海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

これからも

2006-02-26 | 日記
先日、大好きな詩人・茨木のり子さんが亡くなられたことを書きましたが、茨木さんの作品・精神はこれからも多くの人々の心に響き続けていくのだろうな、と思わせる出来事がありました。

とある大きな本屋さんの詩のコーナー付近でうろうろしていた時のこと。
店員さんに連れられて初老の女性がやってきました。二人の会話からは「新聞で見た」とか「亡くなられたばかり」という言葉が聞こえてきます。
若い店員さんは「詩集はこのあたりにありますから。五十音順にならべてあります。」とだけ言うと他の仕事に戻って行きました。

「新聞記事に書かれていた代表作を読まれて心打たれたのだろうなぁ」と思いながら、本を一生懸命探している初老の女性に声をかけてみると、やはり茨木のり子さんの詩集をお探しでした。新聞記事を読み感銘を受け、探しにこられたとのこと。同じ思いの人は他にもいらっしゃったようで、既に何冊か売り切れてしまっていました。

亡くなられたことがきっかけで、その方の人柄や作品を知る、そういう経験は誰にでもあるのではないでしょうか。そしてそれが素晴らしい出合いとなったのであれば、ずっとずっと心に残るはず。そしてその思いは周りの人々にも広がっていく…。
本当に素晴らしい詩をたくさん残してくださった茨木のり子さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。


それにしても本屋さんで追悼特集を組んでくれないかなぁ。只でさえ詩のコーナーは奥に追いやられていて見つけ辛い。よく目に付く場所に今だけでも置いてくれればいいのですが…。
私は友人達に茨木さんの詩を紹介しまくっています。



『未来への地図』

2006-02-21 | 
同僚の中学三年生の娘さんの卒業祝いに、星野道夫『未来への地図 新しい一歩を踏み出すあなたに』(朝日出版社バイリンガルシリーズ)を贈りました。
これは「卒業する君に」と題して1989年3月に東京都大田区立田園調布中学校で行われた卒業記念講演(2003年スイッチ・パブリッシング刊『魔法のことば 星野道夫講演集』に収録)が、写真と英訳を加えて1冊にまとめられたもので、いつか身近に中学を卒業する人が現れたら贈ろうと思っていた本でした。

贈った翌日、「星野さんって、教科書に載っているよ」と言われ私の方が驚きました。
教科書の題材になっていることを知ってはいましたが、彼女の使っている教科書に載っているとは思いもしなかったので…。
せっかくだから、教科書(『国語3』光村図書)を貸してもらいました。大好きな星野さんのどの文章が載っているのか以前からとても興味があり、実際に目にすることが出来てとても嬉しかった!
それも私が最初に読んだ星野さんの著書『旅をする木』より「アラスカとの出会い」。
私もこの授業を聞きたかったな~。

それにしても私たちが習った教科書とは随分様変わりをしていて新鮮でした。
楽しみながら一気に全部読んでしまった。
中でも池田謙一の「マスメディアを通した現実世界」では大いに頷きながら読み、杉山竜丸の「二つの悲しみ」では涙を流してしまいました。たまには今の生徒たちがどんな教科書を使っているのか、読んでみるのも楽しいですね。

「人生はからくりに満ちている。日々の暮らしの中で、無数の人々と擦れ違いながら、わたしたちは出会うことがない。その根源的な悲しみは、言い換えれば、人と人とが出会うかぎりない不思議さに通じている。」  星野道夫『旅をする木』「アラスカとの出会い」より



尊敬する詩人・茨木のり子さんが逝去されました。
本日の読売新聞の「編集手帳」を読み、まさに「岬に立つ灯台」のようだと思いました。
同じ想いを抱いている人も大勢いることでしょう。
残された数々の言葉を、いつまでも心に留めておこうと思います。
どうぞ安らかに。心よりご冥福をお祈り致します。


Symphony no.5 in C minor,op.67

2006-02-16 | 思い出す事など
昨日『博士の愛した数式』の感想の中で《実際に今教壇に立たれている先生方も「何故この教科の教師になったか」ということに、少しでも触れるといいのになぁ》と思ったことを書いた。
学校の教師に限らずスポーツや習い事においても、指導者との出会いは大きな影響を与える。単純に言えばそれが「好きになるか、嫌いになるか」の境目になることがあるのだ。指導者のそれに対する「好き」とか「一生懸命」とか「大切だと思う」気持ちを感じられたら、きっと「好き」になると思うのだが。
(ここでは出来る、出来ないは別の問題です)

 映画の余韻に浸りながら、思い出したことがある。

 数年前に中学時代の同級生と再会したときのことだ。彼はクラスの中では控えめだったのだが、「強い意志を秘めている」そんな目をしていたので私にはとても印象深い人物だった。
 ひとしきり近況報告と他愛ない思い出話で盛り上がったあと、趣味の話になり驚いた。
クラシック音楽を聴くというのだ。申し訳ないが、イメージが湧かない。
そこで好きな作曲家は誰かと尋ねてみた。
「モーツァルト。モーツァルトばかり聴いている。でも、自分で初めて買ったCDはベートーベン。」
 まさか、と思った。私も最初に買ったクラシックCDはベートーベンなのである。
それには明確な理由もあった。
「もしかして《運命》?」
「あたり。」

 一瞬のうちにあの日の音楽室での風景が甦った。そこで語られた学生時代の先生の話…。 
先生は国立大学の音楽科に在籍していた。そこで同じ道を志すたくさんの人達との出会いがあった。

 
「先生にはね、大学時代に<自分には才能がないのではないだろうか>とすごく悩んだ時期がありました。もう退学するつもりでいてね、担当の教授に自分の思いを伝えにいったことがあったの。その時教授はじっくりと話を聞いて下さったあとで、こう言われました。
  「帰ったら一人でこのレコードを聴きなさい。ボリュームを最大にして。それからもう一度考えてみなさい」
手渡されたのは、ベートーベン作曲「交響曲第5番ハ短調《運命》」のレコードでした。
それから帰って言われた通りに一人きりの部屋で聴いたの。ボリュームを最大限にして。そうしたらね、全部吹っ切れたの。何故だかわからないけど」



 この先生のエピソードを聞いて、私は「運命」のCDを買ったのだ。
有名な冒頭のフレーズしか知らなかった私は、全てを聴いてみたくなったのである。
今でも時折聴いている。お気に入りは第4楽章だ。
 同級生の彼がこの曲を買った理由も私と同じだった。もしかしたら他にも仲間がいるかもしれない。あの時同じ時間を共有し合った誰かの中に―。


この音楽の先生は、私の中学1~2年の担任の先生でもあった。もともと音楽は好きであったが、先生に出会えてもっと音楽が好きになった。他にもたくさんの想い出がある大切な先生である。

時は流れず

2006-02-15 | 映画
映画『博士の愛した数式』を観てきた。
原作の小説をとても気に入っていたので、どうかなぁと思っていたのだが杞憂だった。

時間の流れ方がいい。そしてバックの風景も。
配役ももちろんよかった。能「江口」も素敵だった。
あと、深津さんの謝る演技が印象的。きちっとしているというか、潔いというか。
とても清潔感があってすぐにでも「いいですよ」と許してしまいそうだ…。

大人になったルートの自己紹介を兼ねた最初の授業、これがストーリーを展開していく。
実際に今教壇に立たれている先生方も「何故この教科の教師になったか」ということに、少しでも触れるといいのになぁなどと思いながら見た。
いろいろ感じることがあったのだが、まだまとまらない。もう少し余韻に浸っておこう。
(タイトルにした「時は流れず」という言葉は、映画のある部分で語られています。)


今日読んだ本で共感した部分を記しておく。
「写真」に限らず「表現」すること全般に通じるのではないだろうか、この感覚は。

「何故か、涙が出てきました」
 その人は思いがけずそんなことを口にした。僕は何と返していいのかわからなかった。
展示した写真には、ほとんど事件の具体的なものは写っていない。(中略)でも僕はそこから、ひとつの気配のようなものを立ち上がらせたかった、それをすべての人に感じてもらいたいとも、それが可能だとも思っていない。ただ、ほんの数人でもいいので、それを直接、ここから感じてもらうことができたならばと考えた。
 ひとつの「こと」を人に伝えるのは、本当に本当に難しく、絶望的なことのように感じられる一方で、その女性を目の前にして、何と確かで確実なことなのだろうかと僕は静かに感じた。
                『写真展に、行ってきました。』小林紀晴(平凡社)
                「ひとつの気配を写真で伝える難しさと確かさと」より


《今日とても嬉しかった出来事》
友人の子どもから手作りのチョコカップケーキをもらいました。
『のだめカンタービレ』を貸してあげたお礼だって!嬉しい!ありがと~。
老若男女と幅広く友人はいますが、小さなお友達からのプレゼントは何とも言えず心が温かくなります。
覚えたての字で一生懸命書いてくれた手紙や絵、折り紙など。いつも優しい気持ちをありがとう。





続けていくこと

2006-02-11 | 思い、想う

※10年程前に親戚から頂いたシンビジュウム「マリリン・モンロー」。
鉢数も3鉢に増え、毎年綺麗に咲いてくれます。写真は今年一番に咲いた花。



ずっと思っていることがある。
それは人間が、便利なもの・楽なもの・得だと思われるものへと簡単に流されやすい
生き物だということ。
そして、「便利なものはいいことだ」と大抵思われているであろうということ。
もちろん私も楽で便利なものは好きだ。しかし、それだけではダメだとも思っている。

経済面を例にしてみると、「消費者のため」という言葉をふりかざしての規制緩和。
国民は消費者の立場でもあり、生産者の立場でもある。
大きな規模のところはまだいいが、大抵しわ寄せがくるのは地方の中小企業である。
自分で自分の首を締めていないか?

ヤマト運輸の元社長、故・小倉昌男氏は著書『経営学』の中で次のように述べている。

 「企業は社会的存在である。それは財なりサービスなりで社会に貢献するとともに、
 雇用の場を提供するからである。したがって企業は永続しなければならない。永続
 するには、倫理性に裏打ちされた優れた社格が求められる」

「倫理性」、すべての繋がりにおいて重要なことではないだろうか。
家族、社会、国、そして地球を。ずっと続いていけるよう守っていくこと。
自分達の目先の損得だけに惑わされず先を見据えて行動しなければ、と思う。
先祖から引き継いできたものを次世代に繋げていくために。まずは自分の足元から。





知る権利、知らん権利

2006-02-10 | 映画
「知る権利」というのは誰でもすぐ解かると思うが、「知らん権利」というのはどうだろう。私がはじめて目にしたのは倉本聰『ニングル』の中であった。
これだけ情報が溢れ返っている昨今、知らなくてもいい権利はなかなか得られないことかもしれない。時と場合によってはとても必要なものだと思うのだが。

先日、『ミュンヘン』を観てきた。
何かを伝えようとする時、そこには伝える側の考え方・意識が反映されるものである。
それが単なる事実のみを伝える場合であっても。映画や小説、新聞、各メディア然り。

陳腐な感想だが、観て良かったと思う。
そう思えたのは監督であるスピルバーグが素晴らしいのはもちろんなのであろうが、脚本を担当したトニー・クシュナーとエリック・ロスの二人の力も大きかったのだと思う。
参考図書になっているジョージ・ジョイス著『標的は11人』もそうであるが、作品に対する熱い思いを持ちつつも客観的な視線が感じられるのだ。
同じスピルバーグ作品で評価が高かった『プライベート・ライアン』は、何か大きなものを忘れているようで私は苦手だった。

最初にも書いたように、情報社会である。外の声に惑わされやすい状況だ。
「知るのも怖いし、知らないのも怖い。」
そんな中で知り得た事柄は、鵜呑みにすることなくあらゆる角度から眺め、自分で考え受け止めようと思う。
時代の流れや人の意見に飲み込まれてしまわないように、自分の軸がぶれないように。
改めてこんなことも思わせてくれた映画だった。

目に見えない裏の世界があることは、重々知っているつもりである。
しかしこれだけは切に願う。誰もが殺すこと・殺されることのない世の中になることを。

トリノオリンピックが始まった。平和の祭典であるこのオリンピックの期間だけでも、真に平和でありますように。

見たことのない小動物

2006-02-09 | 日記
大抵の生き物(魚・両生・爬虫・鳥・哺乳類全てにおいて)は大丈夫な私。
友人が飼っているペット(犬・猫はもちろん、鳥やウサギ、たまにはフェレットや猿)を見かけると「撫ぜさせて~」とか「抱っこさせて」とか言って触りまくっています。

今日、得体の知れない17~18センチくらいの茶色いモコモコの毛をした小動物に思いっきり噛まれました。もう、その子は噛み付くことに必死といった形相…。
周りでは色は違うけれど、よく似た動物が楽しそうに2~3匹遊んでいます。
振り払ったら飛んでいってケガをしてしまいそうだったので、「何もしないよ~。怖くないからね。どうしてそんなに興奮してるの?」なんて言いながら頭と背中を撫ぜていました。そうしたら段々落ち着いてきたみたいで、とうとう安心して掌の中で眠ってしまいました。

コレ、今朝見た夢の中のお話。一体何だったんだろう?あの小動物。
唯一?苦手なネズミ科(ハムスターは除く)ではありませんように…。

感慨深い試合

2006-02-05 | 日記
今回の「東レ・パン・パシ」、ヒンギスの実力・人気ともにかつての絶頂時代を知るものの一人として、特別な思いでテレビ観戦させてもらいました。

ヒンギスモデルのラケットを持っているくらい、彼女のプレーが好きでした。
彼女はここに打てば決まるというコースを瞬時に判断すると「どんな体勢でもそこに打つ」という感じでした。
見ていて「えっ?その体勢からそのコースに打つの?」と驚ろかされる場面が幾度もありました。
そして見事に決める。
すごい筋力・技術・精神力だなぁといつも感動・感心していました。でも、同時に体に負担がかからなければいいなとも思ってた。

そんな心配が的中してしまい、彼女はその後ケガのため第一線から離れることに。

そして。今回見事な復活。
残念なことに優勝は逃してしまいましたが、まだまだ現役で戦えることを示してくれたヒンギス。
これからの彼女を今まで以上に応援したいと思います。
少しお姉さんになったヒンギス、次も頑張ってね!


美しき数学

2006-02-04 | 
会社での会話

同僚A「小川洋子さんの映画化されてる何とかっていう本、すごく売れてるんだってね。
    映画見に行ってみようかな~」
私  「『博士の愛した数式』ですよね?本、持っていますけど読みますか?」
同僚B「そうそう、私も娘の読書感想文用に貸してもらったけど、面白かったみたいよ」


昨夏、中3になる娘さんの読書感想文の宿題用に何かいい本はないかと相談され、
   『博士の愛した数式』 小川洋子(新潮社)
   『世にも美しい数学入門』藤原正彦・小川洋子(筑摩書房)
   『西の魔女が死んだ』梨木香歩(新潮文庫)
   『ビルマの竪琴』竹山道雄(新潮文庫) 
の4冊を貸し出したところ、数学嫌いの娘さんが『博士の愛した数式』を選んだそう。
数学に少しは興味を抱いてくれたかな?

私もこの本に中高生の時に出会っていたかったと読み進めながら思いました。
決して数学嫌いではなかったのですが、それほど興味を持てなかったから…。
この本を読んで、数学が「美しい」といわれる意味が少し理解ができた気がします。

そういえば高2の時の数学の教育実習生に「僕の授業はつまらないですか?」と休み時間に個人的に問われたことが…。
あまりの突然の問いかけに私の頭の中は「えっ!私、つまんない顔してた?」と困惑状態に陥りました。
よく聞いてみると「授業中、窓の外ばかり見ているから」とのこと。
あぁ…、納得。
空好きの私は窓際の席をいいことに、晴れ渡った空を眺めていたのでした。
(ちなみに長距離走でも空を見ながら走ることがあります。
普通の人はアゴをひいて走るのでしょうが。
でも私がスポーツテストで唯一満点を取れるのが長距離走なのです。)

今思い出してみても、あの教育実習の先生に申し訳ないことをしたなぁと思います。
私も教育実習を経験しましたが、教壇の上に立つと本当にいろいろなものが目に入るんですよね。
生徒の立場だった時は「見えない、見えない」なんて思っていますが全然ダメです!
はっきり見えてます。愕然とするくらいに。
まぁ、わからないと思っているからこそ大胆なことが出来たりするんですけどね。

さて、映画の『博士の愛した数式』の出来はどうなんでしょう?
観に行きたいような行きたくないような。イメージ通りだといいのだけど。
『オリバー・ツイスト』(『戦場のピアニスト』の印象がすごかったから監督最新作も期待)『ミュンヘン』『単騎、千里を走る。』も注目。
仕事が一段落したら映画館に行こう!っと。