アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-4

2022-10-07 19:31:04 | アヴァンギャルド精神世界18年の回顧neo

◎わが身一身で、あらゆる冥想法を試すわけに参らぬこと

このブログでは、カテゴリー区分に冥想法の種類を用いてはいるが、肝心の冥想法自体にほとんど深入りしていない。例外的に只管打坐については、古典である普勧坐禅儀の紹介は行っている。

それはなぜかと言えば、各冥想法の窮極に至る部分は明かされていないからである。

いろいろな冥想法で本当にそれで悟れるかどうかを試すには、自分でその行法の正師について、その瞑想法で自分を死なねばならない。自分を死ぬとは、自殺のことではなく、自我が死ぬということ。

悟りに至る様々な冥想法がある。ただ坐る、マントラを唱えて坐る、坐相は固定し雑念は放っておいて坐る、特定の観想を行う等々。

複数の冥想法について、それぞれの冥想法で大悟できると述べるには本来自分がその冥想法で大悟する必要がある。だが、人は一生に一度大悟するのがせいぜいであって、大悟を二度するためには、二度目も相当の準備をせねばならない。

そして大悟覚醒は、OSHOバグワンの言うように生存確率がさほど多いものではないということがある。事程左様に二度大悟するというのは困難であって、いわんや複数の冥想手法でそれぞれ最終ステップまで極めたなどと言う人物はそう多いものではない。

世にクンダリーニ・ヨーガと只管打坐を極めたのは、釈迦とダンテス・ダイジのみなどという説があるが、一方で誰がその真実を検証できようか。

また冥想手法それ自体の危険性も問われるアスペクトもあり、ソーマ・ヨーガ、カーマ・ヨーガなどは、その結果と事後のことを考えれば、おいそれと悟り後の入鄽垂手(にってんすいしゅ)のことなど展望できない。

このようにわが身一身で、あらゆる冥想法を試すわけに参らぬから、事実上検証不可能な冥想手法群を比較する物差しとして、七つの身体論を用いた。また冥想十字マップという視点軸もある。

七つの身体論の検討は、【ザ・ジャンプ・アウト】にて実施済。【ザ・ジャンプ・アウト】では、人間の輪廻転生のリアリズムについて言及が不足していると感じて、【エクスタシス 夢の夢なる】で研究してみた。

さらに万人が悟る時代として、何をどう知的理解して納得して初めて冥想行に向かうかを考えた場合、それに必要な考え方を構成してみようと【真剣から無駄へ-世界の戯れ】を始めた。

「万人が神仏を知る時代」などと掛け声は勇ましいが、その内実は暖簾に腕押しであって、相当に厳しい。このブログの試みに見るように、一人一人のできることはたかが知れている。それでも日々それを積み上げ、束ねた先に至福千年の時代を見るのだ。

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