WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

主は与え 主は取られる ハレルヤ

2024-01-27 | キリスト教のこと



私は、SYOさんのことを、「夫」とも書きたくないし、夫であるにもかかわらず謙譲語では書けません。 悪しからずご了承ください。


SYOさんが召されてから今日で3周年。

実は私、2周年なのか3周年なのか、わからなくなっていました。
あまりにも混乱もあり、濃い時間であったので、最初の1年があまりにも長かった。
1周年の前日に、SYO Michael Studio を売却しました。
それも、2年目だったのか…わからなくなっていたほど。

本日のタイトル「主は与え 主は取られる ハレルヤ」は、SYOさんが目の前で息を引き取ったときに咄嗟にくっきりと思い浮かんだ聖句です。
SYOさんと私は、鍋をつつきつつ晩酌しつつ、それからくつろいで横になって「プレバト」を観ていたのでしたよ。

ほんとは、「主は与え 主は取られる 主の御名はほむべきかな。」(ヨブ記1:21)
なのですが、「ハレルヤ」 本当にそう思いました。讃える、賛美する…とのヘブライ語です。


神の臨在を強く感じました。そして「完璧だ」と感動しました。


SYOさんと音楽パートナーとしてのお付き合いが始まって2、3年ぐらい経った頃でしたか、車の中で私はSYOさんに言ったことがあります。
「私のために、ずーっと元気で長生きしてね。」
自分からこんなことが言えるようになるには、私としてはずいぶんと時間がかかったような気がします。
しかし、彼は即座に言いました。

「神さまのみこころのままや。」

うーーっっうっうっ…
私より「神さま」か…
当時クリスチャンではなかった私は、当然TAKAMIのために長生きしよう…と思ってくれてるつもりで言ったのでした。
当然「うん、そうするよ」…とか言ってくれるつもりだったのでした。

でも。
今このとき、神さまが彼を連れて帰られた。
「完璧だ」
と私は強く思ったのでした。
これが「神さまのみこころ」

神さまは、SYOさんをピアニストのままで天国へ連れて帰られたのでした。

数日後に手術のための入院が決まっていて、コロナ禍のさなか、私は病室にお見舞いにも行けない。
それに、退院しても、SYOさんは高齢だし体力も衰え、ピアニストとして復帰できないかもしれない…
退院できないかもしれない…
私は心の中でそんなことを思っていました。

自分の召されるときも神さまのみこころ…と言ったSYOさんは、人生のすべてを神さまの御心にゆだねていたのだなあ。
だけど、一般の人たちから見えるSYOさんという人は、地元ジャズピアニストの大御所であったけど、
無口でものすごく温厚でいい人で、だけど仲良くなるとめっちゃおもしろくて、田村正和のモノマネが得意で、
子供が大好きで、子供たちかも慕われて、いつまでも少年なのでした。
だから息子Takのことを心から愛してくれて、息子が大きくなって一緒に過ごす時間が減ってしまったら、本当に寂しがって、
Takが小さかった頃の思い出をたくさん語るのです。そして次のターゲットを見つけるのです。それはミュージシャン國井類さんの息子さんたち^_^;

誰もが、私が大切な音楽パートナーを失ってこれからどうするのかと心配して下さっていたことと思います。
でも、普通は遠慮してそんなこと直接言わないものだろうけど、
SYOさんが召されてすぐに、「こんな時だけど、これからの音楽活動はどうするんだ?」と私に直接言葉に出して聞いてくれたのは、息子Takの父親、すなわち私の元夫でした。
彼は元夫という以前に、東京時代、一緒に活動していたベーシストであったので、
私の本質的なことを理解してくれていて、まずはそのことについてとても心配して、言ってくれたことはとても嬉しかった。



さて。
思い出を語りましたが、私はこれからの人生を、SYOさんとの思い出に浸ったままで、それだけで過ごしていっていいのか…との思いで、
自分の心身の健康や安全のこと、これからの音楽活動のことなど自分なりに深ーく考えて、
SYO Michael Studio を売却し、自宅マンションをリフォームしました。
混乱の中から、ようやく自分に立ち返ることができました。


最後に、SYOさんが、私が高松に戻ってきて最初のLIVEをご覧になって下さったときの感想とアドバイスを記しておきます。今後の人生の指標として。
まだパートナー関係じゃないときの。

大切な初回LIVEを成功させることができてよかった。
けれども、本当に大切で、大変なのは、2回目、3回目です。
ここで、お客さまを引き付けられるか、離れていくかが決まる。
いちど離れていったお客さまは2度と戻ってこない。
どんなに周囲から良い評価を受けても、謙虚さを失わず、
音楽は一生追い求め、自分を磨き続けなくてはいけません。
ミュージシャンにもいろいろいるけれど、お客様は、もっといろんな方がいます。
周囲の声に振り回されることなく、謙虚に受け止めなおかつ、
自分の音楽を信じて持ち続けていくことが大切です。



これはSYOさんがご自身に対して持っていらした信条でもあると思います。
これからはSYOさんの信仰と音楽を、引き継いでいきたいと願っています。



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令和バラードがつくりたい

2024-01-16 | アーティスト魂



「蜜蜂と遠雷」第1次予選が終了。
これから読んでみようと思ってる方は、以下ネタバレ含みすので、ご注意ください。

2度目なのに、1度目より多分泣きまくっている私。

それぞれのコンテスタントの演奏が終わっての観客の反応なども、超リアルに頭に浮かんでしまって、ここにも泣けるのだ。

そして、初回は、もう風間塵にとにかく夢中になってしまった私は、亜夜とマサルについては、あまり掘り下げていなかったのでしたが、この2人の知音的深い関係もスゴイ。羨ましい。

巷のこの世代の男女が、恋愛とか、それにも満たないようなペラいような関係をやってるときに、こんな深いところで共鳴しあえるのっていいなあ…

…と、マジで登場人物に本気で感情移入しまくれるところまで書き込む作者はほんとにスゴイ。

そして、恩田陸さんと、編集担当者、志儀保博さんとの関係もふっっっか~~~く知音だ。
めっちゃ羨ましい関係。
このお2人は小説の登場人物ではなく、実際のナマミの方々なので、もう、ぐぐぐぅぅぅ~~っと超羨ましくてたまらん。

文庫本「蜜蜂と遠雷」の志儀さんによる解説を読んでると、作者への深いリスペクトと深い愛情がひしひしと感じられます。


さて、読書しつつ、私の新曲も、整えつつあります。
まだまだ先は長い。
私はこの曲を令和のバラードにしたい。
同世代の男女は、みなさん、「昭和回帰」みたいな感じなようですし、カラオケで歌う曲は小学校高学年あたりの「明星」や「平凡」の歌本にあったものとか、セイコちゃん初期や、明菜、伊代などなど。
一方、息子が帰省した折に息子が聴いている音楽は、「時代は流れて今はこうか…」と、感慨深いものがあります。

私の印象としては、ドラムやベースがどどーんと底辺で主張している上に、ギュイーンなギターソロがあって、ヴォーカルはあくまでも飄々と、「ぴゅあ」な歌詞が流れていく感じ。
昭和のドロドロ感、恨み節…みたいなのは全然ない。
時代はとんどん次へ次へと進んでいく。


先日、カッシーと新曲のアレンジについて「音声」したところ、
カッシーに
「そんなに広い部屋なら、まずはPCを部屋の真ん中に設置して、そこで部屋の中のすべてを制御できるようにするべきだ」と言われた。
さらに中央にどーんと2台、スタンドのついたステレオのスピーカーを設置して、日中いちいちイヤフォンやヘッドフォンで、あちこち移動してちまちまと聴かなくてもよい環境にするべき…それが「令和」だろぉ。とも言われた。
PCは隅っこに追いやり、ピアノ下のアンプとレコーダーとマイクからは大変遠いのです。アンプはモノラルだし。


うーーーん。仰るとおり。いいなー、やはり令和の環境で令和の曲を作るべきだな。
…その方向で歩もう。




最近は、牡蠣鍋マイブーム。
何時間もかけてゆるゆるいただいております。

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風間塵くん しばらくぶり♬

2024-01-12 | アーティスト魂



昨年「オカンは絶対にこれを読め」と言って、息子が一冊の本を買ってくれました。

「蜜蜂と遠雷」(恩田陸)

これ、ホントに絶対私が読むべき作品だった。
息子は、「これを読め」とか「観ろ」とか、「聴け」とかいって、いろんな作品を紹介してくるんだけど、
その殆どが「うわーっっ」とツボにハマりまくり、感動してきました。

そして、「蜜蜂と遠雷」は、息子に紹介された中で最高の作品だった。

この1冊の中でどれだけ激泣きしまくったことか。

簡単にご説明させていただけば、これは「ピアノコンクール小説」。
そして、そこに登場するコンテスタント(コンクール出演者)の演奏を、予選から本選まで、たくさんの曲を言葉で表現している描写が素晴らしくて、
私が激泣きしたのも、殆ど、本番の演奏の場面でした。

そして、スポットがあてられている4人のコンテスタントの幼少時や、思春期~青春の時代の描写。
彼らに深く感情移入しまくって、読み終わるのがもったいなくて、先へ先へ読み進めたい気持ちを我慢しまくり、最後までじっくり読みました。

本日から、また2度目を読み始めました。
こんとは、さらにじっくり噛みしめながら、もっと時間をかけて、彼らとの再会を楽しみたいのです。
塵くん、こんにちは、また会えて嬉しいよ…


今年の初夢に、風間塵くんが登場しました。
彼はこの作品のコンクールが終った後、数年後にとある国際コンクールに優勝して、
塵くんと私はハグして芝生をころげまわって喜ぶ…という、なんと嬉しく幸せな夢!
私の人生の初夢としては、最高~~でありましたよ!!
これをお正月帰省中の息子に話したら、
「なんでオカンが塵と知り合いなんだ、年齢差を考えろ!」とか言われたけど、
スマヌが私、歳カンケイないし、夢の中では特に!塵くんも私も20代なようだったし、問題ナシ。




前々回の記事、「昼ワインランチ」で、お友達が貸して下さった「祝祭と予感」

「蜜蜂と遠雷」のスピンオフ小説なんだけど、上京の折、移動中に読むつもりだったけど、ここはやはり、もう一度本編を読んでからにしよう…と思った次第。
息子も、買ってはいるものの、同じこと言ってたなー。
年末年始からいったん日常を取り戻して、落ち着いてから再読しよう…と思った次第。

息子は、塵くんとSYOさんがオーバーラップしたのだそうだ。
それは私が読後、あとで聞いた話。
私はそんなこと、全く頭になかった。
だって、歳も違うし、クラシックとジャズだし。
でも、SYOさんは一貫して独学でピアノを練習して、全く誰にも師事せずに自分の感性だけでやってきた。
JAZZといえど、日本にそんな人はたぶん殆どいないのではと思う。

クラシックのピアノからJAZZに転向したり、JAZZにもジャズスクールというのがあったり、何かしら、どこかで習う。
SYOさんは一切それをやってこなかった。
自分の感性だけでピアノを弾いてきたのだと思います。
そんな人と、アカデミック系の私が一緒に音楽をやってこれたのは、ものすごく特殊で幸せだったと今になって思うけど、
当時は、そこまで感じることができない私でした。

だから、海外から帰国されたミュージシャンの方などに、「日本人にもこんな人がいたのか…」とか思われていたようだけど、
私は、そんなことはあまり深く考えたことがありませんでした。

いろいろ今になって、感じること、後悔…などもあります。
でも、もうSYOさんの時代は終わりました。

SYOさんが召されたのは3年前。もうすぐ召天3周年になります。
それも、2年なのか、3年なのか、あまりにも混乱が続いてたので、今年で何年なのかもちゃんと把握してなかった。
マジで今、ブログの過去の記事を辿って、あー3年だったか…って本日確認した次第。


でも、少しずつ、いろいろなことが戻ってきて、やっと平常に戻ってきて、次にいくよ。
私、このあとも、音楽人生続は続く。
これが私の生きる道。これ以外にあり得ないのです。





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