昨日1月12日は、月齢15.6の十六夜(いざよい)。
ためらいの意味を持つ、いざよう月は、満月よりも少し欠けているとはいえ、新円に近い形を保ったまま、大池をきらきらと照らしていました。
考えてみれば今はもう真冬。
あまりの寒さに、カメラを操る手先が次第に感覚がなくなってくるのが分かります。
ISO感度を変更しようにも、小さなボタンをクリックすることができないほど。
寒風吹きすさぶ中、車での帰りの途中、にわかに雪が舞いだして、ふと十六夜を見上げると、雪煙りに霞む幻想的な月の姿に出会いました。
その不思議な光景は、僕の眼の奥にしっかり焼きつけられましたが、デジイチのCMOSセンサーに捕らえることはできませんでした。
ためらいの意味を持つ、いざよう月は、満月よりも少し欠けているとはいえ、新円に近い形を保ったまま、大池をきらきらと照らしていました。
考えてみれば今はもう真冬。
あまりの寒さに、カメラを操る手先が次第に感覚がなくなってくるのが分かります。
ISO感度を変更しようにも、小さなボタンをクリックすることができないほど。
寒風吹きすさぶ中、車での帰りの途中、にわかに雪が舞いだして、ふと十六夜を見上げると、雪煙りに霞む幻想的な月の姿に出会いました。
その不思議な光景は、僕の眼の奥にしっかり焼きつけられましたが、デジイチのCMOSセンサーに捕らえることはできませんでした。