今日は教会の「召天者記念礼拝」でした。
教会の「天国会員」てことで、召天者のみなさんの遺影を飾って、懐かしみつつ、一緒に神さまを礼拝する…といった感じ。
その後墓前礼拝、納骨式…の予定だったのですが、雨だったので、来週に延期となりました。
1年間自宅に置いてあったSYOさんの遺骨は教会にお預かりいただきました。来週納骨式を経て、納骨堂に納められます。
キリスト教では「お墓参り」ではなく「墓前礼拝」といって、神さまに祈りを捧げます。
故人に手を合わせることはしません。
「納骨式」なので、私にしては大変珍しくセミフォーマルで行ったのですが、来週もまた同じカッコでいかねば。ないのよ服がーーー
でっ。
私の想いといたしましては。
何度も書いたかもしれないけど、今でも、SYOさんは私のすぐ傍とか、心の中に棲みついて見守ってくれてると思っていません。
息を引き取ったとたんに神さまが天に連れて帰りました。
もう、本当にその時、神の臨在感ありまくりだったので。
SYOさんはもうそれからずっと神さまの御許です。
ですので、私はSYOさんに話しかけたりもいたしません。
なんかすごい出来ごとがあった時には、もちろん話したくなります。
「ちょっとぉーーSYOさん、こんなことあったのよ。」
これは私の心の問題。でも、話しかけてもSYOさんの霊魂が応えてくれると思っていません。
「主は与え、主は取られる。
主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:20)
SYOさんが召天したときにすぐに思い浮かんだのはこのみことばでした。
私はきちんと暗唱してませんので、
「主は与え、主は取られる。ハレルヤ。」だったのですけどね。
いんやーコレ、書こうか迷いました。ホントなので書きました。
画像のSYOさんは、もうこの地上の人でない感じがして、とっても素敵だと思います。
「待っててね」「待ってるよ」な感じがします。