海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

あなたは知っているでしょう

2022-08-06 | 思い、想う

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   慟 哭    大平(山田)数子

    1
逝ったひとはかえってこれないから
逝ったひとは叫ぶことが出来ないから
逝ったひとはなげくすべがないから

生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとはなにがわかればいい
   (中略) 

  15
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
正義ということを
正義とは
つるぎをぬくことでないことを
正義とは
〝あい〟だということを
正義とは
母さんをかなしまさないことだということを
みんな
母さんの子だから
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう

「詩集ヒロシマ」1969  
『第二楽章ヒロシマの風』(角川文庫)より
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15章からなる詩「慟哭」の、最初と最後を抜粋しました。

【今、生きている私たちはどうすればいいのでしょう】
人の数だけ考え方があって、方法や手段があって。
全員一致で絶対にコレだ!という答えには、なかなか辿り着けないものかもしれません。
けれどもー。
見つめている先、向かう方向は一緒であって欲しいと切に願います。

どうぞ心も体も傷つくことなく・・・。
世界中の子どもたちの未来が、地球の未来が、明るいものでありますように。

  2022年 8月 6日 
  ひまわりの花言葉「愛慕」を添えて

ふたつ、お姉さん

2022-08-03 | 思い、想う

病院の待ち合いで隣合わせた女性から声を掛けられました。「お母様はおいくつ?」と。
「誕生日が来たら84歳になります」と答えたら、「やっぱりお若いと思ったわ」とニッコリ笑顔を向けられました。
その方は母より2歳お姉さんでした。

今年手術をして入院していたこと。
同部屋だった方が、ひとつ違いとふたつ違いだったこと。
3人の年が近く、戦争経験者で話が合ったこと。
おひとりの方が「歌を歌ってもいいですか?」と仰り童謡を歌うので、3人で他の部屋に聞こえないように歌っていたこと。
おかげで孤独にならなかったこと。
いろいろ話して下さいました。

「母もよく童謡や唱歌を歌うんですよ。足(腰)が痛いから歌でも歌うか~♪と言って」
そう返すと、
「そうなの。痛くて塞ぎこみそうになるんだけど、歌を歌ったり聞いていたら前向きになれるのよね。あのお二人と同じ部屋でよかったわ。私が一番先に退院したから、その後、お二人はどうしていらっしゃるかが気になって。先生にお聞きしたいけれど聞けないのよね」と、同部屋だった方を案じておられました。
どうぞお二方も元気に過ごされていますように。

2時間近くの待ち時間のうちの幾らかを、母も笑顔で過ごすことが出来ました。
やはりコミュニケーションは大切ですね。

写真は頑張って病院に行ったご褒美のお昼ごはんです。
母よ、痛い時にはまた一緒に歌を歌おうね。
もちろん楽しい時にも、ね♪
(今日も車中で歌いました~♪)

父の友人

2021-07-09 | 思い、想う

数日前、友人から仕事の注文を頂きました。
すると何と、そこから父の学生時代の友人と繋がるというミラクルが起きました。
そしてさらに今日、その方とお会いできたのです。

父は母と結婚して後を継ぐまで、社会人になってからの10年間を機械の設計士として働いていました。
今日お会いすることのできた方は、機械関係の会社の代表をしていらっしゃったのでー。
一緒に仕事をしないかと誘ってくださったことがあったそうです。
(父からもその話は聞いてたなぁ)

父の本棚には、転職後に役立てたのであろうたくさんの本と一緒に、機械関係の本もずっと並んだままでした。
(あと、趣味の空手の本もね。中には師匠が書かれた本もあります。)


やっぱり機械関係の仕事が好きだったんだろうなぁ。
大工仕事や何かしら「つくる」ことが得意だったしね。

父の友人から父の若い頃の話を聞かせて頂けて、私からはその後の話をすることが出来てよかったな。
ご縁に感謝ですね。



いのちを想う歌

2020-12-05 | 思い、想う

願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ 
西行『山家集』

私が西行とこの歌の存在を知ったのは、父が教えてくれたからだ。
「花の頃じゃなくて、ワシは年の初めがいいなぁ」と。
何度も父の口から発せられたこの歌は、いつの間にか自然に覚えていた。

魚の話をする機会に恵まれたとき、頂いた時間分を語るだけの情報を持っていたとしても、それにまつわる何か興味深いネタはないかと調べることにしている。
先日も調べていたところ、西行の歌に出会った。

立てそむるあみとる浦の初竿は つみのなかにもすぐれたるらむ
西行『山家集』

これは、アミをとっている風景を児島で見て詠んだものだ。
岡山の地で西行は、児島の他に真鍋・渋川・牛窓でも海辺に暮らす人々と営みのことを詠んでいる。
「人は、いのちをいただきながら生きている」
そのことに深く思いを巡らせた僧侶である西行の胸中は、いかばかりだったのだろう。

今日もあらゆるいのちにありがとう。

※ 写真は『現代語訳 日本の古典9 西行・山家集』井上靖(学研)より。

マニキュア

2020-11-11 | 思い、想う

握力のない母が爪切りをしている姿は、何だかおっかなびっくり状態に見える。
それを見ているとハラハラするので、このところ母の爪切りは専ら私の担当になっている。

伸び具合が気になったのでつんでいると、様子を見ていた兄が言った。
「マニキュアでも塗ってもらったら?」
すると母は、「もうこの歳になったらいらんわ~。昔はしとったこともあったけど」と答えた。
えっ!?母よ。私の記憶にある母の爪はいつも素っぴんだったよ…。

「いらんわ」と言われたものの私も母のマニキュアをしている姿を見たくなり、幾つかマニキュアを入れてある箱を取ってきて「どの色がいい?」と尋ねてみた。
兄は「派手な色にしたら。気分が上がるで~」と言ったけれど、母が選んだのは可愛らしい上品なピンク色だった。
ただ、"ラメがいい""左右違う色"という兄の意見を採用した。

塗り終わると満面の笑顔の母がいた。
乾くようにと手をパタパタと振りながら「可愛い色!」と嬉しそうだ。
やっぱり幾つになってもお洒落をすることは気分が上がるのだと思う。
母よ、またいつでも好きな色を塗ってあげるよ。
普段しない私が塗るのだから、出来映えはそれなりだけど。


【余談】
結婚式やパーティーでもない限り自分のマニキュアBOXに触れることのない私。
たまには私も塗ってみるかな~。
似合うかどうかは、謎(笑)

紫陽花の美しさに心奪われる季節となりました。

2017-06-08 | 思い、想う

父の日が近いからなのか。
はたまた、誕生日月だからでしょうか?
父のことを尋ねられたり、話をしたり。
今月に入って何度かそんな機会がありました。

先日は、境遇が似ている近所のお姉さんと一緒にしみじみと。
今日は10年ぶりくらいに出会った、依然職場に配達に来て下さっていた取引先の元・従業員さんと。
この方は、父と同い年なんですよね。
全くご存知なかったようで「お父さん、元気?」と声を掛けて下さいました。
父のことをお話したら、みるみるうちに瞳が潤んでしまって…。
「体に気を付けて、長生きしてね~っ!」と伝えました。

世間では、「母の日」に比べ「父の日」は関心が薄いとか…。
私は楽しみだったなぁ。
食べ物の好き嫌いはないし、お洒落だし、はるかに私よりも読書家で歌もうまかった父。
何を選ぼうか、何を作ろうか、随分楽しい時間を過ごさせてもらいました。
(今でも洋服売場で似合いそうなものを見つけると、手に取ってみたくなります。)

近所のお姉さんとね、語り合ったんです。
「同じ職場で働いていたから、きっと私たちは父親と一緒に過ごした時間も、話をした時間も多くの方よりも長いよね」と。
でもね、それでもー。
もっと話をしたかったなぁと思います。

お父様とお話ができるあなた、
たくさん伝えて、たくさん聴いて、たくさん語って下さいね。
(伝えておけばよかった。)
(聴いておけばよかった。)
いつかの先で、どうぞそんな思いをできるだけなさいませんように。

写真は、七段花。
紫陽花好きの父だったので。
ある年の6月に、七段花柄のシャツをプレゼントしたことがありました♪

写真のちから

2016-09-19 | 思い、想う

デジカメが普及しさらに携帯電話にカメラ機能が付いてから、誰もが手軽に写真を撮れる現在。
ネットには、日々たくさんの写真がアップされ目を楽しませてくれますね。

あなたは、いつ頃から写真を撮ることに魅力を感じるようになりましたか?
何を思い、シャッターを押すのでしょう。

嬉しいというか、じんわり心が温まるような。
そんなニュースが飛び込みました。
「いつか写真集を出したらいいのに」と思っていた方が、写真展の開催並びに写真集を出版することになったのです。
それも自分のためというわけでなく、人々を応援するために。
昭和45年から昭和48年にかけて撮られた写真たちが、時を超え、きっと目にした人たちに勇気とパワーを与えてくれるはず。
何せ私は、出版するに至った思いをお聞きしただけで力を頂けましたもん。

9月下旬に写真集が完成するそうです。
出来上がりがとても楽しみです。

私が写真を撮るようになったのは…。
20代の頃、紀行文や冒険もの、バックパッカーの本を読みながら触れた写真たちが素敵だったからです。
初めて手にした一眼レフ。
レンズ越しに「何て世界は光に満ちあふれていたのだろう」と感激したことを、今でもよく覚えています。

今は専ら(95%以上)ガラケー写真です。
何で撮ってるんだろう?と改めて考えてみたところ、気付きました。
結婚し今の家に帰ってきてから岡山市内でさえ行くことのない母(倉敷在住)に、いろんな風景を見せたかったんだわと。
おてんば娘から、いつも家を守ってくれている母へ、毎日でも贈れる風景のプレゼント。
カメラって、写真って、ありがたいなぁ。

さて今日は―。
どんな1枚を残しますか(^_-)

2014.3.11に

2014-03-11 | 思い、想う


あの日を想う。

あの日からの3年間を想う。


改めて問い直す。

私にできることは何だろうかと。


ただひとつ、

確実にどこにいてもできることがある。

それは“忘れない”ということ。


これからも

ずっと、

忘れない。



写真は、笠岡駅前で行われた【「継」3.11 私たちは忘れない】にて。
皆さんと思いを共有してきました。

願はくは-。

2014-02-05 | 思い、想う
今日、父に会いに行ってきました。
お盆・お彼岸・暮れはもちろんのこと、毎月必ず一度は会いに行っているので-。
新しいお家に移って、もう50回は訪れたでしょうか。

15年ほど前のこと。
父の友人から言われたことがあります。
「お父さんはね、あなたたちが赤ちゃんの頃、おしめを替えてくれてたんだよ。覚えておきなさい。」と。

つい先日、母から言われました。
「お母さんが家事をしている間、膝の上にちょこんと乗せて絵本を読んでくれていたんよ」と。
絵本を読んでもらっていた記憶は全くないのだけれど…。
父の膝の上が大好きで、小さな頃は兄とよく取り合いをしていたっけ。

数年前からイクメンという言葉を耳にするようになりましたが、父は最先端をいってたんだなぁ。

人柄がよく表れていて、とてもありがたかった弔辞では「THE亭主関白」という言葉を頂きました。
あとで兄と「THE父親でもあったよなぁ」と話したことを、昨日のことのように思い出します。

「ねがはくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ (西行法師)」
2月が近付くと思い出す、願い通り桜の頃に旅立った西行の歌。
誕生日(6月30日)がくる度に「ちょうど一年の半分の日に生まれたから、次は年の始まりにする」と言っていた父の新しい誕生日は、旧暦の年の始まりの頃となりました。

見事な人生だったね、お父さん。
また会いに行きます。

私たちが向かう先は―。

2013-08-09 | 思い、想う


私たちは今、

先人たちの目を真っ直ぐに見て自信を持って語ることができる、

そんな世の中を築けているのでしょうか。

そういう方向へと、進んでいるのでしょうか。

まず自分自身はどうなのだろうかと、

今日は問い直す大切な1日でしたね。


そんな大切な日に。

やっと、やっと、会いにいけました!

「岡山発!福島ひまわり里親プロジェクト2013 ~もっと広がれ!笑顔のWA~」

岡山県北区御津川高に植えられた、5000本のひまわりたちに♪

水遣り&草取りに参加してきましたよ~!

(私は草取りオンリーだったけど)



5000本という数も見応えがありますが、

何が素敵かって、

その見事な成長ぶりが素晴らしく素敵なんです。

栄養たっぷり、愛情たっぷり。

ぜひ多くの方に見て頂きたいなぁ。

そして、一緒に福島へ笑顔を届けるプロジェクトに参加して頂けると嬉しいなぁ。


冒頭の写真は―。

御津のひまわりたちの3分の1くらいしかない、おチビのひまわりちゃんです。

職場に植えたの、今年は背が伸びない~(^-^;

だけど、健気にみんな蕾を付けて咲き始めました。

どうもありがとう♪



日本のどの地域の方々も、

世界中のどの国の方々も。

どうぞ心穏やかに平和に過ごせる世の中でありますように。