今日、夫の生まれ故郷、北海道から宅配でジャガイモが届きました。夫のいとこが送ってくれたものです。
私がおいしいと思ったジャガイモでも夫は誉めたことがありません。今日、その理由がわかりました。
「金時」という品種のジャガイモを生まれて初めて、食べました。(夫の母に品種を教えてもらい、ネットで調べました。)私は、初めサツマイモかと思いました。「男爵」とは違い、紫色で大きさも大きめでした。
私はこの「金時」を洗って、適当な大きさに切り、器に入れ、ふたをし、レンジを10分かけてから、ゲランドの塩を入れた沸騰したお湯の中で茹で、串が通ったら、お湯を茹で溢し、再度なべの水分を飛ばし、「金時」をホクホクさせました。
学校から帰ってきた息子「健人」に食べさてたら、「おいしい、最高だね!今までこんなの食べたことがなかった。」と興奮状態でした。シンプルな味付けで(素材のおいしさを味わうことができる)ここまでおいしいとは! 感動しました。
仕事から帰ってきた夫に食べさせたら、「うん、美味しいね。茹で立てにバターを乗せて食べるともっと美味しいんだよ。」と、サラッというだけ。感動がない!
わかりました。休日にそうしてあげます!
しかし、夫はどんな食生活をしていたのでしょう。
「今から考えると貧しい暮らしだったよ。その当時は、それが当然だと思って「貧しい」とは思っていなかったけれどね。」と夫は言いますが、漁港に揚がったばかりの「魚」・「蟹」・「ウニ」、、、収穫したばかりの「野菜」、おやつ代わりだったという「もいですぐ茹でたトウモロコシ」・「炉辺で焼いたトウモロコシ」、「味噌をつけて食べるもぎ立てのキュウリ」、「抜いてすぐかぶりつく大根」、「家の後ろの栗林から拾ってきて囲炉裏にくべて焼いた栗」、、、
「季節のものしか食べられなかったんだ。それも殆ど毎日同じものを食べることになるんだよ。」
「蟹が取れる時期になると毎日蟹だよ!感動はないね。」
「本当に美味しい食材ではないとしても、毎日違ったものが食べられることは幸せと思わなくっちゃ。選択肢があるのは、喜びだよ。」
「なんと言っても、いまはお米が美味しいね。昔は美味しい米は出荷していたから、ぼくらが食べる米はね、くず米というマズ~イお米だったんだ。」
「保存がきく食材は、いいものは食べられなかったね。当時は冷凍技術が未発達だったから、魚のような腐りやすい物はウチのじいさんがただで貰ってきていたようだけどね。」
なんと言っていいんでしょう。美味しい食材を口にできた夫をうらやましいと言うこともできないような気もします。
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