海辺のねこ

どんな日もかけがえのない一日。

再会

2022-08-10 | ねこからの手紙
前回は何年前だっただろうか。
数年経って、ある日ばったり再会するということを繰り返している同級生がいる。

前々回に会ったとき、父と一緒にいる時だったからか、前回は「お父さん、元気?」と声を掛けられた。
残念ながら「他界したんよ」と答えなければならなかった。
随分驚かれたっけ。

今日、家の前にいたら、ゆっくりと近付いてきてピタリと横で止まり、窓を開ける車があった。
健康的に真っ黒に日焼けした同級生だった。

「今、この近くの現場で仕事をしとるんよ」
と言うので、
「変わらず頑張ってるんだね」
と返したら、
「独立したんよ。7年くらい前に」
という心躍るような言葉が耳に入ってきた。

  おめでとう!!!
  応援してるよ。

たまに見かけとるよ、と言っていたけれど。
次に言葉を交わすのはいつだろうね。
その時にはお互いにどんな変化をしているだろう。
楽しみにしています。


あなたは知っているでしょう

2022-08-06 | 思い、想う

*******
   慟 哭    大平(山田)数子

    1
逝ったひとはかえってこれないから
逝ったひとは叫ぶことが出来ないから
逝ったひとはなげくすべがないから

生きのこったひとはどうすればいい
生きのこったひとはなにがわかればいい
   (中略) 

  15
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう
正義ということを
正義とは
つるぎをぬくことでないことを
正義とは
〝あい〟だということを
正義とは
母さんをかなしまさないことだということを
みんな
母さんの子だから
子どもたちよ
あなたは知っているでしょう

「詩集ヒロシマ」1969  
『第二楽章ヒロシマの風』(角川文庫)より
*******

15章からなる詩「慟哭」の、最初と最後を抜粋しました。

【今、生きている私たちはどうすればいいのでしょう】
人の数だけ考え方があって、方法や手段があって。
全員一致で絶対にコレだ!という答えには、なかなか辿り着けないものかもしれません。
けれどもー。
見つめている先、向かう方向は一緒であって欲しいと切に願います。

どうぞ心も体も傷つくことなく・・・。
世界中の子どもたちの未来が、地球の未来が、明るいものでありますように。

  2022年 8月 6日 
  ひまわりの花言葉「愛慕」を添えて

ふたつ、お姉さん

2022-08-03 | 思い、想う

病院の待ち合いで隣合わせた女性から声を掛けられました。「お母様はおいくつ?」と。
「誕生日が来たら84歳になります」と答えたら、「やっぱりお若いと思ったわ」とニッコリ笑顔を向けられました。
その方は母より2歳お姉さんでした。

今年手術をして入院していたこと。
同部屋だった方が、ひとつ違いとふたつ違いだったこと。
3人の年が近く、戦争経験者で話が合ったこと。
おひとりの方が「歌を歌ってもいいですか?」と仰り童謡を歌うので、3人で他の部屋に聞こえないように歌っていたこと。
おかげで孤独にならなかったこと。
いろいろ話して下さいました。

「母もよく童謡や唱歌を歌うんですよ。足(腰)が痛いから歌でも歌うか~♪と言って」
そう返すと、
「そうなの。痛くて塞ぎこみそうになるんだけど、歌を歌ったり聞いていたら前向きになれるのよね。あのお二人と同じ部屋でよかったわ。私が一番先に退院したから、その後、お二人はどうしていらっしゃるかが気になって。先生にお聞きしたいけれど聞けないのよね」と、同部屋だった方を案じておられました。
どうぞお二方も元気に過ごされていますように。

2時間近くの待ち時間のうちの幾らかを、母も笑顔で過ごすことが出来ました。
やはりコミュニケーションは大切ですね。

写真は頑張って病院に行ったご褒美のお昼ごはんです。
母よ、痛い時にはまた一緒に歌を歌おうね。
もちろん楽しい時にも、ね♪
(今日も車中で歌いました~♪)

祖父の声

2022-06-28 | ねこからの手紙

お父様が船大工で、ご自身は船の模型を作るKさん。
ありがたいことにその方は、当社が持っていた船の資料や文章を見つけると「載っていたよ」とコピーをして届けて下さることがあります。
今朝もそうでした。

持ってきて下さったコピーの1枚には曾祖父の名前がしっかりと記されていて、もう1枚には当時関わりのあった方でないと、ここまで詳しく知らないだろうなという文章がありました。

その文章が気になって。気になって。
出典である『雁木のある風景 角田直一随筆集』を図書館で借りてきました。

これは、昭和61年に発行された本です。
だから、不思議だったんです。何方から話を聴いて書かれたのだろうと。
その時には曾祖父も祖父も他界していましたから。

読みながら込み上げるものがありました。
祖父の名前が刻まれていたのです。何と、昭和44年の10月に祖父から聞き書きをしたものでした。
それも奇跡のような巡り合わせとご縁で残された文章でした。

Kさんが届けて下さったコピーから、曾祖父と祖父の姿を感じることが出来ました。
私が2歳になる前(昭和46年7月)に他界した祖父の声を聞けたかのような気持ちになりました。

出来ることなら、祖父より一つ年上の著書の角田氏に直接お礼を伝えたかったのですが、その願いは叶いません。
そのかわりに、ここに残しておきます。

Kさんから頂いたコピーと私がコピーした『雁木のある風景』は、仏壇にお供え致しました。
人の思いに感謝。
奇跡のような巡り合いに感謝。
届けて下さってどうもありがとうございました。

生きているとね、今回のようなドラマチックなことが起きることがありますね。
もしかすると、あなたの明日にもー。

【追記】
講演会に招かれた著者と、講演会の主催者側の会長という立場で出会った祖父。
その講演会の会場が図書館で、聞き書きはその時に図書館の応接室で行われたようです。
まさかその図書館で、『雁木のある風景』をお借りすることになろうとは。
全てがミラクルでした。

桃畑の思い出

2022-04-05 | 思い出す事など

かれこれ30年ほど前のこと。
同僚の運転で取引先を訪れる際に、「良い道を見つけたから、今日はその道を通るわ」と言って見せてくれたのが眼下に広がる桃畑の風景でした。


駅の北側の道を通る時、いつも下側から見上げて楽しませてもらっていたけれど、上側からは眺めたことがなかったんですよね。
車中から眺めながら、感動しっぱなしだったことを覚えています。
この道を教えてくれた同僚くんに感謝です。


元気にしてるかなぁ。
桃の花、今年も見てるかなぁ。
私は倉敷からの帰りに寄り道をして眺めたよ。


桃農家の皆さん、いつもおいしい桃を生産してくださってどうもありがとうございます。
全国、否、世界に誇れる岡山県の桃。
どうぞ無事に成長し、豊作でありますように。

※ 写真の玉島八島・富田の桃畑は、環境省の「かおり風景100選」に選ばれています。

「悠久の時を旅する」

2021-09-29 | 芸術・文化

大好きな写真家・表現者である星野道夫さんの特別展「悠久の時を旅する」を観に、岡山県立美術館へ開館時間をめがけて行ってきました。

146点もの写真と直筆の手紙や原稿、カメラや取材ノートなどの貴重な展示もあり、ファンだけではなく何方がご覧になっても見応えのある特別展だと思います。

2日前の9月27日がお誕生日だった星野さん。ご存命であれば69歳になられていました。
会場に展示されている最後の1枚の写真を観て、何とも言えない気持ちになったけれど…。
こうして写真展が開催されたり、紡がれた言葉が読み継がれていく限り、星野さんの想いはずっとずっと生き続けていくのだと思います。

それにしても、何と生命力にあふれた写真たちなのでしょう。
カリブーにムース、グリズリー、オオカミ、フクロウ、ホッキョクグマ等々。
肉食動物だとわかっていても、思わず撫でてみたくなるような毛の質感。
植物たちの色鮮やかさ。
そして、それぞれが持つ時の流れ。
水の輪廻という言葉には、妙に納得し感動しました。

記念のお土産は、毎年のように購入している卓上カレンダーだけにするつもりでしたが…。(写真集・書籍はほぼ持っているので)
6人の寄稿が新たに加えられた『悠久の時を旅する』の新版と、星野さん特集が掲載されている「coyote」の最新号も購入しました。
読書の秋を満喫しようと思います。


美術館に行くということで、テーマに沿った着物で出かけることにしたのだけれど。
いやはやコーディネートに悩みました。袷の時期だったら迷わず深緑色の着物を選んでいたでしょう。星野さんが撮る森の緑色が好きなので。
しかし今はまだ単衣の時期です。悩んだ末に花柄の大島紬にポピーかな?と思っている柄の帯を合わせました。
ご自宅の前に山ほど種をまいてお花を咲かせていらっしゃったし、ポピーの写真も撮られていたのでね。


まん防ということで、仕事と生活必需品の買い物以外は、99%おうち生活でしたが…。
星野さんの写真展は絶対に逃したら後悔するわ!と思い、早々に足を運びました。
行けてよかった。至福の時間となりました。感謝です。

F先生との想い出

2021-09-21 | ねこからの手紙

今年の始めに大学時代の恩師の訃報が届いた。
体調を崩されていることを聞いてはいたけれど、こんなに早く旅立たれるとは思っていなかった。

とても個性的な先生だったので、印象的なエピソードには事欠かない。
ゼミ仲間たちと電話やLINE等で連絡を取り合い思い出話をしたのだけれど、あんなことがあった、こんなことがあったと話が尽きなかった。
ここには面白エピソードではなく、今でも感謝していることを記しておきたいと思う。

それは、学科の全学生必修の講義の最初の時間でのことだった。
「今日は図書館に行きます」
そう言って先生は先頭に立ち、図書館の中をぐるぐると巡り案内し始めた。
「ここには辞典が、こちらにはこんなジャンルの本が」等と、大まかに次から次へと説明していく。
そして最後におっしゃった。
「自分で調べるのが勉強です」と。
この講義がきっかけで、その後に先生のゼミを選択したと言っても過言ではない。
“自分で調べることの大切さ”を学生生活の最初に教わったことはとても大きかったと思う。今も心に刻んだままだ。

あらゆる情報であふれている現在、その中からより良いもの・真実を見極めることに難しさを感じることがある。
特に今、コロナ禍でいろいろな情報が飛び交っている。中でも、いのちに直結する医療に関してはとても重要だ。
そんな時、恩師の姿勢と言葉を思い出す。
医療において基本の“き”を示した上で、それに沿って発信して下さる方の言葉は信頼できるし、ありがたい。

ここまで綴りながらずっと頭の中に浮かんでいたことがある。
「難しいことを難しく書くのは下手な文章だ。難しいことをやさしく表現できるのが上手い文章。人に伝わらなければ意味がない」
これも先生から教わったことである。
決して難しいことを書こうとしたわけではないけれど。
果たしてこの文章で、先生への思いが少しは伝わったのだろうか…。

F先生、最初の講義で一生ものの教えを授けて下さりどうもありがとうございました。
またいつの日か、先生の講義を聴けたらなと思います。

*写真は、大学4年の時のFゼミの仲間たち。撮影者はF先生。
 一番高いところまでのぼっているのが私です。
 楽しかったな。

父の友人

2021-07-09 | 思い、想う

数日前、友人から仕事の注文を頂きました。
すると何と、そこから父の学生時代の友人と繋がるというミラクルが起きました。
そしてさらに今日、その方とお会いできたのです。

父は母と結婚して後を継ぐまで、社会人になってからの10年間を機械の設計士として働いていました。
今日お会いすることのできた方は、機械関係の会社の代表をしていらっしゃったのでー。
一緒に仕事をしないかと誘ってくださったことがあったそうです。
(父からもその話は聞いてたなぁ)

父の本棚には、転職後に役立てたのであろうたくさんの本と一緒に、機械関係の本もずっと並んだままでした。
(あと、趣味の空手の本もね。中には師匠が書かれた本もあります。)


やっぱり機械関係の仕事が好きだったんだろうなぁ。
大工仕事や何かしら「つくる」ことが得意だったしね。

父の友人から父の若い頃の話を聞かせて頂けて、私からはその後の話をすることが出来てよかったな。
ご縁に感謝ですね。



「絵本作家 葉祥明 -風景に託すはるかな想い」

2021-04-28 | 芸術・文化


閉館1時間前の笠岡市立竹喬美術館を訪れてきました。
現在開催中の特別展「絵本作家 葉祥明 -風景に託すはるかな想い」を観るために。
https://www.city.kasaoka.okayama.jp/site/museum/

大好きな葉祥明さん。
(1993年10月には北鎌倉の葉祥明美術館を訪れました。)
岡山県内で作品展があるならば、見逃すわけにはいきません。

初公開の油絵を拝見できて感激しました。
そして改めて葉祥明さんのブルー系とグリーン系の色が好きだな、と思いました。
展覧会開催にあたっての、竹喬さんへの言葉も心に響いたなぁ。
(図録があったら購入したかったくらいに)

今回、特別展と同時開催で竹喬さんの空を中心とした作品が展示されています。
空や雲を多く描くようになったのは、長男・春男さんの存在が大きく影響しているそうなのですが…。
今回の展覧会で、春男さんの「屏風絵 茄子」に再会することができました。
2006年6月に岡山市デジタルミュージアムで開催された「未完の夢 無言館展」で一度拝見したことのある絵です。

(「無言館」にあるはずの絵が、どうして今ここに?)
そう思い、帰り際に受付の方に尋ねてみたところ、「現在、無言館にあるのはレプリカなのです」と教えて下さいました。笠岡市立竹喬美術館にあるのが本物だそう。
経緯をお聞きして目頭が熱くなりました。
笠岡にようこそおかえりなさいませ。

ふたつの展覧会を通して、強く平和を願ったひとときとなりました。


いのちを想う歌

2020-12-05 | 思い、想う

願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ 
西行『山家集』

私が西行とこの歌の存在を知ったのは、父が教えてくれたからだ。
「花の頃じゃなくて、ワシは年の初めがいいなぁ」と。
何度も父の口から発せられたこの歌は、いつの間にか自然に覚えていた。

魚の話をする機会に恵まれたとき、頂いた時間分を語るだけの情報を持っていたとしても、それにまつわる何か興味深いネタはないかと調べることにしている。
先日も調べていたところ、西行の歌に出会った。

立てそむるあみとる浦の初竿は つみのなかにもすぐれたるらむ
西行『山家集』

これは、アミをとっている風景を児島で見て詠んだものだ。
岡山の地で西行は、児島の他に真鍋・渋川・牛窓でも海辺に暮らす人々と営みのことを詠んでいる。
「人は、いのちをいただきながら生きている」
そのことに深く思いを巡らせた僧侶である西行の胸中は、いかばかりだったのだろう。

今日もあらゆるいのちにありがとう。

※ 写真は『現代語訳 日本の古典9 西行・山家集』井上靖(学研)より。