アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-5

2022-10-07 19:32:29 | アヴァンギャルド精神世界18年の回顧neo

◎物事を変えるには相当に早い時期から準備が必要

戦争や国家レベルの飢餓やパンデミックが発生した際に、それを避けるにはどうすればよかったかなどと考えるものだ。

ところが、人間一人のできることはたかが知れているし、また人間一人が自分の意志や努力を以てしても髪の毛一本白くも黒くもできない。

だからと言って知らない他人である聖者やスーパーマンが登場したところで、この価値観が多様化し、自分勝手にして、メリット・デメリットや金や便利に敏い人々が、国家的危難を前もって避けるために、禁欲的にして無欲の努力を毎日繰り返せるとも思えない。

またそのような国家的クライシスは、何十年も前に霊界で起こっていた事件が現実化したものであるなどと、したり顔に述べたとしても、追い込まれた現実は何も変わらない。

至福千年、すべての人が悟っている時代に大規模にチェンジする場合を想像する場合、どんなどうしようもない人でも神仏に祈るような真剣な精神状態が起こる危機を想定せざるを得ない(凡夫の耳も菊の年)。

ところが、人が本当に意識的であって覚醒しているのは、強盗にナイフを突きつけられて金を出せとやられているような時だけである(OSHOバグワンの所説)。

これは、自分が殺されるかもしれないという恐怖が人を覚醒させ、本気にさせるメカニズム。これをダンテス・ダイジは、恐怖の恵みと呼んだ。そのステージでは、人は、石になって聞くまい見るまいとする人、発狂(自殺)する人、悟る人のいずれかに追い込まれる。

自分も巻き込まれる国家的危難が起こってからは、このようにあっという間に追い込まれて、とてもではないが事前にそうならないような行動をとって対策するどころではない。

人は一般に、追い込まれて誤った選択を強いられるのを嫌うものだ。いわんやその選択で自分の生死や人生もう一度やり直しとなるようなことであれば。

よって、国家的クライシスを避けるためには、物事をありのままに見て、本気で生きることが相当に早い時期からできる人が、相当な数でそろわないとできないと思う。

ありのままに見て、本気で生きるには、結構生きるための情熱が必要なものである。それは、実のところ生得的なもので、今生に生まれてきてからでは何とかなるものではない場合がある。そういう人も少なくないが、そういう人たちも何生か後にはそういう段階に進むことができるのだろう。

旧約聖書ソドムの町では、そんなちゃんとした人は10人もそろわなかったので、核兵器で滅亡した。いわんや日本でそんなちゃんとした人が何人必要なのかはわからないが、できることは自分がちゃんとした人になることだけ。

だからこのブログは、我が試論なのである。悟っていない自分は他人を教えたり指導することはできないが、18年の試行錯誤の跡は人によっては役に立つ部分もあったのではないかと思う。

またこのブログでは、人文科学の本を参照することが大半なのだが、古書ネット通販の発展で良質な古書ほどすごい値段になっており、昔より貧困化した若い求道者が原典にあたることはますます難しくなっているのだろうと思う。その点で、故意に引用を増やしてきたところはある。

そして1990年代以前に比べると良書の出版がここ20年はとても少ない印象がある。良質な書き手が少なかったのは、大物覚者が1990年代までに既にいなくなったからなのだろう。

いよいよ時代は、気候も社会も人心も荒れ始め、爛熟を極めている。こういう時期には若い聖者、覚者が続々と出る時節なのだと思う。私も自分の努力の傍ら、それを期待したい。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アヴァンギャルド精神世界18... | トップ | アヴァンギャルド精神世界18... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

アヴァンギャルド精神世界18年の回顧neo」カテゴリの最新記事