編を通して「コミックリリーフ」(ボケ役)です。

燃料を手で入れるのはもううんざりとばかり、海軍設営隊の使っていた
自動食器洗い機を拝借してきて、そのポンプを「有効活用」するのですが、
このシーケンス、海軍とのカルチャーの違いもあって個人的にウケたので、
英語を一字一句漏らさず翻訳しておきます。

クランシーは大阪弁にしておきました。

「海軍さんて、こんな野営地に食器洗い機持ってきてるんですわ。
あいつら食器を手でよう洗われへんのやろか」




そこにシービーズの水兵がやってきて、

「航空隊に専用のキッチンはあるか?」

「いや、マッドマリーン(海兵隊歩兵)と共同やけど・・・何か?」

「今全部の厨房を調べてるんだが、’食器を洗うやつ’がどこかに行った」

「そらそいつ、勝手にどっかに行ってもうたんやろ。どんなやっちゃねん」

「やつじゃねーし。マシンだ」

「マシン?機械が皿洗うんかいな?」

「ああ」

「はえ〜、んなアホな話、聞いたことあらします?」

「ないなー」←カービー

「携帯キッチンユニットの一部なんだけど、自分が荷出ししたから間違いない。
もし盗んだやつを見つけたら・・・」

「砲兵隊の食堂は探しました?あいつらネコババやら平気でしよんねんで。
倫理観っちゅうもんがない連中やさかいに。ほら、あの辺におるわ」

「む・・・行ってみる」

ケーキを盗まれた上に窃盗の常習呼ばわりされて砲兵隊もいい迷惑だ。

ちなみに会話中の「mud Marine」は海兵隊の歩兵の通称というか愛称で、
同じ海兵隊でも他の職種と分けるためにこういう言い方をします。



「Mud Marine」で画像検索するといくらでもこんなのが出てくるのですが、



昨今は女性隊員も普通にこういう訓練を行います。



まあ、世の中にはこういう「マッドマリーン」(海の泥美容)も存在するので、
女性にはこの訓練、パックも兼ねて一石二鳥かもしれませんが。



見事食器洗い機のポンプで給油をしている現場を見てカービーは

「クランシー、君のこれからが心配だ」

「少佐、水陸両用部隊で海軍の食器洗い機を使うことを承認してくれますか」

「即興で創意工夫できるラインチーフを承認するのが少佐というものさ」



■ ガダルカナルの死闘

陸軍の要請を受けてカービー新隊長のもと、前線を支援する攻撃が始まりました。


朝鮮戦争で負傷者を担架で運ぶシーン
担架の背後を担いでいる兵が、撃たれたのか倒れ込んでいる



航空隊は歩兵も驚くほどの低空攻撃をやってのけます。

「これ以上低く飛べるものか?」
「独身ならね」


しかしこの日、嘔吐がとまらないと訴えていたのに
出撃を強制されて飛んだ搭乗員が撃墜されて未帰還となります。



砲兵隊大佐はその日のうちの再攻撃を要請してきました。
カービーがその時間を打ち合わせしていると、グリフがやってきて
デスクにコーヒーカップを叩きつけるように置き、睨みつけました。



死んだビリー・キャッスルのマグでした。

ちょっと余談をします。

山口の海兵隊飛行隊の基地内部をパイロット直々の案内で見せてもらったとき、
このような名前が書かれたパイロットたちのカップが
壁のボードに掛かっているのを見たことがあります。

海兵隊飛行隊だけの慣習なのか、他でもこうなのかは知りませんが、
レガシー・ホーネットの部隊であるそのユニットでは
ほぼ全員が、飲んだ後、洗わないカップをそのままラックに戻していました。
どれもこれも真っ黒なカップを見たパイロットの奥さんが呆れて、

「Boys.....」(男って・・・)

と呟くと、新婚の旦那さんであるパイロット(大尉)は慌てて

「僕はちゃんと洗ってますよ?」

と言い訳していたのが可愛かったです。



このカップは映画の中でしょっちゅう出てきますが、
(なぜか日本の旗を飾ったラックにかけてある)
カリフォルニアのメーカーがジョン・ウェインのオーダーで作ったものです。

なんでもウェインは、ここで作ったオリジナルマグに
映画クルーの名前を入れて全員にプレゼントしていましたが、
その慣習はこの映画から始まったと言うことです。

各々のカップには「デューク(ウェインの愛称)より」と書かれていました。

さて、死んだ隊員のマグをこれ見よがしに置いて見せたクリフ副長。
それは「吐き気があるのに無理やり飛ばせたから」という抗議ですが、
カービーは軍医から「吐き気は大したことなかった」と言辞を取り、
暗にそれを否定するのでした。


「文句あっか?」


「ありません」



ここで案外食えない砲兵隊大佐が、飄々とした様子で嫌味を言います。
さっき「歩兵と一緒に偵察してはどうだ」と
カービーに叱責されたカウボーイに向かって、

「君、やっぱり偵察として一緒に連れて行ってやろうか?」

それに対し、カウボーイはクソ真面目に、

「いや、私は飛ぶ方がいいです。陸の連中は荒っぽいから」

すると大佐、ニコニコしながら(怖い)

「いやいや、こちらこそ荒っぽい航空隊には怖がらせてもらってますよw」

これは、低空飛行のことを言っているのかもしれません。



カービーは例のクランシー曹長に命じてテントを集めさせます。

低空飛行に必要な目標にするつもりですが、
案の定、クランシーはそれを砲兵の部隊からこっそり「調達」してきた模様。

「砲兵の連中、自分たちのやー言うて取り返しに来たんですわ。
穴が空いてるとこにシリアルナンバーがあったはず、とか言い張るんで、
それ証明してみい、でけへんのやったら帰れ!言うたったんです」




クランシーの「調達」はこれだけではありませんでした。
カービーが去った後、MPがきて、クランシーにこんなことを。

「1時間前、トラックからランタンが十個盗まれたが、何か知ってますか」

このおっさん、調達とは他の部隊から盗んで間に合わせることだと思ってないか。

「あーそれな。ここだけの話やけど、あそこでシービーズの連中を見たわー」

食器洗い機を盗まれただけでなく、
ランタン泥棒の濡れ衣を着せられる海軍もいい迷惑だ。

ちなみにMPが去った後、クランシーは、

「Copper.」(カッパー)

と呟きますが、これは「銅」ではなく、警察官のことです。
おまわりめ、といったところで、ここではMPを意味しています。
(でもこれはある意味フラグ)



その夜、隊員は「ニップ」から略奪した「サケ」を飲んで大はしゃぎしていました。



マッドマリーンが日本の将校を殺して奪い、椰子の木の陰に隠していたのを
例によってクランシーがこっそり「調達」してきたのです。

皆の前で毒味と称して一気飲みし、その強烈さに目を白黒させるカウボーイ。



喧騒をよそに、カービー少佐は死んだビリーの家族に直筆の手紙を書きかけますが、
数行を書いたところで筆が進まなくなりました。



両親の写真、本人のID、そして遺して行ったカップ。


そこで、家族から送られてきたボイスレコード(シート)
の子供の声を聞いて気持ちを紛らせるのでした。



ミッドウェイにいるときに本国から送られてきた家族の声のシートを
彼は持ち歩き、何度となく戦地で再生しているのです。

遺族への手紙を書くのは、通常従軍牧師の仕事ですが、
牧師は今日戦死してしまったということで、隊長が書くしかありません。

しかも、今日亡くなったビリーは、マラリアの嘔吐に苦しんでいたのに
医務室に送るどころか、彼自身が命令して無理に出撃させているのです。

「本当のことなんて書けるものか!
なーにが『カクタス作戦』だ。こんなもん『靴紐作戦』だろうが」


つい軍医に愚痴を言ってしまうカービー隊長。

靴紐=shoestringは、「手元不如意」とか「物質不足」という意味があります。

日本語字幕ではこういう面倒くさそうな用語は一切翻訳できないせいか、
単に「危険すぎる」となっていますが、この翻訳はかなり変です。

どんな危険な任務であっても、部下にそれを命じ自分も毅然と出撃する軍人、
というカービー隊長という人物のキャラクター設定を考えると、
「危険すぎる」は彼がもっとも言わなさそうな台詞ではありませんか。

このように、この作品は、ネイティブにしか理解できない部分が多く、
(わたしもほぼ聞き取れず、文章で読んで初めてわかることばかりでした)
したがって、日本語字幕に頼って観ても、その面白さはおそらく
10分の1も伝わってこないんだろうなあとこういう誤訳に出会すたびに思います。



その夜、カービーは海兵隊の将軍に呼び出され、陸軍との連携でなく、
「我が歩兵の援護を低空飛行なしで」したまえ、とにこやかに釘を刺されます。

一見人が良さそうと言うか温厚ですが、なかなか腹黒い親父と見た。



日本酒でしたたかに酔い、今日のフライトは「地獄確定」となったグリフに、
翌朝クラン軍医が声をかけ、様子をうかがいます。

これも軍医の役目の一つです。



グリフは戦地での現状に苦しみ、隊員の喪失に苦しみ、
そして、その原因の一部はカービーにあると考えていました。

そんな「優秀な」指揮官だから、ここでも結果を出して上に評価されるだろう、と。

ちなみにこのとき、彼はカービーのことを、
「ダニエル・グザビエー・カービー少佐」とフルネームで呼んでいます。

アメリカ人が相手をフルネームで呼ぶとき、得てしてそれは
相手を思いっきり皮肉っているので念のため。



次の哨戒でナバホ族出身のパイロット、チャーリーが脚に銃撃を受けました。

最初のシーン(右足)


次のシーンでは左足に。もしかして単にフィルムが裏?


飛行機がひっくり返るシーンは模型使用?



彼は機体をなんとか着陸させますが、片足切断となりました。
切断したのが右が左かは不明です。



その夜野戦病院のベッドに様子を見に来たカービーに、彼は

「ナバホ族居留区の世話役に手紙を書いてくれませんか。
その人が字を読めない家族に手紙を読んで聞かせてくれるから。

そして僕の馬を売ってくれと。
この脚では荒馬はもう乗れないから・・・。
でもこれからは馬より車の時代ですよね」


と微笑みながらいうのでした。

カービーが慈愛に満ち溢れた笑顔で(こう言う時のウェインの優しそうなこと)
彼を励まして枕元を去ると、チャーリーの顔からはスッと笑顔が消えました。


続く。




映画「太平洋作戦」(フライング・レザーネックス)

2022-01-18 | 映画

昨年末より、サンディエゴの海兵隊航空博物館、
「フライング・レザーネック航空博物館」の展示をご紹介していましたが、
その検索過程でそのものズバリの
「フライング・レザーネックス」という映画があることを知り、
せっかくの機会ですのでこの映画を紹介することにしました。

博物館の方は、おそらくこの映画のタイトルをそのまま運用したはずです。
しかしながら日本語タイトルは、案の定センスゼロの「太平洋作戦」。


こういうとき日本の配給会社は、どうしてこう絶望的に無個性な題をつけるのか、
ということについてはもう今更という感がありますが、
それより問題はこの作品を扱うDVD販売会社の販売姿勢です。

DVDの画質が悪い!

本編が始まった途端、何か設定に不具合があるのかと一度再生を止め、
点検してからもう一度再生し直したというくらいの酷さです。
Amazonの商品レビューでわざわざそのことに言及している人もいたくらいなので、
大元のDVDダビングの技術にどうやら問題があったようです。

そこで不本意ながらその辺の画像をかき集め、二日分を制作し終わったのですが、
次に取り上げる映画を探すため、自分のDVDラックを見ていたら、
なんとわたしは同じ映画をあと2枚、合計3枚持っていたことが判明しました。

「フライング・レザーネック」という特殊なタイトルを記憶していれば
何枚も同じDVDを買ったりしなかったはずですが、邦題が
「太平洋作戦」などというすぐ忘れてしまうものだったため、買ったのを忘れて、
高速道路のレストエリアなどで一枚300円くらいでワゴン売りしているのを
他の戦争ものといっしょに3回も購入していたと見えます。

しかしこれは今回に限り、ラッキーでした。

もしや?と思って残りの2枚の画質をチェックしたら、
3枚目のDVDが「当たり」だったのです。



ちなみにタイトルはこれだけが「太平洋航空作戦」。
あとの二枚は「太平洋作戦」となっていました。


画質の悪いバージョン


3枚目のDVD、同じシーン



三枚目はデジタルリマスターしてあるバージョンだったというわけです。

おお、と感激して全部キャプチャし直しながら観なおしたところ、なんと
前の2枚は、画像以前に、あっちこっち大事な部分が勝手にカットされており
それによって全く映画の内容さえも変わっていたことがわかったのです。

ちなみに2021年12月現在、Amazonプライムではこの映画が観られますが、
こちらはデジタル化前のカットしまくりバージョンですので念のため。


■ ハリウッドの赤狩りと本作品

さて、例によって本編に入る前に、この映画の背景について語ります。



制作は1951年。
タイトルにもある通り、制作はハワード・ヒューズです。

前回、当ブログで扱ったウェインものの邦題は「太平洋機動作戦」でしたが、
こちら「航空作戦」と同じ年に製作されています。

同じ年にウェインで海軍と海兵隊を扱った第二次世界大戦ものが製作されたのは、
大衆のムードを、その前年度に始まっていた朝鮮戦争を肯定する方に
誘導するのが目的であったと考えてまず間違いありません。


さらに、配役と制作のメンバー、当時の世相を鑑みると、
もう一つ、ハリウッドで起きていた歴史的な問題が見えてきます。

制作会社はRKOラジオピクチャーズ
RKOグループはこのときハワード・ヒューズの管理下にあり、
ヒューズが映画のスポンサーとして制作の資金繰りを行ったというわけです。

ヒューズは誰知らぬものがない熱心な飛行機マニアでしたが、
いくら航空機がふんだんに出るといっても、これは露骨な戦争推進映画。
あのヒューズには「違う、そうじゃない」的な毛色の作品であったうえ、
しかも監督のニコラス・レイは有名なリベラルです。

それではなぜこの時期に彼らが戦争推進映画を撮ったかですが、
そのキーワードは1950年代にアメリカの芸能界に吹き荒れた「赤狩り」でした。

赤狩りは共和党議員のジョセフ・マッカーシーの告発をきっかけにしているので
「マッカーシズム」とも呼ばれる反共産主義運動です。

ハリウッドで共産党と関連づけられた人物は「ブラックリスト」に載り、
その中でも、召喚や証言を拒否した10人(ハリウッド・テン)
かなり長い間業界から干されていたという話が有名です。


そんな流れを受けて、1952年、俳優協会が映画スタジオに対し、
誰であってもアメリカ連邦議会で自身の潔白を証明できなかった人物の名前を
自主的にスクリーンから削除できる権威を与えるという出来事がありました。

ヒューズはその前から、スタジオから共産主義者(とされる人物)を排除するために
いわゆる「踏み絵」的な映画の制作を、何人かに試しています。

その映画のタイトルは「私は共産主義者と結婚した」


つまらなさそう・・・

最初に監督を打診されたジョン・クロムウェルもジョセフ・ロージーも
これを拒否し、会社によって罰せられた上ブラックリスト入りしました。

ニコラス・レイはというと、これがとんでもないやつで(笑)
一旦引き受けておいて、製作が発表された直後に辞退してしまいました。
彼に何があって辞退したのかは謎です。

彼の解雇が検討されましたが、なぜかヒューズは契約を切りませんでした。

これは推測の域を出ていませんが、この時二人に何かしらの密約があって、
レイはその条件として、本作を撮ることになったのではないかと言われています。

本作はハリウッド的には露骨な戦争推進映画であり、
(戦争映画を見慣れているとこんなものだろう、としか思いませんが)
本来ならリベラル左派のレイが手がけるような内容ではありません。

「リベラル監督に、ゴリゴリタカ派のウェイン主役の戦争映画を撮らせる」

確かに誰が見てもこれは「罰ゲーム」です。

ゆえに、これがレイの当局に対する「アリバイづくり」、
あるいは彼をブラックリストから外すよう働きかけたヒューズへの
「借りを返す」ための作品であったと見られているのです。

しかし、レイ監督、そこは腐っても映画人の端くれ?ですから、
黙っておとなしく戦争礼賛映画を撮ると見せかけて、
(というか実際にもちゃんと撮りきってその評価も高いのですが)
保守派の代表のようなウェインの「カウンターパート」、
リベラル俳優のロバート・ライアンを送り込んだとされています。



本作のポスターからもわかるように、サブテーマは二人の男の対立です。

ロバート・ライアンの役どころは部下思いで人気があり(というか受けがよく)、
下からは隊長への就任を望まれていたのに、
ジョン・ウェイン演じるダン・カービー少佐の推薦が受けられず、
のみならず上に立たれてそのやり方を一から否定されるグリフ大尉です。

ロバート・ライアンは大学ボクシング部出身の「タフなタイプ」で、
リベラルでありながら「Kick Wayne's ass」(ウェインに立ち向かえる?)
ができる唯一の俳優とみなされて、キャスティングされたと言われます。


しかし、蓋を開けてみると、関係者全員にとって意外な展開が待っていました。

確かに撮影の間、ライアンはウェインから、例のブラックリスト支持を熱く語られ、

「中国の都市に核攻撃をして朝鮮戦争を拡大させるべき」
「ソ連を東欧から追い出すために軍事力を行使するべき」


などといった演説を拝聴せざるを得なくなったのも確かですが、
一旦撮影が始まると、二人は互いの政治的な立場は一切脇に置き、
良好な関係のままプロフェッショナルに仕事を完了させました。

そのライアンをキャスティングした監督のニック・レイも同様でした。

政治的には対立する立場であったはずウェインとの関係は実際には悪くなく、
というか、撮影中は全クルーがウェインを称賛し、
ウェイン自身も、全てのクルーに対し満足していたというのです。

ここで思い出していただきたいのですが、以前当ブログで紹介してこともある、
後年撮影されたウェインのベトナム戦争もの「グリーンベレー 」では、
ほとんどの俳優とクルーがウェインを嫌い、対立関係にあったという事実です。

「グリーンベレー」とこのときとの違いはなんだったのでしょうか。

一つはウェイン本人が脂の乗り切った時期で、まだ「老害化」しておらず、
現場でスタッフの人心を掴み得たこと、そしてもう一つは、
このときの朝鮮戦争と、後年のベトナム戦争に対する
大衆感情の「温度差」にあったのではないかとわたしは思います。

ちなみに、監督ニコラス・レイとジョン・ウェインは
映画撮影から20年後になる1979年6月のほぼ同じ時期に亡くなりました。
6月11日がウェイン、16日がレイの命日です。


■ 新隊長就任



さて、それでは始めましょう。
おなじみの海兵隊マーチが何のひねりもなく始まり、タイトルには

「この作品を米国海兵隊の、特に航空団に捧げる
この作品を可能にした彼らの協力と支援に対して感謝の意を表します」


とあって、映画の撮影に海兵隊の協力があったことを強調しています。



舞台はハワイのオアフにある海兵隊航空団基地。




ここにVMF247航空団「ワイルドキャッツ」が駐屯しています。



彼らは負傷した前指揮官の後任として、敬愛する上官、
グリフィン大尉が自分たちの隊長になって戻ってくると思い込み、
いち早く祝賀会を開いて大尉を迎える用意までしていました。



ところが、グリフィン大尉は新任の隊長、ダン・カービー少佐を伴っていました。
大尉はカービー少佐の推薦を受けられず、昇進できなかったのです。

このことは後々まで二人の間の問題として尾を引きますが、普通、
自分が就任するポジションに他の大尉を推薦するなんてありえませんよね。

推薦しなかったのはカービーではなく前任の隊長のはずなのですが。



カービー新隊長は、鷹揚に、この人違いの就任パーティを続けるようにいいますが、
テキサス出身の「カウボーイ」ヴァーン・ブライス中尉が履いている
ロデオブーツに目を止め、さっそくお小言を与えます。

「私甲高なんで・・」



意味不明の言い訳をするブライス中尉に新隊長は、

「飛行中は履くな!」

カウボーイはグリフィン=グリフ大尉の義弟、そして金持ちだ、と
グリフ大尉が紹介しますが、その口調からも、カービー少佐は
隊の中にすでに「馴れ合い」「ゆるみ」が蔓延しているらしいと察します。

かたや部下たちも新隊長に決していい感想は持ちません。

「俺たちを馬鹿にした目で見てたな」

「非情な男で、訓練で地面すれすれの超低空飛行をさせるそうだ」




真ん中にいる、マッケイブ中尉役の俳優ですが、
どこかで見たことがあると思ったら、あの世紀の駄作「オキナワ」
インテリ乗組員エマーソンの役をしていたジェイムズ・ドブソンじゃないですか。

しかし、悪口に興じる隊員の中、一人だけカービー少佐に
強いシンパシーを持つマラーキ(Malotke)中尉(右)

彼はミッドウェイ海戦で兄を亡くしており、そのときの航空隊長であった
カービーから送られてきた、心のこもった手紙に感銘を受けていました。



部隊の戦線への移動が決まりました。

マラーキ中尉の家族は、兄のように弟も戦争で失うのかと
移動でしばらく手紙が書けないという彼の報告に絶望しています。



ハロルド・ジョーゲンソン大尉の妻は赤ちゃんを産んだばかり。



「キュートなビリー・キャッスルから手紙が来たわ。
あたしあの子好きなのよね」



キュート・リトルボーイ・キャッスル(絶賛モテアソバレ中)

周りに侍らせた軍服の男たちに満面の笑みで言いながら、
他の男の戦地からのと一緒に暖炉の上にビリーからの手紙をピンで止める派手な女。

どうも彼女は「軍服愛好家」「コレクター」で、
ビリー・キャッスルはそのコレクション(取り巻き)の一人のようです。



ナバホ族出身のチャーリーも、両親に短い手紙を書きます。



彼らの両親は文字が読めないので、居留区の世話役が音読してやっています。



早速問題を起こした「カウボーイ」ブライス中尉。



彼の自慢の美人妻が、「パパからの手紙」を一男一女に読んでやります。
手紙が一瞬映りますが、彼の家族はLAに住んでいる模様。

・・・さて。

この一連の隊員とその家族などのシーンは、画像の粗いバージョンと、
Amazonプライムの本作からはバッサリとカットされています。

しかし、この部分、実はのちに回収される「フラグ」なのです。(あ言っちゃった)
ここをカットするなんて、映画の楽しみを半減させかねない蛮行じゃないかしら。


■ガダルカナル進出



VMW247航空隊はその後ガダルカナルに進出することになります。

この部隊は実際のVMF-223「ブルドッグ」航空隊をモデルにしています。
「ブルドッグ」はF4Fを搭載した海兵隊戦闘飛行ユニットで、
最初にガダルカナルに転出した航空隊でした。

現在でもVMA-223、海兵隊攻撃航空隊として存在しており、
AVー8Bハリアーを運用し、イラク・アフガニスタンにも参加しました。



カービーの部隊がガダルカナルに進出して以降の実写映像はすべてカラーです。
さすがアメリカ、あの時代にこれだけカラー映像が、と思いきや、
実はほとんどが朝鮮戦争のニュースリールからの抜粋だそうです。



ニック・レイがなぜカラー映像の使用に拘ったかと言うと、彼にとって
これが初めてテクニカラー映画となったからで、カラーと白黒映像を混ぜるという
後年よく見られる手法を嫌ったのでしょう。

ですから、本編の映像には、第二次世界大戦には存在しなかった航空機が
ところどころ発見できるそうですが、画像が悪いので判別できません。
(わたしの場合判別できないのは画像だけが理由ではありませんが)



ガダルカナルで最初にVMF247が搭乗するのはF6Fヘルキャットですが、
「ブルドッグ」が運用したのは、先ほども書いたようにF4Fワイルドキャットです。

F6Fは1943年後半まで日本軍と交戦することはありませんでした。

映画に登場するF6Fは、先日来当ブログでご紹介してきた航空博物館の近く、
エル・トロに拠点を持つ訓練部隊に当時現役で運用されていた機体です。

映画撮影当時、ワイルドキャットはほとんど残っていませんでしたが、
ヘルキャットの方はまだかなりの数残っていたのです。



日本軍に苦戦しているという地上軍の支援攻撃に指揮を執る新隊長カービーですが、
彼はここでもご紹介した、カクタス航空隊のジョン・スミス少佐がモデルです。



本物と比べるまでもなく、ウェインが歳取りすぎ。

スミスがガダルカナルでエースになったとき、すでに38歳くらいだったので、
44歳の俳優なら、なんとか演技でカバーできないこともないと思うのですが、
ウェインはどこまでいってもジョン・ウェインだからなあ。

鈴木亮平みたいに役作りのための増量減量なんて考えたこともなかったでしょう。



さて、カービー隊長就任後、最初の任務で早速問題が発生しました。
何を思ったか、勝手に敵機を追って編隊を離れていってしまうシモンズ中尉

そのまま彼はその日帰投しませんでした。



ガダルカナルに到着したカービー少佐は、ミッドウェイ以来旧知だった
ライン・チーフのクランシーに再会します。

ラインチーフはフライトライン(航空隊)の維持管理を監督する下士官です。

クランシーは「足りないものはジャップの攻撃以外全てだ」といい、
さらに燃料補給を手動でしなければならない、と愚痴を言います。



軍医のクラン中佐もミッドウェイ以来です。
こういう映画には相談役としてつきものなのが軍医です。


いかにも素人さん

このとき、カービー少佐に基地の地上員が挨拶したりしますが、
彼らは本物の海兵隊員で、エキストラとして出演しているようです。

協力の「お礼」といったところでしょうか。



カービーらが司令部に向かったところ、零戦が単独で攻撃を加えてきました。
クランシーによるとこれは「日常茶飯事」であるとのこと。




何人か出てくる零戦搭乗員、そして日本軍の砲兵はクレジットにありませんが、
記録には「フランク・イワナガ」「ロリン・モリヤマという
二人の日系人俳優の名前が残されています。

彼らの乗っている零戦は、白く塗って日の丸をペイントしたヘルキャットです。



「あーびっくりした」

司令部に続く道にある傾いてしまった看板には、

「この通路は世界最速の海兵隊員たちが通行します」

と書かれています。
この言葉は海兵隊なら誰でも知っている、

”Through these portals pass the world's finest fighting men
: United States Marines"


の改編です。



零戦はひとところにまとめて駐機されていた航空機を一撃で撃破していきました。
ただでさえ利用可能な機体が少ないと言うのに。



翌日、昨日行方不明になったシモンズ中尉が意気揚々と帰還してきました。

帰投命令を無視して離脱して敵機を追いかけ、あげくに
燃料の無くなった戦闘機を乗り捨ててパラシュート降下し、
ドヤ顔で帰ってきてうそぶいていうことには、

「交戦のベテランである俺様に、貴様ら、なんでも聞いてくれよ!」

カービー隊長は彼に激怒し、軍法会議にかけると叱りつけます。
そうなればグリフ副隊長も厳しく言わざるを得ません。

「君が落とした機種は」

「さあ・・軽偵察機だったような・・わかりませんが」

「君の出身校はどこだ」

「ハーバードビジネススクールです」

「君が失くした戦闘機の値段は!」

「1万5千ドルです」

「それでは敵の偵察機の値段は!」

「わかりません」(´・ω・`)

「考えろ!」


これだけ厳しく言ったら大丈夫、と思ったら、カービー隊長は
要するに貴様のその甘い態度がいかんのだ、とマジお怒りモード。



そして司令所の入り口にあった、謎の漢字らしきもの
(『軍』からあっちこっち抜き取ったような)が書かれた板を、
腹立ち紛れに叩き落として去ります。

それにしてもこの現場には漢字がわかるスタッフが皆無だったんですね。


その晩、グリフ副長を交えた隊員の中で、カービー少佐に対する愚痴が噴出。
アンチ・カービーの急先鋒はマッケイブ中尉ですが、そんな彼らを
一応はなだめていたグリフは、カービーの信奉者マラーキが、

「どんな時にも命令が下せる、カービーはプロフェッショナルの軍人だ」

と激褒めすると、それは俺への皮肉か、と気色ばみ、
物資も戦力も不足のこの戦地で、ちょっとしたことで
部下を軍事裁判にかける非情な隊長、カービーに対する反感を口にします。

「俺だってプロフェッショナルの兵隊だ!」




続く。



令和四年年初め 旧年度お絵かき作品ギャラリー

2022-01-02 | 映画

平成三年度に制作したイラストを一挙に紹介する恒例のお絵かきギャラリー、
改めて紹介した映画の内容を振り返りながらアップしてきましたが、
ようやく最後になります。

東支那海の女傑
戦争映画に名を借りた戦後スパイアクション

前編 中編 後編
当作品はディアゴスティーニの「戦争映画コレクション」の一つでしたが、
日本軍が登場し、戦闘シーンも一応あるのに、なぜか戦争映画に思えない、
という、あの昭和の時代の東宝作品特有の世界感に支配されています。

また、主人公である天知茂が、軍人にしては必要以上の
男の色気みたいなのを振りまいているせいもあって、決してそうではないのに、
わたしなど一連の天知茂戦争ものに「エログロナンセンス」という言葉を
失礼にも思い浮かべてしまうのでした。

天地の相手役は、東宝の社長大蔵貢の愛人として有名だった高倉みゆきで、
つまりこの映画は社長が自分の愛人をヒロインとして企画した、
完全に公私混同作品ということになります。

戦争映画のヒロインというと、一般的には、主人公の軍人の帰りを待つ女性とか、
従軍看護師あたりが相場ですが、この映画に限り、
女主人公は男顔負けの立ち回りをする派手な役である必要があったので、
「支那海を根城にする海賊の女頭領」なんてキャラをぶち上げたというわけです。

確かにこの設定は、オリジナリティという点では際立っています。
日中戦争時代の大陸なら日本人が登場しても不思議ではありませんし、かつ
波乱万丈でロマンを感じさせる冒険映画としての舞台装置としてはバッチリです。

しかしながら、これに無理やり帝国海軍と絡ませたため、
海軍的にはあり得ないことの連続になってしまいました。

まず、天知茂演じる一階の海軍大尉が特務機関から受けた密命というのが、
国家予算に相当する時価総額のダイヤを日本に運ぶこと。
一応そのダイヤは日本国民の資産ということになっていますが、
なぜそれが中国にあって海軍が持って帰るのかって話ですよ。

そのダイヤを日本に運ぶのに軍艦が使用されるだけなら問題はなかったのですが、
なぜか天知茂は東支那海に跋扈する海賊からダイヤを守るため、
驚くことに一大尉の分際で独断で海賊軍に軍艦を売ってしまいます。

そのときも散々ツッコんだのですが、警備艦とはいえ軍艦なのだから、
そのまま普通に東支那海をぶっちぎればいいのに、所有権を海賊に譲渡し、
剰えそれを操艦させ、女頭領に指揮を取らせるという展開がどうも納得いきません。

一番これはあかんと思ったのは、いつの間にか高倉みゆきが
軍艦「呉竹」の名前を「泰明」号なんていうラーメン屋の屋号みたいなのに変え、
艦橋で攻撃の指揮まで執り出した時でしたね。

何しろ彼女は、女性、中国人(おまけに海賊)という、この頃の日本男児にとって
最も命令されたくなさそうな条件を三つ兼ね備えているんですから。



東宝スパイ映画(的なもの)のお約束、それは軍人を演じる我らが天知茂と、
スパイとか海賊という怪しい立場の女性が恋に落ちるという展開です。

その際、天知茂はわたしの知るかぎり、必ずと言っていいほど
その女性に対し、ツッコミどころ満載の名言を残してくれます。

あの世紀の新東宝名作「謎の戦艦陸奥」での天知茂の相手役は
女スパイであるバーのマダムですが、彼女の「陸奥」の造船技師だった父は
スパイの疑いをかけられて銃殺され、なぜか「陸奥」を憎んでいます。

繰り返します。

海軍ではなく、彼女が憎んでいるというのは戦艦「陸奥」なのです。
それに対し、部下にも「陸奥」大好きっ子を公言して憚らない副長の彼が
マダムに向かって投げかける謎のセリフがこれ。

「私は陸奥を愛している。
だから君も嫌いにならないでほしい」

そしてこの映画では、海賊の女頭領に向かってこんな問題発言を・・・。

「僕はあなたをそんな人だとは思いませんでした。
もっと・・・女らしいひとだと思いたかった」

「なぜもっと女らしい道を選ばないんです!」

好きになった途端、流し目しながら自分の好み視点で説教から入る天知茂。
もう最高です。

さて、映画では陛下の御船たる帝国海軍の軍艦を、
よりによって中国海賊に売り渡してしまい、名義が譲渡されると、
帝国海軍軍人が海賊どもに操艦ができるように訓練が行われるという、
とんでもない展開となって驚かせてくれます。

昨年末ご紹介した呉越同潜水艦映画、「Uボート最後の決断」では、
成り行き上、手を取り合ってUボートの操艦を余儀なくされた米独の潜水艦乗員が
同じ作業を通じて互いの間にいつしか同志的な連帯が生まれるという
実に映画的なストーリーとなっていましたが、この時には、
中国人海賊は所詮海賊、帝国海軍の軍艦を操艦する作業はあまりに過酷で、
最後まで「呉竹」乗員はダメ出しを続けていました。

しかもその後、海賊たちは張啓烈の反乱に付き合って全員が決起し、
あっという間に掃討されてしまうのです。
この反乱のどさくさに、軍艦はいつの間にか海軍の手に戻っているのですが、
売ったのなら所有権はまだ海賊(高倉みゆき)にあるはずなんだがな。

しかも、その軍艦を、中国海軍の艦隊に囲まれた途端、
艦長が一人残って自沈させてしまうという展開に・・。

その後海賊の女頭領は、なぜか一族郎党を見捨てて、
日本に天知茂と一緒に渡り、幸せに暮らしましたとさ。

めでたしめでたし。

と言いたいところですが、初期設定の「ダイヤを持ち運ぶ」という密命は
いつの間にか彼らの中でどうでも良くなっていたとみえ、
天知茂は、ダイヤを「呉竹」から持ち出さないまま内火艇に乗り込み、
そのまま日本にさっさと向かっております。


マーフィーの戦争 Murphy's War
”何もかもがうまくいかなかった” 超大作映画



明らかに「マーフィーの法則」を想起させるタイトルなので、
こちらもマーフィーの法則と絡めて解説してみました。

自分が乗っていた船を沈めたUボートに、周りがドン引きするほど執拗に、
しかもたった一人で戦争を挑む、マーフィーという男の話です。

この映画が専門家からも一般大衆からも全く評価されず、
予算をかけた割に全くヒットしなかったのはなぜだろうか、
ということを、「映画ヒットのセオリー」を紐解いてまで
解明しようと試みたという意味で、当ブログにとっても画期的な作品です。

実際のバラオ級潜水艦にダズル迷彩を施して、
ベネズエラ海軍に操艦などの協力を得て、さらには水上艇の飛行シーン、
クレーンをUボートに落とすシーンなど、何かとお金をかけたのに、
如何せんキャラクターに魅力がなく、人物描写が杜撰なため、
全く主人公のマーフィーの必然性のない行動に誰もが共感が持てなかったから、
というのがわたしの分析した映画失敗(って言っちゃう)の原因です。

この映画は主人公を演じたピーター・オトゥールの実際の妻である
シアン・フィリップスが女医の役で共演しています。
二人が実際の夫婦だからか、二人の間にはラブシーンはなく、
役の上で恋愛関係に陥るという展開にはなりませんが、
わたしが思うに、そのせいでどうにも画面に緊張感が感じられません。

共演後に結婚に至るならともかく、すでに連れ添って長い二人が共演しても
映画はあまり成功しないというのはあながち嘘ではないと思いました。


映画がヒットするには、「セーブザキャットの法則」が必要と言われています。
そこで当ブログでは、この映画がヒットしなかったわけを、
この猫救いの法則に照らしてみました。

すると、その結果、主人公があるきっかけで行動を起こす前に、それに対して
抵抗したり逡巡したりする、という過程が欠けていることがわかりました。

つまり、マーフィーがなぜ偏執的な復讐者となったのかについて、
全く躊躇いも自省もなかった、というわけで、そんな人物描写の雑さが
観ているものに共感を与えにくいという結論に至ったのです。

”危険物は必ず落ちてほしくないところに落ちる”


終戦になったという言葉を聞いてマーフィーがいう、

「あいつらの戦争はな。俺のはまだだ」

は、この映画を象徴する台詞の一つでしょう。
相棒だったルイにドン引きされて見捨てられたマーフィーは、
その後海底に沈没したUボートにとどめを刺そうとして、
自分も命を失うという、後味の悪いエンディングで映画は幕を閉じます。

たまたまテレビで再放送をしていたとかならともかく、
わざわざお金やましてや時間を使って観るべき映画ではありません。

最後に、わたしがここまでこの映画を嫌うのは、
主人公マーフィーに対する、拭い難い嫌悪感が大きな理由でした。
だって共感できるポイントがたった一つもないんだもん。




「オキナワ」神風との対決 OKINAWA
超低予算ニュースリールツギハギ戦争映画


映画史から全く顧みられることもない、世紀の駄作にも光を当てることで、
映画という映像芸術のある意味深淵に迫ってみた挑戦的な試みです。

苦心して探し出した映画サイトの本作品感想欄はどれも痛烈で、
その中から、「(酷すぎて)エド・ウッドの戦争映画かと思った」
という名言を見つけた関係で、知らなくても人生に何の影響もなかった
ハリウッドの反天才監督、エド・ウッドなる人物の存在を知ってしまったほどです。

ストーリーなんてのはこの映画にはなく、ただひたすら
ピケット艦である駆逐艦「ブランディング」の砲兵たちと幹部が、
神風特攻に怯えながら配置と解除を繰り返し、
その間愚にもつかん無駄話が甲板とバンクで垂れ流され、
ついに特攻に激突され、死者を一人出して最後に祖国に帰るところで終わります。




ブログの編集画面が変わって、1日で終わらすつもりのログが
字数制限を超えて二日に分けざるを得なくなったため、
最初に制作したタイトル絵を二日分に分けて書き直すことになったのですが、
他の映画紹介では全く苦にならないこれらの作業も、
あまりに映画がくだらなかったので腹立たしくさえ感じてしまいました。

ただ、彼らが勘違いして航空特攻だと思って採用した
陸軍の義烈空挺隊の特攻出撃シーンが映像として結構な分量収録されており、
ここだけが映像作品として後世に残す意味を持っていると言っておきます。

本年度扱った中で紛れもなくその低質さ、くだらなさ、志の低さ、
低予算においてナンバーワンの駄作だと太鼓判を押します。


というわけで、旧年度の映画紹介を終わります。
今年も継続していろんな戦争関連の映画をご紹介していければと考えておりますので
よろしくお付き合いください。



令和四年年初め 旧年度お絵描き作品ギャラリー

2022-01-01 | 映画

皆様、明けましておめでとうございます。
今年も精進して参る所存ですので、何程ご指導ご鞭撻の程をよろしくお願いします。

と、型通りの挨拶ですが、旧年中に終わらなかった、
令和三年度年忘れお絵描きギャラリーの残りを、年初めということにして、
今年最初のブログとさせていただきます。

妖星ゴラス
自称:科学的計算に基づいたサイエンスフィクション

「地球最後の日」

いわゆる東宝のSFシリーズを扱った当ブログ記事を読み返すと、
自分がつくづくこういう映画を愛しているのだなと感じます。

その気合の入り具合は、たとえばタイトル画が他のつまらない映画より
格段に手がかかっていたり、映画の細部の「重爆の隅」に至るまで
執拗に突っ込まずにいられなかったりという姿勢に表れています。

この「妖星ゴラス」もその意味では心から楽しんで制作した映画で、
今後これに匹敵するほど気合を入れられる作品が出てくるだろうか、
と、どうでもいい心配をしてしまうくらいです。

何がそんなにわたしを惹きつけるのかというと、何といっても
東宝スターシステムによる「いつものメンバー」の魅力と、
決して真面目に疑問を持ってはいけない、特殊な世界線でのみ通用する科学理論、
隠しきれない当時の映像技術の限界に対する、汲めどもつきぬ興味からでしょう。

世にはコアな特撮映画専門のファンがいるそうですが、
わたしにはその心理が少しだけわかるような気がします。

もちろんそういうファンと同じ視点から特撮を見ているとは言いませんが。


さて、この映画は、1962年という高度成長真っ只中の、
東京オリンピックを間近に控えた頃撮影されたものであり、
さらにそこから17年後の「近未来」が舞台となっています。

映画に描かれた1979年の日本では、人類はさらに宇宙へと活動の場を広げており、
例えば日本には宇宙省ができており、宇宙飛行士がその辺にゴロゴロいて、
ついでに彼らは小遣い稼ぎにサンドイッチマンのバイトをしたりしています。
つまり宇宙飛行士が特別な職業でも何でもなくなっているのです。

いくら何でもオリンピックから15年で科学がこれほど発達するとは
ちょっと設定を逸りすぎたのではないかという気がしますが。

物語は、日本初の土星探査船が、地球の6000倍の大きさの惑星、
「ゴラス」と遭遇し、引力で吸い込まれて、探査ロケットの乗組員である、
ヒロイン白川由美と水野久美の父と恋人が殉職するところから始まります。

ゴラスは周りの物質を強力な磁力で吸い込みながら地球に向かっており、
このままでは2年2ヶ月後に激突することがわかりました。

万が一そのようなことが起これば、当然今の世界でその主導権を持つのは、
アメリカ合衆国であり、NASAだと思うのですが、この世界ではそれは日本であり、
しかもたった二人の科学者が、全ての采配を取り仕切るのです。

もちろん地球の危機なんですから、インターナショナルな雰囲気を出すために、
映画では、何人かの外国人俳優が科学者役として登場します。

そしてその一人に、東京裁判で日本被告の弁護人を務めた
ジョージ・ファーネスが登場していることが、わたしがそもそも
最初にこの映画を知るきっかけでした。



ドクター・フーバーマン(ってことはユダヤ系ですね)を演じるのが、
東京裁判後弁護士として活動しながら余暇にエキストラをしていたファーネスです。

本職ではないため、残念ながら滑舌も声もあまり良くないのですが、
何といっても本物の弁護士であるため、その容姿が博士役などにピッタリです。


この映画のとんでもないところは、惑星衝突を回避する方法を、
日本の一高校生が軽ーく思いつき、それが実行されるという展開にありました。

池部良演じる河野博士は、そのアイデアを実現させるため、

「南極大陸にジェットパイプエンジンを設置して、フル稼働すれば
地球の軌道を41万キロ移動させることができる」


という仮説を立て、そのことを計算式で実証して見せるのですが、
その説明のために国連で黒板にチョークで数式を書いてみせています。



監督の本多猪四郎は、東大理学部の天文学者であり、天体力学の研究者、
堀源一郎氏に「地球移動」の科学的考証を依頼し、
自身も1ヶ月近く東大で講義を受けたそうですが、
この板書は、その堀氏の直筆による計算式本物なのだそうです。

天体力学の中でも、惑星、衛星、人工衛星の長年運動理論の世界的権威であり、
特に1966年に発表した正準変数による一般摂動理論は、
2020年7月現在で実に390篇の他の論文に引用されている。

大学講義の時に堀が黒板に書く理論式の文字が端正で見事だったことは有名で、
そのため、本人でなく、板書された理論式が

1962年作の東宝SF映画「妖星ゴラス」に”出演”した。(wiki)

つまり科学的裏付けがされた専門家のお墨付き理論というわけです。


そうはいっても、地球を動かすのに南極の広範囲に、
ジェット噴射のできる重水素原子力パイプを1089本設置し、
そこから噴き出す660億メガトンのエネルギーによって地球の軌道を動かすなんて、
計算上はうまく行っても実行はまず無理な作戦です。

そんなもの地球の端っこでガンガン稼働させたら、環境負荷はかかりまくるし、
惑星の衝突は避けられたとして、今度は狂った地軸をどうやって戻すんですか、
という問題については、全く解決策がないまま話が進みます。



登場人物の人間関係は、どうにも現実性が希薄でイマイチ共感しにくいというか、
時代のせいもあって、現代の価値観とはかなりずれているのですが、
実はこのおかしさもまた、わたしがこの時代の映画にハマる一つの理由です。

例えば、
ゴラス衝突で殉職した宇宙飛行士の恋人を忘れられない女性の部屋に押しかけ、
高価なプレゼントでグイグイ迫る、女性の高校の同級生というパイロット。

「だって死んじゃったんじゃないか」

と薄笑いを浮かべて死者(しかも自分の先輩)の写真を窓から投げ捨てる。
こんなクズ・オブ・クズ、小室系並みに良識ある人々の共感は得られますまい。

このパイロットが何かの役に立ったり活躍するということはなく、
探査船の外からゴラスを見た途端記憶を失うという役立たずぶり。

それから、怪獣映画の東宝作品ということで、南極に唐突に現れる
「怪獣マグマ」とやらの存在もあまりにも無理ありすぎです。
しかも、生態系も明らかにならない新種生物なのに、工事の邪魔になるからと
何の躊躇いもなく抹殺して埋めてしまう科学者とか。
 


そして、地球の軌道は関係者各位の尽力によって見事移動し、
ゴラスはギリギリで地球の激突を免れるのですが、
映画の見どころは、地球に再接近したときにゴラスの引力が巻き起こした
激しい海水の移動によって、首都東京が破壊されていく特撮です。

その後、水没した東京を東京タワーの上から見物する若者たちのシーンで
映画は終わりますが、水没してほぼ壊滅状態になった首都を高みの見物しながら
不気味なくらい彼らがはしゃぎまくるというのが、もう最高です。

そして、コメント欄でも話題になりましたが、この映画は
地球の滅亡がそこまで迫っているかもしれないのに、
登場人物が祝い合うお正月のシーンがなかなか味わい深い印象を残します。

というわけで万が一観てみる気になった方は、
お正月の雰囲気の中でご覧になることをお勧めしたいと思います。




潜水艦轟沈す 49th Parallel
Uボート乗員の国境越えサバイバルゲーム




「潜水艦轟沈す」という日本語タイトルだけで選んだら、潜水艦映画にあらず。
なんのことはない、中身はカナダに潜入したUボート乗員の逃走劇でした。

北緯49度にはアメリカとカナダの国境線が存在することから、
つまりUボート乗員が「そこまで逃げおおせれば勝ち」のゴールを意味します。


1941年イギリス政府協力による国策映画で、制作の背景には
その2年前に起こった、ナチスドイツのポーランド侵攻がありました。

ヨーロッパでは、ドイツはすでにこの時点で明確な敵だったのですが、
まだこの頃のアメリカ大陸では、ドイツ系移民などもいた関係で、
ナチスの脅威に対して比較的無関心だったことから、イギリスは
カナダ国民への啓蒙をするために、この映画を制作したとされています。

ところで、この項を制作したときにはあまり深く考えなかったのですが、
映画の設定では、Uボートはセントローレンス湾にまず潜入し、
そこで民間船を撃沈しています。



セントローレンス湾はセントジョンズ、プリンスエドワード島、
ノバスコーシアなどに囲まれた内海のように見える湾で、
大西洋からは簡単に侵入できます。

セントローレンス湾からなら、メイン州を目指せば、
彼らが陸路を通ってアメリカに侵入するのは簡単だったのですが、
彼らはいろいろあって結果的に国内を西へ東へ徒歩でうろつくことになります。

なぜそんな苦労を強いられることになったかというと、彼らは
最初の段階で空爆によって潜水艦と乗員のほとんどを失ってしまったため、
やむなく行き当たりばったりに犯罪を犯しながら迷走を始めたわけです。

この状況設定に対して、わたしが一言言わせてもらいたいのは、
いかに国策映画としてナチスのヤバみを訴えるのが目的だったとはいえ、
切羽詰まった状態の一部のドイツ人(たった6名)の犯罪行為をもって、
これがナチスである!国民よ目覚めよ武器を取れ立ち上がれ、
という啓蒙の材料にするというのは、ちょいと不公平ではないかってことです。

戦後、本作品のドイツ国内でのテレビ放映を、頑強に反対する声があって
実現しなかったというのも、一部のナチスの創造された犯罪をもって
ドイツ人全体をディスる、ストローマン理論的啓蒙映画そのものに、
不快感を覚える人が少なくなかったということじゃないんでしょうか。

それに、これはあくまでも「感じ」ですが、映画「Uボート」「眼下の敵」でも、
海軍、ことにUボート乗員にはゴリゴリの親衛隊員は多くなく、
デーニッツはともかく、ヒトラー信奉者って現場にはあまりいなさそうですし、
そもそもこのヒルト大尉みたいなのは特別だという気がします。

まあ、それも国策映画ならではってことなんでしょう。知らんけど。

さて、Uボートを破壊され、生き残った六人は、あたかもサバイバルゲームのように
逃走の段階で一人、また一人と欠落していくわけです。

その際、協力しあってこの難関を打開すべき仲間同士で、
手段を巡る意見の食い違いや、日頃の人間関係の恨みなどが噴出し、
仲間割れを始めたりするという展開はなかなか見応えがあります。

初日のタイトルに選んだのは、生存者の最先任、副長のヒルト大尉と
機関長のクネッケ大尉がいがみ合う姿です。

六人のUボート乗員の中で一番先に脱落するのが、下っ端の見張りヤーナーで、
その次がこのヒルトの天敵、クネッケです。

彼ら一味は交易所を乗っ取り、そこで村の漁師(サー・ローレンス・オリヴィエ)
や、飛行艇のパイロット、エスキモーを含む村人を殺害し、
盗んだ飛行艇で走り出すのですが、それが墜落して水死してしまうのです。


セントローレンス湾からなら、五大湖のどれかに飛べば一挙にアメリカだったのに、
とこの地図を見れば思いますが、彼らはアメリカとは反対方向に飛び、
そこでドイツ系移民のフッター教徒の村に潜り込むことに成功。

撮影には実際にフッター教徒がエキストラ出演しましたが、
最初にキャスティングされていたフッターの少女役の女性が、
ネイルをしてタバコを吸っていたため、本物の教徒に平手打ちされて、
交代したという笑えないキャスティング秘話があります。



ここで脱落するのは右下のフォーゲルで、パン職人だった彼は
コミュニティに自然に溶け込み、フッターの少女に恋心を抱くに至ります。
集会でヒルトが演説を打ったことから彼らがナチスであることを気づいた少女を
仲間からかばったフォーゲルは、反逆者として処刑されます。

残った三名はGoogleマップで577キロの距離を、真冬というのに
てくてく歩いて移動し、途中で故障した車の持ち主を襲い、資金を得て
汽車でバンクーバー(西海岸です)まで行き、そこから日本にいく船に乗って、
同盟国特典で祖国に帰るという作戦を立てました。

追われているのを感じた三人は、西海岸近くの先住民祭りに紛れ込みますが、
そこで地元警察に発見されてここで一人が捕まり脱落。

残るヒルトとローマンは、湖畔でレスリー・ハワード演じる
インディアン研究者のテントに招待されますが、彼の書籍や絵画を破壊したため、
平和主義者と馬鹿にしていた研究者に反撃されてローマンが捕まり、脱落。

最後の一人になったヒルトは、なんとかアメリカに逃げ延びて
ドイツ領事館に逃げ込もうとするのですが、
ナイアガラ駅に向かう列車の中でランス・マッセイ演じる兵士と揉み合い、
アメリカの税関職員の機転によってカナダに送り返されてお縄となります。

潜水艦轟沈す、という日本語タイトルだけが全く評価できない映画ですが、
実は英語の題名である「北緯49度線」も微妙に間違いで、
ナイアガラの滝は北緯49度上にない、というオチ付きです。

国策映画とはいえ、イギリス政府が潤沢な予算を出した内容は
よく練られていますし、いくつかの絶対にあり得ない点
(冬のカナダを野宿して徒歩で歩くとか)以外は、
フッターやインディアンなど、あまり世界の人が知る機会のない
カナダという国の風土について知ることのできる、見応えのある作品だと思います。

わたし個人的には、レイフ・ヴォーン=ウィリアムズの手がけた
映画音楽を知ることができたのは大きな収穫でした。


続く。


令和三年度年忘れお絵かきギャラリー その2

2021-12-31 | 映画

今年一年にアップした映画の扉絵と共に内容を振り返るシリーズ、
年忘れお絵かきギャラリー2日目です。

グリーンベレー The Green Berets
物議を醸したジョン・ウェインのベトナム戦争肯定映画



当時ハインツ歴史センターのベトナム戦争シリーズが続いていたため、
ベトナム戦争ものをと思って選んだため、短期間の間に
ジョン・ウェイン晩年の戦争ものを2本も扱うことになりました。
しかも本作は、ジョン・ウェインの監督作品でもあります。

61歳で空挺隊の司令官役という誰が見ても無茶な役を演じてまで、
ウェインが映画を世に送り出したかった理由というのは、
当時国内に蔓延していたベトナム戦争反戦の動きに危機感を抱き、
映画によって国民の世論を動かすことだったと言われています。

つまり、ウェインはベトナム戦争の「共産主義との戦い」という
政府の理念に全面的な共感を持っていたということになります。

ウェイン演じるマイク・カービー大佐率いる米陸軍特殊部隊「グリーンベレー」が、
ダナンで繰り広げる死闘が、ストーリー全体を支配します。

「反戦の声」を象徴するのは、デビッド・ジャンセン演じる新聞記者で、
彼は彼はその実態を見極めるために従軍記者となって同行します。

カービーの部隊の死闘と、ベトナム人民の悲惨を目の当たりにし、
彼の考えが変わっていく、という手法によって、
映画はメッセージ性を持って戦うことの正当性を訴えようとします。



カービーの部隊と共に行動する政府軍の若い司令官を演じるのは、
当時「スター・トレック」で人気だったジョージ・タケイでした。

晩年のドラマでの姿しか知らないわたしは、この時代の
精悍でセクシーな容姿の彼の姿にちょっと驚いてしまったものです。

ちなみに右下の子供は、戦災で家族を失い、隊員の一人に懐くという設定で、
犬を可愛がっていることや、懐かれた方の隊員が戦死を遂げる、という
戦争映画にありがちな境遇を背負った存在ですが、
同時にこの子供こそが「大国アメリカに庇護される南ベトナム」を象徴している、
とわたしは最後に位置付けてみました。

ちなみにデビッド・ジャンセン演じる新聞記者は、それまでの反戦意識を改め、
最後には自分も従軍記者として部隊に加わることになるのですが、
その大きな理由は親しくなった村長の娘がベトコンに惨殺されたことでした。

彼がアメリカが庇護すべきは何かを認識するようになったという意味で、
村長の娘もまた映画の目指す理念にとって象徴的な存在です。



映画で描かれた「最大の作戦」とは、北ベトナム軍の将軍を、
ハニートラップで油断させておいて誘拐し、それをネタに交渉して
南ベトナムに有利な条件での終戦交渉に持っていくことでした。

こんな芝居じみた(芝居なんですけどね)作戦であの戦争が終わるくらいなら、
実際何年間にもわたって泥沼の戦いが続くわけねえ、と誰もが思ったでしょう。

その発想は、ほとんど西部劇の舞台になる街レベルのスケールの小ささ。
この映画が特にベトナム兵士たちには嫌悪感すら与えたという理由もわかります。

ただ、それらのことどもはあの戦争の結末を知っている後世の人なら
誰でもしたり顔で言えることにすぎません。

ベトナム戦争がまだ緒についた頃、ウェインがそうであったように、
少なくないアメリカ国民は、アメリカの正義を信じ、
決してアメリカは戦争に負けることはないと信じていました。

ちなみに最終日のブログタイトルは、
ウェインがベトナム人孤児の手を引いて歩いていくこの映画のラストシーンで、
劇中ダナンとされている彼らのいる地域からは、
決して見えないはずの「西に沈む夕日」(ダナン海岸は東にしかない)
であったという「グーフ」から来ています。

映画の興行成績は、作品そのものが激しい議論の対象になったこともあって、
皮肉なことに、彼の映画の中でも最大のヒットとなりました。


シン・レッド・ライン Thin Red Line
静かなる哲学ポエマー総出演戦争映画


ブログに取り上げていて何作に一つは他の作品の数倍気力が必要な作品があります。
おそらく本年度におけるその最たるものがこの「シン・レッド・ライン」でした。

当ブログでは、初日の多くを割いて、いかに出演を希望した俳優が多かったか、
またその際のキャスティング秘話をご紹介しましたが、この作品はそれほどに
関係者にとって特別のキャリアとなると制作前から見做されていたようです。

作品そのものに対する専門家の評価もやたら高く、まるで
この作品を評価しない者は頭が悪いというような空気さえあります。

しかし、一般大衆の「ウケ」は決して良くありません。

特に英語がネイティブでない国の鑑賞者にとっては、翻訳の介在がネックとなり、
戦争ものと言うだけで選んだ人は、ネイチャー系ポエムに早々に退屈し、
そうでなくてもサラッと聞いただけでは解釈しにくい内容となっているからです。


わたしも解釈を試みたのですが、従来の戦争映画と違い、この作品の目指したのは
人間を形作る「肉体」という、地上での「魂の容れ物」が遭遇する出来事より、
その肉体を支配する精神世界を優先して表現することだったような気がします。

戦争という、大量の肉体がいとも簡単に破壊され無になる空間で、
この映画は殺戮をまるで傍観しているかのような視座を見せているからです。

当ブログでは、「シン・レッド・ライン」というタイトルの意味を、
歴史的事実から紐解き、解釈するという、
自分で言うのもなんですが、意欲的な作業をゼロから試みました。



こういうふうにタイトル画の中心に据えてみると、まるで主人公みたいですが、
天下のジョージ・クルーニをちょい役で使い捨てしたのがこの映画の剛毅なところ。

あまりにもキャストが多すぎて、ちゃんと契約してギャラももらい、撮影もしたのに
登場場面が削られて、結果的に出演しないで終わった俳優すらいました。

第二次世界大戦のガダルカナル島での戦闘を描いているので、
映画には日本軍の将兵が登場するのですが、
彼ら敵役の表現法においても、この映画は画期的だったと思います。

そんなことについても考察してみました。

彼は何故撃たれたか



最初から最後まで、戦場にいる兵士たちが頭の中で、あるいは会話で
「分裂症的な」哲学ポエムを繰り返して止まない当作品。

全てのことが、戦闘行為ですら、何かの暗喩なのではないかと
最後の頃には懐疑的になってしまうくらいです。

ウィットが何故撃たれたかについても、彼が最後に浮かべるこの表情も、
部隊から脱走して原住民の村に隠れていたという彼の前歴を考えると、
何かしらの意図あってのことなのだろうか、と深読みしてしまいます。

戦争を素材に哲学と真理を追求しようと試みた作品、
とブログでは一応最後に恐る恐るまとめてみましたが、シニカルな見方をすれば、
「哲学」「真理」は、雰囲気をただ纏わせているだけかもしれませんし、
もしそうならば「真理の追求」などと大上段から振りかぶるのは、
口幅ったいようですが、買い被りすぎだったかなと思わないでもありません。

受け手がどう解釈するか、あるいは受け手の能力、感受性で如様にも価値が変わる
まるで映し鏡のような作品、というのが今の本作に対する評価です。



海軍特別少年兵
国策映画「水兵さん」の昭和焼き直しバージョン

「艦船勤務」



最近、戦時中海軍省の後援によって水兵募集の宣伝用に作られた国策映画
「水兵さん」を観てその紹介ブログを制作しました。

もちろんそんなことがなければ一生観ることのない映画ですが、
びっくりしたのは、この「水兵さん」で描かれた海兵団の様子がほとんどそのまま、
この「海軍特別少年兵」では再現されていたことです。

「少年兵」の舞台が横須賀第二海兵団、「武山海兵団」というのも、
「水兵さん」の舞台とぴったり同じです。

「水兵さん」は、海軍が全面的に協力したため、実際に海兵団の施設で撮影され、
実際の訓練生の訓練風景などがそのまま劇中に再現されるのですが、
この映画は、その訓練の様子だけでなく、演芸会の最中に訓練生の姉が訪ねてくる、
陸戦訓練で民宿に宿泊して久しぶりに畳の上に寝るなどというディティールを
もはやパクリといってもいいくらい、そのまま流用していたことが判明しました。

とはいえ、もちろんこちらは、あの戦後の「東宝8・15シリーズ」ですから、
「水兵さん」の登場人物のような純粋で真っ直ぐな少年ばかりでなく、
不幸な家庭状況によって拗ねていたり、家族と縁がなかったり、
銃剣を無くして怒られるのが怖くて自殺してしまったり、と
思いつく限りの不幸なバックグラウンドを背負わされているだけでなく、
最後には全員同じ部隊に配属されて、一挙に死んでしまったりするのです。

「水兵さん」は来年アップする予定なのでその時に読んでいただけますが、
こちらは分隊長が出征して戦果を上げるニュースを聞き、
自分もまた海軍軍人となって国の為に戦地に赴く、というところで終わります。
海軍兵募集の宣伝映画ですから、もちろん誰も死にません。

彼らの行く末に待ち受ける運命については、あくまでも
「戦争なのだからそういうこともあるかもしれないが、自己責任で」
という感じで具体的には語られることもありません。




主人公となる少年たちを演じる俳優が、皆未成年で無名なので、
その分、彼らの家族や教範長などに有名俳優を使いまくっております。
さすがは当時の「8・15」シリーズです。

この映画の少年兵のうち、かろうじて最も有名になったのは、
銃剣を紛失して自責の念から自決してしまう林を演じた中村梅雀でした。


ところでわたしは、映画紹介ログの扉に使う絵は、通常、
映画がカラーならカラーで描くことにしていますが、
この映画はカラー映画なのに色なしの絵を描いています。

理由は特になく、まさに「なんとなく」そうしたにすぎず、もちろんそのとき、
この映画がベースにしたモノクロ映画、
「水兵さん」があることは夢にも知リませんでした。

「水兵さん」を見て、この映画がそれをベースにしていることを知ってから、
改めて「画面に色を感じられなかった理由」に納得がいったと共に、
自分の直感のようなものをちょっと見直す気になりました。

なお、ブログのタイトルは、両日とも、劇中少年たちが歌う軍歌から取っています。


続く。








令和三年度 年忘れお絵かきギャラリー その1

2021-12-29 | 映画


早いもので、令和三年も残すところ後数日となりました。
というわけで年末恒例のお絵かきギャラリーをやります。

今年は何と言ってもコロナ禍でイベント等参加の機会が無くなったため、
(そして今後もおそらく無いだろうという)ブログのコンテンツが
軍事博物館の解説と戦争映画の二本立てになってしまいました。

そして記事のボリュームが大き過ぎて(内容が濃いとは誰も言っていない)
一日一本の記事制作が負担になってきたこともあり、
いつの間にか二日に一本のアップが限度になってしまいました。

特に映画記事となると、記事のための画面キャプチャと
その中からタイトルがを選んで描いてレイアウトして効果をかけ、と、
決してそうは見えないけど本人的には大変な作業なので、
1日分の記事を2日で仕上げるのもやっとという有り様です。

しかし、今後もできるだけこのペースを死守しつつ続けていきたいと思いますので、
来年もどうかよろしくお付き合い願います。

危険な道 In Harm Way
ドロドロ人間模様系戦争映画



2020年の12月掲載です。
最近、ジョン・ウェインの戦争映画ばかり紹介している気がするのですが、
それだけ彼が多くの戦争映画に出演しているということでしょう。

タイトルの「In Harm's Way」は、アメリカ海軍の英雄、
ジョン・ポール・ジョーンズの、
「私は危険を承知で行くのだから」という言葉からとられています。

映画の舞台は第二次世界大戦の真珠湾海軍部隊。
主人公のウェインが演ずるのは重巡の艦長です。

最後の白黒映画となった当作品における彼は、
体調の悪さが画面を通じてもわかるほど老いが目立ちます。

映画は真珠湾事件に始まり、大和撃沈で幕を閉じますが、
その間登場人物はどちらかというと妻に浮気されたり、
生き別れの息子と再会したり、嫌いな男の息子の婚約者を寝取ったり、
その婚約者が自殺したり、それを苦にして自殺的攻撃をしたりと、
なかなか波乱バンジョーでドロドロした人間模様を繰り広げます。


ウェインの相手役、看護師のマギーを演じたパトリシア・ニールとは
すでに映画「太平洋機動作戦」で共演済みです。

わたしはこのパトリシア・ニールという女優、全く魅力を感じないのですが、
ウェインとの共演を2回もしているということは、
アメリカではそれなりの評価をされていたようですね。

軍人として出ている映画なのでウェインは無理やり?
ラブシーンを演じさせられていますが、この時58歳で、
海軍大将を演じるべき年齢の彼のそれは、
見てはいけないものを見せられた気になること請け合いです。
あんまり登場人物同士の人間関係がゴチャゴチャしているので、
三日目にはついに人物相関図を書かざるを得なくなりました。

「田舎出の純朴な娘」と言われていたはずの息子の婚約者、
ドーン少尉はなかなかの小悪魔ビッチで、それがアダとなり、
自分の嫁が浮気相手と事故死してしまってすっかり拗らせた
カーク・ダグラス演じるエディントン中佐に乱暴され、
子供ができてしまったので自殺するというショッキング展開。

わたしが最近作業をしながら初めてアマプラで観たドラマ「高校教師」は、
ゴールデンタイム放映作品でありながら衝撃的な性のタブーを描いており、
当時の日本社会を騒然とさせたそうですが、それより20年も前、
アメリカではこんな衝撃的な内容をしかも戦争映画に盛り込んでいたのです。

ウェインの息子を演じた俳優は映画「シェーン」の子役でした。
この後若くして事故死してしまいました。

カーク・ダグラスが演じたエディントン大佐は、自分が手篭めにした女が
自殺してしまったので、自責の念に駆られて単機出撃し(おい)
その途中に偶然大和艦隊を発見しますが、直後に撃墜されて戦死を遂げます。

なお、このときカーク・ダグラスがどうしてこんな役を引き受けたかというと、
「スパルタカス」など、その頃の一連の仕事の評判が悪く、
意に染まない役でも大作、しかもウェインと共演ということでOKしたようです。
この際「寄らば大樹の陰」という感じだったんでしょうか。

戦争映画としては骨組みがしっかりしており、機動部隊、
空挺部隊、PTボート、航空と現場が登場する意欲作で、
模型による海戦だけが残念だったという評価もあるようです。

登場人物たちのドロドロ愛憎劇を楽しむ余裕のある方ならおすすめです。


「大東亜戦争と国際裁判」
東京裁判史観に敢然と立ち向かった反骨映画

令和三年度最初に選んだ映画は、極東国際軍事裁判、通称東京裁判を
記録に残された裁判の様子をできるだけ忠実に再現しようとした意欲作です。
タイトル画は、裁判の「登場人物」の中から、
主役と言っても差し支えないであろう四人を独断で選びました。

まず初日は嵐寛寿郎演じる東條英機陸軍大将&元総理。

映画を4日に分けましたが、初日では日本が国内不況に困窮し、
満州に新天地を求めて進出したのに対し、ここに権益を持つ欧米が
ABCDラインを引いて日本を追い詰めるところから、ハル四原則、
日米交渉決裂という厳しい状況に置かれた政府の舵取りを
東條が引き受けるという過程が描かれます。

ついでに、朝日新聞がこの映画の内容に大騒ぎして火付けし、
その煙をアメリカが嗅ぎつけてGHQが問題にした、という
制作の裏で起こったいつもの騒動についてもご紹介しました。



二日目はA級戦犯として処刑された文官の広田弘毅元外相です。

この俳優は本物の広田弘毅にはあまり似ていないのですが、
広田が絞首刑の判決を受け、イヤフォンを外してから
傍聴席の娘に微笑んだという出来事が取り上げられていたので描きました。


二日目は、開戦後、勝った勝った、また勝ったったでイケイケだった日本が、
ドーリットル空襲、ミッドウェイ海戦を経て、転換点を迎え、
海軍甲事件で山本五十六大将を失い、特攻という最悪の手段を選択し、
(大西瀧治郎が丹波哲郎という無茶苦茶な配役ですが)
回天、大和特攻、(大和副長役に天知茂)サイパングアム陥落、
そして原子爆弾投下がサクサクと紙芝居調に経過説明されます。

本作のメインはどちらかというと東京裁判なので、
ここからが本題というところになります。


三日目はサー・ウィリアム・ウェッブKBE裁判長の俳優を描きました。

この俳優は本物よりスマートであまり似ていないのですが、
似てさえいれば描きたかった清瀬弁護人とブレイクニー少佐が
どちらも絶望的に似ていないので断念し、代わりに選んだ次第です。

ここからは罪状認否と裁判の経緯が実に忠実に述べられます。
わたしはブログで、映画で語られたことへの補足と、
改変されたところがあれば、その理由などについて語りましたが、
その際資料としたのは児島譲の「東京裁判」、清瀬一郎の著書などです。

3日目は、インド代表判事、ラダビノッド・パール博士を描きました。
パール判事は東京裁判の裁判官の中でたった一人の国際法の専門家です。
(というのも何だか不思議な話ですよね。国際裁判なのに)

今でこそ、東京裁判が戦勝国による敗戦国への報復であり、
法律的にはなんの正当性もないということが人々に知れ渡りましたが、
例えば小林正樹監督の「東京裁判」などでは、ドキュメンタリーと言いながら
監督本人が「東京裁判史観」に見事に染まっていたりしたものです。

その点本作品は、朝日新聞の火付けとGHQとの戦いを経て、
妥協を余儀なくされながらも、東京裁判史観の矛盾と問題点を、
なぜ日本が大東亜戦争に突入していったかを丹念に描くことで
世に問おうとした、実に勇気あるものだったとわたしは思っています。

もっと評価されても良い映画ではないでしょうか。
(決して面白くはないですが)


「シュタイナー・鉄十字賞」(戦争のはらわた)
タイトル暴走結果よければ全てよし映画

ドイツ万歳



この映画が戦争映画として有名な理由は、「戦争のはらわた」という邦題にある、
と決めつけた上で、解説を行いました。

原題は「Steiner - Das Eiserne Kreuz」シュタイナー・アイアンクロス
「戦争のはらわた」とは何の関係もありませんが、
この耳目を集めるタイトルのせいで人の記憶には残る作品になったのです。

本作は英独による合同作品ですが、主人公のシュタイナーは
どうみてもドイツ人ぽくないジェームズ・コバーンです。

舞台は1943年、ロシア戦線。
できる男ロルフ・シュタイナーは、再度任務を成功させ軍曹に昇進し、
鉄十字も授与されていますが、彼はそんな栄達に無関心です。

彼の宿敵として登場するのは、指揮官として赴任してきた
上流階級の傲慢なプロイセン人大尉シュトランスキー。

シュタイナー隊がロシア軍と血みどろの戦いでこれを制圧した後、
シュトランスキーはそれを自分の功績だと主張し、
戦闘中逃げ隠れしていたくせに鉄十字賞を欲しがります。

そして、同性愛者であるトライビヒ中尉を脅迫して、
功績の証人にさせることに成功しますが、シュタイナーの方は
昇進をちらつかされても全くそれに食いつこうとしません。

シュトランスキーは、報復として、ブラント大佐の前線撤退の命令を
シュタイナー隊に伝達しなかったため、彼らは取り残され、
敵に囲まれ生存のための戦いを余儀なくされるのでした。

シュトランスキーに弱みを握られて味方を攻撃させられ殺されたトリービヒ中尉、
ドイツ軍に拾われて「羽を休めた」ものの、戦死するロシア軍の少年兵、
最後の最後まで男前だったブラント大佐、屈折した複雑なキャラキーゼル大尉。

そういった脇役の一人一人の描き方が際立っていて、個人的には
ペキンパー監督の画期的なスローモーションによる戦闘シーンの衝撃よりも、
映画を支えるストーリーラインに深みを与えていると感じます。

戦争映画ファンならずとも鑑賞しごたえのある佳作です。
ただ、もう少し主人公はドイツ人らしい人にして欲しかったかな。



「アイアンクロス ヒトラー親衛隊《SS》装甲師団」
パッケージに偽りありのネイチャーポエム系ナチス映画



昨今は誰でも簡単に写真が加工できるため、
SNSの自撮りは絶対に信用してはいけないというのがネットの世界の常識です。

一生SNSの中だけで生きていくつもりならともかく、マッチングアプリなどで
SNOW加工しまくった写真を挙げる人は一体何を考えているのでしょうか。

加工写真で期待値を上げられまくった相手が、実物を見てドン引きするとか、
そもそも本人だと思ってもらえないことを問題だと思わないのでしょうか。

なぜこんなことを書いているかというと、この映画のタイトルとパッケージが
明らかにそれを期待して購入する人を裏切っており、
パッケージと全然中身が違うじゃないかー!と堪え性のない人なら怒り心頭、
という加工詐欺に通じるものがあると思うからです。

タイトル「アイアンクロス ヒトラー親衛隊《SS》装甲師団」
パッケージには大きな鉄十字をバックに疾走する戦車、
「ナチス最強の部隊 最後の戦い」
「”悪魔”と恐れられたナチス親衛隊の視点から
戦場の恐怖と真実を暴く衝撃の戦争大作!!」

こんな「加工」に興味を持って映画を見た人のほとんどは、
自然をバックに朗読されるネイチャー系ポエムや、兵士たちのつぶやきに
がっかりし、ついでイライラしてくること請け合いです。

繰り返しますが、原題は、アイアンクロスとも悪魔ともあまり関係なさそうな、

My Honor Was Loyalty「我が誇りは忠誠心」
LEIBSTANDORTE「ライプシュタンダルテ」

であり、ライプシュタンダルテは、

「第1SS装甲師団 ライプシュタンダルテ・SSアドルフ・ヒトラー
1. SS-Panzer-Division"Leibstandarte SS Adolf Hitler"


という師団名のことです。
さらに原題は、

My Honor Was Loyalty「我が誇りは忠誠心」

これは、ライプシュタンダルテのモットーであるドイツ語の

Meine Ehre heißt Treue「忠誠こそ我が名誉」

を、過去形にしたものとなります。
そしてその内容はというと。

主人公のルードヴィッヒ・ヘルケル軍曹は、エリート第1SS装甲師団
LeibstandarteSS AdolfHitlerの献身的で愛国的な兵士。

彼はそのほかのほとんどの兵士と同じく、国に愛する妻がいて、
ナチスのドグマに共鳴し、国のために入隊を決めました。

行動が始まると、彼とその小隊はソビエト軍との戦闘で、
経験豊富な歩兵の小グループと交戦しますが、爆発に巻き込まれたヘルケルが
ぼんやりと森をさまよううち、たまたま同じ故郷出身の別の兵士に出会います。

休暇で帰郷した時、彼は兵士の妻がユダヤ人であるということで
虐殺されるのを目の当たりにし、自分の信奉する教義への疑問が芽生えます。

西部戦線に戻った彼は、疲弊していく自軍の力、戦友や尊敬していた上官の喪失、
敵味方両軍における捕虜への戦争犯罪行為を目撃するのでした。


この後当ブログはあのネイチャー系ポエム戦争映画の嚆矢となった
「シン・レッド・ライン」を手掛けるわけですが、今にして思えば、
このイタリア映画(!)は、それをロシア戦線でやろうとしたのです。

わたしがこの映画で評価したのは、ドイツ人によるドイツの映画でないため、
親衛隊の兵士を他の国の、あの戦争に参加した全ての兵士と同じく
「顔のある」普通の人間として登場させたという点に尽きるでしょう。

戦後、ナチスを絶対悪としてしか描くことを許されない世界観の中で、
これを試みたことは、ある意味大変挑戦的だったということができます。

パッケージにつられて買った人はおそらく失望したと思いますが、
わたしはこの点から高評価を与えたいと思います。


続く。

映画「Uボート 最後の決断」〜”In Enemy Hands ”

2021-12-25 | 映画
     
「Uボート最後の決断」後編です。

原題の”In Enemy Hands"は、「敵の手(で)」と訳せばいいでしょうか。
今までのところ話を4文字熟語で表すならば、「呉越同舟」だと思いますが。

さて、ヘルト艦長がトラヴァース先任を呼んで依頼したこと。

それこそがタイトルの「猫の手も借りたい」(意訳)そのもの、
つまり敵である君らの手を借りて操艦したい、ということでした。

「アメリカ沿岸で艦を始末してから投降する。君らは帰国しろ。
その代わり、我々を寛大に扱い帰国させるよう取り計らえ」

なんと思い切った決断をしたものです。
ヘルト艦長は乗員の命と引き換えにアメリカ軍に投降することにしたのでした。

しかし、彼らの乗っているのは他でもないUボート。
東海岸に到着するまでに米艦艇と出会ったらどうするの?
相手を攻撃する?
そんなことが「敵の手を借りて」できるとでも?

わたしですら、すぐさまここまで考えるのに、艦長もチーフも、
全くそのことを想定しないし、考えのすり合わせもしないんですよ。



もちろんこの案に対しては、アメリカ側乗員も拒否反応しかないのですが、
生きて帰ろうとすればそれしかない、とチーフは彼らを説得します。



というわけで話はあっさりとまとまりましたが(まとまるなよ)、
米独の乗員たちはキャビンの右と左に分かれて睨み合い。



そこにチーフと艦長がやってきて、それぞれの「対番」を選びました。
まず、ミラーが組むのはクレマー副長。



機関のオックス(牡牛の意)にはUボートの機関兵曹ハンス。
この二人、見事に雰囲気がそっくりで笑えます。
彼らに与えられたのは残された1基のエンジンで究極の省エネ航行をする任務です。



記念すべき彼らの初の共同作業、それは遺体を艦から出すことでした。
布に包まれた遺体はとても軽そうで、中身はまるでダンボールのようです。



さあ、そして艦長とチーフが二重に発令する指示を受け、敵と肩を寄せ合い、
あるいは狭い機関室で向かい合っての操艦作業が始まりました。



そしてそれぞれの場所では「生還する」という一つの目的のために働く敵同士が
その専門作業を通じて互いを次第に理解し合う姿が・・・。




作業がうまくいくとサムズアップしたり、
身振り手振りで意思疎通したりとだんだん調子が出てきました。


( ;∀;)イイシーンダナー



クレマー副長は吸わないといっているチーフにタバコを勧め、
アメリカ人乗員の優秀さを言葉少なに褒めます。
艦内は禁煙が普通だったというのに、相変わらずこの映画は
みんながタバコを吸いまくります。

そして「計画は成功するだろう」「多分」と言い合います。
しつこいようですが、どうして米艦に攻撃された時の話が全く出ないんでしょうか。



しかしヘルト艦長はふとチーフにこんな本音を漏らすのでした。

「部下の尊敬を失った」

まあ、生きて帰るためとはいえ、降伏する決定をした艦長に
Uボート乗員が失望するのは当たり前というものでしょう。

もし自分が艦長だったらどうしたか、と問われ、チーフは
「1隻潜水艦が抜けたからといって大した問題ではない」
と、間接的に艦長の決断を肯定する返事をします。


この映画における米潜水艦の呉越同舟の相手が、日本の潜水艦でなかったのは、
もちろん英語で会話するという設定が使いにくいこともあったでしょうが、
この頃の日本軍人のメンタルがあまりにもアメリカ人と違いすぎて、
(決して敵に降伏せず、そうなったら迷わず死を選ぶという)
本作品の意図する流れに結びつけにくかったからに違いありません。
 
「1隻抜けたからと言って大した問題ではない」という考えについては、
どこの国も海軍軍人ならちょっとないかなという気がしますが。

そして、この時、二人は初めて(!)
互いの国の艦船と出会ったらどうするかを話し合うんですよ。
しかもその会話というのが、

ヘルト「もしドイツの船と出会ったら計画を捨て、
君たちを逮捕して突き出すとでも思っているのか?」

トラヴァース「それはあるかもしれないと思った」

ヘルト「こちらこそアメリカの船と出会った時、我々を殺すか心配だ」

これで終わり。全く具体的な話に至りません(´・ω・`)

そしてヘルト艦長は、ここでついに核心に迫ってきました。

「なぜ君らを助けたと思う?」

そうそう、それ、わたしたちもぜひ知りたいところですよね。
ところが驚くことに、こんなことを言い出します。

「潜水艦の艦長は、敵艦を沈めたら艦長と副長だけ救えと
ヒトラーが決めた

これが前回お話しした「ラコニア令」のことであるのはもうおわかりですね。
なんだー、ラコニア令のこと、映画製作は知ってたのか。
てっきり知らないで脚本書いていたのかと思った。

だとしたら、ラコニア令を発令したのはカール・デーニッツなのに、
なぜここで「ヒトラーが」とわざわざ言い換えたのでしょうか。

わたしはこのセリフに、アメリカ制作の映画にありがちな
「悪いことは皆ヒトラーのせい」というあの法則を見ます。

前回の解説でお分かりになったと思いますが、
ラコニア令発令の原因となったのは、アメリカ側の一般人殺害事件でした。
現在の米軍にとってもあまり触れられたくはないであろう「黒い過去」です。

これは想像ですが、制作側は、軍と当局者の機嫌を悪くしてまで
この事件にスポットライトを当てたくなかったのでしょう。
(ニュールンベルグ裁判では『恥をかく』結果だったわけですから)

だからここで「艦長と副長以外は助けるなとヒトラーが非情な命令を出した」
という嘘情報をサラリと流したのです。

しかもこの後艦長が説明する、なぜ助けたかという肝心の理由ですが、

「今回君たちを助けて、その強さを知った。
艦長は強くあるべきだと思っている。
命を奪うのではなく、助けることが強さだ」


これ、変じゃないですか?

そもそも捕虜にした=Uボートに収容し助けた段階では
「君たちの強さ」なんてこれっぽっちもわかってませんよね?

知りたいのは、どうして沈没した潜水艦乗員全員を助けたかなんですよ。
これでは全く理由になっていません。
まさかこの説明で全てを終わらすつもりなのか?

さらに、もし呉越ならぬ米独同船のこのUボートがアメリカ軍艦に会ったら?
ドイツ軍艦に会ったら?という仮定についても驚くことにこんな調子です。

「ドイツの船と会ったらどうするんだ」
「みんなが生還することを一番に考えよう」


だから具体的にどうするんだよおおお!



しかしそのとき、クラウズなどの不満分子が暴発し、いきなりあちこちで
殴り合いが始まってしまいました。

最初にやられたのはエンジン室のオックスでしたが、
なんと!彼を助けたのは「Uボートのオックス」、機関のハンスでした。
どうもハンス、前々からその男を嫌っていた模様。

無骨な男同士に、敵味方を超えた不思議な連帯が生まれた瞬間です。


 
しかしクラウズの勢いは止まらず、魚雷を装填させてから味方に銃を突きつけ

「降伏なんかさせないぞ!」

魚雷を暴発させ、艦もろとも自爆するつもりです。



そしてついにもみ合いになって、倒れた艦長の背中に
ナイフをぐりぐりぐりーっと・・!



詳細は省きますが、クラウズはチーフが後ろから鎖をぶつけ、
何と首の骨を折ってあっさりと片付けました。

しかしもうすでに艦長は瀕死です。

「ヨナス!」



クレマー副長は、艦長命令が下された時には多少の皮肉も込めて、
「ヤボール・ヘア・カピタン」などと答えていましたが、
もともとヘルト艦長と同期であり、友人でもあったのです。

「ヨナス」(ヘルト)は「友人ルードウィッヒ」(クレマー)に苦しい息の下から、

「艦を頼む・・・皆を祖国へ」



この瞬間、クレマーが艦を率いることになりました。
「本来艦長になるべき」という前半の伏線が回収されたのです。

艦長代理となったクレマーが最初に発した命令は「潜望鏡深度」でした。
潜望鏡で外が確認できる深度、12mといったところです。



そのとき距離2,300メートルにアメリカの駆逐艦を認めました。
トラヴァースチーフは、ここで「手を上げる」ことを提案しました。
つまり、本艦はアメリカ人が制圧したUボートである、と知らせるのです。



無線通信でトラヴァースが呼びかけを行います。
相手はなんという偶然、まさかのUSS「ローガン」アゲインでした。

さすがにもう一隻駆逐艦を用意する制作予算はなかったようです。

「合衆国海軍のトラヴァースだといってます」

しかし、通信士が艦長にヘッドフォンを渡した途端電波障害に。
艦長は通信士が聞き取った情報をなぜか無視して切り捨ててしまいました。



そこに第3のUボート、U−1221が現れました。

U-429の現状、現在位置と降伏しようとしていること、
クラウズの一味である通信士が混乱に乗じて発信したこれらの情報を受け取り、
裏切り者を殲滅するためにやってきたのです。


艦長がUー821の艦長と同じ人に見える



この展開に驚いたのは駆逐艦艦長。
Uボートがもう一隻現れたと思ったら、同士撃ちが始まったのですから。

「魚雷が発射されました!」
「誰が誰を撃ったんだ!」




なんかわからんけど、とりあえずこっちも総員配置。



U-429が撃ち返してこないのをいいことに、U-1221 は
いかにもドイツ人らしい律儀さで魚雷を撃ち込んできます。

ちなみにこれらも当時使用されていない近接起爆式です。



USS「ローガン」、高みの見物。



クレマー艦長代理は必死で無線を通じてUボートに

「撃つな!味方が乗ってる」

と呼びかけ、U-1221はその無線を受け取るのですが、
艦長は裏切り者め、とばかり通信のラインを引きちぎってしまいます。

おいおい。機材を壊すなよ。

ただしこの時代、潜水艦は海中からは無線の送受信できませんでした。
いちいち浮上か潜望鏡深度で行っていたといいますから、
この潜水艦同士の無線も、軍事考証的にアウトです。



この状況から逃れるには反撃するしかありません。
今度はUボート乗員たちが艦長代理に攻撃を嘆願し始めました。



決断できない艦長代理に、アメリカ軍乗員代表としてエイバースが説得を試みます。



「向こうはこっちを攻撃してるじゃないか!」

DD理論ですねわかります。



チーフは、

「決断しろ。君が艦長だ」

絶対これ、自分が判断する立場じゃなくてよかったとか思ってるよね。



そして艦長代理は決心しました。
一度だけ反撃することを。

その理由は簡単で、後一発しか魚雷が残っていなかったからです。



相手の上部をすれ違い通過、そして後部魚雷を発射。



しかし、その魚雷は艦体を斜めにかすっただけでした。
言っちゃーなんだが、当たり前です。

「潜水艦同士の水中での一騎討ちは当時あり得なかった」

ということを初回に書きましたが、すれ違った潜水艦の後尾に目視もせず
魚雷を当てるのは、二階から目薬をさすより難しいと思います。

しかもこんな時だけ史実通りで、魚雷は近接爆破方式ではなく、
接触起爆式なので、艦体に斜めに当たっても爆発しません。



そのとき、空気読まない海上の駆逐艦「ローガン」が高射砲を撃ってきました。



U-1221、裏切り者より先に、米駆逐艦をなんとかするべきだったと思うがどうか。
魚雷発射とほぼ同時に爆雷の爆発で轟沈を遂げました。(-人-)

ちなみに爆雷は深度爆弾なので、設定した深度に達すると爆発します。



向かってきたUボートからの魚雷はまたしても近接起爆装置搭載タイプ。

爆発のダメージを総員必死でダメコンしていると、
駆逐艦が発するソナーの反響音が聞こえてきました。
このままだと駆逐艦が次の攻撃を仕掛けてきます。



その瞬間、都合よく通信が駆逐艦とつながりました。
(だから海底からの通信は当時できなかったと何度言ったら)

すかさずチーフがUボートには自分たちが乗っていると通信します。



艦長リトルマンは、トラヴァースにエニグマ暗号機と書類の確保を命じました。
そして今から駆逐艦の乗員をそちらに乗り込ませる、と息まきます。
するとチーフはしれっと聞こえないふりして、

「本艦は浸水が激しくもう沈没寸前です。総員退艦します!」

それを聞いていた乗員一同、「へ?」



「ほらー、あっちこっち亀裂が入ってるからもう沈むぞおお」(棒)

唖然としているクレマー艦長代理に、チーフは男前な一言を決めるのでした。

「Promise is promise.(約束は約束だ)」


そして一致協力して吸気口を全開し、退艦してしまいましたとさ。
艦長代理は、Uボートの中を一瞥し、一番最後にラッタルをのぼっていきます。



さて、無事に陸に上がったトラヴァースは、ドイツ人捕虜の扱いについて
冒頭に出てきた提督に直接請願していました。
我々6人の命を救った彼らは、国に帰されるべきであると。

しかし提督は、今は戦争中で、彼らはドイツ人だからどうしようもない、
と苦々しげに繰り返します。

「ただ、彼らがいい待遇を受けられるように計らう」

ようやくトラヴァースの顔が和らぎました。



そしてお約束。
妄想ではない、現実の妻に苦しかった思い出を涙ながらに語ります。

この映画にトラヴァースの妻はうんざりするほど出てきますが、
はっきりいってこれらは戦争映画の「セーム・クリシェ」以外の何ものでもなく、
画面にちょっと華やかさが欲しい程度の理由でこの女優を出すなら、
もう少しヘルト艦長の娘との思い出とか、クレマーと艦長の若い頃の逸話とか、
機関室のオックスとハンスのその後とかに費やして欲しいものだと思います。

ローレン・ホリーが悪いとは思いませんが、口の悪い批評者は
「馬鹿げたヴェロニカ・レイクヘアはロジャーラビットのジェシカみたいだ」
などと痛烈です><
これね

メイシー・H・ウィリアムズの演技もなかなか軍事的には不評で、

「彼はファーゴではなく海軍のチーフである必要がある」

などと英語のサイトでは言われておりました。
まあ、アメリカ人の目にも軍人らしくないってことなんだと思います。



そして車の中でいちゃいちゃしながら着いたのはドイツ人捕虜収容所。



金網越しに捕虜と面会できるものなのでしょうか。
チーフはクレマー艦長代理を呼び出しました。



そして別嬪の妻を、囚われの身となっている男に見せびらかすのでした。



妻はクレマーに夫が生きて帰れたことのお礼を言いたかったようです。
チーフは彼にドイツのタバコをこっそりわたし、
クレマーはそれを嬉しそうに受け取るのでした。

そして、収監生活の待遇の良さに部下たちは皆満足しており、
投降を決断した艦長もここまでは予想していなかっただろう、
生きて帰ることが目的ならば、艦長はそれをやり遂げた、と語ります。

そして、

「もしあのとき撃った魚雷が(味方のUボートに)当たっていたら
今どんな気持ちだっただろう」

と付け加えます。
重い選択でしたが、結果として運命は彼に十字架を負わせることなく終わりました。




金網越しに相手の手に自分の手を重ね(なるほど、ここにもタイトルの暗喩が)、
それから去っていくチーフを見送りながら、
クレマーは柔らかい表情でタバコを取り出して咥えるのでした。



皆さん、いかがだったでしょうか。
わたしがこの映画に冠したい評価は、ただ一言。

「エンターテイメントとしては最高、
しかし歴史的価値はなし」

戦争映画、潜水艦映画としてはともかく、やたら後味のいい作品です。


終わり。





映画「Uボート 最後の決断」〜”Laconia-Order"

2021-12-23 | 映画

映画「Uボート 最後の決断」In Enemy Hands、続きです。
前回タイトルの”Meningitis”は、「髄膜炎」のドイツ語です。

伝染性の死病である髄膜炎に罹患した副長が、
よりによって潜水艦に乗り込んでいたという設定が、
これまでの戦争映画にはなかった新機軸であるわけですが、
その副長はすでに戦闘のどさくさに亡くなってしまいました。

その後、Uボートの攻撃により「ソードフィッシュ」は海の藻屑に。
というのが前回までの話です。

爆発シーンの後闇が訪れ、それから急に画面が妙に明るくなりました。



画面は明るくなり、チーフが妻と過ごすサンクスギビングの映像が現れます。
おそらくこれは彼の妄想なのだろうと誰もが思うでしょう。

現実はこうでした。


彼らはU-821に捕獲され、捕虜になってしまったのです。
服を脱がされ、その格好で乗員の中を歩かされるという恥辱。

本日のタイトルは、その時の彼らの顔を描きました。
映画解説によると捕虜は8人ということでしたが、なぜか
写真が7枚しかなく、誰か一人書き損なってしまいました。
どちらにしても超脇役なので、まあいいや。


ともあれ、オハイオ級潜水艦でもどうかと思われる人数(8人)の捕虜を
Uボートに収容する、というこのシチュエーションが、
この映画の最も大きなツッコミどころです。


Uボート乗員もむろん全員がそう思っていて、艦長の決断を訝しんでいます。

まだ食料はあるから捕虜は補給船に移送する、と艦長は答えますが、
全く捕虜獲得の理由の説明になってません。
クレマーがダイレクトに「なぜ」と聞いても、返事は
「黙って君は補佐をしていろ」で話にならず。

艦長、大丈夫か?


ところで、Uボートの艦長室にはカール・デーニッツの写真が飾られています。

そのデーニッツはラコニア令(Laconia-Befehl)によって、
連合軍の生存者の救助を禁じる命令を出しています。

ここで映画からは外れますが、このラコニア令発令の原因となった
「ラコニア事件」について説明しておきます。

従来ドイツ海軍の艦艇は連合軍の沈没船の生存者を救出するのが通例でした。
しかし、1942年9月、大西洋西アフリカ沖で、沈没したRMSラコニア号の生存者を
救出したドイツ軍のU-156、U-506、U-507は、
連合軍兵士と多くの女性や子供が乗っていることを事前に伝え、
赤十字の旗を立てていたにもかかわらず、
米軍のBー24リベレーターの爆撃を受けたのです。

Uボートが救助した生存者は1,619名、攻撃で死亡したのは1,113名でした。

安導権を破った米軍のパイロットも指揮官も処罰や調査を受けず、
それどころか、B-24のパイロットたちは、U-156を撃沈したと誤って報告し、
その戦功に対し勲章を授与され、事件はなかったことにされました。

この事件後、デーニッツは「ラコニア令」を発令したのです。

沈没した船の生存者を救うために、救命ボートに乗せることや、
横倒しになった救命ボートを直すこと、食料や水を渡すことなど、
すべての努力を禁止する。

救助は、敵船と乗組員の破壊という戦争の

最も基本的な要求に反するものである。
船長と機関長の連行に関する命令は有効である。
生存者は、彼らの発言が船にとって重要である場合にのみ

救出されるべきである。

厳しくあれ。
我が都市を爆撃するとき、敵は
女性や子供を顧みないことを忘れてはならない。

戦後、ニュルンベルク裁判で、検察側はデーニッツを戦争犯罪に問うため
このラコニア命令を証拠にしようとしました。
しかし、そのために米軍の国際法無視の一般人殺害が明るみに出て、
アメリカは大恥をかくことになったとされています。

さらに、この映画の舞台は1943年の後半ということになっていまあす。
ということは、前年にデーニッツのラコニアオーダーは発令されており、
艦長のこの決定はその命令に背くことになるのです。

・・・アウトですね。





不思議なことはまだまだあって、捕虜は見張りなしで機関室に入れられ、
そこで見張りなしで自由に会話しているのです。

このとき一人の水兵が
「やつらはおれたちをユダヤ人みたいガス室に入れて殺すんだ!」
とパニクるのですが、これも大間違い。
ユダヤ人強制収容所のことが明らかになったのはすべて戦後のことで、
戦時中、ましてや一兵隊がこんなことを知っているはずがありません。



さらに、チーフが無理やり引っ張ってきた艦長の様子がおかしい。
キリッとして、チーフに頓珍漢な命令したかと思ったら倒れこんでしまいます。



これは・・・助けたチーフを恨んでいると見た。
これ以降、生存者は艦長はもうダメと見てチーフを最先任とみなし始めました。


敵を助けるつもりで引き入れたのだとしたら許さない、
という「反対派」最先鋒はクラウズ水兵です。

クレマー副長も全く納得していませんが、こちらもまたこちらで、
副長として兵を宥めなくてはならない中間管理職の辛い立場なのです。


捕虜だけにしてくれたのみならず、彼らにはちゃんとした食器に入った
ちゃんとした食事が出されました。
食事を持ってきたUボート乗員に、喧嘩っ早い機関兵曹が、
「失せろこのクラウト!」
(アメリカ人がドイツ人を罵るときの言葉。ザワークラウトから)
などと挑発しますが、彼らは命令されているので無視。

落ち着いて食べられるようにドアも閉めてくれるという気遣いぶりです。


艦長はチーフだけにそっと腕の内側の発疹を見せました。
なんと艦長も髄膜炎に罹患していたのです。
(それにもかかわらず、隣にくっついてご飯を食べるチーフ)


そこにクレマー副長がやってきて、最先任と話したい、と
完璧な発音の英語で言います。

まず、艦長はどうなった、という質問には、
「死んだ」
「艦とともに沈んだのか」
「そうだ」

実際は助かってそこにいるわけですが、
チーフは助からなかったことにして存在を隠しました。

艦長なら他の乗員より命の保障はされるはずですが、
何よりドイツ側に捕虜になったときに、
兵には分からないレベルの機密を尋問されることになります。

それに、「かつての艦長」はすでにここにはいない、というのは、
ある意味嘘ではないと言えないこともありませんし。

 

捕虜は二つのグループに分けられ、手錠で手を天井に拘束されます。
これも現実には馬鹿馬鹿しい設定としか言いようがありません。

二つに分けられたグループのうち、艦長のいるメンバーが
艦長の髄膜炎に気がつき、怯え出します。
排気パイプかなにかに鎖で縛って立ったまま捕虜が3昼夜過ごすうち、
隣に縛られた水兵の腕に発疹が現れました。

 
Uボート乗員もバタバタと倒れていきます。
艦内のあちこちから咳が聞こえてきます。
髄膜炎の怖いのは、頭痛などの症状が出てからすぐ死んでしまうことです。


しかも、補給を行う予定海域には船が来ていません。


そこにいるのはアメリカの駆逐艦だけ。


この今の状況で・・・・。
攻撃を躊躇う艦長に乗員の目が集中しました。
全員の命が彼の命令にかかっています。



艦長が選択したのは攻撃でした。


艦内の空気から、さすがは同業者、捕虜たちは魚雷攻撃が行われると察します。
「攻撃を何とかして止めなければ!」


この映画の「穴」は至るところにありますが、大人がぶら下がったら
簡単に折れる排水パイプに4人を縛っていること、
そんな彼らの近くで魚雷発射作業をすることなどはその最たるものです。


ほらね、あっという間に自由になった。
あとは看守を倒して鍵を奪うだけです。

しかも、艦内を知り尽くしているかのように、魚雷発射ボタンを勝手に押して、
(ペチコート作戦かよ)魚雷を無駄にしてしまうのです。


魚雷の爆発した飛沫でUSS「ローガン」はUボートに気づきました。
ちなみに「ローガン」は実在しますが、APA196の攻撃型輸送船です。
画面の駆逐艦は486の艦番号をつけていますが、この番号は
潜水艦のもので、USS「アイレット」SS-486のものです。

急速潜航をするUボート、乗員は
「人間バラストになるために全員が艦首に向かって走っていく」
というのを再現します。

これも「Uボート」リスペクトかな?



怒り心頭の副長はついついチーフに銃を突きつけてしまいますが、
チーフは冷静に、
「今撃ったら艦体に穴が開くぞ」
あー・・。水圧がね・・・。


駆逐艦から落とされる爆雷を待つ間、落ち着き払っている艦長。


かたやサリバン艦長は、爆雷のどさくさに起こった混乱で
部下を守って自分が銃弾を受けてしまいました。


「艦長が死んだ・・・」


Uボート乗員も、アメリカ軍が伝染病を持ち込んだことに気づきました。
チーフを呼びつけ、それが髄膜炎であると知ります。

身動きできない海底で、広がっていく恐ろしい伝染病。
米独サブマリナーたちは奇しくも「一つのボート」に乗り合わせ、
同じ運命を享受することになったのです。


アメリカ人捕虜が持ち込んだ伝染病が髄膜炎だと知り、
ヘルト艦長は、捕虜を含め生き残ったものに吸入器を使わせる決定をします。
海面では駆逐艦がいつまでも居座ってしつこく爆雷を落としてきます。
(いくら駆逐艦でもそんな暇じゃないと思うけど)


拘束されていた機関員のロマノが亡くなります。
しかし残念ながらこの俳優、ツヤッツヤの肌をしていて、
とても健康そうで、全然髄膜炎で亡くなるように見えません。

せめてもう少しメイクを頑張って欲しかった。



Uボート乗員も次々死んでいきます。
全滅したバンクの前で艦長は頭を抱えます。
頭抱えてんじゃねーよ。おめーのせいだ。


そこにまたしてもチーフの妄想上の妻が登場。
わたしはこの映画を面白かったとは言いましたが、秀作とは一言も言っていません。
こういう、妻を妄想するシーンなどは何もかも陳腐でうんざりしました。


いよいよ空気が乏しくなってきて、艦長は浮上を決断しました。
「下で死ぬか上で死ぬかだ。上ならまだ希望がある」


次の瞬間、Uボートはまるでワープしたかのように浮上しており、
ハッチの下で乗員が貪るように空気を吸っております。(手抜き)
このシーンも『Das Boot』リスペクトといえないこともありません。


さあ、伝染病にかかったアメリカ軍潜水艦乗員捕虜を乗せた結果、
病気はばらまかれるわ反乱を起こされて攻撃失敗するわ、
それこそだからいわんこっちゃないという状態になったUボート。

デーニッツの「人命救助禁止令」をご紹介してまで、
この艦長の決定は現実には1000%起こりえなかったことを説明しました。

映画としても、なぜそこまでして艦長が捕虜を乗せたのか、
それを観客に納得させる義務があるとすら思いますが、
今のところ、それは全く語られておりません。

なにか事件があったかというと、それは「ソードフィッシュ」攻撃前に
艦長の娘が爆撃によって死んだという知らせを受けたことですが、
そこまでショックなことがあったなら、むしろ逆に、
娘の命を奪った連合国の敵への復讐として海上の敵を掃射しそうなものです。

と、深く考えれば考えるほどこの艦長の決定はおかしい、
という結論にしかたどり着かないのですが・・・・・・。



捕虜に食事を運んできたUボート乗員(軍医)が、手元の写真を見て
「家族か?」と話しかけてきます。


互いに息子の名前まで披露しあって敵味方同士和んだのですが、


そこにクラウズがやってきて、写真を破り捨てました。
彼は艦長命令でトラヴァースを呼びにきたのです。



「君の部下は上の命令に忠実か?」
「そうだ」
「なら、もし私が上に立ったとしたら?」
「・・・・・・・?」

ヘルト艦長はトラヴァースチーフに何を提案しようとしているのでしょうか。

続く。