海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

敬い

2015-08-19 | 


表紙は、奈良美智さんの絵なんだ~!
と、嬉しくなって発売すぐに購入した糸井重里さんの『羊どろぼう。』。

ゆっくりと部屋で過ごしていた仕事休みの雨の午後に、また。
目に留まり。
手を伸ばし。
パラッと開いて飛び込んできたのは、次の文章でした。

*******************
「聞く」っていうのは、
もう、ほんとにすごいことなんだ。
しかも、誰でもできる。

(中略)

よく「聞く」人と、いいかげんに「聞く」人の差は、
あきれるほど、どんどん開いていくものなんだ。
人っていうのは、「聞く」人に向かって話すからね。
こいつは「聞く」な、と思えば、
その人のために、どんなことでも話すようになる。

ことばそのものを「聞く」だけじゃなく、
ことばの奥にある「気持ち」だって、
「聞く」ことができるようになる、だんだんとね。

(中略)

聞くことが、何よりの仕事だ。
だれでもできるのに、できている人は少ない仕事だ。
見ることは愛情だと、かつて僕は言ったけれど、
聞くことは敬いだ。
聞かれるだけで、相手はこころ開いていく。
聞いているものがいるだけで、相手は嬉しいものだ。
それは、ずいぶん大きな仕事だと思わないか。
********************

「聞くことは敬い」
今一度、心に留めておこうと思います。

雨降る午後に、感謝。



『エンジェルフライト』

2013-01-16 | 


2012年第10回開高健ノンフィクション賞受賞作品、
佐々涼子著『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』(集英社)を読みました。
この本で初めてエアハース・インターナショナル株式会社の存在を知りました。
「忘れ去られるべき人」たちの人に接するときの限りない温かさ・優しさに、
心がふるえました。
その思いのこもった仕事ぶりに、とても感銘を受けました。


時折、死について触れた本を手に取ります。
メメント・モリというラテン語があります。
藤原新也さんの同名の著書やミスチルの歌で意味をご存知の方もいらっしゃるでしょう。
メメント・モリとは「死を想え」という言葉です。

死を想うことは、生を見つめること。
どう生きるかを問うことだと思います。
「死」は「生」と決してかけ離れたところにあるわけではなくて、
すぐ隣にある(生は死を内包している)ものだから―。

正解というものが決してない、どう生きるかという問い。
これからも問い続けながら、生きていきたいと思います。


【追記】
仕事内容は全く違うけれど、思いました。
どの仕事も、誰かと繋がっている―。
その誰かに喜んで頂けるような、働きができるようになりたいものです。


『鬼の涙』

2012-09-02 | 
   


昨年訪れた朗読会のときのことだったでしょうか。
ちらりと触れられた「鬼の涙」というお話に惹かれるものがあり、
それ以来ずっと気にかかっていました。

そして、今年の5月。
書籍化されたことを知り、即購入。

自然と溢れてくる涙を拭うことなく、
じっくりゆっくりと読みました。



本日。
宮脇書店総社店さんにて「鬼の涙 ブックトークと生演奏の朗読ライブ」が行われました。
 
 作者 平田勉さん
 絵  源内満弓さん
 朗読 金盛千裕さん
 即興BGM 朝田恵利さん


朗読会の詳細を知ったのは、何と、1週間前だったんです。
よかった~、間に合って。




フリーアナウンサーの金盛千裕さん。
地の文や情景描写、3人の子ども達。そして鬼も。



元々の心地良い素敵な声に加え、表情豊かな声色で朗読されて。
心に真っ直ぐに響いてきました。



著者の平田勉さん。
朗読もなさいました。



鬼のことを「温羅(うら)」と呼ぶ、鬼を身近に感じる総社という地で育った氏。
小学校教諭で学芸会用の脚本を手掛けられており、何作か鬼を題材にしたものがあるそうです。
その脚本を元に本にしたのが、この『鬼の涙』なのです。

感情移入された鬼役は、さすが!!の一言でした。



即興BGMの朝田恵利さん。
朗読のときだけでなく、トークのときにもずっと演奏されていました。

朝田さんの演奏は、いつもその場に寄り添うように在ります。
あの一体感を、ぜひ皆さんにも生で一度は感じて欲しいなぁ。

言葉と音楽が合わさって、今日も素晴らしい相乗効果が生まれていました。
それも自然に。
素敵ですね。




朗読が始まって、少し経った頃。
小さな女の子が、
「かえろう~。かえろうよ。こわい。」
と、母親にしがみついて言いました。

自力で読むには、小学校の高学年くらいにならないと少し難しいかな?という内容の「鬼の涙」。
しかし読み聞かせならば、小さなお子様でも心の奥に本質が伝わるようです。



「鬼は文明の暴走をくい止めるために大切な存在であったと考えています。
その鬼を恐れなくなって、人間達は間違った方向に進んでしまったように思います。
(中略)
鬼を愛する多くの人たちに読んで頂けたら幸せです。」
(作者「あとがき」より)



荒れていく鬼の姿は、人間の姿を映したもののように感じました。
苦しんでいる鬼を感じる度に、人間の罪深さに気付かされるのです。

けれども、本当は…。
優しく温かな心を持っています。
鬼も。人間も。

  大切なものは、何なのか。
  決して忘れないで、思い出して―。


子どもたちだけでなく、多くの大人たちにも読んで欲しい『鬼の涙』。
この本が伝える思いを、しっかりと受け取めたいと思います。



会場では、原画展も開催されていました。
お話にそっと寄り添う、本当に素敵な挿し絵です。
生で拝見できて、より一層思いが伝わってきました。



嬉しいことに―。
本の購入者には、著者である平田勉さんと、絵を描かれた源内満弓さんがサインをしてくださったんですよ♪
私の本にもお二人のサインが!
お気に入りの本が、さらに宝物となりました。
どうもありがとうございました。



半農半デ(半分ぶどうの栽培、半分デザインの生活)とおっしゃる源内さん。
今日の朗読会に参加された方々のためにと、愛情込めて作られたぶどうをお土産に持ってきて下さっていました。
「黄玉、安芸クイーン、紅伊豆、マニキュアフィンガー、ピオーネ」の5品種。
減農薬、低肥料、草生栽培で育てられているぶどう達は、まことに美味しかったです。

朗読会での感動の余韻に浸りながら、おいしく頂きました。
ご馳走さまでした。


本当にとても幸せな1日でした。
感謝。



【追記】
最後に。
本日の貴重なショットを。

朗読中は、ほとんど表情を崩さずにキーボードに向かわれていらっしゃった朝田さん。
笑みを湛えて弾いていらした時間がありました。
それは休憩時間!

小さなお子様と一緒に聴きに来られている方がいらして、子どもたち用に演奏をしてくださったのです。
アンパンマンとトトロのテーマ曲!
サプライズの演出に、会場中の皆が笑顔になったひとときでした。





「朗読ライブ」の様子は、ぜひ皆さんのブログからも感じてみてくださいね。
「半農半デ」のトド日記
やもりんのBGMダイアリー

『結婚のずっと前』

2012-04-05 | 

『結婚のずっと前』
坂之上洋子 著/野寺治孝 写真(二見書房)

あまりにも綺麗だったので―。
久々に装丁買いをしてしまいました。
薔薇の写真に呼ばれ手に取り、本のタイトルを見て一瞬躊躇^^;
パラパラっとめくってみたら、未婚の方にも、結婚をされている方にも響くであろう内容でした。
(「はじめに」の中に、“この本が、結婚を考えている人や、すでに結婚している人の何かポジティブな行動の(きっかけ)になれば、とても嬉しいです”と記されています)

読んでいて、父を想い出しました。
どういう訳だか、子どもの頃から嫁いだあとのアドバイスをいろいろとしてくれていたんです。
「嫁に行ったらな、……。」と。

跡継ぎ娘である母と結婚した父。
いろいろと感じることがあったのでしょう。
端からみると「ザ・亭主関白」という感じだったようですが、本当に細やかで愛情いっぱいの父でした。

たくさんアドバイスをしてくれたのに、未だにその教えを活かす機会に恵まれていないけれど…。
いつか、きっとね♪

『結婚のずっと前』より、実感を伴いズシリと心に響いた言葉を最後に。
「誰かが亡くなったら 思い出すことって お金とか残した功績とかじゃない
一緒に
笑ったり がんばったり 悩んだり
そういう(共有した時間)だけが残るんだと思う」


父の月命日に―。

『朝顔は闇の底に咲く』

2011-08-24 | 


一昨日、3鉢目の朝顔が咲き始めました。
同じ時に種を植えたにもかかわらず、他の2鉢が咲く頃に芽を出した奥手の朝顔。
咲いてくれてありがとう。


この朝顔が呼び寄せてくれたのか、一冊の本と出合いました。
五木寛之『朝顔は闇の底に咲く』(東京書籍)
表題となっている「朝顔は闇の底に咲く」という章に綴られていたお話が、とても印象的でした。
心に響いたのでご紹介いたしますね。


五木氏は、『ヒマワリはなぜ東を向くか』(瀧本敦著、中央公論社)という本の中に登場する、ある女性の植物学者の短いエピソードに感銘を受けたと言われます。
中学生の頃から朝顔日記をつけていた生物学好きの少女は、高校・大学で生物学を学び、その後も朝顔の研究を続けます。
「どうして朝顔は朝になって、あの大輪の花をきちんと咲かせるのだろう」と疑問を抱き―。
いろいろな実験をした後に、次のような仮説にたどり着きました。

 「アサガオの花が開くためには、夜の暗さが必要なのではないかと考えた」

********************************
 そうか、朝顔が朝開くのは、夜明けの光とか暖かい温度のせいではない。夜明け前の、冷たい夜の時間と闇の濃さこそが必要なのだ。朝顔は、夜の闇のなかで花を開く準備をするんだな。
 こんなふうに思考を飛躍させ、そして、このことで勝手に、しかし非常に感動しました。
 朝顔は、夜の闇のなかに咲くのです。
 人間も希望という大輪の花を咲かせるのは、かならずしも光の真っただなかでも、温かい温度のなかでもなかろう。冷たい夜と、濃い闇のなかに私たちは朝、大輪の花という希望を咲かせる。夜の闇こそ、花が咲くための大事な時間なのだ、と、私はそう考えました。
 いまの時代というのは、まさにそういう時代かもしれません。
 そして私たちは、日々溜め息をつき、この時代の闇のなかに生きている。
 その自分の行き先を模索しながら、なんとも言えない時間を過ごしています。
 しかし、この時間にこそ、ひょっとしたら本当の意味での希望というものがどこからか訪れてくるのを、深い所で、人間の命の時計は感じているのではないか。
 あらためて、泣く時にはちゃんと泣こう。喜ぶ時にはちゃんと喜ぼう。笑う時には笑おう。
       五木寛之『朝顔は闇の底に咲く』(東京書籍)
********************************


人生、いつもいつも光の中を歩いて行けるわけではない。
闇があるからこそ、光を感じられる。
闇の中にあって、真の強さと優しさを磨いていこう。
大輪の花を咲かせるために。

料理の世界でも“夜の時間”は重要なようです。
よく「一晩おく」という表現が使われますよね。
同じ8時間でも、昼間の8時間と夜を過ごした8時間では、味わいが違うそうなのです。

人生も、料理も。
夜が、闇があるからこそ味わい深くなる。

一日一日夜を越えて、
どうぞ、素晴らしい朝を迎えられますように。

真っ白な帆を上げて

2011-07-29 | 


3月19日。

友人から一通のメールが届きました。

あるHPにリンクが貼られただけのシンプルな本文。

開いてみると-。

「卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ」と題された、

渡辺憲司校長先生からのメッセージが綴られていました。

ツイッターなどで全国的に広まったので、ご存知の方も多いと思います。


拝読して、「“感動”という言葉だけでは片付けてはいけない」と感じました。

何十年も前に高校を卒業した私ですが、身の引き締まる思いがしました。



先月、書店に立ち寄ったときのこと。

ある一冊の本の題名に引き寄せられました。

『それでもいまは、真っ白な帆を上げよう』(旺文社)

すぐに気付きました。

渡辺校長先生のメッセージの中の一文だと。

副題に「3.11東日本大震災後に発信された、学長からの感動メッセージ」とあるように、

日本全国の学校で、生徒達・学生達に向けて発信されたものです。

ここで紹介されたような言葉を発する教育者に指導された皆さんは、とても幸せだと思います。

困難なときだけれど-。

希望が持てました。

勇気を頂きました。


上記の本の隣には、渡辺校長先生の書き下ろしの著書が置いてありました。

『時に海を見よ』(双葉社)

震災から3ヶ月近く経とうとした頃に、自己を見つめ直して書かれた本です。

 
  「祈りを行動にうつさねばならない。」


心にズシリと響く言葉が続きます。

これからの時を、改めて真摯に過ごさねばと思いました。

あの日から4ヶ月半が経ちました。

思いを新たに。

真っ白な帆を上げて-。

(なお、『時に海を見よ』の印税は東日本大震災で被災された方々への義損金として全額寄付されます。)

**********************************
 いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかなる悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 (中略)
 鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。
愛に受け身はない。
           立教新座中学校高等学校校長 渡辺憲司
**********************************


【余談】
卒業生へのメッセージを読んだ時、内容はもちろんのこと、その文章の美しさに心打たれました。
キレがあって力がある。
「専門教科は何だったのだろう?」と気になっていたところ、分かり、納得致しました。
日本近世文学だそうです。
粋なはずですね。

あぁ、私も。
少しくらいはキレのある文章を書いてみたいものです。

近頃読んだ3冊

2010-12-01 | 


久しぶりに本のお話です。

作家、画家、音楽家、スポーツ選手・・・などなど。
それぞれの世界に、動向・考え方が気になる方がおりまして。

その中のおひとりが、桑田真澄さん。
PL時代から注目しておりました。(清原和博さんとともに)
あの頃は高校野球の雑誌を熱心に読んでいたものです。

先日、ふらりと立ち寄った本屋さんで見つけました。
桑田真澄『心の野球 超効率的努力のススメ』(幻冬舎)

自分の心と体と対話をしつつ、コントロールする。
それもバランスよく。
コツコツと努力を積み重ねる。
感謝の心を忘れずに―。

“一流”と“プロ”という方たちは、それができる人達なんだ。
そう思いました。




鶴見俊輔 重松清『ぼくはこう生きている 君はどうか』(潮出版社)

重松清氏の小説の世界が好きで、何冊か読んでいます。
『ぼくはこう生きている 君はどうか』の中で語られた重松さんの言葉に、大いに納得するものがありました。

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僕の自分の小説は読者自身の思い出がよみがえるための「呼び水」だといっているんです。
********************************

私にとっての重松氏の小説は、鶴見俊輔氏がいうところの
「自分の血となり肉となり、人生の一部」として読むものだったんだ、
そう思いました。

そして、鶴見氏の放つ言葉は・・・。
考えさせられるものが多かったです。
「君はどうか」の問いかけに、どう答えられるのか。
そもそも、答えを持っているのだろうか・・・。




安田登『身体能力を高める「和の所作」』(筑摩書房)

「和の所作」という言葉に惹かれて購入した本です。
「息」について述べられていた箇所が印象的でした。

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「いき」をあらわす「息」という漢字は、「自」と「心」から成っています。
(中略)
今から三千年ほど前に「心」を発見した人間は、さまざまな試行錯誤の末に本来は付随筋である呼吸筋を「心」でコントロールする、そんな技を身につけたのではないでしょうか。
(中略)
さあ、本来はコントロール不可能な息を「心」でコントロールすることができるようになった人間は、それを繰り返しているうちに、その逆、すなわち呼吸を使って「心」をコントロールすることもできることに気づき始めたのです。
*********************************


最近読んだこの3冊。
キーワードは「心」だったように思います。

この機会に。

2010-09-09 | 


実は私、ミステリー・サスペンスといったジャンルが苦手である。
小学4年生ぐらいのときだったか、兄から借りた江戸川乱歩作品が原因なのだ。
文章だけというのは、限りなく想像が広がるもので・・・。
読後、後ろを振り向けないくらい怖くなったのを覚えている。
それ以来、ちょっと敬遠していたのだが・・・。

この度、読もうと思っている作品がある。
吉田修一『悪人』(朝日新聞社)
そう。
女優の深津絵里が、第34回モントリオール世界映画祭コンペティション部門で最優秀女優賞を受賞した、
映画「悪人」の原作だ。

以前から吉田修一作品のファンだった。
今でも、新刊が出るのを楽しみにしている作家だ。
最初の頃は図書館で単行本を借りて読んでいた。
それから文庫が出ると初版本で買うようになった。
『パレード』で山本周五郎賞、「パーク・ライフ」で芥川賞を受賞したときには、
「やった!!」と喜んだ。
好んで読む作家が賞を取るということは、何だかとても嬉しいものなのだ。

それが今回、映画化された「悪人」で最優秀女優賞を受賞とのこと。
『悪人』、話題になった本である。
もちろん購入した。が、読んではいない。
少しサスペンスの香りがするからだ・・・。

しかし、積読本のままにしている場合じゃない!
映画を観る前に、読まなくては。
深津さんの演技を楽しむ前に読まなくては。

手元にある吉田修一作品を並べてみた。
『悪人』の装丁の存在感にちょっと驚く。
この作品だけ“第四刷”で購入しているという躊躇ぶりに、少しだけ笑う。

さぁ、読書の季節がやってきた。
折角のこの機会。
腰を据えて読んでみよう。



深津絵里さん、映画「悪人」の関係者のみなさん、この度の受賞おめでとうございます。
そして、吉田修一さん。
いつも素敵な作品をどうもありがとうございます。

呼んでくれてありがとう。

2010-05-19 | 


久々に呼ばれました。
本に―。

夕方友人と一緒に行った本屋さんで、はたと目に留まった1冊の本。
野々村馨『食う寝る坐る 永平寺修行記』(新潮文庫)

本編の最終章から「後記」「文庫版後記」「解説」を立ち読みしているうちに引き込まれ、
その場で真剣に読んでいる私がいました。
友人からは「マジ読み?」と・・・。
その時点で購入決定。

この本のお隣にあった1冊も気になり、手にとってみると。
こちらは永平寺で修行された禅僧が書かれた本でした。
またもや、でした。
数ページめくってみて購入決定。

この日は朝からぐるぐると思い巡らしていることがあって、
何かヒントとなるものを欲していたのかもしれません。
本さん、呼んでくれてありがとう(^^)

****************************
考えてしまう人と、考えなくてもすむ人がいるだけだ。
そして考えなくてもすむ人が、世の中の仕組みをきめていく。
      南直哉『老師と少年』(新潮文庫)
****************************

 そうかもしれない・・・。

この言葉、私がぐるぐるしていたこととは関係なかったのだけど。
すごく心に残りました。



最近、心に響く本と出合いましたか?
本屋さんに行ったら、もしかすると呼ばれるかもしれませんよ~♪

 

写真は、ただ今我が家で咲いている蘭です。
今年も咲いてくれてありがとう。

『いのちをいただく』

2010-04-22 | 


先日ふらっと立ち寄った書店での出来事―。
題名に惹かれ手に取った本をパラパラと読みながら、
不覚にも・・・、
ボロボロと涙を流してしまいました。
(誰にも気付かれていなければよいのだけれど)

涙したわけは、単に悲しいとか可哀相というものではなく―。
根源的な、罪意識とでもいうような悲しさと、あらゆるものに対する感謝の気持ちとが混ざった
複雑なものでした。


さて、その本とは。


『いのちをいただく』(西日本新聞社)
文  内田美智子
絵    諸江和美
監修  佐藤剛史
原作  坂本義喜


著者である内田さんは、2500人以上の赤ちゃんを取り上げられてこられたという助産師さんです。
ご自身が講演準備をしているとき、彼女とは違った立場から語られる「いのち」についての話を耳にします。
食肉加工センターにお勤めの坂本さんのお話です。

著者は、坂本さんの話に聴き入り、たくさんの人に知ってもらいたく本という形にされました。
それが『いのちをいただく』です。
形にしてくださったことに、本当に感謝いたします。


この本は絵本形式で語られる坂本さんの話に基づいたお話の他に、
監修・佐藤氏の文と写真で語られる「いただきますということ」という章があります。

************************************
 私たちは食べ物を食べて生きている。生きることは食べること。すべての食べ物は命だ。
肉も魚も野菜も米も、すべてが種を残そうとする生命体だ。
 人が生きるということは、命を頂くこと。殺すこと。
 私たちの命は、多くの命に支えられている。それを実感したときに、食べ物のありがたみが分かる。
食べ物を粗末にしてはならないと分かる。
              「いただきますということ」より
************************************

現代に暮す私たちは、誰かが育てたり獲ったりしてくださった“命”を頂いています。
捌いてくれた肉や魚を食べています。
お店に並ぶ“商品”となった“命”たちが、どのように私たちのもとへ届けられているのかを、
ともすれば忘れがちになっているのではないでしょうか。


この本では、農業に携っている方・水産業に携っている方、
「知育、体育、徳育の根元に食の教育がある」を信念に保育されている園長先生が紹介されています。
生きるということの、命の、とても近くに寄り添っている方たち。
彼らの言葉も、とても深く心に響きます。
この本が伝える大切なことを、心の真ん中できちんと受け止めたいですね。

機会があれば、朗読や読み聞かせをしたい本だなぁ。
そんな風にも思っています。
いつかきっと―。



大人から子どもまで。
おじいちゃん、おばあちゃん、お父さん、お母さん。
学校の先生方、食に関係している皆さん。
そして、未来を担う子ども達。
ぜひ、多くの方に読んで頂きたい本です。




「追記」
過去に“いのちをいただく”ということについて、何度か綴っています。
これからもこの気持ちを忘れないように。何度でも原点を見つめようと思います。
私たちの命を支えてくれる命に、ありがとう。
命を私たちの元へ届けてくださる方に、ありがとう。
料理を作ってくださった方に、ありがとう。
そして、今ここに在ることに“ありがとう”を。

2006.10.04「食べる」ということ
2008.07.02「いただきます」とは?
2008.07.05「“いのち”を頂いているから!!」