WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

 教会のクリスマス

2011-12-25 | キリスト教のこと






ああ、今年も教会でクリスマスを過ごした。



1度教会のクリスマスを過ごすと、年中行事のようになってしまうなあ。
もう以前に戻れない…っちゅうか、、、


なんといっても、3年連続で出させていただいた「ストリート・ライヴ」で、イエス様の降誕の賛美歌を声の限り歌いまくると、
どうしても2011年前のその日と、今この時が重なってしまうのだ。
時空を超える感覚がやってくる。
私は霊感もないし、よっぽどのことでないとオーラも見えないし、幽霊も精霊も見たことないし、そういう点では全くの凡人なのですが、
音楽を通してだけは、神さまとともにあることを確実に感じることができます。ものすごく恵まれていると思います。
これまで何度も数え切れないほど体験してきました。
そうすると、やっぱり、キャンドル礼拝にも、クリスマスの礼拝にも行かずにいられなくなるのであります。
これまで神さまにいただいてきたた恵みに対する感謝を捧げられる場所はここだ…と感じるからです。

それに…ビンボーTAKAMI家としては、
クリスマス用の豪華ディナー?を作るとか、お店の予約をするとか、どうやってこの「特別な日」を過ごすか…なんてことにも煩わされなくていいし(^_^;)











Takは、今朝は早起きして上気して教会学校に遅刻せずに行きました。
リュックの中に、サンタクロースからのプレゼントを持って…

今年のTakへのサンタクロースからのプレゼントは「聖書」でした。
Takも、子供用でない、本当の「聖書」を読む歳になったんだなあ、、、
私は、サンタクロースを迎えるために、夜中の12時ごろ、慌ててクリスマスツリーを押入れから出してきて大急ぎで飾りましたが、それからあとのことは覚えていません。
ワイン1本飲んで、気がついたらPCデスクでうたた寝していたのです(^_^;)

Takは夜中の3時ごろに起きて、プレゼントを確認しにいきました。
今年のプレゼントはあんまり嬉しくないかもな~~
…でもまあ、一生のものだから、、、
と、母は思ったのだけど、母の予想は外れました。
Takは深く感動したようでした。



今日の礼拝での、牧師先生の「宣教」は、「愛」について。
あまりにも心に迫り来るものがあり、そのあと私たち「賛美チーム」は先生の宣教の中身に沿って準備された曲を賛美するのですが、
その曲でヴォーカルのリードをとる方は、感極まって激泣きで、曲の最初から最後まで立ち直ることができませんでした。
私も、恐らく彼女と全く同じ思いでした。胸がつまって、涙が溢れました。
先生がフォローして、彼女のパートを歌って下さいました。
私は「プロ根性」というのだろうか?創作や、練習の過程で激泣きしても、ステージでは泣いて歌えなくなることはこれまでありませんでした。
でも、「賛美」(=神さまに賛美歌を歌って捧げる)をするのは、ステージとは違う。
私も、礼拝で会衆のひとりとして歌っているとき、何度も胸がつまって、激泣きして、歌えなくなったことがあります。

来年からは、私も、礼拝の賛美チームに加わり、賛美を先導する?ような役割に加えていただくことになったのですが、この「ステージ」とは違う場所でどんなことが起こるやら…


ところで、礼拝のあと、クリスマスは「祝会」というのがあります。
教会の「クリスマス・パーティー」ですが、まるで子供のクリスマス会。
お祈りをしたあと、昼食会。シチューとパンとデザート、ケーキ、お菓子etc.をいただきながら、出し物、ゲーム、ビンゴやじゃんけん大会、そして、メインイベントの、教会の1年を振り返るDVD鑑賞…
最後はやはり賛美とお祈りでお開き。
童心にかえれた、とても楽しいひとときでした。
しつこいけど私はクリスチャンではないので、教会員の方たちが大変な時間と労力をかけて企画、準備をされているのに、
私はただ参加するだけ…というのがなんとなく後ろめたく、去年はスルーしてしまいました。
…が、今年は私も前向きに参加させていただこう…と考えました。


そのうち私も、いつか、洗礼を受けてクリスチャンになるときが来るのだろうかなあという気がします。とても不思議です。
けれども同時に、今がその時ではないとも感じています。
「求道者ドキュメント」を書きまくっている私が、等身大と感じるのです。



セルフうどん店アルバイトは、いろんな経緯で、来月からものすごく日数が増えることになりそうです。
来年は、またさらに、ゼロからの(経済的にも)「新たなスタート」の年となるような気がします。
「働く年」だろうなあ…
Takも中学生になり、Takの世話のために仕事を制限する時期は終わり。

これからの自分の行く手が楽しみでもあります。


本格的に年末多忙のため、更新は暫くお休みすることと思います。
…とかいって、またすぐ隙をみつけたらちょこっと書いて更新するかもしれませんけど(^_^;)


みなさま、どうぞ良い新年をお迎えくださいね。






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サンタクロースを迎える夜

2011-12-25 | キリスト教のこと






クリスマス・ストリートライヴ終了!

今朝は、明日の礼拝の賛美チームの練習にいってきました。
朝8:30~なのに、寝坊してしまった~~!!
初めての練習参加なのに~~( ̄_ ̄|||)

私は練習が終わってすぐに家に帰りましたが、
他のメンバーのみなさんは、今夜の「キャンドル礼拝」の準備でこのあともずっと残って作業などされていたであろうと思われる。

キャンドル礼拝は、文字通り1人ずつキャンドルの灯りを点して、静かに聖書の「みことば」をそれぞれ担当者の方が読み上げるのを聞き、讃美歌を歌い…が繰り返されます。

聖書の箇所は、キリストの誕生のところ。

クリスチャンでなくても、イエス・キリストは処女マリヤが精霊によって身ごもって生まれたことは誰でも知ってることですが、
マリヤの婚約者ヨセフは、彼女の妊娠を知って悩み、彼女を密かに離縁しようとしたが、御使いが夢に現れて、マリヤを妻とするよう告げる、ヨセフは命ぜられたとおりにした。
結婚した二人は、その年行われた住民登録(国勢調査のようなもの)のために、住んでいるナザレの町から、本籍地?ベツレヘムへ長い旅をしなくてはならなかった。
二人がベツレヘムに滞在している間にマリヤは出産するのだけれど、恐らく住民登録のために旅行者でで溢れている町に、宿の空きはなく、マリヤは家畜小屋で出産し、飼い葉桶に生まれたばかりのイエスを寝かせた。
その夜、この地方の羊飼いたちが、徹夜で羊の群れの番をしているところに御使いが現れて、救い主の誕生を告げる。
羊飼いたちは、早速ベツレヘムへと急いで、救い主イエスを探し当て、拝み、賛美しながら帰っていった…

このあと、東方から博士たちがイエスさまを拝みにきたりもするのですが、
まずは、救い主の誕生…とは、このようなことだっだようです。


誰でも知ってる賛美歌の「きよしこの夜」とか、「牧人羊を」とか、「グリーンスリーブス」(これもクリスマスの歌)とか、東方の博士たちが訪れる歌… 高校の合唱部でも歌ったな~~~
淡々と書かれている聖書のことばから、こんなに美しい音楽が生まれて、受け継がれていくのは、本当に素晴らしいことと思います。

聖書は淡々と書かれていますが、この人間模様はスゴすぎて、この1冊の中にどれだけのドラマが詰まっているんだろう~~~(@_@;)
…ってことで、私は、聖書通読、それも、1回や2回でなく、何十回に挑もうと思っているのであります。
一生で何回通読できるか…みたいな(^_^;)


…ところで、Takは、本日は疲れ果てて爆睡。
私はキャンドル礼拝のあと、「モスチキン」を買って、スーパーで食材を少々買って、
スープとサラダと「モスチキン」の簡単な夕飯を作り、Takを起こして食べさせて…
しかし、Takはサンタクロースを迎えるためにホントにさっさと寝てしまった。


…それでは私も(*^_^*)
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クリスマスと「しっぽくうどん」

2011-12-23 | キリスト教のこと






うどん好きのTakは、母の作る「かけうどん」が大好きですが、
この季節はやっぱり「しっぽくうどん」!

さぬきうどん店でも、冬季限定で、「しっぽくうどん」がメニューに加わります。
かけうどんにやわらかく煮た根菜がいっぱい入ってるようなもので、味噌仕立てでもなく、煮込みうどんとも違います…が、あったまります~(*^_^*)

コレが本日わが家のしっぽくうどん♪
具は、大根、金時人参、里芋、しめじ、小松菜。
Takと一緒に、DVDで「大草原の小さな家」シリーズを観ながら、まるでお夜食のようにうどんを食べる…

「大草原の小さな家」では、折りしも、新しい家を建てて、収穫目前の小麦が一晩の雹で全滅してしまって、1年の労働が不意になってしまう。
お父さんは、「長い人生の1年や2年、そういうこともある、また働けばいい」といって、このあと出稼ぎに行きます。
お母さんは、近所の人たちを集めて、みんなで、嵐で倒れてしまった小麦の中から、ほんの少しでも収穫できそうなものをかき集めて、冬を越す食料を確保する…

「また、働けばいい」

なんとタイムリーな、、
年の瀬の我が家そのものではないか(^_^;)

今年は、ほんとにいろんなことがあって、「我が家の経済」は二の次でしたが、
蓄えがあるわけでもなく、年末押し迫って、滞納分も含め各種支払いに奔走しつつ、厳しすぎる現実を突きつけられております、、
よくこんなになるまで「稼ぐ」ことを放置してきたもんだ。

でも、今年いちばん心の底から感じたことは
「働く力があることは、最大の幸せ」
ということなのでした。

父とJINさんが、最期の命をかけてそのことを教えてくれました。

「死とは、死を賭して周りのものを導く、人生最期の授業」(藤原新也「メメント・モリ」)


セルフうどん店の社長に来月の出勤できない日をSMSで報告するついでに、
「来月からは頑張りますので日数を増やしてほしい」と添えました。
「了解しました!」と、すぐにレスがきました。


さて、今日はストリートライヴ、明日はクリスマス・イヴ…

巷では1年でいちばん華やいだ季節ですが、「求道者TAKAMI」的には、静かに質素に厳かに、クリスマスを迎えたいと思います。
(つか、全くお金がないから豪華なクリスマスは無理!)
「サンタさん、お母さんのところに来た?」と、Takが毎日のように聞いてきます。
「う~~ん…ビミョー、、、」などと、各種支払いに切迫する中、中途半端な返事をしてましたが、ちゃんと来ました(*^_^*)
明日のイヴは、シオン教会のキャンドル礼拝に行って、そのあと、「しっぽくうどん」またはそれに準ずる簡単な晩ご飯をちゃっちゃと食べて、早めに寝る予定。
「イヴは早く寝る」ことが彼にとってのメインイベント。
ほんとうのサンタさんを迎えるためなのです(T_T)


イエスさまが生まれたのは、家畜小屋。
そして、最初に天からの啓示を受けてお祝いに訪れたのは、最下層の貧しい羊飼いたちだった。
羊飼いたちは、「この方が世の救い主」と、何の疑いもなく素直に信じて受け入れた。


2000年のときを経て、今やクリスマスは、大切な人、好きな人、気の置けない仲間たち…などなどと飲んで騒いで盛り上がったり、プレゼントを交換したりするイベントとなった。
それは、本来のクリスマスとはかけ離れて、間違っている…とは私は思えません。
この特別な日は、特別な人と過ごして、愛を通わせたいと思う気持ちが起こされるのは…
大切な人へのプレゼントを選んだり、お店を予約したり、、少なくともこの季節、喧騒の中にも愛が溢れているように感じる、、、


そんなこんな思いを、今日はLIVEで思い切り歌いまくってきます♪








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光のまんのう公園

2011-12-20 | 光と風と旅


    





    










私のカメラと技術(皆無)では、とても表現できませんでした(T_T)

今年も素晴らしかったです。

クリスマスの音楽のオルゴールが、風景を邪魔することなく静かに流れて、都会のライトアップとは違った、静かで宇宙と一体となったような光の空間…
自分の足元が地面だということも忘れていました。


思えば、前回行ったのは、一昨年のTakの誕生日。ブログのこの場所でも、たくさんのお祝辞をいただいたのでした。ありがとうございました。

今日は、クリスマスにもお誕生日にもまだ早いけど、年末はいろいろ多忙で、ホントに今日しか行ける日がなかった。
でも行ってよかった。

今年1年をしみじみと振り返りました。


まんのう公園ウィンターファンタジーのイベント情報はこちらです。



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年末の日常

2011-12-19 | よしなしごと





やっとやっとふつーの日常が戻ってきた~~


先日、私のバンド、「WIND AND SOUND」のメンバーの方がたに連絡して、来年のLIVEがあっというまに決まりました~~!!!!♪♪

4月13日よ♪

もぉ~~決まってしまえばこれからの日々は、LIVEまっしぐら!!
なんか私、やっぱり「ベクトル」でいることがいちばん自分らしいかも。

それから、次には、私の生徒さんたちの発表会。
コレも年内または年明け早々にでも、計画して日程も決めます。

念願の発表会。
…といっても、生徒さんは現在10人に満たないので、ホームコンサートの予定なのですが、

「ミュージックあにまあと」の発表会ならではの、ものすごく楽しい企画をしたいと思います(*^_^*)
これも、バンドのメンバーの方がたに協力をお願いして、ソロもアンサンブルも充実の
「アフタヌーン・カフェ・コンサート」♪


ところで。

今日は(といってもコレをアップする数日前)、セルフうどんアルバイト→レッスンでした。
こんな日常がなんだか新鮮に感じるこのごろ。

うどん屋さんでは、出勤したら、まず「おにぎり」を作ります。
10時まで、ひたすら作る。ご飯の量も決まっている。
最初は、全然間に合わなかったので、相当早く出勤してやっていたけど、なんとかクリアーできるようになった。
それから、怒涛のランチタイムにむけて、天ぷらや、その他の担当の方たちの調理補助のようなことをやって、
ランチのお客様が並び始めたら、今度はひたすら、「洗い場」係り。
とにかくものすごく忙しいので、無心に次々とこなしていきます。
まだまだ初心者なので、私にできることはそれだけ。
レジや、盛り場は、怒涛のランチタイムにはまだまだ全然無理で、お役にたてない私(T_T)

それだけでも最初は、自然に身体が動かず、ひーひーだったし、いろいろ考えながらだったけど、
ちょっと慣れたので、最近は無心。
でも、右肩は痛い。使いすぎている筋肉にヘタすると激痛が走ることもあるので、騙し騙し動くことにも慣れてきたし。
今日も、仕事のあと、整骨院マッサージにいってきました(^_^;)

…これが、過酷だと思うか、いいと思えるかは、ほんと~にその人それぞれだろうなあ。


でっ、整骨院マッサージのあと買い物して、お支払いをして、家に帰ってきてから、レッスン。

その前にTakがしょぼくれて学校から帰ってきて、電気ストーヴの前にうずくまって「も~~やだ!」と言ったそのとたん、学校からTEL。
担任の先生から、放課後の出来事について、問い合わせだった。
…まあ、クラスのお友達(女子)との悪ふざけが過ぎて、Takはとてもイヤな思いをしてしまったらしいんだけど、
先生の話を聞く限り、Takの深~い傷になることでもなさそうだったし、私もTakの話をじっくり聞いて、フォローしておいた。


レッスンは、いつも楽しい♪
ものすごく気分的にどんよりしていたり、体調が悪かったりするようなときも、
いったん始まってしまえば、もぉ~~どんなレッスンでも楽しいのであります。
ついつい、気合が入りすぎて、生徒さんが緊張しまくり、ドッと疲れさせてしまう…こともたまにあるかもしれない。
一応、基本的には楽しくやってるつもりなんだけど、どーかな~~~

でも、「発表会」となると、小さなホームコンサートだったとしても、やはり、目標もって、テンションあげてほしいし、
普段とは違った「厳しさ」も味わっていただくようなレッスンになるかと、、、
高松に帰ってきてから、ずっと発表会やってなかったので、
私も、初心にかえって、生徒さんたちといい時間が持てるよう、企画したいと思います。

これが、来年の最大のイベントかな♪


画像は先日いってきた大窪寺と、「八十八庵」の打ち込みうどん。
表面はシンプルに見えるけど、この中に、根菜や、お肉がたっぷり埋もれていて、
白味噌仕立てで、とってもあたたまります。
季節限定、猪肉の打ち込みうどんもあったよ♪


今日はオフ。
Takが学校から帰ったら「まんのう公園」のイルミネーションにいってきます(*^_^*)







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今年も賛美♪

2011-12-15 | アーティスト魂

   記事も書いたので読んでね♪






先日の鈴木一也兄の葬儀のあと、いったん解散して、夕方に、私たちワーシップチームは、また会堂に集まって、今月23日のストリートライヴのリハをやりました。
みなさん、とてもお疲れなのですが、ここはキッチリやります。
また去年と同じ、「クリスマス・キャロル メドレー」も歌うんだけど、これは、ひっっっじょぉ~~にパワーが要るのだ。
私はアテにされている。
今年は、そのメドレー中、ラス前の曲「さやかに星はきらめき」のソプラノパートを私が1人で歌うことに。
去年は内声パートだったような気がする。
もともとこれは合唱用にアレンジされたもので、ゆるやかな4分の4拍子で、「カンニングブレス」といって、大勢で歌うので、時々歌詞の途中で息継ぎをしながら歌う。
これをソロで歌うと、ものすごくフレーズが長く、かなりパワーがいる。
しかも、最後は、

 伝えよ その福音(おとずれ)を
 広めよ 聖き御業を
 讃えよ 声の限り

と盛り上がりまくり、絶叫のように力の限りうたうのであります。
1時間歌いまくりのステージの最後に、「声の限り」高らかに G(高いソね)を出さなイカン。
そしてさらに、次は、「きよしこの夜」のデスカント(天使の声みたいなソプラノ)がある(@_@;)

一昨年のストリートライヴで私は、このデスカントがが力尽きて出なかったという苦々しい思い出があるのだ、、、(-_-;)


しかし。
私は辞退はしません。辞退してどうする…

めっちゃがんばりますので、ゼヒお立ち寄りください(*^_^*)






さやかに星はきらめき(指揮 姜春東)




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冬の陽射しと空気

2011-12-14 | 光と風と旅






「久々に紅葉でも見にいこう、もう終わっとるかもしれんけど。今年は、一回も行けんかったけんね。」

と、SYOさんにお誘いいただき、、アルバイトの帰りに、職場からほど近い公渕公園にいってきました。

公渕公園は特に紅葉の名所でもないし、季節はもう冬。
もう夕方近くで、真横からの陽差しがやわらかくて、木立の長い影の間の、
なるべく日なたを選んで歩きました。

僅かに残ったもみじや、色づいた銀杏が、まるで私のために葉を落とさず待っていてくれたかのようでした。







落ち葉を踏んで歩く森の空気は、なんだかものすごく久しぶりで新鮮でした。


このところ、オフに出かけるといったら「仏生山温泉」か、「整骨院マッサージ」ばっかりだったもんね(^_^;)

キツイ日々、身体のメンテばかりに気を使っていたけれど、やっぱり森の空気は「心のメンテナンス」。

ほんの1時間ばかりだったけど、森の空気と陽光にとても癒されました。








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長かった日々が終わった

2011-12-12 | キリスト教のこと


(私はクリスチャンではありません。
教会の言葉でいうなら「求道者」という立場です。
教会用語など、理解しているつもりでも、不適切かもしれませんので、ご容赦願います。)












私は、キリスト教の葬儀に初めて参列しました。

鈴木一也さんの葬儀は、10人ぐらいの親族の方と、数名の高校時代のご友人と、
30人以上の教会の方たちの参列やお手伝いによって、とても和やかにあたたかく行われました。

たった1日だけれど、シオン教会のクリスチャンとして生きた鈴木さんのことを、
教会の方たちは、同じ教会員としてあたたかく受け入れてくださるのだと、感動しました。

クリスチャンの葬儀は、神さまの御もとに帰っていったことをお祝いする式のようでもあります。
ほんとうに、あたたかで、晴れ晴れとした雰囲気の中、鈴木さんの「亡骸」はお花でいっぱいに飾られ、賛美歌が高らかに歌われ、明るい奏楽が流れます。
奏楽は、SYOさんが担当してくださいました。
SYOさんはクリスチャンですが、別の教会に所属しています。
けれども、鈴木さんとのこれまでの交流から、自らこの日の「奏楽」を願い出てくださいました。
私も、「特別賛美」として歌を捧げました。

仏式と違って、息を引き取ったその瞬間に、もう魂は天国にあり、神さまがその後のことは全て責任を持ってくださる。
四十九日間、冥土の旅をして、1週間ごとに関門?を通過することもありません。
なので、ここにあるのは鈴木さんの「亡骸」なのです。
亡骸に合掌したり、語りかけたりはしません。

希望者が手を挙げて自由に思い出を語る時間が持たれました。
本来ならば、これは「前夜式」(仏式でのお通夜のようなもの)で、こころゆくまで行われるのだそうです。
…が、親族のご希望で前夜式はありませんでしたので、葬儀の中でこの時間が持たれました。

彼が親族の方たちと絶縁状態にあった理由は、過去の破天荒でむちゃくちゃな人生に親族一同、多大な迷惑を被った、
親族の中に、このような「異分子」みたいなのがいることは、許しがたいものがあった…ということは、察するに余りあります。
私自身も、親族の立場だったとしたら、きっと一生かかわりたくないと思っていたに違いありません。
だって…と、この先はこれ以上この場には書けません。

私は、そのご親族に対して、彼がご自分の病気を告知された最後の1年は、そうではなかった、とても幸せだったのだ、そして、社会人として波乱万丈のむちゃくちゃな人生に船出?する前の、
高校時代の彼に戻ってきたのだということを伝えたくて、彼との出会いから天に召されるときまてのことを喋りまくりました。
そして、高校の同窓生みんなで、彼が私のレッスンに初めてきたときに歌って聞かせてくれた「校歌」を歌いました。

そのせいで、きっと牧師先生の「式辞」の時間は相当短縮されてしまったのでは…m(_ _)m


「式辞」では、聖書のみことばを引用しながら、牧師先生がお話をしてくださるのですが、
聖書では有名な箇所で、クリスチャンでなくても知っている人が多いと思われる箇所でした。
ひとつは、イエス・キリストが十字架に架けられたとき、左右に一緒に十字架に架けられた犯罪人のうちのひとりが、自分の罪をみとめてキリストを信じたとき、
「あなたは、今日わたしと一緒にパラダイスにいます」という箇所。
もうひとつは、これも有名な、ルカの福音書の、「放蕩息子の帰還」の箇所です。
先生は、葬儀の段取りに教会にいらした親族の方から故人のむちゃくちゃな生き様を、繰言のように聞かされて、すべてご存じでした。
だから、「極悪人の死刑囚が、処刑される直前に、信じてすべてを許された」お話をされたのです。
彼こそ、「許し」を渇望していた人だったのではないでしょうか。









それから、、、

何よりも、牧師の加藤先生のお働きには、本当に感動しています。
教会は、クリスマスのこの時期、いろんな行事で本当にどの方も、お1人お1人、役割があり、とても忙しいのです。
もちろん先生はその筆頭です。そんな中での、鈴木さんの洗礼を迎えるための準備に2度も、それも、タイトな予定を調整して病院に駆けつけてくださり、
洗礼式も、鈴木さんの体調の悪化で予定を早めましたが、ギターを持って、牧師先生ご夫妻、それに立会人として教会の方もいらしてくださいました。
病院では、この時間、特別に個室が用意され、ギターの伴奏で賛美歌を歌って、鈴木さんの受洗をお祝いしました。
そして翌日には、息を引き取ったとの知らせですぐに駆けつけてくださり、お祈りをしてくださいました。
鈴木さんの亡骸はすぐに教会に移され、葬儀の段取りが行われ、翌日が納棺式、翌々日が葬儀…なのですが、
その間にも、クリスマスの準備や、いろいろな会やコンサートなどが催され、その準備も行われています。
「牧師」とは、本当に自分の身をすべて神に捧げきって働く方なのだ…


葬儀の日の朝には、日曜の主日礼拝が、普通にありました。
クリスマスの「アドベント」の期間でもあり、特に大切に行われます。
その後、すぐに教会の方々が会堂の机などを撤去して、葬儀会場に模様替えをし、お手伝いの教会の方々には、用意されているおにぎりが振舞われました。

私は、「おにぎり」のお手伝いに行かなくていいのだろうか…と気になっていたけれど、
疲れていたし、気分も滅入りまくっていて、朝早くから全然てきぱきと行動ができませんでした。

牧師先生の、ご自身のお体の疲れはいかばかりかと思うのですが、いつも教会のメンバーの方たち、震災の被災者の方、教団のことや、その他、私の窺い知れないことなど、
気の遠くなるような膨大な人々の思いやかかわりを抱え、すべて祈りで「神さま、支えてください」といって、一瞬一瞬を過ごされていらっしゃるのだと思います。

あまりにもスゴすぎて、言葉になりません。

先生は、出棺のあと、私に「斎場まで行っていただけませんか」と仰いました。
親族でない私は、ここで自分の役割は終わったつもりでした。
斎場まで行くのは差し出がましいと…
先生は、斎場では、賛美歌を歌って最後のお見送りをする、賛美歌を私がひとりで歌うのも寂しいので…というようなことを仰いました。
そうか、賛美歌を歌うのか、ほな、行かなくちゃ!

意外にも? この場を早く終わらせたい…という雰囲気満々のご親族の方も、賛美歌は高らかに歌われていました。
そして、「主の祈り」(天にましますわれらの父よ、、、)が、ここで初めて捧げられました。
ご親族の方たちにも「主の祈り」のコピーが配られましたが、みなさん、一緒に読み上げられていました。

最後のお見送りが終わって、私は失礼しましたが、先生は集骨まで斎場にいらっしゃるとのことでした。


夕方からは、教会で、今月23日の、クリスマス・ストリートライヴのリハがありました。
私は、斎場を出てから、SYOさんとTakと3人で、遅~いランチにいって、リハにまた教会に戻ってきました。
ストリート・ライヴのことは、また別途、ご案内もさせていただくし、記事も書きます♪
とにかく、みんなものすごくお疲れの中、リハはきっちりやりました。

私にとっても、長い長い1日でしたが、特に牧師先生ご夫妻は、本当にお疲れだったことと思います。
でも牧師先生ご夫妻には、こんなことは、きっと「特別」なことじゃないんだろうな…

リハが終わって、器材を片付けて、一段落したところで、ライヴのメンバーの方が帰られたあと、先生に、今日の斎場でのあのあとのことをお聞きしました。
先生は、キリスト教とは全く関係もなく、この場を早く終わらせたいと思っていらっしゃる親族の方がたのところにひとり残っていらしたのです。
それは、クリスチャンになった鈴木さんの遺骨の一部を分骨というかたちでも持って帰るという役目があるからです。
親族の方々は、遺骨なんか、できればその場で捨ててほしい、無理ならゴミとして出したっていいと思っているに違いないのです。
それぞれ自分の家には持って帰りたくない、骨になっても入ってきてほしくない、、、

さらに、加藤先生は、そういうなんだかまるで「四面楚歌」みたいな状況の中でも、
このご親族の方たちと教会との出会いは、「キリストとの出会い」との思いから、ことばでなく、ご自身のからだで伝道していらっしゃるに違いない…と思いました。

でも、それでも、先生も奥さまも、疲労困憊のご様子でした。
朝の主日礼拝から葬儀、ライヴのリナーサル…それ以前から次々とスケジュールをこなされて
「あ~~疲れた」と、講壇?(会堂の正面)の縁に座り込んでシールド(マイクや楽器のコード)を巻いていらっしゃいました。

人間なのだから、当然のことなのです。


私はこの長い1日が終わって、牧師先生ご夫妻と語りあったことが、いちばんリアルで、
これからの自分の人生にも、大きな意味を持つものだろうなあ…と感じました。



…父と鈴木さん
立て続けに二人の死をお見送りしました。

私にはなにも悔いは残っていません。
これからの日々は、思い出は自分の胸のなかに収めて、これから一緒に生きていく私の大切な人たちと、毎日を大切に過ごしていきたいと思います。



いつものことですが、だらだらと長い文章にお付き合いくださり、分かち合ってくださった方がたには、本当に感謝しています。ありうがとうございました。





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「きよしこの夜」

2011-12-10 | キリスト教のこと







昨夜、12月9日、鈴木一也さんは、天に召されました。

前日8日に洗礼式が行われ、クリスチャンとして、まっすぐに天国へ、神さまの御もとへといかれました。


前回の記事のあと、ご報告が送れてしまったこと、申し訳ありません。


彼はまっすぐに天国に召されましたので、どうぞ、祝福してあげていただきたいと思います。


今日、教会で納棺式が行われました。
鈴木さんの寝顔はやすらかでした。
今にも「あーよく寝た」といって起き上がりそうでしたけど(*^_^*)
明日は葬儀。
天に召されたことを祝福するセレモニーです。




                                       





以下は、私の、自分の記録としての日記ですので、ご了承願います。


私はクリスチャンではありません。
キリスト教の言い方でいうなら「求道者」の立場です。
教会用語も、「死」についてのとらえかたも、わかっているつもりでも、言葉が不適切かもしれません、重ねてご了承願います。



私が、この日の朝、出勤前に鈴木さんを見舞ったとき、もうこの世での命が風前の灯となったことが、すぐにわかりました。
父のときと同じように、心電図などを計測する器具が、ベッドの脇に取り付けられているところでした。
まもなく、彼は、大部屋から個室に移されました。

個室は、奇しくも父がこの病院に転院してから「療養病棟」に移るまでの1ヵ月を過ごした部屋でした。
勝手知った、なつかしい病室でした。

私は、短時間で必死で?迷って、この日のアルバイトを欠勤させていただくと連絡をしました。
「彼はこの数時間ですぐに亡くなることはないだろう、でも私はこの場を離れて仕事にいくべきか」
欠勤すれば父の葬儀に続いて、2度も連続でご迷惑をかける。
でも、生きている私は、アルバイトや、レッスンの穴埋めは、あとでいくらでもできる。
今は鈴木さんだ。

私の、胃の内視鏡の検査結果も、大腸がんの検査結果も、異常がなかった。
父と鈴木さんの付き添いの日々の中、「自分はだいじょうぶだろうか」と不安になって受けた検診でした。

働ける力があるとは、そして、働いたお金で、食べたいものを買って、美味しく食べられるということがなんと幸せなことかと、
父と、鈴木さん、二人の付き添いの日々の中で、日に日に体力も食欲もなくなっていく様子を目の当たりにしながら、心の底から感じたことでした。


個室に移った鈴木さんの大量の荷物の引越しを終えて、不謹慎かもしれないけど、私は
彼がこの病室を出るときのために、荷物のまとめをしなくてはと思いました。

ベッドで、鈴木さんが「この世の最後の使命」であると牧師先生が仰った最大の死の苦しみを味わっているところで、私はなんということをしているのだろう、、、
彼は本当に本当に苦しんでいました。
鈴木さんがその手を握ってもらって「だいじょうぶよ」と本来声をかけてほしい人は、私ではないのです。
私にはどうすることもできないし、その瞼を自分の力で閉じることもできなくなったうつろな目を見守っている時間が途方もなく長く、やるせなく、何かしていよう…と、、、

それでも、彼が苦しそうな声をあげるたびに、手を握って、顔を覗きこんで、
「おるよー、だいじょうふよ、安心してね」と言うと、
彼は頷くのです。頷くということは、意識があって、本当に苦しんでいるのです。

さて、いったいどこから手をつけようか…
コートやブルゾン、何足もの靴、ネクタイ、ノートパソコン、思い出の写真、他人にはガラクタにしか見えないような貝殻、なんでこんなものを…
家を処分してしまっている彼は、帰るところがない。
それでも再び体調が回復して、退院できる希望を捨ててはいなかったのでした。

やれやれ…と、心を落ち着かせながら、とにかくいちばん大きな袋に、まずはもうこれはいいよね…と思える着古した部屋着や、靴下から、、、



その時。

突然どこからともなく「きよしこの夜」が聞こえてきました。はっきりと。
最初、クリスマスだから、どこかの病室か、ホールで流しているのだろうか…と思ったけれど
聞こえたのはその1曲だけだったし、
突然始まったその曲は2コーラス半ぐらいで静かにフェイドアウトしていきました。

天国から御使いがきたのかな…
この音楽は、鈴木さんにも聞こえているのかもしれない。

もし、私が音楽系じゃなく、美術系だったら、御使いが降りてきたのが見えたのかもしれません。
いずれにしても、これは天国からの音楽だと私は確信しています。何の不思議なことでもないと思えます。

でも、なぜ「きよしこの夜」なのかはナゾですけと…


主治医の先生が、いらっしゃいました。

先生は、鈴木さんと私との関係を聞かれ、本来ならご家族やご親族の方だけに話す病状と今後の処置方針を、
今なお、いろいろ複雑で、ご親族にお話ができそうもないので、やむを得ず…ということで、ご説明下さいました。

それまでは、お見舞いや付き添いはしても、私の立場では病状などについては個人情報なので当然のことですが全く知らせていただけません。
彼を見舞ったり付き添ったお友達は誰もそうでした。
看護師さんたちからも、心苦しく思いつつ、最低限のこと…たとえば、「洗礼式を行うなら、早めにして差し上げるほうがいいかと思います」、、など、
遠まわしな、示唆のような仰り方でしか私たち友人は聞くことができないので、
いったい彼の病状がどれほど悪化して、あとどれくらい生きられるのかという、もう本当にカウントダウンの状態になっているのにもかかわらず、
なにもわからず、途方にくれていたので、先生が説明をして下さったことにはとてもホッとしました。
いずれにしても、彼の命がもうすぐ終わることには何の変わりもないのだけれど。


…けれども、この主治医の先生からの説明で、私はまたさらに新たな責任を負ったのだ、、、


それから、同級生のお友達や、長い間絶縁状態だったという親族の方もついに見えて、俄かにあわただしくなり、介護施設に入居されているというお母様も最後のお別れにいらっしゃいました。
私は、ご本人は教会での葬儀を希望されています…などとご説明をしたり、牧師先生と連絡をとったり、、、
特に、親族の方は、長年のぶつけようない怒りを抱えており、私にブチまけてもしょうがないとわかりつつも、言葉の端々から長い間の確執がひりひりと感じられました。
でも、みなさん、それぞれに「宜しくお願いします」といって帰られました。

私の立ち位置はなんなんだ??と思いつつも、、、、


それからまた私は鈴木さんと二人だけになり、静かな時間が訪れました。
「お母さんとお話できてよかったね…」
彼は、苦しみの中で頷きました。


私はやっとパートナーSYOさんにTELしました。
「おなかすいた。肉まんとおにぎり買ってきてくれないかなあ…食べられるかわからないけど。」

SYOさんは、父の葬儀で私が鈴木さんの付き添いができないとき、彼のお見舞いに代理で行ってくださいました。
その折、クリスチャンのSYOさんは、鈴木さんから、「小学校の頃からクリスチャンになりたいと思っていた、早く洗礼を受けたい、間に合いたい。」という話を聞いたそうです。
ずっと寄り添って心配してくださっていました。
彼は、鈴木さんのレッスンのときの「ジュピター」の伴奏や、送迎もお手伝いしてくれたこともありました。



SYOさんが肉まんとおにぎりとお茶を持って来てくれて、それから、私と殆ど同じような立場で鈴木さんのお世話をされている、鈴木さんの高校の同級生のSさんが来てくださり、付き添いを交代する時間になりました。


私は、病棟のフロアーのダイニングルームで、ひとり、肉まんを無心にもぐもぐとお茶で流し込みながら食べました。
介護の係りの方が、患者さんの食事のトレイの片付けにいらして、「お付き添い、大変ですね…」と労ってくださいました。
父の付き添いの折にも見かけた方だったので、父がその後1階上のフロアーの病室で、亡くなった経緯などを少しお話しました。
フロアーが変ってしまうと、その後のことは全くわからないようなのですが、彼女は、私の父のことを覚えてくださっていて、
どちらにしても「非日常」の時間の話題ではあるけれど、少しの間だけ、なんだか鈴木さん以外のほかのことを考えたり話したりできて、ホッとしたのが正直なところでした。


Sさんと私と、付き添いが二人揃った丁度そのとき、また主治医の先生がいらして、様子を見てくださいました。
鎮痛のモルヒネの量をこれまで少しずつ増やしてきたけれど、それでも意識があり、苦しみがあまりにも長く続いているので、この段階に至ればさらに強い薬を投与することができます…
それは、殆ど「安楽死」、法的にもギリギリの処置であるとのこと。

Sさんと私は、それが、本人も、ご親族も、私たち友人も望むことと、承諾しました。


「死なせてあげてください」
「承知しました」

…そういうことが、遠まわしな言葉で取り交わされたのでした。


Sさんに後のことは託して、私はいったん家に戻りました。
放ったらかしのTakはKUMONに行って、いませんでした。
「ああ、ちゃんと行ったんだ、偉いじゃん」

まず、久しぶりにピアノの蓋を開けて、鈴木さんの希望でレッスンしていた「ジュピター」を弾きました。
それから、病室で聞こえてきた「きよしこの夜」を…

自宅に戻っても、そう簡単に気分を切り替えて、日常に戻れないのです。

そうこうしているうちに、昼間お会いしたご親族の方から、「病院から心臓が止まりかけているとの連絡があった」とTELがあり、続いて、Sさんから「今息を引き取った」とのTEL。


クリスチャンとなった鈴木さんの臨終には、牧師先生も駆けつけてくださり、彼の亡骸は、教会に託されました。



今日の納棺式は、同窓の友人数名と、ご親族の方ひとりが立会い、その後明日の葬儀の式次第について、簡単な相談を先生としました。

昨日、ご親族の方がいらしたときから、次からつぎへ、鈴木さんの壮絶な、波乱万丈な、破天荒、むちゃくちゃな人生、親族一同に勘当されてしまったいろんな経緯が暴露されました。


…が、鈴木さんは、今は、神さまの御もとです。
これまでのすべてが許され、きっと今頃は天国で祝宴をしていることでしょう。


私が知っているのは、癌で余命を宣告されてから後の、「私はいまが一番幸せだ」といっている鈴木さんです。


明日の葬儀は、きっと、参列者の誰にとっても、本当にいい時間になると思います。


神さまが鈴木さんと、遺されたわたしたちのために整えてくださる時間だと思えます。



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スズキカズヤ さんのこと

2011-12-07 | キリスト教のこと





JINさん(=本名:鈴木一也さん)が、亡き父と同じ病院に入院しています。

彼との出会いから、ヴォイストレーニングのレッスンのこと、ご病気のこと、洗礼を受けてクリスチャンになる準備を進めていることなど、書いてきましたが、
彼は、どうせなら本名を公表してほしいとご自分で希望されていますので、彼の希望どおりにさせていただきます。

文責は私にあります。

鈴木さんが、初めてお会いしたその日から病気のことを打ち明けてくださり、それから、本当にいろんなことがありました。


もしも、この記事を、彼のお友達や、お知り合いの方が読んで下さっているなら、このページの右上の検索の小さなボックスで「JINさん」で「ブログ内検索」をしてくだされば、これまでの経過などもお読みいただけます。
あまり細かいことは気にしていなかったので、全角と半角の「JINさん」、両方あります。

彼は今、ご自分の「死」を超えていかれる準備をされています。


私は、父が亡くなったときは、弟が全部「死亡」→「葬儀」→「火葬」などなどの手続きはやってくれたので、悲しみや、いろんな思い出に浸るだけで、事務的なことの責任は何もありませんでしたが、
父の葬儀のあと、「さあ、これからは鈴木さんにシフトだ」と思いました。

そうはいっても、そう簡単に気持ちを切り替えられない。
父が入院していて、最後のお別れをした場所ですから。

神さまに、教会に、すべて委ねたらどうかと言った私には責任があります。
たった1年足らずのお付き合いだけれど、私は「命」の重みについて、彼からたくさんのことを学んできました。

彼の作ったカレーや、ハンバーグ、黒豆…などなどTakと一緒に美味しくいただきました。
レッスンのときに、持ってきてくださるのです。
本来なら私が差し入れするべきじゃないの?
逆でしょ!?

鈴木さんのカレーは、ふつ~~の牛筋カレーだけど、なんといってもジャガイモをものすごく丁寧に面取りしてあるので、全然煮崩れしてなくて、お肉も野菜もとっても柔らかだった。
私も、その後、鈴木さんを見習って、カレーのジャガイモを丁寧に面取りするようになったもんね。

ハンバーグも、なんだかとっても懐かしい「おふくろの味」って感じ。「ソースもとっても美味しくて、Takと一緒におなかいっぱい大満足…でした。

黒豆はもぉ~絶品だったので記事にさせていただいたほどです。


レッスンに来る鈴木さんは、いつもとても楽しそうで、幸せそうでした。
本当に、心から自分の人生に満足されているようでした。
彼の価値観は、私にはとても自然に理解できました。
今も、病室の窓から、大好きな瀬戸内海の島が見える、それも幸せだし、そんな中で、

彼は、この世にきれいさっぱり何も残さず、すべて削ぎ落として、ゼロになって次の世界に行こうとされています。

あさってが、彼の洗礼式です。
賛美歌を歌ってお祝いしよう…と牧師先生が計画されています。
たったひとりの人の、こんなときのために歌を贈ることができるのは、私にとっても幸せなことだと思います。

牧師先生に、鈴木さんが洗礼を希望されていることをお伝えしたとき、先生から力強い、とても素晴らしいメッセージをいただきました。



「洗礼はお話しした通り、確信を持って生きるためのもの、その大きな助けになるものですが、
もう一方、死ぬにあたっても大きな力を持ち、意味があります。
それは死に際する最後の時に、はっきりと希望を握りしめて死ぬためです。
これは死が人にとって最後の使命のようであり、次に来る世界に生れる働きだと知る時、
はっきりと希望を持たずして、死の使命など果たせません。
洗礼は天国の切符ではなく、希望の目に見える印のために受けます。」



今日は、牧師先生と一緒に鈴木さんの部屋を訪れ、鈴木さんに再度、洗礼式をして、クリスチャンになる確認の時を過ごしました。
私は立会人となりました。
先生が、彼の手を握って「これで、あなたは今このときからクリスチャンです」と仰いました。
神さまが彼の祈りをすべて聞き届けてくださったという意味だと思います。

私も「おめでとう」といって、握手をしました。


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さあ、年末だ!!

2011-12-05 | 教育ママ日記





昨日、私の家の玄関のドアノブにに柿をたくさんぶらさげていって下さったのはどなたでしょうか?
ありがとうございます。
父へのお供えにさせていただき、残りは美味しくいただいています♪




さて。
今日からTakも学校。
私も仕事。

ほんの数日の非日常だったけれど、なんだか1ヵ月ぐらい経っているような気がして、
日にちの感覚が麻痺してしまってる(^_^;)


同じ小学校に通っているTak&Rin(従兄弟)は、おじいちゃんの葬儀のため、「校外学習」をお休みせざるを得なくなり、
この日は自分でお弁当を作る…という段取りで、家庭科で段取りを学習し、はりきって予行演習?もしていたけれど、お流れとなってしまいました。

しかし、TakとRinは、このたびのことで、お互いの絆を深めあったようで、
悲しみの中で、しっかりと成長したのではないかと思えます。

ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、RinとTakは、嘗て「濡れ衣事件」というのがあり、学年団をあげて、授業を2時間も自習にしてのトラブルになったこともありました。
当時のお互いの関係はサイアクでした。
お互いに一人っ子で、これからの長い人生、手をとりあって協力していってほしい…というのは親の願いですが、
ウマがあわないならしょうがない、でも最低限、人として思いやりの気持ちだけは持っていてほしい…と、私から二人に伝えたことが思い出されます。

肉親を見送ることで自然と絆は深まっていくのだなあ…と感じました。

二人は、「校外学習」にはいけなかったけれど、通夜の日、TakはRinの家に泊まって、一緒におじいちゃんへの手紙を書き、近所の温泉に行き、
子供ながらにも血の繋がった従兄弟同士との認識を深めたのではと思います。



















でっ、せっかくの「お弁当」の予行演習??
ブログ用に写真も撮って準備してたのに、アップが大変遅れました。
2日連続で、エビフライとハンバーグ、夕飯をTakが全部作ってくれたのよ♪
片付けはしてくんなかったけどね(^_^;)
えいやっ!とばかり、アップさせていただきます。


冒頭の画像はTakが教会で作ってきたクリスマスのキャンドル。

私が父の付き添いでバタバタとしている間、Takはずっと教会のお世話になって、
週末は1日教会で過ごしていました。



今年もまた、教会のストリートライヴやります♪





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葬儀のあと…

2011-12-04 | 実父






父の葬儀が終わりました。

「お疲れが出ませんように」と皆様にご心配いただきましたが、
やっぱり疲れが出まくりで、今日は1日人間らしい生活ができませんでした(^_^;)

まっ、でも、明日からは、ふつーに日常生活に戻れそうです。


3日間、「非日常」の中にどっぷりと居ました。
いろんなことがありました。
沢山の思いがありました。


その中で感じたことを…。


私は、父の死が、悲しくはありませんでした。
たくさん流した涙は、悲しみの涙じゃないように思います。やっぱり…カタルシスかな??


以前から覚悟もできていたし、こんなに幸せな人生を送った人はいないと思っています。
でも、日本人男性の平均寿命を超えて元気に生きていた父が「天寿を全うした」とは思えません。
入院する直前まで踊っていた父は、誰もが、まだまだこれから、少なくとも10年は元気で、踊り続けると思っていたのでは…
それほどに元気で倒れる直前まで踊っていたのです。
父の近しい人たちはみんな、「早すぎた」と感じていると思います。

父は、C型肝炎のキャリアで、ずっと町医者に定期健診に通っていました。
それなのに、癌を見逃されていたのは無念です。



ダンス業界の方たちに盛大に見送っていただいた葬儀でした。

アマチュアで全日本チャンピオンになったことを機に、国鉄職員から、ダンス教師に転向した父でした。
「ダンス」は生業、「商売」、、、
子供の頃の私はそんなふうに感じていたけれど、父は「アーティスト」として生きた人なのです。
どの業界もそうかもしれないけれど、ダンス業界にも、いろいろな人間関係、利害関係、不純物がいろいろと混ざりまくっているようにも見受けられました。

でも父は、頑固に、自分を曲げずに生き抜いてきたらしい…


そんな父も、さいごは、そのダンスも手放して、すべての栄光も、トロフィーも優勝カップも、肩書きも、全部置いて、ひとりで旅立っていきました。


葬儀のすべてのセレモニーが終わって、父がやっと、10ヶ月ぶりに「お骨」になって家に帰ってきたとき、
パートナーのヒロコさんと、弟夫婦と、私、それに孫2人の時間の中で、
話の流れの中でヒロコさんが言いました。

「私はもう、センセとじゅうぶんに話し尽くして、話し足りないことはもうないと思うわ。
ただ、センセが、あっちの世界で、ひとりでちゃんとやっていけるかなあ…ってことだけやね…」

間髪いれずに弟が
「それは全く父もアンタに対して同じことを心配しよるで」

ここで、一同、めっちゃ心から大笑いしたのでした。

この二人、これから暫く、別々の世界で生きていかなきゃいけない…
でも、いずれ再会するときが必ずくると、信じられるようになってきた。


肉体をもって生まれたわたしたちは、この世の「色」や「かたち」がすべてのように感じるけれど、実はそれこそが幻で、命の実相は別のところにあるのだと…

「輪廻転生」ってホントにするのかどうなんだかわからないけれど、
「天国」と「地獄」があるのかもわからないけれど、

ヒロコさんと父は、これで終わりなワケない。
なんだか確信もってそう思える。

「あっちの世界」ってどんなところだろう? 実相の世界って…???


葬儀や法要でいつも唱えられる、浄土真宗の「白骨の御文」

人の命は儚きもの、そして、
「阿弥陀仏を深く頼み参らせて、念仏申すべきものなり。」
…と締めくくられている。

「念仏を唱えれば救われます。」

理屈はどうでもいい、信じればいい。
そういうことなんだよね。きっと。


この世の肉体を捨てて羽化登仙していった父は、今、どんな世界にいるのだろう??
生前の宗教によって行く世界が違うとは思えないよ。


白装束を着て、草鞋と杖で、今どこにいるの?お父さん…




カテゴリー「実父」のパスワードを外しました。
分かち合っていただければ大変嬉しいです。でもこれは、あくまでも私自身の父との日々の記録として書き留めたものであること、ご了承願います。



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