WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

先日のサボテンの件

2018-05-30 | よしなしごと






前回記事で、嘗て住んでいた庵治の廃屋に置き去りにされているサボテンを我が家にお連れしたいと書きましたが
残念ながら断念いたしました。

昨日、SYOさんがお連れするために手袋や袋や、その他持って迎えに来てくださったのですが、、、、


あまりにも大きく、あまりにも重く、しかも、あまりにも植木鉢が小さくて抱えようとした瞬間に「ムリ!」と。


植木鉢は洗面器ぐらいで、サボテン本体は私の両手で「まる」を作ったくらい。
そして、前回、一部腐っているかも…と書いてしまいましたが、全くそんなことなく、ちゃんと観察したら、下半分が激しく汚れているだけでした。
雨ざらしなので、上半分の汚れは洗い流されるけど、下半分の汚れや蜘蛛の巣はそのまま…ということだったのです。


私は出会った当初は「お連れしたい」などと考えもしてなかったので、大きさや重さのことを具体的に考えていませんでした。
拙ブログに画像をアップしたとき、それを眺めながらゼヒとも我が家に…と思ったのです。
しかし、無謀なプロジェクトだった(-_-;)
これはプロでなくてはムリです。


さあどうする?
…って、一応断念してるんだけど、この方をお連れするには、どんな方策があるでしょうか?

植木やさん、土木関係の方、この記事をご覧の方がいらしたら、お知恵をいただけないでしょうか?

植木鉢は洗面器ほど。サボテン本体は直径約45センチほどです



どうしてそこまで!?
…と思われることでしょうけれど、私はこれまで、サボテンや桜の老木から、何度も暖かいものや、厳しいものを受け取ってきました。
アンタ、アホちゃう?と思われようが、、、
植物と交信ができるわけではないのですが、これまでたくさんのメッセージを貰ってきたのです。

「気のせい」とは思えません。


伊豆シャボテン公園



鬼怒川温泉






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庵治探訪…少女タカミを訪ねてⅢ

2018-05-27 | 人生妙なり




まずは「山田家」
教会でうどん、いただいてましたので、おでんとビール。つつじの美しい季節♪♪




庵治探訪。前回行ったのはちょうど4年前の5月でした。




ずっと私のブログを読んで下さっている方はご存じのことですし、再三同じことを書くのもな~と、少し迷いましたが、
手短に…

私は小学校5年生から中1までを「庵治」という海辺の漁村で暮らしていました。
両親の離婚によって、私は母方の祖母の「庵治」の家に預けられて暫くは祖母と2人で暮らし、そこから高松市街の小学校にバスで通っていました。
祖母の家は「小屋」のようなところでした。
8畳と4畳の部屋。土間を簡易的に改装した板の間の台所と汲み取りトイレと物置とは、水平な天井がなく、屋根の斜めの角度がそのまま。
かなり特殊な環境だったと思いますが、私は自分なりにその時代をインナーワールドですごく楽しんでいました。

やがて母が再婚して、妹が生まれて、5人で暮らすことになり、私たち家族は窓から屋島と庵治の海が見えるメゾネットのアパートに引っ越しました。

東京での27年に終止符を打って高松に帰ってきたときの5月、私は初めて祖母と暮らした「小屋」のあった場所を訪ねてみました。
そして、4年前には、家族5人で暮らしたメゾネットを見にいってみました。

いずれの時も、不安で胸がドキドキして、特に数十年ぶりで行ったときは、いったいそこがどうなっているのか、全くなにも知らないので、本当に自分がそこを見てどうなるのか怖い思いもありました。
まるで封印が溶かれるような。

メゾネットは、車で通るときに少しだけ見えるので、廃屋になっていることは知ってました。
…が、実際にその場所に踏み込むのはほんとに勇気がいりました。
4年前その場所まで行って、とても懐かしかったのだけど、嘗て自分が住んでいた家の荒れ果てた画像を撮る勇気がありませんでした。

が、今回は撮ってきました。








「ざわざわ」とした気持はなく
ここもまた、私が住んでいた本当に本当に懐かしい時代の懐かしい場所なのです。

妹はこの家で、このメゾネットの階段の上と下で、私に
「で~~~ちゃん!」(ねーちゃん)と、声をかけてくれた。
これが妹の初めて出た言葉だった。なんども妹は「で~~ちゃん!」とにこにこしながら言いました。
こんなことも、きっと家族の誰も覚えてないだろうなー。

きっと両親にとって、この時代は、早く通り過ぎたかったに違いない。
早く安定した生活を子供たちにも与えたいと思ってすごく頑張っていたと思います。


自分が暮らしていた場所が、更地になっていたり、廃屋になっていたりするのって、胸がきゅぅ~~んとなります。
だけど、その感覚も、何度か訪れるたびに、また、年月とともにだんだん薄らいでいって、
楽しく懐かしい思い出だけが残っていくものだということにも気付きました。





でも私にとっては、この時代があってこそのTAKAMIなのです。何度もしつこいけど。

ずっと音楽を続けてきたのも、自分のうたを作ってきたのも、これからどんな音楽活動をしていきたいと思っているのかも、この時代が原点なのです。







この廃屋のテラスにとても大きなサボテンの鉢植えが置き去りにされていました。
きっと誰にも手入れされず、自力で成長したものと思われます。
植木鉢に対してあまりにも大きなサボテンだった、、、
下半分は蜘蛛の巣で覆われていました。ちょっと一部腐りかかっているようにも見受けられました。
自力でこんなに大きく成長するまで、どれだけの年月がかかったのだろうか、、、、
「あなたのことは、これから私がお世話しますからね。」
…ではなく。
「あなたとお話がしたいので、私のところにお越しくださいぜひともお願いします。」
との思いで、近々我が家にお越し願おうと思っています。
先ほど初めてお会いしたときには、おこがましくて、そんな発想はありませんでした。
でも、撮ってきた画像を改めて見ていて、どうしてもこの方をお連れしたくなりました。

アホちゃう!?と笑ってやってください、、、
きっと、お庭の植物や虫たちを大切にされている方には少しおわかりいただけるかも、、









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「だし」「だし」「だし」の日々

2018-05-24 | 宅飲み&うちごはん






久々に、独り暮らしになりました。以前に息子がいなくなったら

寂しくなるよ
張り合いがなくなるよ
気落ちするよ
…などと、周囲の方がたに言われましたが、、、


確かに張り合いはなくなった。息子に費やす時間が全くなくなった。
しかし、慣れるまでにそう時間はかかりませんでした。

なんといっても、久しぶりの独り暮らし。
私はこの歳まで、独身生活がいちばん長かったのです。
またその世界に戻ってきたんだな~~…と。


まずは、家事の量がものすごく減り、家事にかかる時間も減った。

洗濯物の量が激減。大きな洗濯機を買ったばかりなのに、これがいっぱいになるまで溜めてると、4,5日…いやもっとかかるよ。
だから、シーツや布団カバーを洗う回数が増えた。

スーパーに買い物に行っても、買うものが殆どない。
なのでいつも買う缶チューハイが際立つ、、、、( ̄_ ̄|||)

ダイニングに散らかっている息子のモノを片付けるなんてこともない。

…ってことで、私は日々とってものびのび~~~っっっっと暮らしています。

(しかしいつまでもこのままではダメです。もっと働いて稼がなくてはまずいのですけどね!!!)


でっ、今日は独り暮らしになってからの食生活のお話です。

体調を崩していた時、パクチー増量の「カオマンガイ」(鶏肉をご飯と一緒に炊き込んで、タレやパクチーをかけて食す)なら食べられるのかとわかって、
以来、私の食生活は激しく東南アジア系に偏ってます。



さて。
山形に「だし」という郷土料理があるそうで、Facebookで、それをアップされている方の記事を拝見して、私も作ってみることにしました。
「だし」とは、胡瓜、茄子、納豆昆布(意味不明、香川で目にしたことなし)などを細かく刻んで、めんつゆで和えるとのことですが、その作り方は地域により家庭により、てきと~~!とのこと。
それを、肉、魚、オムレツ、豆腐、ご飯…などなど何にでもかける(乗せる)とか。
私がなにより「だし」なるものに惹かれたのは、息子が茄子が苦手だったため、長い長い間茄子を買ったことが殆どなく、生の茄子に、実は飢え乾いていたのであります。
(辛子漬けを作るために買ったことはあったんだけど、まあその件はとりあえず割愛)


まずはとりあえず世間一般的な「だし」というものを作ってみた。




いちおーセオリー(あるのか!?)どおり、胡瓜、茄子、オクラを約5mmの賽の目に刻む。「てきとーでいい」というので、かなりいい加減。
「納豆昆布」で粘りを出すらしいので、代わりにオクラも投入しておいた。





「納豆昆布」というのは何のことかわからないので、とりあえず「昆布ふりかけ」という、近所のスーパーにあるやつを投入。




まずは豚バラ肉を焼いたのにかけてみた。
美味しかったんだけど、豚バラに下味つける必要なかった。
そのまま焼いて、ベーコンみたくカリカリに近い状態にしたところにかけるとすご~くオツなおつまみになりますよ。


しかし!!
これなら、絶対エスニックバージョンのほうが私は好きや。
ナンプラーやチリソース、SJこさんに頂いた自家製調味料、職場のスタッフに頂いた激辛唐辛子ペースト、SYOさんのポタジェで栽培しているパクチー、、、などなどで、次々と「だし」を作りまくる。
ここまで本流?から外れまくって「だし」といえる??




パクチー激しく投入




これがSJこさんから頂いた秘伝?のタイ風タレ。ニンニクもゴロゴロしとります。これにナンプラーとレモン果汁で「だし」のタレ完成




豚バラ肉エスニックバージョン



その後も次々と…




手羽元と煮玉子バージョン あんまり辛くなかったので「激辛唐辛子」を投入、見た目わろし





鶏モモバージョン もっとカリッと焼けばよかったな




他にも豆腐や、TKGもやりましたが(これサイコー!)、その都度画像撮ってません。


胡瓜1本、茄子1個、オクラ1パックで作ると、私と致しましては3食分になります。
ナマモノなので、毎日食べることになります。でも全然飽きないです。
3~4人家族なら1回で消費できますよ~~~\(^o^)/


さて。そして、久々に昨日画像撮りました。撮影用に作ってみましたえへへへへへ♪
厚揚げを焼いて「だし」をかけました。
冒頭の画像です。
そして、パクチーは混ぜ込まず、その都度ちぎってかけることに。
そのほうが香りが際立ちますからね♪
コレって、「だし」って言う?

…いや、てきと~~でいいというのですから、これも「だし」と言い切る私。



ところで。
「フランゴ・コン・キアーボ」というブラジル料理があります。
長く拙ブログをお読みいただいている方はご存じかと思いますが、鶏肉とオクラと玉葱を煮込んだスープをライスにかけて食べるブラジルのソウルフードの一種とのこと。
以前教会にいらしていたブラジル人のファミリーの方が教えて下さいました。
ここに、トマトと胡瓜を1cm程度の賽の目に切ったサラダも一緒に乗せて、混ぜて食べるのだそうです。
全てが混ざり合ったときのえも言われぬ味のハーモニーがとても素晴らしく、これまた私一時ハマりまくりました。
実は私、日本にもこの「えもいわれぬハーモニー」的ソウルフードがあったのか!!と、感激してハマっているのであります。



フランゴ・コン・キアーボ with トマトと胡瓜のサラダ添え





…まあ、「だし」と認められるとかそんなことはどーでもよく、
私はこのように、偏った自己中心的食生活に突入している次第でございます。

今は、「アボカド」や「ゴーヤー」「トマト」を使った「だし」が頭の中をぐるぐるわくわくしています。


そして、梅雨明けの頃になると次はきっと「冷や汁」の出番です。
これもまた、東南アジア系冷や汁が登場しまくる予感が、、、、


あっそうそう、ついでにコレもアップしとこう。
全然撮影用のつもりじゃなかったので、(てか、フツーそうですけど)見た目なにこれ~~、、ですが、
私、子供の頃アスパラの缶詰が大好きで、親に喫茶店に連れていって貰ったら、アスパラ目的でいつも野菜サラダを注文してました。
パフェやパンケーキなどには興味なし。
当時は生のアスパラなんてスーパーにはありませんでした。アスパラといえば缶詰。
今ではホワイトアスパラも季節によってふつーのスーパーにも出回っていますが、私は今でも「アスパラ缶」が好きです。















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JAZZ & GOSPEL Chapel Live

2018-05-15 | キリスト教のこと






今年も、父の日にチャペルライヴやります。

お時間のある方はゼヒともお越しくださいね。
なんたって入場無料!ありえないです。 なんという太っ腹な新生教会!!
(新生教会はSYOさんの所属している教会です)

ゆっとくけど、メンバーのみなさん、それぞれ、LIVEではかなりそれなりのチャージを頂いて演奏している地元プロの方ばかりですから。

このコンサートは、教会のみなさまのお祈りと献金によって成り立っています。

テナーサックス國井類さんを交えたSYO MichaelカルテットでのLIVE、今回3度目になりますが、私はこのたびゲストとして3度めのお招きをいただきました。
初回からだともう6回目になるのかな??
もう毎回TAKAMIのツラは見飽きただろう…そろそろフロント差し替えお願いします…と、ご遠慮モードだったんですけど、やっぱり今年も歌うことに、、、

曲も決まりました。

そうなると、「よっしゃぁ~~!!」となって、ご遠慮モードは吹き飛び、シミュレーションしつつ自主練が始まり、ベクトルとなる私。



前回記事の続きなんですけど、みっちゃんとSYOさんと3人でのテアトロンで歌いまくりのあと、みっちゃんをご自宅までお送りして、その後SYOさんと2人で飲み会。
みっちゃんと私は昼酒飲みまくってたけど、SYOさんは仕事でもあり、ドライバーで全然飲んでなかったからね。

そして、このたびのチャペルコンサートに何を演るか…というシビアな話になって。
「TAKAMIはゼヒともコレをうたったらどうか」…という話になった。
誰でも知ってるビリージョエルの曲を4ビートで歌うというもの。
ビリージョエルのその曲はかなりいろんなヴォーカルがやってるけど、4ビートでやった人はこれまでに出会ったことがない。
SYOさんから嘗てヴォーカルの方に提案しても却下された。
…とかいわれたら、よっしゃ!ほな私がやったろー!!となってしまうTAKAMI。

しかし、一見(いや一聴)ペラい歌詞。どぉ解釈すればいいんだ!?
私、歌詞に気持ち入らないと歌う気にならないからな~、、
「君はそのままでいいんだよ。変わらないでいて。」と言われてもなあ、、、、
今さら?恋の歌かよ。

つい先日、Facebookで、結婚したら妻は変わる…などの話題で盛り上がったばかり。
「ありの~~~ままで~~」とか言われてもなぁ……



「おっちゃんと、おばちゃんのゆるゆる倶楽部」より




同窓生「宮さま」の格言








しかし「歌詞」というものは、私にとってはその時の心境によって、どうとでも解釈できるもの。

この歌って、「MY FUNNY VALENTINE」にちょっと似てるよな。

「お前の顔はぶさいくだ、でも愛しい。そのままでいてほしい…」
なんでこんな詞を書くんだ!?しかもバラードで切々と歌う、、、 日本人には理解できないよマジで。
でも顔がぶさいくで、それがたまらなく愛しいワンコとかいるじゃないの。
犬と女を一緒にすんな( ̄□ ̄;)!! …てご意見もあるとは存じますが、私はこんな発想からこの歌を自分なりに理解できたような気がするんだよね~~ん。


しかし、ビリージョエルの曲の場合はまた違います。
チャペルコンサートでもあることですし、
「君はそのままでいいよ」と言ってくれるあなたはイエス様。
そのように発想転換をすれば、たちまちこの歌詞はすぅ~~~っっっと自分の中に入ってくる。
「そんな無茶な!」と思われるかもしれませんが、
音楽って、創作者、表現者、視聴者、もぉ、解釈自由と思う。絵画もそうだ。時代背景とかそんなことは全く関係ない。「厳格な解釈が必要」な一部クラシック音楽の世界もあることも承知していますが。
学ぶことにはとても意義あると思うけど、アートって、究極的には、「創作者」「表現者」と「受け手」のとてもシンプルな関係だと思う。
正しいとか間違いもない。好きなものは好き。イマイチわからないものを好きになることもほんの少しの発想の転換。
そうして「受け容れられないもの」は何もないってことになっていく。

私はこれからますます、「この曲はこのように演奏されるべき」みたいな固定概念を叩き壊していきたいな。
「そーキタか!」とお聴きいただく方の心の中に入っていけるような。


もうちょっと言わせていただく。

「主われを愛す」という賛美歌があります。
  
♪主われを愛す 主は強ければ われ弱くとも 恐れはあらじ
 わが君イエスよ われを清めて よき働きをなさしめ給え
 わが主イエス 我を愛す

まあざっと、このような厳かな文語体の日本語訳です。
初心者クリスチャンの私の浅い経験の限りでは、厳かに歌ったことしかありません。


ところが、これを英語て4ビートで歌ってみたとき、私は鳥肌がたちました。
抜けるような青空のもとハレルヤ\(^o^)/と叫びまくりたくなるような、
何と底抜けに明るい歌なのでしょうか!
青い空が破れ、天使たちが舞い降りてラッパを吹きまくっているイメージ。

本来賛美とはこういうものだろう…と私は感じるのです。


クリスチャン発言?ミュージシャン発言? ごっちゃになり思うことたくさん書きました。
このチャペルコンサートも私のミュージシャンとしての成長の過程として、ぜひとも大勢の皆さまにいらして、お聴きいただきたいです。

つーか、私はゲストヴォーカルで、メインはSYO Michaelカルテット。
冒頭にも書きましたが、無料なんてあり得ない香川最高スペシャルなメンバーでのJAZZ炸裂のステージですので、ホント、お時間のある方はお気軽にお越しくださいね!

心よりお待ちしています。







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みっちゃんと遊んだ「こどもの日」

2018-05-10 | アーティスト魂




これで私のGWは終わりです。

高校の芸専時代同級生「みっちゃん」と「ゴッドハンド」にいった。
ってか、あまりうどんを食べ歩かないので、埼玉から帰省中のみっちゃんが連れてってくれた。
私はうどんはどちらかというと「やわらかめの細麺」が好きなんだけど、
ここのうどんはいつも私が食べてるうどんと比較すると、太くて剛麺。
そして、今年初めての「ひやかけ」。





なかなかイケました。
これから細くて柔らかめばかり狙うのはやめよう。

さて次は、GW恒例の、「ミュージックブルー」っていう高松市街地の音楽イベント。
野外ステージ、ストリート、ライヴハウス…などいろんなところで次々とミュージシャンの演奏が繰り広げられる。
みっちゃんと、SYOさん所属のSWJOのLIVEにいった。
お店でドリンクの提供はしてないっていうので、みっちゃんと9%ハイボール持ち込んだ。
短いステージだったけど、楽しかった。昼酒9%ハイボールは、かなりキタ。






そしてそのあとの予定は未定というみっちゃんを、テナーサックス:國井類さん&ピアノ:大浜由子さんのLIVEにお誘いしました。
ここに行ってしまったら、後半はセッションになり、絶対ミュージシャンはステージに登壇し、なんかやるハメになる。
みっちゃんも例外ではない。初めてとかそんなん関係ない。
それを覚悟の上で行かねばならぬ。

お2人のステージは、ジャズとクラシックのほどよいバランスがとても心地よく、素敵なLIVEでした。
そして、後半にはJAZZ歴の浅いご自分のお弟子さんたちもステージに招いて、お客さまを巻き込んでとても気さくで楽しい、類さんワールド炸裂でした。
そこへ私たち(みっちゃん、SYOさん、TAKAMI)も乱入。
「アメージング・グレイス」を所望されましたが、みっちゃんも一緒なので、『埴生の宿』にした。
みっちゃんは堂々とハモってくれました♪


勢いづいた私は、「さーこれからテアトロンに行こう!」ってことになって、
(いや、実は最初からそのつもりだったのだ)
テアトロンでみっちゃんとデュオで歌いまくった。






テアトロンは音響最高で、ここに立つと高らかに歌いたくなるんだよね。
そしていつも1,2曲歌ってた。
昔、よく息子とバッタを捕まえにいったりしたけど、何年ぶりだろう?
1人で歌うのと2人で歌うの、全然違う。





カロ・ミオ・ベン
アメージング・グレイス
故郷
夏の思い出

こんなだったかなあ、あと何歌ったかな?

2声(2人で歌う)って、ハモるっていうより、絡みあう感じ。
ただ同じように並行に上がったり下がったりするんじゃなく。

これが3声になると、自分はどこのポジションをやっていいのか迷いがあり、即興でやるのはかなり難しくなる。
4声にもなると、楽譜がないとイッパツでは絶対ムリな世界になる。

…ってことで、みっちゃん、こんな私の「本能の欲求」にお付き合いくださり、ほんとにありがとう。
2人でアドリブでデュオで思い切り歌えたことはほんとに嬉しくて楽しかった。
テアトロンでこんなに心ゆくまでデュオができるなんて、私にとってはものすごく幸せだったんだ。GWの最高の思い出なのです。
みっちゃんにとっては「むちゃぶり」だっただろうな~~スマヌ。
でも、みっちゃんのテノールはとっても素晴らしく頼もしかった。


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SJこさんをお迎えしてのお泊り飲み会

2018-05-07 | 人生妙なり


SJこさん指示により作った生春巻き




兼ねてから計画していたSJこさんにウチにお泊りしていただく宴。

息子が家を出て、ベッドが空いてるのでゼヒともうちで飲んお泊りしてね…という計画。
彼女は左半身が不自由で、片手、片足の生活。床に座ることも寝ることもできない。

これまでに何度か彼女を交えた飲み会や、彼女主導の花火大会…などやってきたけど、
いつも飲まずに自宅に車で帰っていたので、ゼヒともゆっくりウチでお泊りいただいて心行くまで飲んで語りたかった。
それがいよいよ実現しました。

2人だから、そんなに本格的な準備はいらないや。
ヤムウンセンとか、タイスキとか、昔からよく2人で行った激辛タイ料理をちょこっと作ろう…とか思ってたんだけど、
SJこさんは彼女なりに、食材を「こんなに( ̄□ ̄;)!! 」というほど用意してきた。
私の料理の出番はほとんどありませんでした。



SJこさんが仕入れてきた超絶ちまき




あまりにも量がハンパないので、atatachanご夫妻を突然ご招待することにした。
ご夫妻は快く承諾してくださり、突如4人での宴会となった。

atatachanご夫妻宅でのホムパの画像はこれまでにも何度もアップしてきたけど、
もぉ~~お料理もテーブルセッティングもスゴすぎなのですが、
ウチは息子が家を出たばかりで、まだ片付けもしてないし、こんな状態で人を招く!?状態なのです。
なので画像ナシ!!

…と思ったら、ちょっとだけあったので一応アップしとく。

よくまあ、こんな物置のような家にお泊りいただいたなあ~~~~~


でも、やぱり気のおけない仲間同士の飲み会って、どんなシチュエーションでも楽しくて、とっても幸せ満載だった。

翌朝8時に我がマンションの音出しOKになったら、彼女に歌ってもらった。
私はゼヒともSJこさんと一緒に歌って遊びだかった。
今回のお招きのいちばんの目的は実はコレだったんだ。
彼女に歌の世界に戻ってきてほしいという強い願いがあるのです。

SJこさんは、高校のとき、声楽のコンクールで一位になりました。
その時の自由曲だった曲、私、覚えてたので、まずはそれを歌ってもらった。
「Lascia ch'io pianga」です。
彼女は私と同じ大学を受験して、現役合格を果たしました。合格発表を見にいくまでもなく絶対ムリ!と思っていた私は、彼女から公衆電話で連絡して不合格を伝えて貰いました。

「TAKAMI、なかった(受験番号が)」
「そうやろ、ありがとう、気にしないでね。SJこさんは?」
「あった。」
「やったじゃん! じゃあ次も絶対頑張って!!ホンマに!!!」
「うん、がんばるよ。」
大学は4次試験まであって、3次試験の合格発表の出来事。

このような会話が交わされたこと、一生忘れられません。彼女の底力をひしひしと感じました。


彼女は病気の後遺症もあり、長い間歌から遠ざかっていることもあり、当時の一位入賞の曲は、最後まで声をキープして歌いきることができなかった。
そこで私は、キーをう~んと下げて歌ってみてもらった。
SJこさんはとっても気持よさそうに歌ってくれた。
それから、私が移調して弾ける範囲のイタリア歌曲や、日本の歌を一緒に演奏して遊んだ。

私はバンド活動人生の中で、ヴォーカルのキーなんて、自分の声域に合わせる、または、バックのミュージシャンが演奏しやすいように決める…という感じでやってきました。
クラシックの、オーケストラをバックとするオペラは「特殊」とさえ思えるほどです。
このオペラのキーや音域に挑戦するために切磋琢磨する…ということは、散々やってきたし、それはそれで一生懸命だった。

だけど、じゃあ、SJこさんは、音楽人生からの脱落者なのか?
そんなことあり得ない。

素人さんのギター&ヴォーカルの方が、なんとしてもこのキーで歌いたい…みたいなオリジナルのキーに対する拘りがあったり、カラオケでもオリジナルキーへの拘りある方かなりいる。
さらは、バンドでも「完コピ」(オリジナルをそのまま再現すること)を目標として頑張ってる人数多。
それは、過程であって、オリジナルを勉強することは大事だけど、最終目標じゃないよ。
自分が今持っている楽器(声もそう)と表現力で、どこまで人に想いを訴えて、受け止めてもらえるか…でしょ。
そこのところがブレることなく、音楽に携わってほしい。プロ、アマチュアに関係なく。


私は、自分の演奏活動とともに、そういう志を持っている人たちのサポートをしたいと思っています。
この思いは「指導」とか「レッスン」とかそんなんじゃないのです。
しかし実際には生きていくために報酬は必要。
ガンガン仕事しなくちゃ。息子の今いちばん費用のかかる時期。


納得していただけるいいLIVE、いい仕事がしたいと、改めて思った次第。










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社長と焼き肉

2018-05-06 | クレーンが好き

ご無沙汰しております。

GWはどってことない、ふつ~~~の日々でしたが、そうはいってもいろんなことがあり、盛り沢山。
その中の出来事、順番に掲載します。
画像あまりなしです。

本日は、画像全くナシ。


先日、勤務先(コールセンター)の社長が来讃され、社員とオペレーター有志12名で焼き肉いきました。
社長は何度も高松にも、各支店にも訪れて、社員やオペレーターと忘年会や飲み会などの折に参加されているようだけど、私は社長とご一緒するのは初めてでした。
社長からは、昨年夏に土用丑の「うなぎ」の差し入れがあり、あまりにも感激したので、一度ゼヒとも機会があればお礼を直接申し上げなくてはと思っておりました。

今回の焼き肉もまた、超グレード高く、画像はナシですが、質、量ともにスゴかった。

社長、80年代生まれ。
私の歳からしたら一般的には「息子」の年代である。

社長は、ひたすら肉を焼く人になって、周囲の社員やオペレーターは、「社長の焼いた肉はウマイ! 完璧だ!」と絶賛していた。
なんでやねん…肉がウマイのであって、「焼き」のせいちゃうやろ。
…と最初は思ったのであったが、、

あまりにも社長が焼いた肉がウマイと周囲の人が言いまくるので、私は観察した。


社長は、ひたすら肉を焼き続け、最後までご自分で口にすることはなかった。
常にトングで肉を動かし焼け具合を確認していた。
いつどんな時も、仕事のことが頭から離れず、肉を焼きながら仕事のことを考えられるのも貴重な時間なのだと仰る。
社長の焼く肉は火の通り具合、焼き加減完璧。
一方、私の席では焦げまくり墨と化す肉続出。
でも、焼き肉って、フツーはみんなでワイワイと、そーゆうもんだろーーー

この焼き肉飲み会はすべて社長の奢りで、これがならわしらしい。

社長は、社員やオペレーターと親睦をはかることが目的ではなく、
明らかに、この拠点をどうやったらもっと発展させられるのか、それしか頭にないのだ。
超高級焼肉に釣られて集まってくるオペレーターから現場の状況や意見を聞きだし、対応策を考える。

それはある程度成果はあった。
社長の周囲は、予め経験年数の長いオペレーターで固められていた。
これは高松支店長の采配のようであった。
私は全然経験年数浅いけど、その末席にたまたま、どってことなく居た。

超ウマすぎる焼き肉を食べながらいよいよ自然な流れて仕事の話になったとき、
ベテランのオペレーターたちは、それぞれ意見を言いはじめた。
全員私より若い人たちで、私は最高齢者。
私も僭越ながら日ごろ思っていることを伝えた。
社長は「それを解決するにはどうしたらいいと思いますか?」と仰ったので、これもまた自分なりの意見を述べたんだけど、
他の人たちも、それぞれに、日ごろ思っていることを語りまくるモードになった。


しかし残念なことに、そのうちこのミーティングは、ブース内の空調について、
2,3人の協調性のないオペレーターに苦慮している話を引っ張りまくる流れになってしまった。
みんなそれが誰なのかわかってるようだったけど、日ごろあまり他のオペレーターや業務以外のことに興味を持たない私は、ホントに誰のことなのかわからなかった。
だからこそ、その件に対しても言いたい放題言った。
もちろん「せっかくの社長とのミーティングの機会を、をこんなくだらないことに費やすのはもったいいなすぎる」とも言った。
まあ、酔ってるし、パブリックなミーティングでもないししょうがないよな…とは思うけど、
私としては、社長が終止完璧に肉を焼き続けて下さったミーティング飲み会の成果はきっちりと業務に繁栄してほしい。

私は自分自身のこの業務における長所も短所もわかっているつもり。
特に短所はトホホホホホ…なんだけど、長所については、「私実はこんなことできます」って進み出ていいのかな~~~~と、考え込むところ。






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