海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

桃畑の思い出

2022-04-05 | 思い出す事など

かれこれ30年ほど前のこと。
同僚の運転で取引先を訪れる際に、「良い道を見つけたから、今日はその道を通るわ」と言って見せてくれたのが眼下に広がる桃畑の風景でした。


駅の北側の道を通る時、いつも下側から見上げて楽しませてもらっていたけれど、上側からは眺めたことがなかったんですよね。
車中から眺めながら、感動しっぱなしだったことを覚えています。
この道を教えてくれた同僚くんに感謝です。


元気にしてるかなぁ。
桃の花、今年も見てるかなぁ。
私は倉敷からの帰りに寄り道をして眺めたよ。


桃農家の皆さん、いつもおいしい桃を生産してくださってどうもありがとうございます。
全国、否、世界に誇れる岡山県の桃。
どうぞ無事に成長し、豊作でありますように。

※ 写真の玉島八島・富田の桃畑は、環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。

長風呂

2019-07-19 | 思い出す事など

待ち時間に何気なく手に取って読んでみた『シルバー川柳7』(株式会社ポプラ社)。
どれもこれもユーモアあふれる秀作ばかりで、中に懐かしさが込み上げてくるような作品がありました。

 偵察か
 長風呂見に来て
 去る姿

私も何度も偵察に来られた経験があります。
以前、よく湯船で眠ってしまう時期がありまして…。
父に脱衣所の外から大きな声で、
「生きてるか~っ!」
と呼ばれていました。

心配性だった父。
みんなが家に揃っていないと、起きて帰りを待っているような人でした。
帰りが遅くなる時やどしゃ降りの日などは、「迎えに行こうか?」と言ってくれていたっけ。
私の答えは10割近く「自力で帰る~」でしたけど。
今から振り返ってみても、我ながら可愛い気のない娘だったなぁ。
まぁ、私の性格をとても把握してくれていたので、反応も予想通りだったのでしょうけれど(笑)

家が大好きで、仕事の日のお昼御飯も自宅で食べていたから、父のために(料理はあるけど)お弁当を作った記憶がありません。
その分、母には何度も作ってあげようと思います。
父が料理をしようと思い立ち、購入してきた鍋を使ってね(^_-)

今日もおいしく楽しい1日でありますように♪

【余談】
厳しいけれど、根はとても愛情深くて優しくユーモアもあった父。
しかし―。
周りの方の多くからは、冗談が通じないくらい真面目で厳しい人というイメージを持たれていたようです。
父よ、ごめんなさい。
たぶんそれって、娘の可愛い気のなさも少しは影響していると思うわ~^ロ^

七段花

2014-05-25 | 思い出す事など

【七段花】
この花を眺めていると、思い出す二人の男性がいる。

ひとりは、幼馴染みのお父様。
「真理ちゃん、六甲の幻の花と呼ばれるアジサイをお客様から頂いたけ~、あげるわ」
と、ひと枝下さった。
挿し木にしたその枝から育った苗は、毎年可憐な花を咲かし続ける。

もうひとりは、父。
6月生まれだからだろうか、紫陽花が好きだった。
庭で数種類の紫陽花を育てていた。
あれから10年になるだろうか。
(絶対に似合うわ!)と見つけた七段花が描かれたシャツを、誕生日に贈ったことがある。
父はとてもお洒落だったので、プレゼント選びも楽しませてもらった。

幼馴染みのお父様と、私の父。
ふたりとも緑の手を持っていて、本当に花を咲かすのが上手だった。
今頃きっと、空の上で園芸話に花を咲かせていることだろう。


今年も、七段花の咲く季節になりました。

コスモスに想いを寄せて

2009-09-27 | 思い出す事など


「コスモス、好きよね?」
つい最近、同僚から言われた言葉です。

確かに、毎年この花が咲く季節になると写真を撮りに行く私がいます。
周りの人たちから見るとコスモス好きだと思われるのでしょうね。

私にとってのコスモスは―。
“好き”というよりは“特別”なのです。



私が生まれる2ヶ月と1週間ほど前に、空へと旅立っていった母方の祖母。
祖母の大好きだったという花が、コスモスなのです。

コスモスの咲き乱れるこの季節になると、母が決まったように言います。
「おばあちゃんはコスモスの花が好きだったんよ」と。



祖母の二人の娘たち(母と叔母)は、揃って9月生まれ。
もしかすると、子ども達が生まれた頃を思い出す花だったのかもしれません。

大好きだったコスモスが咲く季節を選んだかのように、
娘たちの誕生日を見届けるかのように、
旅立ちました。

今日が命日です。



母に昨日尋ねてみました。
「お母さん、おばあちゃんの好きなコスモスの色って何色だろうね?」
「聞いたことはないけど、きっと薄いピンクじゃないかなぁ。」

私も何だかそう思います。
こちらの世界では会えなかった祖母ですが、そう感じます。
4月の桜の咲く季節に生まれているしね。
薄いピンク色のイメージを抱くのです。



「ところでお母さん。お母さんは何色のコスモスが好き?」
「濃いピンクと白!」

母らしい答えでした。
それにしても、母娘でこうまで違うのですね。



青空をバックにしたこのコスモスの写真。
今年撮ったコスモスの写真の中で母が一番好きだと言った1枚です。
(濃いピンクでも白でもないのにね)
今日のこの日に、祖母と母へプレゼントします。



おばあちゃん。
そちらでもコスモスは咲いていますか?
こちらから空に向かって咲いているコスモスを、眺めていますか?


コスモス。
私にとって特別な花です。
祖母と、祖母を想う母が思い浮ぶ花です。

二度目の卒業式

2009-03-31 | 思い出す事など


2009年3月31日。
本日をもって、大学時代の恩師が退官されます。

今年の初めにお聞きしたこのお話。
大学にいらっしゃる間に、是非一度研究室をお訪ねしようと思っていました。

 

今月中旬、研究室の片付けをされていると知り、何年ぶりかに大学に行ってきました。
私が通っていた頃と比べると、随分と変わっていたキャンパス。
けれど、先生の研究室の場所は全く変わっておらず、懐かしさが込み上げてきました。

研究室の扉を開くと、懐かしいお姿が―。
もう随分とご無沙汰をしていたにも関わらず、ありがたいことにしっかりと覚えてくださっていました。

 

それにしても、すごい数の本、本、本。
仕事柄、本は必要だし本好きなのも知ってはいましたが・・・。
あの決して広くはない空間によくぞあれだけの本が収まっていたものです。
後日お聞きしたところ、ダンボールにして130箱になったとか。
5000冊はあったでしょう、とのこと。
ご自宅はそれどころじゃないらしく・・・。

私、お手伝いに行ったつもりが単なるお邪魔虫だったような気がします。
「先生、この本はいりますか?」
と、確認しながらの作業だったのですが、先生は本の内容をお話して下さるのです。
ついつい聞き入ってしまうので、はかどらず。
それにしても、すごい記憶力です。
私などは昔読んだ本の場合、主人公の名前さえ忘れていることが多いのに・・・。

 

研究者ですから、図書館に行くことも多い先生。
大学の図書館だけでは足らず、大学がある日は県立図書館にもお寄りになっていたそうです。
(先生は県外からお越しになっていました)

図書館といえば、思い出すことがあります。
最初の講義で、まず図書館に連れて行ってくださいました。
そして、「ここにはこんな本がある」「こんなときにはこういう本」と、案内しながら説明されました。
疑問をもったら自分で調べること。
これが大学で最初に学んだことでした。

大学時代に教わった中で、今でも一番感謝していることです。
勉強するということの基本を教えて下さったのだと思っています。

 

そういえば。
片付けをしている最中、先生の研修室には珍しい本を発見しました。
『世界の魚と友達になる本 図解水槽の中のフィールドガイド』(PHP研究所)

私「先生、この本はどうされたのですか?私の方が似合いそうな題名ですねぇ(笑)」
先生「実は魚が苦手でね・・・。」

よくよくお聞きしてみると、魚を“食べる”のが下手なのだそうです。
反対に、息子さんはとっても上手で、食べ終わった後には大きな骨しか残らないらしく―。

この本、ただ今私の手元にあります。
「欲しい本があったら持って帰ったらいいよ」と言われていましたが、まさか魚の本を頂くことになろうとは。
確かに、今現在の私の専門分野ではありますけどね。


  

そして、10日ほど前のこと。
何人かの卒業生が集まって、先生を囲んでのお食事会が催されました。

 


何期生という垣根を越えての集まりで、いろんなお話を聴くことができました。
それぞれの方の、それぞれの思い出。
懐かしいお話で盛り上がりました。


 

感謝の気持ちを込めて、会の終わりに集まった皆からお花を贈ったのですが。
ちょっと淋しそうな表情で言われましたよね。
「最近はお花ばかり・・・」と。

「先生、お家まで持って帰ってくださいよ~」
と、みんな笑顔で応えましたが、お気持ちは分かるような気も致しました。


 

先生、大丈夫です。
教え子たちは、いろんな土地でしっかりと根をはり、それぞれの花を咲かせていますよ。
先生は、これまでもこれからも、たくさんのお花を胸に抱えているんです。
大学で過ごした4年間を栄養にしたお花たちを、ね。

 

実を言うと―。
何だか私も二度目の卒業式迎えたような気持ちになっています。

   
    仰げば尊し 我が師の恩


先生、これからもみんなが集まってくるような大木で在り続けてくださいね。
そして、闇夜のときには花灯りで優しく照らしてください。



そうそう。
ご心配くださってありがとうございます。
いつご期待に副えるか分からなくて申し訳ないのですが・・・(笑)
それまで元気で長生きしてくださいね。




本当に長い間お疲れさまでした。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。







お花畑

2008-10-26 | 思い出す事など


心を映しているかのような、曇り空の朝。

やさしい、やさしい、風景に出合いました。

神様からの、見守ってくれているであろう大切な人たちからの、

贈り物だったのかもしれません。


ちょっと遠くに住んでいる、大好きで大切な人たち。

今暮しているところにはどんな風景が広がっていますか?

やさしい景色に包まれているといいなぁ、と願っています。

そして、どうぞ心穏やかに過ごしておられますように-。


また、会おうね。

また、一緒に走ろうね。

また、笑顔を見せてね。


ありがとう。ありがとう。大好きです。

あなたのもとに、この心の手紙が届きますように-。

七五三の思い出

2007-11-16 | 思い出す事など
11月15日は、七五三。

11月になると、晴れ着を身に纏った可愛らしい男の子や女の子の姿をよく見かけますね。
子ども達も、ご家族の方々も、皆さん輝く笑顔。

今年もその晴れやかな姿のご家族に、何組が出会いました。
微笑ましいその情景は、幸福感でいっぱいにしてくれます。
どうぞ健やかに幸せに育ってね。


さて。
そんなご家族の様子を拝見していて、いつも思い出すこと。
それは自らの七五三の日。
この時期になると、子どもさんやお孫さんのことを思い出される方も多いでしょうね。

先日、昔の写真を見ていて、ふと疑問に感じたことがありました。
「家で着物を着せてもらってから神社に行ったけど、誰に着せてもらったっけ?」

はっきりと記憶に残っているのは、曾祖母に最後のチェックをしてもらったところからなのです。
出掛ける前に“はこせこ”と“扇子”の位置を、母が曾祖母に確認したところから。

そこで母に尋ねてみました。
私「七五三の着物は、お母さんが着せてくれた?」
母「う~ん?記憶にない。」
私「・・・。」

数秒後―。

二人の頭の中の意見が一致したようで、
母と私「お父さんかも?!」

父からは、浴衣の着付けの仕方を教わったことのある私。
という訳で(七五三の着物もそうかもしれない・・・。)と、思ったのでした。

あとから叔母に聞いてみると「二人で一緒に、だと思う」との回答。
一番記憶が確かであろう叔母の一言に、納得したのでありました。

曾祖母と話した後からのことは、結構覚えているのです。
風は強いし、髪は短いしで、大きな髪飾りが落ちはしないかと気が気じゃなかったこと。
細い石段をあがったこと。
仲良しの幼馴染・三兄妹と一緒に写真を撮ったこと。
何故か(たぶん風が強かったから)仁王立ちの私と、ちょっと得意げにポーズを取る兄と幼馴染の男の子達。
母に抱っこされての写真撮影に、足を曲げたら着物がはだけるから真っ直ぐにしておこうと思ったこと。
帰って早々、千歳飴を食べていた兄のこと。

私に一日でたくさんの思い出が出来たように、今年も多くのご家族・子ども達にいろんな思い出ができたのでしょうね。
そしてまたいつか懐かしく思い出すのだと思います。


おまけの写真。数十年前の私です。


着物は百日のときの着物を仕立て直してくれたものです。
七五三の着物って、花柄や毬などの模様が多いと思いますが…。
私のは、鶴が飛翔しています。
現在も我が家に大切に保管されているんですよ。

それにしても、
髪が短いっ! 髪飾りが大きいっ! 笑ってないっ!
この頃は男の子に間違われてばっかりだったなぁ・・・。

運転免許証に記された日付

2006-10-14 | 思い出す事など
何年も前の10月14日。
私が運転免許証を取得した日です。

免許証を無くさない限り、ずーっと記されているこの日付。
年は違いますが、もうひとつ特別の思いがある日なのです。

私が幼稚園の年長だった年の、この日。
とってもとっても可愛がってくれた曾祖母が旅立ちました。
祥月命日。

初めて免許証を手にし、この日付が記載されているのを見たとき、
「あっ、きっと守ってくれているんだな。」
と思ったのを覚えています。
と同時に、
「わすれないでね」
というメッセージも受け取った気がしています。

今でも母に言われるんです。
「小さい頃、家の中でいなくなったな~と思ったらおばあちゃんの部屋へ探しに行けばよかった。」と。
おばあちゃんの布団に潜り込んだり、ころころ、ころころ、部屋の中で遊んでいたそうです。

おばあちゃん。
ずっと、わすれないからね。


高校の思い出

2006-08-21 | 思い出す事など
【第88回 全国高校野球選手権大会 37年ぶり2度目の決勝再試合】
早稲田実(西東京)が4-3で駒大苫小牧(南北海道)を破って、初優勝!

両校の選手、関係者の方々、どうもお疲れさまでした。
記憶、記録に残る名勝負。ありがとうございました!
観戦しているこちら側が、力を頂いたように思います。
“感動”のひとことです。

昨日、延長15回を戦い抜き、再試合が決定した直後の斉藤・田中両投手の言葉は
「もう1試合できるのはうれしい」だったそうです。
高校生活最後の試合―。

野球部に限らず、どの部も3年生にとっては最後のシーズン。
様々な思いが、胸中に去来しているのではないでしょうか。
辛かったこと、悔しかったこと、そして楽しかったこと。
ここで経験したことは、この先幾度も力付けてくれることと思います。
ひとまず、3年間お疲れさまでした。

そして、まだまだ部活動生活が残っているという皆さん、悔いのないように!!


テレビを観ていて、ふと自分の高校時代を思い出していました。
3年間の部活動(軟式テニス)の中で、一番心に残っている出来事。
それは、3年の夏の地区大会団体戦で優勝した日のことです。

団体戦はダブルス3ペアで戦います。
決勝戦でのオーダーは、私達ペアは3番目。
私達の出番までには、既に勝負をつけてくれていました。
“優勝”

そして、出番がまわってきました。
「せっかくの優勝に負けを1つでもつけたくない。絶対に勝つ」
と心に秘め、試合開始。
結果は、ありがたいことに快勝でした。

試合後の礼と握手を終え、満面の笑みを浮かべて皆の元へ走っていくと。
次の瞬間―。
体が宙に舞っていました。

“胴上げ”

まさかの展開に驚きと喜びと、宙に舞う心地よさと、それまでのたくさんのことが浮かんできて…。
3年間の末に、あんなにも幸せな瞬間が待っていてくれたことに、只々感謝の思いでした。
(それにしても女子部で胴上げがあるとは思わなかったです。その後、監督(男性教師)も胴上げをしましたが。)

今でも、このときの仲間たちとは親しくしています。
いろんな思いを共有していますからね。
大切な仲間達です。

普通科の進学校に通っていたにもかかわらず、私にとって「高校の思い出」といえば“部活動の日々”です。

思い出の引き出し

2006-08-14 | 思い出す事など
国道180号を下り、高梁へ。

10時半ごろ美袋付近を通過したのだが、亀のような速度でしか車が前に進まない。
今日の夕方から3日間「松山踊り」が開催される。
この時間から、皆向かっているのだろうか?
それとも帰省ラッシュ?
高梁の町に入るまで、車は数珠繋ぎのままだった。

伯父の初盆。
仏前に手を合わせる。
ふと目を上げると、伯母が四国八十八箇所を巡ったときの「納経軸」が掛けられていた。
結願したのは2年前。

「やっと、表装がお盆に間に合ったのよ。伯父ちゃんがね、“自分でする”と言うから、そのままにしてあったの。」
「そうか、じゃぁ伯母ちゃんが作ってもらったんだね。」
少しの間、沈黙の時が流れる。
「あぁ。“自分でする”っていうのは、自分で布から用意して自分自身で“する”ってことなのよ」
父が隣で頷いている。
「すごく器用な人だから、表装ぐらいは自分で出来るよ」

器用なことは知っていたが、表装の件は初耳だった。
美しく出来上がった軸と、箱に認められた「高野山」という達筆を眺めていると、何とも言えない気持ちになった。

一人一人がそれぞれの、その人との思い出を持つ。
心に持っている「思い出の引き出し」。
その思い出の引き出しをそっと開け、共有する時間。
それは、チクチクと胸を刺す悲しみや痛みの塊が、少しずつ解けていく時間でもある。

帰り道、父と町の中を少し車で走ってみた。
「あそこ。子どもの頃に入院したことがある病院。」
「高梁基督教会、岡山県で最古の教会。」
話は聞いていたが、その建物を目にして実感が湧いた。
父との思い出もまた増えた一日だった。