紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

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我流欧州見聞録(4)…スペイン・マドリードとトレドへ

2020-02-28 10:41:46 | 日記

                        <マドリードの中心街は、片道4-5車線だが、PM11時ころの渋滞は凄い、凄い>

 

4か国目は、スペインです。スペインと言うと、闘牛やフラメンコを連想すかもしれませんが、マイナーなところでは「シェスタ」が有名です。原則13:00~16:00の3時間は昼休憩(昼寝を指すことも多い)。私たちが訪れた1993年(平成5年)は、ECに加盟直後で(のちにEUとなる)、シェスタの風習が変わりつつありました。すでに百貨店ではシェスタが廃止されていましたし、EU加盟後は、公務員のシェスタが廃止されました。

シェスタがあれば、当然終業時間が午後9時ころとなります。驚いたのは、帰宅のラッシュアワーが、午後9時~11時ころだったことです。日本で言えば、深夜に近い11時ころに小学生くらいの子供が、街をふらついており、BARに出入りしていることでした。BARは、日本で言うバーではなく、喫茶店に近い。もちろん子供でもワイン等は水代わりに飲んでいるという(驚)…。

 


AM9時ローマ発のアリタリア機で、マドリードに向かうということで、午前7時過ぎにローマ市内のホテルを出発。しかし空港では、定刻の時間が過ぎても、搭乗のアナウンスがない…これを「イタリア時間」というとか。ちょっぴり可愛いキャビンアテンダントでイタリア時間が帳消しに…(笑)。

 


マドリードが近くなると、赤と緑が入り混じった大地が続く。緑はオリーブ畑とのこと。

 


街のあちこちに「ドンキホーテとサンチョパンサ」の像がある。
(注)「ドン・キホーテ」は、スペインの作家ミゲル・セルバンテスの小説(1605年発表)、騎士道物語の読みすぎで、現実と物語の区別がつかなくなった主人公が、自らを遍歴の騎士と任じ、やせ馬ロシナンテにまたがり、ロバに乗ったサンチョパンサを伴に、冒険の旅に出かける物語。

 


昼食をとったレストランの入り口にも、ドンキホーテらしき像がある。

 


11月13日(土)は、マドリードから約70㎞離れた、旧首都のトレドの市街を見学。かつて15-6世紀には、ここトレドがスペインの中心で、城塞都市となっています。旧市街地は「世界遺産」に登録されています。

 


街はまるで迷路のように入り組んで、狭まい。敵の攻撃を避けるために作られた、といわれています。

 


この城塞都市内部には、トレド大寺院(1227年着工~1493年完成)や、画家エルグレコの美術館等があります。空が抜けるような青空で気持ちがいい。なお、大寺院の宝物殿(入館料350ペセタ≒300円弱)では、当時君臨していたイザベラ女王の王冠が展示されていました。

 


左が日本人通訳の女性。右が…野坂昭如氏ではありません。スペイン人の通訳士です。野坂昭如に似ている…本人もそれが自慢だとか。外国では、通訳が二人以上義務付けられている国が多いです。現地人の仕事の機会確保が目的とか。

 


トレドの郊外には、エル・グレコのアトリエがあります。

 


スペインは陶芸等の工芸の街でもあります。工房を自由に見せてくれます。

 


市庁舎前の広場でくつろぐ若者たち。若者の失業率が高いとか…

 


プラド美術館の前に建つゴヤの銅像。美術館には著名な作品がたくさん収蔵されています。

 


現在は写真撮影禁止らしいですが、当時はOKでした。世界3大美術館と言われるだけあって、見たことのある有名な絵画がたくさん。

 


これも有名な絵です。ベラスケスの「皇女マルガリータ」(原題は「女官たち」)です。ベラスケス自身は、キャンバスに向かって絵を書いている最中。最奥にの人物は、マルガリータの父親で、フイリペ4世国王です。マルガリータの肖像は計6点書かれていますが、最後の1点は、マルガリータが18歳の時のもので、嫁ぎ先であるオーストリア皇帝ハプスブルグ家に贈呈されています。

 


ゴヤの作品で有名な「着衣のマハ」と「裸のマハ」です。

 


夕食は、フラメンコショー付きで、9時~10時が食事。10時~11時がショータイム。
☆食事は「パェーリア」ですが、日本で食べるパェーリアとは多少違う感じ。塩辛く、コメには芯が残っていて食べずらかった。食事の後のデザートには、必ずアイスクリームやシャーベットなどの甘味物が付いてくる。
☆劇場専属のスペイン人カメラマン氏が盛んにわれらを写真撮影。1枚1000ペセタ≒850円、購入は強制ではないが、グループの8-9割の人が購入。ところが隣のアメリカ人らしきグループでは、一人も購入せず。
☆ショーの主役「ジプシー」について、添乗員から説明あり。①ヨーロッパ各地を放浪する民族で、かつては馬で荷を扱う民族であったが、交通手段の変化で職を喪失、流浪の民となった。東方民族とは知らず、多分エジプトから流れ込んだと思い、エジプシャン→ジプシーと呼ばれるようになった。ジプシー=差別用語という説もあると。②ものをねだる癖があって、彼女らのそばを通るとき話しかけると、必ず物をねだる。③フラメンコで、ポーズが決まったときは、「オーレ!」と声をかけ、花(カーネーション、1本、300ペセタ)を投げるように、等々の説明がありました。

 


画像は入り繰りしますが、ショーの会場に向かう途中、午後9時少し前、ラッシュアワーが始まっている。

 

最後に、自由時間に同部屋の方と、ガレリア・プレシャドス百貨店に、お土産等の買い物に行った際の出来事を2-3披露します。Tシャツを3枚購入すべく、会計に差し出すと、店員が商品を指さし、二言、三言、サイズのことかともい、英語で聞き返すも、全く通ぜず。スペインは第二外国語がフランス語とのこと。ただEC統合が具体化してからは、小学生から第2外国語は英語の授業になったという。なので、子供には英語が通じました。

プラド美術館の付近で出会った数人の子供たち(小学校3-4年生か?)が、寄ってきて英語で「私たちは日本のコインを集めている」という。数枚の100円硬貨をあげると…、別の外人・アメリカ人らしき人物に「我々は、アメリカのコインを…」とやらかしている。

先ほどの百貨店の地下2Fの電化品・カメラ売り場をのぞく。製品の9割は日本製である。カメラもニコン、ミノルタ、オリンパスなど日本製のコンパクトカメラばかりでした。(平成5年当時は、フィルムカメラが100%です)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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