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映画「大東亜戦争と国際裁判」〜開戦前夜から日本の進撃

2021-01-17 | 映画


年明け早々に取り上げる映画としては少々重たすぎるという噂も一部でありますが、
今アメリカが激動しているので、歴史を静かに振り返るという意味で、
ディアゴスティーニ配信の「戦争映画コレクション」の中から
あえて「大東亜戦争と東京裁判」を選んで観てみました。

 

実在の人物がそのままの名前で登場する「歴史もの」ですが、見たところ
前半の大東亜戦争部分にも(この名称をあえて掲げていることをとっても)
70年代以降の戦争映画に見られる
自虐史観に染まった
「日本軍悪・戦死した人犬死・国民被害者」の傾向は全くありません。

考えるまでもなく戦後の左派映画人の思想を形成したのは、他でもない、
この
東京裁判から生まれた自虐史観であるわけですが、この頃は
まだ「戦中派」が社会の大勢を占めていたこともあるでしょう。

いわゆる東京裁判史観とかGHQのWGIPなどが効力を持ってくるのは、
これによる教育を受けた戦後世代以降です。

 

全体を通して観ると、批判や同調を極力排したうえで淡々と歴史を語り、
裁判の経緯と出来事を紡いでいくという映画の姿勢には共感が持てました。

そして多少でも大東亜戦争とその後における東京裁判のことを知っている人なら、
逆に退屈してしまうというくらい淡々と語られているわけですが、
制作段階からなぜか批判が噴出しました。

火付け役は安定の朝日新聞です。

「第二次世界大戦の日本の立場を正当化し、
侵略戦争犯罪人たちを偶像化する試み」

という記事をまず掲載し、それが告げ口となって、アメリカ映画輸出協会からは
映連に制作意図に対する質問が送られてきました。
これ、どこかで見た構図ですね。

質問書の要旨は次のとおり。

「同作品の制作意図を明確にされたい」

「登場人物は実在の人物が多いがその取り扱いはどう処理しているか」

「噂では国際裁判は不当と一方的にアメリカを非難する意図があるがその点はどうか」

そして、映連は以上の事項に対してどのような脚本上の処理を行っているか、
とまあ、詰め寄ってきたわけです。

これを受けて映連は粛々と映倫による審査にのっとり、

「国際的に好ましくない点」

「日本人が交戦的に見える点」

がないように訂正を行い、その訂正後の脚本をアメリカ映画輸出協会と
アメリカ大使館に送付し「許可を得た」のち撮影を開始しています。

言論統制がまだ生きていたってことですね。

このような度重なる「検閲」騒ぎが、日本の映画を自主的にマスコミやアメリカに
「迎合する」ような
自虐的傾向に導いていったことは歴史にも明らかです。

自主規制の結果どこがどう変更になったかについては、DVDに付属されていた
鈴木宣孝氏の解説をもとにストーリーに沿って解説していきたいと思います。

 

 

それでは見ていきましょう。
極東国際軍事裁判を「国際裁判」としています。

結構有名な俳優が一瞬しか出て来なかったりする
ある意味豪華キャストです。

当時の「中国」は中華民国ですので念のため。

東京裁判で日本を裁いた連合国の旗が順番に映し出されます。

これどこの旗でしたっけ。
バミューダのとしか思えないんですが・・。

東京裁判で実際に重光葵の弁護をした、このブログではおなじみ?
ジョージ・ファーネスは、最初自分から本人役としての出演を希望していましたが、
脚本の英訳がずさんだったせいで(噂ですが)、実際の脚本も
いい加減な映画だと思ったのか、辞退してきたと言われています。

「地球防衛軍」でファーネスと共演したハロルド・コンウェイ
オーストラリアのウェンライト中将にキャスティングされていたのですが、
こちらも辞退してきたため、仕方がないので「ポロック」とか「オスマン」とか、
・・つまりトルコ人やロシア人を起用する羽目になりました。

結果英語が通じない現場となり、スタッフは頭を抱えることになったようです。

■ 開戦前夜〜東條内閣誕生

日本が国内不況に困窮し満洲に新天地を求めるうえで
大陸に武力進出、これらの地域に権益を持つ欧米が
それを阻止するために蒋介石政権を助け、いわゆるABCDラインを引き、
在外資産の凍結などを行って日本を「坐して死を待つか戦うか」
の状態に追い込んだ、といきなり説明が入ります。

中国大陸に進出する帝国陸軍の・・・・シャーマン戦車? ヾ(・_・`)ォィォィ

小森白監督は、当時のインタビューで

「ABCDラインをはっきり打ち出し経済封鎖を強調するのも
日本の自衛戦争という点をはっきりしたいからだ。
裁判の結果でも分かる通り、アメリカも自衛をある程度認めている」

「映画は日本人が作っているものだからアメリカ人にとっては
イヤな面も出てくるだろう。
しかし、それと反米的とは話は別じゃないか。
外部の圧力で演出を変更するつもりはない。
アメリカで騒ぐとすれば古傷に触られるからじゃないかな」

となかなか骨太なことを言ってのけていますが、
実際にはアメリカ大使館からは、いくつかの「改変申し入れ」があり、
制作はある程度の接点を見つつ変更がなされたというのが事実です。

1929年から現在のものに機能移設するまで使われていた首相官邸。

ルーズベルト政権が突きつけてきたいわゆる「ハル四原則」、

 1.全ての国家の領土保全と主権尊重
 2.他国に対する内政不干渉
 3.通商を含めた機会均等
 4.平和的手段によらぬ限り太平洋の現状維持

を開戦を避けるために飲むかどうかについて近衛内閣では意見が紛糾しました。

1と2は要するに中国から手を引けということですが、
映画では海軍大臣(及川古志郎ー若宮隆二、割と似てる)に、

「経済的なことを考えると飲むべき」

と言わせ、それに対して陸軍大臣の東條英機が

「アメリカの意図は中国より日本の東南アジア進出の阻止にある。
平和的解決は無理である」

と反対意見を述べています。

東條英機を演ずるのは嵐寛寿郎
彼は脚本を読んで、東條が英雄として描かれておらず、
むしろ人柄を忠実に表現していると感じ、演技においては
美化した人物と見える危険性にたいし慎重に取り組んだと延べています。

近衛首相が

「開戦は避けられないというのか」

というのに対し東條は

「わたしは戦争を欲するものではないが、陸軍としては
同胞の血を流した中国から撤退することは承服しかねる」

と答えます。
しかし大陸撤退をめぐって結局近衛内閣は瓦解しました。

その後、首班指名のために宮中において行われた重臣会議では、
やはり名前のあがっていた宇垣陸軍大将では陸軍に対する押さえが効かないので
東條英機を陸軍大臣にするという決議がなされました。

真ん中が木戸幸一侯爵(大原譲二)
白髪に染めたつもりがなぜか茶髪になっています。

東條では戦争に舵を切ってしまわないか、と危惧するのは
廣田弘毅(清水将夫)

実際の廣田は東條の「開戦やむなし」発言に対しては
「諒となした」とする説があるかと思えば、一方では

「危機に直面して戦争に突入というのはいかがかと思う」

と言ったという説もあります。

いずれにしても、彼が首班に立てば、自らが軍を押さえ、
事態を収集しようと務めるであろう、と重臣は東條の指名を決議しました。

「私が東條大将を後継内閣首班に推薦いたしたいと思います」

このとき、周りが東久邇宮稔彦王を首相にしようとしていたのを、
木戸侯爵はほとんど独断で東條を推し、天皇の承認を取り付けたという話もあります。

早速号外が配られる銀座の町。

■ 日米交渉決裂

アメリカが四原則を突きつけている中、難しい舵取りを
東條は引き受けたのでした。

東郷茂徳外相(林寛)が、日米交渉における我が方の意を説明します。
甲乙二案がこの段階で出されていました。

歴史家の間では、この甲案乙案が日本の運命を決したと言われます。

甲案:

1、通商無差別問題;これがまた全世界に適応されるなら我が国も承認する

2、三国同盟問題;自衛権のみだりな拡大をせず日本独自の立場より決定し行動する

3、中国大陸撤兵問題;和平成立後2年以内に撤兵を完了

2は、独伊がたとえばアメリカと戦争になった場合も干渉しないこと、
というアメリカ側の要求に対する答えです。

この甲案で交渉が妥結しなかった場合、戦争の危機を回避するため用意されたのは乙案。

乙案:

1、日本・アメリカ両国は仏印以外に武力的進出を行なわない

2、両国は蘭印において物資獲得が保障されるように相互協力する

3、両国は通商関係を在アメリカ日本資産凍結以前の状態に復帰させる

4、アメリカは日本・中国の和平の努力に支障を与える行動をしない

4点が成立すれば南部仏印に駐屯する日本軍は北部仏印に引き揚げる

しかし来栖大使の日米交渉は遅々として進まず・・。

アメリカはこれをはねつけてきました。

「いよいよデッドロック(手詰まり、膠着状態)ですか・・・」

そこに非情にも日本を抜き差しならぬ状態に追い込む
ハルノートが突きつけられてきたのはご存知の通り。

内容は、例の四原則に加え、支那、満洲、仏印より
軍隊を無条件で即時撤兵すること、満洲政府、南京国民政府の否認、
三国同盟条約の死文化などなど。

日本にとっては国を差し出せというようなものです。

「中国からの即時撤兵ができないことはアメリカは百も承知のはず」

つまりアメリカはABCD連合で日本を葬ろうとしているのだ、
これはアメリカの日本に対する最後通牒と杉山陸軍参謀総長(松下猛夫)

この杉山参謀長もDQN風味の見事な茶髪です。

このハル・ノートがどれほど挑発的なものであったかは、対米協調主張してきた
東郷でさえ、

「これは日本への自殺の要求にひとしい」

「目がくらむばかりの衝撃にうたれた」

と述懐していることからもお分かりいただけるでしょう。

東條は中国大陸に固執していた陸軍大臣の時と違い、首相任命の際、
天皇から対米戦争回避に力を尽くすように直接指示されたこともあって、
それまでの開戦派的姿勢を変えていました。

しかし、日米交渉はルーズベルト政権の強硬な姿勢によって決裂し、
御前会議を経て日本はついに戦争の道を選ぶのです。

ちなみに、映画製作の際、当時のアメリカ大使館は、このハルノートが
日本を追い詰めたという表現さえ、

「日本の行動を正当化している」

と非難してきたということです。

当時はまだ日本はアメリカの占領下で言論の自由はないと彼らは考えていた節があります。

■ 開戦

そして日本はついに立ち上がってしまいました。
翻る海軍旗、そして高らかに鳴り響く行進曲「軍艦」。


日本海軍の軍艦がこれでもかと画面に現れます。
昭和34年当時なら、まだ軍艦に乗っていた人もたくさんいて、
おそらく彼らもこの映像を目にしたことと思われます。

本作品はカラーですが、戦中の実写映像が白黒であることから
戦中を表す部分はすべて白黒で撮影されています。

真珠湾攻撃に向かう我が機動部隊(と言われている映像)

これは空母から離艦した飛行機から後部を撮影したもので、
尾翼越しに赤城かもしれない空母が写っています。

空母の艦首には菊の紋章がはっきりと認められます。

そして東京裁判で永野修身が

「軍事的には大成功だった」

というところの真珠湾攻撃が行われたのでした。

首相官邸で開戦の詔勅を発表する東條英機。
東條在任中のときのみ、首相官邸にはラジオ演説を行うための部屋があったそうです。

海軍はその後イギリス海軍の「プリンス・オブ・ウェールズ」
「レパルス」を沈没せしめ、ここに
東洋艦隊は壊滅しました。

このことはチャーチルに茫然自失というくらいのショックを与えました。

こちらは日本陸軍が陥落させたシンガポールです。

マレーの虎と言われた山下奉文大将(小林重四郎)
パーシバル中将(J・P・A・ロビンス)の会談中。

降伏を受け入れるかどうかという質問に対し逡巡するパーシバルに、

「イエスかノーか!」

有名になったこの話ですが、本人は

「敗戦の将を恫喝するようなことができるか」

と否定し、むしろ話が一人歩きしていることを気にしていたといわれます。

実際は「降伏する意思があるかどうかをまず伝えて欲しい」という趣旨を、
通訳が分からないことに苛立って放った言葉が脚色され、
武勇談のようにメディアが書き立てたのだとか。

戦争中のメディアがよくやった手ですが、これが戦後山下大将の無残な公開処刑に
回り回ってつながったのだとしたら、
「百人斬り」並の罪な報道だと思いませんか。

こちらフィリピンコレヒドールに絶賛避難中のマッカーサー大将。(A・H・ヒューズ)
これからPTボートで命がけの脱出を行い、メルボルンに渡ろうとしています。

そのときタイミングよく?司令官室のラジオが
「東京ローズ」の放送を始めました。

「ハロー、バターン戦線の米軍の皆さん。お元気かしら。
あなた方を見捨てたマッカーサーは日本海軍に追われて袋の鼠よ。
すぐに日本海軍はコレヒドールに行ってマッカーサーを捕まえるかもね」

東京ローズを演じているのは、新東宝の社長の愛人だったといわれる
(女優を愛人にしたのではなく愛人を女優にしたという社長の豪語あり)
高倉みゆきです。

「そして皇居前広場で銃殺刑にされるでしょう」

司令部の者が怒ってラジオを切ってしまいますが、こんな放送を
どうして一般のアメリカ兵が好んで聞いていたかというと、

「音楽が良かったから」「声がセクシーだったから」。

娯楽が少ない戦場の兵士の心の隙間を狙った宣撫工作だったんですね。

憮然としたマッカーサーは出発のため立ち上がり、ここであの

I shall return.

をいうのですが、なんか英語の発音がすごく変。

それもそのはず、ヒューズという名前は日本向けの芸名で、トルコ人じゃないですか。

貿易の仕事で日本に来ていて声がかかったのか俳優活動をしていた人で、
このブログで扱った映画の中でも

「潜水艦イ−57降伏せず」外交官

「日本海大作戦」ロジェストビンスキー提督役

あとはクレイジーシリーズに外人役で多数出演しています。
英語と日本語ができたので、エキストラの通訳もしていたということですが、
当時は本当に日本には外国の人材がいなかったんですねえ。

今は飲食店の店員にも普通に欧米系がいたりしますが。

というわけで、イケイケの頃の日本では、
連日連夜の「勝った勝った、また勝った」の提灯行列です。

この映像に満面の笑みで写っている人々のうち、
終戦の日を生きて迎えることができた人はどれくらいいたのでしょうか。

 

 

続く。

 


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6 Comments

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華麗にスルー (Unknown)
2021-01-17 16:38:19
日本人は真面目なので、ハルノートで追い詰められて「国を差し出せ」と言われていると思い込んで、戦争に訴えた訳ですが「華麗にスルー」(黙殺)していたら、どうだったんだろうと思います。

中国からも仏印からも撤退しない。戦争にも訴えない。アメリカはわざわざ日本まで攻め込んで来たでしょうか。

もし、米軍が日本近海まで攻め寄せて来たら「月月火水木金金」の訓練の成果を遺憾なく発揮出来たはずです。

自衛隊ではなくて、今でも海軍で、大和は記念艦として、お台場あたりに飾ってあるかもしれませんね。

赤城?と言われている空母は翔鶴型だと思います。
返信する
トルコ人俳優 (ウェップス)
2021-01-17 16:56:22
 とどまるところを知らない中尉の新東宝名作レビュー。残ってるのは「軍神山本元帥」と「潜水艦ろ号」ぐらいじゃないですか(^◇^)
 あ、あと高倉みゆきといえば「戦雲アジアの女王」も外せません。

 クレージーの「大冒険」でヒトラーも演じたヒューズ(考えてみれば、マッカーサーとヒトラー両方演じた俳優というのもスゴイです)のみならず”ザインウントニヒトザイン”のオスマン・ユセフもトルコ人ですね。ロシア革命を機に多くのタタール人などが日本でコミュニティを形成していたことも一因のようです。
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日本海軍の軍艦 (お節介船屋)
2021-01-18 11:08:23
主砲越しに前きょう楼が写された写真
羅針艦橋見張り指揮所が上下となっており戦艦「長門」ではと推定します。ただ羅針艦橋が昭和12年拡大されており、写真とは違う形態となっています。「扶桑」も羅針艦橋と下部見張り所が上下となっていますが見張り所は小さいですので違うと思います。「金剛」型も同様です。
昭和10年当時の「長門」と推定しましたが自信がありません。

主砲越しの戦艦全影
戦艦「伊勢」または「日向」
煙突後方で船楼が切れて3,4番砲塔が背負い式に写っています。昭和12年大改装後の1本煙突となった姿であり、基準排水量も36,000tとなっています。

戦艦2隻と空母2隻
真珠湾攻撃時の映像はあまりなく、成功後飛行機発艦を昼間に実施し報道用としたものかセイロン攻撃のためインド洋へ向かう時に撮影されたフィルムが残されております。
ただ戦艦も空母もシルエットですが日本軍艦ではないように見受けられます。
戦艦の測距儀の位置や艦橋構造等が日本戦艦の特徴と違うように思えますし空母の右舷側の高いマストの印象も日本空母にはないようです。
米海軍の記録フィルムを使用したのではないでしょうか?

空母からの発艦
昭和19年秋、瀬戸内海でで空母「瑞鶴」から本艦搭載機が発艦、撮影したフィルムが残されています。
離艦直後で昭和17年7月艦首飛行甲板下部に新設された機銃台写っており、その後25㎜3連装機銃が2基から3基へと増設されたことが分かるフィルムとなっていました。発艦した機は天山や彗星ではなくどうも古い九七艦攻ではと思われます。
このフィルムには空母の後方に近くトンボ釣りの駆逐艦も写っており、内海で発着艦訓練中の模様を撮ったようです。
参照光人社「写真日本の軍艦」1,2,3巻、「図解日本の戦艦」「図解日本の空母」
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爆発の写真 (お節介船屋)
2021-01-18 11:40:33
>海軍はその後イギリス海軍の「プリンス・オブ・ウェールズ」「レパルス」を沈没せしめ、ここに東洋艦隊は壊滅しました。
この写真は残念ながら英戦艦ではなく、わが貨物船が米軍機に爆撃され搭載物の弾火薬が誘爆しているのを爆撃した当該機から撮影されたフィルムと記憶しています。検索しましたが当該フィルムは見つけられませんでしたので記憶違いがあるかもしれませんが英戦艦ではないことは確かです。
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レッド・エンサイン (お節介船屋)
2021-01-18 12:12:01
>これどこの旗でしたっけ。
レッド・エンサインは英国商船旗ですが英連邦諸国もエンブレムを入れて使用していました。
ウイキペディアを下に張り付けますが国旗として使用国もあります。
フィジー、バミューダ、旧カナダ何処でしょうか?不思議ですね。映画製作でちゃんと調べたのでしょうか?
判事国にカナダ、ニュージランド、フィリピンも入っていますのでニュージランドの次であればカナダとなりますが?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%83%B3
返信する
Unknown (coral)
2021-01-19 21:18:27
エリス中尉

〉これどこの旗でしたっけ。
多分ですけれど、カナダです。
カナダの国旗は何度も換わっていて、今のカエデの国旗は1964年だったかに制定されたもののはずです。
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