WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

1年が経ちました

2021-04-20 | 人生妙なり

今日は冒頭画像にふさわしいものが全くないので 去年の10月の空



1年前の、緊急事態宣言の頃、高松はとても静かだった。
私もレッスンをいったん中止して、収入が激減したぶん、SYOさんの家…今後は多肥(たひ)宅と書きます…で暮らして、
節約生活しながら、庭の手入れのお手伝いをするようになった。
SYOさんは「創造」私は「草抜き」。
全くのぺーぺーの私がSYOさんにご指示を仰いだところ、
「砂利を敷いてあるところに、砂利以外の何もないようにしてほしい」と。
なるほど、砂利は人が歩くところ。

雑草も枯葉もない状態。
当時はそれが普通にできていた。2日で家の周り一周。それでできていた。これからもSYOさんの家の周りを公転し続ければいい。わりと無になれて好きだった。
無心にカタバミを根こそぎ抜くのが好きだったなぁ。

あれから1年。
SYOさんの庭の木は私にはどうしても手に負えないので、ご近所の迷惑にならないよう、すべて切って貰った。もう庭はなくなった。
1年分ごっそり落ちた枯葉やどんぐりも片づけられないまま、1年が過ぎた。

やっと少しずつ草抜きにも着手できる状況になってきたので、
今日は早起きして砂利部分の草抜きにとりかかった。
砂利は雑草の遊び場と化していて、伸び伸びと楽しそうだ。




「砂利以外何もないように」はもはや無理だ。
でも雑草はなんとかなる。
しかし砂利の中にハマっている大量の落ち葉や小枝ををひとつひとつ完璧に取り除くことはもはやできない。
…いや、膨大な時間をかけて根気よくやればできるか…。
1日2㎡からでもやれば、、もう新たな落ち葉は落ちてこないんだし。
そう思って小さな枯葉や小枝も取り除いていけばいいか…と初めは気を取り直してとりかかった。
SYOさんはずっとひとりでやってんだから。


2時間でこれだけ


…が、これではマズイ。

やはり「テーマ別」でいこう。
大塚美術館も次回から「テーマ別」ていくつもりだ。

まずは、今日は放射状に葉を広げているヤツ。オオバコ系?? なんか私ヘンなこと言ってたらご指摘ください。
これがいちばん目立ってやぎろしい(見た目悪く邪魔)。しかし、まあまあ抜きやすい。
その傍にはびこっている「カタバミ」も根こそぎひっこ抜きたいんだけど、ここは我慢して、次回に取っておく。

   


最後に手作業で落ち葉をできる限りかき集める予定。
砂利に「がんじき」は、かなり厳しいものがある。
「がんじき」とは「くまで」なのだが、地方によって言い方が違うらしい。

多肥庭は、その名のとおり、砂利の下も腐葉土だ。
ここに雑草が生えない「根まで枯らす」除草剤、何も知らない私にぜひ教えてください。

私は、こんなことやりながら、一緒にいるときには気付きようもなかったSYOさんの心の奥底を垣間見ています。
こうしてSYOさんとの音楽的、プライベート的お付き合いは続いているのだなー、、、


スーパーの惣菜ランチ


午前中がおわって、いつもSYOさんと一緒にいっていた「マルナカ」にお昼を買いにいった。
迷わずロースカツ。これをグリルするとなかなか美味しいのだ。
それに、ウスターソース、ケチャップ、辛子、すりゴマ(ぐるぐるするヤツ)をお好みでやる。完璧だ。

缶ビールも飲んで、ちょっと原稿とか、お手紙とかいろいろ書いたりして、ピアノも弾いたりドラマも観たり…でっ、夕方からまた作業やった。

来週は「カタバミ」に挑む。



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ダシアンの季節到来

2021-04-06 | 宅飲み&うちごはん


桜の季節も終わりました。
私、今年もちゃんとお花見しましたひとりで。
「詰田川」で。
「ちゃんと」とは、お花見弁当酒アリね。
酒飲んでも歩いて帰れる。
毎年何回もあちこち行ってたけど、1回でもここでじっくりできて、ほんとによかったな。
お花見弁当はローソン。
私の好きなおにぎりとおかずばっかりで、玉子焼きが甘くなかったのが特によかったな。



高松に帰ってきてから、このマンションに住んでから、「詰田川」は心のふるさと。ショボい二級河川だけどね。






さて。
「ダシアン」の季節到来。

「ダシアン」とは、原型は山形の「だし」
小さく刻んだナスやキュウリに納豆昆布でねばりをつけて、ご飯にのせて食べるお惣菜です。
息子がナスが嫌いで、ナスを買うことがほとんどなかった私は、息子が巣立ってから、生でナスを食べるこのレシピに、もうハマりまくりました。
そのうち、どんどんアレンジしまくり、暴走しまくり「だし」とは全然違ったところへ…
5mm以下に刻むは1cm以上に
トマト、アボカド、その他果物など投入
味付けはナンプラーとレモン。パクチーと唐辛子も投入

そして「ダシアン」と命名(平田耕造様)。

私、このところ、正直いってどんよりあまり家事ヤル気なく、ローソン&マルヨシ惣菜と、時折持ってきてくれる母のおかずで生きてました。
たまには5分で作れる「うどん焼き」や「カレーうどん」などは作ってたけど。
しかし!
ダシアンの季節到来!

毎日いろいろアレンジしてやってる。またさらに暴走しそうな予感、、、

発端は、スーパー&コンビニ惣菜を買ってアレンジしたことだった。
コロッケと唐揚げ、それにネバネバ系のサラダ…を和えたような、、(もう忘れた)





さて。やはりダシアンだ。




冷凍庫にカピカピでヤバそうな豚肉とか、厚揚げ焼いたのとかにかける。ガーリックラスクのときはもう美味しすぎて予定の倍、ラスクを消費してしまった。



こんなに書いてもあまり説得力ないだろーなーーとは思うのですが、
フルーツを投入する…はよいですよ。
ビワ、柿、パイナポー、りんご、梨、葡萄、いやもぉ~~いろいろ試しました。どれもvery good です。
りんごは、肉とともに炒めるとさらによいです。







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SYOさんの追悼LIVE

2021-03-09 | アーティスト魂



https://www.facebook.com/events/719311362100992/


4月にNomadでSYOさんの追悼LIVEやります。
SYOさんのお嬢さんの亜里紗さんは、ジャズピアニストです。
すごいんです。
ぜひ、ご参加いただけたら嬉しいです。
私もほんのちょっとだけ参加して、今後の表明したいと思っています。



もうそろそろ、SYOさんの話題じゃない記事を書けそうかもね…と思っているところだったんですが、
私の心の中にはSYOさんのかけらがいて、いつも一緒感満載なので、これからも拙ブログの記事に「SYOさん」の名前が出ないことはないと思います。

でも、SYOさん外の、あんなことこんなこと、いろいろありますので書きます。

先日「チシティ」というパキスタンカレーのお店に、数年ぶりで行きました。1年や2年じゃないと思う。
冒頭の画像はそのお店の窓際席から。
市役所や銀行に、通帳その他書類など発見しては、まあいろいろ年金とか、相続系とか手続きにいってる合い間のことなのです。
まあ、そういう日々がも~~ずっと続いています。
SYOさんは小分け主義だったらしく…とかまあそんなのはいいとして。

SYOさんは、東南アジア系のカレーが苦手なのでした。
1回一緒にいったけど、ちょっとダメそうなので、それからは二度と一緒にいってません。
1人で、ギリギリセーフのランチに行ったり、お友達とのディナー飲み会などなど。

いきたいなーと思いながら、数年が経過していた。。。
オーダーのカリーがきたとき、もぉ、はやる心で画像撮ることもわすれてむさぼりまくりました。

お料理の画像がご覧になりたければ、拙ブログ右上の「検索」で「チシティ」でブログ内検索してくださいませ。



それから、SYOさんの衝撃的な召天以来、食欲がさっぱりなく、
母が作って届けてくれるおかず以外は殆ど食べられませんでした。
しかし酒は飲む私。
そして、ローソンスィーツ買うようになった。
これ以外にもめっちゃいろいろ。




ロカボナッツにもハマってます。






母のおかず以外ローソン食ばっかり食べて、自分で料理を全然してないのはマズイだろうと思い、まず作ったのは「うどん焼き」でした。
スーパーの「野菜きのこミックス」みたいなのを使ってですが、5分でできる「うどん焼き」。
うどんは1袋で買えます。「野菜きのこミックス」は2度に分けてキッチリ使いきれます。





ま~~これから私も独身となりましたので、独身らしく良い食生活を送ろう♪



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SYOさんの命日(1カ月召天記念日)

2021-02-28 | 人生妙なり



今日はSYOさんの1カ月命日です。キリスト教では、「1カ月召天記念日」というそうです。

自宅マンションでいろいろと「残務処理」のようなことに日々追われて、そう考えるとあっという間の1か月でした。

手続き関係、まだ始まったばかり。まだまだ山ほどある。
ひとりでは途方に暮れるところ、両親、弟妹に支えられて心強い日々です。

仏教では「命日」ですが、キリスト教でも「命日」ってあるのだろうか、1か月の区切りってあるのだろうか、、、
そんなことも全然知らないまま、東京の友人から「命日」のお花を送っていただいたし、
私としてもなんか、なんとなく「区切り感」のようなものを求めて、仕事にも復帰しているので、1週間ぶりにSYO さんの家に来ました。


来たら来たで、ポストが凄いことになって、その中から重要な不在連絡票を探すとかいろいろ、、、


ちょうど妹から電話があり、
「今どこ?」
「SYOさん宅。今日はSYOさんの1か月召天記念日なので、なんか、来たかった。」
妹は、「しょうてんきねんび」とい言い方は悪い冗談かと思ったとのこと。
「一カ月召天記念日」というのがほんとにあるのか、私も知らなかった。
ここに来たからといって、何をしたらいいのかもよくわからない。
SYOさんの霊魂はここにはいないし。

それで、早速ググってみたのでした。
「1か月召天記念日」って、一応ちゃんとした名称だった。
そうか。私の「大切感」は間違ってなかったんだな。

そして、ご遺族によっては、自宅で近親者などを集め、牧師を招いてお祈り、メッセージ…などの式を行うこともあるとのこと。

私は、今からひとりでSYOさんの1カ月召天記念日やります。ミュージシャン的召天記念日。

東京の友人ご夫妻から届いた「命日」のお花。
SYOさんのピアノにも、写真にもとっても似合ってすごく素敵。
召天記念日らしい雰囲気になってきました~~


まずは感謝のお祈り。
そして、讃美歌や、SYOさんと一緒に演奏した曲などなどたくさん歌おうと思います。

可能性は低いですが、途中から激泣きモードになる可能性もあるので、
いや、それよりヨッパには確実になりますので
今のうちにアップさせていただきます。






さて。その続きです。
お祈りから初めて、ひとりでミュージシャン的「1カ月召天記念式?」やりました。
やはり、お祈りのときには泣きましたが、、、
その後、SYOさんと次回は一緒にやりたかったけどできなかった曲を歌った。
さすがにこれは最初は激泣きモードだったけど、だんだん超絶練習モードになった。

これが、神さまも、SYOさんも私に求めていることなのだと感じる。

私は、SYOさんがいなくなっても音楽活動やる。
でもSYOさんの代わりのピアニストはいないから自分で弾く…というスタンスです。
4月のSYOさんのお嬢さんをお迎えしての追悼ライヴでは、私もほんのちょっとこれからやるよ表明もしたと思います。

詳細はまたご案内しますので、よろしくお願いしますね。


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exinTAKAMI

2021-02-22 | キリスト教のこと


SYOさんが天国に帰ってから、激泣きの回数も少しずつ減ってきたような気がします。

もともと寂しいけど辛くはありません。

もうそろそろ別の記事も書けそうかも、、、

今日は、実は久しぶりにピアノの蓋を開けました。
久しぶりすぎるだろ~~~~!!
4月から早速SYOさんの後任で奏楽の奉仕をすることになっていて、
いくらなんでも、もう練習せねば、、、
どんだけ音楽と離れてしまっていた!?

ヨッパで激泣きしてしまうことがあるのは、もうひたすら神さまへの感謝とか、「神さまほんとにありがとう」という想い。
神さまが私とSYOさんの出会いからお別れまでのすべてを計画通りにしてくださったのだという想い。

そして、ひとりになっても、私はこれから、賛美リーダー(歌)だけでなく、奏楽者としても用いられていくのだ。
あと、聖書朗読者。
ものすごく嬉しい。
これも神さまの計画。

exintaはギリシャ語で60 ここらかの出発と思えます。
カンレキってなんかイマイチ…いや、イマ∞なので、言いたくないし、なんかオシャレなヤツないんかいと、誕生日頃にいろいろ捜してみてたのですよ~~♪♪





激泣きとは感激泣きです。

激泣きは私にとってカタルシスなのでよいのです。


SYOさんの衝撃的な召天のあと、、家族が心配してほんとうに毎日のように、食事を持ってきてくれたり、顔を見にきてくれたり、電話をくれたり、
そして、各種手続きに付き合ってくれたり、甘やかされまくっていた私。

どんだけ幸せ?


昨日は3週間以上ぶりに仕事にいったけど、全然OKでしたわ。
むしろ、眠くもならず、ランチ後、コール音 鳴り中に、眠気で思考停止とかもならなかった。
「成約」もちゃんととれたし、上出来。

それより、朝の出社時とか、ログイン、ログアウト時、そして帰りの「手順」とかちゃんと覚えてるか、かなり不安だったけど、これもクリア。
まだらボケは進んどらんわ!!


家族がとっかえひっかえ、私のことをかまってくれたのは、TAKAMIがボケないようにと、、、まずソレ!
ひとりでどんよりと誰とも喋らずにいたら、イッキに認知症になってしまうので、それはなんとしても阻止しなければ( ̄□ ̄;)!! …ということで。
ほんとにありがたい家族です。ほんとに愛する家族。


家族っていいなあ。
母にはまたしても以前のとおり、小言もめっちゃ言われるようになった。
まずは「酒飲むな」。





もーこの歳で私の飲酒にとやかく言われたくないよ。
…とも思わなくなったし、母の小言に対しては、ほんとに「かわす」ことができず、真正面から反発して大喧嘩もして、こじれまくってたけど、
カ・ン・レ・キですから
これからは楽しくガンバロウ exinTAKAMI 






最近キリスト教とか、神さま系の記事が多いですが、この際ご容赦を。

ついでに。


キリスト教では、「死者の霊魂に話しかけるのは聖書的ではない」のだそうです。

え~~~~っ!!……でしょう?

お墓参りなどしたとき、いや、自宅の仏前に手を合わせるとき、仏教では絶対に亡くなったじーちゃんばーちゃんや従弟などなどに話しかけて、
「これからも穴吹家を守ってね」とかお祈りするのが当たり前だったじゃないの。
それって、すごく信仰深い行為じゃないの、、、?? これを「偶像礼拝」というのか??
現世で亡くなったら、次の世界で仏になる。仏教のお葬式では、その儀式…みたいなのを葬儀の中でやります。
実父は浄土真宗なので、私は、浄土真宗についてはかなり調べましたのです。
浄土真宗では、死者の霊は49日間この世とあの世の狭間を彷徨ったりせず、亡くなったらすぐに仏様の御手に抱かれるそうですし、お盆に家に帰ってきたりもしません。
じゃーなんで四十九日やお盆をやるのだ( ̄□ ̄;)!! …ってことは、どうぞ個々でお調べを。



10年前に、実父と、高校の1年上の、身寄りがないという鈴木一也先輩(当時私のヴォーカルの生徒さん)を、10日違いでお見送りしました。
実父は社交ダンス会のエライ人(肩書きは忘れました)でしたので、お花に囲まれた仏式の盛大な葬儀でした。
一方、鈴木先輩は、ほとんど親族とのかかわりもなく、葬儀費用も全くないと仰るのです。
私がキリスト教の洗礼をお勧めしたところ、彼は喜ばれて真剣にその日を待ちわび、私が父の葬儀で見舞えない期間にはSYOさんが見舞ってくださり、
洗礼に「間にあいたい」と仰っていたそうで、亡くなる前日に洗礼を受けて、クリスチャンとしてキリスト教の葬儀で旅立たれました。
病室洗礼式のときには、私、牧師先生のギターで賛美歌うたいました。
さらに私、なぜか喪主、、お付き合いしていたわけでもなく、身内でも当時はクリスチャンでもないけどナゼか鈴木先輩の喪主、、、、、
さらに葬儀ではSYOさんのピアノで、賛美歌うたいました。

あまりにもスゴすぎで、まあ、ここで書くのもなんです、、、
一応10年前にはこの件については書きまくっていますので検索でご覧いただくことはできるかも。


とにかく、キリスト教では、亡くなった人は「亡き骸」であって、死者に語りかけたりはしない。
亡くなってからのことはすべて神さまが責任を持ってくださる…と、そんな感じです。

ですので、私はSYOさんの霊魂に語りかけたりはしません。自分でもなんかソレ違うと感じるし。
でも、心の中にいるSYOさんとはいつも一緒。
いつも楽しく思い出すし、一緒感ず~~~っと続いています。
たぶんこれからも。嬉しいです。
ですので、時々ヨッパ激泣きはまあよいのではと、、、



ところで宗教によって、死後に行くところが違うのでしょうか?
私はそうは思いません。
人間の「死」とは、誰も等しく「死」だと思うのです。
霊魂の行き先が、生前に信仰していた宗教によって異なるなんて、誰が決めたのだ?…そりゃ人間が、、、

宗教ってなんだろう?? なんの為にこんなにいろんな宗教があるのだろう…
と10年前の、父と鈴木先輩の葬儀に際しては混乱しまくりました。…し、いろいろ考えまくりました。


しかし、私は実は物心ついた頃から、小さな子供の頃から、この世界は神さまがつくったものと感じていたのです。
キリスト教の神さまが、私が子供の頃から信じている世界を創造した神と思います。
さらに中学生の頃、TVでイエス・キリストの映画を観て、イエス様がめっちゃ大好きになったのです。

「進化論」は全然ダメダメだし、30代の頃、家族と初めて伊勢神宮にお参りしたとき、ものすごく楽しみにわくわくしていたのだけど、
ここに祀られているのもやっぱり「人間」なのかーということにもえ~~…とかなりガッカリしましたのでした。


すみませぬ。
いろんな考え方があると思います。
しかし、これが私の感性なのです。

聖書の神は、残虐で、生贄を求め、異民族を聖絶せよと言う。
そんな神をどうして信じられるのか、、、、

では他にどの神がいるのか。

…ということになるのですが、
私は世界の始まりから終りまで綿密に正確に記している「聖書」を全面的に信じています。
そして神さまの私への無限の愛と恵みも全面的に信じています。理屈ではなく、魂なのだと思います。


以上。


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SYOさんのお見送りほんとうにありがとうございました

2021-02-13 | 人生妙なり

父と息子とSYOさんはほんとに仲良しでした


SYOさんとお付き合いを始めた初期の頃、車の中で「私のために長生きしてね」と言ったことがあります。
彼は、「神さまの御こころのままや」と仰いました。

…ここで「仰いました」か「申しました」が考えこみました。
夫ですので、みなさまに対して尊敬語な~~…なのですが、私にとってはSYOさんはいつまでも後ろから追いかけていく人。
二人のときはエラソげなこともいろいろ言いましたが、やぱりこんなふうに書いてしまうこと、ご容赦ください。

SYOさんとのお付き合いは、最初は音楽繫がり。
そして、プライベートでもお付き合いをするようになったのは、息子とあまりにも瞬時に仲良くなって、「親友」のようになったからです。
息子は最初から「SYOくん」と呼んでなつきまくっていました。
「そっちが先」な感じでした。



それで、「神さまの御こころのまま」と言われて、私は当時まだクリスチャンじゃなかったし、「え~~~っっ!?!?」とちょっとガッカリしたのでした。
「TAKAMIのために自分の意思で長生きしてくれようと思わないの?」と、、、、


でも、彼はほんとうに、信仰の深い人なのでした。

今ではすごくあのときのSYOさんの気持ちがわかります。わかりまくります。
彼は子供のように神さまを愛していました。
彼はいつも神さまとお話しをしているのでした。
「お祈り」なのですけど、彼にとってはお祈りは神さまとのお話し。
何でも困ったり壁にぶつかったりした時には神さまとお話をするのだと言ってました。
絶対私のことも神さまとお話ししまくっていただろうなー。
私はどれほどSYOさんを困らせたことか。
どれほど私のことを神様とお話ししたことが、、、
お酒のこと、息子のこと、お金のこと…
SYOさんは私にとって「イエスさまの化身」のような人だったのです。
よくそう言ったけど、笑って否定してたけど。
まあそんなことはないけど、絶対に怒らず、喧嘩もしませんでした。

私は、「この人とダメだったら誰ともダメ」とか周囲の人みんなに言ってました。
本当に大好きで、掛替えのない人でした。
いんやーーーこう書くと激泣きモードですわ、、、





私はSYOさんがすごく安らかに天に召されるところを見ました。
前回も書いたけど、ほんとうに眠るように、あっという間に、静かに神さまに抱かれて天国に帰っていきました。…と本当に感じたのでした。

これまでにいろいろな人の臨終に立ち会いましたが、殆ど病院で点滴とかいろいろ繋がれて、最後にはぴーーーーとなるヤツ。

彼はなんと幸せだったことでしょうか。
まー私が自分で言うのもナンですけど、愛するTAKAMIと家で一緒に晩酌しながら、横たわってゆったりくつろいでるその時に。

救急隊員の方から蘇生をするようにと言われたので、一応言うとおりにしたけど、「SYOさん、帰ってきて!」と一応叫んだけど、
本当は「もうこれでいい。これが神さまのとき」感がありまくり、逆に引き戻すのは違うと感じました。「SYOさん、帰ってきて!」と思いませんでした。
それほど本当に安らかだったのです。


私は、SYOさんが安らかに天に召されるところをこの目で見届けることができたのです。
ものすごく幸せだったと思っています。
夫婦として、こんな召され方、見送り方ができたことは、本当に最高のことだったと思っています。


前回記事で、まだちゃんと正常じゃないようなこと書いたままなので、
いろいろご心配をおかけしているかもしれず、ごめんなさい。
葬儀の日から、毎日両親と妹が来てくれて、穴吹家とのわだかまりは、あれはなんだったのかというくらい、あっという間に解決しましたし、
自分の音楽活動や、教会の奏楽引継ぎの件、次々と進みつつあります。
もう私は大丈夫です。たま~~~に激泣きはしますけど。
激泣きはカタルシスなのでよいのです。

今日もピアニストチックコリアさんが天国に旅立って、SYOさんとお友達になってね…とか思って激泣きしました。
まあ3日に1度ぐらいなんかの時に琴線に触れて激泣きはしますが、ホントにだいじょうぶで、これからのこと、考えてます。




キリスト教では「冥福」というのはありません。
神さまに抱っこされて、天国に連れていかれる。
私はもう本当にそう感じました。
みなさまに冥福をお祈りしていただいたり、たくさんお悔やみをいただきました。
本当ーーにありがとうございました。感謝しています。

正直なところ、SYOさんの召天は、私にとっては晴れやかなことと感じているのです。もちろん悲しみはありますけれど。本とに3日に1度の激泣きでよいのです。

私は「天国」というところがどんななのかまだよくわかっていません。
とりあえずは安らかに眠るところなのか??
でもチックコリアさんとお友達になって一緒にガンガンにピアノを弾いて盛り上がりまくって楽しんで欲しいなー。
天国って、そういうのが当たり前に、ふつーにできるところな感じがします。

でもあまり「天国」について深く考えることはしません。

私は今生きているこの地上生涯を、SYOさんと会えるときまで、毎日を大切に過ごしていきたいと思っています。
家族も、息子もいます。友人も。仲良くみんなと暮らしていきたいと思います。





みなさま、ほんとうにたくさんのお心遣いありがとうございます。
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SYOさんをお見送りしました

2021-02-01 | 人生妙なり


SYOさんを天国におみおくりしました。

私、まだ全然正常な精神状態じゃなくて、行動も書いてることも言ってることも変だとおもいます。ご容赦を、、、
でもなんだかこうしていないと心の均衡が保てません認知症がイッキに進みそうです。
早く仕事に復帰しなくてはと思っています。

SYOさんの葬儀は、教会で、私と牧師先生と教会の役員の方だけで静かに行うつもりでした。
ですので、SYOさんのお知り合いのミュージシャンの方にはご案内をしませんでした。
でも、どうしてもSYOさんの最後のお顔を見たいという方がいらしてくださいました。
SYOさんのいちばんのミュージシャン友達の國井類さんにだけは、お知らせして演奏をお願いしました。
アメイジンググレイスを演奏して下さいました。あまりにも素晴らしかった。ほんとうにありがとうございました。
もっとずっと聴いていたかった。ご家族で参列してくださいました。

SYOさんの葬儀には、本来なら、もうほんとうに大勢のミュージシャンがお別れにどどどどっっっと集まってくださる…
彼はほんとうに香川の宝でした。
いえ「主にある天の器」です。
教会にとっても、奏楽者として、素晴らしい賜物を自然体で生かされて子供のように楽しく自由に演奏されていました。

私が30代の頃、バンド活動を始めて、高松でもLIVEがやりたいと思い、高松の方がたにもお聴きいただきたくて、音楽に関わっている弟、妹を巻き込みました。
そのLIVEに、SYOさんがたまたま見にきて下さいました。
そして、アンケートを書いてくださいました。
それから毎年、年賀状のやりとりが始まりました。
アンケートを書いて下さった方に、私は年賀状を送ることにしていたのですが、ずっと続いたのはSYOさんだけでした。
お互い顔もしらない同士だけど、年賀状はお互いミュージシャンなので、カオ画像ありです。
30代後半、私は独身、それから結婚して息子を産み、離婚しました。そして、高松に帰ることにしました。
SYOさんもその間にお母さまを亡くし、喪中葉書をいただいた年もありました。
年に一度でも、微かにお互いの状況はわかる程度。

私が高松に帰ることになった、音楽活動はずっと続けたいので、どうかお力添えお願いします…という思いをSYOさんにお手紙を書きました。
彼は、すぐに返事を、私の高松のマンション宛に下さいました。
私が引越しで高松に帰ってきたとき、デスクにSYOさんからの手紙が置いてありました。

それからSYOさんとの音楽のお付き合いが始まり、暫くして、匠を紹介する機会がありました。
SYOさんのプライベートなことは殆ど知らず、ちょっと不安だったけど、
SYOさんと匠は、ものすごく自然に瞬時に仲良くなりました。
匠を車に乗せて、3人で家に帰ってくるときでした。
「ショーマイケルさんよ。お母さんの音楽ともだちのピアニストよ。」と紹介しました。
匠は家に帰ったとたんに地球儀を持ち出してきて、「ショーマイケルさんのおうちはどこ?」と聞きました。
SYOさんは、小さな香川県を指差しましたが、匠は日本地図さえよくわかっていない小学2年生。
でもそれからSYOさんと匠はずっと仲良く、コオロギの捕まえかたを教わったり、あちこちの公園や温泉や、本当にいろんなところに3人で行きました。
手を繋いだり、腕を組んで、いつもまるで「親友」のようでした。

匠が成人して、家を出てからは、SYOさんは匠ロスで、一緒に二人で散歩したりいろんなところに出かけても、本当にいつも匠の話しをしました。
ここにも来た、あそこにも行った…二人で歩きながら思い出話だらけでした。
どれだけ匠のことをずっとずっと愛してくださっていたのだろう。

SYOさんは、自宅でゆるゆると、楽しく晩酌中にあっという間に天に召されました。

私はSYOさんに愛されていることをいつも感じていたし、匠のこともすごく愛して下さっている、そんな人が私たちを残して自分の意思で天国にいくワケありません。
SYOさんは、神さまの御手に抱かれて天国へ帰っていったのだと感じています。

これから辛いと思われる放射線治療と抗がん剤の治療をする予定だった。
それも感謝して受けいれよう。
その間会えないけど、まず元気になって帰ってきてね。
でも、完治はしないかもしれない、、、、
ピアノが弾けなくなるかもしれない、、、、

そんなSYOさんを神さまは抱っこして天に連れてかえってくださったのだと感じています。
私は、救急車を呼んだときに言われたとおり蘇生の心臓マッサージをしながら、「SYOさん帰ってきて!」と叫びましたが、
神さまが連れていった感がすごくあり、もうそれにあらがうことはできない、、と感じました。
これが「神さまのとき」と感じました。

そして、葬儀の日、私の妹と弟が来てくれました。匠も母を心配して帰ってきてくれました。

普通は当然のことかもしれないけど、コロナ禍で、みなさまにお伝えしないでの葬儀だったので、弟と妹が来てくれることは私にはものすごく意外だった、そして嬉しかった。
彼らはねーちゃんの夫が亡くなったのだから葬儀に参加するのは当たり前…みたいな感じだったと思う。
他のみなさまがたからも、「だいじょうぶ?」とのお言葉をたくさんいただきました。
まだ全然大丈夫じゃないかもしれません。
私はどれほどSYOさんに甘えてもたれかかって頼っていたか。
その人を失って、これからどうやって自分の足で立って生きていったらいいのか、、、、
まだそんなことは考えられないけど、少しずつやります。


まず3つ。これは、私がSYOさんを失ったかわりに神さまが与えてくださったことだと確信しています。

1 これからも演奏は続けていく。SYOさんの代わりのピアニストはいない。私が弾いて歌う。
でもそのためには、めっちゃベーシストに頼らなくてはいけない。一緒にやってくださいとお願いしたところ、快諾してくださいました。ありがとうKAZUさん。
そして、清繁さんにもこれからもコーラスパートナーとして、承諾いただいた。
東京グループのミュージシャンに、「これからの音楽活動はどうするつもり? まだそこまで考えられないとは思うけど」と下手(したで)~~な感じで言われたんだけど、
実はまず「これからの音楽活動」について考えた。もうまずそれ。じゃないと私の生きる指針を失う。

2 教会の奏楽は私が引き継ぐ。
私はクリスチャンとしてもめっちゃ未熟ですし、曲も全然知らない。でも私が継がないでどうずる、、、、
わからないことだらけだけど、みなさまに支えていただき、やるよ。
SYOさんのようなあんな素敵な奏楽はできないけど、私なりのスタイルをつくっていこうと思います。

3 穴吹家はとても複雑だったのです。私と母のこと。母に会って、語って謝る。約3年ぶり、、、
よくまあここまで意地を張ったもんだ。
この機会を与えてくださったかみさま、ありがとうございます。




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SYOさんは眠るように天国に帰った

2021-01-29 | 人生妙なり


SYOさんが天に召されました。

あまりにも突然で、悲しくもないし、涙も出ません。
今SYOさんのPCでこれを書いてるんだけど、今日は(もう昨日)朝から病院に行って、これからの治療方針を先生に伺って、
ほんとうに一生懸命に考えて下さっていると感動して、すごく満足して、先生にお任せしようね…といって、
2月に入院が決まったばかりでした。

そして、夕方4時ごろから、牡蠣やわかめなんかの鍋で、ちびちび晩酌となりました。

SYOさんが入院したら、私は毎日付き添うつもりで、2月は有給を使いまくるつもりでしたが、
この時世なので、普通の病棟でも付き添いもお見舞いもNGとのこと。
であれば、仕事に専念できる。よし、2月は働こう。入院までの間はSYOさんと一緒に過ごそう…と思って
その旨、会社にも伝えたところでした。

SYOさんの直接の死因はたぶん心筋梗塞だそうです。
ほんとうにあっという間でした。
家で心肺停止になったので、夜中に検視官の方もいらっしゃいました。

布団は敷きっぱなしだし、イサムノグチのコーヒーテーブルは無残にガラスが落ちて、鍋もひっくりかえって、
なんか大喧嘩のあとみたいだけど、これは、救急の方が大急ぎだったのでこうなった。

さっきまでここで横たわってのんびり幸せそうだったSYOさんがもういない。
1時間以上も蘇生を試みてくださったけどダメだった。

神さまの時だ。
私はすごくそれがわかる。

SYOさん、天国で待っててね。

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今後の治療方針

2021-01-28 | たいせつ

今日は、これまでの検査の結果を踏まえ、今後の治療方針を伺いました。とてもわかりやすい説明で安心してお任せしようと思えました。

切除はせず、抗がん剤と放射線治療とのことに決定しました。

SYOさんの癌は、「巨大」と、医師やスタッフの間で言われている模様。完治しない可能性があることもはっきりと告げられました。

消化器外科と皮膚科の先生が深く相談して、今後の治療方針を「切除」と決めていたところ、
SYOさんは今日大変息切れが激しくストレッチャーで診察室に行きました。
その様子をご覧になった先生は、治療方針を変更することにされました。

何故なら、切除は大手術になるので、体力的に難しい可能性が出てきたし、ここまで巨大化しているということは、転移の可能性も当然ある。
これまでの検査の結果では、遠隔転移の可能性は殆どない、可能性とすれば、骨盤や恥骨近くの転移。

ということで、生検の手術をやることになりました。

皮膚科の生検の手術で3日入院します。リンパに転移しているかを確かめるため。
その後は、内科の治療で放射線と抗がん剤ということになりました。体力のことを鑑みて、大手術はやめることになりました。

それらの説明は、本当に誠意のある、納得のできるものでした。
最善のことをやりますという心意気がとても感じられました。
だけど根治できない場合もありますから覚悟してくださいと。
今回の処置は、「根治」ではありません、、、と。

もちろん、私たちだって、お互いにそんな話はしてないけど、それぞれ考えている。

今日は、SYOさんは、息切れがひどくて、私が初めて病院に送り迎えをしました。
もう車でスーパーに行くのも無理そうなので、入院まで私が介助することに。
急激に彼は体力が衰えていると感じる。

今日、入院の手続きをしました。
入院中の付き添いやお見舞いはNGとのこと。
私は彼が入院したら、当然毎日お見舞いに行こうと思っていました。仕事も、有給を使いまくるつもりでした。
でもこのコロナ禍でお見舞いNGというなら、ハラ括れます。
SYOさんのことはすべて病院にまかせて、仕事に専念できる。

本当にいい先生に恵まれて、お任せできます。





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SYOさんの検査終了 おつかれさま

2021-01-25 | たいせつ


先日、SYOさんは多くの検査を終えました。
癌の種類を特定するものです。
「肛門腺癌」なのか、「皮膚癌」なのか。
それによって手術や、今後の治療方針も大きく異なるとのこと。

CT、MRI、PETなどを経て、先日は、胃と腸の内視鏡検査でした。
SYOさんはへろへろだったと思われます。検査中にたくさんポリープを切除して、予定時間を倍以上オーバーしました。
私は何も知らされていなかったのであまりにも長くかかるのでとても心配でした。

でも彼は本当に強い人なのです。付き添いの私を車で家まで連れて帰ってくれます。

そして、一昨日は皮膚科を受診しました。

この疾病は「消化器外科」か「皮膚科」か、どちらの分野かということが大変重大らしく、さらに生検も行い、両方の先生がいらして診察をして下さり、
いよいよ、明日、診断と、今後の治療方針が決まります。

病院での検査や診察は、予約して時間が決まっていても、結局数時間かかって、その後遅いお昼食べて、それから私の自宅にいろいろ雑用に行って
夕飯の食材などいろいろ買って帰ると、もう暗くなっている。

私はこのところ病院にいくと、大変血圧が高いし(180)ちょっとコーヒーを飲むとめっちゃ動機がする。
健康診断の結果もまだ貰いにいってないし、緑内障の検査にも行ってない。
そんなことよりSYOさんだ。
私のことなんかそのあとでも全然だいじょうぶだ。…な気分です。

SYOさんは、ほんとうに痛そうで辛そうなのです。

普通に歩けないし、普通に座れません。このところ加速度でこんなことになってる。
先日の配信LIVEの練習の頃から加速していたと思われます。






だから、病院のあとのランチはお座敷の店で、なるべく横になって食べられるところへ行く。



私はようやく看護師さんに患部のケアの仕方を教わりました。
SYOさんは、誇り高き人なので、私に言いたくないし見せたくなかったに違いない。
そんなこと言ってる場合じゃない。

私とずっと一緒に過ごすことはSYOさんのストレスになるのでは…と思ったりなどしてたけど、それどころではない。
SYOさんこれからはずっと一緒にいるよ。

彼は、イエスさまといつも一緒で、いつもお祈りしています。
お祈りというより「お話し」
不安なことがあればすべてイエスさまとお話ししている。

私の信仰やお祈りとは深さが全然違うなあ…と感じる。

今日はSYOさん不調につき、私は仕事休みました。いろいろ抱えており、すごくいきたかったけど、優先順位。

SYOさんは先日の診察で貧血があると言われた。顔色も白い。
1週間の禁酒も終わり、赤ワインが飲みたいとのことなのでレバー、ひじき…などなど買ってきた。
本日は昼からワイン飲みながらレバーやニラたま食べました。
たいへん楽しい昼下がりだったな~~~


マーちゃん  ここも換気が行き届いて、とても安心できる




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バッハインヴェンションの転調

2021-01-24 | アーティスト魂



新年のご挨拶もしないまま、もう1月後半に突入してます。

でもまあ一応

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願いいたします。


さて、いきなりですが
専門的なお話になります。悪しからず。

先日の配信LIVEの時、SYOさんのご紹介で、彼は超絶完全移動ドなのだとお話しさせていただきました。
その時にはピアノの鍵盤も全部「移動ドに見える」というお話しでした。
つまり、鍵盤のドは、黒鍵がふたつの左側と固定されてなくて、曲によってどんどん「ド」の位置が変わっていく。
「全部ドや」と彼は仰います。
ですので、ピアノ&ヴォーカルリハのときなど、SYOさんに「この実音なに?」と聞くと、彼は一瞬「えっ、、」となるのです。
私も最近音感が狂ってしまい、実音より長2度高く聞こえて混乱しております。「ド」が「レ」に聴こえるのです。超ヤバし。

彼はバッハインベンションなどなどについても当然すべて移動ド。
曲の中でどんどん転調するたびにその調の移動ドで聴こえてくる…ということで、まあそんな人はかなりいっぱいいるのではと思うのですが、
その都度鍵盤の「ド」が移動していくという人は今のところ私の知っている人ではSYOさんだけです。



私は今日、そんなことを考えながらバッハ初心者の生徒さんのレッスンで、バッハインベンションの転調について説明しました。
しかし生徒さんは、これまでドイツ音名ではなく、メジャー、マイナーで、アメリカのテキストで幼稚園の頃からやってきたので、(バスティンね)
今更ドイツ音名への変換はしません。
違和感あるけど、バッハでもCメジャーとかEマイナーでいきます。
しかしこの曲はこのように転調してこうやって解決に至る…という説明をしたんだけど、
実は私、子供の頃ピアノでそんなバッハの転調についてのレッスン受けたこと全然なかったよな~~
私は高校生半ばまでバッハが死ぬほど苦手だったんだけど、
こんな様式美について少しでも学んでいたらもっと子供の頃からバッハを好きになれただろうな~~~…と思った次第。
彼女には私のようになってほしくない。

彼女にはバッハを弾くにあたって、最初に「蟹のカノン」を紹介しました。まあ、私の心意気は伝わったかもしれない、、、


J.S. Bach - Crab Canon on a Möbius Strip←Stereo Sound→バッハ 蟹のカノン ステレオ版


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SYOさんは今日も葬儀の奏楽にいった

2021-01-12 | たいせつ


今日はSYOさんが教会の葬儀の奏楽とのことで、昨日からSYOさんちにお泊まりした。
SYOさんはとてもしんどそうだ。
でも葬儀には颯爽と行く。

画像はSYOさんの「前夜式」(お通夜のようなもの)の奏楽の装い。
ネクタイに十字架があしらわれているものをいつも着用するとのこと。
本葬儀には黒いネクタイ着用だそうです。
私は協会員の方の葬儀に参列したことはありません。1度だけあったかな。

彼はこれまで教会で亡くなった方の葬儀の奏楽はすべてやってきたとのこと。
何故なら、教会で奏楽者はあまりいなくて、突然の「葬儀」に対応できる奏楽者はいない、ほとんど全てSYOさんが対応してきたとのこと。

私、引き継ぐよ…と、そんな思いも過ぎる。

彼は本当に強い人なので、私はこれまで気づかなかった。私にも知られたくなかったのだと思う。
SYO邸の庭はいつも彼がひとりで丁寧に手入れをしてきれいでかわいいのに、今は枯れ葉が落ち放題で荒み果てている。
もうこの庭が蘇ることはないのだろうか、、、

病院の検査はまだこれからなので、まだ何もわからない。
世間一般的には、よくぞここまで…もう手遅れ
ということだけど、私は神様に祈る。
あなたはすべてのがん細胞を消し去ることができます。私は信じています。

と祈りながら、SYOさんがいなくなったときのことを考える私、、、

いろいろな思いがぐちゃ混ぜになって、それでも先へいかなくてはいけない。
でも必ず神さまが一緒にいてくださる。

こんなことになってから、SYOさんも私も、よりいっそう 神さまに近づいていると感じる。



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一緒に暮らそう♪

2021-01-10 | たいせつ

私は、若かりし頃、(10代~30代→40代)好きな人ができたらすぐに「結婚」を意識してたっけなー。
大学で最初のカレシができたときもこの流れで結婚したい…みたいな。 未熟だったな~~~~!!!
だから、私は凄く相手にとって重い存在だったんだろうなー。だからフラれまくったんだな。
まあ…最初は軽く付き合ってそのうち「結構いいな」と思ったら、ちょっと真剣にこれからのことを考える…ってのが普通で今はもっとそういうカンジなんだろうな。

まあフラレまくりましたが、私と付き合ってほしいと言ってきた男子もいるいにはいたのだ。これ一応ゆっとく。もう決して言わない。
しかし、私はもぉ~~即拒絶。 
私のこと殆ど知らないのに「付き合いたい」ってどおよ! みたいな。
「そんなふうに言ってくれるなら、ちょっと付き合ってみようかな、、」とか全然思えなかったあの頃~~、、、
ってか、その後もずっとそうでした。ちょっと残念だかもなー。
私は自分から好きにならないとダメなタイプで今でもそうです。
SYOさんのことも、以前にも書きましたように私が連れ込んで押し倒しました(比喩表現です)


「一緒に暮らそう」の音源捜しましたがいまのところ見当たりません。
近日中にアップ予定。


「一緒に暮らそう」

「じゃあまたね」って電話を切っても またすぐ寂しくなってリダイヤルしてた
離れ離れの冬の寒い夜なんか特に寂しくてたまらなかった
「いつ会おう」って手帳を開けても すれ違いばかりでもどかしい日々だったね
一緒に暮らそうってあなたから言われて 幸せを噛み締めてうつむいてたあの日

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を向え 季節を重ねてゆくけど
忘れないでいようね二人が出会って頃のこと
いつも隣にいるから わたしを感じていてね


ずっとふたりでで捜して見つけた 公園のそばの日当たりのいい部屋
小さいけれどいつでも季節を感じながら テーブルには花を飾って
向かい合うふたりの間に 小さな諍いやときには悲しいこともあるかもしれないけど
ふたりのゆく道は あたたかなお日さまが護ってくれるよ

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を迎え季節を感じてゆくけど
忘れないでいようねふたりが出会った頃のこと 
いつも隣にいるから 私を感じていてね

これからはずっと一緒に 朝を迎え夜を迎え 季節を感じてゆくけど
手をつないでいこうね いつまでも元気でいようね
やっとめぐり合えたあなたと 歌いながら わらいながら







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SYOさんと医大病院にいった

2021-01-09 | たいせつ

今日からSYOさんの病気についての記事を書くことにしました。
こうでもしなければ自分の頭と心の整理もできないし、そんな状態で仕事もできない。
今日は仕事を休みました。これを書くために。
でも明日からはまた、普通に生活していかなくてはいけません。


SYOさんの付き添いで、紹介状をいただいて香川大学医学部附属病院に行った。

癌だといわれた。それはわかっていた。

肛門がんなのか、皮膚がんなのか今のところは不明。
これからいくつもの検査をして特定し、手術するとのこと。
部位がビミョーなので、私はずっと知らなかった。
どうしてこんなになるまで放っておいたのか、、、、
病院に行く前日に初めて見せてもらってびっくりした。
SYOさんは痔だと思いこんでいたのだ。彼は以前にも痔を患ったことがあるので。


ここまでなるまで放っておいたとは…と、医師も「手遅れ」感満載。
そうはいっても、とても穏やかないい先生だった。2人の医師と関わることにったのだけど、2人ともとてもいい人だった。
とにかくこれからたくさんの検査をやって、今月末に診断が下る。
検査も、むりやりねじ込んで入れて下さった。それほど事態は逼迫してるってことなのだな。

もう即祈りました。
「神さま、SYOさんの体の中の癌細胞を全部イッキに消し去ってください。あなたにはそれができます。
そして再びLIVEをやらせてください。」

しかし一方、こんな考えも過ぎった。

SYOさんは78歳、日本人男性の平均寿命で、これまで存分にピアノを弾いてきた。誇り高くカッコイイ。とても健康でパワフルだった。
彼の人生は満州に生まれ、父親を亡くし母子家庭に育ち、結婚~離婚やその後もプライベートは孤独に堪える人生だった。彼はとても強く、独りで生きてきた。
これからは私がずっとさいごまで一緒にいるよ。
え~~~なんでこのヘナチョコな私が!?!?
私はSYOさんより全然ヘナチョコで、SYOさんをお見送りすることなんができるのか私!?!?!

…でもこれが神さまのご計画なのか。

もちろん、私だってSYOさんとお付き合いし始めて、何十年も連れ添っている夫婦のように沢山の時間はないことはわかっている、だからこそ一緒の時間を大事にしよう…と思ってきた。
喧嘩なんか全然しなかった…のは、SYOさんがものすごく「優しくて強い人」だからだ。

私はこれまでずっとSYOさんの優しさと強さに甘えまくってきた。

「甘える」のが当たり前だったので、「甘えない」ということがどういうことなのかわからない。
これから私がどうしたらよいのか、わかりません。


でもでもでもでも、今感じることは、SYOさんはまだここで終わることないよ。
SYOさんは、「ちょっと休憩」と思ってる。
私もすごくそう思う。
そう思いつつ、SYOさんの冷たくなった顔に触るところとか想像するし、夢に見る。
こんなふうにぐちゃぐちゃなのです。


冒頭に書いたように、整理しつつ、頭と心の均衡を保とうと思います。
まだこれからこのカテゴリーは続きます。SYOさんとお別れするまで。
20年後かもしれないけどね♪



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2020 暮れる・・

2020-12-30 | アーティスト魂



今年はCOVID-19に翻弄されまくった年でしたね。

世界中の誰もがこれまで経験したことのないものに脅かされながらこの1年過ごし、まだ来年もさらに続きそうです。
2020年は暮れるのに、COVID-19は終わらない。
本当に誰も経験したことがないのだから、いろんな失敗や取り返しのつかないこともあるかと思う。


そんな中。
12月19日、初めての配信LIVEをやりました。



画像は全く撮ってませんので、PCの動画をスマホで撮りました。ご容赦をm(_ _)m


今年のLIVEはすべて中止。
SYOさんとの結婚セッションパーティーは人生の最大イベントになる予定だったんだがなー。
それが「緊急事態宣言」下で牧師と私たちと、このようなミニマムなかたちでできたことは、本当によかったです。
12月19日は、チャペルライヴの予定でした。
これも中止となり、急遽同じ日同じ時間に配信LIVEが決まりました。
これが私にとっては今年最初で最後のLIVE。

ライヴハウスにはメンバーとスタッフしかいなくて、スタジオ状態。
そんな中、カメラの向こうのお客様に私、何を喋るんだ!?

…ってことで、私はMCの台本を書いてしまった!( ̄□ ̄;)!!
台本を目の前に立ててしまった!!


SYOさんがピアノを離れてマイクを持っている!!フツーあり得ません 東京や遠隔地の人への心をこめてのご挨拶です



東京での初めてのライヴを思い出すなあ。
当時は私がピアノ&ヴォーカルでした。
当時私は衆議院議員候補のウグイスをやって、30代の若き候補に(私も30代ね)
「当選したらチケット20枚買ってくださいね!」
「お安いご用だよ」
ってことで、彼は当選して、チケット20枚を、選挙の学生などのアルバイトスタッフに配ってくださいました。
でしたので、初LIVEはもう大盛況。
小心者の私はステージのすみっこに隠れるようにしてピアノ弾いてたっけな~~~
そのときも、「台本」書いた。ピアノの譜面台に台本置いてたっけ。

次回は台本ナシでやります。1度やったら、もう終わったとたんに次回が見えてきました。まあだいたいいつもそうです。


少し前の記事にも書きましたが、私は目が不自由になり、手書きの文字が書けなくなって、年賀状をやめました。
でもメールはまだまだ書けます。

ですので、毎年年賀状の代わりに配信ライブのご案内状を書くというのは、なんだか大変妙案な気がしてきました。
継続するかはまだ未定だけど、来年もやろう!…と思っています。
「台本ナシ」とあわせて。

それから、衣装なんですけど^_^;



ホームウェアー。(こうしてみると割烹着に見えるなー)
ご視聴のみなさまはホームウェアーで各デバイスのモニター前にお集まりくださっているので、私もホームウェアーで登場してみました。
ニーソックスに、スリッパ。
まずこの服をリハでみんなに見せたら、「え~~~~」とみんなびっくりしたけど、誰も「リーダーTAKAMI」にヘンだからやめろとはいえない。そ~だろ~な~~
なので、いちおー1部はフツーのカッコにした。
そして、当日サウンドチェック前に、スタッフの方たちにも見てもらって、「いいんじゃない?」と言って下さるので、決行したのでした。
やっぱほら、私、A型だし、小心者なんです、、

2部で、ほんとは最初にこんなカッコで登場する主旨を語るべきだったのに、「台本」にはなかったので、いきなり1曲目歌から始まってしまい、
その後ずーーーっと衣装のことを言うのを忘れていた。

まあ、LIVEだからそれもアリ。



vocal 木村清繫 

きよしげさんとはいちばんたくさんリハやった すごく嬉し楽しい時間だったなあ
エアコンかけて玄関からベランダのドアを開けて換気して…とまあこれはレッスンと同じなんだけど
ですので手を繋いだりの振り付けアリの曲はナシ! 
今回は突然の配信ライヴへの変更だったので曲もちょっとだったけど
次回の曲ももう決めてるよ 来年は必ずテアトロンでリハやろう





piano SYO Michael 香川の宝

この私に 音楽でもプライベートでも よくぞここまでお付き合いくださってます 愛してます
私のみならず息子そして息子父
彼とダメなら私は誰ともダメ!なのですと皆様に申しております
音楽でも ジャズピアニストの彼にどんだけ我儘をぶつけてきたことか
LIVEでも申しましたが 彼は完全移動ドなのです ピアノの鍵盤も主音がドに見えるとのこと
そして彼の身体の中には16分音符がない 16分音符はきっと8分音符を金槌で砕いたような感じ?
いや実は8分音符とかそんな時間を区切るような音楽の聴き方や作り方をしていない
どんななんだろう? 少しでも近づいてみたいな





bass 西谷和雅

Kazuさんとお呼びしてます スゴイんです 
昨年のLIVEはエレキベースで参加していただきました 
その後ウッドベースを購入 さらに「弓」を購入
私はKazuさんのアルコ(弓)をとっても楽しみに待っていたのでした
私はKazuさんのアルコのメリハリがすごく好きですほんとにスゴイんです 
弓をゲットしてから数か月なのに…めっちゃ凛々しいのです
そして彼はMCで 
私がむちゃ振りすること でも信頼してくれてると感じるので期待にはできる限り応えたい 
オトン オカンの年代の人たちとのこのLIVEをたのしみたい
とのMCもプロです 
彼は息子です 息子はリハ3度目で親を超えます



Drums 宮内陽二

このたび初めてお付き合いいただきました
初回のリハのときなんの違和感もありませんでした フツーで「あっうん あざっす」な感じ
この「フツーで違和感ない」っていうのがどれほどスゴイことか
初回で私の曲に溶け込んでくださっている
そして、本当に今回の曲をすべて短期間で聴きこんでくださってまとめてくださいました



来年もLIVEは続けていきます。
今年はそれなりに、自分の価値観を見直したり、いろんなことをいろんな側面から見直すよい機会でした。
皆様どうぞよいお年をお迎えください。

って、ブログではこーやって整えてますが、今日から明日の私はただ日にちを跨ぐだけなんですけどね。

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