WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

父の一周忌

2012-11-28 | 実父





25日(日)は、父の一周忌の法要でした。
集まったのは親族約20人。

お寺で法要のあと、お墓参りをして、それからお食事会。

この日は、抜けるような晴天で、ぽかぽかと陽射しもあたたかく、風もなく、のどかな小春日和でした。


瀬戸内海を一望できる高台のホテルの和室で皆でお膳を囲みました。
父の遺影を床の間に飾って。






会食のお開きには父が好きだったお茶が租供養に、ヒロコさんのメッセージとともに配られました。

隅々まで、父のパートナー、ヒロコさんの想いがこもっていて、私の気持ちはあの1年前の父の看取りと、葬儀のときに瞬時に引き戻されました。
ヒロコさんは、法要や、会食の挨拶のたびに、涙ぐんで声をつまらせていました。

私は娘だから、父を見送るのは悲しかったけれど、これが「順序」なのだと、受け継ぐとか、引き継ぐ…という立場でいて、これから頑張るよ、、と思えるけれど、(弟も同じだと思う)
ヒロコさんは、「もぎ取っていかれた」立場なんだ…
だから、今でも、1年前と全く変らず、悲しみも、父への想いも、そのまま…


法要の行事がおわったあと、ヒロコさんから個人的にご挨拶の長いメールをいただきました。
明るく振舞っているけれど、ほんとは今でも寂しいし悲しい…というものでした。
そして、いつも、今でも、その時々で、先生の声が聞こえてきます…と、、、
「先生(父)の声」なんて、我儘や文句が大半じゃないのぉ~~…と思うけど、
私も、父の病室で、我儘をたくさん言われたし、眉間に皺を寄せて「いらん」…などと、文句をたくさん言われてきた…それでも、あの子供みたいな表情がすごく懐かしい。
でも、父とヒロコさんの間には、子供たちに対する小言や我儘とは違う、特別な「ことば」がたくさんあっただろうな。
人生のパートナーであるとともに「ダンス」のパートナーだったんだもの。
私には、その深い意味がものすごくよくわかる。




父の菩提寺




少し前に、同窓生のお友達の仏具店で買ったお香、父へのお供えではなく、ヒロコさんにと、贈りました。
父の仏前で、父と2人の時間をゆっくり過ごしてくれたらいいなあ…と、、
ヒロコさんは、そのお香の香りに包まれながらメールを下さったのです。

私は仏教の死後の「極楽浄土」とか、「涅槃」とかの世界のことについてはあまり知識がありません。
でも、ヒロコさんと父は、住む世界が違ってしまっても、こんなに心が通い合っている…ということのほうが、知識よりもなによりも「確信」なのです。
再び会えることを、お互いに強く願い求めているのだから、その願いは、必ず叶うと。


この世でともに過ごしたつれあいと、次の世でもずっと一緒にいたいと思えるとは、本当に幸せな人生だなあ…

でも、ヒロコさんも、まだこれから父が逝った歳まであと20年以上もあるのだし、
父を心にいだきながら、この世での幸せを積み重ねてほしいです。
そうは思いながらも、最も大切な人をもぎ取られた片割れのこの世の幸せとはなんなのか、わかりません。
その大切な人から貰ったものを、今度は他の人へ与えるようなことなのかもしれないし…
それ位しか思い浮かびません。

「命」のことは、何にもまして、いくら考えてもわからないもの。
確信できるのは、父の「命」は、いまもあるということです。
どこで何をしているかわからない。宗教じみた薀蓄??はどうでもいい。


「天国の窓を開けて、ありがとうと言っているのが聞こえる」
…と、ヒロコさんからのメールに書かれていました。
「おとーさーん♪」…と、天国にアンテナを向ければ、いつでも交信できる…ホントにそう感じます。



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父の初盆

2012-08-19 | 実父


記事中のしゃぶしゃぶやさんよりお借りしました




少し遡りますが、父の初盆に招待されました。

父は真宗大谷派という宗派で、私は一応父が亡くなったとき、その宗派の教えなどについて、かなりネットでお勉強しました。
それで「お盆」というものは、極楽浄土にいった魂が家に戻ってくるとか、そんなんじゃないんだってことも知ってるし、
宗教的には、仏壇に向かって故人を拝むのではなく、阿弥陀如来さまを拝むのであって、亡くなった方を偲ぶこの機会を得て、仏様を信心しましょう…ということだそうで。
お盆というのは、浄土真宗としては、そういう意味で、特にお盆の行事というのは重要ではないようなのです。
そうはいっても、まだ悲しみが拭い去れない初盆、お墓に灯篭を吊るしてお参りして、
家では、仏壇にお供えをして、亡父に向かって手を合わせます。
帰ってきた父と一緒にいるかのように振る舞い、しゃぶしゃぶやさんでの宴では、父のぶんの生ビールも注文し、父だったらどーするかなあ…なんて、思い出話も盛り上がり…
こうして亡き父を偲ぶのが「お盆」の行事なのでしょう。

これが、遺された家族の想いなのでしょう。


しかし…ちょっと違うようなのであります。


浄土真宗的には、人は死んだらその瞬間に仏様の御手に抱かれ、極楽浄土にいくのだということを読みかじりました。
49日、彷徨い、黄泉の旅をして、7日ごとに裁きを受け、最終的に転生するところが決まるのではないようなのです。
そして、私たち生きている人間より次元の高いところにいって、いつでも自在にこの世にも現れて、人々を仏の教えに導くための仕事?をしているらしい、、、

父は、もうすでに「極楽浄土」に住んでいて、私たち「迷い人」のために働く存在となっているようなのです。

そういうのって、遺族の人は興味持たないの?
「しきたり」とか、そんなことの意味はどーでもいいのでしょうか??
何でも「しきたり」どおりにすることで安心するってのは、私としては本位ではないのであります。

どうぞみなさま、お見送りした故人の宗教について、少しでも足でも首でもいいからつっこんでみてくださいませ。
お経など、唱えたことありますでしょうか?
テープを流したり、お坊さんに委ねるだけでなく、自分でお経をあげてみたらどうかと、、、

浄土真宗の教義は、キリスト教と似ているような気がする。
…てか、だいたい、宗教によって死後の行く先が違うなんて、あり得ないと思うんですけどね、、
故人の魂は、仏教ではお盆に帰ってくるけど、キリスト教では帰ってこないって、そんなのも、この世に生きてる人間の都合?じゃないのでしょうか???


実は私たち親子は、9月に洗礼を受けることが決まっていて、その準備の学びをしています。
教会に通い始めてから、いずれはそんな流れになるかなあと思っていましたが、その「時」が、神さまによって整えられたのだなあと、、、
牧師先生と一対一でいろんなキリスト教の教義や、聖書の中身についてお話を伺うのです。
ものすご~~く興味深く、毎回とっても楽しいのです。Takも別途、やってるのだけど、Takの場合は、質問したり、脱線しまくり、タメ口であつかましく、それでも楽しくやってるらしいけど、先生には大変申し訳ない…
書けば長すぎる。ここに至るまでの道のりは、本当に簡単には書けません。
…が、どうしても3行で簡潔にまとめろ!と言われたら、こうです。

私は中学校の頃から聖書を読んで、イエス・キリストを神と信じてたけど、洗礼を受けたいといったら家族にまだ早いと反対され、あっさり諦めた。
教会に所属するのは、「PTA」のような集団に属するような苦手感がありまくりなので、洗礼受けなくても、だた信じていればいいじゃんと思っていた。
しかし、これまで神さまからいただいた恵みははかり知れない。教会に所属することで、少しでも奉仕活動をして、神さまに心から感謝を捧げお返しをしたい。

ま~こんな感じです。


でっ、

そんなことじゃなく、本日のトピックは!!
(って前置き長すぎ( ̄□ ̄;)!! )



そのしゃぶしゃぶやさんでの出来事。

父がいつも贔屓にしてた店で、いつもオーダーするのは「黒毛和牛」のコースね。(一番高い!)
しかし、父の分のビールもオーダーして、乾杯した後、運ばれてきたお肉は、なんだか固くて「コレ、ほんとに黒毛和牛かいな?」ってなモノでした。
ま~ふつーのランチででてくるお肉がちょっとデカくなったかな…って感じ。
しかし、この場で誰も文句は言わない。
なんかいつもと違う…と思っても、言えないよ、この場で、、、「初盆」だしね(^_^;)
私は父に1度しかここでご馳走して貰ってないけど、覚えてますとも、高級黒毛和牛の味は!!

みんななんかヘン…と思いつつ、肉の味には言及せず、さりげなく食べてるところに、Takだけが
「うわ~~美味しい! こんな柔らかいお肉初めて食べた~~!!」
と申すのです(-_-;)

Takも、いちおーランチしゃぶしゃぶには連れてったことあるよ。
ランチだから、まあ「ランチ」のお肉だよね…
この固い肉を「うわぁ~~美味しい!!」と感動しているTakってどぉよ、、、
しかし、誰も「ホントだね~美味しいね~」とは言わない、、、
センセ(父)がいないと、こんな扱い!?とまでみんなで思っていたのであった…
お肉の味にはなるべく言及せず、それでも和やかに宴は進行していきました。

それから暫く経って、
我が弟(この日のオーナーね)が、「今日の肉は固い」…と思いつつ食べていた途中から、突然いきなり柔らかくてウマイ肉になったらしく、
「うわ~~~っ!なんじゃこの違いは!!」ということになった。「これはヘンだ。やっぱりこれは違いすぎる!」
そんで、最初から美味しいといって食べていたTakのお皿から私も「ちょっと1枚ちょーだい」といって試食させてもらったら、


全然違うじゃないのよ!!
コレだよ、これが黒毛和牛だよ!!
見た目も味も違うじゃないのよ!!



ゴメンよTak、やっぱ、アンタの味覚は正しかった(-_-;)

…ってことで、「これは何かの間違いやろ、クレームやろ。言ってもええやろ…」ってことになって、

もうみんな殆どお肉を食べ終わってしまったところでお店の人に
「ちょっと、すみませんけど…」と、、、

最初、店員さんは、「同じ部位です」とかなんとか言ってたけど、店長を呼んで、さらにオーナーに連絡とって、結局もうひと皿、ホンモノの「黒毛和牛」が配られました。
うんうん、コレよコレが正解よ…と、またまたみんな、黙々と食べる(^_^;)


私だけは、「鳥が啄ばむように」のんびりゆっくり食べていたので、
最初のお皿のランチ用?のお肉は半分ぐらい残っていたのでした。
残ってたから、「比べてみてください、これでも同じ部位でしょうか?食べれば全然違うのがわかります」と言えた。

しかし、もしも、弟のお皿に黒毛和牛が混入していなくて、Takだけがホンモノを食べていたのだったとしたら、
最後まで誰も文句はいわず、不満だけが残り、さらにTakは、そのランチ用の肉を「柔らかくて美味しい」と言うかわいそーなヤツってことに…(^_^;)
でっ、弟は、ふつうのお肉に、黒毛和牛のコース料金を支払うってことに…


結局、ホンモノがあとで来てひと皿おまけってことでよかったのかもしれないけど、
こりゃ~ヒドイでしょぉ、、、
私のように、鳥が啄ばむほどちょっとで満足なお客は、固いお肉でお腹いっぱいになったあとで美味しいお肉が来るのよ。


でっ、その時、もし父だったら、ここでクレーム言うかしら…という話になったよ。
「そりゃ、言うやろ!」と弟と私は言ったけど、パートナー、ひろこさんは、
「言わないと思う。言わなくていいって。でっ、あとで私が言うことになっると思う」って、、、
そうか、なるほど、父ってそういう人か、そうかもね…


父はほんとはいったい今どこで何をしているのだろうと、、時々思います。
私たちの傍にいつもいてくれているのだろうか?
おばあちゃんも、聖二くん(従弟)も、みんなみんな、、、「天国」にいるのかな。
「天国」ってどんなところ??


Takが、夏休みの宿題で書いて、お盆の仏壇のお供えした作文「おじいちゃんの最後の日々」は、また別途アップいたします。


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父の満中陰

2012-01-16 | 実父


涅槃図




昨日は父の四十九日の法要でした。

父の自宅で、親族だけで行われた法要。

この地域では、お坊さんのことを「お寺さん」とか「おじゅっさん」と言います。
2回の休憩をはさんで3回に分けてお経をあげてくださるのですが、私は、その合間とか、読経のあとに、なんか、仏教のありがたいお話?をお聞きすることができるかなーと、
ちょっと楽しみだったのであります。
いろいろと、この際だから、お聞きしてみたいこともあったし…

しかし。
お寺さんと弟が、仕事やら生命保険の話や、正座のしびれは辛い…とかいう話ばかりして、
故人の思い出話なども全く出ず、なんだかな~~っていう法要となりました。

せっかく父の満中陰に集まったのに、これじゃな~~~


もう、年も明けて、普段の生活に戻ってるからこそ、いまいちど、父を偲んで、いろいろ語ったり、浄土真宗の「満中陰」の考え方についてお聞きしたりしたかったんだがな~~


不完全燃焼?の私は、家に帰って、PCで、浄土真宗について、検索しまくりました。

そして、とてもおもしろいことを発見したのであった。

浄土真宗にもいろいろ派閥があるのですが、とある西本願寺系サイトで

「お釈迦さまは、『人間は生死を輪廻することはなく、この世界のご縁の尽きた時は、涅槃に入る』と教えてくださいました。ですから、中陰の思想は本来仏教の思想ではありません。」

…とゆ~のだ!!そんなん知らんかったぞ。
「涅槃に入る」とは、すなわち、キリスト教でいうところの、死の瞬間に神さまの御手に掬い取られる…みたいなこととすごく似てるかも。

「中陰」(生と死・陰と陽の狭間)の思想ってのは、人は死んだら、冥土の旅をして、四十九日まで1週間ごとに裁きを受けて、四十九日目に次に生まれる行き先が決まるっていうヤツね。
お線香を絶やさず、お経をあげることで、故人は迷わず極楽浄土への旅ができるのだとか、、、

ほな満中陰はいったいなんなんだ!!

ひとつには、(故人ではなく)遺族に対して、親戚や知友が集まって、お悔やみやお見舞いの言葉を述べ、故人を偲ぶ行事として勤める。
それから、大切な人を亡くしたことで、人生が無常であることを実感するのがこの時。
平素は人ごととしてしか聞いていなかった仏教に心の耳を傾けることができる。
中陰は本来仏教の思想ではないが、この機会にぜひ仏教に出遇うことを願って、中陰の法事を続けてきた。
そうしたとき、故人を単なる死者としてではなく、「人生の真実を教えてくださる諸仏」として受けとめることができる…ということらしい。


う~~ん、そうなのか。


ほな、信心深かった父は、この世の縁の尽きた瞬間、涅槃に入ったのか。

浄土真宗では、「霊魂」の存在も否定していて、お盆のときだけ家に帰ってきて、子孫の供養を受けるような存在ではないとのこと。
しかし、これらの「習俗」を、遺族、また広くこの世に生きている人びとのために受け入れ、現世に生きている人が、仏の道に接する機会を広げるためにやってんだ、、、


じゃ~いったい「輪廻転生」の思想はどこからきたのじゃ??
またまたTAKAMIの検索は続く…


…って、ご存じの方がいらしたら教えてください(^_^;)


でっ、父に話を戻しますけど、その後、納骨。お墓の石を動かしてお骨を納めたけど、そこには、何十年も前の祖父、祖母、それから叔母のお骨が納められていて、お墓の中って、なんか冷たくて寂しくて、こんなとこに入るの…ヤだなって感じ。

こんなとこにお父さんが入るんじゃないよね。ここにいるのはお父さんじゃない。
父は「千の風」…だ、、、


人は死んだらどこに行くのか、それは生きている人にはわからない。
真の宗教というものがあるのだとしても、その周りには、人々の死を恐れる思いや、迷いから、いろんな習俗習慣が生まれて、いつの時代も、どこの世界でも、それらが絡まりあっているのだろうなあ…


ってことで、本日はこれ以上まとまりませんので、終わり。

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葬儀のあと…

2011-12-04 | 実父






父の葬儀が終わりました。

「お疲れが出ませんように」と皆様にご心配いただきましたが、
やっぱり疲れが出まくりで、今日は1日人間らしい生活ができませんでした(^_^;)

まっ、でも、明日からは、ふつーに日常生活に戻れそうです。


3日間、「非日常」の中にどっぷりと居ました。
いろんなことがありました。
沢山の思いがありました。


その中で感じたことを…。


私は、父の死が、悲しくはありませんでした。
たくさん流した涙は、悲しみの涙じゃないように思います。やっぱり…カタルシスかな??


以前から覚悟もできていたし、こんなに幸せな人生を送った人はいないと思っています。
でも、日本人男性の平均寿命を超えて元気に生きていた父が「天寿を全うした」とは思えません。
入院する直前まで踊っていた父は、誰もが、まだまだこれから、少なくとも10年は元気で、踊り続けると思っていたのでは…
それほどに元気で倒れる直前まで踊っていたのです。
父の近しい人たちはみんな、「早すぎた」と感じていると思います。

父は、C型肝炎のキャリアで、ずっと町医者に定期健診に通っていました。
それなのに、癌を見逃されていたのは無念です。



ダンス業界の方たちに盛大に見送っていただいた葬儀でした。

アマチュアで全日本チャンピオンになったことを機に、国鉄職員から、ダンス教師に転向した父でした。
「ダンス」は生業、「商売」、、、
子供の頃の私はそんなふうに感じていたけれど、父は「アーティスト」として生きた人なのです。
どの業界もそうかもしれないけれど、ダンス業界にも、いろいろな人間関係、利害関係、不純物がいろいろと混ざりまくっているようにも見受けられました。

でも父は、頑固に、自分を曲げずに生き抜いてきたらしい…


そんな父も、さいごは、そのダンスも手放して、すべての栄光も、トロフィーも優勝カップも、肩書きも、全部置いて、ひとりで旅立っていきました。


葬儀のすべてのセレモニーが終わって、父がやっと、10ヶ月ぶりに「お骨」になって家に帰ってきたとき、
パートナーのヒロコさんと、弟夫婦と、私、それに孫2人の時間の中で、
話の流れの中でヒロコさんが言いました。

「私はもう、センセとじゅうぶんに話し尽くして、話し足りないことはもうないと思うわ。
ただ、センセが、あっちの世界で、ひとりでちゃんとやっていけるかなあ…ってことだけやね…」

間髪いれずに弟が
「それは全く父もアンタに対して同じことを心配しよるで」

ここで、一同、めっちゃ心から大笑いしたのでした。

この二人、これから暫く、別々の世界で生きていかなきゃいけない…
でも、いずれ再会するときが必ずくると、信じられるようになってきた。


肉体をもって生まれたわたしたちは、この世の「色」や「かたち」がすべてのように感じるけれど、実はそれこそが幻で、命の実相は別のところにあるのだと…

「輪廻転生」ってホントにするのかどうなんだかわからないけれど、
「天国」と「地獄」があるのかもわからないけれど、

ヒロコさんと父は、これで終わりなワケない。
なんだか確信もってそう思える。

「あっちの世界」ってどんなところだろう? 実相の世界って…???


葬儀や法要でいつも唱えられる、浄土真宗の「白骨の御文」

人の命は儚きもの、そして、
「阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。」
…と締めくくられている。

「念仏を唱えれば救われます。」

理屈はどうでもいい、信じればいい。
そういうことなんだよね。きっと。


この世の肉体を捨てて羽化登仙していった父は、今、どんな世界にいるのだろう??
生前の宗教によって行く世界が違うとは思えないよ。


白装束を着て、草鞋と杖で、今どこにいるの?お父さん…




カテゴリー「実父」のパスワードを外しました。
分かち合っていただければ大変嬉しいです。でもこれは、あくまでも私自身の父との日々の記録として書き留めたものであること、ご了承願います。



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お父さん 安らかに…

2011-11-30 | 実父








今朝、父が永眠いたしました。85歳でした。

2月末に肝臓癌と告げられて、辛い闘病生活が続きましたが、さいごはとても安らかに息をひきとりました。

最後は弟が見取りました。

私は、前夜に、父の手を握って、じゅうぶんに声もかけてあげられたし、

9ヵ月間の付き添いの日々、悔いなく父と話をしたり、お世話したり、叱られたりしながら過ごすことができました。

11歳で、父の家を出てから、10年以上も会えず、再会した後にもずっと東京で生活していたので、
父が70を超えたあたりから、あと何回父と会えるだろう…と思っていたのに、
こんなふうに、父のこの世の最後の時間を一緒に過ごすことができて、
本当に幸せでした。


何よりも、父は、最愛のパートナーさんに、ずっと寄り添って、付き添ってもらって、
こんなに幸せな人生を生きた人はいないと思えます。

寝顔も、とても安らかです。


父との9か月間を、ずっと書き留めてきました。パスワードをかけていました。

落ち着いたら、いつも応援くださった方々とも、ぜひ分かちあっていただきたく、
この場で公開させていただく所存です。







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臨終

2011-11-30 | 実父


11/30 

この日私は以前からの体調不良で胃の内視鏡を受けることになっていた。
キャンセルしようかとも思った。
父の臨終に立ち会いたいためにキャンセルするというのもどんなものかと、
父はまだ生きているのだ、普通にしていよう、、、
父は自分の「その時」を自分で選びとるに違いない。


弟も、昨夜、「ほな、俺も泊まったらいびきがうるさいから、帰るわ、明日、なるべく早く来る」といって、帰ることになった。


ヒロコさんは、たぶん、「二人とも、父親が今日か明日といっているときに、なんと暢気なことを…」と思ったに違いない。

でも、弟もきっと私と同じ思いだったのではないだろうか。



朝9時に、日赤に着いたとたん、弟から携帯が鳴った。
すぐに、父が逝ったのだとわかった。

弟は冷静に、「もう亡くなったんだから、内視鏡を受けてからゆっくり来ればいい」と言った。
私もそうしようと思った。


昨夜はヒロコさんがひとりで、一晩中ずっと、一睡もせずに父の傍にいて、きっとたくさん話しかけてあげたに違いない。
父は話せなくても、じゅうぶんに語り合ったことだろう。
ヒロコさんは、こんなになってしまった父に「頑張って」とは言わない。
「だいじょうぶよー。」
今、父に言ってあげるのは、その言葉だけだ。
すべての思いがこの言葉にこもっているのが、私にも泣きたくなるほどわかる。


そして、朝、ヒロコさんと交代に弟が来た。

「やっと来たか息子。最後はお前がきちんと看取れ。」

これが、父の逝き方だ。本当に父らしいと思った。

父の病気は最後まで意識があるときいていた。息子の声は聞こえたはずだ。
息子が来たことがわかり、バトンを渡したのだ。
受け取るのは息子以外にいない。
本望だったと思う。


内視鏡検査が終わって、父のところに行ったとき、私はあまり泣かなかった。
悲しみより、よかったね…の、安堵の涙…だったかな。
「お疲れさま、やっと楽になれたね。ホッとしたよね、
昨日は一晩中ずっとヒロコさんとお話できて、最後は息子に看取ってもらえてほんとによかったね。」

もう思い残すことはなにもなかったのではと思える。
お見舞いにいただいた父の大好きな胡蝶蘭の切花が、ゆるやかな日差しの中で、まだ元気に咲いて、やさしく見送ってくれていた。




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最後の時

2011-11-29 | 実父
11/29

Takの祈り

父が重篤な状態に陥った。
ついにこの時がきた。
覚悟はできている。
私は、父とのこの世での最後の日々を、悔いなく過ごすことができたと思っている。

すでに黄疸が出ている父は、酸素マスクをつけて一生懸命自発呼吸をしている。
家族と本人の以前からの希望で、人工呼吸、心臓マッサージなどの措置はしない、
本人が1人で病室にいるときに、もしも呼吸や心臓が停止してしまった場合、病院はその責任は負わないという、再度の承諾書にサインがされた。

父の場合、死に至る直接的な原因の予測としては、大量の吐血によるショックか、敗血症による全身状態の悪化→血圧の低下…とのことだったか、、
ヒロコさんから手短に説明を聞いたとき、「痛くないの?」と、そればかりが気になってしまって、細かいことは覚えていない。
肝臓がんは、痛みが他の癌ほど強くない。ただ、最後まで意識があり、こん睡状態になることは殆どないとのことだった。


今日から、また24時間、ヒロコさんと弟と私で、交代で付き添うことになった。


今日は、アルバイトのあと病院に直行して、父を見舞ったあと、JINさんのマンションの処分を少し手伝った。
JINさんを車椅子に乗せて自宅まで運び、今月一杯で処分される部屋から、必要最小限の荷物を取って、携帯電話の支払いをするのに付き合った。
たったこれだけのことだけれど、JINさんにとっては重労働で、かなり疲労も激しく、
痛みも出てきたようだった。
Takの教会の牧師先生がJINさんのところに来てくださり、
洗礼の準備に入るためのお話に、私も付き添った。

それから、また父の部屋に戻ったとき、看護師さんが全身状態を調べに来てくださったが、
話しかけても息をしているだけで反応の無い父の胸を看護師さんがつねったとき、父は顔をしかめた。
意識状態を確認しているらしい。
意識もあるし、耳も聞こえているらしい。
まもなく主治医の先生も往診に来てくださり、尿も出なくなり、全身状態は悪化していることが伝えられた。

家に帰ってから、Takに今日のことを伝えて、
「これからじーちゃんのお見舞いにいくから。これが生きてるじーちゃんに会える最後かもしれないから。
Takは、じーちゃんにちゃんとお話してあげて。」

…そして、Takは、お祈りの文章を書いた。


「おじいちゃんの顔は黄色くなって、息もハァハァ苦しそうで、Takは、おじいちゃんを見たらビビりまくるかもしれないけど、勇気をもってね。」

Takは、父の手を握って、
「じいちゃん…」と、話しかけた。


天の神さま
じいちゃんの熱や苦しみを取り除いてください。
少しでも楽にしてあげてください。
ぼくのところにいつもいてくれるように、
じいちゃんのそばにいて、守ってください。
…(とかなんとか、、、)

アーメン


父は、こん睡状態ではないのだ。Takの祈りが聞こえていた筈だ。

「お父さん、今夜は、ヒロコさんがずっと朝まで一緒にいてくれるよ。よかったね。
だいじょうぶ、安心してね。じゃあ、また明日来るからね。」

私も父の手を握って、おやすみなさいを言って、部屋を出た。


それが、父との最後だった。

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「尊厳」

2011-11-28 | 実父


11/26

今日、すごいことに遭遇してしまった。

私が父の昼食の時間にほんの3,4分遅れていったら、介護師さんが父に食事を食べさせてくれていたのだけれど、
父は、これから熱が上がっていくという状態で、ガタガタと震えていた。
震えながら、口をもぐもぐカタカタ一生懸命動かしていた。
そして、お皿には、剥いた海老の殻、そして、高野豆腐の食べかけが目にとまった。


熱が出かかって震えているのに、こんなに食べられたの…?

しかも、海老や高野豆腐なんて、食べにくいものばっかり、、、

私は一瞬で、介護師さんは、自分の仕事をこなすために、むりやり食べさせていたのだとわかった。
こんな状態の父がほんの10分足らずの間にこんなにたくさん食べられるわけがない。
その介護師さんは、父が1度喧嘩したと言っていた人だった。

私が父の部屋に着いて、すぐにその介護師さんは、「熱が出掛かって震えています」と言っただけで出ていった。

その後、私が食事の介助を代わってから、父はますます震えがひどくなり、
こんな状態でも食べられるものなのかと思いながら、お粥を口に運んであげたけれど、
どれが食べたいのか、食べたくないのか、言っていることも震えで聞き取れなくなり、
とりあえずお茶で口をゆすいで、いったんベッドを倒して休憩することにした。

父はなにやらとても不機嫌で、怒りのような言葉を言ったかと思うと、ごぼっ…と上を向いたままで食事を全部戻してしまった。
目も鼻も、耳の中にも嘔吐したものが流れかかった。父の顔は全面ゾンビのようになった。

あわてて顔を横に向けて、ナースコールをしてから顔の汚れをタオルで拭き取ったけれど、
看護師さんが応えてくれるまで、それに、部屋まで来てくれるまでの数分がどんなに長く感じたことか…

結局無理に動かしてまた吐くといけないので、顔以外の汚れた衣類やシーツはそのままで、
取り替えることもできず、横向きにした顔の下にシートだけ敷いて、震えが落ち着くまで暫く待つことになった。

もし、私が来ないで、介護師さんが食べさせたあとベッドを倒して、すぐに部屋を出ていってしまったら、どんなことになっていたかと… 
父はナースコールさえできないのだ。

ヒロコさんがどうしても食事を付き添いたい気持ちが、ものすごくよくわかった。
ヒロコさんは、知っていたのだ。
私は、介護師さんはプロなんだから、少々手荒に見えても、状況に応じてきちんと食べさせてくれるだろうと思っていたけど、甘かった。
彼女たちは、仕事を次々とこなさなくてはいけない。
父のペースにあわせて、のんびり食べさせている暇はないのだ。
それにしても、熱で震えているのに、こんなに食べにくいものばかり、詰め込むように食べさせるとはどういうことか。
怒りで思わず両手を握り締めた。
剥いただけの海老を、小さく切ることもなく、そのまま口に入れられたのか…
かわいそうに、、、
歯が少ししかない父は、もぐもぐ、噛み砕くにも普通の何倍もの時間がかかるのだ。

介護の研修を受けるとき、必ず「人間の尊厳」について学ぶはずだと思うけど、
そんなこと頭でわかるのと、それを心で受け止めて仕事の中で実践できることとは全然違うと思う。
わかっている人は習わなくても患者に寄り添えるのだ。
私の知っている、実際の現場に携わっている殆どの人が、「大変だ、忙しい、落ち込む、ストレスが溜まる」と言っている。
そういう現場だということは、覚悟していた筈。
大変な中でも、優先順位があると思うけれど、「人間の尊厳」を最優先にしてほしい。
いや、それが「医療」「看護」「介護」、すべての基本でしょう。


看護師さんが、父の体の酸素濃度を測りに来てくださったとき、なかなか数値が出ず、指に挟む器具がうっとうしくて、すぐに外そうとする父に対して、
「うっとうしいよね、ごめんね。でも私は、これをつけてもらって、調べたいの。もうちょっと我慢してね。」
と仰った。父は我慢した。これも彼女なりのテクニックなのかもしれない。

でも、ちょっとした言葉遣いでも、患者も、家族も、敏感に察知するものだ。
その人の、看護や介護に対する取り組み方というのが、理屈でなく、伝わってくる。
「私がこうしたいので、どうかお願いします」と言うには、信頼関係が必要だ。
ヤな人の頼みなんか、聞いてやりたくないもんね。

父は、このあと、暫く震えていたので、その間手を握ってあげて、少しずつ収まってきたので、
「お父さん、ごめんね、私がもう少し早く来て食べさせてあげていればよかったね。
無理して食べて、気持ち悪くなったんやろう?」と言ったら、頷いて、
「ペースが速すぎる」とはっきりと聞き取れる声で言った。
私も「ペースが速い」と叱られたことは何度もあった。

ヒロコさんの食べさせ方は、ベッドの脇に立ってナイフとフォークを持って、
まるで、カウンターに鉄板のある高級レストランで、料理人がお料理を切って取り分けてあげているような仕草なのだ。
食事が少しでも楽しくできるように…


落ち着いたところで、着替えやシーツ交換をしていただいたけれど、消耗しきっているはずなのに、ずっと目をあけて、意識が泳いでいるようだった。
何か見えるんだろうか?
時折、手を動かして何かを辿っていっているような仕草もした。

「お父さん、お話、読んであげようか」
父は素直に頷いた。
濱田 廣介の短編をひとつ読み聞かせてあげたけれど、父は、途中から集中できなくなってきたようだった。
一生懸命に意識を繋ぎとめていないと、宙を泳いでしまう…みたいで、言葉のひとつひとつを受け止めるのも、労力を要するようだった。

でも、「お話を読んであげようか」って言ったら、いつも「寝てしまうわ~」などと一応遠慮?してたのに、今日はすぐに頷いたのだ。
もっと簡単なお話なら、いいかも。
今度こそ桃太郎や、一寸法師の絵本を借りてこよう。


夕方になって、ヒロコさんが来てくれた。

ちょうどその直前ぐらいから、また悪寒が始まり、寒いといって震えだした。
スタッフも、もう交代の時間のようで、一斉に来て、俄かにあわただしくなった。
ヒロコさんは、ナースステーションで嘔吐の件を聞いて、動転していた。
でも、看護師さんたちが詳細をいろいろ補足説明しようとするのを振り切って、
まず父の顔のところに、自分の身体ごと近づいていって、「エラかったね、辛かったね、寒いね…」と、、、本当は抱きしめたい気持ちに違いない…
報告を受けつつ、湯たんぽをレンジでチンしてきてと私に渡して、動転しながらも、まずは父を楽にしてあげることが最優先なのだ。

スタッフの方たちも、ヒロコさんには一目おいているようだった。
こんなに深い愛で夫の看病をする妻がいったいどれほどいるだろうか。
究極だ…

ヒロコさんは、私の大切な人をこのようにして看病をしてほしいと、意識しなくても、一生懸命訴えているのだ。
私だってヒロコさんから、たくさん学習した。
スタッフの方たちも、彼女の献身から素直に学んでほしい。


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祈り

2011-11-26 | 実父






11/25 祈り


私は、
JINさんに洗礼を受けてクリスチャンになることを薦めた。
神さまはそのために私のところへJINさんを連れてきたのだと、私は最初に彼にお会いしたときから強く感じていた。
クリスチャンでもない私のところに…

営業が超苦手で、それ以上に宗教の勧誘なんか、絶対にできない私、、、
キリスト教は基本的に「勧誘」はしない。
私も教会に通い始めて4年目になるけれど、「洗礼を受けませんか」と言われたことは一度もなかった。
キリスト教の「伝道」とは、神さまのことばを伝えることで、勧誘とは違う。


でも、彼には4年もの時間はもうない。
いつ、どんなタイミングで話したらいいか、よい時を与えてくださいと、神様にお祈りするしかなかった。
(JINさんが「私の死生観とは違う」といって拒んだら、もうそれで終わりだから)
昨日がその時だった。いろんな話の流れの中で、
「JINさん、私が言うのもヘンかもしれないけど、洗礼を受けてクリスチャンになったらどうかな?」
彼は、一瞬びっくりしたような、でも、確かにその言葉を「待っていた」顔だった。
あまりにもあっけなく「それは私も考えていた」と言った。
彼は、聖書も以前に通読されたこともあるというし、近所の教会の英会話教室や、集会にも何度か出かけたことがあると以前から聞いていた。
でも、そこから1歩先に入っていく機会がなかったのだ。

私は、嬉しくて涙が出そうで胸がつまって、なんともいえない感慨に締めつけられるようだった。

ああ、これで、JINさんは、これからの人生を豊かに平安に過ごして、心安らかに「死」を超えていける…

昨日から父と同じ病院に入院したけれど、父のあたたかで、いつもお花が飾られている南向きの個室とは違う。
北向きの相部屋で、他の患者さんたちも、長く患っているようで、なんだか放置されているような印象を受ける。
カーテンも汚れているし、床もきれいとは言えない…
でも、JINさんは、「大好きな女木島と男木島が見えて、明るくてよかった」という。

T病院から、今のところに転院する前に、私は、別の病院のホスピス病棟に問い合わせをしてみたらどうかと薦めたのだけれど、もしも私がJINさんの立場なら、そこで人生の最後の時間を過ごしたい…と思ったのだけれど、
本当の本当に大切なことは、医療や、部屋の清潔さ、きれいさではなくて、心の平安なのだ。
「死」を、神さまの懐に掬い取られる、優しくあたたかなものと思えることだ。

JINさんのことに関しては、早速牧師先生にお伝えして、いろいろと準備を進めていただくことになった。



一方…

父は、3日前から熱が出ては解熱の注射を打つことが続いている。
熱がだんだん上がっていくときには、悪寒がして、ガタガタと身体と唇を震わせ、寒い寒いといって、見ているだけで辛くなるけれど、私ができることは何もない。

どんなに身体を温めても、エアコンで室温を上げても、悪寒はどうしようもない。

昨日は私が付き添いの担当だったけれど、熱が続いているので、ヒロコさんも気が気ではなく、無理して来て、父に食事を食べさせてくれた。
彼女の介助は本当に愛情にあふれて、少しでも楽に…という思いが一瞬にして伝わってきた。
1日でも、1秒でも長く生きていてほしい、そしてその間は、少しでも楽に、、、

父は彼女のすべての介助を受け入れて、甘えきっていた。

今日も私が行ったら、父はまた悪寒がしていて、ガタガタと震えていたけれど、なすすべもなく、父の傍らで祈るしかなかった。

暫くして、父は少しだけ楽になったようなので、「熱いお茶飲む? 身体があたたまって楽になるかもしれないよ」というと、僅かに頷くので、ベッドを少し起こして、ポットのお湯を再沸騰させて、熱くて濃いお茶を入れてあげた。
父は湯のみが持てなかったので、飲ませてあげたら、少しずつ、何十回にも分けて飲んだ。
「お父さん、美味しい?」と聞くと、また僅かに頷く。
食事は、美味しいと感じず、仕方なく生きるために少しでも箸をつけるような状態なのだけれど、
熱くて濃いお茶は、美味しいと感じられるのだ。
1杯では足りなくて、湯飲み2杯、少しずつすっかり飲み干した。

もうレッスンで、帰る時間が近づいてきたので、少し落ち着いたところで、
「お父さん、もう私、行かないと…」というと、
眼を大きく見開いて、「どこに?」と…
「レッスンや。生徒さんが来るからね、ごめんね、もうすぐヒロコさんが来てくれるよ。」

もっと一緒にいたい。

「お父さん、苦しくなったり、寒くなったら、神さまにお祈りしてみて。
神さまは、ずっとここにお父さんと一緒におるよ。」
初めて「神さま」のことを口にした。

父は、また目を大きく見開いた。
いきなり「神さま」が出てきて、びっくりしたのか??

「私、お父さんが熱が出て寒くてもなんにもできんから、お祈りしたんや。
神さま、お父さんの熱を下げてください、悪寒を取り除いてください、
足の痛みや、身体の痒みや、辛いことを全部取り除いてください。
お父さんが、少しでも食欲が出て、美味しくご飯がたべられますように。
神さまは、お父さんがお祈りせんでも、いつも一緒にいてくれてるよ。
でも私がお祈りするより、本人からお願いするほうがいいと思うから、
苦しくなったら、神さまにお願いしてみてね。神さまは絶対にきいてくれよるよ。
それでもどうしても辛かったら、ナースコールやで。」

「わかりました。」
と、ゆっくり父は言った。


理屈なんかどーでもいいのだ。
私は、父に「神さま」を思い出してほしい。







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ある日の諍い…他

2011-11-08 | 実父


11/8

このところ、食欲が少しずつ落ちてきている父は、行っても元気がなく、口数も少なく、無表情なことが多くなってきた。

先日のこと。

食事は、おかゆだけしか食べられず、それも、ベッドを起こすと、尾てい骨がすぐに痛くなるので、1杯のおかゆを途中で2回もベッドを倒して休みながら。
食後のお薬は、小さなすり鉢で「つぶつぶ」を磨り潰して砕いて、スプーンで3回に分けて飲む。
その後、歯磨きタイムで、歯磨きスポンジとティッシュにお湯を入れたコップを沿えて用意する。

…などの一連の儀式のようなことの繰り返しをお手伝いする。

父は、食事が終わって、ほんの少し元気がでたのか、暫く横になっているうちに
「よし。さあ起きよう。トイレに行くけん、起こして」
…といい始めた。
以前はよく言っていたことだけど、最近はずっと言わなくなって、もう父は「起きて歩く」ことを諦めたのか、もしかしたら忘れつつあるのだろうかと思っていた。

「えーっ、トイレいきたいん? 看護師さん呼んであげるよ」
「呼ばんでええ。自分で行ける」
「私、お父さんのこと、よう支えてあげれんもん、転んで怪我でもしたら大変やもん」
「支えんでもええ、自分で行くけん、早うそこのベッドの枠を外して」

言い出したら聞かないので、とりあえずベッドの枠をひとつ外す。
ベッドの枠は、自分で外せないように、本人には見えないように紐で縛ってある。
父は片足を下に降ろして、仰向けでいざるようにしてベッドから降りようとしている。
枠を外しても、寝返りもできない父は、自分ではとてもベッドから降りることはできないのだからと思ったのだけど、
本当に渾身の力をこめてずるずると動いているのを見て、怖くなってきた。

「お父さん、トイレに行きたいんだったら、看護師さんを呼ぼうよ。
私はお父さんを支えてトイレまで連れていってあげられんし、
いつもは、看護師さんにおむつを取り替えて貰いよるんやろう?
それに、この服も、私、脱がせてあげられん。
これを脱がないと、おしっこもできないし、看護師さんでないと脱がせられんよ。」

いろいろと、このままでトイレに行くのは無理だと説得しようと言ったけど、

「全く、アンタは役にたたんのー。役にたたんのは構わん、言うとおりにしたらええんや。
服を脱がんでもトイレはできる。男性と女性は違うんや。
理屈ばっかり言うな。癇に障る。」

父はベッドから降りれば自分で行けるし、介護服など脱がなくてもトイレはできると言い張る。
なんとか、父の気持ちを落ちつかせたいけど、言えば言うほど頑固になって、
ベッドの下にスリッパがあるので、それを用意するだけでいい、あとは自分でできるとか、
私が父の意にそぐわないことを言うと、眉間に皺を寄せて顔を歪めて、本当にイライラした、この上なく不機嫌な顔をする。

この顔、見慣れてきちゃったなあ。
この顔を、父の思い出に残したくないなあ、、、
前歯がなくて、にこにこ笑っている父の顔をたくさんインプットしておきたいんだがなあ…

普段は、殆ど父に反対したり反論はしないけれど、ちょっとでも「それは無理だよ」と、
理詰めで諭されるのが、父は癇に障るんだ。
わかってるけど、大怪我をしたら…とか、そんな場面でどうやって父を落ち着かせたらいいのか戸惑い、
私も「お父さんは自分でトイレに行くのは無理!」と説得してしまう。
なんちゅう頑固オヤジじゃ!と、内心私もイライラしてついつい声もきつくなっている。

…結局父は「もうええ! 何も言うな、何もするな、ほっといてくれ」

ということで、いざこざに疲れ果てて、暫くうとうとして、落ち着きを取り戻した。
そこで…
「アンタやけん、まあしょうがないけど、これが○○さん(パートナー、ヒロコさんの苗字)やったら大喧嘩するとこやった」
というのだ(-_-;)

ヒロコさんには、もっと理不尽な我儘、ブチまけまくっているんだな、、、
大喧嘩だなんて…ヒロコさんは、面と向かって反抗しないし、喧嘩になんかなるわけない。
お父さんが一方的に我儘で怒鳴り散らしてるんでしょ、、、、



でも、父の超絶イライラが収まって、仲直り?できてよかった。
最後には心をこめて手を握って帰ってきた。


介護服というのは、自分で脱ぎ着できないようになっている。
父は、認知も進みつつあるし、自分で点滴を外してしまったこともあり、これを着ることを義務付けられている。
点滴も外れている今も介護服を着るのは、自分で脱いでおむつを外したり、自力で用便しようとして、衣服などを汚さないだめなのだ。

私は、介護服のボタンの外し方は知っているけれど知らないふりをしている。
いったん外したら、父は絶対にそのままにしておけと言い張るに決まっているので、
そこを無理やりボタンをかけることを想像したらとんでもないので…
そうでなくても、いろいろトラブルで、レッスンに間に合わないことも何度かあった。
すべて看護師さんとヒロコさんにお任せしている。
…結局逃げの体勢なんだな。

なので、背中が痒いというときは、首から手をつっこんで、めっちゃ不自然な体勢で気が済むまでガリガリ掻いてあげるので、私は腰が痛い(^_^;)
「介護は、腰!」と、エキスパートkaedeちゃんが仰ってますが、
ホントに、身体の向きや位置を変えるだけでも、全体重を腰で支えてやらなきゃいけないので、「介護は腰が要!!」と実感します。


また別の日、おかゆ以外食べられなくなってしまった父に、大根おろしはどうだろう…と思って、聞いたところ、大好物とのこと。
やったー!とばかり、採れたて泥つき大根のおろしたてを持っていった。
「ああ、ええ匂いやなあ…」といって、口に運んだところ、辛すぎてダメだった(T_T)

これなら食べられるかな…という、好物の梅干も、山芋も、果物も、だんだん食べられなくなってきている。


ふと、高村光太郎の「レモン哀歌」を思い出した。
今でも暗唱できます、、、

でも、まだそんな時期じゃない。
それでも、ひと匙でも、無理やりじゃなくて、「ああ、美味しい」と思って食べられるものをあげたい。


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神さまのこと

2011-10-18 | 実父


9/24 神さまのこと



父の食欲が突然出て、未知の世界に突入してから2ヶほどが過ぎた。

この介護記録をこのまま続けてアップしていくか、いろいろ考え込んでしまうことが多くなってきた。

まずは、この記録を父が亡くなったらパスワードを外して公開しようと思っていること。
私は自分のプロフィールを公開しているので、父のことも公開することになる。
それはもちろん自分の中でも「可」と思っていたけれど、
認知のことや、排便のこと、日々の生々しい記録を、殆ど実名で公開すると同じことになる…
そう思うと、ちょっと腰がひけてきてしまった。


父の生徒さんや、同業者の方たちには、父はいつまでも矍鑠として踊るイメージを心に刻んでいてほしい。
父はこの記録を公開することを承知してくれるだろうか?

それから、母のこと。
母は自分が現在の夫とは再婚で、最初の夫である私の実父との過去を掘り起こすことになる。母はヤだろうな~

いや、今までにも、何度か母や実父のことは書いてきたのだけど、それほど何も問題はなかった。
けれど、、、

そんなことを考えながらキーを打つと、思いが指先にスムーズに伝わらなくなって、思わず手が止まってしまう。
私は、ひたすら、父と自分の記録のためにこれを書いているつもりでも、やっぱりブログなので、どこかで読み手を意識している。
それは当然のことだと思う。



先日、新聞の「中学生学力アップ講座」みたいなので、国語の読解問題で、「媚びる文章と、ひとりよがりな文章」というようなテーマの文章が載っていた。
筆者さえ忘れてしまいました、すみません。立花隆さんだったかなあ…??

前者は特に、文章を書く初心者が陥りやすい欠点で、「媚びる文章」とは万人に微笑みかける、TVでアイドルがにこにこしているようなもので、TVなどのビジュアルにおいては、万人向けの笑みは効果もあるが、文章では、読者は必ずそれを見抜く。
「みなさん、いつもありがとう…」と、にこにこ微笑んで語りかけるような文章だ。
文章でそれをやられたら、読者は馬鹿にされているような気分になるし、実際に筆者は読者を下にみている。
一方ひとりよがりの文章というのも、「驕り」からきている。自分の書く文章はきちんと解釈してくれるのが当然…のようなところにハマってしまうことがあるので、プロでも「編集者」のアドバイスが必要。
自分の書いた文章を客観的に読めることが大切だ…というような内容だったと思う。

う~ん…ものすごく「なるほど~~」と、いろいろ思い当たることがたくさんあった。

日記以外の文章は「伝える」ために書くものだ。

顔の見える人、見えない人、ごちゃ混ぜの「ブログ」という場所に父との最後の日々の記録を書いて私はどうしたいのだ…



まあ…それはともかく、父は今、「食欲旺盛」の時期は終わったらしい。
少しずつまた、食が衰えてきている。
リハビリを頑張ろうよ…というのも幻想に終わったのか、、、

リハビリもできない、もう家にも帰れない、踊れない、ベッドで寝て食べるだけの日々の父に、正直いって、私はそれでも生きていてほしいと思わない。
父には心やすらかに、旅立ちの準備をしてほしい。
その時がきたら、本当に厳かに、見送ってあげたい。

死は旅立ち…?
そんなことも、幻想かもしれない。

仏教とキリスト教の死生観についても考えたりする。

私はこれまで、人は死んだら転生しながら修行をしていくように思ってきたので、
現世の記憶は死んだらリセットされるし、「あなた」と「わたし」の関係は現世限り。
だからこそ、「一期一会」この袖振り合う出会いを本当に大事にしなくてはいけないのだ…と思ってきた。

ところが…キリスト教は、「転生」しないのだ。
修行なんかしなくてもいい、イエスさまを救い主と信じればいい…

ああそういえば、仏教も、宗派によって「南無阿弥陀仏」とか「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで救われるんだっけ…とか、、、
「救われる」とは…「天国にいける」こと…のようだ。
「天国」ってあるよね…でも「地獄」もあるらしいじゃないの。
そんなん信じられない。
神様は人間を永遠の地獄に落とすのか…?

…こんな宗教でも、この世での生を終わろうとしている人の心の平安に役に立つなら、なんでもいいよと思った。
ホントのところなんか絶対に人間にはわからない。
私は神様を信じているけれど、この世にものすごくたくさんの宗教があるけれど、
神様は唯一絶対に決まってるよ。
どの宗教が正しいのかさっぱりわからないけれど、私は、死ぬときは神様の掌にすべてを委ねて掬い取られていくよ。

父は、どう思っているんだろうか。
父は、自分がもうすぐ死ぬことを察知しているのだろうか?

ヒロコさんと父の間には、「死ぬ」ことについての会話はないのだと思う。

これまでの人生、ずっとラブラブで過ごしてきたパートナーと、もうすぐお別れすることになるのに、、、
そんなでいいの?
いつ、二人でそんな話をするの?

「天国で、待っているよ、また会おう」

こんなんでいいじゃん。
父は、家に仏壇と神棚があって、毎朝、神棚に向かって拍手を打つ信心深い人でした。
でも、今、神様のこと、忘れてるんじゃないかなあ…
父に神様のことを思い出させてあげたい。
「お父さんはもうすぐ死ぬから」とは伝えずに。



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ボケたら道端に捨ててくれ

2011-10-07 | 実父

9/22


今月から親子でピアノを習いにいらした生徒さん、お母さんは医学部出身の方で、終末医療にも明るいらしく、身近にそういう知り合いができて、ほんとにラッキー♪

彼女のレッスンは土曜日。父の付き添いの後の時間帯なので、たまにいろいろトラブルがあると、レッスン時間に間に合わず、変更をお願いしてしまったことも。
それをきっかけに、父の病状や、認知の度合いなどをお話したことろ、私の知りたいことを、とてもわかりやすく説明してくださり、本当に、救われた。
なんだか、手探り状態から、先が見えてきたような…

先日、ヒロコさんに「父は最近体は元気そうだけど、病気の状態はどうですか?」とメールしたところ、
熱を出してから食欲が落ちている。顔も足も少しむくんできているでしょう…というレス。
エッ( ̄□ ̄;)!!
父の顔はお肉がついてるんじゃなくて、むくんでいるのか!?

食欲は確かに、この日も少し落ちていて、おかずを半分位残していた。

私は何をどうしたらいいのだ…

といっても、毎日付き添っているヒロコさんの指示通りにするしかないんだけど。

食欲のピークは確かに過ぎて、これからゆっくりとまた、食が細くなっていっていくのかな…

「お父さん、何考えよるん? ぼーっとしてたらボケるよ」
「ボケたら、そのへんの道端に放り出して捨ててくれ」

自分はまだ大丈夫なのだと、ボケたりしないという意思を感じた。
自分でも、日付と曜日の感覚がわからなくなってきていることには自覚があって、とても歯がゆいらしい。

でも、以前、「NHKきょうの健康」で認知症について読んだことがあったっけ。
さっきのことが思いだせなかったり、今の状況がわからなくなったりする不安は、傍でサポートしてくれる人が代わってあげられることなので、
愛情をもって接して安心させてあげることが大切…
今日は○月○日で、○曜日はいつもヒロコさんが来られないから私が来るんだよと。
それでも、ヒロコさんはその辺にいるはずだと言い張り、仕事は午前中までだと言い張る。

「お父さん、将棋できるん?」
「ああ、将棋、もうずーっとしとらんけどな、弱いんやけど。」
「ほな、こんどTakを連れてくるとき将棋持ってくるからTakと対戦してやって。
Takも弱いんや~~」

そうだ、将棋ならイケるかも。

部屋を出るとき、
「お父さん、ぼーっとばっかりしとったらイカンよ」
…と言ってしまったけど、どうしようもないよね。ベッドから一歩も動けない、一次元の世界みたいなもんだもん。




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リハビリしようよ

2011-09-24 | 実父


9/15 リハビリしようよ


昼食にギリギリセーフで間に合った。
父は、もう勢いよく食べにかかっていた。

「お父さ~ん、こんにちは!」
…といって部屋に入る前に、とりあえず深呼吸して、気分を介護モードに切り替える。

でも、父と会ったとたん、いつも意外とリラックスして長い時間を過ごせる。
元気になった父の食事の介助はもう殆ど必要なくなった。
食べにくそうな大きなお肉や、フルーツを切ってあげる程度。

それよりも、排便や、体の痒さや、筋肉がなくなって同じ姿勢でいると骨が痛くなったりすることに気をつけてあげることや、
何より、話し相手をして、脳を活性化してもらうこと。
なるべく外の世界との繋がりが切れてしまわないように。

「お父さん、もう看護師さんと仲直りしたんな? 喧嘩しよらんのな?」

しよらん…とはいうものの、父は、「入院当初は、親切で優しかった看護師さんも、
だんだん手荒になって、口調もきつくなってきた」と文句を言っていた。
そりゃ、お父さんも慣れてきて、だんだん我儘を言うようになってきたからだろー…と思いつつ、
「そうなん。みんな人間やから、いやなことがあったり、ストレス溜まったりすると、
キツくなったり、ツラくあたったりするんやわ。
イヤやね~そんなん。みんなお父さんが優しいから、甘えとるんやろう。」

とはいいつつも、この日の父は穏やかだった。

お昼は鶏肉のソテーだったので、差し入れした「コブサラダ・ドレッシング」をかけてあげようと冷蔵庫を開けたら、撤去されていた。
ああ… これもダメか。マスタード系でスパイシーだからな、、、

ベンチチェアには、どなたかのお見舞いが置いてあった。
果物と、ケーキやプリンなどのセットだった。
「お父さん、今日誰かお見舞いに来てくれたん? ケーキがあるよ。あとで一緒に食べよう。」
誰が来てくれたのと聞いても、父は「アンタに言ってもわからん」と…
でも、そのうち父はヒロコさんにTELしてたけど、そのときには誰が来てくれたのか忘れているようだった。
「たぶん○○やと思う…」と、、、

私が昼付き添いにきたことも、夜には忘れているらしいし。

ヒロコさんにかけたTELを私に変わったら、ヒロコさんは「お見舞いのお菓子、TAKAMIさんが持って帰って。」としきりに言う。
いっぱいいただいても、食べきれないから…というのと、病院食以外はあまり食べさせたくないという気持ちがあい混じっているのではないか…という気がした。

でも、もう食べちゃったよ、ケーキ。
脂肪分も多いし、あまり肝臓にはよくないのかな…
美味しいといって、喜んで食べたんだけどなーーー


ふと、私の祖母の認知のことを思い出した。
祖母が亡くなったのは、もう20年以上前なんだけど、、

あるとき、祖母も含め、家族みんなでカラオケにいったことがあった。
祖母にとって、最初で最後のカラオケ体験。
私たちは、祖母のために、文部省唱歌みたいなのを次々に歌って、祖母も一緒に歌ったり、ちょっと戸惑いながらも楽しそうだった。

…でも、翌日になったら、祖母はカラオケに行ったことはすっかり忘れてしまっていた。

どんなに楽しくても、美味しいものを食べても、次の瞬間に忘れてしまうなら、それは無駄なことなんだろうか?
長生きのために、病院食だけを食べ続けるほうがいいのだろうか。


どう思いますか、みなさま。


これは、人それぞれ、相手に対する愛の質や、人生観、世界観、死生観などの、人間のとても根幹的な問題だと思う。



父は、毎日もりもり食べるおかげで、顔に艶も出て、顎のあたりがちょっとふっくらしてきたような気がする。

「お父さん、顎にお肉がついてきよるよ~。
こんなとこにお肉をつけられるる位なら、足腰の筋肉をつけようよ。
リハビリしようよ、お父さん。」

少しずつ、足を動かしたり、寝返りの訓練をしたり、それがお父さんの仕事だよ…とは言わなかったけど、
私は目の前にいる元気な父が、癌の末期で、死を待つだけの人とは全然思えないのだ。
父の生命力は、ホントにがん細胞を征圧しているのではないかとさえ感じる。
でも、ベッドに寝たきりが半年以上も続いて、失くしてしまった筋肉は、リハビリで取り戻すしかないのだ。
高齢だから、若い人の何倍も時間がかかる、けど、不可能ではないと思う。
頑張ろうよ、お父さん。
「もう、元には戻れんかもしれんのー」と父は言うのだけど、
「そうやって諦めたら、そこで終わりやで。」

父の入院している病棟は、一般病棟と違って、長期入院を受け入れる代りに、積極的治療は施さないと聞いている。
詳しいことはわからないけれど、「リハビリをしましょう」なんて、病院側から提案することなんかないのかも。

この日、私は父と、いろいろグチグチの話をした。
免許証の更新ハガキが届いていないんですけど…と免許センターにTELしたら、まず警察署に確認にいけといわれたのよヽ(`Δ´)ノ
電話の問い合わせには応じられないので、直接署にいけっちゅーのよ!
なんじゃその対応は! いばりくさっとる!!
ってことで、意気投合したり…

なんか、そーいう病院の外の世界のことも話題にしたいんだけど、なにしろ共通の話題がなくて、
どうしても昔話とかが多くなってしまう。
グチグチでも悪口でも、ぼんやりしてるよりはマシだ。
父の頭の中は、会うごとに少しずつ退化していっているように思う。
そして、こちらもそれに慣れてくるってもんだ。

体の見かけは元気な父に、頭が退化してほしくない。
今暫く病気の進行が留まっているのなら、リハビリ、がんばろうよ、立てるかもしれないよ。

…と思っているのは私だけのようなんだよな、、、、


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喧嘩

2011-09-16 | 実父

9/8


軽くお見舞いを除けば、父の付き添いは木曜と土曜の2回。
土曜は、仕事で行けないこともあるので、今回は1週間ぶり。
暫く間があいてしまうと、私のこと、わかるかなあ…と最近思う。
でも、まあまだまだ大丈夫そうだ(^_^;)

でも、今日は、行ったとたんに、
「今、看護婦とケンカしたとこや」という、、、
理由は、やっぱり「トイレに行きたいので、ここから降ろしてくれ」ってこと。
看護師さんにダメですといわれ、「お前らは金を貰って仕事をしてるんだろう」みたいなことを噛み付いたらしい。
看護師さんたちが、いろいろ説明して説得したようだけど、「それなら先生を呼べ」とか、父はゴネまくったらしい。
「そりゃ、お父さん、無理もないよ」とはいえない。
「ふーん、そうなん。大喧嘩して、疲れたねーー」
なんとか、気持ちを切り替えてもらおうと他の話に逸らし、もうすぐお昼だよというと、
「フン。もう食べんとってやる。」と拗ねていた。
「お父さんが食べなくても、看護師さんたちは誰も困らんよ。お父さんの体が元気がなくなるだけやでー。」と往なす。

でも、昼食が運ばれてくると、父は、ケロリとして食べ始め、この日も完食した。
食事のあとも上機嫌で、穏やかで、
「また来るね」「ありがとう」
といって別れた。


その夜、ヒロコさんからTEL。

「TAKAMIさん、今日はありがとう。付き添いに来てくれてたとき、何かあった?」

「何もないよ。だけど、看護師さんと喧嘩したって言ってた。すごく怒ってた。
私は、レッスンがあるので、あまり長くいられなくて、2時半ごろには部屋を出たので、
その後のことはわからないけど、また同じ理由で何かあったかも。」

父は、夜の付き添いに来たヒロコさんに、「こんな病院、もう居たくない、退院する」と言い張り、看護師がなっとらんと、毒づいたそうなのだ。
点滴もはずれて、薬を飲んでいるだけの父は、病院にいる理由もない、家に帰ると…

本人がそう希望すれば、病院としては「いつでもどうぞ」という状態なのだ。
ひからびきった状態で転院してきた当初に比べたら、うんと元気になっている。
病院の説明では、大静脈への点滴より、きちんとした食事のほうがよほど良いのだそうで、
今後この状態が続けば、点滴は不要なのだそうだし。
けれど、父は、自力で体を動かすことが殆どできない。
それなのに自分の体の状態がわかっていなくて、一人で起きて、立って、トイレにも行けるし、買い物にもいけると本気で思っている。

家に帰れば、一人暮らしなのだ。一人になんか絶対にできない。

排便のことは深刻だ。
赤ちゃんでも、ウンチが出たら不快で泣くんだから、、、、

ヒロコさんは、父のおむつ替えをしているけれど、私はヒロコさんにも父にも遠慮して、
これまでおむつ替えのときには、介護師さんが来てくださるときも席を外していた。
でも、介護師さんたちには、「あの人は娘なのに、なんでおむつを替えないんだろう」と思われていたかなあ…
私も、本来なら当然やる立場なんだ。

なんと私は今日までそこのところに思い至らなかった。

父は私が「おむつ替えてあげるよ」といったら、なんていうだろうな~
絶対遠慮すると思う。
まーその前に、「トイレに行くからここから降ろせ」ってなるんだろうけど、、、


ネットで、おむつ替えの手順を検索してみた。

…やっぱりプロはすごい。
練習が必要だ、、、
そんなにすぐにてきぱきとはできる筈もなく、父はものすごくイライラして、不機嫌になるだろうなー。
もっと切羽詰るまで、こっそり練習しておこうかなあ…Takで(^_^;)
きっとTakは今なら喜んで協力してくれると思う。

少し前から、せめてヘルパー2級の講座を受講しておくことを考え始めたけど、
もう間に合わないかもしれない…などと思ったり、
それでも時間のやり繰りも実際に考えてみたけど、、、困難だ。
なんとかしたい。
なんとかしようと思えばなるはず。


父は、たぶん3日に1度ぐらい体を拭いてもらって、週に1度程度シャワーをしてもらっているようだけど、皮膚がぽろぽろと剥がれていくのを爪でガリガリと掻いて、ベッドが皮だらけになっていた。
ティッシュで払ったけど、それでも残っているので、小さいテーブル用の箒を買ってきて払ってあげた。
介護師さんたちは、こんなことにはあまり頓着しないんだろうなあ。

私はいつも何をしたらいいか考えるけれど、時々的外れだったりする。

父が「ピリ辛」系を食べたがっているので、食べるにんにくラー油を小瓶に取り分けて持ってきたら、喜んでサラダやおかゆにもかけて食べていたそうだけど、
排便が痛くなってしまって、自分でトイレに行きたがったり、おむつの取替えを嫌がったりするようになったそうだ。
ヒロコさんにとっても、想定外だった。

「何を食べてもいいですよ」といわれていたのに、
何でも食べられるようになったら、今度はなるべく病院の食事だけを完食することが望ましいとドクターから言われ、
試行錯誤の毎日は続く…

大好きな麻婆丼と坦坦麺を食べさせてあげる日が遠ざかっちゃったよ(T_T)


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トイレにいきたい!

2011-09-09 | 実父


9/1 

家の用事をしていて、父のところに行くのが少し遅くなってしまった。

部屋に入ったら、父は食事を始めたばかりだったけれど、私の顔を見るなり「トイレに行きたいから、ここから降ろしてくれ」と。
顔を歪めて、不快感をあらわにしていた。
私は、咄嗟に父の手をとったけれど、父は、渾身の力をこめて私の手を掴んて、ベッドから降りようとしている。
父の腕の力がまだ残っているのは「引っ張りあいこ」のときに知ったけれど、今日はそのときにも増して、必死の様相だった。
ものすごい力で震えながら起き上がろうとしていた。

どうしてそこまで…

「お父さん、便はおむつの中にしたら、すぐに介護師さんが取替えにきてくれるよ。」
「そんなんわかっとるけど、したくてもできんのじゃ!」

ヒロコさんから、父は介護師さんにめんどうをかけるのが申し訳ないという気持ちがあって、
自分で用を足そうとするという話をずっと以前に聞いていた。
入院したばかりの半年も前、自分でベッドから降りてトイレに行こうとして大失敗をしたときの話。
でも、今は、少し違う。
絶食していたり、おかゆ以外なにも食べられなかった頃と違って、
今は出される食事を完食しているのだから、便もそれなりだと思う。
人間の本能として、着衣のまま、寝たままで排便するというのは、とても不快に違いない。

私は父の言うとおり、ベッドから降ろそうと試みる(ふりをする)けれど、父には、自力で起き上がって、立つことなんかできないのだ。
不快この上ないというふうに顔を歪めながら、おむつの中に排便したようだった。

すぐに介護師さんを呼んで、取り替えていただくようお願いしたけれど、、父はまだ終わってないと思ったのか
「取り替えさせてくれないんです、すみません、もうちょっと待ってください」と…
暫く待って、とりあえず出た分だけでも、残りもまたすぐに取り替えるからということで、
やっと納得して、取り替えていただいたようだ。


看護師、介護師さんたちも、私が実の娘だと、だんだんわかってきていると思う。
私は娘なのに、なんで父親のおむつ交換をしないんだろうと思われているだろうなあ、、、


中断した食事を再開して、それからは、スッキリ気分がよくなったらしく、父の機嫌はよかった。

父は、介護服の足の部分のファスナーを締めるなと言ったらしく、太ももの付け根から足がむき出しになっていた。
太ももの脂肪も筋肉もなく、骨とシワシワの皮だけで、膝の関節部分だけがとても大きく見えた。
切なかった。

「哀れげなやろう…」
父は、自分の太腿をさすりながら他人事のように言う。
「ほんとやねー、皮がたよんたよんや。リハビリせないかんね。」

お父さん、入院して半年経って、突然ご飯が食べられるようになったんやから、
それまで全然食べられずに、もうこのままひからびていくんかと思っとったんやから、
リハビリも、まずは寝返りからやわ。赤ちゃんといっしょや。
ちょっとずつ動いて、ベッドから降りられるようになろうよ。

気休めじゃなくて、ほんとに心からそう思わないと、こんなこと言っても伝わらないと思う。

このまま父の認知が進んで、自分の体の状態がわからなくなり、子供から赤ちゃんに帰っていって、ついには天に召されるのが幸せかもしれないし。
奇跡の復活を遂げて、今いちどダンス教室のフロアーに立てるなら素晴らしい。
世界一頑固な父は、きっと自分の本能で自分のこの先を選ぶ。
私は、それを介助してあげればいいのだ。


朝からなにも食べてなかった私は、「スパイシーモスバーガー」を買いにいって、ついでに父に「かき氷」買ってくるね…といって、中座したのだけど、
部屋に帰ってきたら、父は熟睡していた。
私がモスバーガーを、もぐもぐと無心に食べていると、介護師さんがおむつ交換に来てくださった。
「今、熟睡してます」というと、介護師さんは、「しめしめ、じゃあ今のうちに」って感じで、処置をして下さった。父は全然起きなかった。
きっといつも、おむつ交換には手こずっているんだろうな、、、

昼食どきの排便事件で、父はきっと体力消耗しまくって、疲れて寝てしまったんだ…


せっかくのかき氷、解けちゃうけど、多くぃむリミット。起こさず黙って部屋を出た。




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