父と卵

2001年06月14日 | 家族

はっきりいって私の家は貧しかった。
父は百姓がへたで、
作物の品種がわるかったり、
収穫量が少なかった。
仕事が嫌いだったんだな。
音楽が好きで、盆踊りのときなど、
やぐらの上で太鼓たたいたり、唄っていた。
このへん、実に私は親父に似ている。

私が子どもの頃、
食事のおかずが少なかった。
あるにはあるが、
ほどんど野菜でつくったものでした。
家が農家だから当たり前ですね。
野菜嫌いだった私だったので(今は大好きです)、
これが辛かった。
ほとんどご飯は、醤油をかけたり、
ふりかけで食べてました。
(だから子どもの頃は、健康ではなかった)
朝食のとき父には毎日生卵が出る。
うちでは鶏を15、6羽飼っていて、
その鶏たちが毎朝産んだ卵を
鶏小屋に取りに行くのは、私の仕事だった。
父が毎朝1つ食べ、それ以外は近所に売っていた。
面白いことですが、
私の家では、卵とお茶を売っていた。
なんとうちではお茶を作っていたのです。
春に、畑のお茶の若芽を摘んできて作ってました。
私の家の屋号は「伊勢屋」といいます。
明治とか大正の頃、いやもっと前からか、
私の家は商売をしていたらしい。
そのなごりかな、なんて思っています。

今日の朝日新聞に「お父さんを漢字で表すと…」
という記事があった。
「ひととき」は卵の話だった。
私は父を漢字で表すと、「卵」です。
毎朝父が食べる生卵が羨ましかった。
小さい頃はよく殴られた。
「恐」という字もあるな。
酒飲んではよく母を怒っていたから、
「酒」もある。いい酒のときもありましたよ。
でも、歳とってからの親父は、「哀」だな。

さて、うちの息子たちは、
私をどういう漢字で表すのだろう。

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