“広場”のみんなと一緒に、落ち葉拾いに行ってきました。
赤や黄色、橙、目に鮮やかな葉っぱたち。
それから木の実。
見慣れた公園が、いつもとは違った表情を見せてくれて―。
何だか新鮮でした。
子ども達と一緒に葉っぱや木の実を拾っては、ネックレスなどを作ったり。
遊具にのぼったり、すべり台をすべったり。
楽しいひとときでした(^^)
私、公園という空間が好きです。
四季折々楽しませてくれる樹々や花々はもちろん、
遊具やベンチのある風景が好きです。
そこにはたくさんの物語があるから。
物語があっただろうから。
今日も世界中の公園で、物語が生まれているのでしょうね。
先日の記事
「“ありがとう”を伝えたくて」にsuzieさんからコメントを頂きまして、私、こうお返事をしました。
>“大好き”という言葉、なかなか大人は口にしないかもしれませんね(^^;)
>でも、この言葉には私なりの想いがありまして。
>それについてはまた綴りますね
その想いを、今日は綴ろうと思います。
生きているとどうしようもないことだけど・・・。
誰もが経験することですが・・・。
お空に還った友人が何人かいます。
その中のひとりは病と闘っている最中も、いつも仲間と一緒に笑っていました。
調子が悪くっても、みんなと一緒に和の中に居たがりました。
ほとんどのお仲間さんたちに病のことを打ち明けることなく。
たくさんたくさん一緒に笑って、
たくさんたくさんお話して、
楽しい時間を一緒に過ごしてきたから。
だから、きっと“大好き”だということは伝わっていたと思うのだけど。
でも。
やっぱり言葉にすればよかったな、と今でも私は思っているのです。
何度も何度も“大好き”って伝えればよかったな、と―。
子ども達が、何の迷いもなく好きな人たちに「大好き!」と言うように。
年を重ねるにつれて感情を素直に出すのを躊躇してしまうこと、ありますよね?
そんなこと言わなくたって伝わっているだろう、なんて思うことも。
私も、そうです。
だけど、
大切な人たちには“大好き”と、
美しい風景を見たら“美しい”“奇麗”と、
楽しいことがあったら笑顔で“楽しい”と、
思うままに自然に表現できるって素敵だな、とも思います。
実際、表現されてる方に出会うと嬉しくなるし、幸せな気持ちを頂きますから。
私も少しでも近付けたら・・・、いいなぁ。
ちなみに私、今現在、母には「お母さん、大好き♪」と言葉に出して言います。
その都度、母からは
「小さな子どもが言うのは可愛らしいけれど、大きくなってからそんなことを言うのはおかしい。
自分の子どもを産んで、子どもからそう言ってもらえるようになりなさい。」
と言われています。
だけどね。
いつか子どもが生まれても、きっと私は一生母に伝え続けるでしょう。
「お母さん、大好き♪」と。
覚悟していてもらわねば(^^)
“想い”を素直に表現すること。
いつも朗らかだった友人から贈られた大きな大きなメッセージ。
どうもありがとう。
素敵な人に出会ったら、
美しい風景に出合ったら、
幸せを感じることがあったなら。
全部全部受け止めて、与えてもらったものを胸に抱きしめて―。
少しずつでも自分が変わっていけたらな、と思います。
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「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろう。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって」(中略)
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって…。その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
星野道夫『旅をする木』(文藝春秋)
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