紅露の写真日誌…北の大地・夢空間

小樽・札幌の風景、イベントが中心

モノクロ写真の数々…その3

2018-02-05 06:00:00 | 日記

                                     <H15年8月潮まつりの撮影会 元画像は適正露出ですが、ソフトでオーバー気味に…>

 

前回までは、中学時代から高校時代、そして大学時代までの約10年間(昭和31~41年)のモノクロ画像を取り上げました。フィルムがカラー主力なってきたのが30年代後半からでした。昭和41年に国民金融公庫に就職してからは、支店の行事やイベントなどももっぱらカラーフィルムを使いました。昭和46年に本店・調査部に転勤してから、カメラもOLYMPUS OM-1に切り替え、400mmの超望遠レンズで、馬を撮影(殆どカラー撮影)しておりました。

 


偶然当時モノクロで撮った画像がありました。浦和市(現さいたま市)常盤町の公庫アパートに住んでた頃で、ステレオのどでかいこと、その横にカセットデッキがあります。府中や中山の競馬場にカメラと共に持参し、重賞レースの実況放送を録音すると同時に聞きながら、第4コーナーを回ってくる馬を撮っておりました。額の馬は「ジョセツ」という芦毛の牝馬で、大好きな馬でした。

 

さて再びモノクロ黒フィルムを使うようになったのは、北海道写真協会小樽支部に入って、毎月の例会等で、諸先輩のモノクロ写真を目にする機会が増え、その良さを認識したことにあります。と言うことで、今回は、①道写協小樽支部で実施したモデル撮影会、②平成12年から14年のマイカル小樽(現ウィングベイ)のイベント等、③平成16-17年頃の孫達ほかを取り上げました。殆どはフィルムで撮影した画像ですが、この頃からデジタルカメラに切り替えつつある時代で、一部混在しております。

 

☆モデル撮影会
おたる潮まつりでは、道写協小樽支部と富士フイルムの共催で、モデル撮影会が行われていました。平成15年を最後に潮まつりでのモデル撮影会は中止され、それ以降は、道写協小樽支部単独での撮影会が開催されるようになりました。

  


平成17年モエレ沼公園での撮影会。モデル撮影初心者の私にはどう撮っていいものか分からず。ただただシャッターを押すだけでした。今見ると、ブーツの柄に違和感があって、膝上の画像の方が良かったのかもしれません。

 


モエレ沼公園での撮影会。周囲の方の物まね撮影。

 


この時の撮影会で、偶然目にした光景をパシャリ。二つのシルエットはモデルさんではありません。のちにこの画像は、小樽写真市展で特選となりました。

 


平成18年9月道写協小樽支部主催の北海道開拓の村での撮影会。浴衣姿のモデルさんを撮影。室内に生活臭がしないのが、いまひとつかも…

 


ソフトフィルターで柔らかくしてみました。

 


平成18年9月北海道開拓での撮影会の様子。馬そり電車にモデルさんを乗せて、偶然居合わせた子供達にもお手伝いしてもらいました。

 


H17年のモエレ沼公園での撮影会風景。時には周辺で遊んでいる子供達にも入ってもらいました。

 

☆マイカル小樽の各種イベント
平成11年3月オープンした大型商業施設「マイカル小樽」は創業当初は順調だったものの、数年で来店客の減少、テナントの撤退等で、経営破綻。名称をWingBay小樽と代えて営業を続けていますが…

 


開業当初は、吉本興業も演芸場を持っておりました。2年持たなかったように思います。

 


2-3階吹き抜けのスペースに、ジャングルの中を走り抜けるジェットコースターがありました。これも数年続かなかったようです。現在はイベントスペース(殆ど使われない)となってますが、カードの自販機やガチャポン類、そして子供向けの遊戯施設が少々あるだけで、ガラ~ンとしています。

 


マイカルオープン当初人気を博したのがこの施設。音楽に合わせてキラキラ光るスチール製の玉(名称不明)が縮んだり開いたりしながら上下に動く。そのスチール製の玉に各色のライトが周囲の壁に輝き、多くの客が足を止めて眺めたものです。現在は1Fのビバホームの厄介者としてぶら下がっているだけです。

 


ここでは、このようなファッションショーらしきことも、行わなわれました。モデルさんが、ネガ反転したように見えて、面白いね。髪が金髪のカツラなので白く写りました。

 


忘れてはならないのが観覧車です。当初は人気を博したようですが…そのうち、がらがら、3000円以上買い物された方には無料で…というPRもむなしく連日無人でぐるぐる、ついには解体され、台湾に売られたとか聞きました。画像はJR小樽築港駅との連絡通路で撮影。通路後ろ側の女性肌着メーカートリンプの広告が映り込んで…

 


WingBay向かい小樽港には当初材木置き場でした。

 


もう少し左側は小樽港マリーナです。撮影時(H14年12月)はシーズンオフで、ヨットはテントでおおわれてますが、沖に向かうヨットがおりました。

 


現在回転寿司「魚一心」の左隣にあったラーメン屋さんです。窓ガラスに緩やかな凹凸があって、面白い画像になりました。この窓ガラス越しに撮ったのはこれ1枚だけです。その後店が入れ替わり造作も変わってしまいました。

 


懐かしいですね「飴五郎」さんです、この当時90歳を過ぎていると言われていたので…

 

☆我が家の二世帯住宅に住む孫達は…
小さいときはよくカメラを向けて撮っていたのですが、やがて中学生、高校生になると、気楽に被写体にはなってくれません。致し方ないことですが…

 


いたずら孫3兄妹(H17年手宮公園にて。孫1=6歳、孫2=4歳、孫3=2歳

 


鉄棒でぶら下がり、この画像は明治安田生命のマイハッピネスフォトコンで、佳作になりました。

 


マイカル2Fのゲームコーナーで遊ぶ孫娘2、お金投入してませんが、画面を見て「これ自摸っちゃったよ」と得意げな顔。

 


マイカル1Fに不二家の菓子店が昔ありました。その後撤退しましたが…。そこのペコちゃんに抱きついた孫娘2。ペコちゃんと私、どちらのお目々が大きい?

 

☆小樽中央市場のがんがん屋台
平成16年小樽梁川町の中央市場で、がんがん屋台が誕生したのをご存じの方も多いと思います。がんがんとは、ブリキの缶のことで、昔は食用油入れによく使われていました。その空き缶に座布団を敷いて椅子がわりにして、飲み食いするコーナーが誕生しました。1年もしないうちに消えてしまいましたが、当時かなりの話題になったことは確かです。

 


市場内の店舗の食品を取り寄せ、数人がテーブルを囲んで談笑しているところです。毎週決まった曜日に開催されていました。

 


市場内に数カ所ありました。

 


この画像は奥は写真で、手前のがんがんを背負っているのは人形です。元々朝市で仕入れた食品をスチール(ブリキ?)の箱に入れて、汽車(電車ではない)に乗って地方に行商に歩く婦人達を、がんがん部隊と呼んでいました。私が金融公庫に入庫した昭和41年、札幌支店に通勤しておりましたが、その時の通勤汽車(SL)には、まだガンを持った行商人を見かけました。

 

まだまだ取り上げたいモノクロ画像がありますが、機会を見て紹介いたします。


 

 

 

 

コメント
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