アヴァターラ・神のまにまに

精神世界の研究試論です。テーマは、瞑想、冥想、人間の進化、七つの身体。このブログは、いかなる団体とも関係ありません。

アヴァンギャルド精神世界18年の回顧-1

2022-10-07 19:25:28 | アヴァンギャルド精神世界18年の回顧neo

◎ブログを始めた頃

冥想をテーマにしたブログということで、18年前に「アヴァンギャルド精神世界」はスタートした。始めた頃の偽らざる気持としては、時代の存続のため、人類存続のために、生活において冥想が根付くことの一助になれば、ということが動機であった。そして、宗派を超え、無宗派であってもよいが、冥想実践・研究するブログが雨後の竹の子のように殖えて行ってくれればよいなどと思ったのだ。

18年たってみれば、そのような超宗教的な冥想の研究、普及を標榜するブログは、わがブログを除いてほとんど見当たらない状態である。勿論特定の一宗派の道を進んでいく宗教ブログも大変結構なことだと考えてはいる。

このブログは、一貫してgooでやってきた。初期の頃は、コメントは書き放題であって、削除機能もなかったから、実質的に掲示板と変わることはなかった。今も昔もそうだが、記事と何の関係もないコメントを書く人は多いもので、そういう人は自分でブログを立ち上げるか、掲示板に書くかすればよいのにと思っていた。何年かたって、コメント公開非公開、削除機能がついてからは、記事に関係のないコメントはなくなった。

人間の知識は、樹木のようなものであり、いろいろな書物に実際に当たっていく中で、芽が出て、葉も出て枝が増えやがて大樹のようになっていく。2005年当時は、はかない若芽のようなブログであり、とても痩せて力のないブログだったが、18年たってみれば、それなりにわかってきたところも多い。

人間の悟り方には三種あり、大神を憑依させる(神下ろし)、見神・見仏、神人合一であるが、結局この18年で大悟することはできなかった。ただ選ぶべき道程としては、見神・見仏から神人合一のルートなのだろうと思う。

時代はこれから、再度の軍国主義に向かい、その体制を整備する中で、自由な発想、自由な思索、形式や既成概念にとらわれない生き方の研究・実践はどんどん認めない、恐ろしく逼塞した時代に進んで行くのだろう。

それはなぜかと言えば、人間が神知らぬことがあまりに当たり前とされる時代になり過ぎたからである。人間が進むべき方向がここに来て、本来進むべき方向とあまりにも乖離してしまったからである。

またそれはなぜかと言えば、テクノロジーの進展により少数者、為政者が大衆の思想、言論を簡単に規制、コントロールできるようになったからである。神知らぬ権力者は、当然にそうしたテクノロジーを自分のために行使するものだ。

大衆もほとんど神を知らず、為政者も神知らずでは、そこに起こるのは大規模な混乱のみである。

2022年9月22日BS日テレ深層NEWSで、ロシアのプーチンが繰り返し核使用を言及していることについて笹川平和財団小原凡児氏がコメントをしていた。曰く、核には戦術核(小型)と戦略核(一国を滅亡させる規模のもの)がある。最初は、戦術核で始まるが、それは人の少ない場所に落とされるのではないか。だが被害国が戦術核を持っていれば、戦術核で反撃するが、戦術核を持っていなければ戦略核で反撃せざるを得ない。よって、戦術核の使用は、全面核戦争に発展する可能性を孕む、と。

これで気になったのは、「最初の戦術核は、人の少ない場所に落とされる」というところ。昔ダンテス・ダイジが核戦争を予言して『荒野に火の玉が燃える』と言ったのだが、なぜ荒野なのだろうと長年疑問に思ってきたが、それが氷解した。荒野への核攻撃は威嚇として始まるが、全面核戦争への引き金になり得るということ。

神知らぬ国ほど乱暴狼藉だが、ところで神知る国は、神を知っている人の多い国は、どこにあるのだろうか。

この日常性の危うさの中に、冥想へのニーズがある。

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