WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

久々に選挙のウグイスやりました(追記・画像更新あり)

2015-04-28 | 人生妙なり





久々に選挙のウグイスやりました。

私の住まいは、大きな交差点の角にあり、マンションが立ち並び、交通量も多く、
選挙の時期には街宣車が行き交い、街頭演説には、格好のスポットなのです。

聞きたくなくても、家にいれば、街宣車から聞こえてくるウグイストーク。
名前の連呼連呼連呼連呼
耳に、タコタコタコタコ… 
もっとなんか「あれっ、そう? ふ~ん…」ってこと言う人いないの?
ホント、一人もいないんだよ、、、

そんな時、ひとりの新人候補が街頭演説をしているのが耳にとまりました。

「私は34歳、シングルマザー、6年生の子どもを一人で育てている、ふつうのお母さんです」
「無関心、やめました」
へぇ~、それがキャッチコピーか。そりゃインパクトあるよね…と思った。
そして、彼女の街頭演説はすごくきちんとまとめられていて、わかりやすく、説得力もあり、聞き入ってしまいました。

太田あゆみさんです。






翌日も同じくらいの時間にまた彼女がやってきたので、声をかけました。応援してます。お手伝いできることがあれば…と。
全員素人の手作り選挙なので、ほんとにお願いします、助かりますと…

そして、2日後にご連絡をいただき、最終2日間、仕事返上でウグイスをやることに、、、
TELをいただいたとき、私は塩江「行基の湯」の脱衣場でした。
つまり…ハダカでTELに出たのであった( ̄□ ̄;)!!
ふつーこんな状況では、絶対出ません。知らない番号だし。
でも、なんか予感あった。
私のような、全くどこの誰かもわからないオバサンにウグイスを頼むなんて、本当に素人さんの集団なんだなあと…



でも、私も「大変お世話になっております、よろしくお願いします 〇〇〇です」ばっかりのウグイスさんが連日行き交ってうんざりして、
「今年もまたコレだよヽ(`Δ´)ノイッパツ私にやらせろ!」な~んて思っていたところだったので、
ここはホントに久々にイッパツ、燃えまくって、燃え尽きようと…


まずは早速あゆみ候補の事務所へ赴き、情報収集。
あゆみさんのお母さまがいらして、いろいろお話を伺いました。
私は、これまで市議選なんて全くワケわからず、とりあえず両親や友達に聞いて、身内やお友達が応援している人に投票していました。棄権はしたくないので。
東京時代は、政治の世界で仕事をしていた時期もあって、わが故郷、府中市議選では燃えまくってウグイスやってたのですが、
高松の市議選、ボーダーラインは何票なのか、彼女の読みはどれくらいなのか…
街頭演説を聞いてお手伝いしたいと思っただけなので、何もわからないのです。


でも、選挙の参加のあり方って、本来こうじゃないでしょうか?
「この人が好き」というフィーリング。
もちろん、政策も人柄も全部含めてです。
そして、「好きだ」って思う候補者にできることを協力するんだよ。いろんな協力の仕方があると思う。
私は高松に引っ越してきてから、自分で「この人に投票したい」という人に出会わず、捜してもこなかった。初めての出会いでした。




さて。
あゆみ候補の事務所から、リーフレットや、ニュースレターなどいただいてきて、さらにウェブサイトやブログで、候補の政策を検索して読み込みます。
そうしていくうちに、彼女の政策、やりたいことの輪郭がくっきりしてきて、そこに、思いが重なります。
なんだか嬉しく、シアワセな瞬間なのです。

私は政策を語るウグイス。
たくさんの文章の中から、「ウグイス」が語って道ゆく人にインパクトのある短いフレーズにまとめる作業。
あゆみ候補と思いを重ね、候補がほんとうに伝えたいことを数秒にまとめる。
深夜までやりました。
懐かしい作業でした。







翌日。いざ、選挙カーに乗り込み。
いきなり、ホントにこれまでのウグイスさんがどんなことを語っていたのかも全くわからないまま、本番が始まりました。


「太田あゆみ34歳 10年経っても44歳」

「普通のお母さんが市議会に初挑戦しています。」

「無関心、もう、やめましょう」

「太田あゆみと、今すぐ検索してください。」

「あなたにのいちばん近くにいる候補者です。」




などなど。
終盤戦なので、具体的な政策を語るのは交差点で停まっているときのみ。
あゆみさんは、普通の市民感覚と市議会のズレを語り、自分のように、若くて普通の感覚を持った女性が市議会に入ることが必要なのだと強く訴えていました。
彼女にも、政策の5本の柱があり、街頭のスポットごとに内容を変えて具体的に語っているのは素晴らしいと思いました。
これらも、もっとコンパクトにまとめていっぱい語りたかったな~。

あゆみ候補は、私のトークを助手席で聴きながら、すっごく頷いて、「そーだ!」とガッツポーズとかしながら、テンション上がってらして、わが意を得たり。
たったの2日間だったけど、ほとんど初対面だけど、ちゃんと呼応したよ。


街宣車から、道行く人たちの、手を振っての応援を見ながら、この人は絶対に当選する、4000票はイケる…と感じました。

結果は、3973票。40人中8位当選です♪
おめでとう!! 嬉っしゃ♪♪♪







ところで…

私の愛する府中市でも、嘗てウグイスをやってめっちゃ応援した杉村康之さんも当選しました!!
ものすごく嬉しい。ほんとに嬉しい。ひたひたと感動的に嬉しい…
彼は、党のしがらみで(恐らく不本意に)市議を辞して、前回の国政選挙に出馬して惜敗、このたび、再び市議会に再度挑戦して当選しました!!!
彼と私は、候補とウグイスの関係。
候補の政策、今回もしっかり読みました、すっごく共感しました。
こんなに離れていては殆どなにも力になれないのがもどかしかった。
「おめでとう」のメールに
「ありがとう。こんど、一緒にシングルモルト飲もう」
って返信くれた。

飲むだんな!

(飲むとも!!…コレだよ、若き香川県人諸君、「…だんな!」は標準語では「…とも」なのでヨロシク。)

市政を語りながら、シングルモルトを飲む時間、めっちゃ楽しみ♪



「政治にどんなに無関心でも、無関係な人は誰もいない」
とは、太田あゆみさんが、街頭で訴えまくっていた言葉です。全くだ!!


私は選挙フェチじゃありません。
「政治」と「音楽活動」って、ほんとに根っこのところで同じなんだ。
だから、ついつい、力がこもってしまうんだ。

私は、よく「立候補しろ」とか、「政治の歌をつくろうよ」といわれてきました。


…が、両方とも辞退です。
日常で、こんな体験をしたりいろんなこと考えたりすること、全部、音楽に昇華させたいのです。



あゆみさんから、ご本人の名前と画像のアップOKのご連絡いただいたので、画像、差し替えました(^_^;)

冒頭の画像は、あゆみさんが当選した翌日の辻立ちです。すごく爽やかで、大好きな画像です♪♪


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東京帰省日記5 大学時代の友人とランチ編

2015-04-22 | 人生妙なり







束の間でしたが、大学からの友人saeとランチして、お宅にお邪魔しました。
TAKAMI軍団飲み会の日のお昼の部♪

彼女は新線新宿から徒歩5分のマンションに独り暮らしです。

数年に一度しか会わないけれど、東京に行ったら必ず連絡して、いつもほんの少しの時間だけど会ってお喋りします。

今回は、「ひつじや」というお店にご案内いただきました。
名前のとおり、羊の料理がメイン。
めっちゃ安くて美味しいランチ♪♪
ここでもまた、画像ありません。
スマホ初心者につき、要領悪く、ちゃんと撮れませんでした(T_T)

シシカバブ、チュニジアの餃子などなど、どれも大昔、作ったことあるよ。
懐かしい~~~!! 美味しい~~~!!
ワインも うそ!?っていう安さ。
こんなお店が高松にあったら、週に2回はランチに通うな~~

そして、もうsaeとは、食べ始める前から、お互いのプライバシー報告トークが炸裂しまくり!
いんや~~ ちょっと内容は濃すぎて書けません。

でも、とにかく、saeはいつも前向きで、過ぎたことは振り返らず、くよくよせず、
グチグチは一切なく、竹を割ったようで、ほんとうに気持いい♪
きっとそういう人の周りには、グチグチ言う人は寄り付かないんだろうな。

私はまず彼女のマンションに行ってそこから「ひつじや」まで一緒に歩いていったんだけど、途中で踏み切りが「カンカン」鳴りはじめて、遮断機が降りた。
彼女は、いきなり「早く早く~~!」といいながら走りだした。
「え~~~っ、行くの?もう遮断機降りてるのに~~(@_@;) 」
「ここは、あかずの踏み切りだから、これくらいみんなやってんだよ。一度降りると大変なんだ!」
saeは、降り切ったた遮断機を手で持ち上げてくぐりぬけるので、私も大急ぎで走ってsaeの真似をした。

「ひつじや」は踏み切りを渡って50mぐらいのところ。
ランチタイムが終わりに近づいているのに、並んで待ってるグループが2,3組あり。インド人、ヨーロッパ人など。
私達も狭い外階段に座りこんで、トーク炸裂。

もうとにかく、時間が限られてるので、矢継ぎ早に話題が展開していく。

「ひつじや」のランチをワインとともに堪能した後、saeのマンションに戻った。
相変わらず、所狭しと、植木鉢が並んで、ジャングルのようだ。

冒頭の画像は、彼女のマンションのベランダ。
彼女が物件を選ぶ条件のひとつが、この広いベランダだったとか。
女性の独り暮らしで、融資がおりるか、審査の当時はとても神経が張り詰めて、超常現象が起きたほどだったとか(^_^;)

彼女のおじい様は噺家で、お父さまは「徹子の部屋」のプロデューサーを退職なさるまでずっとされていました。
そういう血を受け継いでいるからだなと私は思うんだけど、彼女のトークは本当におもしろく心から楽しい。
自分達が、50’で、ちょっと疲れてきたオバサンの世代だなんて全然思えず
…というより、彼女は、自分のことをそんなふうに思ったことは殆どないに違いない。

私は正直いって、Takを抱えているいぶん、どんよりしたり、疲れたり…ってことはたくさんあった。
だけど、saeも、ひとりっこで、ご両親をひとりで見送っているのだ。本当に大変なことだっただろうと思う。
でも、基本的には、「グチグチ」スパイラルにははまりたくない。そんな時間はもったいない。
Takの母ではありますが、やはり私としては、自分の音楽人生を諦めずさらにこれからもやりたい。
Takが音楽人生の躓きとは全く思っていません。
むしろ、私はTakがいることで、音楽的に、自分で思ってもみなかった方向へと引っ張られ、それなりに成長したなあ…と思います。

saeは、TAKAMIに絶対似合う服があるのよ…といって、ずっと捜してくれて、結局私が帰るまでに見つけられなくて、
そのかわり? 別の服を2、3着「コレ今のカッコにも似合うよ」といって、くれた。
saeの服だから、ポップでお洒落♪♪
その場で着て、そのまま「TAKAMI軍団飲み会」に行ったんだけど、
そのカッコでひとつ前の記事の、押立保育園にも行ったっちゅぅワケなのであしました(^_^;)



ところで、押立保育園の過去ログを探していたとき、こんなん見つけました。
ビンボーで服を買うどころではない私の数年前の記事です。
ワタクシ的にはめっちゃウケました。興味のある方はどうぞ(^_^;)


「おかあさんに着せたい服」
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東京帰省日記4  押立保育園編

2015-04-21 | 人生妙なり




本編には画像がありません。
「ほんのちょっと」のつもりだったので。



Takが0歳から6歳まで本当に本当にお世話になった「押立保育園」を訪れました。

「フラミンゴ」KAZUMIちゃんの夫、けんけんがご案内してくださいました。
園に通っているりーちゃん、卒園ほやほやのあーくんも一緒です。

Takと一緒に東京に行ったら、必ず訪れたい場所でした。

6歳で東京を離れて、9年。
私も、卒園以来初めてだったので、だんだん車が現地に近づくにつれて、ドキドキしてきました♪♪

アポもとっていなかったので、とりあえず外観だけ見て、暫し懐かしさに浸ったら、
ほどなく立ち去るつもりでした。

まずは、保育園の外周。
椎の樹が植えられていて、ここでTakはどんぐりを拾い集め、「どんぐり」の曲はこの場所からできた。

門のところから中を覗くと、園庭にいる園児たちの中にKANAI先生(♂)が!!
Takが3歳のときの担任の先生です。
Takも私も大好きな先生でした。

りーちゃんと、あーくんに気がついた先生が、「おおおぉぉ~~!」と手を振ってくださいました。

もう懐かしくてたまらず、Takもいるよ~~!! ちょっとだけでもご挨拶しようと、正面玄関へ走り、ピンポンしようとしたところに、ちょうど先生が出て来られて、
それから、園長先生、年長の時の担任のゆかり先生、0歳のときの担任のりかこ先生、主任の先生、それに、パートタイムの先生方…
もぉ~~懐かしくて、お会いしたかった先生方みなさんいらして、感動の再会となったのでした。

奇跡だ!


全員の先生方が、Takと私のことを覚えてくださっていました。
これには、本当に感動しまくりでした。
そして、先生方が、全く当時と変わってないのにもびっくりしまくりでした。
9年も経ってるんだよ!!
ふつー、やっぱちょっと歳とってるかな…と想像するじゃん!?
Takと私だけの時間が9年経って、この場所は、昔と全く変わってない感じ…
ほんとうにタイムスリップしたようでした。

「Takくんは、大きくなっちゃって、ひと目ではわからないけど、お母さんのお顔を拝見して、すぐに思い出しました!
お母さんも、全然変わってらっしゃらないですね~~!!」
いやいや、それはお世辞(^_^;)

私、ちゃんと訪問するのは翌日にしようと思っていたので、ものすごくチャラいカッコだったんだよ。ホント恥ずかしい…けど、それより懐かしさ爆発してしまったので!

Takの年長のときの担任の「ゆかり先生」は、今では押立第二保育園の園長先生なのです。
先生は、最初、園の給食作りの栄養士さんとして、保育園に勤務していらっしゃいましたが、園児ともっと深く濃くかかわりたいという志を持たれて、保育師の資格を取られました。
ほんとうに素晴らしい先生でした。


保育園の先生って、本当にすごいな。
Takと私が特別なわけでは決してなく、どの卒園児さんのことも、先生方は、ひとりひとり覚えていらして、顔を見たとたん、たちどころに、在園していたときのことが蘇るんだろうな…
保育園時代ずっと仲良かった「Hiroくん」のことを話題にしたときも、
先生方みんな覚えてくださっていて、「今でもお付き合いあるんですか、素晴らしいですね」と言ってくださった。


年度末で、新入園時を迎える準備のため、園では、会議などもある様子で、慌しそうだったのに、KANAI先生は、園長先生からの特命を受けて、
私たちを、新しくできた音楽堂や、保育園の分園、これまで一度も訪れたことのない第二保育園にゆっくりとご案内くださいました。
ゆかり先生は、ここの園長先生なのか…すごいなあ、、

なんだか、すごく嬉しい。
私が当時本当に心から深いところで信頼して大好きだった園長先生はじめ、担任の先生方が、今でもずっと残って、責任ある立場になっていらっしゃること、
私の「心からの信頼」は、間違ってなかった… Takを預けて、先生方と一緒に時間を過ごせたこと、本当によかった。

新しい音楽堂や、3歳児までの子どもたちの新しい分園は、素晴らしかったです。
平日で保育中でしたが、子どもたちが生き生き、伸び伸びとしているのは、当時と全く同じ。
私が音楽活動していることは、先生方はみなさんご存じで、園長先生は私達のファミリーコンサートにいらしてくださったことも…
なので、KANAI先生とのお話の中で、Takの在園中に園でコンサートができなかったことが残念だけど、
またもし機会あれば、上京に絡めて、ここでコンサートやっていただけたりしたらいいなあ…なお話にもなりました。

やりたい! 願ってもないことです。

高松での音楽活動や、いろいろ抱えてはいますが、私の気持の半分はやっぱり今も東京にあるんだ、封印してるだけだ。
「フラミンゴ」のファミリーコンサート、押立保育園でやりたいな♪
実現したら素敵すぎる♪♪♪


これから、ゆっくり、園長先生にお礼のお手紙を書こうと思います。
毎年の年賀状だけでは伝えきれない思いがあります。

このブログ、書き始めてもう10年以上になったけど、保育園の記事、ものすごくたくさん書いてます。
いつも心の奥底に篤い信頼があり、母子家庭の不安定な生活を心やすらかに楽しく過ごせたのは、本当に、押立保育園のおかげ。
そして、「府中市」のおかげでした。

私は、国分寺市に10年余り住んで、隣の府中市に引っ越しました。
一度目の離婚をした独身の頃でした(^_^;)
バスで国分寺と府中を往復しながら、市によってこんなに違う行政…を感じ、私も府中市民になろう!!…と、、、
引越しのトラックを、スポーツカーで先導し、多磨霊園の桜並木の新緑の中をうきうきと走ったっけな~~

しかしまさか、離婚して母子家庭になるとは当時思ってもなかったけど、府中市民だったからこそ、ものすごくたくさんの恩恵にあずかったのでした。

人間ドックが3000円ぐらい?だったり、川崎まで出張レッスンに行く日は、10:00PMまで無料で託児をしてくれる市の施設「しらとり」を利用していました。
保育園に、「しらとり」のお迎えバスが来るのです。
プールも100円…だったか、安すぎて、覚えてないよ。
公園も充実してたし、サントリービール工場もあるし、競馬場も遊び場だったし、
ほんとに永住したい町だったな…


だけど、高松に帰ってきたのは、自宅で音楽教室がやりたかったから。

東京で息子と二人暮らしをしていたら、永遠に自宅にピアノを入れてレッスン室を営むことはできない。
おうちのある人と結婚でもしなきゃね(^_^;)


何度も書くけど
高松に帰る決断は、ほんとうに長い間かかって、考えに考えた。
だけど、今思えば、これが「神さまのご計画」だ。今私がいる環境は、すべて神さまが用意してくれてたんだなあ…と、、、
そして、東京との繋がりも何も変わってなくて。

何度も書くけど
「東京のネットワークを切り捨てるのではない。高松とあわせて、2倍、3倍…となっていくのだ」
これが決め手で、帰省を決断しました。
ほんとうに、そうなってるよ。これから、きっと本当に、これまで築いてきたネットワークはもっともっと濃く深くなっていくと思う。

私は、今から積極的にネットワークを広げていこうとは思っていません。出会いは自然でよくて、
それよりも、本当に好きで、一緒にいたい人とのかかわりをひとつひとつ大切にしていきたいと思います。


東京帰省、ほんとうに楽しかった…し、すごく濃くふっか~~~い4日間でした。
でも、これで完結でなく、また次いきます。
Takが高校生になって、私も、ますます働かなきゃ!なんだけど、カネはかかるけど、私も少し自由に移動できるかな。

カッシーのギターで歌ったことや、押立保育園の新しい音楽堂のことや、KOZOさんに連れてっていただいた初体験のお店…
懐かしのsentimental journey …じゃなくて、やっぱり東京での「次」を考えるってことができるようになったんだなあ…

9年は長かったようで、あっという間だった。
ほんとにみんな全然変わってなかったし!!

子どもを産んだら順風満帆の音楽活動を中断しなくちゃいけなくなる…と考えたこともあったけど、全然だったよ~~~!!
Takを産んだから押立保育園と出会ったし、コバヤシファミリーともお付き合いできるようになった。


さ~~あ、次だ、次!! やること満載ですが、ひとつひとつ、丁寧に、大切にこなしていきたいと思います。



pc大変不調なのでとりあえずアップして、後ほど編集予定、、、(T_T)



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東京帰省日記3 TAKAMI軍団再会編

2015-04-11 | 人生妙なり


コバヤシご夫妻♪ 



息子Takの合格発表を待って、上京することに決めたとき、ホテルはすでに週末は満杯で、
東京都全域で検索してもヒットするのは「八丈島」…という状況でした( ̄□ ̄;)!!
大袈裟じゃなく、ホントなんです。
男性専用カプセルホテルさえも、日に日になくなっていった( ̄□ ̄;)!!
お花見シーズンだし、中国人観光客で溢れかえっていました。
連泊なんて絶対無理で、ホントにもう今回は諦めようかと思っていたところ、
小林ファミリーが、姪御さんが滞在しているにもかかわらず、
「うちでよければどうぞ」と言ってくださいました。
もぉ~~そうでなければ、私、今回は諦めているところでした。

コバヤシファミリーには、ほんとにほんとにお世話になりました。

そして、いよいよ「TAKAMI軍団」との再会!!


私は、お友達になった人たちを全部まとめて集めてホームパーティーや、ロッジでお泊り会とかやる習性があり、こうして集まった仲間がいつしか「TAKAMI軍団」と呼ばれるようになりました。

TakはTAKAMI軍団のみなさんに育てていただきました。
だから、みなさん、9年ぶり(という人がほとんど)にTakに会えるのをすごく楽しみにしてくれてました。

昨年5月に神学校の教会音楽研修で上京した折にも、TAKAMI軍団が集まってくれましたが、
今回はなんといってもTakの合格祝い♪♪
主役はTakです。

しかし、肝心のTakは声がオッサンになってるし、敬語だし、
保育園児のイメージからあまりにも変貌しているので、みんな調子狂うかな…と思ったけど、
みなさんから当時と変わらず「たっくん、たっくん」と、声かけれられてるうちに、だんだん和んできて、
Takも、母の交友関係の中でみんなに大切に育ててもらっていたことを感じて、
母に対する反抗期も、風船がしぼむように、萎んでいったように感じます。



まゆこちゃん(フラミンゴPiano) & かんのさん(クラブ活動時代のお客さまで歌ウマい! コンサートでサンタさんになって歌っていただいたことも…)



KAZUMIちゃん(フラミンゴ Key & Vo) & けんけん ご夫妻♪




その娘 みっとん & りーちゃん




息子 あーくん




名人 & コバヤシ(修正なし)




この画像は、すべてTakが撮りました。
みんなすごくいい笑顔♪

しかし、o-kazuちゃん親子と、ふうみんちゃん、いさおちゃんを撮ってないのはすっごく残念。
遠慮してたんだろね。
ゴメンね。

私もみなさんとの話に夢中で、画像撮るなんてアタマからふっ飛んでました。



こうやって集まると、なんだか自分が高松から久しぶりに来たことなんか忘れて、
時間の隔たりも全くなくなって、だけど確実に子ども達は成長してるし、私が高松に行ってから生まれた5歳、6歳のニューフェイスもとっても屈託なくいい子たちだし。

時間の綿々とした連なりって、ほんとに不思議。



コバヤシ家の長男DAITA



DAITAと初めて会ったのは、武蔵国分寺跡で飲み会した日。
保育園→小学校に入学する前の春休みだったんじゃなかったっけな?
パパに連れられて、大人ばっかりのお花見?(飲み会)に参加したんだけど
すごく素直で、とっても楽しそうで、だけど、大人の中で自然に気を使ってる感じがいい子でいとおしかったっけなあ…
ママがお迎えにきたとき、「帰りたくない、まだ遊びたい」といって、とたんに駄々っ子になって、泣いてたっけな(*^_^*)

私はその時から、DAITAが大好きだったんだ。
その彼がこんなに成長して、今は某最高学府の大学院生。
この笑顔にときめくよ♪ 大きくなっても最初に出会った日と同じ。

TAKAMI軍団の子ども達の成長が、とっても楽しみです。
なんだか親族な感じ♪♪

私は、息子はTakしかいないし、私が生きている間に子孫がどんどん増えていくことはあり得ないけど、
TAKAMI軍団の子ども達が成長していって、ずーっとずっと繋がりが続いていったら、ほんとに嬉しい。


ところで、「TAKAMI軍団」ってのは、もぉやめましょおよ!
私はもぉ、東京を離れ、もはや「顧問」ですから(^_^;)
なんか、別のキュートで且つぱわふるで、末広がりなめでたい名称、ないでしょか~~
!?!?
…てか、実質は「TERUKO軍団」で、コバヤシママが軍団の子ども達を育ててくれてますよね!!!


また帰る、毎年帰る! 

Takが、次回はキャンベルロッジにお泊りしたいって言ってる。
ゼヒ実現させましょぉ。


このたびは、参加の皆さまの画像のアップにご協力いただきまして、ありがとうございました♪



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東京帰省日記2 江戸居酒屋編(追記あり)

2015-04-07 | 人生妙なり




長年の悲願であった「蕎麦屋で昼酒」に連れていっていただきました。

お付き合いくださったのは、高校の音楽部の先輩、KOZOさんです。
でもKOZOさんとは、高校時代、一言も話をしたことがなかったと思う。
なのに、今頃になって、KOZOさんと二人で飲むなんて、ものすごく不思議だし嬉しい。
東京帰省だけど、ここは「番外編」な感じ。懐かしいお友達というより、新しいお友達です。


KOZOさんは、facebookに殆ど毎日うどんの記事を書いて、ものすごく美味しそうな画像をアップされていて、
うどんと、郷里への愛の深さがひしひしと伝わってきます。
酒に関しても、特に日本酒には精通されていて、私の知らない世界にいざなってもらえそうなので、
いつか東京にいったらゼヒ「蕎麦屋で昼酒」にお付き合いのお願いをしていたのでした。


実は私は、うどん県民ですが、どちらかというと、こっそり書くけど蕎麦のほうが好きなのです。
しかも、蕎麦屋で昼酒…ってのに、よくワケわからずも大昔から憧れておりました。
「うどんで昼酒」ってないじゃん?
だからうどんより蕎麦が好き…って、、、??(違)


「かんだやぶそば」

ここを知らずして江戸の蕎麦は語れないであろうという老舗で、
常連さんも、外国人観光客も、おのぼりさんも、すべてを受け入れすべてのお客さまを満足ひたひたにさせることができるという、すごい店だと思いました。


マドリッドのフラメンコの老舗を思い出しました。

全然違うけど、ものすごく深いところで共通しています。
















KOZOさんと私はカウンター席で並んで飲んでいたのですが、
私のすぐ隣の席では、妙齢のおばさまが、穴子の白焼きやら、お一人で次々と蕎麦前をオーダーして、満足げに食べて飲んでいらっしゃいました。

粋やなあ…


私は、KOZOさんの麺ブログを隅々まで読んでいたので、初めてな感じが全然しませんでした。
「らっしゃいーーーーーーー」
「猪口(ちょこ)に薬味付きーーーーーー」

とかいって語尾を伸ばすのも
ああ、なるほどコレね…と、、、
KOZOさんは、語尾を伸ばすのは、オーダーをきちんと通すためであると仰るのですが、
私がオーダーを通される側なら、ボケボケな私としては、語尾を伸ばされても、オーダーそのものは語尾の前にもう言ったんだからなあ…ってことで、
ちょっと違うのではないかと思うのであります。

でっ、僭越ながら、私見を述べます。

常に満席に近い状態の店で、大きな声でオーダーを厨房に向かって叫びまくるというのは、ふつーの居酒屋によくある光景ですが、
活気あり、繁盛してる感あり、それはそれでよいかもしれないけど、
オーダーの語尾をこんなに伸ばすと歌のようです。歌っているのではないだろうか。
ゆるゆると飲みながら、オーダーを通す声が全然騒音でなく、心地よく響きわたって、音楽のようです。
満席でも、喧騒でなく、優雅で、音楽のように響き渡る声が、とっても心地よいな…と感じました。
BGMのようなのです。この店の空気にぴったりの。


次に連れてってくださったのは「江戸居酒屋」なお店でした。

大塚「江戸一」

KOZOさん曰く、「志の高い店」「江戸時代からあるようなアテしかない」…と、、

全くあまりにもスゴすぎて、解説不能…では記事が成り立たないので、ここは精一杯努力して書きます。
しかも、このお店は、撮影禁止なので、画像ナシです。

KOZOさんの仰るとおり、アテはほんとうにシンプルです。
焼き魚、ぬた、厚焼き玉子…などなど
そのどれもが主張せず、「仕事してます!」感は全くなく。

ちょっと気の利いた割烹系居酒屋だと、「仕事してます!」感満載の小鉢とか供され、
それが「おおぉ~~!」って嬉しかったりするけど、そぉじゃなく。

あまりにもさりげなく優しく、「控え」の態勢で、
「お酒を心ゆくまで楽しんでくださいね」なスタンスなんだ。
だから、酒も肴も、すごく美味しかったけど「これがめっちゃ美味しかった!」というのじゃなく
優しくて楽しくて幸せ…だったのでした。

日本酒は、体質に合わないと思ってこれまで消極的だったけど、
飲んだ酒、全部美味しかった~~~♪♪
ひとつひとつにつき感想が述べられないのは初心者なのでご勘弁いただくとして、
やっぱり日本酒も、いったん喉を通り過ぎたものが、ふわ~~っっ…と体の奥から香ってくるのはウィスキーと同じ。
いつまでもず~~~っとこの香りが続いているのが至福なのでした♪♪

でっ、さらに感動的だったのが、カウンターの中は、磨かれた板の間!!(お店のスタッフの方たちは、土足じゃなくて、スリッパなんだ( ̄□ ̄;)!! )
その床に、酒の一升瓶がたくさん並んでる。
常連さんは、その一升瓶を見て「ああ、次はコレを飲もう…ってな感じでオーダーするらしい、、、

カウンター席では、オーダーしたお銚子が引かれずお行儀よく並び、
お勘定はソロバンでする!!
お勘定のシステムもスゴすぎて…もぉこれ以上書けません。

……

ってことで、KOZOさんは、こんな世界で日々飲んでるのか、、、
いいなあ…
日常が超自然体で上質なんだなあ、、、


高松で生活してたら、こんなお店はないし、こんな「飲み」はできないな。

私はでも、うどんも蕎麦も、エスニックも、なんでも自宅に持ち込む習性あるので、
この幸せひたひた感も持ち込むよ。


KOZOさん、ほんとうにありがとう。



追記

KOZOさんより、facebookにコメントいただきました。


「語尾を伸ばすのは、オーダーをきちんと通すため」ではなく一定の銚子で百人一首のように読むのは、通しとそれ以外の声を区別するため。
この場合、伸ばすかどうかが重要なのではないのです。
それは女将だけに許されるものであって、女将がすべてを集約しているので、厨房はただその声だけに耳を傾ければいい、ということなのです。


ということです。なるほどなるほど。
「理にかなったものは美しい」というわけですね。





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東京帰省日記1 カッシー編

2015-04-05 | アーティスト魂




長らくのご無沙汰でした。

息子Takは、県立高校に合格し、明日が入学式です。



3月下旬、4泊5日で東京にいってきました。
Takは、旅程の前半、父親の実家で過ごし、私にとっては、旅行というより、帰省。

懐かしい人たちに久しぶりに会えて、ゆっくり語り合えて、本当に幸せな日々でした。
まだ帰ってきてからも暫く興奮状態が続いてる感じが続いてましたが、
やっと日常が戻ってまいりました。

ひとつひとつの再会がものすごく濃くて、嬉しくて幸せだった♪
なので、何をどれから書いてよいやら…なのですが、なにをおいてもまずはカッシー♪♪





オペラシティのある初台でカッシーと待ち合わせ、
東京時代と同じように、HUBで昼ビールしました♪
それだけじゃなく、今回は、高松に帰ってから作った曲の中から数曲、譜面を持っていって、カッシーんちで弾いてもらって歌った。

最高に幸せなひとときだった~~~~!!

あ~~~やっぱりカッシーのギターはいいな。

ちょっと弾いて貰って「こんなん作った」って聞いてもらうつもりが、マジで、真剣にハマりまくって歌ってしまった。
カッシーがものすごく美しくかっこよく弾いてくれた。
すっごくよかった。歌いながら感動した。
初見なのに、もうこれでなにも足さなくていい、これで完成形…なところが、本当に感動した。

WIND AND SOUND にはギターがいない。
だから、なんだかギターで歌うの、ものすごく久しぶりで、
カッシーのギターってこんなだったなあ…と、すごく嬉しくなった。
こんなだった…っていうより、9年前より進化してると思った。
すごく上手かった。よかった。
録音しとけばよかった、、、

もう絶対またLIVEやりたい。
カッシーとデュオやりたいなあ、、、
いや、絶対やる。やらないでどーする!!
絶対実現させる。

高松のみなさまにもカッシーとのデュオ、聴いてもらいたい。


彼は、私の東京における「TAKAMI&フラミンゴ」時代の音楽を、結成から私が高松に帰るまでずっとず~~っとサポートし続けてくれた人です。

私がどれほどカッシーにお世話になって生きてきたかは、語りようもない。
音楽だけでなく、PC系ヘルプデスクとしても、私はず~~っとずっと、カッシーのサポートなしには、東京での音楽生活は成り立たなかったし、高松に帰ってきてからも、カッシーは今でも遠距離ヘルプデスクをやってくれてる。

カッシーとの次のLIVEにむけて、計画立てる。

東京帰省、ただ懐かしいだけじゃなくね。
次へのベクトルなんだよね。





深夜の部もあり 

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