年賀状はいつもギリギリか、書初め状態で書いている私・・・。
(みなさま、スミマセン)
しかし、早くから準備をし元旦に届くようにと投函した年がありました。
それが1999年の12月。
つまり2000年のお正月に届けられた年賀状です。
“1999年の12月20日までに投函するとメモリアルの日付印「2000.1.1」を押してくれる”
この日付印を押してもらおうと、この年は珍しく早くから準備したのです。
本日の山陽新聞の「滴一滴」を拝読しながら、そのときのことを思い出しました。
1999年は我が家にとって忘れられない年で・・・。
病院にお世話になるなんてほとんどなかった両親が、立て続けに入院した年なのです。
家、会社、病院。
それ以外まったく出かける気にならず、引きこもっていた私。
家族で支えあった一年でした。
2000年をみんな揃って迎えられる-。
そのことに感謝しながら一言ずつメッセージを添えて、家族全員に年賀状を出しました。
みんな、ビックリしてたな~。
同じ家に住んでいる人から年賀状が届くんだから・・・(^^;)
1999年の年の暮れ-。
取引先の一つ年下の男性が少し興奮気味に言った言葉が忘れられません。
「すごいと思いません?2000年ですよ!
こんな記念すべき年を経験できるって凄いですよね~。
小学生の時にはまだまだ2000年なんて先のことだと思っていたのに。」
本当にね、経験できてよかったよね。
21世紀も一緒に迎えられてよかったよね。
さて。
「滴一滴」で紹介されていた郷田実さんの2000年の年賀状には、
「22世紀のためのよりよい21世紀になるように」と書かれていたといいます。
果たして私は“今”から続く“先”を見つめて、過ごしているでしょうか?
まだまだ、“今”でいっぱいいっぱいのような気がします・・・。
身近な人たちを大切にすることが、その先の多くの人たちをも大切にできるように。
今を大切に過ごすことで、その先の未来が幸せであふれているように。
「その先」を想像しながら、まずは今を精一杯過ごそうと思います。
「22世紀のためのよりよい21世紀になるように」
郷田さんから頂いた宿題、頑張りましょう~~~!
空き巣被害、勤務先の倒産、その他あれやこれや・・・・。ひとりハルマゲドン状態でした。
私は2000年を迎えたときより、アトムが生まれた2003年4月を過ぎたときの方が感慨深かったです。
suzieさんにとっても、1999年は大変な年だったのですね…。
お疲れさまでした。
私はいろんなことを考える時間があって、
気付いていなかった自分の性格も分かって。
次の年からいろいろと行動に移すことにしました。
(できる範囲で)やりたいと思ったことはやる。
会いたいと思う人がいれば、会う。
2000年以降に出会った方の中には、
私が全く出掛けなかった年があると言ったら、
驚かれる方がいらっしゃいます(^^;)
考えてみたら、アトムももう6歳ですね!!
来年は小学生だ~。
感慨深いです。