海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

親愛なる大叔母さまへ。

2012-01-27 | ねこからの手紙


泳ぐことがとても得意で、水門から飛びこんでいたというあなた。

当然のごとく魚釣りも得意。

すべてのお孫さんたちにボートの漕ぎ方を伝授したと、

語ってくださったこともありました。



歌が大好きで、部屋にはご贔屓の歌手のポスターを貼ってありましたね。

マイクを持って歌う姿を、一度は生で拝見したかったな。

ゆっくりたくさん語る時間はそうそうなかったけれど、

生まれたところをとても愛しておられたことは、

私の心に刻み込まれています。



以前「この頃までは私も可愛かったんよ~」と、

七五三の写真を見せて下さったことがありましたよね。

着物を着たあなたの姿は、本当に可愛らしくって!

その後のお転婆ぶりを全く想像することが出来ませんでした。



秘かにね、おじいちゃんの顔にそっくり!と思っていたんですよ。

私が2歳になる前に旅立ったおじいちゃんの記憶は、

写真で辿ることしかできないけれど、

あなたの声や表情はしっかりと覚えています。



今日という日にどんな風景を捧げようかと考えましたが、

やっぱりあなたには海の風景しか思い付きませんでした。

きっと何度も訪れたことがおありだろうと思う、海です。

気に入ってくださると嬉しいな。

また会えたときには、大好きな魚の話をたくさんしましょうね。

心より感謝を込めて―。


mari

大寒たまご

2012-01-21 | 季節を感じて・節句


“大寒の日に産まれたたまごを食べると、滋養に富んでいるので健康に暮らせる”
(風水では金運が上昇するとも言われているそう)

というわけで、玉島にあります「うぶこっこ家」さんにて、
「大寒たまご」を購入してきましたよ~!
鶏さん、養鶏所の皆さん、食卓まで届く間に関わっていらっしゃる全ての皆さん、
どうもありがとうございます。
新鮮で栄養たっぷりのおいしいたまごが食べられるのも、皆さんのおかげです。

子どもの頃、わが家では2羽の鶏を飼っていました。
母にとてもなついていて。
毎日交互に、たまごを産んでくれていました。
私の通った幼稚園でも、鶏を飼育していました。
当番の日には、産んだたまごをもらえることになっていたんです。
割れないように持ち帰るための袋までありました。
今の時代の子どもたちは、鶏が卵を産んでいるところを見る機会に恵まれたことがあるのかなぁ。
新鮮なたまごを目の前に、いろいろなことを思い出す、思う大寒の日となりました。

さて、どうやって食べようかな~。
やっぱり最初は「たまごかけごはん」にしようっと♪

寒さ厳しいときです。
皆さま栄養をしっかりとって、元気いっぱい笑顔で過ごせますように。

一文字の漢字に。

2012-01-11 | 日記


元旦の新聞に掲載された出版社の広告を、どのくらいの方がご覧になったでしょうか?

日曜日ということもあり、今年は出版社の年賀広告が多かったように思います。

各社どれもさすが言葉のプロと思うものばかりでしたが・・・。

その中でもとりわけ新潮社のものが心に響きました。

ドナルド・キーン氏による「日本人よ、勇気をもちましょう」という文章でした。

以下、全文です。

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 日本人よ、勇気をもちましょう  ドナルド・キーン

 かつて川端康成さんがノーベル文学賞を受賞したとき、多くの日本人が、こう言いました。「日本文学が称賛してもらえるのは嬉しいが、川端作品は、あまりに日本的なのではないか」。
 日本的過ぎて、西洋人には「本当は分からないのではないか」という意味です。分からないけれど、「お情け」で、日本文学を評価してくれているのではないかというニュアンスが含まれていました。
 長年、そう、もう七十年にもわたって日本文学と文化を研究してきて、私がいまだに感じるのは、この日本人の、「日本的なもの」に対する自信のなさです。違うのです。「日本的」だからいいのです。
 昨年、地震と津波に襲われた東北の様子をニューヨークで見て、私は、「ああ、あの『おくのほそ道』の東北は、どうなってしまうのだろう」と衝撃を受けました。あまりにもひどすぎる原発の災禍が、それに追い打ちをかけています。
 しかし、こうした災難からも、日本人はきっと立ち直っていくはずだと、私はやがて考えるようになりました。それは、「日本的な勁さ」というものを、心にしみて知っているからです。昭和二十年の冬、私は東京にいました。あの時の東京は、見渡すと、焼け残った蔵と煙突があるだけでした。予言者がいたら、決して「日本は良くなる」とは言わなかったでしょう。しかし、日本人は奇跡を起こしました。東北にも同じ奇跡が起こるのではないかと思っています。なぜなら、日本人は勁いからです。
 私は今年六月で九十歳になります。「卒寿」です。震災を機に日本人になることを決意し、昨年、帰化の申請をしました。晴れて国籍がいただけたら、私も日本人の一員として、日本の心、日本の文化を守り育てていくことに微力を尽くします。新しい作品の執筆に向けて、毎日勉強を続けています。
 勁健なるみなさん、物事を再開する勇気をもち、自分や社会のありかたを良い方向に変えることを恐れず、勁く歩を運び続けようではありませんか。

     新潮社 2012年賀正

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日本を、日本の文学を、文化を、こよなく愛して下さっている氏が、

「つよさ」という言葉に「勁」という漢字を当てて下さる。

その思いに、嬉しさだけでなく“誇り”と“勇気”を覚えます。


あの日から10ヶ月の月日が流れました。

あの時の思いを忘れず、ずっと心寄り添わせて。

今年何が出来るか、どう行動するか、今年の行動が後々に大きく影響してくると思います。


私たちにできること、私にできること。

勇気をもって、勁く―。 

「PIANO SPATIAL」

2012-01-10 | 音楽


岡山に来られたら絶対聴きに行くぞ!と思い、初めて生音を聴けたのが2年前。

この度、1月9日、2度目の生レ・フレールを拝聴してきました。

一曲目の「EARTH」からお二人の世界に惹き込まれ、あっという間の二時間。

彼らが奏でる音楽は、映像が浮かんでくるようで―。

さまざまな空間を旅させて頂きました。


スローな曲にはじっくりと聴き入り、

アップテンポな曲では会場一体となってノリノリで楽しませて頂きましたo(^-^)o

ソロパートになると、同じピアノを弾いていらっしゃるのに音色が違う。

それぞれの個性も楽しめました♪

楽しく幸せな時間をどうもありがとうございました!

(今日も「PIANO SPATIAL」を聴きながら、余韻に浸り中)



今回のツアーでは会場に募金箱が設置されていました。

東日本大震災で被災した子どもたちの音楽教育の支援に役立てられるということでした。

実際に現地に赴き、幼稚園や小学校などに楽器を贈られています。

微力ながら協力させて頂きました。

音楽の力で、子どもたちに笑顔の花が咲きますように―。

灯り

2012-01-02 | 日記


いつもより遅めに起床し、ゆっくりと過ごした元旦。
今朝は、海岸に沿って同業者のところまで行ってきました。

みなさん既にお仕事中。
漁に出られた漁師さんもいらっしゃいました。
「食べることに休みなし」を改めて実感した朝です。
私も皆さんの元気を繋いでいけるよう、今年も張り切っていくぞっ!


以前、ブログに綴ったことがありましたが―。
港町の灯りはとても温かで安心できるものだと、まだ世界が闇に包まれている時間帯に活動していると感じます。
陸にいる私でさえそう感じるのだから…。
海で仕事をされている方々にとって、灯台や家々の灯りはもっと大切な道標であり拠り所でしょう。

雪が降る寒い寒い東北地方。
少しでも暖かく過ごせていらっしゃるでしょうか?
どうぞお体には十分お気を付けて。

東北の海岸線に、安心できる温かな灯りが一日でも早く、一つでも多く点りますように。
そう切に願う新年2日目の朝です。

辰年

2012-01-01 | 季節を感じて・節句


新しい年になりましたね!辰年です。
といいつつ、辰ではなく獅子の絵。
今年のお正月は、新年のご挨拶をご遠慮させて頂かねばならず―。
新年最初の記事をどうしよう?と考えた末に、辰のゴム版をバーンと載せようと思いついたのです。
いやはや・・・、私の記憶では龍があったはずだったのですが、探してみたけれど見つからず。
見つけ出したものの中から、縁起物の獅子を選んでみました。


ちなみに冒頭の獅子はゴム版ではなく、紙を切り出したものです。
これ、父の作品なんです。
他にもいくつかありまして、きちんと缶(ユーハイムのお菓子が入っていた)の中に片付けられていました。



父、40代半ばから50歳過ぎくらいまでの作品たちです。
年賀状を書く時期になると、デザインを起こし、製作していたのを覚えています。
工学部機械科出身、元・設計士。
私にもこの繊細さと緻密さが受け継がれていたら良かったんだけどな~。
母も刺繍が好きで、丁寧にコツコツ仕上げるタイプ。
私、何かを組み立てたり作ったりするのって好きだけど、二人の足元にも及ばない。
今年こそは丁寧・繊細を目指すぞ!

こんな私ではございますが―。

「海辺のねこ」にお越し下さっている皆さま、
いつも温かなお言葉を寄せてくださる皆さま、
本年もどうぞよろしくお願い致します。




お餅が大好きなわが家は、今年もお雑煮を食べています。
もちろんブリ入り。モガイも。
 
父曰く「昔は餅を年の数だけ食べたもんじゃ。」
2つ食べたところで「もうお腹いっぱーい!」という母に、「年の数だけ食べんといけんのんで?」と言ってみると。
「ひとつで35歳分」という言葉が返ってきました・・・。
(それでも足りとらんで・・・)

母よ、今年も笑顔をありがとう。


皆さまも笑顔溢れる一年になりますように!!