12/23 「力尽きた」
こんなの初めて…のショボンな体験です。
今日は教会の「ワーシップチーム」のストリートライヴでしたが、私は、2ステージとも、力尽きて、最後の曲、アカペラの賛美歌の「デスカント」(天上の声…のような高音で、コーラスとは別な副旋律を歌う)が歌えませんでした(T_T)
まあ、個人的な反省点はとりあえずおいといて。
嘗ての高松のメインストリート、「ときわ街」で、市内のいくつかの教会から、バンドやマジックショーなどのチームが、それぞれの持ち時間でライヴをやるというイベントでした。
そこで、私たちの教会のワーシップチームは、一般の人々がイメージする「教会で歌われる賛美歌」とは違う、バンドで演奏するNew賛美歌を演奏して、道行く人たちにも聴いていただこうということで、2ヶ月くらい前からこの日に向けて練習を始めました。
今日は、「求道者TAKAMI」じゃなくて、ミュージシャンTAKAMIの立場で書きます。う~ん、その都度ややこしいこった(^_^;)
2ヶ月ほど前から練習を重ねまくり、私にとっては、ひぇ~っ!(@_@;) という驚きの連続でした。私がやっているLIVEと、教会の「賛美」をストリートでやることは、何がどう違うのか? 私はどのようなスタンスで臨めばいいのか、私にできることは何なのかを、ヒソカに真面目に考えつつも楽しい練習の時を重ねてきました。
さて。
本番。
ステージ脇のスクリーンに歌詞が映し出され、詞を視覚的に見ながら歌を聴くことができるという演出が、とてもよかったと思います。
これまでにも何度か当ブログに登場した、83歳社交ダンス教師の私の実父が、すぐ近所に住んでいるので、前日にTELで案内したところ、パートナーさんと一緒に見に来てくれました。
そして、「よかった、歌詞もよくて、じぃ~ん…となった」と言ってくれました。
ものすごく嬉しかったなーーー
これがこの日の私にとっての、最高のできごとでした。
実は、実父が私のステージを見るのは初めてなのでした。
これまで何度も自分のLIVEの案内はしてきたけれど、いつも仕事の日で来てもらえなかった。
父が初めて見る私のステージが「クリスチャンのストリート賛美のお手伝い」です。
実は父に案内の電話するとき、正直言ってちょっと気恥ずかしい思いもあった。
歌はたとえば、
世界の全てを創られて治めるかた
この世の知恵、力にも優る唯一のかた
全ての国々 その富と栄光さえくらべることはできない すべてに優るかた
十字架で苦しまれ 死なれた バラのように
孤独で 踏みつけられても わたしを愛してくださった
こんなんです。
家に神棚と仏壇があって、毎朝仏壇に「お光」をあげて、神棚に向かっては拍手(かしわで)をうっている信心深い父には、全然関係ない「イエスさま」ですから。
しかし、うたは「じぃ~ん…」と、父の心に届いたのだなあ…と、本当に嬉しかった。
立場上クリスチャンの方たちとは一線を画する私ですが、
それでも、音楽を通じての神さまに対する思いは、きっと同じはずだと思います。
私はいつも、神さまから音楽を、降り注ぐ恵みの雨のように、貰っていると感じる。
それを、こんな機会をいただいて、神さまに少しでも「賛美」としてお返しできたらいいなあ…
そんな思いで、「ワーシップチーム」に参加させていただいているのです。
クリスチャンの、メインのヴォーカルのメンバーの人たちに対して、私は「自分のできる範囲のことを精一杯やらせていただこう」という、遠慮があるのです。
しかし、本番が始まってしまうと、もぉ~~だんだん歌の世界にハマりこんでいってしまい、周囲が消えていって、絶唱状態になり、、、
挙句の果てには、ラストまで温存しておくべき「天使の声」が出なくなってしまったのであった( ̄_ ̄|||)
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…
このストリートライヴ、ほんとに自分の発声的実力の限界を試されたような、超絶ハードなものでした。
テノールからハイソプラノまでフルボイスで歌いまくる…
そして、もっと鍛えなくてはいけない、まだまだ自分には鍛える余地がある…と感じました。
ありがたいことです。
牧師先生が、当日朝の最終リハのときに、こんな意味のことをおっしゃっていました。(あくまでもTAKAMIが感じ取った意訳)
楽しく歌う…なんていうことは、自分の中にはこれまでなかった。
神様に対峙するということは、自分にとっては、悲壮感があったり、粛々としていたり、ストイックなものだった。でも、今朝目覚めたとき、なぜか、「楽しもう」という気分が沸き起こってきた…
うーんなるほどそうか、、、
私は、歌っていればとにかく楽しい嬉しい。
たとえ「楽しい」ということばが適当でない、イエスさまの苦しみの歌でも、それを声に出して表現して伝えたり届けたりできることが喜び…とでもいうのかなあ。
私は、「ストイック」(禁欲的に自分を厳しく律するようなイメージです)という世界は、「歌」うことには遠い…と思っていたけれど、自分の喉(声帯)を、鍛えなおさなくてはと痛感した。
これは、ある意味ストイックな切磋琢磨ではある。
音楽にはもちろん、「ストイック」な面がある。コンクールやコンサート、LIVEの本番に臨むミュージシャンは、絶対にそこを通過していくものだ。
こうして、それぞれの立場の人が、それぞれのスタンスで音楽と相対しているところで、賛美の目指すところは「一致」なのだ。
これって、「世界観」にも通じるところがあるな(以下略)…などと、TAKAMIはすぐにこむずかしいことを考えてしまう(^_^;)
まあとにかく、私は自分の魂がうたを歌いたがっているんだなあ…ということが、すごーくよくわかりました。
そして、私なりには、「ストリート賛美」というものは、やはり、人の心に届けられることが自分にとって喜びだと感じます。
だってさー
「あの人たち、神さまに一生懸命歌を捧げているんだなあ、羨ましいなあ」と感じてもらうよりも
「あの人たちの歌は、自分にも関係があることだ」
と感じてもらえるほうが嬉しいに決まってるじゃないの。
教会の建物から外に出て賛美歌を歌うことの意味は、「ワーシップチーム」と神さまの間にたくさんの「人々」がいることなのではないかと私は思う。
いや違う、「人々」の中に神さまはいるのだ。
1ステージと2ステージの束の間に、父とパートナーさんと一緒に「うどん棒」(ウマイっす!超お勧め)に行き、そのあと父の家で、少しの時間を過ごしました。
そこで、Takはお得意の「ゴジラ」を折って見せて、父とパートナーさんのダンスのデモンストレーションのDVDを見せてもらいました。(Takが所望した)
父たちのダンスの演技はすごかった、スバラシかった。もぉ~~無言で釘付けになりました。
Takも、食い入るように観て、「スゴイ!」と、感動していました。
私たち、もしかしてアーティストファミリーやん。
「ダンス」も「歌」も「ゴジラ」も、それぞれ神さまのところから貰って生まれてきた、、、
それはまあ、また別の記事として書きたいと思います。
今回も、画像がないので、冒頭のちっちゃいヤツはお友達から借りてきました。
他の教会のチームの、マジックショーや、カントリーウェスタン風のLIVEも、もぉ~、グレード高く、めっちゃ楽しかった!!!
ディズニーランドにいるような錯覚に陥るほど楽しいステージでした~~(*^_^*)
今回、初めてのイベントだったということですが、これからも毎年、この場所で教会によるクリスマスのイベントが行われるようになりますように…
敷居の高い教会に足を運ばなくても、ここでちょっと立ち止まって、神さまのことを思い出し、毎度年末、無事に年を越せるんだろうかという経済的不安(それってまさにワタシ)、はたまた、カレシとの煮詰まった関係をこれからどうするんだい?とか、いやもっと、命にかかわる深刻な状況に直面している方々もいらっしゃる。それを神さまに委ねて、少しでも人々の気持ちが穏やかに、笑顔になれるような場所にできたら、ほんとに素晴しいなと思います。