新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
2009年が、幸多き素晴らしい年となりますように。
皆さま、新しい1年の始まりの今日。
いかがお過ごしでしたか?
私はまず氏神さまの羽黒神社へ初詣に行ってまいりました。
それから奉納太鼓を拝聴しに、鶴崎神社へ。
上の写真は、鶴崎神社にて撮影したものです。
鶴崎さんは、毎年干支の巨大折り紙を奉納されているそうです。
昨年、あるご縁を頂き何度かお参りさせて頂いた鶴崎神社。
噂に聞いていた巨大折り紙、本当に大きかったです。
側に説明がありました。
幅3m10cm×高さ1m70cmです。
「荒波に耐える牛」と題された、この説明板。
宮司さんのお言葉が心に響きました。
「牛は、神様への新年の挨拶へいち早く行動し、歩みが遅くとも着実に進んで、神様の御殿に誰よりも早く着きました。
この牛のように、粘り強く努力する者が報われる年になることを祈念致します。」
その後、倉敷の総鎮守であります阿智神社へ。
これまでに何度もお参りしたことのある神社だったのですが、初めて由来を知りました。
「祭神の宗像三女神は皇祖神、天照大御神と素盞鳴尊の娘神で、
海の守護神であり、交通交易、財宝、芸術、美の神」だそうです。
“海の守護神”
海に関係する仕事をしてることもあり、今日のお参りは特別な気持ちになりました。
境内では、奉納はしご乗りやお琴の演奏が行われ、お餅も振舞われました。
阿智神社では“きび餅”、鶴崎神社では“紅白のお餅”を頂き、お守りも購入し、
すっかりお正月を満喫いたしました。
気分を新たに、一年が始まりました。
帰りは、父から頼まれていた本を買いに。
五木寛之『人間の覚悟』(新潮新書)
父よりお先に読ませてもらいました。(内緒で・・・)
以前、人から言われたことがありました。
「mariさんは“覚悟”ができているからいいでしょう?」
覚悟。
なかなか出来ません・・・。
覚悟をするには勇気が必要です。肝が据わらないと無理、です。
変な日本語かもしれませんが、覚悟をするには覚悟がいります。
“覚悟”とはもともと仏教用語で、
「迷いを去り、道理をさとること」
「危険や困難を予想して、その心構えをすること」
「あきらめること、観念すること」
だそうです。
五木寛之氏は、こう言われています。
< あきらめる、という言葉は私の意見では、「明らかに究める」こと。
物事をはっきりと究め、現実はこうなのだと覚悟することでしょう。>
あきらめる。明らかに究める。
これが難しいがために、なかなか覚悟が出来ないのかもしれません・・・。
今年最初に読了した本『人間の覚悟』。
年頭にあたり、「覚悟」というキーワードを頂いた気がしています。
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まず「生きる」こと。どんなにみっともなくても、「生きつづけ」「存在する」こと。
みずから命を捨てたり、他人の命をうばわないこと。
それを覚悟のひとつとすれば、「人間はどう生きるべきか」が問題なのではなく、
「人間は、今こうして生きていることにこそ価値がある」、と、そう思いつづけているのです。
五木寛之『人間の覚悟』(新潮新書)より
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