WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

SYO Michael Jomon ワールド

2020-07-03 | アーティスト魂



今日から7月。…と書いて、もう3日経ってしまいました。今年も後半となりました。
今月からレッスンも一部再開となりました。
12月のライブに向けての準備も始めることにしました。


COVID-19によって私の日常生活は大きく変わった…ってほどでもないんだけど、
正直いって、気持ち的には緊急事態宣言中はかなり不安定だったと思う。

レッスンを休止していたのは、たったの2ヵ月。人生のたったの2ヵ月。
もちろん予定していたLIVEもすべて延期(というか実質中止)

いったいこれからどうなるのか、全く先の見えない日々。
私はSYOさんの庭でひたすら雑草を抜いていました。
雲を眺めながら。



この2ヵ月がどれほど長く感じたことか。
先が見えない不安って、どうすることもできない、どこに向かっていくのかわからない。
例えば、あなたは癌で、いずれは死ぬと言われたら、そこにむかって、いろんな覚悟や準備ができるというもの。
イヤだけど。
不安の種類が全然違うと思う。

でもそんな先の見えない中で、レッスンや、音楽活動のあり方、まだコレ!という確かなものはないけれど、
いろんな方々が少しずつ模索して、一所懸命みんなでより良い方向へ向かおうとしていることは嬉しい。
心の強い方たちがとっても頼もしかった。




カタバミというヤツは、地面に出ているところはかわいいんだけど、実は全部根っこが繫がっていて、根っこは太くて深い。
コレを根こそぎ引っこ抜けると、すっご~~く嬉しい、めっちゃスカッとする!!
途中で根っこが切れて失敗することも結構ある、、、
私は、このカタバミが、蔓延るCOVID-19のようで、不気味に感じたものでした。

抜いても抜いても蔓延る雑草。
私はこれからSYO Micael Studio の周りを公転し続けるのか、、、
今は雑草に加え、萎んだ花の始末とか、切った細い枝を鋏でチョキチョキと切ってゴミ袋に入れたりとか、そんなのばっかり。
だから無心になれて、そうすると心の底にいろいろ沈殿してることとかがもわ~んと浮き上がってきたりする。

そんな中で、6月から学校が始まって、突然庭で作業やってるときにチャイムが鳴ったのがすごく新鮮で嬉しかった。
子供たちが学校に通い始めたという現実にホッとしました。それは、子供たちよかったね…という気持ちでもあるし、
自分自身がこのチャイムを聞きながら生活できることに対する安堵でもありました。

しかし、COVID-19前と後、、、みなさん「はやく収束して元に戻ってほしい」と願いつつ、もう元には戻らないと、きっと誰もが薄々感じているであろうと思います。
COVID-19は撲滅できない。元には戻らない。私はずっとそう感じています。
この恐ろしいウィルスと共存していかなくてはいけない。新しい世界へ向かっていかなくてはいけない。
軽症者や、無自覚の感染者がいる一方、私はもう高齢者。高血圧だし、感染したら死ぬと覚悟していますので、なるべくそれは避けたいな、、と思いつつ生活しています。
この件については別件としてまた後日。


さて。
SYO Micaelガーデンは、SYOさんの遊び場であり、私はこれまで全くかかわってきませんでした。
SYOさんは、庭の創造をしつつ、雑草を抜くこんな作業も併せてやってたんだな。
SYOさんの心の中はどんなになってるんだろう、、、




この子のアタマにのってるのはアマガエルの「アマデウス」(ホンモノの生物)



アマデウス2



庭にはジャングルもある



小人もいる




SYOさんは17歳の頃から、誰にも師事せず独学でピアノを習得して、クラシックを経てジャズピアノに転向したとのこと。
私は4歳からピアノを習い、音楽大学を経て音楽講師です。
この私たちが一緒に音楽していくということは、、、、


ある時(っていうかわりと最近)、リハをやってて気付いた。SYOさんの体の中には16分音譜というものがない。8分音譜しかない。3連符も8分音譜が揺れたヤツだ。
いやいやもしかしたら、音譜などはなく、「拍」だけしかないのかも?
いや「拍」すらも「うねり」なのかも、、、

私はアカデミックに32分音譜まで小節の拍の中で刻むことを習得してきたので、せめて自分の曲の中で
「タタタタッタッッンッターー」
このキメをやって欲しいとおもった。ポップスなんですから私にとっては当然。




しかし。
SYOさんは、ある日浜辺に謎のグランドピアノが流れ着いて、それをオモチャのように無心に弾いて遊んできた…そんな人。
ある時、東京から遊びに来てくれた親子(息子の友人)と公園を散歩しながら
「あの人、縄文時代から生きてるんだよ」と言ったら、暫くの間めっちゃ本気で信じたもんね。
「縄文時代」という言葉がわかる年齢であるにもかかわらず。

SYOさんの音楽にはホントは「枠組み」がないのではないだろうか。
「リズム」を「枠組みの中での音譜と休符」のように捉えている私のほうがヘンなのでは。
私には逆に、4ビートのノリというものが体の中にない。
実はほんとのほんとは私もそういう自由な音楽がやりたいのだ。あー言ってしまった。
私はこれからSYOさんに寄り添って音楽をやっていく。
自分の曲でも私のところに引き寄せようとすることはヤメる。
そしたら、どんなに楽しい、これまでと違った世界が開けていくことだろう、、、

いやもちろん、小節もリズムも…枠組みは必要だよ。アンサンブルだからね。
でも、その枠をとり外してみたいなあ。

「樹のうた」
という曲を久々に掘り起こす。

小さな芽から、動物たちに踏まれながら大きく成長した樹のうた。

成長した彼は、出会っては通り過ぎてゆく風や雲たちから、世界がどんなに汚れているかを聞かされる。
だけど自分はここに根ざして生きている、どこにも行けない。ここで自分のできることをやろう。

そんな歌。
「タタタタッタッッンッターー」
じゃないだろう。





12月はチャペルコンサートです。その頃、日本や世界がどんな状況になっているのか、
これまた全く先が見えないけれど、
「樹のうた」をぜひやりたい。
近々きよしげさんとカズさんと、テアトロンでコーラスのリハをやります。
カズさんにはウッドベース持参でお願いしています。
SYOさんとは2人で、ピアノパートのアレンジをやります。

こんなことを積み重ねていったら幸せを繋いでいけます。



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