海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

完全養殖の時代到来!

2006-01-28 | 食べること
今日は勤務先の会社で開催している朝市で、マグロの解体ショーがありました。
マグロの解体はイベントとして定期的にやっているのですが、今日のマグロはいつもと大きく違うところが!
テレビでも放映され話題になった、近畿大学水産研究所が世界で初めて完全養殖を成功させたクロマグロがやってきたのです。(このマグロ、何と近大の卒業証書付き)

    
       


 うちの社長、新しいことが大好きで好奇心旺盛。全身トロといわれるこのマグロの身をどうしても確認したかったようです。近大に電話し、入荷していただけることになりまた。
   岡山初上陸!!(東京では日本橋三越などで売られているそう)

解体をしているところの写真を撮るはずだったのですが、他の仕事をしていて間に合いませんでした…。
 というわけで、今晩の我が家のおかずに変身したお刺身の画像をアップします。





          

花言葉は《自然への愛》

2006-01-27 | 思い出す事など
            
触れると自分の中にある記憶を呼び覚ます、そんな風景や香り、音楽等が誰にでもあるはずだ。
たとえば道端に咲いている草花であったり、雑踏の中からふと聞こえてくる音楽であったり。
五感が覚えているものたち。

 会社の隣家の庭に、毎年見事な花を咲かせる大きな大きな木蓮の木があった。
 窓から見えるその木の蕾が膨らんでいくのを眺めては、春の気配を感じ、いつも花が咲くのを心待ちにしていた。
 一眼レフを初めて手に入れた時、一番にシャッターを切ったのも満開に咲くこの花であった。

「木蓮の写真を撮らせて頂けませんか。大好きな花なんです。」
庭仕事に精を出しているおばあさんに声をかけて、撮らせてもらったのだ。
「立派な木ですね」
と話しかけると、
「切らずに放っておいたから、こんなに大きくなってしもうた。剪定をしてやっとったらこんなに伸びんよ。夏には葉が繁っていい木陰ができるからなぁ、蘭の鉢を太い枝に吊るしておくんよ。風もよく通るしな」
と教えてくれた。
 
 この冬、その木蓮が太い幹と少しの枝だけを残しバッサリと切られてしまった。
  「今度の春は咲かないな。いつかはまた咲くのだろうか。」
 あの日の、満開に咲き誇った姿を思い出してみる。

 
   澄み渡る空に伸びゆく木蓮のきみ想い出すやわらかな白

 
 今は亡き優しかったおばあさんに思いを込めて。




着メロ

2006-01-26 | 日記
皆さんは人によって携帯電話の着信メロディを変えているのでしょうか?
私の場合は大まかなグループ分けをしています。家族・友人・職場・取引先というように。
その中で特別な人にはまた曲を厳選しています。

取引先では一人だけ着メロ、メール着信音ともに変えている人がいて。
それは…。よく電話をかけてくるちょっぴり個性的なDさん。(大抵の場合がお願い事…)
その曲とは。

  着メロ        チャイコフスキー : ピアノ協奏曲第1番第1楽章
  メール着信音   ラプソディー・イン・ブルー

この2曲、どちらも大好きなのですが個性的なんですよね~。
職場の人達はすっかり覚えてしまっていて「あっ!Dさんから電話」と言ってます。
ピアノ協奏曲第1番の出だしはインパクトがあるし有名だから、誰でも一度は耳にしたことがあるんじゃないかな。全体的にはとても素敵なメロディなので、電話がかかってきたらついつい聞き入ってしまう私です。
Dさん、いつもお待たせしてしまってゴメンナサイっ!!

ちなみにこの曲を好きになったきっかけは「第5回若い音楽家のためのチャイコフスキーコンクール 2004倉敷」で、オケをバックに弾いた沼沢淑音くんの最終審査での演奏。
素人の私が聴いていて、最初の数小節で「3位以内に入るのでは」と思えたくらい素敵だったんですよね。(結果は3位でした!)
コンクールの緊張感と生演奏の迫力とともに、とても印象に残っている曲です。
「ラプソディー・イン・ブルー」の方は「のだめカンタービレ」を読んでからというもの、どうしてもマングースの着ぐるみを思い出すようになってしまいました…。

《 今日の出来事 》
 
モスバーガーのハバネロフォッカチャに挑戦しました!
食べたことのない食材に出合ったら、一度は食してみようと思う私。(好き嫌い殆どなし)
ハバネロ、一度食べてみたかったんですよね。
店員さんの「滅茶苦茶、辛いですよ!大丈夫ですか???」の声にもめげず、口にしてみました。食べれたよ~。辛いけど食べられた!
もしかして人よりも辛さに強い?それとも食べやすいようにある程度抑えられてるだろうか?
ちなみに今までで一番辛いと思ったのは、ベトナム料理店で食べたグリーンカレー。
唇が痛かった……。トムヤムクンは平気だったのになー。

意識

2006-01-25 | 
《 今日の出来事 》

今日は仕事が休みの日。久々に幼稚園(ボランティア)に行ってきました。
子ども達はいつもパワー全開!大きな声であいさつをしてくれます。
そして豊かな感情表現に心を奪われます。笑顔・泣き顔・困った顔に怒り顔。
どの顔も大好き!!
今日は紙芝居を読ませてもらったのだけど、目を輝かせながら集中して聞いてくれました。
とっても嬉しかったです。
いつも元気を分けてくれる子ども達、どうもありがと~~~!


《 読了本 》

『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯』松瀬学(新潮社)

この本は2003年11月29日、イラクで何者かに銃撃され亡くなられた外交官の話。
日の丸がかぶせられた棺が成田国際空港に戻ってきたときの、深い悲しみ包まれた映像を今でもはっきりと思い出します。あれから丸2年。

著者は「あとがき」で「ものごとの正邪はあやふやで、虚と実、裏と表がある。きれいごとばかりを書くな」「人の死を単なる美談にはしたくない。一人でも多くの人から話を聞き、できるだけそのままに伝えようと試みた」と述べています。
そんな「腹積もり」で書かれたこの本には、奥克彦さんの真っ直ぐで、誠実で、熱い生き様が語られています。
ここにこうして記し伝えてくださった著者に感謝したい思いで読みました。


人は様々な立場と役割を抱えています。家庭では親・子、会社では経営者と従業員というように。
一人一人、いろいろな顔を持っているのです。
同じ事柄に対してでも、人によって対応の仕方は異なります。そこにどのような「意識」で臨むのかによって、その人の「生き様」が形作られていくのではないでしょうか。
<その時々で、私はどのような「意識」で臨むのか。人間は一人では生きられない。いろいろな人達との関わりあいの中で生活している。そして一人の人間の思い・行動が、家庭、会社、社会、国、世界へと影響し、動かしていく。>
奥さんの在り方に触れ、そんなことを強く思いました。



  「イラクの人に喜ばれて、日本のためになる。こんなにありがたい、やりがいのある仕事が他にあるか?おれたちはこういう仕事をやろうと思って外務省に入ったんじゃないか。……イラクは危険じゃないなんて、おれはひと言も言ってない。危険を避けるため、できるだけの措置はとる。でもリスクを覚悟してもやらないとあかんこともあるやろう。わかっとるやろう。……イラクの遺跡はやっぱりすごいぞォ。イラク人はそんな何千年の歴史があるから、とても誇り高い。でも、苦しいときに誰が助けてくれたか、ちゃーんとわかっているよ。
 おれたちがイラクのためにできることをすれば、10年先、20年先になっても、イラクの子どもたちが大きくなって、日本にありがとう、って思ってくれるよ。素晴らしいやないか」
 外交の最前線で、これほどの勇気と覚悟と情熱を持って、少しの躊躇も見せずに、明るく、己の使命を語る人物が、奥克彦だった。

        『日本を想い、イラクを翔けた ラガー外交官・奥克彦の生涯』より



テーマは感受性!

2006-01-20 | 日記
《 射手座 》
テーマは感受性!人の気持ちもわかるし、気遣いもできるようになってきます。
人に限らず芸術にもふれて感性を高めて下さい。
ただ、なぜかあなたの心はオープンになれない様子。
言葉に出せば相手の優しさも感じられますよ。
(占い師・佐伯優実)

先日ヤクルトさんからもらった「」2006年星座占い」で、私の射手座は上記の運勢でした。
「感受性」って私にとっては一生のテーマだなぁ。
心が平穏じゃない状態になったら、思い起こすことにしている詩があります。
部屋のボードといつも持ち歩くスケジュール帳にも忘れないようにと記してある大切にしている詩。
ここにも書いておきます。

   自分の感受性くらい
                   茨木のり子

 ぱさぱさに乾いてゆく心を
 ひとのせいにはするな
 みずから水やりを怠っておいて

 気難しくなってきたのを
 友人のせいにはするな
 しなやかさを失ったのはどちらなのか

 苛立つのを
 近親のせいにはするな
 なにもかも下手だったのはわたくし

 初心消えかかるのを
 暮らしのせいにはするな
 そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 駄目なことの一切を
 時代のせいにはするな
 わずかに光る尊厳の放棄

 自分の感受性くらい
 自分で守れ
 ばかものよ
 

「自分の感受性くらい自分で守れ」るよう、日々いろいろなことを感じながら成長していきたいですね!



先日、仕事で忙しく本を読む時間が減ってしまったという友人から「恋愛小説読みたいっ!いや、書きたいっ!?」というメールがきました。
どうやら実生活で素敵な恋をしている模様。羨ましいぞっ!
そんな彼女はもうすぐ誕生日。恋愛小説をプレゼントしようかなぁと密かに計画中です。
何がいいかなぁ。
江國香織、川上弘美、よしもとばなな、辻仁成、山田詠美、林真理子作品は彼女も読んでいるだろうし。
私が読んでいて彼女が読んでいないものといったら、村山由佳、石田衣良、大崎善生、吉田修一…あたりかな~?
お薦め恋愛小説(できれば誕生日のプレゼントなので心が温まるようなハッピーエンドの話)、何かありませんかね?
そういえば『恋愛小説家』という映画がありましたよね。好きな作品です。
個性的な主人公をジャック・ニコルソンがとても魅力的に演じていて素敵。
お薦めです!

1・17に思ったこと

2006-01-19 | 思い、想う
阪神大震災から11年の月日が流れました。
毎年1月17日が近づくと、新聞・テレビ等であの日のことが取り上げられます。
私の住む街では震度4を記録しました。今までに経験したことのない長く続く大きな揺れに不安と恐怖を感じたことを思い出します。そしてテレビから流れる悲惨な映像と大きな悲しみ…。大阪の実家にその日のうちに戻った友人の「言い表せない状況」という言葉。

時代の流れの早さと、様々なニュースが飛び込んでくる毎日。私たちは新しい出来事にとらわれ、衝撃的な事柄でも以前の記憶は薄れていきます。
しかし、悲しみに包まれた方々の場合は…。

  私に出来ることは何だろう?

震災のニュースを見ながら想いを巡らせました。
2年前の台風で我が家と会社が床上浸水の被害にあったとき、一番心に残ったことは声をかけて下さった方々の温かい気持ちでした。私たちを気遣って下さる方がいるという心強さ。本当にありがたかったです。頂いた優しさを少しずつでもお返しできたらなぁ。

  まず自分の身近な人たちを大切にしよう。
  そして困っている人、悲しみに包まれている人がいたら声をかけよう。
  優しく笑顔で。

特別なことじゃなく出来る範囲で出来ることをしよう。そんな風に思います。
一人一人が身近な人を大切にし優しさを持って暮らしていけば、希望に満ちた世界になるのではないでしょうか。巡り巡って幸せの輪ができれば。

 親切で慈しみ深くありなさい
 あなたが出会った人がだれでも
 前よりももっと気持ちよく
 明るくなって帰るようにしなさい
 親切があなたの表情に
 まなざしに、ほほえみに
 温かく声をかけることばにあらわれるように
 子どもにも貧しい人にも
 苦しんでいる孤独な人すべてに
 いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい
 世話するだけでなく
 あなたの心をあたえなさい
              『マザー・テレサのことば』半田基子訳、女子パウロ会刊より

※震災で亡くなられた方々の御冥福をお祈りするとともに、被災された方々が元気で希望を持って過ごされるようずっとずっと応援しています。





『なにも願わない手を合わせる』

2006-01-15 | 
2006年6月30日から約1年3ヶ月、数回に分け車で四国八十八ヶ寺を一巡したことがある。
その日、それまでで人生最大と思える「怒り」を感じた私は、いつもストレスを発散させるときにするように、本を読もうと鞄に数冊の本を詰め込み車に乗った。
空の下、自然の空気を吸いながらの脳内旅行(読書)は、いつも心を和らげてくれる。
しかしその日は生憎の雨模様。車から降りることさえ面倒くさい。
「このまま車を走らせて遠出をしてみよう。どこに行こうか?」。脳内旅行では足りず、ここではないどこか違う場所へ移動したい気分に駆られていた。
ふとある場所が脳裏に浮かぶ。
「四国」
それまでに幾人かの年上の友人達から「四国巡礼、いいよ」という話を聞かされていた。
「橋を渡り、四国へ行こう」。思い立ったそのときは、一番札所が何県にあるのかも知らなかった。与島のPAで地図を買い、一番札所がある徳島へ向かう。
こうして私の四国巡りの旅は始まった。

「心を平穏に」只それだけを思い、お参りし続けた。
実は元々、寺という場所はあまり好きではなかった。子どもの頃からずっと「死」に恐怖を感じ、夜の闇も苦手だった。寺も私にとっては近づき難い場所だったのである。
しかし、四国八十八ヶ寺は平気であった。お参りする人を迎え入れる懐の深さ、寛容さが肌で感じられる。お寺に入ると安心できた。
私の場合、何かを強く「願う」「祈る」というよりも、優しい空気に包まれに行っていたいう感じであった。出会う人々の優しさ、自然の美しさに救われた。
熊谷寺の納経所で笑顔とともにかけられた「そのTシャツの柄、可愛いね」という何気ない一言に、心が軽くなった。真面目な話、核心をついた話ばかりでは、息が詰まることがある。有難かった。
何箇所かのお寺で一緒になった御夫婦には、車ですれ違った際に近道を教えていただいた。私と同じように一人でお参りに来られていた女性とは、いろいろな話をした。
彼女からは数日後に中森じゅあんさんの「だいじょうぶ」という詩が同封された手紙が届いた。彼女の優しさに心が温かくなった。
(この「だいじょうぶ」という詩は、以前毎日新聞に星野道夫氏の写真とともに掲載されたことがある。星野ファンの私は不思議な縁を感じた出来事であった)
朝、荒れた心で出かけた私は、帰る頃には車から流れるラジオの声に微笑む余裕すら生まれていた。
初日の1~10番札所までの巡礼は一人であったが、その後結願までは友人との二人旅であった。最後まで様々な出会いに支えられた四国巡りの旅。その友人もいろいろ思う時期だったようで、四国を巡ったあの時間はとても意味深く大切な思い出となっている。

2003年8月、藤原新也『なにも願わない手を合わせる』(東京書籍)が出版された。
何冊か読んだお遍路本の中で、一番心に残っている本である。

 なにも願わない。
 そしてただ無心に手を合わせる。

 この祈りの姿こそが祈りというものの本来あるべき姿ではないかと感じ入り、私は自分の気持ちにこの言葉を刻み込んだ。
                       藤原新也『なにも願わない手を合わせる』

何も願わない状態というのは、本当に究極の状態であると思う。「無心」。
私も幾度かそのような状況になることもあった。しかし大抵の場合「家族が皆健康でありますように」であるとか「世界が平和でありますように」と何かしら祈っていた。そして自分の「心が平穏であること」を。(その日最後にお参りするお寺では、必ず「無事家まで帰り着きますように」と祈っていた。車のハンドルを握る私は、友人の命を預かっていたから)
藤原氏はこの無心の境地になることを「私はそのような”祈り”の達人になることはまだまだ先のことであるように思え、その祈りは遠い未来のために温存しておくことにした」と言い、そして続ける。

 私はそのような吹きさらしの雨風の中に一人佇む小さな仏たちを見ながら、ふとまた自分のために祈ろうと思った。それは御利益祈願という意味での自分のためということではない。
  
 海のような自分になりたい。

 そのような願いを込めて祈りはじめたのだ。
 私はこの旅を終え、再び俗世間に立ち戻る。そのますます救いようもなく荒れ果てようとする人間の世紀の中で、どのような他者の不安や心の荒廃をも受け止め得る、海のように揺るがぬ自分になりたい。 
                       藤原新也『なにも願わない手を合わせる』

私もこのような自分になりたい。
以前テレビでダライ・ラマに「いつも穏やかでおられますが、怒るということはないのでしょうか?」というような質問をされているのを見たことがある。そのときのお答えが「海のようなものです。表面は荒れたり凪いだりいろいろありますが、海の底は揺るがないでしょう。心の底は動きません。」というような内容であった。
「全てを受け止め、揺るがぬ自分」。目指したいと思う。

心を写す

2006-01-14 | 日記
写真が好きだ。撮られることよりも、撮ったり見たりすることが。
写真は「真を写す」と書くが、その「真」とは被写体だけでなく、とりわけ写す人「心」のことだと思う。
お気に入りの写真集を眺めつつ思いを巡らせる至福の時間。
 <とめどなく流れる時間の中で切り取られた一瞬の場面。そこに何を感じシャッターを押したのか?>
といっても、心に響く写真の前では思考は止まり、只々何かが魂に流れ込んでくるというような感じなのだが。

私自身がカメラを手にするようになってまず感じたことは、「この世界はこんなに光で満ち溢れていたのか」ということ。本当に感動だった。そして光りは闇があるからこそ感じられるんだという意識の芽生え。
そんな私が心惹かれる写真家は、星野道夫、藤原新也、椎名誠、長倉洋海、そして石川直樹。(彼らは「写真家」という枠でとらえるより「表現者」と言った方がいいのかもしれない)
今年は星野道夫氏が亡くなられて10年目。写真展が企画されているようだ。
数回星野さんの写真展には足を運んだことがあるが、今年も大きくプリントアウトされた写真達の前で、是非、星野さんの思いを感じてきたいと思っている。

写真展といえば、心にずしりと残っている写真展がある。2004年大丸ミュージアムKYOTOで開催された「藤原新也の聖地 旅と言葉の全軌跡」。
そこで私は藤原新也の書籍『メメント・モリ』(情報センター出版局)を買ったのだ。
この本の存在は何年も前から知っていた。本屋で、図書館で、幾度となく手に取り読んでいた。「メメント・モリ=死を想え」という言葉はいつも私の心の中にあった。

「この本は汚れれば汚れるほど良い。Gパンのように古びれば古びるほど良い。
ちょっと僭越だけど、たとえば、あのチベットの民が日々をめくる仏典や、イスラムの人々が何百年も使って、文字が読めなくなってしまっても、なおかつめくっているコーランのように、いつ、どこで、だれがいても、ちょっとしたひまのおりに、汚れてメロメロになるまで、何年たってもめくってほしいというのが願いだ。
汚れれば汚れるほど値打ちが上がる。
汚れれば汚れるほど、それは独自の個性を持った本となる。
その間に、読者は私の言葉や写真のいくつを感じ、いくつを十分に解釈し、そして、いくつを乗り越えてしまうことができるか。」
                         藤原新也『メメント・モリ』より

子どもの頃から死ぬことは怖いことと思っていた私。よく母に「お母さん、死ぬの怖いよぉ」と語りかけていた。(幼い頃に曾祖父母、祖父母の死という経験がある)
しかし、ずっと、ずっと、この本を自分の手元に置いておく強さがなかった…。
いつか手元に置く自信がついたら、藤原さんの写真展(出来れば『メメント・モリ』に収められた写真が展示されている写真展)に行き買ってこよう、そんな風に思っていた。
そして今、手元にある。「死」を想いながら、そして「今」を大切に思って生きている。

藤原新也氏の『何も願わずに手を合わせる』(東京書籍)もすごく共感した本だ。この話はまた後日。



『イオマンテ』

2006-01-11 | 日記
Amazonに注文していた寮美千子『イオマンテ』(パロル舎)が届く。
先日触れた星野道夫さんもそうですが、寮さんもすごく影響を受けている方。
在り方自体に惹かれます。

昨日友人に送った魚のお礼の電話があり、久々に声が聞けた。
元気そうで何より。お互い幸せになろうね~♪

はじめの一歩

2006-01-09 | 日記
2006年の成人式の今日。(といっても私が成人したのは何年前のことでしょう?)
初めてブログなるものに挑戦いたします。
日記を長い間書いていた時期もある私ですが、まめに更新できるかは少々不安。
日々感じたことを、マイペースで記していけたらいいかな。

さて。今日は天満屋岡山店て開催中の「第90回 日本美術院展覧会」に行ってきました。
見たかったんだ、大好きな西田俊英氏の作品。今回は「内閣総理大臣賞」を受賞されていることもあり、特別な思いで出かけました。
「きさらぎの月」という題が付けられた何とも静けさの漂う作品に、暫し見とれ状態。
優しい馬の目に穏やかな気持ちにさせて頂きました。ここ最近、植物・動物の絵が多いような気がします。私が西田氏の作品に惹かれるきっかけになったのは、人物画だったのですけどね。彼の描く人物の「目」はスゴイ!

そして。大好きな写真家・星野道夫氏の連載が始まった「旅写真」を購入。
一目見ただけで星野さんの写真とわかる写真が表紙の、この雑誌を手にしたときの嬉しさは何とも言えませんでした。また出会えた~。
大切に心に刻んでいる星野さんの文章も載っていて、改めて響きました。
今日の記念に引用させて頂きます。こんな風に私も伝えていきたいな。

 「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
 「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
 「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
                       星野道夫『旅をする木』(文藝春秋)