和太鼓とモンテッソーリの見学のあとは、教育ジャーナリスト 青木 悦氏の講演がありました。彼女は、ジャーナリストとして、子供の犯罪について多数の取材をしてこられ、「どんな犯罪も、すべては幼児期に遡る」という観点から、今、できることは何かというような内容のお話をして下さいました。
とても心に残る言葉がいくつかありましたが、講演の内容を私が要約してもその時の感銘はとても伝えられないので、私の感じたことを自分なりに書かせていただきます。
子供は「ありのまま」でいい。
生命保険に入りたいとき、告知書を書きます。
「ありのままをお書き下さい」と私達はお願いします。
ところが言われる通り「ありのまま」を書くと、一部の人は過去の病歴や、現在の持病のため、引き受けて貰えません。
どうしても入りたい人は、マズい病歴を隠したりします。そして、この隠された病歴が、給付金を受け取る時になって露呈し、支払いができない…という大事に発展したり…
この保険会社と、被保険者の関係は、親子が陥りそうな関係を象徴しているかも…
子供は被保険者と違うのだ、どんな「ありのまま」でも本来親は受け入れ、引き受けることができる。親とはそういう存在。本当は、社会全体がそうであるべきなのだろうけど、いろんな人がいて、いろんな環境があって、、いろいろ難しい。
そんな中で親はだた子供を受け入れて、引き受けてやればいい。
「立派な親になろう」「立派な子に育てよう」という必要もない。
子供は自分のペースでずっと成長し続けている。大人になっても、ずっと。
それを親が見失ってしまう時があったとしても、子供は成長を続けている。
先生ご自身のお子さんを育てた体験で、勉強が大嫌いだった息子さんが、25歳のときに、いきなり将来の夢を見つけて、資格試験の勉強を始めたということが私はいちばん強く心に残りました。膝から下を取り外しができるズボンの片方の膝下を失くしたとかで、左右長さの違うズボンを履いてバイクに乗る…というあたりが、我が息子Takの、「赤と黒の靴」事件と通じるところがあるようで、とっても親近感を覚えました~(#^_^#)
そういえば、私だって、30代でバンドを立ち上げたじゃない。
私、今でも成長を続けている(と信じてる)じゃない。
己を見い出して、自分の道をみつけるまで、(見つけてからも)
子供の「ありのまま」すべてを受け入れ認めることが、、、親なら当たり前にできること。
幼児の、小学生の、中学生の、「本来あるべき姿」を心に描いて、わが子を比較する。
保険に入れる子供になってほしい。
それは保険に入って安心したいという親の都合かも。
「紙を縦折にして、左半分にわが子のハラの立つことを、朝から夜まで順番に箇条書きに書き出しましょう。そして、右半分に、その正反対を順番に書きましょう。」
というお話がありました。
■朝起こしてもいつまでも □朝起こしたら、
起きず機嫌が悪い。 すみやかに機嫌よく起きる。
■食事が遅い。何度も食べなさい □食事は自分から進んで
と言わないと食べない。残す。 すみやかに残さず食べる。
: :
書いていくうちに、右半分の、いるはずのない「あるべき子供像」を妄想して縛られることの無意味さを考えさせられますよ…というもの。
う~~~~~ん。なるほどなるほど。
日常の細かい◯と×にいちいちこだわってイライラしたって、もしやコレって自分が損するだけなのでは? わかっちゃーいるんだけど、ついついカリカリしてしまう。
まあ、しょうがない、私の性格なんだもん。でも、ちょっと肩の力を抜こう。
とても心に残る言葉がいくつかありましたが、講演の内容を私が要約してもその時の感銘はとても伝えられないので、私の感じたことを自分なりに書かせていただきます。
子供は「ありのまま」でいい。
生命保険に入りたいとき、告知書を書きます。
「ありのままをお書き下さい」と私達はお願いします。
ところが言われる通り「ありのまま」を書くと、一部の人は過去の病歴や、現在の持病のため、引き受けて貰えません。
どうしても入りたい人は、マズい病歴を隠したりします。そして、この隠された病歴が、給付金を受け取る時になって露呈し、支払いができない…という大事に発展したり…
この保険会社と、被保険者の関係は、親子が陥りそうな関係を象徴しているかも…
子供は被保険者と違うのだ、どんな「ありのまま」でも本来親は受け入れ、引き受けることができる。親とはそういう存在。本当は、社会全体がそうであるべきなのだろうけど、いろんな人がいて、いろんな環境があって、、いろいろ難しい。
そんな中で親はだた子供を受け入れて、引き受けてやればいい。
「立派な親になろう」「立派な子に育てよう」という必要もない。
子供は自分のペースでずっと成長し続けている。大人になっても、ずっと。
それを親が見失ってしまう時があったとしても、子供は成長を続けている。
先生ご自身のお子さんを育てた体験で、勉強が大嫌いだった息子さんが、25歳のときに、いきなり将来の夢を見つけて、資格試験の勉強を始めたということが私はいちばん強く心に残りました。膝から下を取り外しができるズボンの片方の膝下を失くしたとかで、左右長さの違うズボンを履いてバイクに乗る…というあたりが、我が息子Takの、「赤と黒の靴」事件と通じるところがあるようで、とっても親近感を覚えました~(#^_^#)
そういえば、私だって、30代でバンドを立ち上げたじゃない。
私、今でも成長を続けている(と信じてる)じゃない。
己を見い出して、自分の道をみつけるまで、(見つけてからも)
子供の「ありのまま」すべてを受け入れ認めることが、、、親なら当たり前にできること。
幼児の、小学生の、中学生の、「本来あるべき姿」を心に描いて、わが子を比較する。
保険に入れる子供になってほしい。
それは保険に入って安心したいという親の都合かも。
「紙を縦折にして、左半分にわが子のハラの立つことを、朝から夜まで順番に箇条書きに書き出しましょう。そして、右半分に、その正反対を順番に書きましょう。」
というお話がありました。
■朝起こしてもいつまでも □朝起こしたら、
起きず機嫌が悪い。 すみやかに機嫌よく起きる。
■食事が遅い。何度も食べなさい □食事は自分から進んで
と言わないと食べない。残す。 すみやかに残さず食べる。
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書いていくうちに、右半分の、いるはずのない「あるべき子供像」を妄想して縛られることの無意味さを考えさせられますよ…というもの。
う~~~~~ん。なるほどなるほど。
日常の細かい◯と×にいちいちこだわってイライラしたって、もしやコレって自分が損するだけなのでは? わかっちゃーいるんだけど、ついついカリカリしてしまう。
まあ、しょうがない、私の性格なんだもん。でも、ちょっと肩の力を抜こう。