WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

スープカレー

2006-05-31 | 美味礼讃
私は「スープカレー」を食べたことがありません。
発祥の地、北海道のふと足ももこさんの周辺で「スープカレー」という言葉を聞いたのが昨年だったかなあ?? お店のHPなど見て、おいしそ~ 近々いくぞ…と思っていたのに、結局お目当てのお店にはいく暇もなく引っ越してきてしまいました。

こちら讃岐には、インド料理屋もあるにはあるようですが、カレーで検索すると、なんとカレーうどんがぞろぞろと… 
ってなわけで、まだこっちに来てからインドカリーさえ食べたことがありません(T_T)

いい加減でエスニック風カリーが食べたい!
…ってことで、食べたこともないスープカレーに挑戦してみることに!!

昨日2度めの挑戦。

実は10日ほど前にも作ったのでした。その時は、トマトを結構使って、シークヮーサーも入れて、サワー系の南インド風??にしたかったんだけど、なーんとなく物足りない味だったな。スパイスが控えめすぎたかな? トマトスープカレー風味ってな感じに仕上がってしまった。

こんどはもっとコクのあるヤツを作りたい!
ってことで、まずあめ色玉葱作りから。もぉ~~とことん茶色になるまで頑張りました。(あと一歩ってところで、時間切れで妥協してしまうことが多い)
そして、生姜、ニンニク、セロリ、コリアンダー、クミン、ターメリック、クローブ、シナモン、ナツメグ、ガラムマサラ、チリペッパー、プルーンペースト
とりあえずこんな感じでやってみました。
あと、何があればいいでしょうか? コレが決め手!ってのをご存じの方、ぜひ教えて下さい。

お肉は鶏手羽元。野菜は、ニンジンなど煮込むヤツ以外は、カレーパウダーなどなどで炒めて、直前に入れました。キャベツ、オクラ、いんげん、ナス、ピーマン、レタス… あっ、ゆで卵も。

この日は、父とNaoが来て、みんなで飲んで食べましたが、カレーの前に、鯵の三杯酢、冷奴、じゃこ天、そら豆…などとエンエンとオードブルが続き、私はカレーに到達できませんでした(-_-;)

父とNaoはウマイ!といって喜んで食べていたような気がするけど、コレは、カレーといえば「ハウスバーモンドカレ~」しか食べたことがない2人用に、一応、エスニック度控えめに作ったのであって、翌日のランチに、ココナッツミルクと生姜とガラムマサラを追加。さらに唐辛子をどばっ!と入れて、これで完成。ふっふっふ。これはとてもウマかった!…しかし、スープカレーを作るんじゃなかったっけ私???
やっぱりこりゃ「スープ」というほどさらさらでもないかな~~~
ホントのスープカレーって、ゴハンをスプーンで掬って、スープに浸して食べるんでしょ?

…という訳で、スープカレーの作り方、ご存じの方いませんかーー?
早くホンモノを食べたいよぉぉ~~
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運動会

2006-05-28 | 教育ママ日記
今日はTakの運動会でした。小学校の運動会を見にいくのは、考えてみれば初めてだ! こぢんまりとした保育園の運動会と違って、生徒も多いし、運動場も広くて、各クラスごとにテントが設営されて、大規模だ!!
運動場の端には、レジャー用のテーブル持参で、ビール飲んで運動会そっちのけでピクニック感覚で来てるような人たちもいる…以前そんな話を聞いて、「小学校の運動会に、なんという不謹慎!」と感じたけど、この広々とした雰囲気なら、なるほどコレもアリか…なんて思ってしまうほど。う~ん、田舎の運動会ってこんななのか…???

Takは、徒競走で1番になりました。嬉しかった!!以上。
あとの演技などは、いったいどこにいたのやら、広すぎて捜すことも諦めたわ。
最近Takはかなり筋肉がしっかりとついてきました。本人も「筋肉」に興味があるらしい。日光江戸村で見た忍者のショーのとき、かっこよかった「お頭」役の男の人が憧れで、「修行」に憧れているらしい…

ところで、私自身の運動会以来の運動会。
正直いって、印象としては「ぞろぞろした感じ」「イマイチ」だったなー。
「私のときは」…っていったって、何十年も昔と比較してどーすんだ!時代が違う。
でも、しょーがないです、それしかないので。

私たちの小学校時代の運動会は、曲にあわせて行進の練習、ラジオ体操の練習、すべてみんな揃って美しく機敏に!ってのが最大のテーマだったような気がするのです。
マーチに合わせて、1拍め左足からスタート。もしも間違えたら「ツーステップ」で直すってのも練習したし、「全体~止まれ!いち、に!」これでぴたっと止まる練習、徹底的にやりませんでしたかみなさ~ん!? 

「組み体操」では、号令でいろんなポーズをやりますよね、ピラミッドや、扇や、櫓をつくるヤツ。あれも、背筋を伸ばしてぴたっと静止する完成形のポーズは、ものすごく高いグレードを求められていたような気がします。
子供心に上級生の演技に「うわ~~!キレイ!!」と毎年感動したっけ。
…それに比べて、なんか「ぞろぞろしてる」って印象。

閉会式のとき、間近に並んでいる1年生の子供達を見ていると、みんなと違った動きをしている子供がたくさんいること! ずっと座って土をいじっている子供、ずっと帽子を振り回している子供、前後のお友達とふざけている子供…
この子供達が全員「ADHD」「LD」という訳ではないだろう。明らかに「年齢、発達に不釣り合いな注意力」や「衝動性、多動性」が認められるような子供もいる。でもすべてひっくるめてこの子たち全員の行動はすべてが「個性」なんだろうか…??? 違うような気がする。全体の「目標値」が低い結果のような気がする。

昨年、保育園の運動会で年長児が和太鼓の演奏をした過程については、いっぱい書きましたが、そのときの演奏は心にとっても響いたのです。質の高い演奏だった。好きな子供も苦手な子供もいる。でも、厳しい先生の導きで、それぞれの子供が、自分なりの上達をしていく。子供たちの心は「上手になろう」「心を合わせよう」という、ひとつの方向に真剣に向っていたのです。習い事やサークルの自主的参加の子供じゃなくて、たまたまこの保育園に集まってきた、公立の小学校と同じような条件下での子供達です。その子供達に、ここまで要求していいの?…と園の先生にも迷いがあったようでした。音楽講師の立場として見学させていただいた私に「どう思いますか?」と率直な感想を求められたこともありました。私は、専門の先生の厳しさにもびっくりしたけど、それに食らい付いていく子供達にもっとびっくりしたのでした。
その時に感じたのは、「厳しさ」によって、子供は落ちこぼれていくんじゃない、「格差」ができていくんじゃない、みんながそれなりに引っ張り引っ張られながら伸びていくのです。子供はほんとうにまっすぐに上に伸びていく本能とか遺伝子のようなものを生まれながらに持っているんだなあ…と改めて感じたのでした。

抱き締めて優しい言葉をかけて、褒めて育てること、個性を尊重すること…
この美辞麗句の裏に、なにか落とし穴があるような気がしてきます。
私の小学校時代の「一糸乱れぬ」演技を要求する運動会こそが正しかったとも思いません。もともと私たちは篩にかけられ、粒を揃えられた生徒たちだったので、そこからこぼれていった「個性」のことは、何も考える必要もなかったし、私たち子供自身も学校生活の間じゅう考えたこともなかったのです。そのこと自体が「欠けてる」訳ですから。
公立の小学校が…というか、学校教育全体が、何を目指してどこに向っていくのかって、親が自分の子供と向き合って育てていくのとは全く違う難しさがあると思う。全く異質のもので、学校が家庭に、家庭が学校に擦りあうような類いのものと違う。

私が「こんなんでいいのかなーー」とイマイチ納得していないのは、学校の現場に子供への「諦め」や「妥協」のようなものを感じるからではないかと思うのです。
とはいっても、まだ始まったばかりの学校生活。私にもまだわからないし、目に見えない素晴しいものにまだ気付いていないのかも知れないし…

う~~~ん、、、、
すみません。全くまとまりません。いろんなことを感じた運動会でした。

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「庵治」探訪 「ホピ村」

2006-05-21 | 光と風と旅
…というタイトル?の建物がいきなり目に入りました。
なんじゃこりゃ~~!?!?
ジモティしか訪れない密やかな場所にこんなモノができたのか!
ふつーだったらそんなカンジで横目で見ながら通り過ぎるのよ、こーいう場合。
でも、なんだか違う、惹かれる、吸い寄せられるように車を停めてしまった。
これが「出会い」というものです。

車を降りたとたん、携帯電話でお話中のご婦人ににこにこ顔で会釈されました。
どなたかと間違えていらっしゃる様子。でも、間違いでもなんでもいいわ、いい人だ~~(#^_^#)私もにこにこ顔でお辞儀をして、「ホピ村」に踏み込んでいきました。
心やすらぐほのかな竹炭の匂い。
グランドピアノがある明るい喫茶室。
BGMはピアノにアレンジされた童謡。
ショップには竹炭、竹炭のオブジェやアクセサリー。
瀬戸内海を見渡せるテラス。
竹炭の窯や、展示室なども見学できます。
  
TAKAMIをよくご存じの方は、山道をドライヴ中に、できたての新酒をふるまっている造り酒屋を発見したときのTAKAMIの驚きと喜びを想像して下さればわかりやすいかも(^_^;)

ここのオーナーは若林一色さんという建築家の方で、竹炭を焼き、オブジェを作りながら、ここで暮らしていらっしゃるようです。
そして、さっきのニコニコ顔のご婦人が、オーナー夫人、その他スタッフも、とってもオープンで、いい人で、なんか仲間だぞ…って、こーゆうTAKAMIの嗅覚?はハズすことはまずありません(自慢)。

竹炭を作る窯の脇にあるテラスでビールとハーブティーをいただきました。
(TAKAMIがビールで、ドライバーさんがハーブティーね)
静かな瀬戸内海を見渡しながら。ちょっと風が強かったけど、このなんともいえない心地よさは、潮風だけじゃなくて、きっと窯から漂う竹炭効果なんだろうな。



のんびりいつまでもいたかったけど、その後の予定もあり、後ろ髪をひかれるように「ホピ村」を後にしました。後でゆっくりHPを訪問して(こちらです←click!)、オーナーご夫妻の「生き方」に共感しました。…っていうか、HPで、文章で読むまでもなく、あの空間をつくって暮らしていらっしゃる。そこで発信されているものが、私のアンテナにはその場ですぅっと伝わってくるのです。

人生とは、仕事もプライベートも、子育ても介護も、切り離せるものではなく、全部がひとまとまり。「作り手」として、自分を表現するということは、自分の人生すべてを表現するということだと思います。大袈裟かもしれないけれど、私はその場所を選んだ結果、郷里に帰ってきました。
なんだか素晴しいお手本?をいただいたような気分。

もちろん早速「ホピ村」にメールを出しました。
またどうぞいらっしゃいというお返事をいただき、この週末、早速Takを連れて行ってこようと思います。カフェでのミニコンサートでオーナー自ら歌を歌われるとか… 既に一緒にハモって歌う私を心に描いています(^_^;)
そして、きっとこれからも、「ホピ村」とのおつき合いはずーーっと続いていくことでしょう。

嬉しいし楽しいし、とっても大切な出会いだと思います。

ちょっと、センチメンタル・ジャーニー的「庵治探訪」は、このような意外な展開となって、ほんとにほんとに、TAKAMIの人生の歴史に残る1日となったのでした。
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「庵治」探訪 少女タカミを訪ねて

2006-05-21 | 光と風と旅
GWに瀬戸の島々を巡って、心の故郷を再認識したので、20年以上ぶりで、「庵治」を訪れてみることにしました。
近くて遠いところ、「庵治」。いやもう、私にとっては、この響きだけでも特別なのです。

「丸山峠」を越えて坂を降りたあたりに、新しい家族で住んだメゾネットがあるはず…
でも、そこは、埋め立てられて、新しい道路にきれいな町役場(今では高松市役所支所)ができていてすっかり様変わりしていました。
それでも、確か、このあたりのはず…と記憶をたどって行ってみると、あった…これかも、、、 30年以上前の、軽量鉄骨のメゾネット。2Fのベランダの壁が崩れ落ちている。なんだかもの悲しい。
すぐ傍には、きれいではなかったけれど、小さな浜辺があったのですが、そこも埋め立てられて、景色はすっかり変わってしまっていました。

それから、さらに先へ。こんどは、祖母と住んでいた「小屋」の跡地へ。
狭い路地へと車を進めていきます。路地といっても、このあたりが昔は目抜き通りだったところ。
取り残されたように、何も変っていない路地。
駄菓子屋や雑貨屋だった建物は、錆びたシャッターが閉まって、人通りもなく、時間が止まっているようです。
私の住んでいた場所はどうなっているだろう…
だんだん動悸がしてきました。
鮮魚料理の旅館の調理場も閉まっていました。

そして、これが小屋の跡です。

何も建ってない。(何も建てようもないほど狭いのです)「よかった…」 吸い寄せられるように踏み入って、暫し佇みました。
このあたりまで庭。ここが玄関、そしてここが私の部屋。ここがトイレで、ここが台所…
こんなに狭いところで、おばあちゃんが作ってくれた朝ごはんを食べて、バスに揺られて学校に通っていた少女タカミは自分とは別の人物のような気がして、なんだか愛おしさがこみあげてきました。不思議な感覚です。幻の我が子の足跡を辿っているような??
さらに、毎日バス停からの帰りに歩いた小さな漁港にも行ってみました。



日曜の真昼の漁港。あまりにも静かで、聞こえるのは、漁船のひたひたさざ波に揺れる音と、漁船をつなぐロープが軋む音。



その日捕れた魚を買いに来る近所の人たちで賑わっていた料亭旅館は、時を刻むのをやめてしまったかのようです。

さらに、バスの終点からその先。
夏休み、ひとりでよく自転車で行った海岸へ…

 

ここで、日がな一日石投げをして遊んだ少女タカミ。3段飛び、5段飛び…とウデを磨いていったのよ。

この海岸の端の洞窟に観音さまがありました。
「竹居観音」


亡くなった私の祖母は、願掛けに、ここへ歩いてお参りをしたとか。坂の上り下りがいくつもあって自転車でも相当キツイのに、若い頃から腰を病んでいた祖母は、きっと1日がかりだったことでしょう。洞窟の中は少し恐かったけれど、不思議な安堵間や、優しい空気を感じることができて、…好きでした。少女タカミの秘密の場所だった…

少女タカミは、自分だったのか、なんだかわからなくなってきました。

少女タカミは、自分の境遇を不幸だとも、寂しいとも、貧しいとも、不満だとも、全く感じたこともなく、すべて普通の日常と思って受け入れていた。不幸どころか、かなり楽しかったのです。ここで自分の世界を思いきり広げていった。そんな少女タカミを抱き締めて大泣きしたい自分はいったいなんなんだろう?? 「かわいそう」というのではないし。タカミの中に、息子Takを投影しているんだろうか???
(…暫し考える)
誰も知らない、親も友達も知らない「少女タカミ」の世界を、私だけが知っていて、私だけが抱き締めてあげられる…そんなカンジかなあ~~~

まっ、考えて整理する必要もなし、これはこのままで…
ってことで観音様を後にして、車に戻りました。
そこには、とっても素敵な出会いが待っていました♪♪
(つづく)
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お休み

2006-05-18 | よしなしごと
少しの間更新をお休みします  
                                                                       

                                              
                                         
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「ダイアローグ」

2006-05-16 | よしなしごと
「アーティストともだち まりさん」追記

先日ご紹介させていただいた、「アーティストともだち まりさん」の記事に、ご本人がらTBをいただいてます。ゼヒゼヒ是非是非、その足でまりさんとこになだれ込んでくださ~い!…て、「足」じゃなくて one click…「指」か、、、
ダイアローグ第9夜」←click!
ダイアローグ第10夜]←click!

彼女は最近「ダイアローグ」というテーマで記事を書いていらっしゃいますが、「会話」…人と人がことばによって繋がれ、そこからさらにお互いが発展していくことの可能性にワクワクします。
先の記事で私が「わっから~ん!」といってほうり出した「プログレ」に関するフォローや、まりさんのシンボル「蝶(モナーク)」に関しての解説には、、、とても感動しました、、、 まりさん、ありがとう(T_T)

私の日々雑感は、↓に更新してますので、みてね!

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母の日

2006-05-14 | よしなしごと
母の日
今さらですが、「母の日」。

物心ついた頃から私と2人暮らしのTakは、「母の日」を知りません。
私が自分で「きょうは母の日よ!」なんて教えないもんね(=^‥^A
保育園時代、季節の行事をあんなに保育に取り入れていたTakの保育園で、「母の日」「父の日」はなにもやらなかった。
もしかしたら、「ひとり親を含む、いろんな変則的な世帯」に対する配慮かもしれない…そんなふうに解釈していました。

そんなワケで、母の日だけど、何の変哲もない、フツーのブランチ。
トマトオムレツ、トースト、サニーレタスとカッテージチーズと、茹でたニンジンとジャガイモのサラダ、それに昨日の残りのポークリブ。
写真のこの量を、Takはひとりで全部食べた! 私はトースト以外、全部はんぶんこして2人で食べるつもりだったんだけど…
早起きした日曜日の、AM10:00頃の、の~んびりしたブランチって、高松に来てから過ごせるようになった時間です。
Takが生まれてから、ず~っとず~~っとバタバタし続けていたので、毎回の、のんびりした週末がなんだか夢のよう~♪

この日は優雅にお昼寝して、そのあと実家にいって、「ワタクシの母」の日ってことで、晩餐をつくりました。
…といっても、Takのリクエストで、またまたポークリブと、温野菜サラダ。

またしても画像を撮りそびれましたが、あちらこちらに大好評のポークリブ
ゼヒお試しください。

ポークリブを軽く塩胡椒して、フライパンで、表面を焼く。
醤油:パイナップルジュース:酢=3:8:8(これはお友達からの伝授ですが、これがポイント!) の割り合いで、ポークリブの半分程度が浸る位に入れて、いったん沸騰させてから弱火で煮る。途中で裏返す
煮過ぎるとパサパサになるので好みで火加減しましょう。
(ちなみに、1本約100g 10本の場合、私は、醤油1/2カップ、お酢とジュースは、それぞれ1カップ弱をどばどばと入れて、蓋もせず放っておきます。)
肉に火が通ったら、強火でイッキに煮汁をタレ状にして絡めてできあがり~!
ガサツです。正統な作りかたをご存じな方、ぜひ教えてねん♪

思うにこれに合うのは、温野菜のサラダ。しかも大量。
ニンジン、ジャガイモ、ブロッコリー、インゲンなど、小さめに切ってさっと茹でて、ちょっとシャキシャキ感が残る位がいいかも。キャベツやレタスは生で。ドレッシングもノンオイル系がいいですよ~。…てか、私としては、塩とレモン極少々、以上。ってカンジ。
ちょっと香り系がほしいか~
パセリ、バジルなどお好みで。

カロリーを気にしない方は、これにハニートーストなんかいかがでしょ~か~~!!
トースト1斤まるごとオーブンで暖めて、縦9本にカットして、バターと蜂蜜を隙間に浸透させてさらに焼くんだよ~

さらにプレーンオムレツに、きのこの香りのドミグラスソースなんてどおよ。

これに赤ワイン。
デザートはグレープフルーツ…

う~~~っっっじゅるじゅる…

この記事のタイトルは「母の日」だったハズ…???(-_-;)
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閑話3題

2006-05-13 | よしなしごと
1 クレーン

私はクレーンが好きです。もっと具体的には、クレーンをひっぱっている、あのロープが好きなのです。
あんな大きな長い鉄の集合体が、斜めにそびえていることに、ものすご~くそそられるのです。
あれを支えているロープにはいったいどれだけの力がかかっているのだろう…ぞくぞくわくわく
というのが、私がクレーンが好きな理由のようです。
大昔、ヨーロッパに旅行したとき、パリの空港に降り立ったときに、最初に目に入ったのは、クレーンでした。これまで見てきたクレーンと違って、茶色でT字型でした。
最初にカメラに収めたのが、このクレーン。それから、パリ滞在中に見かけるクレーンは、どれも茶色でT字型なのでした。
エッフェル塔も茶色だし…パリは、町の美感を重んじるので、トーキョーのように、なんでも高いものは赤と白で塗ったりしないんだろうかなあ…などとその時思いましたが、ホントのところはわかりません。
日本では、東京タワーも、クレーンも赤と白。
子供の宝物箱をひっくり返したようなトーキョーの夜景の中で、東京タワーの赤と白はとってもキレイです。羽田にもたくさんクレーンが働いていますが、アジアンな雑多な港に、赤と白の斜めったクレーンは結構似合っているかも。
でも、私の理想は、燻し銀のようなクレーン。

GWにしななみ海道を走って、たくさんのクレーンを久々に見て、とってもわくわくしながら、いちど、このことをブログに書いとこーっ…と思ったのでした。


2 JR四国バースデー切符



某「鉄ちゃん」(鉄道マニア)から、「JR四国では、バースデー月間に、四国の鉄道が、特急グリーン車含め、1万円で3日間乗り放題」…という情報を入手しました。しかも、あと1万円で同乗者3人まで同じ条件で乗り放題。
…ってことは、ひとり5千円ってことじゃん! めっちゃお得じゃ~~ん!!
私、8月生まれなんですけど、夏休みでもいいの?お盆でもいいの!? ヤッタじゃ~~ん!!
そこで、この話を家族に早速してみました。

しかし、反応は…
「ソレ、海を渡れんのやろ?四国の中だけやろ?
2泊も、この狭い四国でどこに行くん!?」

…なるほどぉぉ~~
フツー、四国人は、2泊3日の旅行といえば、四国を脱出するよね。
私の魂はまだまだ「四国人」にはほど遠いのであった。
でも、私、四万十にいきたいのよ。四万十川←click! は、香川から対角線の位置にある清流です。一度も行ったことがないのです。ここには、1泊では無理。私の知らない四国を見つけにいきたいよ。
…てことで、私、できることならこの夏に早速コレを利用していってみたいです。マニアックな鉄道の旅も、たまにはいいかもネ!


3 ダイソー

Takと「TSUTAYA」を捜して彷徨っているときに、「ダイソー」を発見。
あー、そういえば、ゾーキン提出しなきゃいけないんだった、ちょっと寄って買っていきまひょ…ってことで、立ち寄ってみました。(ゾーキンも縫わない私(-_-;))
いや、もちろん、ダイソー、東京でも時折利用させて貰ってましたよ~
特に、クリスマスのオーナメントなんて、かわいくって、素敵で、これが全部100
円~!!? って、LIVEのステージ衣裳や、ヘアメイクに重宝しまくりました。
でもでもで~~も、ここのダイソー、二階建てでめっちゃ広い。駐車場も広いし~! 入ったとたんにワクワクしてきて、Takをオモチャ売り場に放置して、物色しまくり。久々に、あれもこれもと買いまくりました~! あ~楽しかった!




グラス類¥100~350 (切り子は¥350) 
A4額縁 ¥400 ワインボトルの額(中身共)¥100
苔玉のミニ観葉 1個 ¥100 お皿も ¥100
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アーティストともだち まりさん

2006-05-13 | 人生妙なり
今日は、当ブログにブックマークさせていただいている「映画千夜一夜」のまりさんを、改めてご紹介させていただきたいと思います。

彼女は私の中学時代のお友達でしたが、大学卒業後、テキサス州ヒューストンに渡り、一昨年秋に帰国、帰郷するまで、20年余を、アメリカで、グラフィックデザインとその周辺の仕事をされてきました。
Takを産んだときに、たまたま帰国されていて、病院にTakと私に会いに来て下さったのが20年ぶりの再会。以来、帰国のたびに、そして、帰郷されてからは、私が帰省した折りなどお会いしてきました。

まりさんは、最初、ヒューストンから英語で私にメールをくれたのです。
\(@o@)/さっぱり読めません。
彼女のPCには、当然日本語のワープロが入っていません。20年以上アメリカで過ごしている彼女は、頭も身も心も!?殆どアメリカ人。私は、仕方がないので、ローマ字でレスを書きました。これは、韓国人の友人ともやっていることなのですが、かなり肩が懲ります。
まりさんにとっては、日本語で考えて、ローマ字でメールを打つってのは、もっと難儀なことだったと思います。
そのうち日本語ワープロを入手して、日本語でメールのやりとりができるようになりました。20年のギャップはスゴイものがあっただろうと思うのですが、彼女の日本語ワープロの修得の早さは凄かった!

そして、今、「映画千夜一夜」を書いていらっしゃいますが、彼女の映画への造詣の深さにも深く感銘を受けますが、論理的でスッキリと整理された日本語の文章が素晴しいです。
きっと彼女の頭の中は、今でも(いい意味で)アメリカ人で、グローバルで、彼女の書く日本語は、上質な英文の極上の邦訳という感じです。
現在は、高松市と海外とのまさに掛け橋的な、ハードな仕事をなさっています。多才な彼女のこれは本分ではないのかもしれないけれど、こんなふうに、言葉で文化の掛け橋になれるって素晴しい。映画のみならず、あらゆる芸術に造詣が深いからこそだと思います。

同じ時期に、生きる「ステージ」を移してみようと考え始め、今は、同じ町でそれぞれ、これからの生き方を模索しています。不思議な偶然。いや、偶然ではないのかもしれません。
まりさんとの話は、「アート」と「恋愛」と「人生」。いつもここに集約されます。
古い友達なのに、不思議と昔話ってしないなあ。

昔話といえば私は、まりさんに「プログレ」を指南して貰ったんだった。(progressive rock…洋楽の1ジャンルです。70年代、シンセサイザーが開発され始めた頃、シンセを取り入れた、ジャズやクラシックとも隣接してるような「前衛的」なロックバンドを「プログレ」という)…ような気がするんですが、、、書いてみて、自信なし、、
導入はお誕生日に、仲良しともだちみんなから貰ったレコード券で買った「ELP」。 それを皮切りに、イエス、ピンクフロイド、キングクリムゾン… 私は、「曲」を聴くだけでとっても満足していたのに対して、彼女は、アーティストの人間性にも興味を持って「ツェッペリンのジミー・ページは守銭奴だ」…とか、いろいろ教えてくれたっけなー(^_^;)
思えば、あれが彼女の芸術への情熱の片鱗だったんだな。
私はその後、「プログレ」から、「現代音楽」へと渡っていきました。武満徹氏の琵琶と尺八の曲や、コーラスの曲には、「魂揺さぶられる」思いを味わったし、そこからクラシック音楽へと渡っていったのでした。
こんなところにも、まりさんの多大な影響が…

影響…「影」と「響き」
これは、まりさんと私の間での「ダイアローグ」のテーマのひとつでもあります。
「アーティストは、自分の作品を後世に遺したいのか?」

「作品」は、受け取る人それぞれの中で、かたちを変えていく。
私は「遺す」ことには思い入れがありません。
以前も書きましたが、創作とは、「石」を湖面に投ずるようなもの。
その石こそ自分自身なのであります。
小さな石は、湖底に沈んでいきます。でも、波紋が湖面に広かっていく…



さて。まりさんの「名言」をひとつ。

「恋愛は人生のボーナス」



画像は、Takの出産祝いにいただいたまりさんの作品。蝶はグラフィックデザイナーまりさんのシンボル…のようです。
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家庭訪問

2006-05-12 | しろかねも くがねも玉も何せむに…
昨日は、Takの担任の先生が家庭訪問にいらっしゃいました。
訪問時間は10分とのこと。
…ま~、そうはいっても、5分や10分は余裕を持たせてるだろう。
玄関先だけなのか? お通しして座っていただくのか? お茶やお茶菓子はどうするの?…などなどさっぱりわかりませ~ん!
以前、某育児系サイトで、とある大先輩主婦の方が、お茶とお絞り、それに、自作の手まり寿司をお出しするという記事を読んだことがありました。こりゃ~完璧!コレなら、先生も喜んで召し上がって下さるだろ~。…いつかはそんなおもてなしを気軽にやってみたいことだなあ~ しかし、今の私には分不相応だ。先生は私より年輩の大ベテランだし。とりあえずここは無難に…
ってことで、とりあえず、玄関とLDKだけは念入りに掃除しておきました。

予定の時間より5分と遅れず、先生はいらっしゃいました。
訪問時間、15分余りだったかなあ。
しかし、事前にお手紙で、我が家の家庭環境などまとめてお渡ししておいたし、お聞きしたいこともまとめておいたので、かなり濃いお話しができたかな!

先生も、まっ先に「匠ちゃんの気になることはコレコレです。あとはお母さんか心配なさっているような問題はありませんよ。」と、端的にお話下さいました。
気になること…ってのは、授業中、先生の指示などに対して、いちいち言葉に出して反芻、確認をするので、他の黙っていうことを聞いている生徒達には耳障りだったりする場合もあるので、その都度「心の中で反芻しなさい」というようなことを指摘して下さっているというようなことでした。
そりゃ集団生活の上でのことなので、先生も、家庭で特に注意するということでもなく、学校生活の中で、声掛けを続けていくってことでした。

私のほうからは、注意深さがかなり足りない、時間割りを合わすのにも、明日の準備をするのにも、朝の着替えをするにも、ぼーっとしている。甘やかしてしまったので、自分の身の回りのことが、自分でできていない。ひらがながやっと読み書きできるようになった程度で、「文」を理解することがまだできないようだけれど、授業についていけるんだろうか?? 何も話してくれないので、さっぱり学校の様子がわからない。
こんな不安をお話しましたが、先生の答えは、ひとつひとちものすごく簡単で明解で納得できるものでした。
なかでも、いちばん安心できたのは、「正解はない。親子のかかわりあいのなかでつくっていくものですよ。」ということでした。
よっしゃ~! 
って感じだよ。

Takにとって先生は「結構厳しい」「でもおもしろい」のだそうです。
いいじゃんいいじゃ~~~ん。
保育園時代、温室のような環境で、やさし~~い先生に大事に大事に守ってもらっていたので、いきなりのこの「結構厳しい」日々、どーなることかと思っていたけど、案外ホントに子供って、適応早いよね。


さ~~てさて。
私、一昨日から、携帯を買い替えました。FOMAの最新のヤツです
( ̄‥ ̄)=3
前携帯のカメラがさっぱりダメなので、フンパツしました。これで最後よ。も~カネありません。使い果たしました。
でっ。
最初に何を撮ってアップしようかな~♪と思ってたんですけど、
「TAKAMIの家を見せろ!」という声が多く… 
これまでさすがに「うれしげ~に」ブログにアップするのはな~と思って差し控えさせていただいてましたが、まっ、家庭訪問で、部屋もキレイになったことだし、拒みに拒み続けて参りましたが、一挙公開に踏み切ることにしました!!!
ダラダラ長いTAKAMIの文章を、今日もここまでスクロールして読んで下さったあなたへのささやかな?プレゼントよ( ̄ー+ ̄)

ぴ~んぽ~ん…

ドアを開けるとまずココにはスペイ河&スコッチウィスキーの蒸留所。ここは拒絶バーか!?アーティスト友達R氏の作品。

そして壁にはコレ。アーティスト友達まりさんの作品。

廊下から。シンプルでしょ。

廊下から見たダイニングはこんなカンジ。

これが気合いを入れて買ったダイニングテーブル。2人暮しにはもったいないので、みなさん、わらわらと遊びにきてね~~!!ホントにホントよ!!


キッチンは、ありのままを撮りました~~!

living…ったって、ピアノとオーディオボードでいっぱいいっぱい(^_^;)
この壁面に近々「クリムト」を飾る予定。これはね、大昔からの念願。


ここまでは、いちお~生活空間としてのみならず、生徒さんも来る「仕事場」でもあるので、ちょっとは気取ったりしてみてるのよね~ん。

さ~~~~ここからは、プライベート空間よっ!

まずはTakの部屋。
散らかっとります。私は、基本的に掃除機はかけるけど、片づけはしません!
床に置いてあるものは全部吸い込むよ!ってことになってます。しかし、Takは、いまのところ、ここで遊ぶ時間が殆どありませーん! 時間割りを合わす、着替える、たまーにおべんきょうする、以上。

じゃじゃ~~~~~~ン!!!
TAKAMIの部屋(-_-;)(ありのままです~~)
何度引っ越してもさっぱり代わり映えがしません。
見覚えあるでしょ、このベッド、この散らかったテーブル、このチェスト、そして、本棚にバッグをひっかけてるところ(^_^;)

しかし!これまでと違うのは!!
TAKAMIの部屋には、さらに奥座敷があるのであった!
どおよ! まだ畳の匂いが漂ってるのよぉ~ん。
ここは、LDKからは行けません。TAKAMIの散らかりまくった部屋を通らなきゃいけないので、ココは、特別な方しかお通しできませんっ( ̄‥ ̄)=3
…今のところは、アイロン部屋になってるんですけどね(-_-;)
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岩盤浴体験レポート

2006-05-09 | 健康とダイエット
近所に岩盤浴の看板があったので、行ってみることにしました。
あまり予備知識もなく、「低温のサウナのようなカンジだよね??二日酔いの身体には結構やさしくて気持ちいいかも…」などと不謹慎なことを考えながら…
サロン風のところを想像していたのですが、まるで普通の家の大きな玄関のようなところを開けると、サロンというより、銭湯ってカンジ。
カウンターでお金を払って、バスタオルとフェイスタオルと、専用のウェアとお水のペットボトルをいただきました。
これで1500円か~ 高いよな~~

岩盤浴って、単語ぐらいは聞いたことあるけど、経験のある方はまだ少なめなのではと思います。…ので、後ほど専門的HPをご紹介させていただくとして、一応、簡単にいうと、室温40度、湿度70%ぐらいの部屋の床に岩のパネルが敷かれていて、その上に寝そべると、あっというまに汗が吹き出してくる、休憩をはさみながら15分程度ずつ3~4回入るのです。最後には、ウェアがぐっしょり、ここで出た汗は、とっても上質の天然の化粧水のような効果があるので、汗は決して洗い流さず、拭き取るだけ。(シャワーは最初にしとくのよ)
というようなものです。

タイマーをセットして、うつぶせ5分、仰向け10分寝てるだけ…っていうのは、結構ラクチンでした。普通のサウナでも、私は10分以上入っていないと汗が出てこないのですが、ホントに5分と経たないうちに、細かい汗が全身から出てきました。
とはいえ、湿度が高いので、「ものすごく気持ちいい」とは正直言えません。
気持ちよかったのは、出たあと。びしょびしょになったウェアの脱いで、汗を拭き取って、着替えて外に出たときです。
なんだ?このサラサラ感! しかも、昼下がりに行ったのに、今でもずっとその気持ち良さが続いてるのです。
お水が飲みたくて、サラダが食べたくて、めちゃヘルシーな夕食になりました。

こりゃなんだかスゴイぞ…と思って、いろいろ検索してみました。
どうやら、この「岩盤浴」って、健康にも、ダイエットにも、ものすご~~くよさげです。ゼヒみなさまも、こちらをお読みいただき、できればその周辺情報にも目を通され、さらにお近くの岩盤浴サロンを検索して体験してみて下さい。

でも、高いのが難点… 岩盤浴を生活に取り入れられるくらいには頑張って働かなくっちゃ。
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自分への旅…「平山郁夫美術館」

2006-05-08 | 光と風と旅
しまなみ海道の道中、「平山郁夫美術館」に立ち寄りました。
画伯が、しまなみ海道「生口島」の出身であることを、初めて知りました。


平山郁夫画伯の絵に出会ったのは、たぶん、高校時代の頃の院展だとか、その周辺だったのでは…と思います。「仏」をその心に持つ、どこか深く印象に残る、心の奥深くまで浸透してくるような絵だったのでした。
その後、シルクロードだとか、三蔵法師の辿った路を精力的に旅をされているらしい…といった情報と、数点の作品しか知らなかった。


求法高僧東帰図



先にも書いたように、私は「庵治」という小さな漁村で11~13歳の時代を過ごしました。ここに行くには、峠をひとつ超えなくてはいけないので、高松に隣接しながら、「陸の孤島」…という時代が長く続いていたようです。母の時代には、高松に行く主な交通手段は船だったとか。バスは鋪装されていない山道をガタガタと激しく揺れながら走るのです。小さい頃、何度が乗りましたが、心細く、とんでもなく遠いところへ行くような感覚でした。

ここに祖母の家がありました。海沿いの通りから1本奥まった通りにあった「小屋」のような家。
小さな庭。電話もなく。汲み取りトイレ。手水。物置き。土間を改造した台所。8畳と4畳の和室。
これだけの小さな古い家。
私は、当時そこからバスで高松の小学校に通っていたので、(さすがにその頃は舗装されていましたが)「村」の子供達とは全く付き合いがなく、休みの日はいつも独りでした。母は仕事。祖母は結核で入院中。
長い夏休み、毎日海辺を自転車に乗って、いくつも坂を越えたところにある砂浜で石投げをしたり、観音さまが祀られている洞窟の中に長い間佇んでいたり。バケツと柄杓を持って、岸壁にいって、クラゲを捕って遊んだり。

ここから見る瀬戸田の町並みは、当時の庵治ととてもよく似ています

祖母が退院し、母が再婚し、妹が生まれてからは、「小屋」はさすがに狭すぎるので、10m先が海、裏が資材置き場という環境の、メゾネット式のアパートに越しました。ここでも2階の部屋の窓から、毎日毎日、瀬戸内海を眺めて暮らしました。

高校生になってから、私は受験のレッスンのために、一人で高松~大阪を定期的に日帰りするようになりました。
「宇高連絡船」が、当時の本州へ渡る主な交通手段。
朝は、飛沫の白い尾を引いて行き交うフェリー、夜は漁り火を眺めながら、デッキで潮風に吹かれながら瀬戸内海を渡るのです。

それらが私の見ていた海の風景。いつもひとりで見ていた瀬戸内海。
独りだからこそ、瀬戸内海は私のいちばん近くに在ったのでした。意識することもないほどに。

瀬戸大橋が開通して、初めて電車で橋を渡ったとき、青い海の上に美しく連なる橋の白い曲線と、これまでとは全く違う目の高さから瀬戸の海を見下ろして、初めて「瀬戸内海」を自分の意識ではっきりと感じて、涙が出てきました。
これが私を育んだ瀬戸内海。そして讃岐平野。なんという恵みに満ちた豊かな場所なんだろう…
大学時代の夏、友人達と千葉や伊豆の海に行ったとき、「これがホントの海だ、大洋だ」と、感動したものでした。そして、瀬戸の海をどこかで侮蔑するような思いを抱いたこともあったものでした。
私が身近すぎて意識しなかろうが、軽んじようが、忘れ去っていようが、瀬戸内海は太古から静かで豊かなままでそこに在るのでした。

けれども、橋の上から瀬戸の海を見下ろす時間ははあっという間に終わってしまうのでした。


平山郁夫美術館では、「しまなみ海道六十景」が開設されていました。
画伯を育んだ瀬戸内海の島々への思い、全アジアを渡りながら創作活動を続けてきたアーティストとしての視点と思い、それらを表現した絵と画伯自身による文章が、私の瀬戸内海への思いや、私自身がこれから行く先への思いとぴったりと重なりながらなおもひたひたと静かな満ち潮のように寄せてくるのです。


「天かける白い橋 瀬戸内しまなみ海道」



解説不能。
夢中でメモをとりました。


「恐らく橋の長さに比例して、斜張の角度や橋脚の高さが構造的に割り出されるのだろうが、機能が進めば美を発揮する原理が、自然と人工の美しさを奏でている。」


「日没の一瞬、真っ赤に染まった空や海の中に、逆光の因島大橋が浮かんでいる。その中を、島影に太陽が入っていく。美しい大自然である。自然と科学技術の織り成す美の交響楽である。」


「橋のない時は、目の前にしながら近くて遠い存在だったが、島が島でなくなっても、島の個性を保ち続けなければと願いながら渡る。」

  
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瀬戸の島々1

2006-05-06 | 光と風と旅
GWは、瀬戸の島々を巡り、たくさんの出会いと発見がありました。写真でお届けいたします。


5/2 出発。曇りところどころ雨と風。今治までいって、安くて美味しい魚を食べたら帰ってくるつもり。ところが、今治に着いたらだんだん晴れてきたので、欲が出てきて、しまなみ海道へ突入。大島→大三島へ

橋の途中ですっかり晴れ渡りました。
さらにフェリーで生口島→岩城島へ。
このフェリーにのる車は3台。

瀬戸の陽射しを浴びて浮かぶ島の灯台。



私は小5~中1の約2年を「庵治」という小さな漁村で過ごしました。
そのときの思い出が、封印が解けたように鮮やかに蘇ります。
民宿の窓から見下ろす漁港は、あの頃の私の傍にいつもあった風景そのものなのでした。



当時住んでいた小屋のような家の真向かいは、鮮魚料理の旅館の調理場。大きな生け簀があって、その日漁で採れた海の幸が木箱に並べられて、近所の人たちが買いに来ます。私は、笊いっぱいのワタリガニを、おやつに茹でて貰って、爪の先まで食べ尽くすのが得意でした。

民宿「よし正」の生け簀と、本日の収穫

鯛、カンパチ、ウニ、イカのお造り/メバルの煮付け/コチの唐揚げ/焼き貝柱&エビ/サザエの壷焼き/蒸したカニ/鯛そーめん …〆は海の幸の出汁たっぷりの釜飯(あまりにもウマくて、画像撮りそびれまくりました)


5/3 岩城島をあとにして、ふたたびフェリーで生口島へ。


平山郁夫美術館。自分への旅の入り口。
別途記事にします。

シトラスパークに泳ぐ鯉のぼり
たくさんのシトラスに囲まれて散策。しまなみ海道開通当時は大勢の観光客で賑わっていたようですが、斜陽の一途… どんなかたちで残していけばいいんだろう。



このあと、大三島の温泉「マーレ・グラッシア大三島」にいきました。
瀬戸内海を見渡せる展望露天風呂が最高でした…



無計画の旅から帰ってきました。自分の中に放置してあった荒れ地を耕すきっかけを貰って帰ってきました。

   
            -つづく-
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瀬戸の島々2

2006-05-06 | 光と風と旅
5/4 オリーブの島、小豆島へ。

フェリーは、ぎゅうぎゅう詰め。僅かの隙間に最後の1台を載せるために、数人がかりで隣の車を持ち上げて脇へ寄せる様子には驚きました。


小豆島には、確か、子供の頃、遠足で1度、海水浴で2、3度行ったきり。
もう何も覚えていません。


寒霞渓(かんかけい)


         新緑が吸い込まれるような美しい緑でした。
         「もののけ姫」の森のよう…


昼食は、手のベ素麺の製麺所の軒先きで。


小豆島の産物は、オリーブ、素麺、それにお醤油。
品質を保ち、島民の声にすぐに反応できるようにと、島の外では販売していないという「金両のだし醤油」


帰りのフェリーのデッキでは、日が暮れていく瀬戸の海の色を眺め続けました。
すっかり暗くなった頃、高松の港の美しい夜景が見えました。

東京に行く前の、高校時代、私は、受験のレッスンの為に、1日がかりで高松~大阪間を往復していました。暗くなった瀬戸内海から見る故郷の港は、寂しく、愛おしく感じたものでした。
今は、港にビルが立ち並んで、賑やかで、都会的。


赤灯台。高松港のシンボルとか。灯台全体が赤いガラスのブロックでできていて、全体が赤く光ります。とってもきれいです。



これが、私の新しい故郷高松…




おまけ
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凛ちゃんのネットショップ

2006-05-05 | よしなしごと


我がブログのコメンテイター凛ちゃんのネットショップ
みなさん、ぜひ訪れて、お気に入りに登録してね!

GWは諸事情により、記事の更新がとどこおるかと思いますが、みなさん、楽しいGWをお過ごしくださいね!
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