WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

お父さん 安らかに…

2011-11-30 | 実父








今朝、父が永眠いたしました。85歳でした。

2月末に肝臓癌と告げられて、辛い闘病生活が続きましたが、さいごはとても安らかに息をひきとりました。

最後は弟が見取りました。

私は、前夜に、父の手を握って、じゅうぶんに声もかけてあげられたし、

9ヵ月間の付き添いの日々、悔いなく父と話をしたり、お世話したり、叱られたりしながら過ごすことができました。

11歳で、父の家を出てから、10年以上も会えず、再会した後にもずっと東京で生活していたので、
父が70を超えたあたりから、あと何回父と会えるだろう…と思っていたのに、
こんなふうに、父のこの世の最後の時間を一緒に過ごすことができて、
本当に幸せでした。


何よりも、父は、最愛のパートナーさんに、ずっと寄り添って、付き添ってもらって、
こんなに幸せな人生を生きた人はいないと思えます。

寝顔も、とても安らかです。


父との9か月間を、ずっと書き留めてきました。パスワードをかけていました。

落ち着いたら、いつも応援くださった方々とも、ぜひ分かちあっていただきたく、
この場で公開させていただく所存です。







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臨終

2011-11-30 | 実父


11/30 

この日私は以前からの体調不良で胃の内視鏡を受けることになっていた。
キャンセルしようかとも思った。
父の臨終に立ち会いたいためにキャンセルするというのもどんなものかと、
父はまだ生きているのだ、普通にしていよう、、、
父は自分の「その時」を自分で選びとるに違いない。


弟も、昨夜、「ほな、俺も泊まったらいびきがうるさいから、帰るわ、明日、なるべく早く来る」といって、帰ることになった。


ヒロコさんは、たぶん、「二人とも、父親が今日か明日といっているときに、なんと暢気なことを…」と思ったに違いない。

でも、弟もきっと私と同じ思いだったのではないだろうか。



朝9時に、日赤に着いたとたん、弟から携帯が鳴った。
すぐに、父が逝ったのだとわかった。

弟は冷静に、「もう亡くなったんだから、内視鏡を受けてからゆっくり来ればいい」と言った。
私もそうしようと思った。


昨夜はヒロコさんがひとりで、一晩中ずっと、一睡もせずに父の傍にいて、きっとたくさん話しかけてあげたに違いない。
父は話せなくても、じゅうぶんに語り合ったことだろう。
ヒロコさんは、こんなになってしまった父に「頑張って」とは言わない。
「だいじょうぶよー。」
今、父に言ってあげるのは、その言葉だけだ。
すべての思いがこの言葉にこもっているのが、私にも泣きたくなるほどわかる。


そして、朝、ヒロコさんと交代に弟が来た。

「やっと来たか息子。最後はお前がきちんと看取れ。」

これが、父の逝き方だ。本当に父らしいと思った。

父の病気は最後まで意識があるときいていた。息子の声は聞こえたはずだ。
息子が来たことがわかり、バトンを渡したのだ。
受け取るのは息子以外にいない。
本望だったと思う。


内視鏡検査が終わって、父のところに行ったとき、私はあまり泣かなかった。
悲しみより、よかったね…の、安堵の涙…だったかな。
「お疲れさま、やっと楽になれたね。ホッとしたよね、
昨日は一晩中ずっとヒロコさんとお話できて、最後は息子に看取ってもらえてほんとによかったね。」

もう思い残すことはなにもなかったのではと思える。
お見舞いにいただいた父の大好きな胡蝶蘭の切花が、ゆるやかな日差しの中で、まだ元気に咲いて、やさしく見送ってくれていた。




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最後の時

2011-11-29 | 実父
11/29

Takの祈り

父が重篤な状態に陥った。
ついにこの時がきた。
覚悟はできている。
私は、父とのこの世での最後の日々を、悔いなく過ごすことができたと思っている。

すでに黄疸が出ている父は、酸素マスクをつけて一生懸命自発呼吸をしている。
家族と本人の以前からの希望で、人工呼吸、心臓マッサージなどの措置はしない、
本人が1人で病室にいるときに、もしも呼吸や心臓が停止してしまった場合、病院はその責任は負わないという、再度の承諾書にサインがされた。

父の場合、死に至る直接的な原因の予測としては、大量の吐血によるショックか、敗血症による全身状態の悪化→血圧の低下…とのことだったか、、
ヒロコさんから手短に説明を聞いたとき、「痛くないの?」と、そればかりが気になってしまって、細かいことは覚えていない。
肝臓がんは、痛みが他の癌ほど強くない。ただ、最後まで意識があり、こん睡状態になることは殆どないとのことだった。


今日から、また24時間、ヒロコさんと弟と私で、交代で付き添うことになった。


今日は、アルバイトのあと病院に直行して、父を見舞ったあと、JINさんのマンションの処分を少し手伝った。
JINさんを車椅子に乗せて自宅まで運び、今月一杯で処分される部屋から、必要最小限の荷物を取って、携帯電話の支払いをするのに付き合った。
たったこれだけのことだけれど、JINさんにとっては重労働で、かなり疲労も激しく、
痛みも出てきたようだった。
Takの教会の牧師先生がJINさんのところに来てくださり、
洗礼の準備に入るためのお話に、私も付き添った。

それから、また父の部屋に戻ったとき、看護師さんが全身状態を調べに来てくださったが、
話しかけても息をしているだけで反応の無い父の胸を看護師さんがつねったとき、父は顔をしかめた。
意識状態を確認しているらしい。
意識もあるし、耳も聞こえているらしい。
まもなく主治医の先生も往診に来てくださり、尿も出なくなり、全身状態は悪化していることが伝えられた。

家に帰ってから、Takに今日のことを伝えて、
「これからじーちゃんのお見舞いにいくから。これが生きてるじーちゃんに会える最後かもしれないから。
Takは、じーちゃんにちゃんとお話してあげて。」

…そして、Takは、お祈りの文章を書いた。


「おじいちゃんの顔は黄色くなって、息もハァハァ苦しそうで、Takは、おじいちゃんを見たらビビりまくるかもしれないけど、勇気をもってね。」

Takは、父の手を握って、
「じいちゃん…」と、話しかけた。


天の神さま
じいちゃんの熱や苦しみを取り除いてください。
少しでも楽にしてあげてください。
ぼくのところにいつもいてくれるように、
じいちゃんのそばにいて、守ってください。
…(とかなんとか、、、)

アーメン


父は、こん睡状態ではないのだ。Takの祈りが聞こえていた筈だ。

「お父さん、今夜は、ヒロコさんがずっと朝まで一緒にいてくれるよ。よかったね。
だいじょうぶ、安心してね。じゃあ、また明日来るからね。」

私も父の手を握って、おやすみなさいを言って、部屋を出た。


それが、父との最後だった。

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「尊厳」

2011-11-28 | 実父


11/26

今日、すごいことに遭遇してしまった。

私が父の昼食の時間にほんの3,4分遅れていったら、介護師さんが父に食事を食べさせてくれていたのだけれど、
父は、これから熱が上がっていくという状態で、ガタガタと震えていた。
震えながら、口をもぐもぐカタカタ一生懸命動かしていた。
そして、お皿には、剥いた海老の殻、そして、高野豆腐の食べかけが目にとまった。


熱が出かかって震えているのに、こんなに食べられたの…?

しかも、海老や高野豆腐なんて、食べにくいものばっかり、、、

私は一瞬で、介護師さんは、自分の仕事をこなすために、むりやり食べさせていたのだとわかった。
こんな状態の父がほんの10分足らずの間にこんなにたくさん食べられるわけがない。
その介護師さんは、父が1度喧嘩したと言っていた人だった。

私が父の部屋に着いて、すぐにその介護師さんは、「熱が出掛かって震えています」と言っただけで出ていった。

その後、私が食事の介助を代わってから、父はますます震えがひどくなり、
こんな状態でも食べられるものなのかと思いながら、お粥を口に運んであげたけれど、
どれが食べたいのか、食べたくないのか、言っていることも震えで聞き取れなくなり、
とりあえずお茶で口をゆすいで、いったんベッドを倒して休憩することにした。

父はなにやらとても不機嫌で、怒りのような言葉を言ったかと思うと、ごぼっ…と上を向いたままで食事を全部戻してしまった。
目も鼻も、耳の中にも嘔吐したものが流れかかった。父の顔は全面ゾンビのようになった。

あわてて顔を横に向けて、ナースコールをしてから顔の汚れをタオルで拭き取ったけれど、
看護師さんが応えてくれるまで、それに、部屋まで来てくれるまでの数分がどんなに長く感じたことか…

結局無理に動かしてまた吐くといけないので、顔以外の汚れた衣類やシーツはそのままで、
取り替えることもできず、横向きにした顔の下にシートだけ敷いて、震えが落ち着くまで暫く待つことになった。

もし、私が来ないで、介護師さんが食べさせたあとベッドを倒して、すぐに部屋を出ていってしまったら、どんなことになっていたかと… 
父はナースコールさえできないのだ。

ヒロコさんがどうしても食事を付き添いたい気持ちが、ものすごくよくわかった。
ヒロコさんは、知っていたのだ。
私は、介護師さんはプロなんだから、少々手荒に見えても、状況に応じてきちんと食べさせてくれるだろうと思っていたけど、甘かった。
彼女たちは、仕事を次々とこなさなくてはいけない。
父のペースにあわせて、のんびり食べさせている暇はないのだ。
それにしても、熱で震えているのに、こんなに食べにくいものばかり、詰め込むように食べさせるとはどういうことか。
怒りで思わず両手を握り締めた。
剥いただけの海老を、小さく切ることもなく、そのまま口に入れられたのか…
かわいそうに、、、
歯が少ししかない父は、もぐもぐ、噛み砕くにも普通の何倍もの時間がかかるのだ。

介護の研修を受けるとき、必ず「人間の尊厳」について学ぶはずだと思うけど、
そんなこと頭でわかるのと、それを心で受け止めて仕事の中で実践できることとは全然違うと思う。
わかっている人は習わなくても患者に寄り添えるのだ。
私の知っている、実際の現場に携わっている殆どの人が、「大変だ、忙しい、落ち込む、ストレスが溜まる」と言っている。
そういう現場だということは、覚悟していた筈。
大変な中でも、優先順位があると思うけれど、「人間の尊厳」を最優先にしてほしい。
いや、それが「医療」「看護」「介護」、すべての基本でしょう。


看護師さんが、父の体の酸素濃度を測りに来てくださったとき、なかなか数値が出ず、指に挟む器具がうっとうしくて、すぐに外そうとする父に対して、
「うっとうしいよね、ごめんね。でも私は、これをつけてもらって、調べたいの。もうちょっと我慢してね。」
と仰った。父は我慢した。これも彼女なりのテクニックなのかもしれない。

でも、ちょっとした言葉遣いでも、患者も、家族も、敏感に察知するものだ。
その人の、看護や介護に対する取り組み方というのが、理屈でなく、伝わってくる。
「私がこうしたいので、どうかお願いします」と言うには、信頼関係が必要だ。
ヤな人の頼みなんか、聞いてやりたくないもんね。

父は、このあと、暫く震えていたので、その間手を握ってあげて、少しずつ収まってきたので、
「お父さん、ごめんね、私がもう少し早く来て食べさせてあげていればよかったね。
無理して食べて、気持ち悪くなったんやろう?」と言ったら、頷いて、
「ペースが速すぎる」とはっきりと聞き取れる声で言った。
私も「ペースが速い」と叱られたことは何度もあった。

ヒロコさんの食べさせ方は、ベッドの脇に立ってナイフとフォークを持って、
まるで、カウンターに鉄板のある高級レストランで、料理人がお料理を切って取り分けてあげているような仕草なのだ。
食事が少しでも楽しくできるように…


落ち着いたところで、着替えやシーツ交換をしていただいたけれど、消耗しきっているはずなのに、ずっと目をあけて、意識が泳いでいるようだった。
何か見えるんだろうか?
時折、手を動かして何かを辿っていっているような仕草もした。

「お父さん、お話、読んであげようか」
父は素直に頷いた。
濱田 廣介の短編をひとつ読み聞かせてあげたけれど、父は、途中から集中できなくなってきたようだった。
一生懸命に意識を繋ぎとめていないと、宙を泳いでしまう…みたいで、言葉のひとつひとつを受け止めるのも、労力を要するようだった。

でも、「お話を読んであげようか」って言ったら、いつも「寝てしまうわ~」などと一応遠慮?してたのに、今日はすぐに頷いたのだ。
もっと簡単なお話なら、いいかも。
今度こそ桃太郎や、一寸法師の絵本を借りてこよう。


夕方になって、ヒロコさんが来てくれた。

ちょうどその直前ぐらいから、また悪寒が始まり、寒いといって震えだした。
スタッフも、もう交代の時間のようで、一斉に来て、俄かにあわただしくなった。
ヒロコさんは、ナースステーションで嘔吐の件を聞いて、動転していた。
でも、看護師さんたちが詳細をいろいろ補足説明しようとするのを振り切って、
まず父の顔のところに、自分の身体ごと近づいていって、「エラかったね、辛かったね、寒いね…」と、、、本当は抱きしめたい気持ちに違いない…
報告を受けつつ、湯たんぽをレンジでチンしてきてと私に渡して、動転しながらも、まずは父を楽にしてあげることが最優先なのだ。

スタッフの方たちも、ヒロコさんには一目おいているようだった。
こんなに深い愛で夫の看病をする妻がいったいどれほどいるだろうか。
究極だ…

ヒロコさんは、私の大切な人をこのようにして看病をしてほしいと、意識しなくても、一生懸命訴えているのだ。
私だってヒロコさんから、たくさん学習した。
スタッフの方たちも、彼女の献身から素直に学んでほしい。


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祈り

2011-11-26 | 実父






11/25 祈り


私は、
JINさんに洗礼を受けてクリスチャンになることを薦めた。
神さまはそのために私のところへJINさんを連れてきたのだと、私は最初に彼にお会いしたときから強く感じていた。
クリスチャンでもない私のところに…

営業が超苦手で、それ以上に宗教の勧誘なんか、絶対にできない私、、、
キリスト教は基本的に「勧誘」はしない。
私も教会に通い始めて4年目になるけれど、「洗礼を受けませんか」と言われたことは一度もなかった。
キリスト教の「伝道」とは、神さまのことばを伝えることで、勧誘とは違う。


でも、彼には4年もの時間はもうない。
いつ、どんなタイミングで話したらいいか、よい時を与えてくださいと、神様にお祈りするしかなかった。
(JINさんが「私の死生観とは違う」といって拒んだら、もうそれで終わりだから)
昨日がその時だった。いろんな話の流れの中で、
「JINさん、私が言うのもヘンかもしれないけど、洗礼を受けてクリスチャンになったらどうかな?」
彼は、一瞬びっくりしたような、でも、確かにその言葉を「待っていた」顔だった。
あまりにもあっけなく「それは私も考えていた」と言った。
彼は、聖書も以前に通読されたこともあるというし、近所の教会の英会話教室や、集会にも何度か出かけたことがあると以前から聞いていた。
でも、そこから1歩先に入っていく機会がなかったのだ。

私は、嬉しくて涙が出そうで胸がつまって、なんともいえない感慨に締めつけられるようだった。

ああ、これで、JINさんは、これからの人生を豊かに平安に過ごして、心安らかに「死」を超えていける…

昨日から父と同じ病院に入院したけれど、父のあたたかで、いつもお花が飾られている南向きの個室とは違う。
北向きの相部屋で、他の患者さんたちも、長く患っているようで、なんだか放置されているような印象を受ける。
カーテンも汚れているし、床もきれいとは言えない…
でも、JINさんは、「大好きな女木島と男木島が見えて、明るくてよかった」という。

T病院から、今のところに転院する前に、私は、別の病院のホスピス病棟に問い合わせをしてみたらどうかと薦めたのだけれど、もしも私がJINさんの立場なら、そこで人生の最後の時間を過ごしたい…と思ったのだけれど、
本当の本当に大切なことは、医療や、部屋の清潔さ、きれいさではなくて、心の平安なのだ。
「死」を、神さまの懐に掬い取られる、優しくあたたかなものと思えることだ。

JINさんのことに関しては、早速牧師先生にお伝えして、いろいろと準備を進めていただくことになった。



一方…

父は、3日前から熱が出ては解熱の注射を打つことが続いている。
熱がだんだん上がっていくときには、悪寒がして、ガタガタと身体と唇を震わせ、寒い寒いといって、見ているだけで辛くなるけれど、私ができることは何もない。

どんなに身体を温めても、エアコンで室温を上げても、悪寒はどうしようもない。

昨日は私が付き添いの担当だったけれど、熱が続いているので、ヒロコさんも気が気ではなく、無理して来て、父に食事を食べさせてくれた。
彼女の介助は本当に愛情にあふれて、少しでも楽に…という思いが一瞬にして伝わってきた。
1日でも、1秒でも長く生きていてほしい、そしてその間は、少しでも楽に、、、

父は彼女のすべての介助を受け入れて、甘えきっていた。

今日も私が行ったら、父はまた悪寒がしていて、ガタガタと震えていたけれど、なすすべもなく、父の傍らで祈るしかなかった。

暫くして、父は少しだけ楽になったようなので、「熱いお茶飲む? 身体があたたまって楽になるかもしれないよ」というと、僅かに頷くので、ベッドを少し起こして、ポットのお湯を再沸騰させて、熱くて濃いお茶を入れてあげた。
父は湯のみが持てなかったので、飲ませてあげたら、少しずつ、何十回にも分けて飲んだ。
「お父さん、美味しい?」と聞くと、また僅かに頷く。
食事は、美味しいと感じず、仕方なく生きるために少しでも箸をつけるような状態なのだけれど、
熱くて濃いお茶は、美味しいと感じられるのだ。
1杯では足りなくて、湯飲み2杯、少しずつすっかり飲み干した。

もうレッスンで、帰る時間が近づいてきたので、少し落ち着いたところで、
「お父さん、もう私、行かないと…」というと、
眼を大きく見開いて、「どこに?」と…
「レッスンや。生徒さんが来るからね、ごめんね、もうすぐヒロコさんが来てくれるよ。」

もっと一緒にいたい。

「お父さん、苦しくなったり、寒くなったら、神さまにお祈りしてみて。
神さまは、ずっとここにお父さんと一緒におるよ。」
初めて「神さま」のことを口にした。

父は、また目を大きく見開いた。
いきなり「神さま」が出てきて、びっくりしたのか??

「私、お父さんが熱が出て寒くてもなんにもできんから、お祈りしたんや。
神さま、お父さんの熱を下げてください、悪寒を取り除いてください、
足の痛みや、身体の痒みや、辛いことを全部取り除いてください。
お父さんが、少しでも食欲が出て、美味しくご飯がたべられますように。
神さまは、お父さんがお祈りせんでも、いつも一緒にいてくれてるよ。
でも私がお祈りするより、本人からお願いするほうがいいと思うから、
苦しくなったら、神さまにお願いしてみてね。神さまは絶対にきいてくれよるよ。
それでもどうしても辛かったら、ナースコールやで。」

「わかりました。」
と、ゆっくり父は言った。


理屈なんかどーでもいいのだ。
私は、父に「神さま」を思い出してほしい。







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もうすぐクリスマス

2011-11-25 | 人生妙なり






今年もやってきました。クリスマスシーズン。
クリスマスといえばサンタクロースのプレゼント。
毎年ない知恵を絞りまくり、いろいろとサプライズを考えてきましたが、
Takも6年生になり、クラスの誰もサンタさんを信じなくなってる中、
本人も、どう信じてよいやら…という迷いが生じてきまくっているらしい(^_^;)

そこで。
ついにサンタクロースのプレゼントのからくり?について話し聞かせることにしました。

サンタクロースは、まずお母さんの心の中にやってくるのだという話。

毎年この季節はほんと~~~にカツカツなのに、プレゼント用のお金だけは、どこからともなくちゃんと用意されること。

去年は、7万円もするMTBを、サンタさんがコレを買ってあげなさいというので、
意を決して銀行口座をギリギリまでマイナスにして買ったら、12月23日、教会のストリートライヴを見にきてくれた両親と妹から、全くアテにもしていなかった現金の差し入れがあった。
それは、年末調整で戻ってきた住宅取得の控除で、ぴったりMTBの値段だった。

実は借り入れをしてくれているのは妹で、ローンを払っているのは私。
毎年、年末調整でうまく申告できず、初めての還付となったのでした。





2年生のクリスマスには、仕事の帰りに、なんとなくいつもと違う道を通って帰っていると、
自転車やさんがあって、そこに超目玉の激安になっているギア付の子供用の自転車が売られていた。




またある年は、これまた、たまたま初めてなんとなく入ってみた風変わりな子供用品のお店で、Takにぴったりの画集を見つけた。




ナルニア国物語は、DVDでしか観たことがないけれど、
教会の牧師先生の奥さまが、「あれは本のほうがおもしろくて、私もTakくんぐらいの頃にハマって夢中で読んだのよ」と教えてくれた。





そんなふうに、サンタさんがお母さんのところに必ず来て、いちばんいいプレゼントに導いてくれるのよ。
だから、お母さんは、サンタクロースを100%信じてるのよ。
本当にお母さんのところにサンタさんが来たって、わかるもん。

信じる子供のところには、本当のサンタさんが来て、信じない子は、両親が買ってくれるってのは、そういうことなんだよ。
だから、これまでTakが貰ったプレゼントは、お母さんが買ったものじゃなくて、
本当のサンタクロースからのプレゼントだよ。
お母さんが用意したお金じゃないもん。
手紙もお母さんはキーボードを打ってるだけで、言葉は全部サンタクロースから貰ってるんだよ。
お母さんが考えて書いたんじゃないよ。

どう? がっかりした?

「ううん、その逆。俺も信じる。」

…ということで、今年もカツカツですが、思い煩わず、サンタさんが来てくれるのを楽しみに待とう(*^_^*)


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終日オフ

2011-11-21 | よしなしごと





今日は終日オフでした。


昨日からちょっと体調不良で、生徒さんにレッスンを延期したいただき、
今日も、教会の礼拝をおサボリして、1日だらだら過ごしました。
(注:私はクリスチャンではないので、礼拝を「おサボリ」したことにはならないだろうけど、
自分的には、私の神さまは、教会でいうところの神さまと同じだと感じる。
なので、礼拝には、行ける範囲で行きたいと思っています。)


そして、ベッドでごろごろと読書などしていたのであります。

あれこれ気のむくままに読んだけど、先日ご紹介した「メメント・モリ」の藤原新也氏の「何も願わない手をあわせる」

なにも願わない手を合わせる (文春文庫)
藤原 新也
文藝春秋




それから「聖書」

ガルシア・マルケス「百年の孤独」

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))
Gabriel Garc´ia M´arquez,鼓 直
新潮社



こんなところを並行で。


「聖書」を通読された方、いらっしゃるでしょうか?
クリスチャンの方はまあ当然としても、私の周囲ではいません。
中学生の頃、10日ほどかけて読んだつもりだったけど、
内容は全然覚えてなくて、しかも、こんなの絶対10日で読めるワケない。
あの時は、いったい何を読んでいたのだろう?

目もかなり不自由になってきてるので、「さあ、これから読書だ」って気合がいります。
まずコンタクトを外さなくちゃいけないし(^_^;)

ワケのわからない創世記をいったりきたりして、え~い!もう深く考えるのはヤメじゃ!と、とにかく、読み進め…

でっ、やっと今日、モーセが亡くなりました。
「十戒」のモーセね。

モーセ率いるイスラエルの民の軍団が神の導きでカナンの地へ向かう壮大なストーリーですが、エジプトを脱出してから40年。
モーセは120歳で、カナンの地を見渡しただけで、そこへ入ることなく生涯を終えます。

あ~~~長かった。

聖書だけ読んでも、淡々と書かれているのでさっぱり前後が繋がらず、ネットで検索しては「うーーーん…」と唸り、よちよちと歩みを進めていく感じ。

モーセが亡くなっても、聖書の1/5ってとこかな。

そしてこれから、「ヨシュア」がモーセに代わって、「進軍」するのだ。
「ジェリコの戦い」
学生時代、合唱で歌ったアレのことやね。
音大出身の私は、たくさんの宗教音楽をうたってきました。
グレゴリア聖歌、レクイエム、「メサイア」も「ハレルヤコーラス」も、純粋に美しい音楽と感じて歌いつつ、一方では藤原新也氏に共感するし、東洋哲学のほうが興味津々だった、、


「神さまを信じる」って、ものすごくシンプルなことだと感じてるのだるけど、
聖書は聖書で、興味深くおもしろいです。


「百年の孤独」は、ウマイ焼酎を飲んだから読んでるワケじゃなく、逆ですからね。
これも20年ぐらい前から読みかけの本。


このところの私のテーマは「いのち」です。いや、生きてる間ずっとそうだと思うけど。
今日は、ホスピスや、緩和ケアについても、調べまくりました。


Takは、今日は教会の子供祝会?みたいなので、(日本人的には七五三みたいな感じ?)
教会で遊んだ後、学校のお友達とも遊んで、帰ってきてからスーパーにお使いに行ってもらいました。
梅干、わかめ、チャーシューを買って来いと指令。l
そしたら、チャーシューのとなりに美味しそうな「砂肝」があったのでどうしても欲しかった…といって、おまけに買ってきた。
うーーーん、渋いな、、、

梅干にもいろいろ種類があって、大人でも迷うところだけど、Takは、紀州梅の、ちょっと傷アリで安めのヤツを買ってくる。
何もいわなくても、このあたりはちゃんと値段と品質を押さえているところが偉い!
なので、こんどスーパーマルヨシの、Tak専用ポイントカードを作ってあげることにしました。
サービスカウンターで、小学生でもポイントカード作れますか?と尋ねたら、たまたま店長がいらして、「大丈夫ですよ」と言ってくださり、
「では、後日、本人が直接作りに参ります」ということに(*^_^*)




晩ゴハンはまたまた喜多方ラーメンですが、今日はほうれん草とチャーシューとネギ…、
醤油系スープでいただきました~~
Takのは、チャーシュー抜きで、山盛りのほうれん草。


…ってことで、今日やった家事は、お洗濯1回とラーメン作っただけ(*^_^*)



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喜多方ラーメン

2011-11-19 | 人生妙なり






TAKAMI&フラミンゴのウェブサイトを通じて、CDをお買い上げいただいたhigeさんとお会いしました♪
1時間の語らいでありましたが、「イントロダクション」だけで終わり…って感じ(^_^;)
higeさんは、生まれも育ちも「庵治」。少女TAKAMIが思春期を過ごした海辺の町、「世界の中心…」のロケ地でもあります。

ある日、higeさんと名乗る方から、突然のCDのご注文をいただき、その後、「喜多方ラーメンいりませんか~」なんていうご連絡をいただき、
「いただきます、いただきます♪」ってことで、
本日、うどん屋さん→マッサージ→国際ホテルラウンジでご対面…という流れとなりました。


彼は、いろいろな経歴をお持ちですが、現在、沖縄の終わっていない戦後について、
そこのところを通して、「平和」について、語り、ともに考え、仲間を広げていくことをされています。

初めてお会いするhigeさんは、想像通りの方で、全く違和感なく、初対面的自己紹介は省略、
「そんでさ~」…みたいな、昨日の続きみたいな感じで、
いきなり、震災の話から。
「いやぁ~泣いてきました…」
そして、higeさんの愛読書や、今読書中の本、いろいろご紹介いただいたり、島歌のCDをお借りしたり…


この1時間の逢瀬?で、とても心に残ったこと、ふたつ。


その1

沖縄の人は、人に物を贈るとき、当然のこととして見返りを期待しない。
贈られた人も、お返しをしようとは考えない。
好意で贈られたものを、その相手にお返しをするのでは、その二人の間で完結してしまう。
施しを受けたら、自分が受けた恩義を、また別の人へと渡す、そうやって、人の繋がりは次々に広がっていく。

私は今の自分がまさに、お友達か折々にいろいろとプレゼントを下さるのに、
全くナサケないことですが、いただいた好意に対して、金銭的に相応な返礼をする経済力がありません。
とても心苦しく思いつつ、「う~~っうっうっ、いつか、きっと…」と思いながらあっというまに1年、2年と過ぎ去っていく、、、
しかし、その間、こんなに応援してくださる人がいるのだから、せめて今の自分にできることは、いいうたを創ってうたうことを頑張ろうと、心から思っています。
そんなこと、こんな場所に書かず、自分の心の中だけで思え!ってとこですが、
higeさんのこのお話を伺ったとき、本当に共感できて、なんだかじわ~ん…と目の奥が涙でひたひたになりました。


その2

higeさんは、沖縄の基地問題を含む戦後を通して、写真展や、DVD上映会などを催して、日本→ひいては地球の平和について考え、行動する人の輪を広げていきたいとお考えなのだと思います。
「大きな講演会でなく、なるべく少人数で」と彼は仰いました。
これもまた、私が「顔の見えるひとたち」に自分の思いを歌にして伝えたいことと重なり合って、大きく共感できました。

大切な人が、この世の命を終えて、次の世界へ渡っていこうとしているとき、
残される人はそれぞれ、自分の命についても、いろんな側面からいろいろなことを考えると思う。
人は死ぬときには何も持っていけない。
当たり前のことですが、生涯を賭けて取り組んできた作品も、技術も、「思い」さえも。
生涯にいろんな功績を残した人でも、何も持っていけない。
持っていくどころか、自分がそういう生涯を送ったことを忘れていたりもする。
何もかも忘れても、「食べること」と「排泄」を繰り返してこの世に生きている人もいる。

平成バージョンの新しい「メメント・モリ」に、死にゆく人は、自分の死を賭して、最後の授業をしているのだ」というような文章がありました。
死んだ羊に花輪が手向けられ横たわっている写真とともに。

人はこの世に何も残すことなどできないのだと思います。
ただ、思いを伝えることだけを、愚直なまでにし続けていくことだけ。

自分が生きている間に、この途方もない状態が解決することはない。
基地の問題も、原発も…
higeさんは仰いました。
それでも、自分にできることを一歩ずつやっていくしかないのだと。


とっても濃い1時間でした。


「木を植えた男」を思い出しました。
動画サイトなどご登録されている方は、ぜひご覧ください。
すばらしいアニメーションです。



木を植えた男
フレデリック バック,寺岡 襄
あすなろ書房





「喜多方ラーメン」Takと一緒に美味しくいただきました。

といっても、この日の具は白菜と豚肉と卵…
トッピングは喜多方風と全然違うけど、まあ気にしない(^_^;)

大大大昔、喜多方のあたりまで旅をしたときのことを思い出しました。
喜多方はいいところでした。

私が行ったお店は、どんぶり一面に麺が見えないほど分厚いチャーシューが乗ってた、忘れもしない「坂内(ばんない)食堂」。
さきほど検索したら超有名店じゃないの。今では全国展開してるんだなあ…

それから、蔵の中でモーツァルトをはじめ、クラシックの曲を聴かせて発酵させている「小原酒造」も懐かしい…

一緒にいったツレが誰だったか全く思い出せません。
…実は、こういうこと、いろいろあるのです、、、記憶の喪失。
また別途この件に関しては、いずれ(ずっと先かもしれないけど)記事を書きます。


higeさんにいただいたのは、こちら



ごちそうさまでした♪





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うどん県民、がんばろう!

2011-11-16 | 健康とダイエット






セルフうどんのアルバイトは、正直体力的にキツイです。
労働量は、前職のクリーニング店よりさらに過酷かも…

「明日はうどん屋」って日は、ぐっすり眠れるよう、焼酎もホドホドにして、さっさと寝ます。
Takより早く寝ることも…(^_^;)
(Takが夜更かししすぎなんだけどさ)
そして、朝も、どんより起きて食欲ないと大変なことになるので、しっかり食べて出かけます。

でもこの時期、東から朝日を浴びてまっすぐ南に車を走らせるのは、なんだか気分爽快。

朝どんなに寒くても、一歩調理場に入ると、常に火が入っているし、湯気に包まれて暑いので、Tシャツいっちょです。

前職のときは、トイレにもいけない、1秒も座れないとブツブツいってた私でありますが、
そんなん当然。5時間ブッ通しで、身体を動かし続けるのが当たり前。
しかも、同じ作業を繰り返していると、右肩がだんだん痛くなって、
今日はこれまででいちばん忙しく、痛みでだんだん手が上がらなくなってきた。
右手が上がらないなら、左手でやらねば!

なんとか、先輩方についていこうと、立ち向かうスタンスになってる私。

文句いう人、誰もいません。
みんなで、チームワークで美味しい料理をつくって、気持ちよく食べていただきたいという意欲に私ものっかってる感じ。

サイドメニューのてんぷらも、お寿司も、おでんも、なにもかも、すっごく美味しそうなのよ。

ものすごく忙しい5時間が終わって、へろへろになって、まかないうどんを食べて、
帰りに夕飯の買い物。
今日は、美味しい野菜がいっぱいあるので、クリームシチューをつくろう。



しかし…
香川県人は、うどんの消費量も全国ダントツNo.1なのは当然として、
糖尿病の受診率もワースト1位なんですって(-_-;)

これだけお昼にうどんを食べまくったら、、、糖尿病との相関関係もあるらしい。
うどん屋さんには野菜のメニューが少なく、栄養が偏る。
(私も、うどん屋さんにいったら、いつも思います。どれも単品が安いので、なんかサイドに野菜系がほしいなあ…と、、、)

うどん屋さんでアルバイトするようになって、ホントに、よくまあこれだけ毎日毎日、大勢の人がうどんを食べにくるな~~と、驚きの日々。

それに加えて、香川県人は、歩かない。
公共交通機関が貧弱なので、殆どみんな車で移動する。
さらに運転マナーも最悪。


これでは、「うどん県!」などと胸をはって言えないのではないだろうか、、、





話が逸れまくりますが、道路を走っていて、救急車が来たら、普通、みんな左車線に寄って徐行するじゃないの。
ところが、香川で私は、何度も、救急車の前を颯爽と走る車に遭遇しました。
交差点では、みんな左に寄って、停まるじゃないの。
香川では、交差点でも、救急車が来ても停まりません。
では、救急車はどうするかというと、対向車線に突入して、他の車をよけながら走行していくのです。

車線変更の際にウィンカーを出さない車も多数。
たとえば、右斜線を走っているとき、前方の車が、信号のないところで右折しようとして停まったら、
後続の車は、普通ウィンカーを出して左によけていきますよね。
そういう時、香川では、ウィンカーを出さない人がすっごく多い。
マジで怖いです。


そういう自分も、香川の生活習慣の良くない部分にハマっていくのは避けたいな。
しっかり働き、しっかり運動して、たくさん野菜を食べなくては。

私も、以前は、讃岐の野山を歩いたり、瀬戸内芸術祭で島々を巡ったり、
時間をみつけては、あちこち出かけて歩いていたのに、このところ、「温泉」と「マッサージ」ばっかりじゃないのよ(^_^;)

これではイカン。


…でも、ひとついえることは、「肉体的疲労」は、心地よいし、回復にそう時間はかからない。
精神的なストレスを抱え込むことのほうが良くない。
私自身、これまでにも精神的ストレスの最たるものは、「経済的」なことであります(^_^;)
…しかし、これも、案じてもしょうがなく、これまで土壇場で何度も乗り越えてこられてことを思うと、「取り越し苦労」だったともいえる。

「身の丈にあった今ある幸せ」を存分に味わって、明日のことを思い煩わなければ、
どんなハードルも必ず乗り越えていけると、心から思います。


私には、これからいろいろと、起こりうるいろんなことを乗り越えていく体力が必要。


ビンボーでもいい。楽しく明るく、しなやかに、しかし逞しく…だな(^_^;)




画像はすべて4年前の同じ11月のもの…反省をこめて(^_^;)





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「メメント・モリ」(死を想え)

2011-11-13 | 人生妙なり






今日、JINさんと初めてご本人の「死」についてお話をしました。
病室で。

彼が私のところに歌のレッスンに来るようになったのは、今年の初めでした。

それから、いろんなことがあった。

お母様が肺炎で入院されたり、大船渡市に住むプラトニックなお付き合いの彼女が被災し、ご自宅が津波で全壊したり。

ご本人も治療のため入退院を何度か繰り返し、私は病院まで出張レッスンに行ったことも。

そして、こともあろうに、歩道を歩いているところを車に撥ねられ、足首を複雑骨折して入院。

なんと忙しい人…

彼が骨折で入院中、私も転職やその他、いろいろ慌しく連絡を取っていませんでしたが、
このたび、久々に彼から連絡があり、骨折の件では退院したけれど、今度は癌が進行して入院。
再び家に戻れるかどうか、わからないとのこと。

「顔みにいくわ。何か欲しいものある?」
「生クリームのシュークリーム。それとローズたばこ」
まだ喫うかJINさん…(-_-;)

私は、市内に3箇所しか売っていないというその煙草を1箱買って、ローソンでシュークリームを買って、
それに、バッグに、20数年間愛読した「メメント・モリ」を放り込んで会いに出かけました。
こんな本、彼にあげるタイミングがあるだろうか…と思いつつも、、、、


彼の話では、骨折から復帰したのも束の間、熱がずっと続いて、意識を失い、救急車で病院に運ばれたとか。
このまま命を落とすか、五分五分のところだったそうです。


他愛ない話や、おもしろい話をしながらも、だんだん話題は、これから死ぬまでにやっておくことの話へ。
あとどれだけ生きられるか、体力がどこまで持つか、どれだけのことができるか、予測がつかないのが難儀だと…
10日後か、2,3ヶ月後か…



彼はこの1年、楽しかった、本当にこんなふうに充実した人生の終わりの時間を過ごせてよかったと心から言っていました。
その中には、私にヴォイストレーニングを受けたことも含まれると。
今まで自分が全く出したことのない声の出し方で、身体を響かせて音を出す感覚を知ったことはとてもよかったと彼は言ってくれました。

そして、ターミナルケア(終末期医療)…特に緩和ケアを安心して任せられるところに転院したいとも。
現在の病院は、退院できる見込みのない、しかもいつまでと期限の定められない患者を別の病院へ紹介する方針?らしいとのこと。
痛みの緩和について、彼はとても案じているようでした。
これまでも彼は、相当の痛みに耐えて、乗り越えてきた、その精神力は凄いと思います。
一般人の精神力なら、きっととっくに耐えられず、こと切れて、次の世界へ渡っていっている…に違いない、、、

身体の痛みは、私には一緒に共有することができません。


私は彼に気安めに励ますようなことは言いたくない。

彼の話を終始冷静に受け止めました。





「掃除や部屋(遺品)の整理整頓なんか、誰でも代わりにやってくれる人はいるよ。
それよりも、いちばんは心の整理整頓やね。
死ぬのがいつかは、お医者さんにわかるわけがない。
どんなに病気が進行しても、さいごは、自分の意思で、ひとりで次の世界へと渡っていくのだと私は思う。
もうこれでいい…と思う瞬間があるんだと思う。」
えらそうなことは言えないけれどと言い添えて。

そして、口には出さなかったけれど、その瞬間、神さまにあたたかく掬いとられるんだ…と思いました。

そして、帰り際に、とてもすんなりと「メメント・モリ」を差し上げました。
「これは私がずっと前から好きでずっと手元に置いておいた本。
絵本のようなつもりで読んでね。」

私だから、相手がJINさんだからプレゼントできるものだと私は思いました。

「メメント・モリ」…「死を想え」という意味です。






のっけから「死の瞬間が命の標準時」などという文が添えられた水平線の写真。

藤原新也氏の美しい写真と、それに添えられた詩のような文章は、私の伝えたいことのすべてを代弁してくれると思います。

死を想う=命を想うこと
そんなつもりで、私は発刊以来ずっとこの本を手元に置いてきました。
本についてはどうぞご参照ください


私の生活の話にもなり、相変わらずビンボーで、経済状態はとっても厳しいことを言うと、
JINさんは、来月はレッスンが受けられると思うから、今のうちに月謝を払っておくと言い出しました(^_^;)
もちろん笑って、そんなに前払いしなくて、1レッスン制でいいからとお断りしましたが。

本当にもう一度だけでも、思い切り歌えますように。

それが叶っても叶わなくても、私はJINさんとの出会いはお互いの魂にとって必要なことだと確信しています。
神さまが私のところに連れてきてくれたのだと思います。
私の人生のこのときに、彼が必要なのです。







................................................................................................................................................................................................




JINさんとの出会いについては、mixiに2度ほど日記を書きました。
デリケートな内容なので、特定のお友達だけに向けて書きましたが、
JINさんは、自分のことについては、すべてどこに何を書いてもOKと仰ってくれているので、ここに、mixi日記から転載しておきます。

長くなりますが、ぜひお付き合いください。



                                




2011.1

先日、見知らぬ男の人からtelがありました。

その方は、癌と糖尿病で、余命1年といわれていると、お会いして知りました。
(詳細は後述)

TELを下さったのは、私の本名で検索してウェブサイトから連絡してきたという、高校のOBで、私より1学年上の先輩だった。
県内でジャズピアノを弾いていらっしゃるとある方についての問い合わせだったのだけど、私は直接の知り合いではなく、「知人には直接の知り合いもいるので、聞いておきます」ってことで。

そして、なんだかまるで、ついでのように、ボイストレーニングを受けたいと…

ついででもなんでも、もちろん歓迎。
でも、私は、男声のボイストレーニングはしたことがないので、初回からレッスン料はいただけません。
最低でも2度はいらしていただいて、自分の中で見通しがたつまでは「レッスン」というかたちにはできません。
…ということで、納得していただいて、昨日、早速いらしていただきました。

会社の代表で、時間の融通はききます、レッスンにはチャリで行きます…ということだった。

初対面
キッチンにお皿などなど山盛りで、
私、ロングパーカーにジーンズ。
彼、三つ揃えのスーツ…

まず、少しお話をした。
バツイチで、お母さまと二人暮しで、お母さまは昨年夏に骨折して、車椅子の生活になった。
彼は、お母さまのおむつを取り替えたり、介護の日々を送っていて、食事の支度もしていて、料理にハマりつつあり、凝っているうちに、食事ができあがるのが深夜になることも…
子育ての経験はないけれど、こうして、母の介護をしながら、子育てもこんなものかと楽しんでいる。
奥様が家を出ていかれた最初の数ヶ月だけはちょっと寂しかったけれど、今は自由を謳歌していて、人生最高に楽しい…などなど


じゃあ、とりあえず、なんか歌ってみてください…ってことになって、彼はまず、高校の校歌を歌ってくれた。
「屋島を出ずる朝日影 射すや若木の桜町…♪♪」

私は、高校時代、音楽部(合唱部)だったので、校歌は忘れようもありません。
…が、芸専でもない普通科出身の方が私のところにいらして、まず「校歌」を歌って下さったのには心の奥深くでとても感動したのであった。

それから、ヴォイス・トレーニングに入っていくのだけれど、なかなか手強かった。
このあたりは、シビアよ。
歌が好きで、我流の発声で、長年歌いまくってきた人だ。
声の出し方って、そんなにすんなり、指摘されてすぐに変えられるもんじゃないもんね。
立ち方も、顔の表情も、なんか全部歪んでる。
真っ直ぐに立って、にこにこ笑って歌おうよ…

しかし、、どうしてこの人は、今ここで「ヴォイストレーニング」をやりたいと思ったのだろう?…と、最初にお電話をいただいたときにも不思議だったのだけれど…

理由は、余命を宣告され、自分の人生の取捨選択の結果…ということなのだと思う。

彼は、レッスン(お試しね)が終わってから、次はどうしましょう…という段階になって、病気のことを、淡々とさりげなく仰いました。
これからもチャリでくる。雨の日も? 雨の日は傘をさして歩いて来る。歩いても30分程度、いい運動になります。
私は糖尿病なので、運動が必要。しかも癌なんです。えっ、何の癌? 前立腺。治るんですか? いえ、もう手遅れで、余命1年といわれました。
でも、そう言われて、毎日、歩いて、運動して、過ごしているうちに1年が経ちました…
元気な細胞を活性化させて、がん細胞が増殖しなければ、余命1年は2年、5年…と、延びていく。
それは私も理屈では知っている。でも、現実は厳しく、痛みは薬で抑えているという、そんな段階…
そんなことを実際に体現している人に初めて出会った。


神さまが私のところにこの人を連れてきたのだと思った。



昨年末、健康診断の結果が郵送されてきたけど、まーとにかく異常値がいろいろあって、ほぼ間違いなく「酒の飲みすぎ」。(私自身のことね)
もっと自分の身体を大事にしろよ…ってことなんだろうけど、わかっちゃーいるけどまーまーついつい…って、、
自分の甘さ、このままの生活でいいわけないだろっ!ってことを数値で示されたのであった。

彼は、「歌う」ことがほんとうに身体にも心にもいいとご存じで、気持ちよく声を出して歌いたいと思っていらっしゃる。
私は、本当に真剣にこの人と向き合って、その時間を完全燃焼せなイカン。
きっとそれは私の人生にとって、ものすごく大きな糧になる。
私は、彼に対して、口先だけでなく、ほんとに自分がこれまでに経験してきた「歌う」ことのすべてを伝えなさいと言われた気がした。
それに加え、自分の生活や健康のことにも、真剣に向き合えと…

あまり深刻に書きたくないのですが、
お互いに人生の素晴しい出会いなのではと思いました。




〔kaede〕

うう………

前立腺ガンは進行が遅いといわれていますが…

人生の終末期を迎えるにあたり、何よりも大切なのは
その方の生き方ややりたいことひっくるめて
その方自身を尊重をすることかと。
介護の勉強をしていて何度も言われる「尊厳の維持」。

人生の先を行く方は、自分の行く道を示してくれているのだと
介護の世界を知るにつれ、強く思います。

ステキな出会いとなりましたね。
思うにTAKAMIは、本当に人を引き寄せる力があるなぁ、と。


〔TAKAMI〕

kaedeちゃん、重い日記に速攻コメントありがとう。
介護の勉強をしてるkaedeちゃんだからこそ言えることですね。
私は、ずーーっと以前、20代の頃、母の従妹が癌にかかって、
東京で、親戚もなく、ひとりで末期を迎えているとき、
お世話や、話し相手をしにいってあげてくれないかと母親に頼まれましたが、ものすごく考えて断りました。
私には、最後の時を迎えている人と向き合う勇気がなかった。
母の従妹は、自分の病気のことをすべて知っていました。
その人に対して、どう向き合っていいのか、わからなくて、自分には荷が重過ぎると思いました。
今は違う。
私のほうがたくさんのことを教えられたり、受け取ったり、
それから、自分が伝えたいことや私にできることは、全力で向き合っていきたいと思います。
私も、50年生きて、それなりに成長してきたのだなあと…
それに私も、たぶん彼と同じように、希望を持っています。
彼の人生、「残りの」ではなく、「これから」の人生と思えるのよ。





2011.3

以前書いた、同窓生の新しい生徒さんのこと。

明日から、2週間入院して、糖尿病と、癌の治療をするとのこと。
詳しいことはわかりません。

でも、彼は、とても明るく、何でも話してくださるので、きっと私が聞けば、病気の状況なども詳しく説明してくださると思います。

明日から入院。明日のレッスンのかわりに、私は、彼の入院する病院に、PCやキーボートを車で運ぶお手伝いをすることになった。

「どこの病院?」
とかTELで気軽に聞きながら、
「いや、でも私、いろいろ考えてお見舞いにはいかないかも。治療に専念してください」
…などと真面目に言ってたんだけど、
ど~~も、彼は病院では退屈なので、遊びにきてほしそうなのよ。
自分の治療中のパジャマ姿なんか、私だったら、あまりよほど親しい人じゃないと見せたくないなあと思うんだけど、彼は病院の屋上で、「オーソレミオ」を練習しようとしている。

「ほな、私、出張レッスンにいくわ♪♪」



O Sole Mio(私の太陽)

彼に私は、この曲を、パヴァロッティのような発声を目標に、身体全体を楽器にして鳴らして歌う気持ちよさを体験してほしい。
しかも、屋上で歌うなんて、ほんとに実現したらめっちゃ気持ちいいに決まってるじゃないの。
病院の許可がおりますように。



彼は結構ブッ飛んでる人で、見かけはめっちゃ胡散臭いけど、おおらかで楽しくて、レッスンの前後にもい~かげんそ~~なことばっかり言ってる。
高校の頃は、全校ナンバーワンの女の子と付き合ってたとか、それ以後もモテまくって、今も常にモテてるとか、、、
プラトニックな彼女がいて、毎日何十通もメールしてるとか…

「なんか私にできることある? お母さまはどーなるの?」
「母親は入院しとるからだいじょうぶや。安心や。インフルエンザをこじらせて、肺炎になっとる。」
「え~っっ!!それは大変やったね…」
「いやいや、結構楽しんどる、丁度ええタイミングや。」

この人、本とに、軽そ~~なんだけど、奥深いところで要をきっちり押さえていて、すごい人だと思う。

彼は4回目ぐらいのレッスンのとき、
「これまで発声練習なんかやったことなかったけど、レッスンに通い始めて、これまでうまく出なかった音域が出るようになったり、身体を鳴らすということが少しわかってきた」と仰って、
効果を実感されていることを伝えてくださいました。
いやいや、そんなにすぐには無理、まだまだこれから先は長いと思ったんですけどね。

でも、男性のレッスンは初体験なので、ほんとに手探りだったけど、私も3回目あたりから、点が線になり、次の方向が見えてきて、手応えを感じられるようになった。

私も、上っ面のお付き合いでなく、どこまでも彼の人生の中で私の必要な役割を果たせるよう、努力したいと思います。
彼に限ったことではなく、人との出会いや縁とは、本当に尊いものと、書きながら涙ぐんでしまうほどに思います。


実は私の元気が取り柄だった実父も、今は病床です。
入院している病院も本人の希望で知らせてもらえず、ガンバレと祈るばかり。

何を頑張るのだ。

大事な人のために生きてほしい。
父がほんとに大事なのは、息子や娘たちでなく、40年もずっと連れ添ってきたパートナーさんなのだ。
生きている命は、それだけで尊い。
一秒でも、大切な人のために生きてほしい。





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カリー仕込み~完成まで実況中継

2011-11-10 | アーティスト魂




昨日仕込み予定だったカレーは、ブイヨンもなく、スパイスも足りないやと思って、延期にしましたが、
今日も買い物いけなかった…

そこで、あるものだけでカレー煮込み中。

カレールゥがないのはまあいいとして…ブイヨンもない、、、(-_-;)

使えそうなのは、
コリアンダー クミン、ガラムマサラ、シナモン、レッドペッパー(以上、パウダー)
クミンシード、クローブ、ローリエ

その他のスパイスもあるけどカリーには使ったことがあまりない、、、
ナツメグもカルダモンも切らしてるし(-_-;)

材料は、鶏ムネ、玉葱、人参、ジャガイモ、エリンギ、パプリカ、キャベツ、ニンニク、生姜、ホールトマト

まあこれだけあればなんとかなるだろう。
なんといっても、頼もしい「プルーンペースト」があるもんね!

さて、出来上がりは如何に!?!?






煮込んでる間に、ピアノ&ヴォーカルの練習♪

「君の知らない物語」
「同:化物語バージョン」(←これマニアックだけどわりと好き)

これは、生徒さんのご希望で、何週間もちょこちょこと時間をいただきつつピアノ&ヴォーカルにアレンジした曲で、彼女は何ヵ月もかかって挑戦中。
だんだん仕上がってくるにつれ、私のほうも欲が出てきて、もっともっとその先を目指したい~~!!と、レッスンでも気合が入りまくり(^_^;)
彼女はきっと、終わったらドッとお疲れのことだろうなーーー

しかし!
やっぱ、だんだん思い入れが深まっていくと、自分でも完成形を演奏したくなるってもんだ。
私はピアニストでないので(…と逃げる)普段は、生徒さんの弾いている曲を自分も練習して完成形のお手本を披露したりはしません。
部分的お手本ぐらいで、、、

あ○○と○○さん、お互いにがんばりましょぉ!
私もコレは自分的にもゼヒ完成させたいです。
いや、ホントはアレンジしたものは全曲…だけどね~~





さてさて、そうしているうちに、KUMONから帰ってきたTakに、カリーを速攻食べさせる。
「ちょっと味見させて!」といってTakのスプーンを取ろうとしたとき、手に力をこめてヤだ…のポーズをとれば、「美味しいので一口も母にはあげたくない」のだ(^_^;)

まっ、今日は、玄関を開けたときの匂いと空腹も手伝ったんだと思いますけど…



今日はお昼、実父にも会いにいってきました。
そんで、こんな高級な焼酎を貰った~~(*^_^*)




ウマイ!!

…のは知ってたけど、何年ぶりで飲んだだろうか…
飲みすぎないうちに寝ますわ~~♪♪
明日の朝はまたまた「うどん屋のおばちゃん」で、ハードなことだし…



結構濃い日々であります。



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セルフうどん店その後

2011-11-09 | ダブルワーク





今月から店舗が変わって、最初に修行?をしたお店に戻りました。
やっぱ、ココは、ランチタイムともなるとものすごく混みあっています。

戻ってすぐにレジの練習してみる?といわれました。
まだ「盛り場」も全然まだまだまだまだマトモにできないのに、私としては1つずつゆっくりこなしていきたいのであるが、、、
以前mixi日記に書いた、やさしくて聡明で、「いろいろ覚えていくうちに楽しくなってくるよー」と仰ってくださった大先輩が、横についてくださり、
「ちょっとやってみる」程度にですが。


Takの修学旅行の代休の月曜日、ランチタイムで込み合う少し前にSYOさんとTakが二人で突然やってきました。

お店サイドからみると、やっぱり、不思議な二人です。爺と孫には見えないし(^_^;)
しかも、平日だし…学校はどーしたんだい!?



コレは別件の画像


私は、来てくれても忙しくて全然話もできないし、必死なので、目もあわせられないよと言ってあったので、
二人が入ってきて、私が突然レジにいたのでびっくりしてたわ(^_^;)
そんで、Takったら、「ざる2玉」とおでんの卵をお盆に乗せてレジにやってきて、私に
照れくさそうに「どうも…」っていって、お辞儀するのよ(^_^;)
笑えるでしょ~~
そんな態度なもんだから、私も、「ハ~イいらっしゃいませ~」と営業トーク?で。
「○○円お預かりいたします。ハイ、○○円のお返しです、ありがとうございました、ごゆっくりどうぞ~~♪」
と、わざと言ってやったわ(^_^;)

でっ、二人が食べてる間、お客様は、5~6組ぐらいしかいなかったけど、
その間、私は、フロアーに出て、天ぷらや、おでん、お寿司…などの値段をメモったり、
暇な時間にやっておくこといっぱい。

でっ、ランチタイム(11:30ごろから突然ものすごく混みはじめる)になったら、洗い場へ。
お客様が置いたお盆をいったんシンクの中に入れて、洗浄機に並べるだけでも精一杯。
この作業で右肩が凝りまくり、整骨院マッサージにマメに通わないとヤバい…
でも、こんだけじゃーまだまだ洗い場だけでも半人前なのです。
洗い終わったものは、ちゃっちゃと分類して、所定の位置にどんどん戻さなくてはいけません。

ピーク時1時間で軽く100人は超えてるはず。
これが平日のフツーの状態。
土日、夏休みなどになると、もっとスゴイことになって、お客様の列が途切れることがほとんどないらしい(@_@;)
朝の仕込みで作るおにぎりの数もスゴくて、平日でも桶に山盛り2杯
その他においしそ~~なお寿司や天ぷらがずらずらとケースに並ぶけど、お昼のピークが終わったら殆どなくなっちゃうもんね。





全く、香川県人は、なんでこんなに「うどん」ばっかり食べるんだ!?
香川のうどん屋さんは、800~900店とか…
そこへ、ランチタイムともなると、どど~~っっ!と、毎日毎日、うどんを求めてやってきて並ぶ。
アホちゃう?…と言いたくなるほど、、、
他にもランチの選択肢、いっぱいあるじゃないの。
定食やさんも、ラーメンもお蕎麦も、お好み焼きも、、、
なぜにうどんだけが、こんなに行列をつくるのだ!?!?
さぬきうどんのお店は、決して県外の方ばかりのためにあるわけじゃなく
基本的は、地元の人たちの朝とお昼ご飯を提供しているようなもんで、
だから、日替わりでいろいろ選択して毎日来ても飽きないよう、サイドメニューも豊富なのです。


さ~今日はレッスン1人だけで、夜までオフなので、溜まりまくった家事をやって、久々にTAKAMI特製カリーでも仕込もう。
そして、メニューの値段をキッチンに貼って覚えるとしよ~

ちなみに、LIVE前に英語の歌詞を覚えるときも、キッチンに貼ります(^_^;)









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ある日の諍い…他

2011-11-08 | 実父


11/8

このところ、食欲が少しずつ落ちてきている父は、行っても元気がなく、口数も少なく、無表情なことが多くなってきた。

先日のこと。

食事は、おかゆだけしか食べられず、それも、ベッドを起こすと、尾てい骨がすぐに痛くなるので、1杯のおかゆを途中で2回もベッドを倒して休みながら。
食後のお薬は、小さなすり鉢で「つぶつぶ」を磨り潰して砕いて、スプーンで3回に分けて飲む。
その後、歯磨きタイムで、歯磨きスポンジとティッシュにお湯を入れたコップを沿えて用意する。

…などの一連の儀式のようなことの繰り返しをお手伝いする。

父は、食事が終わって、ほんの少し元気がでたのか、暫く横になっているうちに
「よし。さあ起きよう。トイレに行くけん、起こして」
…といい始めた。
以前はよく言っていたことだけど、最近はずっと言わなくなって、もう父は「起きて歩く」ことを諦めたのか、もしかしたら忘れつつあるのだろうかと思っていた。

「えーっ、トイレいきたいん? 看護師さん呼んであげるよ」
「呼ばんでええ。自分で行ける」
「私、お父さんのこと、よう支えてあげれんもん、転んで怪我でもしたら大変やもん」
「支えんでもええ、自分で行くけん、早うそこのベッドの枠を外して」

言い出したら聞かないので、とりあえずベッドの枠をひとつ外す。
ベッドの枠は、自分で外せないように、本人には見えないように紐で縛ってある。
父は片足を下に降ろして、仰向けでいざるようにしてベッドから降りようとしている。
枠を外しても、寝返りもできない父は、自分ではとてもベッドから降りることはできないのだからと思ったのだけど、
本当に渾身の力をこめてずるずると動いているのを見て、怖くなってきた。

「お父さん、トイレに行きたいんだったら、看護師さんを呼ぼうよ。
私はお父さんを支えてトイレまで連れていってあげられんし、
いつもは、看護師さんにおむつを取り替えて貰いよるんやろう?
それに、この服も、私、脱がせてあげられん。
これを脱がないと、おしっこもできないし、看護師さんでないと脱がせられんよ。」

いろいろと、このままでトイレに行くのは無理だと説得しようと言ったけど、

「全く、アンタは役にたたんのー。役にたたんのは構わん、言うとおりにしたらええんや。
服を脱がんでもトイレはできる。男性と女性は違うんや。
理屈ばっかり言うな。癇に障る。」

父はベッドから降りれば自分で行けるし、介護服など脱がなくてもトイレはできると言い張る。
なんとか、父の気持ちを落ちつかせたいけど、言えば言うほど頑固になって、
ベッドの下にスリッパがあるので、それを用意するだけでいい、あとは自分でできるとか、
私が父の意にそぐわないことを言うと、眉間に皺を寄せて顔を歪めて、本当にイライラした、この上なく不機嫌な顔をする。

この顔、見慣れてきちゃったなあ。
この顔を、父の思い出に残したくないなあ、、、
前歯がなくて、にこにこ笑っている父の顔をたくさんインプットしておきたいんだがなあ…

普段は、殆ど父に反対したり反論はしないけれど、ちょっとでも「それは無理だよ」と、
理詰めで諭されるのが、父は癇に障るんだ。
わかってるけど、大怪我をしたら…とか、そんな場面でどうやって父を落ち着かせたらいいのか戸惑い、
私も「お父さんは自分でトイレに行くのは無理!」と説得してしまう。
なんちゅう頑固オヤジじゃ!と、内心私もイライラしてついつい声もきつくなっている。

…結局父は「もうええ! 何も言うな、何もするな、ほっといてくれ」

ということで、いざこざに疲れ果てて、暫くうとうとして、落ち着きを取り戻した。
そこで…
「アンタやけん、まあしょうがないけど、これが○○さん(パートナー、ヒロコさんの苗字)やったら大喧嘩するとこやった」
というのだ(-_-;)

ヒロコさんには、もっと理不尽な我儘、ブチまけまくっているんだな、、、
大喧嘩だなんて…ヒロコさんは、面と向かって反抗しないし、喧嘩になんかなるわけない。
お父さんが一方的に我儘で怒鳴り散らしてるんでしょ、、、、



でも、父の超絶イライラが収まって、仲直り?できてよかった。
最後には心をこめて手を握って帰ってきた。


介護服というのは、自分で脱ぎ着できないようになっている。
父は、認知も進みつつあるし、自分で点滴を外してしまったこともあり、これを着ることを義務付けられている。
点滴も外れている今も介護服を着るのは、自分で脱いでおむつを外したり、自力で用便しようとして、衣服などを汚さないだめなのだ。

私は、介護服のボタンの外し方は知っているけれど知らないふりをしている。
いったん外したら、父は絶対にそのままにしておけと言い張るに決まっているので、
そこを無理やりボタンをかけることを想像したらとんでもないので…
そうでなくても、いろいろトラブルで、レッスンに間に合わないことも何度かあった。
すべて看護師さんとヒロコさんにお任せしている。
…結局逃げの体勢なんだな。

なので、背中が痒いというときは、首から手をつっこんで、めっちゃ不自然な体勢で気が済むまでガリガリ掻いてあげるので、私は腰が痛い(^_^;)
「介護は、腰!」と、エキスパートkaedeちゃんが仰ってますが、
ホントに、身体の向きや位置を変えるだけでも、全体重を腰で支えてやらなきゃいけないので、「介護は腰が要!!」と実感します。


また別の日、おかゆ以外食べられなくなってしまった父に、大根おろしはどうだろう…と思って、聞いたところ、大好物とのこと。
やったー!とばかり、採れたて泥つき大根のおろしたてを持っていった。
「ああ、ええ匂いやなあ…」といって、口に運んだところ、辛すぎてダメだった(T_T)

これなら食べられるかな…という、好物の梅干も、山芋も、果物も、だんだん食べられなくなってきている。


ふと、高村光太郎の「レモン哀歌」を思い出した。
今でも暗唱できます、、、

でも、まだそんな時期じゃない。
それでも、ひと匙でも、無理やりじゃなくて、「ああ、美味しい」と思って食べられるものをあげたい。


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おみやげ ありがとう

2011-11-06 | 教育ママ日記





夕方6時半に学校にお迎えにいったら、バスから降りて体育館に集合するTakの後ろ姿は、なんだが背筋がまぁるくて、しょぼくれて見えた。
なんか、疲れてるのかなあ…体力ないからな、、、

解散式が終わって、「Takお帰り、お疲れさま」と思わず言った。
「楽しかった?」ってふつーは聞くところ…

でも、背筋がぴんとなってないのはいつものことで、あたりが暗かったのでよけいそう見えたってだけで、
本人は至って元気で、楽しんできたらしい。

帰る道すがら、USJが楽しかった話をずーっと喋り続けていました(*^_^*)
今日はあいにくの雨だったけど、だから人もそんなに多くなく、待ち時間超短く、いっぱい回れたんだって。
雨なんかほとんど気にもならなかったらしい。
かえって雨でよかったのかもね。

他のお母さんたちは、携帯でリアルタイムお天気情報や、USJ情報を調べまくっていたという話で盛り上がっていました。
どこそこのアトラクションは何時間待ち…とかってのもチェックしてたとか、、、
なんだか私、朝起きて、「ああ…雨か。でも、子供は雨なんかものともしないもんね、楽しんできますように」と思っただけで、
あとは、介護系もあり、仕事もあり、わが子のことは忘れてました( ̄_ ̄|||)
「今頃何してるかな?」
とは、何回か思いましたが、学校からのプリントをみながら「今はここでコレをやっている」なんてチェックもしなかった。

50代母と、40前後母の違いか!?


Takと一緒に「家路」をのんびり歩きながら、

東大寺の大仏は、あまりゆっくり見る時間もなく、そんなに感動しなかった。

金閣は、夕日に照らされて、ほんと~~に金色で、輝いていて、ものすごくきれいだった。

防災センターも、リアルで、すごかった、勉強になった。

尋ねると、次々と話してくれる。ほんと~~にすごく楽しかったんだろうな(*^_^*)

「家に着くまでが修学旅行」という先生のお言葉にきちんと従って、荷物は玄関までずっと自分で持って歩いたのは偉いな。


さて。
帰ってからリビングのテーブルにどさっと荷物を置いて、「あ~~ホントに楽しかった…」と言ってから、早速おみやげを出してくれました。

殆ど全部っていうくらい、母へのおみやげばっかりだったよ…

6000円のお小遣いの中で、半分近くは自分の欲しい物を、修学旅行の記念に買うんだろうとばかり思っていたので、すっごーく驚いた。
自分のものは「別に欲しいものはなかった」といって、ひとつも買ってこなかった。
(残してきたお金で日常で買うつもり)


七味唐辛子
一味唐辛子
お漬物4種
金閣の3Dフォトスタンド
携帯ストラップ
USJの缶入りチョコレート(画像撮りそびれ)


Takには、「お母さんはお菓子は要らないから、お漬物と七味を買ってきて」と言ってあった(^_^;)
まーそんなに別に期待してなかったのに、Takは、「京都タワー」のお買い物タイム、
気合を入れまくって、母やスポンサーのじじばばへのおみやげを探しまくったことが伺われます。

「みんな、USJで買うつもりで、京都タワーでは八橋とか、てきとーに買ってて、全然気合入ってなかった」
と申しておりました(^_^;)


普段からスーパーに買い物に行かせられまくっているTakは、
「USJのおみやげはめっちゃ高くて、もったいなすぎる
「チョコレート一缶で、お漬物が10袋も買える」
…とかいうのだ(^_^;)

とほほほ、やっぱビンボーがTakにまで染み付いているんだろうかなぁ~~~


それでも、USJ用にお小遣いは小分けして持たなきゃいけないことになってたので、
とりあえず買ってきた缶入りチョコレートは、
少しずつ生徒さんたちに配りましょぉ♪♪

ホントにありがとね、Tak


私がいちばん嬉しかったのはコレです。





ネームプレートのストラップ
裏には「いつもありがとう」の文字が…




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ぷちお泊り旅行

2011-11-03 | 光と風と旅




少し前、「グルーポン」で、お1人さま1泊3900円(半額)…というのがあったので、迷わず買いました。
場所はお馴染みの塩江。「ホテル セカンドステージ

Takはこの夏、バイブルキャンプでも行ったところなんだけど、
いろんな体験コースがあったり、自家製の野菜を広い敷地で栽培していたり、
とっても興味あったのだ。

香川県人が塩江のホテルに泊まるなんて、あまりあり得ないけど、3900円なんて、スゴすぎる。ちょっと骨休めに、のんびりできて良いのではないだろうかと、、、

この日は、香川大学工学部のオープンキャンパスもあったので、塩江の体験コースよりもそちらを優先させました。
お昼過ぎまでは予定があったし。
この日1日オンリーだもんね。

でも…
コレは失敗だったかな~~
あまり時間がないのに、Takは、あまりおもしろくないゲーム(電波を頼りのスタンプラリーみたいなヤツ)をやり始めて、なかなかポイントをみつけられず、結局そればかりに時間が異常にかかってしまって、他を遊ぶ時間もなく…
もっときちんと情報収集して、効率よく遊べばよかったんだけどね、、、
Takを野放しにして、私は「ジュニアの発明工夫展」(ほんとのタイトルは忘れた)みたいなのを見たりしながら楽しんでたんだけどね~
Takは、「もうヤだ、飽きた、もう早く行こう」といって、待ち合わせ場所にいったらご機嫌斜めで、泣きべそかきそうなくらいだったもんね。

「セカンドステージ」は、なんだか先日記事にした「温故知新」のお泊りバージョン…って感じで、見た目、どーってことないけど、実はすごく美味しい採れたてのご馳走に満足ひたひたでした。
あとから運ばれる茶碗蒸しや天ぷら、途中で火を入れに来てくれる猪鍋を除けば、
あらかじめテーブルにセットされている、冷めたお料理なんだけど、どれもとっても新鮮で美味しい…
特にしし鍋はすごく嬉しかった!









あっ、それから温泉も、露天風呂はないし、これまたど~ってことないんだけど、水深2cmぐらいの「これは寝湯か!?」という不思議なゾーンがあるのよ。
だれ~~もいなくて、貸切状態だったので、私はそこで30分ほどまどろみました~~
仏生山温泉の低温欲とはまた違って、「浸かる」んじゃなくて、背中だけあったまってて、
あとは寝そべってハダカを晒してるワケです。
これがまた開放感でいいんだわ~~~


翌朝は、めっちゃ二日酔いでしたが、頑張って起きて、ゴハンだけは食べにいったよ(^_^;)
お粥だけでも食べよう…と思っていったけどなくって、でもこのもちもちしたご飯もまた美味しくって。
これまた地元産と思われる梅干やお新香、おふくろの味系で、飲み疲れの身体にもすーすー入ります♪
牛乳もすごく美味しかった。ふじかわ牧場牛乳かな?


10時にチェックアウトして、そのまま近所の「ふじかわ牧場」へ。
ここでも手作りのチーズやピザの体験もあるんだけど、さすがにパス…
私は車の中で死んでましたが、その間Takは、ここの変形自転車がとっても楽しかったらしく、
今回の全行程のなかでいちばんコレが楽しかったんだって。
ピザ体験はまたこんどね(^_^;)









牛乳もチーズもバターもすっごく美味しいよ!




ここでデジカメのバッテリー切れで、ここからは画像なしです。残念!!
ここからがまた、楽しかったのに~~~!!!


せっかくなので、徳島方面に足を伸ばして、美馬市脇町「うだつの町並み」へ。
ここも、以前何度か訪れたことがあります。
お昼は、ここの「道の駅」風なお店のレストランでいちばんチープな「かけうどん」でランチ。
私は半分しか食べられず、残りは全部Takに。
Takは、ウマイウマイといって、ものすごく感動しながら食べてたよ。
「うどんはやっぱりかけが一番!」だって。
安上がりで助かるわ~~(^_^;)
でも、コレ、たぶん冷凍うどんだと思うんだけどさ、こんなんでよければ、湯がく手間が省けるから、いくらでも作るよ~~~

その後目的の「吉田家住宅」へ。
2年前にまっきーとSYOさんと4人で行った、藍染の豪商のお屋敷です。
さーっと見学すれば15分ぐらいで観てまわれるところを、全部解説を読み、VTRも観て、1時間以上、じっくり楽しみました。


1泊旅行…とはいっても、午後から出発の26時間コースって感じ?
夜は山のように宿題があるから、早めの帰宅。

でも、いつもの日帰りドライヴと違って、なんだかほんとにのんびりゆるゆるできて、
ホントに「グルーポン」で超お得な小旅行でした♪♪
(とはいっても、クレジットの支払いが今月で、かなりツライことになってしまったけどね(^_^;) )



コレはオマケ 我が家のあさごはん



ちなみに、セカンドステージのトップページの「ダンス宿泊プラン」で踊っているのは
私の実父とパートナーさんです。


Comments (3)
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