ハインツ歴史センターのベトナム戦争シリーズが続いているので、
何か映画もベトナム戦争ものを取り上げてみたいと思い、検索していたら
あのジョン・ウェインがいい歳をして現役の大佐を演じた
「グリーンベレー」
なる映画を見つけました。
ジョン・ウェインといえば、当ブログでは第二次世界大戦における
米海軍の太平洋対日戦を描いた
「危険な道」(In Harm's Way)
を扱ったことがあります。
そのときも彼は全く現役軍人らしくない体型を駆使して海軍大佐を演じていましたが、
本作はそれよりさらに3年後の1968年、61歳でなんと空挺隊の司令官という、
・・・まあはっきり言って、前回にも増して無謀ですぜ旦那、という役どころです。
61歳の軍人はもちろん現実に存在しますが、グリーンベレーは特殊作戦群なので、
彼の年ではありえず、しかも、ベトナム戦争当時、大佐は30代というのが相場でした。
いかに往年の大スターでも、こんな無謀なキャスティングまでして、
どれだけジョン・ウェインという大物を担ぎたかったんだろう、などとわたしは、
年齢以前に、弛緩しきった顔の贅肉やら、横から見たら特に著しい、
肥大した腹部やらを悲しい気持ちでうち眺め思ったものですが、
後から調べてみると、なんとこの映画、彼が人生で監督した
たった二本の映画のうちの一本だったということが判明しました。
ジョン・ウェインを担ぐための映画ではなく、ジョン・ウェインが作りたかった映画。
つまりそういうことになるわけです。
それでは彼は、そんなにしてまで何を映画で訴えようとしたのでしょうか。
データによると、まず、原作は1965年にロビン・ムーアが発表した小説です。
ウェインは、この着想を1966年にベトナムに行って思いついたとされ、
彼はベトナム戦争当時のアメリカを席巻していた反戦感情に危機感を抱き、
この映画を作って当時のアメリカの世の論を動かそうとしたのだと考えられます。
まず、ウェインは民主党のリンドン・ジョンソン大統領に手紙を書き、
戦前の映画に対するような「軍事援助」を要請しました。
日本もそうでしたが、アメリカも「硫黄島の砂」「東京上空30秒前」
「史上最大の作戦」のように、国防総省協力による映画を制作しており、
つまりウェインはベトナム戦争においてもそのような映画が必要だ、と説いたのです。
ジョンソン大統領の特別補佐官でありロビイストだったジャック・ヴァレンティは、
(ちなみにこの写真の最左壁際の人)
大統領にこう進言したそうです。
「ウェインの政治的立場(タカ派と言われていたこと)は間違っているが、
ベトナムに関する限り、彼の見解は正しいと思います。
もし彼が映画を作ったら、我々が言って欲しいことを代わりに言ってくれるでしょう」
かくして、ウェインは、第36代大統領リンドン・B・ジョンソンとアメリカ国防総省に
全面的な軍事協力と資材の提供を要請し、それを得ることに成功しました。
ただし、この話にはちょっとした裏があって、当時ペンタゴンは
原作者のロビン・ムーアを、情報漏洩の疑いで告訴しようとしていたところ、
ウェインは情報ごと原作をの版権を大枚で買い叩いて、(3万5千ドルと利益の5%)
その結果、原作の内容とは全く関係のない内容となる脚本を別人に頼んでいます。
これによって、ウェインはペンタゴンを自分の味方につけようとしたと言われています。
そしてその後、彼はこの、
「史上最も評価の分かれる、物議を醸したジョン・ウェイン作品」
の制作にのりだすことになったのです。
こんなに小さくともわかってしまう、ジョン・ウェインが老骨に鞭打って走る姿。
タイトルに流れるのは「グリーンベレーのバラード」です。
The Ballad of the Green Berets
グリーンベレーという精鋭部隊をご理解いただくためにぜひご覧ください。
この映画のタイトルソングにはあまりに古臭くないか、という意見もあったそうですが、
ジョン・ウェインはここにこの曲を使うことに強くこだわりました。
グラウンドを上半身裸で「ミリタリーケイデンス」を唱えながら走るグリーンベレー。
「フーアーユー?」(貴様たちは誰だ?)
と尋ねると、皆で声を揃えて
「エアボーン!」
「ハウ・ファー?」(どこまで行く?)
「オール・ザ・ウェイ!」(どこまでも!)
ここはノースカロライナ州のアメリカ陸軍フォート・ブラッグ。
特殊部隊グリーンベレーの訓練キャンプにある、
ガブリエル・デモンストレーションエリア(ベトナムで最初に戦死したグリーンベレー、
ジミー・ガブリエル軍曹にちなんで名付けられた)におけるブリーフィングで、
ベトナム戦争に参加した理由説明とデモンストレーションが行われています。
壇上で士官たちがいきなり外国語で話し始めるのは、語学能力をアピールするためです。
ちなみに向こうの人は独語とノルウェー語、こちらの人は独語とスペイン語が話せます。
この説明会は、つまりプレスの質問を受け付ける機会ですが、
記者たちは、なべてベトナム戦争参加に懐疑的です。
「何故合衆国がこの無慈悲な戦争を行うのです?(直訳)」
そんな質問に対し、説明係のマルドゥーン曹長は
「それは政府が決めることで、我々は命じられるところへ行くだけです」
そりゃごもっともです。
そんなこと、ここで聞いて納得のいく答えが得られるはずがないですよね。
すると皮肉な新聞記者のジョージ・ベックワース(デビッド・ジャンセン)が、
「それに賛同するってことは、グリーンベレーというのは、
ただの個人的感情のないロボットってことですかい?」
とかいやみったらしく聞くわけです。
それに対しマルドゥーン軍曹は、
「我々にも感情も意見もあるが、現地では指導者層や女子供まで虐殺されている。
もし我が国で同じ事態になれば、残された人々が立ち上がることは
当然支援されるべきでしょう」
と説明します。
ベックワースは意地悪くまた絡み、軍曹が歴史を紐解きつつ
見事に論破し、それに満座が拍手すると、またしても
「でもベトナム戦争は内戦、所詮内輪揉めじゃないか」
負けじと言い募ります。
すると軍曹は、「そう思いますか?」と聞き返して、
北ベトナムの兵士とベトコンのゲリラから捕獲された武器と装備を
一つ一つ手に持って説明します。
それらはソビエト連邦、チェコスロバキア共産党、中国共産党で製造されており、
(S.K.S カービン銃、チャイコムK 15)ベトナム戦争が単なる「内輪揉め」ではなく、
敵が共産主義そのものであることを如実に証明していました。
しかし負けず嫌いなベックワースったら、今度は勝てると思ったのか、
マイク・カービー(ジョン・ウェイン)大佐を見つけて食い下がります。
しかし今回も、
「あなたはベトナムに行ったことがありますか」
(現地を見たことがないのに何がわかるんですか)
と言われて返す言葉をなくしてしまいました。
さて、カービー大佐の部隊がベトナム行きを控えたある日、自分もぜひ
ベトナム行きに参加させて欲しい、と思い詰めた様子で頼んでくる男がやってきました。
兵器の専門家であるプロボ軍曹です。
かと思えばこの男。
別の隊から毎日この部隊の宿舎にやってきてはうろうろしています。
「また同じ時間に来てますな」
「変なやつです。
朝鮮とベトナムにも1年ずつ行ってるんですがね。
三か国語喋れるんですが・・・空挺隊員としてはどうかと」
「どういう意味だ」
「降下のたびに先任が突き落とすまで飛ばないんです」
「いいじゃないか。気に入った」
「は?」
「多分そんな奴なら簡単にやめないだろう」
そこで周りを取り囲んで何をしているか調べてみたら、こいつは
この部隊の補給処からの「物品調達」を独自にやっておったのです。
つまりは横流しの現行犯ってやつですな。
「今回は見つかったけど、それは100回に1回です」
と豪語するこのピーターソン伍長を、カービー大佐は
軍曹に昇格させて連れて行くことにしました。
こんな図太い奴なら何かの役に立つだろうということか?
ところがピーターソン、軍曹になっても自覚が全くできておらず、
出発の朝にギターで(物持ちです)殴られて起きる始末。
次の瞬間、部隊は空自のC-130H的な輸送機でダナンに到着しており、
5音音階によるアジア風旋律をとりいれた勇ましいBGMが流れます。
全体的にこの映画の付随音楽はなかなか良くできていると思います。
担当は「ベン・ハー」などを手掛けたロージャ・ミクローシュです。
当初、ウェインはスコアを友人のエルマー・バーンスタインに頼んだのですが、
彼は自分の政治信条とこの内容が合わないとして断ってきたということです。
バーンスタインの代表作は「十戒」「荒野の7人」「ゴーストバスターズ」など。
翩翻と翻る星条旗と南ベトナム国旗。
駐屯地名はアメリカ軍の慣習として戦死者の名前が付されます。
マギー軍曹はこのアーサー・フラーという男に会ったことがあるといいます。
しかし調べても第一次世界大戦のベテランの名前しかでてこなかったので、
おそらく架空の兵士名ではないかと思われます。
この看板を物思わしげに眺めていたのは、プロボ軍曹でした。
カービー大佐に打ち明けたところによると、彼は万が一自分が戦死したら、
自分の名前、「プロボ」が通りや基地の名前になることを心配していました。
「プロボストリート」「プロボカンティーン」「プロボバラック」
どれも語呂が悪くてピンとこない、というのが彼の目下の心配事なのです。
(”語呂が悪い”は英語では”doesn't sing"と言っている)
カービー大佐は前任の司令に現地の南ベトナム軍の「できる男」( outsutanding)、
カイ大佐を紹介され、さっそく打ち合わせを始めました。
カービー大佐は、今回、精鋭の特殊部隊2チームを連れてきたわけですが、
1つのチームはモンタニヤール(山岳部族)と特殊部隊からなるキャンプを
南ベトナム軍に置き換える任務にあたることにしました。
そんなとき、例の新聞記者、ベックワースが到着しました。
彼はカービー大佐の対応にカチンときて(笑)、そんなにいうなら
現地を見てやろうじゃないの、と勇んで乗り込んできたのです。
まあ、粗探しするつもり満々ってところですな。
早速任務に同行してほしいと頼むのですが、これから行くところは
危険だから、と大佐が断ると、このおっさん、
「我が社はベトナムにアメリカがいるべきではないという考えですが、
わたしがそれを裏付けるものを見てしまうのが怖いんですか」
とか挑発するのでした。
そう言われちゃ乗せないわけにはいきませんよね。
カービー大佐はベックワースをヘリに押し込んでから、
よっこいしょういち、とヒューイに最後に乗り込みました。
さすがに足を高く持ち上げるのがかなり大変そうです(涙)
彼らが到着したのは北ベトナムのど真ん中に設置したキャンプです。
当然ですが毎日のように北ベトナム軍の攻撃を受けています。
到着するなりベックワースはパンジ・スティックに目を止めます。
(一連のシリーズで何度か扱っておいてよかったと思った瞬間)
「これは罠か?」
「そうです。チャーリー(ベトコン)から教わったのです。
まあ、彼がやってるのと同じブツに浸したりはしてませんがね」
これも、何度か扱ったため、そのブツが糞尿であるとわかってしまうのだった。
ベックワース、さらにいきなりおしかけたせいで
自分のベッドが現地隊長の二段ベッドの上だと知ってさらに憮然とします。
だからあんたが無理やり来たがったんだからね?
横流し軍曹のピーターソンは、キャンプで孤児のベトナム人少年、
ハムチャックに妙になつかれてしまいました。
お約束ですが、彼は迷い犬をペットにしています。
ここでいきなり「錨を揚げて」が鳴り響きました。
ご存知我らが海軍シービーズ(工兵隊)のお仕事現場です。
隊長(妙に年寄り)が、卒塔婆のように転々と直立した水兵の間を、
「この地域の司令官は全てを規則どおりに行うことになっている!
私は司令官のやる通りにするつもりである!
これらの機材には全てひとつずつ塗装をほどこし、ひとつづつ番号を振って、
その上で全て・・・」
と力一杯演説していると、
物資の調達を命じられたscrounger(ごまかして手に入れる人、という意味合い)
のピーターソンが、白昼堂々海軍の物資を運んでいくではありませんか。
帽子をとって挨拶をしながら去って行くヘリに、拳を振り上げて悔しがる海軍さんたち。
こんなやつがいるから、いつまでたっても陸海軍は仲良くなれないんですよ。
しらんけど。
続く。
当時、東独は敵対国だったと思いますが、ノルウェーは友好国です。特殊部隊の活動範囲は敵対国とは限らないということですね。
海軍のシールズを見学させて頂いた時、日本語を話す人が通訳に付いたのにはたまげました。軍服でなければ、どう見ても、普通の日本人でした。