本日のタイトル、
「誠実にたくましく」
これは母校(中学)の校訓です。
ここのところ、この言葉が頭の中を巡っています。
今年はこの言葉を胸に、頑張っていこうと思っています。
中学時代には、言葉の持つ意味をそこまで深く考えていなかった私。
今の歳になって、ずっしりと感じるようになりました。
歳月を経て見えてくるもの、ってありますよね。
ここ数年、ずっと答えを出さなければと思っていたことがありました。
その答えを、やっと出すことができました。
誠実に、たくましく―。
そういう生き方ができているのだろうかと、反省することも多々あります。
でも、不器用ながらも一歩一歩着実に前進していけたらな、と思っています。
今、押尾コータロー「Nature Spirit」をBGMにこのブログを綴っています。
ここまで書いて、ちょうどビートルズのカバー曲「IN My LIFE」が流れてきました。
大好きなこの曲が応援してくれている、そんな気持ちを今感じています。
さて、皆さんは母校の校訓を覚えていらっしゃいますか?
それはどんな言葉でしたか?
もしかしたら、今の生活にとてもとてもヒントを与えてくれるものかもしれませんね。
「誠実にたくましく」
これは母校(中学)の校訓です。
ここのところ、この言葉が頭の中を巡っています。
今年はこの言葉を胸に、頑張っていこうと思っています。
中学時代には、言葉の持つ意味をそこまで深く考えていなかった私。
今の歳になって、ずっしりと感じるようになりました。
歳月を経て見えてくるもの、ってありますよね。
ここ数年、ずっと答えを出さなければと思っていたことがありました。
その答えを、やっと出すことができました。
誠実に、たくましく―。
そういう生き方ができているのだろうかと、反省することも多々あります。
でも、不器用ながらも一歩一歩着実に前進していけたらな、と思っています。
今、押尾コータロー「Nature Spirit」をBGMにこのブログを綴っています。
ここまで書いて、ちょうどビートルズのカバー曲「IN My LIFE」が流れてきました。
大好きなこの曲が応援してくれている、そんな気持ちを今感じています。
さて、皆さんは母校の校訓を覚えていらっしゃいますか?
それはどんな言葉でしたか?
もしかしたら、今の生活にとてもとてもヒントを与えてくれるものかもしれませんね。
****************
星の降った日の朝に
還っていった優しい友よ
星の降るという日の朝に
還っていったあの人よ
星が降るという日には
夜空を仰ぎ 想い出す
何を願うわけでもなく
ただ宇宙に包まれて
あなたを 傍に感じよう
星降る夜には
いつもより ずっと近くに―。
*****************
今宵、星が降ります。
<2007年 ふたご座流星群>
予想出現ピークは12月14日から15日の夜。
15日午前3時に極大(流星活動のピーク)を迎えると考えられています。
月明かりもなく、好条件で観察できます。
みなさんは、流星群を見て何を思うのでしょう。
何を感じるのでしょう。
私はいつも友を思い出します。
夜空を眺める際には、暖かくしてご覧になってくださいね。
星と共に、たくさんの幸せがあなたの元へと降り注ぎますように。
星の降った日の朝に
還っていった優しい友よ
星の降るという日の朝に
還っていったあの人よ
星が降るという日には
夜空を仰ぎ 想い出す
何を願うわけでもなく
ただ宇宙に包まれて
あなたを 傍に感じよう
星降る夜には
いつもより ずっと近くに―。
*****************
今宵、星が降ります。
<2007年 ふたご座流星群>
予想出現ピークは12月14日から15日の夜。
15日午前3時に極大(流星活動のピーク)を迎えると考えられています。
月明かりもなく、好条件で観察できます。
みなさんは、流星群を見て何を思うのでしょう。
何を感じるのでしょう。
私はいつも友を思い出します。
夜空を眺める際には、暖かくしてご覧になってくださいね。
星と共に、たくさんの幸せがあなたの元へと降り注ぎますように。

大きなこと、小さなこと。
日々いろいろなことが起こります。
その都度、最良の方法を探り乗り越えながら、一歩一歩前にすすむ―。
人生とはその繰り返しのような気がします。
それは誰でも同じこと。
私も例外ではなく、いろんなことが起こります。
今年は特にそう感じながら過ごしています。

乗り越えようと思うことがあるとき、どうしても力が入ってしまいますよね。
そんな時でも心の緊張を解してくれるものに気付くことが出来たなら、きっとまだまだ大丈夫。
私にとってのそれは、人の笑顔やキラキラ輝く瞳であったり、可憐に咲く花であったり。
誰かから届けられる優しさであったりします。

今日、友人から突然電話がありました。
「今、家の前まで来てるんだけど」、と。
久しぶりに会い、お茶を飲みながらゆっくりと話す時間―。
赤ちゃんの頃から知っている彼女の二人の娘さん達(中3、小6)も一緒の、女だけの茶話会。
至福の時でありました。
こんな幸せな時間があるからこそ、また一歩踏み出せるのでしょうね。
Hさん、Hちゃん、Mちゃんどうもありがとう。

*写真のバラは、ピンクマシュマロ、オプティマネプチューン、ブルームーンです。
わたしが一番きれいだったとき 茨木のり子
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手先ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
8月15日、終戦記念日。
先に記した茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」を、この日になるといつも思い出します。
茨木のり子さんは戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人です。
そして私の尊敬する方。
作品から感じられる考え方や生きる姿勢は、私にとって指針となってます。
この詩に出合ったのは、教育実習の研究授業の題材としてでした。
高校2年の国語科の教科書に載っていたのです。
数ある茨木のり子さんの詩の中でも、特別な思いを持って接する作品となりました。
それにしても、最初にこの作品が題材だと聞かされたときには悩みました。
きちんと教えられる、否、伝えられるだろうかと―。
私自身、特に詩は“感じるもの”だと思っています。
文法や言葉の意味、背景を教えられはしても、その先はそれぞれの想い次第。
この作品を読むことで、彼らの心に<何か>が芽生えてくれていたならば、と今でも思うことがあります。
戦争というものに対して少しでも考える時間となったならば、と。
何かを感じ、考え、そして想像する。
想像できれば、あとは実行に移すのみ。
世界中、ほとんどの人たちが「平和」を願っていると思います。
そして「平和」な世界を想像していると思います。
でも。
いきなり大きなところに目を向けると「何から始めたらいいか」「どうしたらいいのか」と思うこともありますよね。
まずは自分の周りから。
家族を大切にすること。それから親戚、友人、ご近所さん。
仕事仲間や買い物先で出会った店員さん等、普段出会う人たち。
みんなが、みんなに“笑顔”で“ありがとう”の気持ちで接することが出来たならば。
そうすれば、きっときっと「平和な世界」が待っていると思うのです。
もちろん、腹が立つことや怒りを感じることはあります。
いつもいつも平穏な気持ちでばかりはいられません。
そんな時でも、ちょっとだけ立ち止まって考えてみる―。
想像しよう。そして実行に移そう。
今日のこの日、また自分自身の思いを新たにします!
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手先ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
8月15日、終戦記念日。
先に記した茨木のり子さんの詩「わたしが一番きれいだったとき」を、この日になるといつも思い出します。
茨木のり子さんは戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人です。
そして私の尊敬する方。
作品から感じられる考え方や生きる姿勢は、私にとって指針となってます。
この詩に出合ったのは、教育実習の研究授業の題材としてでした。
高校2年の国語科の教科書に載っていたのです。
数ある茨木のり子さんの詩の中でも、特別な思いを持って接する作品となりました。
それにしても、最初にこの作品が題材だと聞かされたときには悩みました。
きちんと教えられる、否、伝えられるだろうかと―。
私自身、特に詩は“感じるもの”だと思っています。
文法や言葉の意味、背景を教えられはしても、その先はそれぞれの想い次第。
この作品を読むことで、彼らの心に<何か>が芽生えてくれていたならば、と今でも思うことがあります。
戦争というものに対して少しでも考える時間となったならば、と。
何かを感じ、考え、そして想像する。
想像できれば、あとは実行に移すのみ。
世界中、ほとんどの人たちが「平和」を願っていると思います。
そして「平和」な世界を想像していると思います。
でも。
いきなり大きなところに目を向けると「何から始めたらいいか」「どうしたらいいのか」と思うこともありますよね。
まずは自分の周りから。
家族を大切にすること。それから親戚、友人、ご近所さん。
仕事仲間や買い物先で出会った店員さん等、普段出会う人たち。
みんなが、みんなに“笑顔”で“ありがとう”の気持ちで接することが出来たならば。
そうすれば、きっときっと「平和な世界」が待っていると思うのです。
もちろん、腹が立つことや怒りを感じることはあります。
いつもいつも平穏な気持ちでばかりはいられません。
そんな時でも、ちょっとだけ立ち止まって考えてみる―。
想像しよう。そして実行に移そう。
今日のこの日、また自分自身の思いを新たにします!
8月6日 広島原爆の日
8月9日 長崎原爆の日
8月15日 終戦記念日
毎年8月は、思いを新たにする月です。
世界の平和を改めて願う、月。
先日見た、とあるテレビ番組でのこと。
テーブルいっぱいに並べられたスイーツを目の前にし、黒柳徹子さんが、
「私が子供の頃は、甘いお菓子なんて全く食べられませんでした。
日本は何て平和な国になったのでしょう。涙が出てくるわ」
このような内容のことをおっしゃいました。
目頭を押さえるその姿を拝見し、ユニセフ親善大使でもいらっしゃる黒柳さんの胸中を思いました。
日本の平和を思うと同時に、今も厳しい状況下にいる世界の子ども達のことが去来していたのでは、と感じたのです。
今この時も、爆撃の恐怖にさらされている国があります―。
62年前のわが国は、沖縄では本土決戦があり、広島、長崎には原爆が投下されました。
その他多くの町も空襲により焼け野原になりました。
たくさんの、尊い命が失われたのです。
想像を絶するであろう悲しみと苦しみの中、先人方は希望を持って命をつなぎ、今の世の中を作ってくださいました。
「平和」は、いつもそこにあるとは限りません。
一人一人が平和な世界を願い、平和を築いていこうという思いの強さと努力が必要です。
戦争体験を語ってくださる方、音楽や芸術を通して平和のメッセージを届けてくださる方。
大切な人たちの笑顔。
様々な方法で、その思いは届けられています。
思いは必ず広がっていきます。
大切な人から、大切な人へ。
大切な人の笑顔がずっと守られますようにと―。
まずは自己の心の平安から。
未来の子供たちに、平和な世界を引き継げますように。
【付記】
今年の広島の「平和宣言」で触れられていた平和市長会議。
現在122カ国、1698都市で構成されているそうです。
会長は広島市長、副会長に長崎市長。
「平和市長会議規約」には、
「世界の恒久平和の実現に寄与するために、世界の都市と都市が国境を越え、思想・信条の違いを乗り越えて連帯し、核兵器の廃絶に向けて努力することを誓うもの」
とあります。
参加都市の多い国は、ドイツ、ベルギー、イタリアです。
ドイツ 287都市
ベルギー 253都市
イタリア 206都市
核保有国では、
アメリカ 98都市
イギリス 45都市
フランス 81都市
ロシア 13都市
中国 7都市
我が国「日本」は、広島、長崎の2都市のみ、です。
今回調べてみて、はじめて知った事実でした。
8月9日 長崎原爆の日
8月15日 終戦記念日
毎年8月は、思いを新たにする月です。
世界の平和を改めて願う、月。
先日見た、とあるテレビ番組でのこと。
テーブルいっぱいに並べられたスイーツを目の前にし、黒柳徹子さんが、
「私が子供の頃は、甘いお菓子なんて全く食べられませんでした。
日本は何て平和な国になったのでしょう。涙が出てくるわ」
このような内容のことをおっしゃいました。
目頭を押さえるその姿を拝見し、ユニセフ親善大使でもいらっしゃる黒柳さんの胸中を思いました。
日本の平和を思うと同時に、今も厳しい状況下にいる世界の子ども達のことが去来していたのでは、と感じたのです。
今この時も、爆撃の恐怖にさらされている国があります―。
62年前のわが国は、沖縄では本土決戦があり、広島、長崎には原爆が投下されました。
その他多くの町も空襲により焼け野原になりました。
たくさんの、尊い命が失われたのです。
想像を絶するであろう悲しみと苦しみの中、先人方は希望を持って命をつなぎ、今の世の中を作ってくださいました。
「平和」は、いつもそこにあるとは限りません。
一人一人が平和な世界を願い、平和を築いていこうという思いの強さと努力が必要です。
戦争体験を語ってくださる方、音楽や芸術を通して平和のメッセージを届けてくださる方。
大切な人たちの笑顔。
様々な方法で、その思いは届けられています。
思いは必ず広がっていきます。
大切な人から、大切な人へ。
大切な人の笑顔がずっと守られますようにと―。
まずは自己の心の平安から。
未来の子供たちに、平和な世界を引き継げますように。
【付記】
今年の広島の「平和宣言」で触れられていた平和市長会議。
現在122カ国、1698都市で構成されているそうです。
会長は広島市長、副会長に長崎市長。
「平和市長会議規約」には、
「世界の恒久平和の実現に寄与するために、世界の都市と都市が国境を越え、思想・信条の違いを乗り越えて連帯し、核兵器の廃絶に向けて努力することを誓うもの」
とあります。
参加都市の多い国は、ドイツ、ベルギー、イタリアです。
ドイツ 287都市
ベルギー 253都市
イタリア 206都市
核保有国では、
アメリカ 98都市
イギリス 45都市
フランス 81都市
ロシア 13都市
中国 7都市
我が国「日本」は、広島、長崎の2都市のみ、です。
今回調べてみて、はじめて知った事実でした。
日曜日の毎日新聞「本と出会う―批評と紹介」のページに掲載されている「好きなもの」というコラムをご存知でしょうか。
毎回、著名人が3つの好きなものを挙げ、その理由や思いを短く語っています。
いつも楽しく読ませていただいているこのコラム。
今回(6/10)は冨士眞奈美さんの「好きなもの」でした。
3つのうちの最後のひとつがとても心に残りました。
皆さんにもご紹介させて頂きますね。
6月10日付「毎日新聞」より
************************************
③甘い言葉。岸田今日子の「二人(和子と私)に会う日は朝から嬉しくてそわそわするの」という言葉が、夢幻の如く甦る。率直に甘い言葉を撒くこと。それは人を幸せにしてくれる。思い出して、白いご飯の上に涙が落ちる。
************************************
(注:引用した文中にある“和子”とは吉行和子さんのこと)
「率直に甘い言葉を撒くこと。それは人を幸せにしてくれる。」
この言葉を目にした時、本当にそうだなぁと思いました。
本心から語られる甘い言葉は、本当に嬉しいものです。
言われると嬉しいのですが、照れたり、恥ずかしかったりもします。
でも。
学生時代に友人・美奈子さんから学びました。
誉めて下さったり、甘い言葉を頂いたら、「ありがとうございます」と嬉しさをそのまま表現することを。
「そんなことないですよ」という言葉よりも、笑顔で「ありがとう」と応えられた方が、伝えた側も嬉しくなります。
謙遜は美徳。
けれど、素直に幸せ気分を表現するのも素敵なことです。
幸せな気持ちにさせて下さった方への、ささやかなるお返しと思っています。
素敵なことを見つけたら、言葉に出してみる。
きっと周りに笑顔が広がると思います。
私も実践しなくっちゃ!
毎回、著名人が3つの好きなものを挙げ、その理由や思いを短く語っています。
いつも楽しく読ませていただいているこのコラム。
今回(6/10)は冨士眞奈美さんの「好きなもの」でした。
3つのうちの最後のひとつがとても心に残りました。
皆さんにもご紹介させて頂きますね。
6月10日付「毎日新聞」より
************************************
③甘い言葉。岸田今日子の「二人(和子と私)に会う日は朝から嬉しくてそわそわするの」という言葉が、夢幻の如く甦る。率直に甘い言葉を撒くこと。それは人を幸せにしてくれる。思い出して、白いご飯の上に涙が落ちる。
************************************
(注:引用した文中にある“和子”とは吉行和子さんのこと)
「率直に甘い言葉を撒くこと。それは人を幸せにしてくれる。」
この言葉を目にした時、本当にそうだなぁと思いました。
本心から語られる甘い言葉は、本当に嬉しいものです。
言われると嬉しいのですが、照れたり、恥ずかしかったりもします。
でも。
学生時代に友人・美奈子さんから学びました。
誉めて下さったり、甘い言葉を頂いたら、「ありがとうございます」と嬉しさをそのまま表現することを。
「そんなことないですよ」という言葉よりも、笑顔で「ありがとう」と応えられた方が、伝えた側も嬉しくなります。
謙遜は美徳。
けれど、素直に幸せ気分を表現するのも素敵なことです。
幸せな気持ちにさせて下さった方への、ささやかなるお返しと思っています。
素敵なことを見つけたら、言葉に出してみる。
きっと周りに笑顔が広がると思います。
私も実践しなくっちゃ!
いつも頭のどこかで思いを巡らしているのだが、うまくまとまらないことがある。
言葉にしようと思っても核心になる部分には到達出来ず、その付近をグルグルと回っているような・・・。
表現しようとすると、全てに繋がっていくものだから長くなってしまう。
どうにかならないものだろうか―。
皆さん、こんなことを思ったことはことはございませんか?
ここ最近、私はまさにそのような渦の中にいました。
しかし、ふとしたことがきっかけとなり心の中で絡み合っていた糸がするすると解けていくことがあります。
どこかでヒントに出合うものなのですよね。
私も、おかげ様でいいタイミングで出合えました。
ひとつは、今読んでいる田口ランディ『寄る辺なき時代の希望』(春秋社)の中の言葉。
ストンと肩の荷が下りた気がしました。
そしてもうひとつ。
ブログご近所さんのomotannさんが書かれた記事、5月31日付「気になる言葉遣い」。
様々な方向から考えるきっかけとなりました。
このところ、先日目にした新聞記事のほんの一言にずっととらえられていたのです。
(これは単なる情景描写?)
(読者がイメージしやすいから?)
(敢えて選んだ?それとも無意識?)
(字数合わせで、こういう表現になった?)
いくら客観的に表現しようと思っても、そこには伝える側の意識が織り込まれています。
意図的でなく無意識だとしても、その人の持っている価値観が反映されてしまいます。
それが全てだと思われがちな報道の場でも、然り。
“敢えて”“意図的に”普通は選ばないであろう言葉を使用し、思いを表現することもあると思います。
しかしそれは、読み手の読解力と度量を必要とします。
言葉選びは本当に難しいと思った出来事でした。
この新聞記事の一言についてブログに書こうと思ったのですが、まとまりませんでした・・・。
そこから拡がり、思うことが多すぎて―。
いろいろ考えているうちにヒントに出合い、自分の中で折り合いがついた気がします。
たまには熟考してみるものですね。
*************************************
不自由極まる規約のなかで1冊の本を書き上げた人に、日本文学史の研究者で筑波大の名誉教授、小西甚一さんがいる◆講談社学術文庫に収められた「俳句の世界」は、全編、流れるような筆の運びで、読む人に制約の窮屈さを少しも感じさせない。中国文学者、高島俊男さんの評言を借りれば、「奇跡の名文」である◆小西さんの訃報(ふほう)を聞く。享年91。「編集手帳」は文字数の制約がきついものだから、どうも言葉足らずになってしまい…と、日ごろ言い訳ばかりの身である。碩学(せきがく)の名文を読み返しては、心ひそかに恥じ入る。
*************************************
上記は本日の読売新聞「編集手帳」より。
「編集手帳」はとても好きな文章のひとつで、日頃から楽しみに読ませて頂いています。
今日のあまりに正直な告白に驚きつつも、書くことのプロでもこんな風に感じているのだな、と思いました。
私が難しいと思うのは当然か・・・。
「奇跡の名文」を読んで、勉強させて頂かねば。
話は変わり、仕事で感動したことをひとつ。
取引先に「もしご存知だったら教えてください」と尋ねたことがありました。
すると「すぐに知っている者に確認します」と電話をして下さったのです。
即行。
そんなに大した内容ではなかったのですが・・・。
仕事が出来る方というのは、後回しにしないんですね。
今出来ることは直ぐにやる。
見習いたいものです。
言葉にしようと思っても核心になる部分には到達出来ず、その付近をグルグルと回っているような・・・。
表現しようとすると、全てに繋がっていくものだから長くなってしまう。
どうにかならないものだろうか―。
皆さん、こんなことを思ったことはことはございませんか?
ここ最近、私はまさにそのような渦の中にいました。
しかし、ふとしたことがきっかけとなり心の中で絡み合っていた糸がするすると解けていくことがあります。
どこかでヒントに出合うものなのですよね。
私も、おかげ様でいいタイミングで出合えました。
ひとつは、今読んでいる田口ランディ『寄る辺なき時代の希望』(春秋社)の中の言葉。
ストンと肩の荷が下りた気がしました。
そしてもうひとつ。
ブログご近所さんのomotannさんが書かれた記事、5月31日付「気になる言葉遣い」。
様々な方向から考えるきっかけとなりました。
このところ、先日目にした新聞記事のほんの一言にずっととらえられていたのです。
(これは単なる情景描写?)
(読者がイメージしやすいから?)
(敢えて選んだ?それとも無意識?)
(字数合わせで、こういう表現になった?)
いくら客観的に表現しようと思っても、そこには伝える側の意識が織り込まれています。
意図的でなく無意識だとしても、その人の持っている価値観が反映されてしまいます。
それが全てだと思われがちな報道の場でも、然り。
“敢えて”“意図的に”普通は選ばないであろう言葉を使用し、思いを表現することもあると思います。
しかしそれは、読み手の読解力と度量を必要とします。
言葉選びは本当に難しいと思った出来事でした。
この新聞記事の一言についてブログに書こうと思ったのですが、まとまりませんでした・・・。
そこから拡がり、思うことが多すぎて―。
いろいろ考えているうちにヒントに出合い、自分の中で折り合いがついた気がします。
たまには熟考してみるものですね。
*************************************
不自由極まる規約のなかで1冊の本を書き上げた人に、日本文学史の研究者で筑波大の名誉教授、小西甚一さんがいる◆講談社学術文庫に収められた「俳句の世界」は、全編、流れるような筆の運びで、読む人に制約の窮屈さを少しも感じさせない。中国文学者、高島俊男さんの評言を借りれば、「奇跡の名文」である◆小西さんの訃報(ふほう)を聞く。享年91。「編集手帳」は文字数の制約がきついものだから、どうも言葉足らずになってしまい…と、日ごろ言い訳ばかりの身である。碩学(せきがく)の名文を読み返しては、心ひそかに恥じ入る。
*************************************
上記は本日の読売新聞「編集手帳」より。
「編集手帳」はとても好きな文章のひとつで、日頃から楽しみに読ませて頂いています。
今日のあまりに正直な告白に驚きつつも、書くことのプロでもこんな風に感じているのだな、と思いました。
私が難しいと思うのは当然か・・・。
「奇跡の名文」を読んで、勉強させて頂かねば。
話は変わり、仕事で感動したことをひとつ。
取引先に「もしご存知だったら教えてください」と尋ねたことがありました。
すると「すぐに知っている者に確認します」と電話をして下さったのです。
即行。
そんなに大した内容ではなかったのですが・・・。
仕事が出来る方というのは、後回しにしないんですね。
今出来ることは直ぐにやる。
見習いたいものです。
先日、伯父の一周忌の法要がありました。
その日の説法は、「食」に関することでした。
日本で毎日廃棄処分にされているお弁当の数は、300万食だとか―。
これはお弁当の数であって、レストランでの食べ残しや、店頭で売られている食材の残品の数は含まれていません。
毎日、300万食・・・。
「私達大人が考え直していかなければいけません。この言葉を是非覚えて帰ってください。」
と、住職が紹介して下さった言葉があります。
【家は漏らぬほど、食は飢えぬほどにて事足れり】
これは『南方録』に収められた千利休の言葉です。
「食」に関する仕事をしている私。
心にしっかり刻んでおこうと思います。
【付記】
うちの会社の社長が、回覧板などに自分の印としていつも押す判子の文字は、苗字ではありません。
わざわざ彫ってもらった言葉が記されているのです。
上から時計回りに刻まれた「吾唯足知」(われただたることをしる)という文字。
自らへの戒めの意図が込められているようですが、見ている私達も気が引きしまる思いがしています。
その日の説法は、「食」に関することでした。
日本で毎日廃棄処分にされているお弁当の数は、300万食だとか―。
これはお弁当の数であって、レストランでの食べ残しや、店頭で売られている食材の残品の数は含まれていません。
毎日、300万食・・・。
「私達大人が考え直していかなければいけません。この言葉を是非覚えて帰ってください。」
と、住職が紹介して下さった言葉があります。
【家は漏らぬほど、食は飢えぬほどにて事足れり】
これは『南方録』に収められた千利休の言葉です。
「食」に関する仕事をしている私。
心にしっかり刻んでおこうと思います。
【付記】
うちの会社の社長が、回覧板などに自分の印としていつも押す判子の文字は、苗字ではありません。
わざわざ彫ってもらった言葉が記されているのです。
上から時計回りに刻まれた「吾唯足知」(われただたることをしる)という文字。
自らへの戒めの意図が込められているようですが、見ている私達も気が引きしまる思いがしています。